決着が確定し、安堵したケンイチがその場にへたり込む。
「よ、良かった……」
「ケンイチ君……いやケンちゃん、見事な勝利じゃ。約束通り君を介抱した対価は求めん。
それと君にご褒美じゃ。ある人に会わせてあげよう」
自分の懐刀が敗れたと言うのに心から嬉しそうな光成に、ケンイチもつられて笑う。
「次の対戦相手……は勘弁してくださいね」
*****************
加納との仕合から数時間後、光成の私室で豪華な夕食に舌鼓をうちながら、ケンイチは己の世界を今一度説明する。
光成は時には冗談のように切り返しながらも、ケンイチの話を1つ1つ丁寧に聞き取り受け答えていく。宴もたけなわに入ったところで――
「入るよ。
障子がおもむろに開かれ、月夜の中から熟女――いや光成以上に年老いた老女が無遠慮に足を踏み入れる。
ケンイチは思わず何者だろうと身構える。奇抜で派手なアクセサリーを身に着けている風体もそうなのだが、この世では大層な地位の人間であるらしい光成に、このような態度を取れる人間はそうそういないはずだ。
「徳川寒子……ワシの姉じゃ」
どこか気まずそうな、照れくさそうな様子で光成は答える。
「あ、そうなんですか。はじめまして、白浜兼一です」
疑問が解消され頭を下げるケンイチを、寒子はサングラス越しに心底どうでもよさそうに眺めていた。
が、目の前まで歩み寄ったところで寒子の血相が変わる。
「~ッッ! 光成、この子は一体ナニモンだいッッ!」
「いや、だからそれを聞くために呼んだんじゃって……」
どうやら光成は、ケンイチの正体を探るために姉である寒子を呼んだらしい。
しかし寒子の出で立ちは諜報員や情報屋といったものではない。ならば優秀なカウンセラーか? などとケンイチが考えを巡らせていた所で、
「光成、一寸席を外しな。この坊やがあまり聞かれたくない話をこれからするからね」
と寒子は言い放ち、空いていた座布団に勢い良く腰を下ろす。それを受けて腰をあげようとした光成をケンイチが制する。
「いえ、徳川さんにも聞いてもらって結構です。僕を助けてくれた恩人ですので」
「まあ、ケンちゃんがそう言うなら……」
光成が同席を決めた所で、寒子が改めて本題を切り出す。
「どこから説明したらいいもんかね……。一応あたしは一端の霊媒師をやってるんだけどさ。
まず坊や、あんたこの世の人間じゃないね」
「は、はいっ……どうしてそれを……」
自称霊媒師などいかにも胡散臭い相手だが、自分の存在自体が一番胡散臭い存在である以上、今更そんな細かいことは気にならなかった。ケンイチはこれまでの経緯を簡潔に説明する。それだけで寒子がおおよその事態を把握するには十分だった。
「あんたは別次元の武術家、白浜兼一の残留思念が産んだ霊体、思念体てとこかね。
こうして実体化しておるケースだけでもそうそう記憶に無いのに、別の場所から迷い着いたなんて前代未聞だね」
口ぶりとは裏腹に、大して驚いているようには見えない様子で寒子が語る。既に目の前のシチュエーションに適応しつつあるのだろうか。
「霊体ですか? でもお腹はすきますし、先程仕合で怪我もしましたけど」
「そう、お主は不完全な霊体じゃ。生身の肉体と同じ扱いが必要じゃし、それに加えてお主は武術において道半ばに果てた悔いが産んだ霊体。
次に武術家として悔恨残る思いをした場合、肉体の生死にかかわらず今度こそお主は消滅するかもしれんな」
おもむろに物騒な事を寒子が言い放ち、ケンイチはゴクリとつばを飲む。
「消滅って……成仏ですか?」
「成仏で済めばこれ程都合のいい話は無いね。
「えーッッ! じゃあ加納さんに負けてたら僕は死んでたかもしれないの!? それだけじゃなくて病気とか餓えとかでも死んじゃうの!? こんなのずるいや!」
年頃の少年らしく慌てふためくケンイチに、寒子はため息をつきながらかぶりを振る。
「負けて死のうが、別の世界に飛ばされようが「へ」でもない
一度完全にくたばったらしい人間がこうして蘇ったんだからね。神の理捻じ曲げといて贅沢言うんじゃないよ」
「た、確かにこれは奇跡的なチャンスなのかも……」
「さてケンちゃん、これからの君の人生についてそろそろ選択の時間じゃ」
ケンイチが落ち着きを取り戻した所で、静観を貫いていた光成が口を開く。
確かにいつまでも先の事を考えないわけにはいかない。ここに光成の好意で泊めてもらえるのも今日だけだ。
「1つ目、行政機関に行ってワシらにした話と同じ事を言ってみること。これはお勧めせんがの」
光成に言われなくてもそれがまずい事くらいケンイチでもわかる。精々役所か警察署で笑われて追い返されるか、精神病院を紹介されるのが関の山だろう。
「2つ目、記憶喪失の人間として名乗り出て、自立支援ホームなどの福祉支援を受けながら生活すること」
まあ、これが一番まともな選択肢か。少なくとも明日は警察の留置場で食事くらいは出してもらえるだろう。などと考えるケンイチに、光成が最後の選択を提案する。
「3つ目、闘技者として生きる」
ケンイチに緊張が走る。武術を学んでいる以上、その技能を活かして生きていくということは道理にかなってはいる。
だが寒子の言うことが事実なら、勝負に負けただけで死ぬ恐怖が常に付きまとう。そして問題はそれだけではない。
「でも徳川さん、闘技者になるにしても、明日どう食いつないでいくかをどうにかしないことには。国の保護を受けて職を探すという意味では2つ目の選択肢と変わらない気が……」
それまで無表情だった光成が、ここにきて初めてニイッと満面の笑顔を見せる。
「ワシがこの世界ではちと名の知れた格闘技のプロモーター、ということは話したが実はそれだけではない。
とある非公開の地下闘技場を運営しておる。その闘技場はこの世界で最高峰レベルじゃ。
そこで勝ち続ければ、表の格闘技で勝つよりも遥かに素晴らしい収入と地位が手に入るわい」
「勝てばそんなに凄い賞金が出るんですか!?」
「いや、そこでのファイトマネー自体はノーギャラじゃ。
じゃがケンちゃんが闘技者として生きたいというのなら、ここで出会ったのも何かの縁。
地下闘技者としてワシと専属契約するなら、三食の食事と寝床の確保、学び舎に通う金の前貸しくらいはしてやっても良いぞ」
「い、いいんですか! 僕が戦っても!?」
破格の条件を提示されケンイチは思わず身を乗り出すが、光成の話はそこで終わらない。
「お主が辛勝した加納は最下位ランクとはいえ地下闘技場のファイターじゃ。勝ったお主にチャンスを与えてもバチは当たらんじゃろう。
じゃがケンちゃんには、この世界での戦績や最強の格闘家に育てられた血族といった、信用できる肩書もバックボーンも無い。
つまりワシの特別扱いによる気まぐれ采配じゃ。お主が無残な結果を残せば、ワシの信用にも傷がつくというわけじゃ」
3本の指を突き出しながら、厳格な声色でケンイチに告げる。
「まずは三連勝。ワシが用意する3人の地下闘技者に勝つ事じゃ。無論、3人とも加納よりは確実に格上じゃぞ。
もっとも、お主が加納を覚醒させてしまったからには現時点ではどうかはわからんがの」
「3回も勝たないといけないんですか!」
「それは前提条件じゃぞ。3人に勝って初めて、ワシが近々行おうと思っている地下イベントへの参加を認めるつもりじゃ。
そのイベントでまともな結果を残せなければ、即座に契約は抹消させてもらい違約金も払ってもらう」
その違約金とやらがとんでもない額であろうことは、危うく100万円を負担させられかけて思い知っている。
技術だけなら弟子クラスを超えていた加納、それよりも強い相手に3連勝出来なければ破滅。
勝ったところでその先のイベントで待ち受けているであろう、さらなる強者達に惨敗しても破滅。
そして死のリスク――あらゆる恐ろしい要素がケンイチの頭の中を巡っていく。
「ふん、ケチくさい話だね。面白そうだし気長にそのユーレー坊やを育てりゃいいじゃないか」
寒子に他人事のように口を挟まれ、光成が困ったように制する。
「さ、寒子は黙っててくれ。話はそれだけではないわい。ワシにとって強者とは、戦いを見届けるのは神聖なものじゃ。
もしケンちゃんが闘技者として勝ち続けワシを愉しませるなら、徳川家の力をもってお主の記憶を戻す、あるいは元の居場所に戻れるように協力するのもやぶさかではない」
元の世界に戻す――そんな手伝いが一個人にそう簡単に出来るものか。
そんな疑念をケンイチから吹き飛ばす、確固たる自信が光成の眼差し、声色から放たれる。
目の前の老人はやるといったらやるのだろう。戦闘力は違えど、その佇まいはまるで梁山泊の師匠を彷彿とさせていた。
「こういうでかい決断はすぐ決められるもんじゃない。明日の朝まで待ってやんな」
部外者なりに寒子が気を利かせてくれた、が今のケンイチにその気遣いは必要なかった。
「いいえやりますッッ!」
開き直りでも破れかぶれでもない。心から出た言葉だった。光成も少しだけ驚いた。
ケンイチなら応じるとは思っていたが、即答は完全に予想外だった。
「敗北すれば全てを失うだけでは済まぬかもしれん。死よりも重い出来事が待ち受けておるのかもしれんのじゃぞ?」
「僕は武術によって死に、そして転生しています。ならば一度もらったチャンスを武にささげてみようと思います。
それに元の世界に戻れる可能性が僅かでもあるなら、その機会を逃すつもりはありません。どうか、僕にチャンスを」
ほんの僅かの間だけ、光成は呆けていた。輝かしい笑顔と強い眼差しを見せるケンイチと、この世で地上最強の生物である親子が少し被って見えたからだ。
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数年ぶり、いや10年ぶり以上かもしれない。光成と寒子が2人きりで肩を並べこうしてゆっくりと話し合うのは。
ケンイチを寝室に案内した後、屋敷の軒下で月を眺めながら光成が少年の頃に戻ったような笑い声をあげる。
「ヒッヒッヒッ。よくもまあベラベラとあんな脅し文句が出たもんじゃ。ケンちゃんビビっとったぞい」
「あの坊やが下手な負け方したら、死んで悪霊になる可能性があるってのは嘘じゃないよ。
あんたこそ脅しの演技も中々サマになっとったよ。もっともあの子には要らん発破じゃったがな」
寒子の切り返しに、光成は心外そうな表情を浮かべる。
「ケンちゃんが一般人として生きるならどうなろうがワシの知る所では無いし、結果を出せないなら放り出すのも本心じゃぞ。
異世界から来た人間に興味がないわけではないが、ワシにとっては強者の方が重要じゃからな。
しかし良く思い切って決断したもんじゃ」
「驚くことでもないね。大切な人間や親兄弟と再会することを諦めて、この世界で息吸って飯食ってクソ垂れ流して寿命迎えるのはあの坊やにとって死も同然だったってだけのことさ」
坊やが折れるまではキッチリ見届けてやんな、と付け加え寒子は返事を待つこと無く屋敷を後にした。
白浜兼一 地下闘技場の正闘技者の資格ゲット
今まで小説書く時はずっとテキストファイルのバイト数で大体の書く量測ってたけどここは文字数カウントしてくれるのね。
毎週きっちり更新するならだいたい5000文字くらいがベストかな。