あの勇次郎が30分とはいえ他人の師となる。光成が息を呑んで見守る中、ケンイチはまずは勢い良く頭を下げる。
「ありがとうございます範馬さん。いや範馬師匠!」
「フッ」
(あっ、ちょっと笑ったわい!)
師匠と呼ばれ悪い気はしない様子の勇次郎を見て、光成も顔には出さずに心の中でほくそ笑む。
「では師匠、早速ですが先程僕が気にしていた質問です。
30分後には僕達は他人になるわけですが、この先師匠が居なくても、師匠ほどとは言わなくてもこの世界で強くなることはできるでしょうか?」
最初の問いはシンプルにして、重要なものだ。どう答えるかによって勇次郎の指導者としての資質が問われるだろう。
勇次郎はしばしケンイチと無言で視線を交わし、大木のように逞しく発達した自身の腕を突き出す。
「ケンイチよ、貴様己の拳が信じられぬか? ここまで共に生き抜いた脚が、身体が、細胞が師無しでは大成せんと思っているのか?」
ケンイチは咄嗟に否定しようとしたが、すんでのところで言葉を飲み込む。
偽証やその場しのぎのゴマカシは師への侮辱となる。たとえ軽蔑されようと、本心を話すのが誠意だ。
「正直、自信がありません。今まで出会ってきた武術家は、僕より才能がある人達ばかりで、僕は人一倍の反復練習と師匠につきっきりで技を叩き込んでようやく他の人達に対抗できるようになったんです」
この地上で最高峰の武の才能を持つ勇次郎にとって、才能が無いという問題はまさに対極、無関係の悩みと言っていいだろう。そして勇次郎本人が、範馬の血こそが生物界の頂点と考えている血統至上主義と来ている。
最強だからこそ最も難しい質問を勇次郎がどう受け答えるか、光成は思わず手に汗握り次の言葉を待つ。
「才能など無くとも強くなる事は可能だ。俺が全て教えてやる」
あっさりと、何の躊躇もせずに勇次郎はそう言い放ち、光成とケンイチをまたも驚愕させる。
(エーーーーーッッ! 本当に出来るのか勇次郎ォ!?)
「ヒントだけ出したり考えさせたりとかじゃなくて、全部教えてくださるんですか!」
ケンイチの言葉に勇次郎は当然だ、と呟きながら光成からお猪口に注いでもらった日本酒を煽る。
「『答えを教えず自分で考える力をつけさせる』。自分に指導力があると勘違いしている凡夫が、如何にも思い付きそうな浅はかな考えよ。かつての貴様の師は貴様に考えさせたか? そんな事をせずひたすら修行を叩き込んだだろう」
「そ、そういえば確かに……」
考える暇も無く、拷問のようなカリキュラムのトレーニングを叩き込まれた地獄の日々がケンイチの脳裏をよぎっていく。
「師が貴様の才能の無さを埋めるというのなら、この世界で師を見つければいいだけのこと。俺を僅かの間とはいえ師にしたようにな」
「はぁ……でもそんなに都合よく僕に教えてくれる人を見つけられるでしょうか? 今の僕ではあんまり高い月謝も払えませんし」
「師とはそのような不便なものではない。場所、時間、人間、動物、昆虫、無生物を問わず師は貴様の前に常にいる。森羅万象、あらゆるものを師と崇め学べば良い。それを見つけられぬのは、貴様の目が不完全だからだ」
勇次郎の言葉に、思わずケンイチが全く意図を読み取れずきょとんとする。人生経験豊富な光成の方はどこかピンと来ている様子だが。
「……目が不完全……とんちですか?」
「比喩ではない。ただ見て、ただ聞き、ただ触り、ただ嗅ぐだけでは、人間が本来備えている感覚器の真なる役割、その半分も引き出していないということ。
貴様と才能ある者の差は、身体能力だけではなく五感もだ。筋肉を鍛えねば強くならぬように、五感も鍛えねばその真価を発揮できぬ。
天才と呼ばれる者達は、無意識の内に五感を鍛えている。あるいは他人に言われずとも五感の重要性を理解している」
「では五感を鍛えると、どうなるんでしょうか……」
「他人の手を借りずとも、高等な武術の妙技を誤らずに取り入れられるようになるだろう。一流の画家が手本を見ただけで精密な模倣絵を描けるようにな」
勇次郎の言っている事が事実なら、ケンイチも五感を鍛える事で、翔に負けぬスピードで強くなれるかもしれない。それに元の世界に戻っても師匠達の指導の負担を減らせる事になる。ケンイチにとっては目からウロコの話だが、当然浮かぶ疑問もある。
「それではどうやって五感を鍛えればいいのですか? 鍛え上がるまでの間は、どの様に修行をすればいいのでしょう」
「遊べ」
「はい?」
勇次郎が一言だけ放った言葉に、ケンイチは思わず聞き返す。どんな厳しい特訓も覚悟しているケンイチにとっては想定外の返しだった。
「強くなりたければ遊べと言っているのだ。貴様が元の世界で質の高い修行をしているのは、身体を見ればわかる。
そして貴様自身にもその自負があるのだろうが、俺からすればサボっているのと大して変わらん」
(えーっ! あれだけの地獄の特訓をサボり扱いって……梁山泊の師匠達が優しく見えてくるぞ!?)
あからさまにショックを受けた表情を見せるケンイチに一々フォローを入れること無く、勇次郎が言葉を続ける。
「女、賭け事、ナイトクラブ、酒、スポーツ、ゲーム、芸術、アウトドアレジャー。あらゆる物事に挑み欲望を開放し、本能を満たせ。
禁欲の果てに得られる物などタカが知れているわ」
何の根拠も無い発言だが、勇次郎の強力な自我から生み出される、反論を許さぬ"圧"が込められた事により、偉人の名言に見劣りせぬ力が込められケンイチに届く。
(はっ……そういえば師匠達も修行の傍ら、自分の好きなことや趣味は欠かさなかった。
馬師父が欲望に忠実なのも、意味はあったんだろうか。表面しか見てなかった僕が浅はかだったのか!?
とにかく、強くなるために遊ぶというのは完全に盲点だった……)
「でも、僕はナイトクラブや賭け事で遊ぶっていわれてものもよくわからないからなあ……そうか、遊びの師匠を見つければいいんですね!」
少しは開けてきたケンイチに対し、勇次郎もまんざらではない表情で相打ちをうつ。
かつての勇次郎からは想像もつかない、穏やかな表情だ。
「そうだ。繁華街でバカ騒ぎをしながらうろつく若者でも何でも構わん、学べるものから何でも学べ。……話が少々脱線したな。本筋の修行方法に話を戻そう」
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「そろそろ30分が経つな。俺はもう帰るぜ」
時間いっぱいになったということは、あれから勇次郎に20分以上は修行の手ほどきを受けたのだろう。
だがケンイチにとってはあっという間だった。
人生で数えるほどしか食べられない高級料理を食す際、一口一口噛みしめて味わうように、勇次郎の言葉を堪能していた。
「あ、ありがとうございました範馬師匠!」
「"地上最強の弟子"ケンイチよ、師匠命令だ。光成が催す大会で、獅子に化けてこい」
頭を下げるケンイチに対して背を向け、振り返ること無くそう呟くと勇次郎は障子の外へ去っていく。
と同時に部屋の空気が弛緩した様な感覚を覚え、ケンイチが脱力する。
「ふう、緊張した。僕は地上最強の生物とずっと言葉をかわしていたのか……」
抜け落ちていく興奮と高揚感の余韻に浸りながらも、ケンイチはハッと我に返り光成の方へ駆け寄る。
「徳川さん、ありがとうございます! 最高のご褒美でした! それと、ご褒美ついでにお願いがあります」
真剣な表情で頼み事をするケンイチの言葉を光成は聞き届け、そして人を食ったようないつもの笑顔で宙を見上げる。
「いつかは頼まれると思っとったが、案外遅かったのお。さてどうしたものかの……」
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「もう届いたよ、本当に便利な世の中なんだな今は」
光成邸から帰った後、梢江に教えてもらいインターネットショッピングでケンイチが注文した商品は、翌日には松本家に特急便で届いていた。
ダンボールで無駄に厳重な包装をされた荷をトレーニングルームに運び込み、中身を取り出す。
PC専用メーカー製の安価なデスクトップパソコン一式と、今流行りの格安タブレットだ。
現代っ子だけあってケンイチは手早く端末のセットアップを済ませ、松本家に通っているwifiに繋げる。
「さあ、見るぞ……」
意を決して、光成に頼み込んで貸してもらった一枚のDVDをパソコンにセットして中身を再生する。モニタに映し出されたのは――
『最高だ――最高の夜だ』
『君たちのいる場所は三千年前に通過しているッッ!』
『兄さん これ……最後の技です』
地下闘技場で行われた有名な試合、その全てを記録した映像だった。
「す、すごい……」
実戦の映像、それは見る側にとっては武術家の奥義や技の宝庫であり、撮られる側とっては、己の生命線や弱点を曝け出す危険なものである。
「このDVDの存在を誰にも明かしてはいけない。発覚した場合は全ての責任を負うこと」
を条件に光成から貸してもらった、秘中の秘のアイテムだった。だがこうでもしなければ、今度の大会で勝ち上がることは困難だ。それほどまでにケンイチも追い詰められていた。
「人の試合を映像で見て学ぶのなんて、初めてだよなあ……」
こうして見ていると、自分に習える技とそうでない技の違いがよくわかる。
たとえば、ジャック・ハンマーの噛み付き攻撃。これはケンイチの咬筋力ではとてもじゃないが再現できない。
そして、渋川剛気の合気道。練習するにはあまりにも時間が短すぎる。
自分のスペックの範囲内て、なおかつ大会までに習得でき、なおかつ実戦で通用しそうな技、それを手に入れなければ翔には絶対に勝てないだろう。
「見つけた……この地下闘技場で使われた『3つの技』に絞って、重点的に練習しよう。そして、僕が今まで手に入れた技も昇華させなければならない!」
この世界に来てからは、肉体トレーニングと既存技の稽古をしていたので、身体能力的な練磨度合いで言えば元いた世界の時よりも鍛えられている。
だが、梁山泊で行っていた技の修行は全くしてなかったのでこちらは完全に停滞していたのだ。まずはその遅れを取り戻さなければならない。そのためにケンイチはまず、以下のトレーニングプランを自分で打ち立てた。
DVDで技を見る→タブレットで技を練習している所を撮影する→DVDとタブレットを同時に再生し、フォームのズレを確認する→最初に戻る
このルーチンをAとし、イメージトレーニングに徹底した瞑想時間をB、そしてトレーニングから完全に外れた勉強や遊びなどの自由時間をCとする。
Aを15分、Bを5分、Cを10分の30分ローテーションを12回繰り返し、1日6時間の技のトレーニングを行う。
学校には光成の口添えで特別休学をもらっているので、毎日繰り返すことができる。大会まであと一ヶ月、180時間の技の修行時間を確保できたことになる。これなら光明が見えてきた。
「範馬師匠は『文明の利器』を駆使しろ、使えるものは何でも使えと言っていた。
梁山泊の師匠がつきっきりで技を教えられない今、DVDとタブレットのカメラが僕の師匠だ!」
フォームが間違っていても、気の運用がデタラメでも、誰も指摘してくれる相手はない。
ひたすら物言わぬ機械と協力して技を開発する孤独な時間。しかしケンイチは、師匠の手から離れ独り立ちしようとしている自分に、そしてこの時間に悪い気はしなかった。
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拳銃を放ったような炸裂音が、神心会本館の第一修練場に響き渡る。およそ格闘技の稽古場には相応しくない音であるが、武術家の手によって紛れもなく素手で放たれた技によるものである。
技を放った張本人、愚地翔が満足そうな表情で構えを解き顔の汗を拭う。
「どーよ。克己兄貴のマッハ突き、練習で成功させられるようになってきたぜ」
足の親指2箇所から生まれたエネルギーを全身10箇所の関節を経由し徐々に加速させてゆき、最終到達点の拳に至る時にはマッハを超える。自身の代名詞でもある『音速拳』を再現された愚地克己は、悔しがる素振りも見せずに穏やかな笑顔のまま、それに応じる。
「翔、マッハ突きを一週間でそこまで磨き上げるとは大したものだ。
だがな……範馬刃牙はそのマッハ突きを見たその日に再現し、実戦の場で使用したぞ」
その言葉を聞いた翔は目を丸くさせながら、ヒュウと口笛を吹く。
「へーっ、噂には聞いてたけどやっぱヤバいね範馬一族! 本当に人間かよ? 異星人かなんかじゃねーの?」
「そう萎縮するな。あの一族が異常過ぎるだけでお前も十分――」
克己が自分なりにしようとしたフォローは、
"パヒュンッ"
修練場を突き抜け周辺のビルにまで響き渡る、先程よりも大きな炸裂音にかき消される。
「俺もいきなりこいつから練習したからなあ、やっぱり土台から少しずつやんなきゃダメだね」
初期型のマッハ突きの原理に指関節の加速、そして人体最重量部位の頭部の重量を乗せ、師である人越拳から学んだ螺旋式の貫手を翔が放っていた。
「ッッ……!」
(マッハ突き第二段階……そのサーベルマッハにねじりを加えた"サーベルねじりマッハ"ッッ!? まさか、独学で思いついたというのか!?)
思いついたとしても、その習得難易度はマッハ突きは勿論、サーベルマッハをも超える。それを誰にも教わらずにたった一週間は、範馬刃牙でも出来るかわからない。
(親父がどこからか連れてきた時から思っていたが……こいつ底が見えない! もしかしたら、翔はピクルや武蔵と同じく、闘いの神によって送り込まれた、範馬一族に並びうる存在なのか!?)
そして――大会の日が迫る。
勇次郎書きたくてしょうがなかったのに
いざ肝心の勇次郎書こうとしたら俺の力で描写できるかわかんなくなって真っ白になって草
書くこと纏まったけど勉強サボッてたから次の更新は1ヶ月後くらいかなあ
週2週3で更新できる人達やばない?