グラップラーケンイチ   作:takatsu

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第1話:転移

(かい)鎬断(しのぎだち)!」

 

終盤に入った、ケンイチと鍛冶摩の決闘。

鍛冶摩の咆哮と共に、彼にとって秘中の秘であった絶技がケンイチに炸裂する。

間もなく全身の気血が絶たれ、ケンイチの身体が細胞レベルで死んでいく。

 

(ダメだ……気を押し戻すことが出来ない)

 

思考、そして五感が失われ、悲鳴をあげる美羽の姿と声が届かなくなったところで、ケンイチの意識は絶たれた。

 

 

 

 

 

*****************

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

 絶たれたはずの意識と五感は突如として戻る。

 ケンイチは慌てて周囲を見渡す。畳が敷かれている広々とした格調高い和室の中央で、ケンイチの身体は布団の中にあった。布団の横には、ミネラルウォーターのペットボトルと空のコップが載せられたお盆がポツンと置かれている。

 

「ここは……梁山泊?」

 

 そう考えたがすぐに違うと気付く。畳と障子は確かに似てはいるが、デザインが梁山泊のものとは微妙に違うし、来客用の布団の質感も異なる。

 とりあえず自分の命が助かった事、感覚からしてこれは夢ではなく現実なのだろうということに安堵するが、しばらくして不安感と薄気味悪さに襲われる。

 ケンイチはおそらく鍛冶摩との決闘に敗れた。それはいい。鍛冶摩は正々堂々とケンイチを倒したのだ。そこで恨み言を言うつもりはない。

 問題は、ケンイチが今もこうして生きていることだ。(かい)鎬断(しのぎだち)でケンイチの肉体は死亡したはず。ギリギリ死んでいなかったとしても、鍛冶摩が死亡確認とトドメを刺さずに帰るなどという都合のいい話があるだろうか?

 ではあの場にいた、しぐれか美羽が助けに入った可能性は?

 果たして決闘を妨害する行為をあの2人がするだろうか。仮にそうだとして、不可解な点はいくつもある。

 ケンイチの身体には、鍛冶摩との闘いで受けた傷が全く無いのだ。鍛冶摩の鎬断は一週間やそこらで治る傷ではない。だとしたら、今はあの戦いからどれだけ時間が経過しているのか? 長期間意識がなかったのなら病院などで手厚い看護を受けていてもいいはずなのだが、このケンイチの扱いは精々、『組手の稽古でダウンしたから寝かせておこう』という程度のものだ。

 それに長い間寝たきりになっていたにしては床ずれや身体の痛み、意識の遠のきなどがまるでない。次々疑問が湧き上がり始めたところで――

 

「おお、気付いたかの。半日近くよく寝取ったわい」

 

 真ん中の障子が開かれ、外から差し込む日差しの中から和服を着たちんちくりんな老人が姿を現す。

ケンイチはその容姿を見て思わず、フレイヤの祖父、久賀舘弾祁を重ねた。だが弾祁と違って目の前の老人からは武術家特有の気配は感じられない。

 

「あの……ここはどこでしょう。僕は一体どうしてここに」

 

 老人は、ケンイチの前までやってくると座布団の上に腰を下ろしケンイチの問いに1つずつ答えていく。

 

「ここはワシの家じゃ。君が家の前で寝っ転がっておったのを、帰宅したワシがたまたま見つけたというわけじゃ。救急車を呼んでもよかったのじゃが――君にちと興味があっての」

 

 そこで言葉を区切って、ケンイチの全身を値踏みするように一瞥する。胸元に「弟子一号」と書かれた道着を着た少年、確かに今のご時世にしては珍しい風体である。

 

「君は武術家に師事していて、君自身も武術を学んでいるのかのう? 体付きも中々悪いくないわい」

 

「あ、はいそうです申し遅れました。僕の名前は白浜兼一、梁山泊という武道場の門下生です。助けていただいてどうもありがとうございます!」

 

 老人は頭を下げるケンイチに、良かったら水を飲みなさいと促しながら顎に手を当て思案する。

 

「ワシの名は徳川光成じゃ。これでも世の武術家に関しては詳しい自負があるのじゃが、梁山泊……聞いたことがないのお。どこにあるのじゃ?」

 

「松江県の松江市ですけど……」

 

 その言葉を聞いた光成は驚いた様子でケンイチの双眸をじっと見つめる。

 

「ケンイチ君といったの。松江市、という場所はともかく松江県などという県はこの世に存在せんよ」

 

「えっ……そんなぁ冗談きついですよ徳川さんってばぁ! あはは……」

 

 ケンイチは大げさに笑ってみせる。梁山泊を知らないのはともかく、都道府県名を知らないということなど有り得ない。最初は冗談かと思ったが、光成の真剣な表情を見て笑いは乾いたものに変わっていく。

 

「ワシの言っていることが本当かどうかはすぐにわかるじゃろう。ケンイチ君や、お主は行き倒れておった。一時的な錯乱状態にあるのやもしれぬ……君の事をもっと詳しく話してみてはくれんかの?」

 

 光成に言われ、ケンイチも現状を少しずつ理解し始める。そう、あまりにも今のシチュエーションは説明がつかない程不可解なのだ。全身から血の気が引いて行くのを感じながらも、ケンイチは時間をかけて自分の履歴、そして"闇"との戦争、鍛冶摩との勝負を最後に意識を失った事、全てを伝える。

 キセルを片手に黙ってそれを聞いていた光成が、懐からスマートフォンを取り出しケンイチに渡す。

 

「もう一度言うが、君の住んでいた場所とやらは無いのじゃ。ちなみに今日は、君が"闇"とやらと戦った次の日じゃよ」

 

 ケンイチは慌てて、スマートフォンのインターネットブラウザアプリを立ち上げて、片っ端から検索をかける。しかし自分の知る街もヒットせず、自宅に電話をかけても未使用番号ということで電話局に飛ばされてしまうだけだった。

 

(そ、そんな……僕の記憶がおかしいのか? いや、それだけは有り得ない。ならばここは僕がいた場所とは別の世界? バカな……でも万が一そうだとしたらどうやって元の世界に!?)

 

 悪夢か何かだと思いたいがさすがに夢と現実の区別くらいはつく。おそらくこれは現実だ。

 愕然とするケンイチの意識を引きつけるように、光成がパンと己の膝をてのひらで叩く。

 

「さてケンイチ君や。困っている所悪いが、いつまでも君をここに置いておくわけにもいくまい。しかし君の話が本当なら、君は戸籍も身寄りもないということになるのう」

 

(あっ、そうか。僕はどうやって美羽さんと合流できるか考えていたけど、今の僕はそんな贅沢を言ってられる状態じゃない。一銭も無い住所不定無職の人間じゃないか!)

 

 ケンイチの表情を見て、彼が自分の立場を自覚し始めた事を察した光成は、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「君は今後について選択をせねばならん。じゃがその前にケンイチ君や、この世界のグラップラー……闘技者と立ち会ってはみんかね?」

 

「ええっ、どうしてです?」

 

「どうしてじゃと? そうか……ケンイチ君には、立ち会うのに理由が必要なのか」

 

 光成はしばらく不思議そうにケンイチを覗き込んでいたが、ニイッと意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 ケンイチの本能が嫌な予感を告げるが、もう遅い。

 

「では、ケンイチ君を救助し休ませてあげたお礼を請求しようかのう。もしお主が立会に勝てばチャラ。断るか負ければ100万いただこうかの」

 

「……100万ウォン?」

 

「円じゃ! 総理大臣ですらそうそう入れないワシの私室に半日も居座って100万円、我ながら甘いのう」

 

 カッカッカッと笑う光成。ケンイチはこの無法な提案に異議を唱えられない。

 

(日頃特A級達人という特殊な思考の方々(マイルドな表現にしたけど)と付き合っている僕だからわかる! 間違いない、この人はやると言ったらやる。口答えをすれば機嫌を損ねて条件が悪化するかもしれない。

 それに助けてもらったのは事実だから、拳でお礼ができるなら受けるべきだ。僕はもう一人前の武術家なのだから!)

 

 ケンイチの表情から怯えと焦りが引いていく。それに気付いた光成は笑うのを止める。

 

「徳川さん、是非立ち会わせてください! あ、でも待ってください。その立ち会う相手って女性ではありませんよね? 僕は女性を殴らない主義なんですので……」

 

「ホッ……君のいた松江市とやらでは女が戦うのか!? 興味深いのお。幸いこちらに生きる闘技者は皆男じゃ」

 ケンイチの真剣な問いに、光成は今一度表情を崩し笑いながら立ち上がり部屋を後にする。

 準備が出来たら来なさい、と光成に告げられたケンイチはしばらくして光成が出ていった所の障子を開ける。梁山泊以上に広大な庭園が、まばゆい日差しの中から視界に現れる。

 

「わっ、なんて広い庭だ!」

 

「良い感想じゃ。さて君には彼と立ち会ってもらおうかの」

 

 庭の中央、光成の隣にその相手はいた。身長180cm程、オールバックの髪型にスーツ姿の若い男性だ。

 

「この屋敷の警備隊長を任されている加納秀明だ、よろしく」

 

「加納や、失礼のないように全力で戦いなさい」

 

「承知しました。白浜君だったかな、後悔することのないように思いっきり来なさい」

 

 余計なことを……。そう心の中で光成に呟きながら、ケンイチは加納と向かい合う。

 自信満々の態度、「かのう」という名字、端正な容姿、何処かの誰かを思い出しながらケンイチは半身に構え、両手を顔の近くまで上げる。

 空手、中国拳法、柔術、ムエタイの技を繰り出すためのケンイチ独自の構えだ。それを見た加納はケンイチと酷似した構えを見せる。

 

(僕と同じ構え? 一体どんな武術なんだ!?)

 

(色々なことが出来る構えだな。彼はトータルファイターなのか?)

 

 お互い疑問を浮かべたところで――

 

「それでは始めいッ!」

 

 光成の野太い声が庭に響き渡る。とうとう始まってしまった。

 意を決したケンイチからジリジリと近づいていく。10Mはあった2人の距離が3M程に。それでも加納は笑顔のまま仕掛けてこない。

 

(リーチでは勝っているのに相手は一向に攻めてこない。スロースターターの僕にとっては助かるけど……)

 

 2Mまで近づいたところで、自分の間合いに入ったと確信したケンイチは攻めに打って出る。

 

「やあっ!」

 

 中国拳法の中段突き、半歩崩拳。みぞおちに向けられた攻撃を加納はあっさりと後ろに下がって回避する。

 追撃を加えんと、ケンイチは更に踏み込む。

 

「悪くない踏み込みだな」

 

 余裕の裏返しともとれるセリフをはきながら、加納はケンイチの攻撃を1つずつ丁寧に対処していく。

 

「トイ! 正拳! 迎門鉄臂!」

 

 かわし、すかし、受け止め、いなす。30秒ほど一方的に続けた攻めが全て潰され、ケンイチは思わず攻撃を止め後ずさる。

 

「ッッ……なんて防御技術だ」

 

(いくら防御に専念しているとはいえ、鍛冶摩や叶翔ですらあった僅かな制空圏の綻びがこの人にはない。

 間違いない、この人の技術は既に弟子レベルじゃない!)

 

 加納は相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、ケンイチに攻めを促すように自ら距離を詰める。

 

「こうして敵の構えを正確に真似ると、どんな攻撃が来るか事前にわかるのだよ。私オリジナルの技術だ、原理がわかっていても君が実行することは困難だがね」

 

「くっ……『制空圏』の進化バージョンか!」

 

 流水制空圏とは別のアプローチ方法で、制空圏を独学で発展させた。

 その才能にケンイチは驚かされるが、加納はそれくらい当然だろうという様子で今一歩距離を詰める。

 

「ほう、君はそんなハイカラな呼び方をしているのか。

 ならば私の技は『制空圏』を昇華させた――『明鏡制空圏』とでも名付けようかッッ」

 

 相手は格上。負ければ元いた世界に戻るどころではないペナルティ。

 この世界で目覚めてからわずか30分。白浜兼一、正念場の時。

 

 

 


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