「先輩! 新婚旅行でクシェペルカ王国へ行くので、ご一緒しましょう!」
「ちょっと何言ってるかわからないですね」
白鷺騎士団と紅隼騎士団が本格稼働を始め、巨人族の人たちがおっかなびっくり混じりながらも受け入れられつつある今日この頃。フレメヴィーラ王国は騒がしくありつつも平和な毎日を過ごしています。
「エレオノーラ姫、いえ今や女王陛下ですね。陛下にはお世話になりましたし、キッドやエムリス殿下にも結婚の報告をしたいですから、ちょっと行こうと思いまして。なので、ぜひ先輩も一緒に」
「くそう、現実逃避しても逃げ切れねえ!」
だってのに、なんでエルくんはほにゃっと笑いながら無茶苦茶言ってくるのかな!?
「何やってるのアディちゃん! せっかくの新婚旅行なんだよ!? 俺みたいなお邪魔虫を連れて行ってどうするのさ!」
「えー、なんですかー? 私は今エルくんをえるえるするのに忙しいんです。むふふふふ」
「ダメだ、完全に脳みそお花畑だ……!」
しかも、こういうとき率先して止めてくれそうなアディちゃんはエルくんに頬ずりしながらトリップしている。アディちゃんてば結婚してからこっち、エルくん好きにますます磨きがかかってふにゃふにゃになっている感がある。あと、エルくんと一緒にオルヴェシウス砦に出勤してくるとき妙につやつやしてる時があるから、つまりそういうことなんだろう。
くっ、正妻の余裕ができたからか、エルくんが俺に接触しようとするのを止める圧が弱まっている……!?
「……というかですね、実は先輩のクシェペルカ行きは僕だけの要望ではないんです。新婚旅行の行き先としてクシェペルカ王国に事前の打診をしてみたところ、ぜひ先輩も一緒に来て欲しいと正式な要請があったんです」
「えっ、なにそれ。俺、クシェペルカから名指しで呼び出されるようなことしたっけ!?」
しかも、なんか外交レベルのご指名が来てるとかどういうことなの。
そりゃあ、俺だって銀鳳騎士団のクシェペルカ救援にはついて行ったけど、そのときにしたことなんて他の団員と同じようにジャロウデクを殴り倒したり、それ以外では荒らされた畑を直す手伝いをしたくらいで……こんなの、人間の生存本農の一部じゃないか!
「なんでも、各地の農村から『獅子の農神よもう一度』と熱烈な要望が上がっているようでして。是非先輩も同行を、とのことです」
「くうぅ……! そう言ってもらえるとちょっと嬉しい!」
と思ったら、まさにその行動が原因でした。
気持ちはわかる。俺だって、魔獣に荒らされた畑を一晩で直してくれましたみたいなことになったらそりゃあもう全力でお礼をしなければ気が済まないさ。痛いほどに気持ちがわかるから、断れない……! そうしてクシェペルカに行っている間、俺自身の畑からは引き離されるけど……!
うぅ、辛い……! せっかく大森海から帰ってきたばかりなのに、また畑を離れるなんて。
オルヴェシウス砦を囲む畑から「イカナイデー」「オセワシテー」「コンニチワ」などなど声が聞こえる気がする……!
頭を抱えてぐおんぐおん体をひねる俺。おいエルくん、微笑ましそうに見てるんじゃない。
「それでは、さっそくクシェペルカ行きの準備を始めましょうか。実は国王陛下からイカルガの持ち込みを禁止されてしまったので、カルディトーレを使わなければいけないんです」
「まあ、妥当だね。……で、どんな改造するの?」
「先輩のそういうところが大好きです」
ともあれ、こうなってしまえば切り替えが肝心。
立ちはだかるトラブルがあればそのことごとくを細切れにして畑の肥やしとして、最速で帰還する。それしかない。
イカルガの国外持ち出しが難しいのは、政治的に見て妥当なこと。
もしも最悪鹵獲されるようなことがあったとしてもエルくん以外はまともに動かせないこと確実だけど、それをもとに掘り返せる技術的な情報は多い、かもしれない。さらに、整備にかかる手間と要求される技術もほかの幻晶騎士とは隔絶しているから、普通に運用するだけでも動員しなきゃならない人的資源が大変だ。
クシェペルカ存亡の危機であったりして銀鳳騎士団総出でついていけるのならいざ知らず、エルくんとアディちゃんの夫婦とそのお世話の人たちだけで持ち込むにはさすがに無理がある。
だが、それでおとなしくしているエルくんであろうはずもなく。
「国王陛下はイカルガではなくカルディトーレを持っていくようにとおっしゃいました。……が、『原型のまま』とは言っていない。つまり、改造……魔改造も可能だろう……ということ……!」
「えー、大丈夫なの?」
「幻晶騎士関連でエルくんを止められる人っていないし、仕方ないと思うな」
カルディトーレ大改造計画がここに発令されたのでありましたとさ。
「とりあえず、イカルガをベースにしつつ省エネに気を付けましょう。E管理は基本。小ジャンプ移動でブーストゲージを節約です。それから、やっぱり新兵器も必要ですよね! イカルガと違って銃装剣は使えないわけですからいっそ武器に頼らず幻晶騎士本体のみで戦える装備を試してみましょうかあぁそうですそうなるとやはり執月之手がベースですね使い道が多いですしいよいよもって遠距離攻撃手段も持たせて有線式サイコミんがぐぐ」
で、いつものように怒涛の勢いで設計構想をぶちまけるエルくんに新規参入組の人たちがドン引きし始めたんで、口を指で押さえて少し静かにしてもらう。こうでもしないと無限にしゃべるんだよこの子……。
「はーい、主に国機研から来てる人たちが目を丸くしてるからちょっとお口閉じてようねーエルくん。……えーと、マギウスジェットスラスタの飛行システムはイカルガ式をベースに簡略化して、あとはサブアームで法撃を使えるように、ってことはいつぞや使ってたトイボックスの発展形だね。バトソンくん、あの時期に書いた設計図を一式用意してもらえるかな」
「おう、わかった」
「むぐむぐ」
「それから、開発用にスペースを確保しておかないと。大掛かりなことになりそうだから、ツェンドリンブルやシルフィアーネに使うのと同じくらいのサイズで用意してください」
「あ、じゃあ私がスケジュール取ってきます!」
「はむはむ」
「それから、多分新しい術式をしこたま用意することになるだろうから銀盤の素材確認も……足りなくなったら補充も必要だし」
「わかりました。まずは在庫を確認してきます」
「あぐあぐ」
「……なんだかんだで仕事はえぇなあ、アグリのやつ」
「エルくんと先輩がああなったってことは、新婚旅行までには十分間に合うかなー」
そんなこんなで、とりあえずエルくんたちの新婚旅行の準備を整えることになりました。
どうして旅行に行くだけなのに幻晶騎士やらなにやら新造するんだろうとか考える心は、銀鳳騎士団生活の中で摩滅するもの。気にしてはいけない。
……んだけど、ちょっと看過できないことが一つ。
「……で、エルくん」
「ふぁい?」
「なんで人の指咥えてるの」
エルくんの口を閉じるために突き付けた指。
が、なんでエルくんの口の中に引き込まれてるんでしょうねえ……。
小さい前歯で挟まれたり、妙に滑らかな舌がなぞったりするたびに、背筋がぞわってするんですが!
「ひむぁなのれ」
「咥えたまましゃべるんじゃありません」
……なんで当たり前のような顔して、人の指を軽く噛みながら返事するんだろう。
身長差の関係でちょっと上目遣いに俺の指を口に入れるエルくんという絵面。早急に逃げなければなんだか大変なことになる予感しかしねえ!
「ほら、離して。おなか壊すよ」
「ふぁーい」
敢えてか無意識か、ちゅっ、と最後に吸い付くようにして唇を離すエルくん。
別に、ちょっと気持ちいいとか思ってないよ。腰が抜けそうになったのを気合で耐えてなんかないよ。
……本当だよ。
でも、この後に迫る恐怖には本気で膝を折りそうになりました。
「もー、ダメだよエルくん。……すみません、先輩。指、拭きますね」
「ヒェッ」
傍から見れば、おかしなことなど何もない。
エルくんに咥えられていた指先を、アディちゃんが自分のハンカチで拭ってくれているという状況だ。
夫のいたずらを詫びる妻。ごくごくありふれた光景かもしれない。
……「あの」エルくんの舌が触れた俺の指一本が、アディちゃんの両手で包まれている、という戦力比的に絶望しかない状況でなければだが。
アディちゃんはただでさえエルくん直伝の魔法の使い手。魔法で筋力強化までされたら、指一本じゃどうやっても抵抗できない。
ヤバい……! どうなる俺の指。ケジメでへし折られるのか……!? エルくんの味がついたから、ということで食べるのだけは勘弁してください……!
「はい、きれいになりました! ……ふへへ」
「え、もう終わり!?」
と、思ったら何事もなく、普通に指を拭いてくれるだけで終わった!?
まあ、エルくんの唾液をぬぐった後のハンカチを見てニヤけているところは、良妻ではなく変態にしか見えないけど!
「はい、終わりですよ。……ふっふっふ、甘いですね先輩。エルくんと結婚する前の私だったらうらやましさで破裂してたと思いますが……もはや私はエルくんの奥さん! エルくんをペロペロしたり、エルくんにペロペロされることなんて当たり前なんです!」
「こんなに人がたくさんいるところでそんな自慢するんじゃありません」
……本当に、エルくんとアディちゃんはお似合いだなあ。
今日も元気に幻晶騎士にベタ惚れなエルくんと、そんなエルくんにベタ惚れなアディちゃんを見て、幸せの形は人それぞれなのだと痛感する、俺を含む銀鳳騎士団一行なのでした。
◇◆◇
そして、カルディトーレを含む諸々の準備が整うまで約1ヶ月。
カルディトーレは余すところなくエルくんの手が加えられ、もはやほぼ面影をとどめないほどになり果ててようやく新婚旅行への参列を許された。
ちなみに、今回の新婚旅行。
メインがエルくんとアディちゃんの夫婦で俺がおまけなのは既に語った通りであるとして。
「団長閣下、全て準備整いましてございます。身の回りのお世話は我らにお任せください」
「ありがとうございます、ノーラさん。久々のクシェペルカ王国、楽しみましょうね」
「――ええ、おっしゃる通りです」
エルくんたちのお世話係という名目でついてくる従者としてノーラさんと、ノーラさんの同僚らしきご一行がいる。そりゃあ、ただの物見遊山とはいかないよね、と思いつつその辺を指摘しないだけの分別が俺にもあった。
なんだかんだで食事だの幻晶騎士の整備の手伝いだのもしてくれるらしいし、俺としてもありがたい限りだ。
「よろしくお願いします、ノーラさん。ノーラさんたちの荷物についてはスペースを用意して中身をのぞかないようにしますんで、搬入しておいてもらっていいですか?」
「お気遣いありがとうございます。――少し重くなるかもしれませんが、カルディヘッドの馬力なら問題ない程度に納めますので」
……でも、うっかり知りすぎたら口封じとかされそう!
なんだかんだで、クシェペルカ王国との距離は近い。オーヴィニエ山脈もそれなりに道が整備されている場所を選べば幻晶騎士の足で十分に行き来が可能だ。まして輸送能力に長けたツェンドリンブルであれば荷馬車を曳いても1日で国境を越えられるので、さくっとやってきました国境地帯。
「あの異常な幻晶騎士に、銀の鳳が描かれた旗……銀鳳騎士団だ!」
「救国の英雄!? 相変わらず変な幻晶騎士だな! それに、あの生物っぽくすらないヤツ見覚えある姿と違ってないか!?」
エルくん新婚旅行ご一行の編成は、アディちゃんが操るツェンドリンブルと、俺のカルディヘッドがそれぞれ荷馬車を曳いている。
その中にはそれぞれエルくんとアディちゃん夫婦と、俺たちその他付き添い勢の生活空間や野営道具、そして新造されたに等しいエルくん用幻晶騎士のトイボックス(新)と、グランレオンとガルダウィング。その他ノーラさんたち用の荷物があれこれと、ついでにあまり表に出すわけにはいかない小魔導師ちゃんとナブくん。中々どうして大所帯だ。
そんな異常極まりない集団が国境に迫ってきたにも関わらず、温かく迎えてもらえるのは大西域戦争での暴れっぷりのなせる業か。国境砦の上の兵士の人たちが手を振ってくれるのに幻晶騎士で手を振って返したりしつつ、国境越えの手続きに入る。
「俺の実家の村さあ、ジャロウデクのやつらに畑をつぶされて、村のみんなの命は助かったけど来年からどうすればって悩んでたらしいんだよ。そこを助けてくれたのが、あの荷馬車から顔が見えてる獅子なんだってさ。いまじゃ村に獅子の像が建ってるらしいぜ」
「うちの故郷も似たようなもんだわ」
……なんか、こっちを見ている兵士の人たちの口からとんでもなく恐ろしいワードが聞こえてきているような気がしなくもないけど、気のせいだよね!
このままだと王都デルヴァンクールにたどり着くのがすごく大変になる気しかしない!
◇◆◇
「……で、寄る村寄る村でめちゃくちゃ拝まれつつようやくたどり着いたデルヴァンクールで、俺はなんで厨房に引きずり込まれてるんです?」
それはもう、大変だった……。
休憩と宿泊、補給と幻晶騎士整備のためにクシェペルカ領内の村やら町やらをいくつか経由しながら復興の様子を見つつゆっくりとデルヴァンクールに向かってきたわけなんだけど、それ以外の普通に通り過ぎるはずだった農村でさえ、銀鳳騎士団の旗が見つかるとそれだけで村の人たちが寄ってきた。
で、なんでもクシェペルカ王国側から正式に頼まれてるらしいから、グランレオンでちらっと外に出たりすると村の人たちが地に伏して拝んでくるんだからたまらない。
口々に感謝の言葉をこぼし、立派に直った村の畑を見せて、ついでに取れた作物をもっていってくれとじゃんじゃか渡される。おかげで道中食料の買い足しはほぼ必要ないような有様でした。
うーむ、あの戦争時のごたごたと、そのときに銀鳳騎士団が売った名の価値を舐めていたかもわからんね。
ともあれそんな大変な道中の末になんとかかんとかデルヴァンクールにたどり着き、エレオノーラ女王陛下と謁見し、さてもう少し気楽に話そうと奥に誘われ、俺はさすがに遠慮したほうがいいよねと隅の方にいたら、なんか腕を引かれて放り込まれたのが厨房なんだから、わけがわからない。
なので教えてください、厨房で待ち構えていたクシェペルカに仕えるシェフの皆さん。
「実は、ぜひ陛下のために例のプリン・ア・ラ・モードを作っていただきたく……」
「復興成ったクシェペルカ中から取りそろえた最上の材料は、こちらに」
「え、俺が? レシピは渡しましたよね? 多分、もう皆さんの方が美味しいの作れると思うんですが」
と、思ったら理由としてはある意味まっとうだった。厨房では料理を作る以外のこともない。とはいえ、「なぜ、いま、俺が」という疑問は残る。
「はい。いただいたレシピはありがたく、研鑽を積んで女王陛下にも日々お褒めの言葉をいただいております」
「そりゃそうでしょう。俺だって、多少覚えがあるとはいえ本職に敵うわけもありませんし」
「ですが、だからこそあなたの作るものは陛下の力となります。危急の折に心の慰めとなった味。これに勝るものはありません」
「……すみません、今の話の流れからすると、女王陛下になんぞ悩みの種が?」
「…………」
沈黙は何よりも雄弁で、「お前言えよ」「ヤだよお前がやれよ」的なたらいまわしが無言のうちに交わされているのを見るに、なぜか俺にまでヤな予感が湧いてきて。
「実は、その……クシェペルカに滞在しておられたアーキッド様が、エムリス殿下に連れられて出奔してしまわれまして」
「すんません今すぐプリン作ります」
エムリス殿下の豪快な笑顔と、それに引きずられていくキッドくんの姿がありありと瞼に浮かび、俺は即座にお詫びプリンの作成に取り掛かる。
……エムリス殿下とキッドくんの関係がエルくんと俺の力関係みたいだな、なんて思ってないよ。本当だよ。
◇◆◇
「事の発端は、大西域戦争後の飛空船開発になる。ある意味戦時中以上の熱狂をもって各国が飛空船を次々と就役させ、自国内での運用のみならず新天地の探索にも乗り出した」
デルヴァンクール王城の比較的こじんまりとした謁見室にて、エルくんたちに合流してエレオノーラ女王とその叔母君であらせられるマルティナ様の話を聞く。
さくっと作ったプリンはあのころと変わらない味だとお褒めの言葉をいただき、恐悦至極。でも今はちょっと聞き逃せない話が進行中だ。
「とはいえ、オーヴィニエ山脈以西はすでに開拓し尽くされている。当然海洋方面への進出が成され、その中の一部に『成果』を得たとする者たちがいた」
「なるほど、島なり大陸なりを発見した、と。そこまでは予想されてしかるべきですね」
「ああ。だがその島が空に浮かんでいた、となると話は別だ」
冗談でも何でもなく、未確認とはいえ噂が出回っていることは事実。そうと感じられる平坦さを伴って、エムリス殿下の果て無き冒険スピリッツをくすぐりそうなワードがカッ飛んできた。
「……」
「……」
エルくんがちらりとこちらに目線をよこす。
ワクワクに煌めく瞳で、唇だけを「バルス」の形に動かしたので、おとなしく話を聞いてなさいと半眼を返す。既に事情はほぼ全て出揃った気もするけど、情報は聞けるだけ聞いておくべきだろう。
「あの子ときたら、銀鳳騎士団由来の技術も駆使して高速仕様の飛空船を建造して、そのまま飛び出していった。本当に、考えなしのことと言ったら……」
「あー……心中、お察しします」
「アーキッド様……せめて一言くらい……というか残ってくれても……」
そして空気が重くなるクシェペルカ陣営。
頭痛に苛まれているらしいマルティナ様と、プリンをつんつん突きながら闇のオーラを染み出させるエレオノーラ女王陛下。うーん、罪作りな人たちだ。
「……では、仕方ありませんね。元々エムリス殿下の様子を見ることとキッドに結婚の報告をするために来たわけですから、ちょっと浮遊大陸まで行ってきますね!」
「ま、キッドたちがいないんじゃ仕方ないよね。飛空船用意しよっか」
「まあ、エルネスティ様。相変わらず息をするように……」
「騎士くん、君は本当にブレないな……」
そして、その罪は連鎖でエルくんの旅行先が増えて滞在時間、ひいては俺が畑から引きはがされる時間を延長させるんですからねえ!
「それでは……ちょっと浮遊大陸まで行ってきます! ……あ、その前に巨人族を紹介しますね」
◇◆◇
飛空船とは、すなわち「可能性」である。
本来人が踏み入ることの許されない大空を越えていける新たな力。
山の向こう、海の彼方、人跡未踏のその先には多くの苦難と、そして手つかずの資源、財宝が眠るはず。
それらを求めて帆を張るのは、まず第一に命知らず。
続いて利を求める為政者。
それらが道を開いた後、損益の秤を見極めて十全に準備を整え動く者。
人はその者たちを「商人」と呼ぶ。
「おい、本当にこんなところに隠れてて大丈夫なのかよ……?」
「知るか、そんなこと! でも、まともに戦ったってどうしようもないだろ!?」
利に敏く、損を嫌い、時勢には全力で乗りに行く。
必然、未知の浮遊大陸に富の気配を感じれば、それに応じた規模の商売をしに行くのが定め。
今回の探索出征において、各都市国家から選出される議員たちがはじき出した期待と利益の目算は、すなわち「飛空船の大船団」を持ち出すに足るもの、と相成った。
輸送力とそしてなにより防御力に優れる
本来ならばその中枢たる重装甲船はただ威容を示すだけの快適な客船にして輸送船となる。……はずだった。
船室の一つで息をひそめ、「仕入れた商品」の心配など、する必要はどこにもないはずだったのに。
「オラーーーーーー!! 銀鳳騎士団だよ!!!」
「ギャ――――――――――!?」
なぜ、扉を斧でブチ破られ、そこから顔を覗かせる戦いの高揚がガンギマリした敵の襲撃に怯えなければならないのか。
ついさっきまで、捕まえたばかりの鳥っぽい人、ハルピュイアの美しさに興奮して「身体を観たいわ! その子の裸をみせてちょうだい!!」とか言ってたイオランダ・ランフランキのわがままに辟易していた彼ら一介の兵士たちには、さっぱりわからなかった。
浮遊大陸。噂のみを頼りに飛び出して、それを見つけられたのは僥倖というしかない。
その辺り、さすがに王族としての血なのだろうかと、アーキッド・オルター、通称キッドは思う。
とはいえ、たどり着くなり他国の飛空船が襲撃され、あまつさえ轟沈させられる様を見せつけられた挙句、それを主導していた鷲の頭と獣の体に翼を持った
その後、捕虜生活をなんとかかんとか耐え忍び、ハルピュイアの一人であり奔放な性格をした少女、エージロに連れ出されて
浮遊大陸は、荒れる。
飛空船によるエーテライト需要の爆発的な増加に加え、新天地。
商売にも政治にも明るくない、一介の騎操士の身に過ぎないキッドの目から見ても、この土地が持つ価値が計り知れないものであることはよくわかる。
「……でも、まずはホーガラを助けないとだろ!」
しかし、そのような事態に直面した程度で思い悩むほど、銀鳳騎士団団員は思慮深くない。
とりあえず欲しいモノは手に入れる。ないなら作ってでも手に入れる。邪魔するものは幻晶騎士とか魔法とかで殴り倒す。
エルネスティはそうして生きてきたし、キッドもそれを見習って生きてきた。
あと、エルネスティに振り回されつつもしっかり自分好みの幻晶騎士を作り、オルヴェシウス砦を畑に囲まれたのどかな光景に変え果てた先輩もまた、大体そんな感じだった。
クシェペルカでの戦争が終わってから数年、国許のことを懐かしく思い返すとともに、あの畑がどれだけ広がっているかはキッドをしてすら寒気のする想像だ。町の一つや二つ飲み込んでるかもしれないとさえ思う。なにせあの男が畑を見る目は、エルネスティが幻晶騎士を見る目と同じだったから。
「さっきの兵士たちが言ってた場所は……ここか!」
すでに、捕まったハルピュイアのほとんどは救出し、仲間たちに任せてきた。あとはただ一人この船の主のもとへ連れていかれたという、キッドの命を救った恩人なんだか、この状況に放り込んだ元凶なんだかよくわからないハルピュイアの少女、ホーガラを救うだけだ。
魔力で強化された身体能力は、どうやら船の内部までは頑健さを求めていないらしい扉を軽々と蹴破り、艦橋にキッドの体を飛び込ませた。
操舵輪、計器類、伝声管。見慣れた艦橋そのものの装置類がひしめく傍ら、飛空船らしからぬ豪奢な一角。そこに座す、あからさまに戦の気配がしない、香水以上に銭の匂いを漂わせる老女。
キッドは知らないが、彼女こそイレブン・フラッグスの議会に席を置くイオランダ・ランフランキだ。
「無粋だこと。アポイントもなくわたくしの前に出るなんて、どれだけ礼を失しているかわかって?」
「そりゃどうも。じゃあ今からこいつでアポイントとやらを取ってやるよ。返事はできなくなるけどな」
船内で戦闘が起きていたことを知らないはずがない。艦橋に詰めている船員たちは、突然飛び込んできたキッドに対して驚愕もあらわに立ち竦んだり物陰に隠れたりしている。
だが目の前の女は、動じていない。少なくとも、表面上は泰然自若としている。キッドが持つ銃杖を突きつけられてなお表情一つゆるがせないのは、タフな交渉を幾度となく乗り越えてきた商人の矜持によるものか。
だがそんなものはどうでもいい。この女の前で縛られ、意識を失い、倒れ伏しているホーガラを救う。今のキッドに重要なのはそれだけなのだから。
「……そいつは返してもらう。代金が必要なら払ってやるぜ? ただし魔法でだけどな」
「……」
忌々し気に睨みつけてくるイレブン・フラッグスの女であるが、動かない。周りの船員も同様だ。
防御を固めたこの船の中を突破してここまでたどり着いたキッドの銃杖ならば他の誰が動くより早く魔法によって状況を制すると分かっているからだろう。
いかにもその通り。ことこの状況に至って、キッドは欠片も引く気はない。
イレブンフラッグスが得意とするだろう交渉だが、この場合「キッドの要求を全面的に飲む」か「しばき倒されたあとにキッドの要求を全面的に飲む」の二択のみだ。
正直、ちょっと自分のやってることも悪役じみてるよなーと思うキッドである。
その時。
「……なんだ、あれは……飛空船?」
船員の一人がぽつりと漏らした言葉に、騎操士の本能がざわめいた。
飛空船、と疑問げに呟いたことからして空を飛ぶもの。
そして、飛空船そのものも、あるいは空を飛ぶ魔獣すら見慣れているだろう船員がなお特定できないものとはいったい。
魔獣にあらず。
飛空船にもあらず。
しかして戦場に足を踏み入れるような、自らの戦闘力への自負。
キッドは、銀鳳騎士団はそれに心当たりがなかったか。
かつて、クシェペルカの地で見えた、異形にして最強の存在に、心当たりはなかったか。
「なんだ……なんだあれは……!?」
「魔獣!? 大きすぎるぞ……!」
「やっぱりか……ヴィーヴィル!」
やはり、趣味が悪い。その一言に尽きる。
振り向いた窓の外に見えた悪夢のような造形に、キッドは思わず言葉を漏らした。
飛空船に戦闘能力を持たせるのはいいとして、なぜ龍の首など据え付ける必要があったのか。
キッドの脳内エルネスティが「それは、カッコいいからです!」と叫び、「カッコイイなら仕方ないよね」と脳内アグリがグランレオンを吠えさせる。
やっぱり一線越えてるやつらの考えることはわけがわからない、と思いながらもキッドの体は自然と動く。この好機にしてピンチ、逃がす理由はどこにもなかった。
大気圧推進の魔法を即座に発動。ホーガラに刃を突きつけていた兵士を蹴り飛ばし、ホーガラを確保。ヴィーヴィル名物の火炎魔法がこっちを狙っている気がしたので、そのまま最速での帰還を選択。艦橋の窓を突き破って空へと飛び出し、魔法の補佐によって壁を、船体から突き出た構造物を足場に目指すは突入地点。
「……ぃよし! ジャベリンの切り離しと巻き上げ開始!」
風より早く飛びぬけて、掴んだ銀線神経に命令を伝達。仲間たちがハルピュイアを連れてすでに戻ったことは確実な程度の時間は経っている。長居は無用と飛んで戻ったその直後、装甲で覆われた船腹が赤く光を放ち、炎が突き抜けた。
間違いない、ヴィーヴィルの砲撃だ。
「マジかよ……相変わらずとんでもない威力だな!? とにかく、逃げるしかねえ!」
<メインシステム、パイロットデータ、認証開始。――おかえりなさい、キッド様>
「……あれ、こんな音声パターンあったっけ?」
とりあえず、巻き戻される銀線神経の勢いに乗ってうっかりツェンドリンブルのコックピットに入ったところ、相変わらずエレオノーラ女王の声が使われているキッド専用ナビゲート音声が帰還を歓迎してくれる。
なんかいままで聞いたことがない再生パターンだったような気もするが、そんなことを気にしている場合ではない。
他の音声と違って妙に情念が籠っていたように聞こえたが、きっと気のせいだと思い込む。なんかちょっと怖かったし。
空にそびえる偉容を示していた重装甲船も、ヴィーヴィルの前では儚い獲物。
厚い装甲も意味をなさないことは、今まさに燃え落ちていく様が証明だ。
かつて倒したはずの邪竜が、ここに蘇った。
欲望と謎の渦巻く浮遊大陸に今、混乱と混沌の嵐が吹き荒れる。
◇◆◇
「おぉ、嵐の壁を抜けたと思ったら、さっそく目の前に見えてきましたね。先輩、浮遊大陸は本当にあったんですよ!」
「絶対言うと思ったよエルくん。……それにしてもここまで大変だったなあ。なんかあれとは雰囲気の違う空飛ぶ島がたくさんある変な空域に迷い込んじゃったし。騎空団の人たちにはすっごくお世話になったし、アディちゃんによく似た声のアイドルの子もいたし」
「なんだか他人みたいな気がしなかったなー」
「ふむ、あれが空の大地……我らが乗っても落ちないだろうか」
「心配すんなって、もし何かあってもエルとアグリが助けてくれるさ。あいつら空飛べるし!」
かくて役者は揃いつつ、空に浮かぶ大地の運命はますますの荒れ模様に苛まれようとしていた。
「余裕もあるし、ヘルヴィもいない……! もしや、開拓の大チャンス……!?」
「あ、先輩。『もしアグリがまた余計なこと企んだらこれで縛り上げておいて』ってヘルヴィさんからロープ預かってるんで、おとなしくしててくださいね」
「おのれヘルヴィ! 遠く離れてても俺の動きを先読みしやがって!」