竜の王と飛竜戦艦との戦いは、至近距離での殴り合いの様相を呈していた。
それは主に腐食のブレスを味方に向けさせたくない飛竜戦艦側の願いによるもので、激しい猛攻は主に飛竜戦艦から吐き出されている。
とはいえ、互いに巨大な竜同士。どちらも必殺の一撃を叩き込みづらい状況では勝負がつかない。
――ならば、この手はどうだ?
そんな状況を変えるために、だろう。竜の王から発せられるテレパシーじみた波動が届くとともに、混成獣の動きが変化した。
背に乗っていたハルピュイアが離れ、飛竜戦艦へと突撃する。
一斉に、全方位から。
あかん、あれ特攻だ。
『……マズいですね。大型艦にとって小型で多数の敵の特攻は一番対処し辛い方法です』
「エルくんは小型の単騎で殴り倒したけどね。……あ、マギウスジェットスラスタに魔獣ストライクした」
そうなることが、竜の王の狙いだったのだろう。
混成獣はほとんどが飛竜戦艦の近接防御法撃によって撃墜されたが、わずかに生き残った一体が飛竜戦艦の左舷マギウスジェットスラスタに飛び込んでいた。
ボンっ、と噴き出る黒煙。間違いなく、多大なダメージを受けている。
ああなってしまえば、まともに出力を発揮できない。巨体を支える機動力は片肺で事足りるようなものではないだろうし、しかもそれが戦闘真っ只中では致命傷としか言いようがない。
竜の王は、この時を待っていたとばかりに口腔に腐食の霧を生成し。
風の魔法に乗ってまっすぐに飛竜戦艦へと向かって吹き抜けて。
飛竜戦艦は苦し紛れに格闘用らしき脚部を身代わりとして船体の崩壊を防ぎ。
しかしてもはや満身創痍。
この空の上にて最強なのは自身のみ、と竜の王は確信を抱き。
『今です!!』
『おおおおおおおおお!!! 行けぇ、蒼騎士ィ!!』
「ウィング展開。マギウスジェットスラスタ、出力最大」
エルくんが、その認識の間違いを「わからせ」に突っ込んだ。
竜頭騎士なるイグナーツさんの乗騎の加速。
ガルダウィングのマギウスジェットスラスタ。
さらに翼によって揚力の余裕が生じてトイボックスマーク2のマギウスジェットスラスタも推進力に注ぎ込んで、空を矢のように駆ける。
その先には徹底的に飛竜戦艦を腐らせようと、こちらのことなど気にも留めずにブレスを吐き続ける竜の王の心なしかドヤ顔に見える頭部。
『知っていますか? 巨漢相手には末端を狙うのが基本中の基本なんですよ!』
「末端ってーか頭ど真ん中だよね」
『くっ……! 割と本気で恐ろしい! 竜の王が恐ろしいのかこの幻晶騎士に乗っていることが恐ろしいのかわからんが!』
しかしそれも長くは続かない。
できうる限りの速度を乗せた、トイボックスマーク2の蹴りが目玉に直接突き刺さることによって竜の王の栄華は終わりを告げる。
――ぎゃおおおおおおおおおおおおおお!?!?!?
いかに巨体、頑丈とはいえ眼球までも鋼鉄製とはさすがにいかなかったらしい。
幻晶騎士の足が眼球にめり込むのは滅茶苦茶に痛かろう。
腐食の霧も止まり、幻晶騎士の1機や2機は飲み込めそうな大口を開けて悲鳴を轟かせる。
それに合わせて、ガルダウィングをトイボックスマーク2から分離させる。
暴れられたとき、翼を広げたガルダウィングは空気抵抗が大きすぎて邪魔になるし……やるべきこともあるからねえ。
『やったか!?』
『いえいえぇ、これだけの巨体ですからもう一撃、いや二撃くらいは必要ですよぉ!』
『それはお前の趣味だな!? そうなんだな!? 欲張らずあと一撃だけにしておけ!!』
そしてエルくんは目玉の一つだけで終わらせるほど甘くはなく。
巻き込まれている王女殿下には申し訳ないけれど、巨大な敵を相手にテンションの上がったエルくんは暴れる竜の王の首へ執月之手を伸ばしてワイヤーを巻き取り。無理矢理に飛びつきさらなる一手。
『ブラストォ……リバーサ!』
全マギウスジェットスラスタを推進力ではなく爆風による攻撃へと変えるトイボックスマーク2最大の攻撃力。
幻晶騎士ならバラバラになって吹き飛ぶことすらありえる一撃を叩き込む。
めきり、と頭部の皮膚がきしむ音。砕け散るのは鱗か何かか。
いかに巨大とはいえ生命の中枢に近い頭部に大きなダメージを受けて。
トイボックスマーク2は反動で投げ出されるのに逆らわず、空中に飛び出した。
『せんぱーい、助けてくださーい』
『待て、この機体は飛べるのではなかったのか!?』
『ええ、普段なら。ですが今は全力でマギウスジェットスラスタを使った直後なので、マナプールの枯渇とスラスタの休息が必要なんです』
『……イグナーツ! もしくは鳥の騎操士! 救援を求む! 頼むぅ!』
エルくん、西方諸国北の大国の王女殿下に泣き言を言わせる。
伝説にまた新たな一ページが刻まれておるわ。
『これなら少しは隙ができたでしょう。イグナーツさん、飛竜戦艦に連絡を』
『貴様……殿下を連れて敵大将に突撃をするとは……! えぇい、気付いてくれ、リンドヴルム!』
なお、トイボックスマーク2はなんとかガルダウィングで合体して体勢を立て直し、イグナーツさんの竜頭騎士に拾われてなんとかなった。
そして発光信号で飛竜戦艦へと状況の連絡。
それは正しく伝わったのだろう。ズタボロながら機首を翻す飛竜戦艦。口腔内に見える魔法現象の光は最初に遭遇した時にも見た大威力法撃の予兆で間違いない。
決着のための一撃の準備は素早く、竜の王は巨体が災いしてか一度崩した体勢を立て直す暇がなく。
『
『マナライン、全段直結!』
『強化魔法、アイゼン、ロック!』
『
『制御魔法陣、回転開始!』
『――撃てます!』
『みたいなやり取りしてるんでしょうねー。僕も今度飛空船作るときはああいうの搭載しましょうか』
『なぜ我が国でも最強クラスの兵器が明日の夕食のメニューを思いついたような言い方されているのだ……』
「すんません、そちらの国でもめっちゃ使ってるマギウスジェットスラスタ、この子が作ったんですよ。だからその気になれば作れるかなって」
目の前で空を焼く火炎が竜の王にぶちまけられ、羽が、足が、そして首までもが消し炭になって焼け落ちていく中、いよいよもってイグナーツさんの心が折れかけている。
あと、王女殿下の声が出てこないのはいい加減気絶しているからかもしれない。むしろ良く我慢したほうだと思います。
かくして、竜の王は落ちた。
全身燃えカスになり、残っているものといえば体内にあったエーテリックレビテータらしき浮遊物のみ。
飛竜戦艦はメインとなるマギウスジェットスラスタを半分失い、大規模修理必須の有様ながらいまだ空に健在。
勝者は人類の側、ということになるだろう。
とはいえ飛竜戦艦は少なくとも本格的な工廠でしっかり直さない限りまともに飛べないだろうから、移動するにしても他の飛空船による曳航が必要になる。全て終わって万事元通りとは言えない形であり。
『……どうやらまだ終わっていないようですよ、先輩』
「し、しぶとすぎる……そりゃあこんなところまで流れてくるはずだよ」
最後に残った竜の王の塊が、割れた。
しかしそれは終幕ではなく、むしろ始まり。
ヒビを割って、半透明の羽が伸びる。
虫の羽化を思わせるその挙動はまさしくそれそのもので、ずるりと現れたのは六本足に羽を備えた姿ながら、どこか人のようなシルエットでもある異形。
――ああもう、鬱陶しいなあ「西方人」は。……今度こそ、「魔王」の手で誅を下してやろうかぁ!
今度も響いてきたのは例の声ならぬ声。
が、その声にちょっと聞き覚えがある気がするなあ。
◇◆◇
『ははは。はぁははははははは! その蒼! 忘れもしないよその色だけは! キミか! キミなんだねぇ、エルネスティくぅん!!』
『ええ、久しぶりですね
『私も同じ気持ちだよ! どうしてこうも私の前に立ちはだかるんだろうねぇ、キミは!!』
そして、当然のように始まる殴り合い。
しかも俺の入ったガルダウィングをくっつけ、王女殿下を乗せた上で。
普通に考えてリスクがヤバい。
あと、小王のテンションもヤバい。絶対にエルくんぶっ殺すという強い意志を感じる。
相手は竜の王だった時と比べて小さくなったとはいえ、その分軽くなって機動力が上がり、腐食の霧は量こそ減っているものの幻晶騎士くらい楽に消滅させられる規模はある。
というか、実際にそうやって既に竜闘騎を数機落としている。一撃死の危険がデカ過ぎる相手だ。
ちなみに、イグナーツさんは既に戦線離脱しました。
進路上にいやらしく配置される腐食の霧に対して、ガルダウィング側で風の防壁を張って防いだりしたものの、さすがに完全に防ぐことはできずマギウスジェットスラスタがオシャカになって戦線を離脱した。
これ、長引くと俺も同じことになるヤツだ。
……何をしている小王! もっと本気でかかってこいよ!
別に、イグナーツさんと同じ理屈で戦線離脱しようってわけじゃないんだからねっ!
『おいおい、戦場の様子が変わったから戻ってきてみれば、エルネスティが苦戦しているぞ。すさまじく珍しい光景だな!』
『エルが戦ってるってことはあれが敵……だよな? ちょっと戦い足りないから適当な相手にちょっかい出したとか、さすがにないよな?』
しかも、そんなことをやってるうちにどうやら黄金の鬣号が戻ってきたらしい。
小王の操る魔獣っぽいなにかこと魔王の攻撃を避けた先に、ちょうど出てきたので思わず甲板に激突するような勢いで着地してはじめて気が付いた。
若旦那の驚く言葉も無理はない。
なにせ、降ってきたトイボックスマーク2は隻腕と化している。
魔王と真正面から殴り合い、左腕を肩のマギウスジェットスラスタまでえぐり取られた。
エルくんの身に降りかかったとはにわかに信じられないほどの損傷を負っている。
『エルくーん! 助けに来たよ! ……そっちの虫みたいなのも、先輩も! エルくんと私のラブラブ生活を邪魔するやつは、みんな死ねばいい!』
「俺は邪魔してないよアディちゃん!?」
そして、おそらく内部で動力役として艦の制御を担っていたらしきアディちゃんが、黄金の鬣号に搭載されていたミッシレジャベリンをぶっ放す。
同時に飛び出た言葉からすると俺も標的に入ってた感があるけど、さすがに狙いは魔王のみだった。
……ガルダウィングがまだトイボックスと合体してたからかもしれないけど。分離してたら、ついうっかりで俺の方も狙われてたかもしれないね、うん。
『邪魔だねぇ、それは! そしてこの船も! 腐れ落ちろォ!』
しかし、飛空船に対しては無類の強さを誇るミッシレジャベリンであろうとも、腐食の雲には弱い。
面、というか空間に対して影響を及ぼす霧は、殺到する無数のミッシレジャベリンでさえも着弾の前に腐食させる。
結果、一本たりとて魔王に辿り着くことはなく空に散り、さらには思い切りのいいエムリス殿下の指示だろう黄金の鬣号によるひき逃げアタックを食らっても、魔王はなおしぶとく船にへばりつき、直接船体を腐食させようとしている。
……すげー怨念。あれ、絶対エルくんへの恨みだけで動いてる。
まあ、大森海の奥でボコボコにされ、あまつさえこの浮遊大陸でも少なくない部分をエルくんの影響によって竜の王を失う羽目になっているんだからそうもなろうけども。
『いけませんね、これは。殿下、申し訳ありませんがちょっと無茶をさせていただきます。――お覚悟は、よろしいですか?』
『………………よくはないが、卿がそこまで言うからには必要なことなのだと信じる。その代わり止めろよ!? 絶対にあの魔王を止めるのだぞ!?』
『お任せください』
そして、エルくんが駆ける。
空を飛ぶ黄金の鬣号の甲板上を、魔王に向かって真っすぐに。
小王としては、実のところ既に勝利していると言っていい状況だ。
あのまま船の腐食を続ければ、トイボックスは空を飛んで無事だとしても、飛空船が落ちて大損害が出る。それだけで、勝利そのものは叶う。
だからこそ、小王はその選択肢を選べない。
大森伐遠征軍の失敗によってボキューズ大森海の最果てに取り残されながらも生き残り、同じ境遇の人間たちをまとめ上げて魔獣ひしめく森の奥で国を作り、巨人族に取り入りつつ雪辱の機会を待った。
その野心がエルくんとの戦いで敗れてなお生き残り、はるか遠く浮遊大陸に辿り着き、わずかな時間で竜の王という形を作り上げ、混成獣を従え、ハルピュイアを組み込んだ大勢力を作り上げる。
それほどのことを成し遂げるだけのド根性を備えた小王が、目の前に向かってくる怨敵を前にして直接雌雄を決することなくクレバーに勝利だけを掴む、などという選択ができるか。
できない。できないからこその小王であり、この再起。
エルくんの首をその手で引きちぎらなければ、決して収まらない激情こそが小王を今この場に辿り着かせた力の源に違いない。
『エルネスティ……エェルネスティイイイイ!!』
人……ではないっぽいけど、人っぽい生き物があれほどの怨嗟をその身に宿すことができるのか。
そう驚くほどの歪んだ声で、魔王もまた向かってくる。
距離など既にない。腐食の霧も使わない。
目の前の相手だけは、直接臓腑を抉らなければ気が済まない。そんな意思が魔法すらなくとも伝わるようだ。
最後の一歩。互いの間合い。
振りかぶった鉤爪は強く強く握られた拳となり、魔法によって炎をこぼしながら、まっすぐにトイボックスマーク2の頭に向かう。
ぐしゃり。
その音の源は、トイボックス。
頭部は眼球水晶共々砕け散り、首無しの片腕となり果てた。
こうなると、外の様子もわからない。いくらエルくんであっても、そうなってしまえば戦いようがない。
だから、エルくんの勝利はそうなる前に決していたということになる。
『……捕まえた』
『なにっ!?』
頭を殴り飛ばされたのは、そこが機体の動きそのものには影響が出ない部位だから。エルくんはそれを許容した。
最後の瞬間わずかに身をかがめ、頭部を犠牲に懐に踏み込み、その体当たりを決めるため。
組みついてしまえば、見えるも見えないもない。
『先輩! 最大出力お願いします! そのあとは離れて!』
「はいよー」
エルくんがそう来ることはわかっていた。
魔王を抱えたまま体を反らせ、スープレックス気味に投げ飛ばす、その瞬間にマギウスジェットスラスタの出力を最大に。
その勢いで魔王諸共甲板上から飛び出して、すぐさま俺はトイボックスマーク2との接続を解除。
急に軽くなった機体は荒れ狂う風にふわりと浮いて、魔王に組み付いたまま落ちていくトイボックスを、ただただ眼下に見送った。
◇◆◇
フリーデグント・アライダ・パーヴェルツィークはセッテルンド大陸西方の北域に覇を唱える大国、パーヴェルツィーク王国の第一王女である。
美貌、聡明、覇気、決断力。王族に求められる全てを備えた彼女はいま、それら王者の証が何ら役に立たない場、戦場の只中にいた。
それも、相手は飛竜戦艦すら落としかけた竜の王の中枢たる、魔王。
そして彼女の居場所は空の上、幻晶騎士の中。本来ならある程度の飛行は可能なこの幻晶騎士だが、いまや戦いの中でその機能は失われたと言っていい。というか、魔王にしがみついて落下している。
なにがどうしてこうなった、という思いがなくもない。
捕虜返還のための交渉に来たはずが、混成獣に乗ったハルピュイアの襲撃で戦場に取り残され、クシェペルカ王国の関係者らしき小柄で、可憐とすら言える騎操士に一応助けられ、飛竜戦艦へと戻るため彼の幻晶騎士に同乗することになり、その後なぜか竜の王との殴り合いに付き合う羽目になった。
冷静に考えて、何が起きているのかわからない。国許に帰って国王に報告するとき、信じてもらえる自信がまるでなかった。
空飛ぶ幻晶騎士を操り、飛竜戦艦に匹敵する竜の王を相手にすら嬉々として挑む、見た目だけなら可憐だが中身はちょっとどころではなくヤバい騎操士、エルネスティ。
そしてそんなエルネスティに付き従う、どこか竜闘騎にも似た鳥型の幻晶騎士に乗っている「先輩」と呼ばれているアグリ・ボトル。
この二人が特に尋常ではない。アグリ・ボトルの方はエルネスティに付き合わされているだけ、という雰囲気を漂わせているがそもそも付いてこれるだけでも並外れている。あと、よくよく思い返せばエルネスティがかつて飛竜戦艦を落としたという話だったが、そのとき共にいたようなことも言っていた。
あからさまに人並外れたエルネスティと、一般人面しているがしれっとエルネスティに付いていくアグリ。
変態に挟まれている、という状況に気付いてしまったフリーデグントはますます恐れを抱く。
王女として広く学んできたつもりではいたが、世界にはまだまだ自分の知らない領域があるのだと、魂で理解した。
だがその理解を生かすことができるかは怪しい。
いま、フリーデグントは、そして彼女の乗る幻晶騎士は空から落ちている。
魔王にしがみつき、諸共に浮遊大陸の地面へ向かって。
このまま落ちれば、いかな魔王であれ幻晶騎士であれ、搭乗者ごとバラバラに砕け散るだろう。
王族として生きるということは、王族として死ぬということ。
飛竜戦艦と竜騎士たちを従えているとはいえ、未知の浮遊大陸へ来ると決めたときから、あるいは命を落とすこともあるかもしれないと思っていた。さすがに、魔王と初対面の騎操士と運命を共にする、とまでは思っていなかったが。
ここに至るまでになんかもう色々と常識や諸々の概念を根底から覆され続けてきたので一周回って冷静になったフリーデグントは、どこか呑気にそんなことを考えていた。
『ははははは! これで私を仕留めたつもりかい、エルネスティ! キミの機体が手負いでなければそうもなったんだろうがねぇ!』
しかし、相手はまだまだ力を残していた。
人型のトイボックスマーク2に対し、魔王は虫型魔獣に由来するらしく六肢を有する。この状況でもまだできることがあると、自分だけは生き残ることができるという自負が言葉からもうかがえる。
一方、トイボックスマーク2はもはやまともに戦える状態ではない。
マギウスジェットスラスタも一部が失われ、あまつさえこれまでの戦いで左腕と頭部を失った。
「左腕と頭部を失った幻晶騎士」となり。
「ええ、そうですね。……つまり」
「……ん?」
ところで。
幻晶騎士は人と比べて巨大とはいえ、その巨体と力を維持・発揮するためには内蔵するべきものが多々あり、操縦席は狭い。
エルネスティがいかに小柄で、フリーデグントも少女であるとはいえ、操縦席の中では密着を余儀なくされる。
それでもこれまで大過なく操縦を続けてきたエルネスティの技量には驚愕を禁じ得ないところではあるのだが、いずれにせよ必然的にエルネスティとフリーデグントの体は接している状態にあり。
フリーデグントはその時、確かに感じた。
触れているエルネスティの体に走る、震え。じわりと燃えるような熱。
トチ狂っているとしか思えないほどにとんでもないことをやらかすエルネスティがこの期に及んで恐怖に駆られたなどとは考え難く、また聞こえてくる声音と、フリーデグントが持つ王族としての人を見る目がその正体を伝えてくる。
エルネスティの背筋を走るぞくぞくとしたさざ波。
声に交じるわずかな熱。
魔性さえ感じられる、色気すら乗せたその唇から吐き出されているのは。
「――つまり、ラストシューティング」
『装備的に考えると、トイボックスはラストシューティング食らう側だけどね』
間違いなく「悦び」であった、と。
あと、ちょっと離れたところにいる鳥の騎操士は色々諦めたようになんか言っていた。
その瞬間、フリーデグントは心の底まで思い知った。
今この空で一番恐ろしいのは飛竜戦艦でも竜の王でもなく、フリーデグントの両手ですっぽりと包み込めそうな体躯のこの騎操士なのだということを。
『……ッ!』
「無駄です! トイボックスマーク2の自重を支えられる特殊鋼のワイヤーです。ちょっとやそっとじゃ切れませんよぉ!」
なんか無駄にテンションが上がっている。
それに比例してフリーデグントはドン引きしているのだが、操縦席が狭すぎて距離を取れない。怖い。
いつの間にやら射出された執月の手が、魔王とトイボックスマーク2に絡みついて離さない。どちらもこのまま落ちる未来は確定している。
『だが……っ! その機体では私は倒せないよ! もう武器もないだろぉ!?』
「ところで、トイボックスマーク2も当座の間に合わせで作った機体とはいえ、つぎ込んだ技術自体は最新のものなので他国の手に渡らないように、と言われてしまいまして」
うわあ会話する気が全くなくてなんか言ってる、とフリーデグントはさらに恐れおののいた。
唐突に変なことを言い出したということは、絶対にまたロクでもないことをする。
それはもはや予想ではなく確定された事実だ。
「まあそれはつまり、僕の手を離れたときに跡形もなくなっていればいいのです。では王女殿下、失礼します」
「えっ」
ほら見ろ、やっぱりだ。
フリーデグントは頭の片隅の冷静な部分でそう思った。
なお、残りの大部分はいきなり胴体抱えられてコックピットから飛び出て空に投げ出された恐怖による絶叫に使われていた模様。
「さあ、僕のトイボックスマーク2。最期は華々しく散って魅せましょう。
フリーデグントを抱えているのとは逆の手にきらりと光るのは銀線神経。
それを使って伝えるのは、トイボックスマーク2に下す最後の命令。
その内容自体は、「爆炎系の魔法を使え」というごく普通のもの。
ただし、セーフティの類は一切なく、残存マナを全て使い尽くすよう設定されたものであり。
『ばっ、バカなあああああああああああああ!?』
逃げようのない状況で炸裂した幻晶騎士の自爆に巻き込まれ、小王の叫びは炎の中にかき消えた。
「あはははははははははははは!! 自爆! 自爆ですよこれが! やっぱりロボと言えば自爆ですよねぇ!!」
「こわい」
そしてフリーデグントの声はかすれて小さく、風の中にかき消えた。
◇◆◇
近づくのは色々と危険に過ぎると分かってはいたが、放置の方がさらに危ないと急降下からの機首上げでエルくんたちと自爆したトイボックスの間に割り込む俺。
翼に受ける爆風によって機体が浮き上がってエルくんたちに激突しかねないところではあったけど、強烈な風と熱に晒されるよりはマシだろう。エルくんなら魔法でなんとかしてくれるだろうし。
「おっと。助かりました、先輩。……見ましたか! 見てくれましたか先輩! 自爆ですよ自爆! 綺麗に決まりましたよ!」
「うんわかった。わかったからハッチをバシバシ叩かないで」
やっぱり大丈夫でした。さっそく元気にウッキウキだよ。
『せぇんぱぁい……』
「ヒエッ。な、何この声……アディちゃん!? どこから!?」
「ミッシレジャベリンからですよ先輩。銀線神経で音声を伝達しているようです。アディは器用ですねえ」
『えへへ、すごいでしょ! ……で、先輩? 私がエルくんを助けようとしてたのになんで先に助けちゃうんですかぁ……?』
「タイミング! タイミングの問題だから! 俺の方が近かっただけだし! それより、ガルダウィングだとエルくんたち収容するの大変だからそっちで回収してあげて欲しいなあ!」
『……………………よしとします』
そして、ミッシレジャベリン飛ばして音声届けてくるアディちゃん。槍の軌道がちょいちょいガルダウィングを刺しそうになるのが超怖いです。
ともあれ、これで今回の戦いの決着はついた。
パーヴェルツィークの戦力は飛竜戦艦を筆頭にかなりの損害を受け、ハルピュイアも一枚岩ではなく戦いを辞さない覚悟を持った一派もいるということが人類側に知れ渡った。
フリーデグント王女殿下はなんやかんやの末に黄金の鬣号に合流することになるし、エルくんのトイボックスマーク2は喪失。こっち側の受けた被害と抱え込んだ面倒もちょっとシャレにならない。
そして、小王。
ただでさえ大森海での激戦を生き延びて浮遊大陸まで落ちのびるほどのド根性と悪運を持ったヤツがこれで大人しくくたばるかといえば、微妙なところ。
戦いは終わったが、浮遊大陸をめぐるアレコレはまだ終わっていない。
おそらくここからが次の、また新しいステージになっていくことだろう。
……「幻晶騎士を失ったエルくん」という、世界で一番何をやらかすかわからない爆弾を抱えたまま。
ボキューズ大森海で、カササギを作ったことが思い出される。
俺しか乗らなくて余ってるグランレオンとかカルディヘッドで我慢してくれないじゃろうか。
「これ、一番先が見えない陣営って間違いなくうちだよなー……」
アディちゃんに回収されていったエルくんを追い、黄金の鬣号との合流に向かいながらボヤくしかない俺でした。
また新しい幻晶騎士が欲しくなるかもしれないエルくん。
多分まだ悪あがきをするだろう小王。
それぞれの思惑を抱えるパーヴェルツィーク、イレブンフラッグス、ハルピュイアその他。
そして多分、今頃浮遊大陸へ向かってきているだろう銀鳳騎士団本隊。
浮遊大陸は、まだまだ荒れそうだ。
◇◆◇
「しっ……! しっ……!」
「エドガー、あれはなんだ」
「『どうせ何かしらやらかしているだろうアグリにぶちかますための新技、腕タックル』だそうだ。近づくなよ、練習台にされるぞ」
「アグリに対するある種の信頼が強いな。……お、迂闊に近づいた整備班が犠牲になった。首の辺りを腕で殴り飛ばされて空中で一回転しているではないか。恐ろしいにもほどがあるぞ」
「その後流れるように移行する締め技極め技目当てに敢えて近づいている者もいるらしい」
「嫉妬してやらなくていいのか、エドガー。それとも、既に二人の関係にそんな心配は無用かな?」
「……黙秘しよう」
「ウィ―――――――!!!」
なお、ヘルヴィの道場と化している飛空船内の一角には柔らかいマットが敷き詰められて安全には配慮されているらしい。
加えてヘルヴィ、アグリ相手に実践する際は床の材質を一切考慮しないつもりである。