「せ、先輩っ! ちょっと来てくれ!」
「どうしたのキッドくん、そんな慌てて」
浮遊大陸の大騒ぎでの無茶に次ぐ大暴れによるガタがあちこちに来ているから飛空船はどれも速度が出せないのに加え、銀鳳騎士団やエムリス殿下が引きつれたクシェペルカ派遣組の人たちも含めた結構な大船団を形成して、あちらが壊れたこちらの部品が落ちたとやりながらよたよたと飛んでいる、というのが実態に近い。
イズモ内の格納庫では今も槌音が止むことはなく、浮遊大陸でダメージを負った幻晶騎士たちの修理が続いている有様。中も外もズタボロであり、なんだかんだとやることが尽きない。
キッドくんが慌てたように飛んできたのは、まさにそんな折だった。
やることだらけとはいえ荒事はないので、手が空きがちな俺は鍛冶師のみんながお腹空いたときにつまめる軽食を用意したり掃除したりといった雑用枠になっていたのだが、キッドくんからの用とはさて一体。
「いや、その……アレは……なんなんだ? とにかく、ツェンドリンブルが変なんだ!」
「変、とな。というか、ツェンドリンブルならキッドくんの方が詳しいまであるんじゃない?」
そう思っていたら、告げられたのはツェンドリンブルのトラブルだという。
あの機体、前身となる二人乗りのツェンドルグ時代とはいえ、ハードはともかくソフト面はエルくんが用意したベースをもとにキッドくんとアディちゃんが開発したものだったはず。一応俺も関わったけど、最終最後にエーテルリアクタ2基連動に関する部分で仮説レベルの構想をもとにちょっと相談に乗ったくらいのものだったんだけどね。
そう思いながらも、なんか妙に切羽詰まってるキッドくんに腕を引かれて辿り着いたのは、大西域戦争の頃からクシェペルカでぶいぶい言わせているツェンドリンブル。アディちゃんの機体と対になっているキッドくん仕様だ。
とはいえダーヴィド親方ではなく俺を呼ぶということは、問題は機体側ではなくシステム面のヤツだろう。システムが機動しないとか変なエラー的反応が出るとかかな、などと予想を立てつつ操縦席までやってきて……すぐに、原因が分かった。
『システム、スキャンモードスキャンモードスキャキャキャキャキャキャモードドドドド』
「な、なぁ先輩……ど、どうしたんだろうこれ……!」
「あー……」
このツェンドリンブルが「キッドくん仕様」である理由は、キッドくんという優秀な騎操士に合わせたチューンナップがされているから、というのに加えてコレがある。
大西域戦争の折、なんとかかんとかキッドくんの力になりたいと願う当時王女だったエレオノーラ様の願いに応えてエルくんが実装した、エレオノーラ様ボイスのシステム音声機能。俺もちょっとだけシステム構築のお手伝いしました。
世界一かわいいんじゃね? と思うことすらある声が、緊張のせいかちょっと平坦な感じになって逆にシステム音声っぽいよねとなるその声が、なんかバグっていた。
「これまでこんなこと一度もなかったんだけど、なんか急に変な繰り返し方をするようになって……」
そんなことを言っている間も、登録されている色々な音声がバグりつつ繰り返し再生されている。なるほどたしかにこれはソフト面の問題だし、とりあえず実装に関わった俺に声をかけるのもわかる話だ。
なんだけども。
「とりあえず、
「そ、そうかな……? 原因がわからないのはちょっと不安だけど、やっぱりそれしかない、か……」
キッドくんはアディちゃんともどもエルくんの薫陶が行き渡っているから原因を特定せず再起動することに抵抗があるようだが、エルくんが仕込んだシステムに、それも実装からここまで時間が経って出てくるようなバグがあるとは考え難いからね。そこはあまり気にしなくていいと思うよ。
事件は片付いたとはいえ後始末はむしろこれからが本番なんだから、それも含めて一段落してからじっくり腰を据えて対応した方がいいだろうし。
……それに、なによりも。
「大丈夫だと思うよ。――エルくんもアディちゃんも、結婚してから毎日楽しそうだし」
「なんでこの流れでエルとアディの結婚の話題が出てくるんだ? ……なあ! こっち見て説明してくれよ、先輩!!」
イズモは機能重視の飛空船なので、窓は少なく小さい。それでもわずかに見える外の景色、そこに映る山の稜線は、懐かしいオーヴィニエ山脈をクシェペルカ側から見た形のようだ。
そんな感慨にふけりながら、ふとノーラさんのことに思いを馳せる。
ノーラさんの所属する藍鷹騎士団は潜入・破壊工作なんかもしてくれる縁の下の力持ちだが、その本質は諜報活動にあり、情報を集め、伝えることにこそ本質がある。
そんな、ノーラさんが。
フレメヴィーラ王国からクシェペルカ王国を経由して、いまや女王となったエレオノーラ様から直々にキッドくんを連れ戻すことを命じられた俺たちの一員であるノーラさんが。
浮遊大陸でもホーガラさんたちハルピュイアの人たちやパーヴェルツィーク王国のフリーデグント王女殿下とも関わりの深かったキッドくんに向けていた、目。
養豚場のブタでも見るかのような目をしてなかったっけかな、という印象を抱いたことを思い出す。
「かわいそうだけど、次に帰った時には首輪をつけられて逃げられなくなる運命なのね」って感じの。
「なんとか言ってくれよおおおおおお!」
もうすぐエレオノーラ様に会えるよ良かったね、と言わないだけの優しさが、俺にはあった。
◇◆◇
さてさて帰ってきましたフレメヴィーラ王国。
飛空船も幻晶騎士も人もみんな割りとボロボロだし、他国とのごたごた……どころか新たに一国生えてくるような大事になったので、報告と事後処理と修理と整備とその他もろもろによる忙殺が、下手したら浮遊大陸であれこれしていた時間を上回るんじゃないかと思えるくらいに積みあがっている。
まあ、俺はあくまで一般銀鳳騎士団員なので国王陛下に直接報告しに行ったり、みたいなことはなくて済むんだけどね。
ちなみに、キッドくんはアーキッド・オルター改めアーキッド・セラーティくんになったし、近日中にさらに名前が変わってアーキッド・某・クシェペルカとかになるだろうことが風の噂で聞こえてきた。
経歴ロンダリングをされたのかご落胤の類なのか、フレメヴィーラ王国のセラーティ侯爵家の子ということになったんだそうな。そのくらいの身分ならエレオノーラ様の王配にもなれるよね!
……キッドくんがそういうことになったのならガチの双子であるアディちゃんはどうなるのか、あるいは「本来どうだったのか」が気にならないと言ったら嘘になるけど、気にしすぎるといつの間にか背後でノーラさんが笑ってない目で微笑んでくれることになりそうなので考えないのが吉だろう。
がんばれキッドくん。政治とかマナーとか立ち居振る舞いとか、覚えることはいろいろあるらしいぞ。
そして、なんだかんだと落ち着いてからは、銀鳳騎士団は通常営業に移行する。
すなわち、エルくんによる新装備の開発だ。
「エルくん、アディちゃん。畑で取れた芋でコロッケ作りすぎちゃったんだけど、食べるの手伝ってくれない?」
「先輩のコロッケ! いただきます!」
「もちろん僕も。……言われて気付いたんですが、結構お腹空いてますね」
「そりゃそうだよ。エルくん、朝から飲まず食わずだもん」
「……水も飲んでおこうね」
自分の畑に帰ってきた喜びのままに収穫と料理をしていて、気付けば山のようなコロッケを中心とした料理が出来上がっていた。
どう考えても俺一人の胃袋でどうにかできる量ではないのだけど、ここは仮にも騎士団の拠点。ちょっとその辺うろついて、目につく騎操士や鍛冶師の口に放り込んでいけばすぐになくなるから楽なものだ。
そんないつものパターンでエルくんとアディちゃんにも食べてもらおうと団長室を訪れたら、エルくんが紙束に埋もれてました。
割りと比喩ではなく見たままそんな感じで、溢れるアイディアを紙にしたため計算を書きつけ、とやっていくといつも大体こんな感じになる。
幸いエルくんは壁を数式だらけにするようなタイプではないが、本質的には似たようなところがあるなとは常々思う。
そこら辺を適当に片づけて、部屋に置かれた水差しからコップに水も入れて差し出すと、二人してもっしゃもっしゃとコロッケを食べていってくれる。体は小さいとはいえ騎操士としてブイブイ言わせてる二人だから、普段から食べる量も相応なのだ。見てて気持ちがいい。
「最近は新しい推進器の開発してるんだっけ?」
「はい。最終的には宇宙まで到達することを大目標としていますが……難しいですね。高い出力の実現はもとより、高度が上がるにつれてエーテル濃度も上がるので、その扱いが上手くいきません」
「ああ、風魔法で空気ごとまとめて扱うしかないから」
「ええ。密度と精度の面でどうしても壁があるんです……」
浮遊大陸は多くの出会いがあった。
ハルピュイアの人たちは言うに及ばず、飛空船登場前から浮遊大陸とハルピュイアの存在を認識していたシュメフリーク王国の人たちに、パーヴェルツィーク王国やグスターボさんたちジャロウデク王国その他いろいろ。
その中でも特に印象深い……というか一度見たら忘れられない類のインパクトのあった人が、あの飛竜戦艦の生みの親にして、ジャロウデク王国からパーヴェルツィーク王国に鞍替えして改良された飛竜戦艦をさらに開発したオラシオ・コジャーソさんだった。
性質の悪いマッドサイエンティストみたいなあの人が飛空船を生み出したのは、あくまで目的のための手段の一つ。最終到達点として目指しているのは、はるかな高空、純エーテルに満たされたこの世界における宇宙なのだと言っていた。
エルくんとついでに俺もその目的を共有しないかと誘われたのはいいとして、お断りされて幻晶騎士と農業をけなし腐ったのでエルくんは先に宇宙へ到達したらあ、というのを当面の開発方針に決めたらしい。
「先日の実験もいいところまでは行けたのですが、
「そこまでいくと、魔法でどうこうというよりエーテルの挙動と性質の問題になってきそうだねえ。エーテル化学かエーテル力学とかそういう分野の話になりそうだ」
そして、順調に詰まっていると。
エルくんの魔法能力と開発力はピカイチだが、それにしたってアプローチ方法が不明だと難儀するのは避けられないのだろう。
なにせ、この世界で宇宙へ行くということは惑星の重力を振り切るのに加えて純エーテル環境に行くということでもある。
対地高度が上がると空気中のエーテル濃度が上がり、最終的にはエーテル100%になるらしい。
……宇宙空間の真空にエーテルだけが満ちているとかどういうことなのかとか、結晶化してエーテライトになるってことは質量はある物質なんじゃねーのなのにどうして、とか気にしてはいけない。その辺、多分深淵な学問になってくるだろうから。
エルくんが今まさに挑んでいるのはそういうところで、オラシオさんの実家はもともとその辺を専門に探求していた一族なのだという。
オラシオさんの持つ学術的アドバンテージが勝つか、エルくんの幻晶騎士的開発力の優位性が勝るか。勝負の行く末はわからない。
……それはそれとして。
「俺が口出しする話じゃないんだけどさ。……アレ、また増えてない?」
「はい。鍛冶師のみなさんの力作揃いです。見ているだけでうっとりしてきますね……」
俺の指さす先、部屋の一角。
団長室の執務机からちょうどいい感じの位置に備えられた、ガラス張りの棚。
そこには、「イカルガたち」がいる。
もちろん、実物ではない。
本物と比べて1/144くらいで他と比べると小さい割りにハイグレードなもの。
1/100くらいでサイズはそこそこながら迫力を備えたリアルなもの。
1/60くらいでもはや執念すら感じられるパーフェクトなもの。
様々なイカルガ、カルディトーレ、アルディラッドカンバー、グゥエラリンデ、ツェンドリンブルにトゥエディアーネなど様々な幻晶騎士が。そのフィギュアが、飾られている。
堂々たる立ち姿のイカルガ、背後の支柱で宙に浮いてカッコいいポーズを決めているイカルガ、肩の上で上下ひっくり返って大股開きになったカルディトーレを、六本の腕で巧みに拘束したまま尻餅ついて首と背中と股に大ダメージを与えているイカルガなど、バリエーションも無駄に豊富だ。
「材料は端材の再利用だし、趣味でやってるのなら好きにすればいいんだけど……うわ、三式装備まである。でっか」
「ツェンドリンブル二頭立てですから、縮尺以上の迫力がありますね。ちょうどいい配置には苦労しましたが……ないから創るのです! 置き場所を!」
「それ、コレクションのために部屋を使って倉を建てて、に続くコースだからね?」
「エルくんと一緒にギガントガーデンに行った時の装備、懐かしいなー」
アディちゃんが理解のあるお嫁さんで本当に良かったと思うよ。
部屋の一角を占拠する、同型モデルも多数あるフィギュアコレクションなんて離婚事由になったとしても不思議はない話だから。
この辺のフィギュア、言うまでもなくプラモデルの類ではなく
元より手先の器用なドワーフからすれば材料と時間さえあれば十分に作れるもので、以前モックアップ代わりに作られた物を見つけたエルくんが激賞。そんなに喜んでくれるならとプレゼントし、それなら俺も俺もと一部の鍛冶師たちの間で製作が趣味として広まっているらしい。
エルくんは、一応「幻晶騎士の構造を理解するための自己研鑽」と称して止めないし、オルヴェシウス砦を訪れる貴族様が気に入ればお土産として布教しているしでじわじわとフレメヴィーラ王国内に広まりつつあるとかないとか。
……一部のお貴族様はお抱えの鍛冶師に自分のところの騎士団が擁する幻晶騎士のフィギュアを作らせ、屋敷の目立つところにずらりと並べて訪れる客を前にドヤ顔する例もある、なんて噂もある。エルくんの影響はいろんな意味で留まるところを知らないようだ。
とはいえ。
そういう技術に裏打ちされた新装備であっても、宇宙行きはまだ遠い目標として目の前にある。
……なるべくのんびり向かってほしいなあ。そうしてくれた方が、俺が畑に出る時間も確保できるだろうし。
「これで、なかなか便利なんですよ。地図上で作戦会議をするときに、ただの駒を置くよりわかりやすいと評判です」
「そうは言っても、絵面は事実上のブンドドなんだよ」
なにせ、浮遊大陸と魔法生物という下手したら世界滅亡レベルの事件に関わったんだ。せめて次くらいは俺の目の届かないところで終わらせるか、せめてフレメヴィーラ王国内で片が付くといいんだけどなあ。
◇◆◇
「む? イカルガらしきマギウスジェットスラスタの音がすると思えば、案の定エルネスティか。王城で会うのは珍しいな」
「はい、エムリス殿下。国王陛下にちょっとしたご報告がありまして」
フレメヴィーラ王国の西端にして中枢、シュレベール城に、エルネスティが訪れていた。
来訪の際の足はマガツイカルガ。国王への報告に遅参は許されない、という名目のもとにエルネスティの趣味とアディの要望、そしてイカルガを、エルネスティを国の命のもとに置けているというアピールのためという様々な理由に基づき、こうしてエルネスティが自慢の幻晶騎士を伴って訪れていた。
空を行くものは鳥か魔獣のみだったのも過去のこと。
王都カンカネンの空をかつてはアグリ・ボトルのガルダウィングが。後にイカルガが、飛空船が、飛翔騎士がと次々飛ぶようになり、もはや王都の住民たちも慣れきって空に異形の一つや二つあっても見上げすらしない。
これでは万が一空から魔獣の襲撃があったときに危険なのでは、という懸念が王城内で議論されていたりもするが、それはそれである。
「そうだったか。ちょうどいい、お前たちに紹介したい方がいてな」
ともあれこの遭遇は、偶然ながらエルネスティを出迎えたエムリスにとっては都合のいいものだった。
一歩脇に動いて示したのは、エムリスの背後にいた人物。
どこかエムリスに似た面立ちながら、大柄とはいえエムリスの体に隠れすぐには気付けないほどの、ほっそりとした体型の男性だった。
「我が兄、第一王子のウーゼル兄上だ! 最近療養院を出て城で暮らしていてな。これからは顔を合わせる機会もあるだろう」
「初めましてだね、エルネスティ団長。世事には疎いので君のことは噂で知っている程度だから、間違いがあったら許してほしい」
「お初にお目にかかります。陛下より銀鳳騎士団の団長を任ぜられております、エルネスティ・エチェバルリアと申します」
「同じく! 団長補佐で奥さんのアデルトルート・エチェバルリアです!」
そう紹介されたウーゼルと、膝をついて騎士の礼を示すエルネスティ。二人の初顔合わせはこうして為された。
生来病弱で、フレメヴィーラ王国の第一王子ながら療養院での生活を長く強いられてきたウーゼルにとって、病床にまで届く劇か神話のような話こそが「銀鳳騎士団」「エルネスティ・エチェバルリア」だった。
それが、実際相対してみれば己よりも小さい背丈の青年であり、乗機が他の幻晶騎士とは全く違う異形の鬼神であるという事実に、ただ直面するだけで力を浴びせられるような心地だった。
「すまないね、人の幻晶騎士をじろじろ見てしまって」
「とんでもございません。良い幻晶騎士は人の目を惹きつけてやまないもの。むしろ誉でございます」
「そ、そうかい……?」
というか、圧が強い。特にエルネスティの、幻晶騎士に対する圧が。
少し話題を振るだけで抱えきれないほどの言葉が嬉々として返ってくる。キラキラと輝く瞳にカササギとイカルガが合体したマガツイカルガの幻晶騎士離れした姿を映しながら、それはもう楽しそうに嬉しそうに語る様。
これ、油断してるといつまでも話が終わらないヤツだとウーゼルが気付くまで、そう時間はかからないほどに。
「……いいものだね、『最強』というのは」
「お判りいただけますか、ウーゼル殿下!」
その目が放つ光に焼かれぬよう、目を逸らす口実として見上げる、イカルガの顔。
敵となる全てを打ち倒してきた実績を伴う最強を、改めてその目に焼き付けて。
面の奥。
眼球水晶の熱を宿さぬ光が、ウーゼルを見た。
「っ!」
「ん? どうした兄上?」
「……いや、なんでもないよ。少しはしゃぎすぎたかな」
そんな気がした。
改めて見てもイカルガの様子に変わったところはなく、ウーゼルはただの気のせいだろうと思いなおす。
エルネスティもイカルガも、病床の上が全てと言ってよかったこれまでの人生には全くなかったその色に、さては酔ってしまったか。
そう思っていた。
この時は。
◇◆◇
「よかったの、エルくん? エムリス殿下たちとの遠乗りにご一緒の約束なんてして」
「ええもちろん。お呼ばれしたなら応えたいですから。……ウーゼル殿下はお体の調子がよくないご様子でもありましたし。そんな時は幻晶騎士! 幻晶騎士はまだガンには効きませんが、そのうち効くようになります」
「それはどうだろうね……?」
◇◆◇
その夜。フレメヴィーラ王国第一王子、ウーゼル・ファルク・フレメヴィーラは夢を見た。
ウーゼルにとって、夢が心地の良い物であった試しはない。
病苦にうなされて見る悪夢か、己が身の不出来を父か祖父になじられる空想。あるいは、病が快癒してフレメヴィーラ王国の王族として立派に務めを果たす、というどれだけ望んでも得られない空虚な希望の残滓。それが全てだった。
『待たせたな、ウーゼル。助けに来たぞ!』
目の前に何かがある。巨大だ。人型だ。
幻晶騎士、と考えるのが最も妥当だろう。
だが、声をかけてきた。
力強く頼もしく、それでいてどこか優しい声で。
『さあ。私に、乗ってくれ』
思えば、何も望まれない人生だった。何もしないことだけを、望まれる人生だった。
虚弱な心身は今日までただ生きながらえるだけでも奇跡に近く、せめてそれを少しでも伸ばすようにと、何を為すわけでも残すわけでもない人生だけを積み上げてきた。
これから先もこのままだろう。何を残せることもないだろう。それはもはや拭い難い確信として、ウーゼルの中に根を下ろしている。
そんなウーゼルに、こんなことを望んでくれた者は、初めてだった気さえして。
だから、その言葉が自分に向けられたものだとは信じがたく。
『きみ以外に誰がいる』
どこか笑いを含んだ声音で、自分を、自分だけを望んでくれる言葉が。
『迷うことは、何もない』
信じてくれるという事実が。
『私に。私の中に。早く乗るんだ!』
……嬉しくあったのは間違いないのだが、なんか妙に声音が迫真でちょっとキモい、というのが総合的な感想だった。
◇◆◇
平和。
オルヴェシウス砦周辺に広がる俺が開拓した畑の手入れをする時間のことを、俺はそう呼ぶ。
干天の慈雨とはまさにこのこと。エルくんの新婚旅行でちょっとクシェペルカまで行ってくる、で済むはずがどういうわけかセッテルンド大陸を飛び出して浮遊大陸まで行くようなことになった結果、当初の想定以上に畑から離れていただけに、久々に戻ってこれて感慨と幸せもひとしおだ。
「あー……農業が五臓六腑に染みわたる。農業はまだガンには効かないけど、そのうち効くようになるな」
この辺の畑は収穫そのものを目的としているわけではなく、新農法の実践や肥料の配合による各作物への影響調査などをするための実験農場に近い。
だからのびのびとした成長を見せてくれている畑もあれば、生育がいまいちな畑も当然ある。
突き刺した看板に記した実践中の農法についての情報とこれまでの成長記録を取っていき、今後の農業に役立てる。それもまたこの世界の農業にとって得難い知見となってくれるだろう。
あちこち飛び回ってるとそういうこともやりづらいからね。一仕事終わり、エルくんも新装備開発にかかりきりになって俺にお声がかかることが少ないこういう時にやっておかないといかんのだ。
自室に詰めてアイディアを練っていると、ある時突拍子もなくいい考えを閃いて騎士団も鍛冶師もついでに俺も巻き込んで突っ走るエルくんも今日はいない。
なんでも、エムリス殿下とその兄にあたるウーゼル殿下と一緒に魔獣狩りを兼ねた遠乗りに行っているのだそうな。
エムリス殿下は浮遊大陸から戻ってからこっち、急に
それに加えて生来病に臥せりがちという噂が聞かれたウーゼル殿下が王城で生活しているという話を合わせて考えるとあまり気持ちのいい予想にはならないのだが、まあそこはそれ。俺が気にしても仕方ない。
なにはともあれ今日この日は絶好の農業日和。エルくんが騒動を持ち込んでくることもないだろうから、のんびりまったりガッツリと農業に浸り、ストレスを発散しておかなければならないわけだ。
ふぅ、と一息ついて空を見上げる。
あまりにもきれいな青空で、こんな空の下で農業をする気持ちの良さと幸せがひしひしと胸に湧いてくる。
平和だ。
雲が漂い、鳥が飛び交い。
幻晶騎士が飛びゆく飛行機雲が長く伸びる。
……ん?
「――ぇぇんぱぁぁ……!」
「……さーて、次は新しい用水路でも引こうかな! こういう大掛かりな土木作業は時間のあるときにやっておかないとだし!」
おっといけないまだ用事があったと思い出した俺は、急ぎ片づけて次の作業場所へ向かう準備を始める。時間は有限。農業は日の出ているうちに済ませるのが鉄則。時間を無駄にはできないのだ。農機具の類をがっさがっさと集めてとにかく急いで移動の準備を整え。
――ズドンッ!!
「――先輩ッ!」
……なんて、言ってられたら良かったのになあと、そう思わずにはいられない。
「空から降ってきたエルくん」とかいう、浮遊大陸でもあった気がするトラブルの具現に直面して、俺は平和の終わりを悟るしかなかった。
「とりあえず、水でも飲んで。それから、オルヴェシウス砦に戻るなら送っていくよ」
「ありがとうございます! ……先輩と二人でグランレオンに乗るのって、実は初めてかもですね」
色々魔法を駆使してだろう。おそらくさっき見た飛行中の幻晶騎士から飛び降り、スーパーヒーロー着地を決めたエルくん。
農作業には欠かせない水分補給のために常備している水筒をエルくんに放り投げて、俺にとって農業のお供であるグランレオンに乗り込んで起動する。
今も空に響く甲高いマギウスジェットスラスタの駆動音は、エルくんと一緒にエムリス殿下たちの遠乗りについていったディートリヒのグゥエラリンデ・ファルコンのもの。
空から落ちてきたエルくん。
イカルガに乗って出かけたのに、ディートリヒにここまで連れてきてもらったと思しき状況。
ディートリヒは着陸せずどこかへそのまま飛んでいくらしいことを合わせて考えるに、多分急いだほうがいいようなことが起きたんだろーなということだけは推測できる。
立ち上がったグランレオンの、ハッチを開けたままのコックピットへと何も言わなくてもエルくんが飛び込んでくる。
目的地も予想の通りでいいというし、オルヴェシウス砦へとにかく向かおう。
バイクのようにまたがるツェンドリンブル式ではなく、通常の幻晶騎士と同様のシートタイプのコックピットに座った俺の膝の上になぜか乗ってくるエルくんに別の乗り方してくれと言っている暇は、多分ないんだろうなあ。
「……で。何がどうしたのエルくん。こんなに急いで帰ってくるってことは、師団級魔獣でも出た? それとも
「残念ですが、どちらも違います」
予想される事態として、それなりにありそうな話とさすがになさそうな例を挙げたのは、せめて心の準備をする時間を稼ぐためのもの。
どっちにせよエルくんがイカルガなしでこの場にいる理由を説明できないから違うだろうとは思ってたんだけど、せめて挙げた例と同じくらいの規模の話で済んでくれるといいんだが。
「第一王子ウーゼル殿下、ご乱心。マガツイカルガニシキの操縦を乗っ取り、現在王都へ向かっていると思われます」
「…………………………………………マジかー」
その予想、裏切られるにしてもここまでブチ抜いてくるとはさすがに思っていなかった。グランレオンの操縦誤ってずっこけなかったことを褒めてほしい。
「銀鳳騎士団の逆襲~イカルガ王都大決戦~」とかいう頭の悪いタイトルが脳裏に浮かんでしまうくらいのインパクトで宇宙猫状態になりかけの精神、せめてオルヴェシウス砦に到着するころには正気に戻れるといいんだけど。
そんなことを思いながら、グランレオンの走りを巡航速度からトップスピードまで加速させるのだったとさ。
◇◆◇
「……むうううううううう!」
「うおっ、どうしたんだアデルトルート!? 急に変なうなり声を上げて」
「なんだか、エルくんが先輩とグランレオンあたりに二人乗りしてる気がします! 羨ましい! 私がいま乗せてるのは若旦那なのに!」
「あー……すまんな? というか、これはアグリにも謝っといた方がいいヤツかもしれんな。強く生きろよ、アグリ」