グラップラーケンイチ   作:takatsu

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第4話:説明不要

 八王子駅からバスで15分。田舎と言っても良い、街外れにある一軒家でケンイチの朝が始まる。

 

「おはようございます大家さん! 朝ごはんありがとうございました」

 

「おはようケンイチ君。いいのよ、徳川さんからお給金は前もってもらってるから」

 

 自室で食べた朝食の食器を片付けに、母屋の台所に入った制服姿のケンイチと和服姿の中年女性が挨拶を交わす。

 松本絹代、ケンイチが今下宿しているこの家の持ち主だ。

 かつて格闘家だった夫を亡くし娘と2人で暮らしている未亡人。それしか知らないがケンイチもそれ以上を詮索していない。

 絹代も、ケンイチが訳ありの武闘家だということしか光成から知らされていないし、それ以上知るつもりもない。

 

「ケンイチ君、そろそろ行きましょうか」

 

「はい、梢江さん!」

 

 母屋の外から呼ばれ、ケンイチは表に出る。

 外でケンイチを制服姿の少女が待っている。絹代の一人娘、松本梢江だ。

 風林寺美羽ほど飛び抜けてはいないものの、人並み以上には優れた容姿を持っている彼女は、聞くところによれば交際相手がいるとのこと。

 その相手こそ、ケンイチが住んでいる部屋に前住んでいた住人にして、地下闘技場の現王者、範馬刃牙その人。光成いわく、この世界で最強の生物の一人らしい。

 梢江は出会ったばかりの下宿人であるケンイチに良くしてくれていて、ケンイチからの梢江への好感度も高い。

 こうして学校にも一緒に通っているし、困ったことがあれば話も聞いてくれる。

 通学路も半分が過ぎたところで、隣を歩いていた梢江がふと口を開く。

 

「差し支えなければ教えてほしいのだけれど、ケンイチ君はどうして武術をやっているの?」

 

「と、いいますと?」

 

 梢江の彼氏の刃牙は武術家だが、本人はあまり武術には理解も関心もないらしい。現に梢江との会話で武術に関する話題も今初めて出た。

 

「私が見てきた格闘家の人は、力自慢や強さ比べが大好きな、地上最強を夢見る人達だった。でもここ数日ケンイチ君と一緒に暮らしてて、あなたはどうもそんな風には見えなかったから」

 

 誰もが見て見ぬふりをする悪人をこの拳で倒し、そして大切な人達を守れるようになるために。

 そう言いかけてケンイチは言葉を飲み込む。本心ではあるが、今のケンイチにとっては半分本当で半分嘘だ。

 

「今は言えません……。でもいつか本当の事を話すので、良ければその時に」

 

「そう、なら必要以上に詮索はしないよ」

 

 ケンイチの表情から何かを察した梢江が打ち切ったことでその話題は終わり、あとは学校に着くまでとりとめのない雑談が続いた。

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 ケンイチがこの世界にやってきてから4日目を迎える学園生活も、特に何事もなく過ぎようとしていた。元々この学校の治安は相当悪かったらしいのだが、トラブルというトラブルは今のところ起きてない。

 それもそのはず、例の範馬刃牙もこの学校の生徒なのだ(最近は不登校気味だが)。

 

 ”学校内で揉め事を起こせば刃牙が黙っていない”

 

 いつからかそんな噂が校内で流れ、ツッパリ達も理不尽な弱い者いじめだけは控えるようになったらしい。

 その逸話だけで、未だ出会っておらず顔すら知らない刃牙がどれ程の存在かを思い知らされる。刃牙が一体どんな人間かを想像しながら、ホームルームを終えたケンイチは学校を出て帰路に着く。だがその足取りは今までで一番重い。

 

「とうとう仕合の日が来ちゃったよ……」

 

 今日はケンイチがこの世界にやってきてから一週間。例の地下闘技場でデビューする日だ。だが決して準備万端と言える状態ではない。

 ケンイチはここ数日、加納との戦いで受けたダメージの回復と、新しい生活の準備と適応に費やしていた。

 梁山泊でやっていた毎日の基礎訓練も二割程度しか行っておらず、その他は最低限の走り込みと筋トレ、柔軟体操程度しかしていない。

 おまけに今回は、今までと違い対戦相手のスタイルも不明であり対策も建てられず、三頭竜戦の様に美羽が助太刀してくれるわけでもなければ、流水制空圏の様に長老が秘伝の技を授けてくれるわけでもない。

 傾向と事前対策が全く使えないのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、これからは白浜兼一という武術家が培ってきた純粋な力量、対応力、応用力が試される事になるだろう。

 気づけば、地下闘技場のスタッフから事前に指示されていた待ち合わせ場所に到着していた。

 人気の少ない住宅地の一角で、風景には到底似合わない黒塗りの高級車と男性が待ち構えている。

 

「お待ちしておりました、白浜兼一様ですね」

 

「は、はいっ!」

 

 タキシードを着こなしいかにも使用人といった、かっちりとした風体の中年男性が笑顔で丁寧に車の扉を開ける。

 

「どうぞ、ご乗車ください。これより闘技場へご案内いたします。

 私、本日から白浜様の専属送迎者兼スタッフとなります宝田と申します。以後、お見知りおきを」

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 覚悟を決めて車に乗ったケンイチは、緊張からか目的地へとたどり着くまで一言も宝田と言葉をかわさなかった。宝田の方は、許される範囲であらゆる質問に答える準備ができていたが、ケンイチの方から話しかけてこなかったので特に話題を振ること無く無言で運転に徹していた。

 連れてこられたのは『東京ドーム』。ケンイチの世界にも存在する有名な建造物だ。

 小さい頃に野球を観に行ったことがあるな、などと考えている間にどんどん宝田に先導され進んでいく。

 ドーム内に入り、関係者以外立ち入り禁止区域を通り、エレベーターに乗り地下6階へと降りていき、葵の紋所が刻まれた仰々しい扉を抜け、選手用の控室へと案内される。

 ドームの地下にある秘密空間の存在に一々驚いてる余裕はケンイチには無い。

 あと2時間程で、自分の命運を決める戦いが始まろうとしているのだから。

 

「白浜様」

 

「は、はいっ! 何ですか!?」

 

 学生服から普段の稽古着への着替えもとっくに済ませ、試合開始予定時刻が3分前に迫ろうとしていた所で、部屋の隅で直立不動のまま待機していた宝田がおもむろに口を開く。

 

「恐れながら申し上げます。待機中の様子を見させていただきましたが、相当気負いすぎに見えますな」

 

「ど、どうしても恐怖が先行してしまって……」

 

 専属スタッフはあくまで要望通りのサポートをするのが仕事であって、自らケンイチの調子を慮って助ける義務はない。だが宝田には、デビュー戦を迎えた闘技者にだけ助け舟を出す気まぐれ癖があった。

 

「10年以上この地下闘技場で、色々な闘技者を見てきました。

 確かに『今の』白浜様の実力は、地下の猛者に遅れを取っているかもしれません。

 ですが御老公の、優れた闘技者を見出す力は人後に落ちません。王者が相手ならともかく、今日の対戦相手ならマッチングのシステム上、白浜様に勝算は十分にございます。どうかご自分とご老公、そして育ててくれた師の力を信じて御覧なさい」

 

 出過ぎた真似をしました、と付け加え宝田は頭を下げるとそれ以上は何も喋らなくなる。が、ケンイチにとっては十分な激励であった。

 

(相手は格上で敗北は死。そうか、元の世界で何度も経験してきたことじゃないか。僕が今までやってきたこととなんら変わりない)

 

 表情から強張りが解け、筋肉から緊張がほぐれていく。ベストコンディションには遠いが、それでもケンイチの身体は元の調子を取り戻しつつあった。観客たちの歓声と思わしき声が室内に届く度に、ビクついていたケンイチの姿はもうそこにはない。

 

「ありがとうございます宝田さん。おかげでだいぶ楽になりました。行ってきます!」

 

 最後の軽いストレッチを終え、笑顔で控室を後にするケンイチを見届けた宝田は、垂れていた頭をあげる。

 

(別に白浜少年の肩を持ったわけではない。お互いが力を出しきれない仕合ほど、私にとって無味乾燥なものはないというだけのこと。私が関与できるのはここまで、後は彼自身の勝負になるだろう――)

 

 

 

 

 

 *****************

 

 

 

 

 

 地下闘技場では、本来前座となる仕合が1日に2つ3つ組まれ最後にメインイベントとなる。

 今日の試合に、最上級リーグとなるメインの仕合は組まれていないが、それでも観戦している観客の数は普段に見劣りしていない。

 皆噂を聞きつけているのだ。今宵、徳川光成が特別に参戦させた新人闘技者がデビューするという情報を。しかもチャンピオン以来の高校生ファイターという事で、関心は更に高まっている。

 

「残す所、最後のエキシビションマッチとなりました。まずはチャレンジャーの入場だ!」

 

 実況の声を聞いて、通路で待機していたケンイチが覚悟を決め闘技場に足を踏み入れる。

周囲を壁に囲まれた闘技場が視界に入る。トールと戦った時の地獄土俵に似ているが、広さは段違いだ。

 ケンイチの姿を見た観客達が一際大きな歓声をあげる。

 新たに誕生したグラップラーへの祝福か、小柄な身体で戦場に足を踏み入れた勇気あるファイターへのリスペクトか、はたまた凄惨な殺戮ショーの生贄に送る期待か――

 

「白虎の方角! 本日が闘技場デビュー戦となります白浜兼一17歳!

 身長は165cmで体重は54kg、小柄で知られているチャンプよりも更に軽いッ!」

 

 どんな相手だろうと全力で戦う、ケンイチが心に決めたその覚悟は――

 

「そして対するは玄武の方角!」

 

 ケンイチの登場時を遥かに超えるボリュームの歓声の中、対面の通路から現れたレスラー姿の男を見て、一瞬で揺らぐこととなった。

 

「デカァァァァァいッ説明不要! 240cm! 310kg! 巨漢プロレスラー、アンドレアス・リーガンだ!」

 

 アパチャイ、長老、鍔鳴りの紀伊陽炎――あらゆる巨大なファイターを見てきたケンイチだが、リーガンと呼ばれたその男は彼らが比較にならない程の巨大な体躯を手にしていた。

 

「な、なんじゃこりゃー! しかもさ、さ、さ300キロぉ!?」

 

 口を開けてマヌケな表情でリーガンを見上げるケンイチの横で、よく見知った顔が客席から姿を見せる。

 

「ホッホッホ、いいリアクションじゃケンちゃんや。わざわざ呼びつけた甲斐があったわい」

 

「武器の使用以外すべてを――」

 

「ちょっとタイーム! 徳川さん!? この世界の人ってこんなに大きな人が当たり前にいるんですか!?」

 

 審判を務める坊主の声を制して、ケンイチが思わず光成の所に詰め寄る。

 

「いーや、このリーガン選手はワシが見てきた中でも一番のデカブツじゃよ」

 

「って、そんな人をなんでいきなり僕のデビュー戦にぶつけるんですか! こんなのひどいやい!」

 

 光成の立場も忘れて恥も外聞もなくクレームを入れるケンイチであったが、光成が平然と切り替えした一言ですぐに押し黙ることになる。

 

「リーガンは加納よりも二回り以上は強い。じゃがそれでもここのチャンピオン……刃牙はお主と同い年の頃に、リーガンを秒殺しとるぞ」

 

「えっ……」

 

「ケンちゃんや、ワシはお主を悠長に育てる程お人好しではない。それにここでつまずいているようでは、お主が元の世界に戻る助けを得られるようになるのは夢の夢じゃぞ」

 

「おーい、いつまでお喋りしてんだいボウズ」

 

 闘技場の中央ではリーガンが、仁王立ちのままニヤニヤしながら待ち受けている。それを見たケンイチは確かな恐怖を覚えながらも、一歩一歩距離を詰め真正面に立つ。

 何のために宝田から激励をもらったのか、ここで逃げてしまっては何の意味もない。

 

「そうじゃ、戦って、勝って己の人生を勝ち取れ」

 

 光成の呟きはケンイチには聞こえていない。だがもう覚悟は定まっている。リーガンもケンイチの表情を見てそれを理解した。

 

「ククク、どうやらハラは決めたみてえだなボウズ。俺の姿を見て逃げ出さなかった事は褒めてやるぜ」

 

 リーガンは完全にケンイチをナメている。身体能力の差を考えれば当然だろう。だがそれはケンイチにとっては望ましい展開でもある。相手が油断してくれれば勝ち目は増すというもの。

 

「武器の使用以外すべてを認めます。両者、元の位置に」

 

 審判が気を取り直して場を取り仕切る。ケンイチはリーガンに背を向け、闘技場の隅まで歩きながらかつて師匠の一人と交わしたやりとりを思い返す。

 

”ケンイチ。武術において身長、リーチ、体重は重要な意味を持つ。同等くらいの技量を持っていた場合、デカいヤツってのはそれだけで優位に立てちまう。

 俺やアパチャイ、ジジイがその例だな。その点おめーの身体能力は決して有利とはいえねえ。よっていくつかの巨漢対策をおめーに教えておくぜ”

 

「身長80cm差、体重に至っては約五倍差ッッ! 本来ならこのようなマッチメイクは許されませんッ!

 しかしこの地下闘技場では全てがまかり通ります! そしてこれ程の体格差があっても大きい方が必ず勝つとは限らないのです! 始まるのはリーガンの一方的な公開処刑か、それとも白浜が奇跡を見せるか! いよいよ仕合が――」

 

『始めッッ!』

 

 実況の声に被さった試合開始の合図とともに、ケンイチは全力で後方へ踏み込みながら反転する。

 

(巨漢対策その1、接近戦を挑んでリーチのディスアドバンテージを消す!)

 

 リーガンは油断しているはず。この奇襲は十中八九成功するはずだったが、風を切る轟音と共に眼前に迫っていたリーガンのジャブが、作戦の失敗を告げていた。

 

「うわっ!」

 

 避けながら思わずガードを固めて中間距離で足を止めるケンイチを見て、リーガンは得意気に鼻を鳴らす。

 

「ボウズ、おめーと同じ事をチャンプにやられてたから警戒していて良かったぜ。

 俺相手にインファイトを挑むその度胸は認めてやるが、踏み込みはチャンプに比べたら大分おせーな!」

 

 続けて数発のジャブがケンイチを襲う。とっさに制空圏を発動してクリーンヒットを避けるケンイチだったが、既に全身は恐怖から来る冷や汗に塗れていた。

 

(これがジャブ!? 一発一発が弟子クラスの大技に匹敵する迫力だ! 不用意に踏み込んで当たればまずい……どうする!?)




親子喧嘩の梢江はかわいかった。
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