無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
--- 知らぬが仏 ---
帝国の魔術研究は元首の直接指示によって短い期間で多くの成果を上げた。
その1つが冒険者カードにも使われる龍族由来の自動書記機能と
これによって内容が運任せではあるものの、魔力を通し続けるだけで世界の情報を手に入れる事ができる。
「む?」
この日、1篇の報告書に目を通した老人が驚きに満ちた声を上げる。
場所は彼専用の執務室ではなく、天井へと大きな装置の伸びる謁見室に似た場所。
部屋には彼一人。
声を聴き、反応する者はいない。
老人が報告書を袖机に置き、目の前の装置の覗き眼鏡に顔を押し付ける。
「これか」
目当てのものを探し当てた老人の声には僅かに歓喜に近い感情が乗っていた。
そして目を離すと報告書の余白に何かを書き連ねる。
「緑星だったはずのものが急に白く、大きくなった。
そのような事が……。
いや、気のせいではあるまいな」
老人が再び覗き眼鏡に顔を押し付ける。
装置に目を向けたまま、ダイヤルをいくつか回しつつ呟く。
「これでは予測も大幅に逸れような」
次第に声のトーンに含まれる興奮の度合いが上昇する。
「新たに生まれたのとも違う。
同じ星がこのように変化するのは、観測し始めてからこれが最初の1件」
老人が装置と横に置かれた作業台の間で幾度か視線を往復させる。
「早急な是正は勿論おこなうとして、まず検討すべきはその原因。
予兆すら我が力に映らぬとは。
龍の神子の細工か?
ならば何の為?」
疑問を口にしてもその顔には納得が浮かばない。
手はさらさらと走り書きを続ける。
しばらくして、文字の書き始めでその手が止まると、
「なるほど。
あの道化が」
その時、老人の顔がはっきりと鋭い笑みに彩られた。
-- アン視点 --
私が知る水神レイダ・リィア。またの名をイゾルテ・クルーエル。
いま、彼女は私が知るよりずっと年若く、おそらく水聖という立場にある。
その彼女が壁際で成り行きを見守る立場にいる。
私が生まれる前の水神レイダ・リィア。
イゾルテの祖母であり、未だ現世においては存命のはずの者は道場を留守にしている。
代わりに私と対峙するは前世で出会えなかった者。
当代の水帝。サンドラ・ドラゴ・カステッポなる人物。
打ち込んだ『光の太刀』が流され、ほぼ同時に木刀の切っ先が私の髪を撫で斬る。
受け流しからカウンターに転じるまでの速度がおそろしく速く鋭い。
まるで自分の『光の太刀』そのものをカウンターとして受けた感覚。
ただしそれは種の明けた手品。
前提として、この水帝剣士は自在に『光の太刀』を放てる訳ではない。
あくまで相手の攻撃の運動エネルギーを利用してカウンターとして打つことができるのみ。
そのためには攻撃を受け止めて運動エネルギーを吸収し、相手に返す。
変換率にしておよそ8割3分、そこに自身の腕力を足して10割のカウンターを返す。
私が攻撃を避けられたのは水帝が変換率を重視して、こちらを無防備にするための闘気による関節封じをしなかったから。
初撃で手合いが終わるのを避けようと、出来るにもかかわらずしなかった可能性。
いや、この感触は出来なかった方が正解か。
そんな気がする。
実力差は確実にある。彼女が帝級であるのなら、私はそれよりも1ランク下の王級くらいだろう。
ただし、彼女の持つ黒い剣は彼女の体型や鍛錬した型に合っていない。
そのせいで咄嗟の対応では1ランク劣り、私と五分になった。
そんなところだろう。
そして、あれは超高温高圧下で生成した人工鉱物『ルード鋼』を使ったルード剣。
サブマスターが資金繰りのためにばら撒き、水神流道場の高段者にも加工品が配られた物。
ルード剣では水帝の闘気のリソースが剣の強化に使われても、この勝負形式ではリソースの無駄になる。
それ故の拮抗。
ならば、この強さ/弱さは現世のサブマスターに関わった物。
そうと知れば、あと少しだけ本気で挑む価値が見いだせる。
ここに来た目的ははっきりしている。
旅の後に格上との実戦で苦労するシルフィが何かヒントを見い出す為。
目的だけを考えるなら、私は水帝に勝たなくても良い。
今この瞬間、私は彼女に負けてもなんら問題はない。
しかし、だ。
シルフィがサブマスターの齎した苦難に挑む運命にあるのなら、その一端を私は手助けしよう。
彼女が白奥様となる可能性をわずかでも残せるように。
なればこそ。
闘気の練り方を変える。
合成魔術の要領で、複数種の闘気を同時に練り込み、バラバラにならないように慎重に混ぜ込み合一する。
『受け流し』、『緩急』、『頑健』、『高・生命力』。
今回は4つを以て、先程と全く同方向、同速、同タイミングの一撃で迫る。
水帝は手を抜いていないし、手を抜かない。
だからこそ先と完全に同じ対処を始め、彼女の右足が半歩前へ出ようとする。
そこへ左手袖に潜ませていた
僅かな"足さばき"の乱れを生み出す。
互いの剣が噛み合う。
その寸前。
作りだした"乱れ"では
こちらが別の意図を持つように、相手も異なる意図を持つのは必然。
一気に噴き出す焦燥感が示すモノ。
水帝は『流』で受け止めようとしていない。
『流』で受け止めると思わせておいての、『流』で受けるのを知っている者の意表を突く攻撃。
攻め手の『入り』へすれ違いざまになるカウンター!
咄嗟に自らの剣の軌道に身体を滑り込ませて、水帝の突きを躱す。
水帝は突きを半ばで停止させて剣の腹、手元近くでこちらの剣を受け止める。
剣同士が打ち合ったとは思えない、ぬるりとした嫌な手応え。
威力の半分以上が流されている。そしてもう半分は抜き取られた。
思考は正しく、水帝の腕がこちらの威力の分を足し合わせた速さで動き、脳天割りの如き神速剣を打ち下ろす。
一撃に対し2度のカウンター。
完全に回避できないと悟り、闘気を固めていた肩口でこれを受ける。
『頑健』なる闘気で圧に耐えている内に『受け流し』が作用し、剣を振り抜きながらの飛び込みは崩されない。
互いに振り抜きあったはずの剣。
水帝はこちらの1度の行動中に2回の連撃を繰り出した。
それなのに。
こちらを叩いた剣を手の中で回転させ、死角から柄頭を使って背中へと打ち付けたか。
前方へと倒れながら、その意味するところを理解する。
攻撃の『終り』へ3度目となるカウンター。
これは水神流・第弐の奥義『
歓声と驚嘆。
低位の者は水帝の勝利に、高位の者は水帝が振るった奥義に声を漏らす。
「参りました」
うつ伏せの状態から仰向けへと身体を動かしつつ、立ち上がらぬままにそう応える。
水帝は1つ頷きながら、
「闘気を操る技術は一流。
根底には水神流があるようにみえるが、三大流派ではないとお見受けした」
たった2度の剣合で、驚くほどに手の内が剥かれていく。
「えぇ。
昔、旅の冒険者から手ほどきを受けまして」
「その者の名は?」
「水聖を名乗っていたとだけ。
約定によりその者の名と流派はご容赦を」
「そうか……」
水帝も剣を教える者として悩みがあるのだろう。
なんて思っていると。
「新たな剣士、未だ見ぬ強豪。
流派すら。
凄まじい時代が来ている」
水帝は呟き、しかし私は無言を貫き頭の中だけで想いを馳せる。
初代水神が言い伝え通りの魔法剣士だったのなら。
魔術を使わない者のためにアレンジされた現水神流の基礎理論と付与術師アルビレオが魔法剣士用に構築した戦闘理論。
どちらが初代の理論に近いのだろうか、と。
-- シルフィ視点 --
王立図書館で過ごした翌日、次の訪問先は水神流の道場だった。
初めての場所、初めてみる大勢の人々。
という状況にもいい加減耐性が付いて来たのだろうか。
体が動かなくなるほどの緊張感や喉の渇きは感じない。
余裕。
そう余裕が生まれてきている。
だからなのだろう。
リーリャさんが昔に実家の道場における鍛錬や作法について世間話のように話していたのを思い出す。
さて。
私が心の裡を整理しきった頃に丁度、状況が変化するのだろう雰囲気が道場の一部で湧きあがった。
ナンシーさんと道場の偉い人の間で手合いをやるらしい。
それも備え付けの木刀ではなく、互いに真剣で構えたというのは実戦形式でやるというのだろう。
道場生らが壁際に並ぶのに合わせて私も迷惑にならない場所に立つ。
何かを期待する空気の中、ナンシーさんは2度挑んだ末に倒された。
気を纏った上での敗北。
魔術と闘気が同じ気に由来すると謳う彼女にとって、魔術を使わない選択が手抜きの理由にはならない。
となれば相手の剣士はそれほどまでの強さというわけだ。
一瞬、その事実を受け入れそうになり、その不可思議さに目を擦る。
いや目を凝らす。
ナンシーさんと剣を交えていた人は間違いなく強者だ。
2度の剣合でナンシーさんが敗ける程の強者。
それを強者と認識できないのはとても危険な兆候に思える。
戦闘中の彼女の所作は"緩慢"で大した強さにみえなかった。
闘気網を使って王都で危険を察知して来たのはどれだけ正しかった?
全てが間違いだったかもしれない?
……
…………
いや、そんなことはない。
ナンシーさんの指示に従って検証した事が自信に繋がっている。
相手の視線や闘気網を使う方法には一定の効果がある。
ただ検証は完璧ではなく、感知をすり抜ける強者の存在を考慮できなかった。
それが悔しい。
力を隠す者の存在と、そういった者らの危険性や異常性をよく知っているという自負。
彼らのようになりたくはないという願いは、そんなに安いものではない、はずなのに。
「シルフィ」
私が反省のために意識を内側に集中している間にナンシーさんが傍に立っていた。
「はい」
「次はあなたの番」
指で示されたのは先程、ナンシーさん自身が立っていた場所。
代わって私がそこへ立つと、道場生の人だかりからも1人の男が現れ出でる。
年は私と近いだろうか。
「よろしくお願いする」
「こちらこそ、お願いします」
相手から丁寧に挨拶され、返すと相手が構える。
私も遅れずそれに倣った。
水神流の鍛錬でよくパウロさんが付き合ってくれたのを思い出す。
けれど今度は水神流を相手にするのだからイメージするのは元師匠の方。
闘気を纏いて振るう剣。
にしても、やる事は同じ。
相手の意図を
防御を崩すために体勢を崩す。
そのために距離を見誤らせ、攻撃の種類を見誤らせ、上下左右前後を見誤らせ、パターンを見誤らせる。
水神流の剣士は防御に徹するのが定石。
昔の私もそうしたし、現在進行中で対面している者もそうだ。
もし彼が私と同じ程度の強さなら、狙うのは私の全力撃。
それを受けて『流』にて返そうと待っている。
攻防のバランスが攻に偏ったとき、防は疎かになりカウンターが決まると考えるはずだから。
その読みを如何にして外すか。
対して相手は惑わされずに読みを的中させ続けなければならない。
最も避けにくい形の剣を胴めがけて右から横薙ぐ。
北神流ならしゃがみ回避の可能性もあるけれど、水神流は体勢を自分から崩さないだろう。
だから、ほら。
左へと身体を逃がしつつ、剣を軌道に挟み込んで弾き返してきた。
身体全体の関節、特に手首の返し方は私より優れているかもしれない。
水神流の尺度ではおそらく格上。
なら、闘気を使っての攻防もイケる気がする。
そう理解しながら、振り抜いた後の体勢が整うように自分も右へと身体を動かして相手を正面に保つ。
今度は左から右へ横薙ぎながら、身体と剣に闘気を纏わせていく。
続けて唐竹割り、袈裟斬り、左斬り上げと打ち込み、逆袈裟へと至るため接近する瞬間。
治癒魔術のときの、闘気を学ぶために盗み見たときのような。
見えている風景から色が抜け落ちて闘気・魔力・それらになる前の気だけが際立つ。
これは、
――こちらの力を利用できるように体内の気を操作。
――集め、練り、纏い、一部を剣に。
逆袈裟の剣を相手が受け流す。
その様は先程から何度も見た光景。
――けれども、こちらの闘気が相手の闘気を剣の半ばまで押し込むのが見える。
――いや。押し込むのとは違う。
――相手の闘気はこちらの押し込みに逆らわなかった。
――その直後、こちらの剣に絡みつこうとする相手の闘気の勢いがそれを正しいと示す。
――『流』が来る!
肉体的な回避はもう間に合わない。
男の剣がこちらの剣の峰へと回り込み、絡み合って2つの剣を一体とする。
振り切ろうとする剣が私に牙をむく。
たったそれだけで自縄自縛に陥る上半身。
手首、肘、肩の各関節に逆関節を極められたように身動きが取れず、相手が木刀の切っ先を振れば吹き飛ばされるのは必至。
まさにその瞬間が訪れるまでの刹那。
それでも私は諦めず、相手の闘気と自分の闘気糸を絡めて激流を分散するように試みた。
苦し紛れの行動がどう作用したのか。
相手の切っ先の動きは鈍り、力の流出を生み、『流』を不完全にした。
肉体は僅かに浮き上がったものの、両手で持っていた剣を左手だけの片手持ちへと切り替えて両手で円を描いての後方着地。
踏み込んでの右横薙ぎ、一閃。
勝利を確信した男の表情が自身の左脇に当たっている木刀を見下ろしたことで驚愕へと変わる。
「勝者、シルフィエット・ドラゴンロード!」
裁定の声が響いたので構えを解いて一礼。
元の位置へと歩きだす。
私の後ろでは「『流』が完全にはいったのに……」と男の無念そうな声が聞こえ、「ヴィクトール、下がるんだ」と他の道場生の声が飛んでいた。
その日の夜。
「それは闘気使い特有の誤認識。
いわゆるスローハンドという現象」
「妄想とは違います、よね?」
私の言葉にナンシーさんは首を横に揺らす。
「まずは基本から。
私達の肉体には通常動作と緊急動作という2つのモードがあると考えて。
肉体をケガ無く動作させるには通常動作が望ましく、勝手に緊急動作しないように
けれど命の危険があるような状況では、安全装置は解除されて緊急動作が出来るようになり、普段より早く動いたり、強い力を発揮したり、多くの物事を咄嗟に処理できたりする。
緊急動作を長く続けると筋肉や靭帯の断裂、脳の障害が起きてしまうから安全装置も必要な機能ではあるのだけれどね」
まずは基本。
ナンシーさんは口癖のようにそう語る。
「そんな基本的能力の上で、私達は闘気を使う。
闘気は耐久力、筋力、柔軟性といった面で肉体を強化する。
そこに疑問が生じる」
「ええと」と時間を稼ぎながら、今の話を整理する。
「安全装置のせいで新しく得た力が十分に発揮できなくなるとか?」
「正解。
でもそうならないのは?」
「安全装置の閾値も闘気によって変化している、から」
「そう、そして安全装置はどこにあるか。
それは私達の肉体を司る脳にある、と考えて良いでしょうね」
つまり、闘気によって脳の機能も強化されるという事。
「安全装置以外にも、脳の強化による影響は色々とあるのだけれど。
そうね。完全に足だけに闘気を纏って走ったシルフィにも判るものがある」
そのヒントで今更ながらにピンとくる。
あのとき真っ直ぐに走ろうと思った瞬間に身体は信じられない早さで動き、いつのまにか野原を駆け抜けていた。
でも全身を闘気で纏えば、その動きを制御するために思考を行うことができる。
つまり一瞬に一度の判断回数が一瞬に数度の判断回数に増加するようになるわけだ。
「思考回数や時間感覚に変化が生まれると思います」
私が自分の中で納得した様子をみてナンシーさんは1つ頷き、
「そう。
それを分解能の強化、と私は呼ぶ事にしている。
人は凡そ、単純な命令10から20個を一瞬で処理できるとされているわ。
そして分解能が強化されて命令が2倍処理できるようになると、逆に時間が遅く進むように感じるの」
今のナンシーさんの言葉は理解がやや難しい。
もっと簡単に言うと、人の時間感覚は脳の分解能が基準になっている。
そういう事実を意味している気がする。
「もしかして闘気使いでも安全装置を解除する事により、信じられない力を発揮できるのでしょうか?」
「出来るわ。
そもそも安全装置には安全マージンが設定されている。
これを鍛錬によってぎりぎりまで解放することが聖級以上の力の違いの要因の1つになる」
要因の1つ。
おそらく他の要因もある。
例えばそれは気の練り方。
魔力の練り方によって魔術に違いがあるように、気の練り方によっても強化結果は変わって来るはず。
「話を戻しましょう。
脳が肉体を制御しているという関係性から判る通り、分解能による時間認識は運動性能を上回っているわ。
それのせいで起きるのが」
「スローハンド」
私の言葉にナンシーさんは大きく頷く。
「命の危機を感じさせるほどの脅威が現れたとき、安全装置は解除される。
そして分解能は限界ぎりぎりに上昇もしくは緊急モードへと至り、結果的に時間の進行速度を遅らせるのだけれど。
一方で肉体の運動性能強化は追いつかず、思考だけが加速した状態が出来てしまうの」
--
道場と図書館を交互に通い、また新たに知識を得た。
たとえば朝の図書館は職員のみで午後を過ぎた頃に貴族の子女やどこかの魔術師、その他の利用者が訪れる。
たとえば朝の道場は警護騎士として王宮や王都内の巡回を行っている者の鍛錬場であり、昼からは世界中の同流派道場から腕に覚えのある者達が紹介状を携えて切磋琢磨する。
そういう訳で図書館に行く日は昼に冒険者活動を、道場に通う日は午前中に冒険者活動をという生活スタイルをとるようになったのだけど。
10日目にして道場は静寂の中にあった。
いずれは道場主であったり、出身道場の跡継ぎになるため熱心に汗水を流そうとする者らの姿が影も形もない。
外にある水場にも人の姿はなく、どうやら何かの理由で出払っているらしいのは判る。
事件だろうか。それとも何かの催し事か。
一人で鍛錬するならわざわざ此処でなくても良い、そう判断して帰ろうと思った矢先。
道場に隣接する屋敷から何かの声音がした。
あそこは水神直系が住む場所だったはず。
――そこに誰かがいる。
"空き巣?"と考えた後、空き巣なら声を上げたりしないと考え直す。
それに強者が集うこの場所の一番近い場所で大それたことをしでかす者が居るのなら、相当な胆力の持ち主だ。
割と質素に見える屋敷でも、鍛錬以外の世話をする家政婦が雇われていると考えた方が現実的。
なら、その者に事情を聴いてから帰る。
などと思い至り、屋敷の敷居を跨いだ後に闘気糸を伸ばして屋内を探索。
玄関、応接室、客室、執務室らしき部屋、食堂。
これらに人の気配はない。
ただし、食堂近くにある調理場の暖炉には温もりがある。
そうこうしている内に前方四方に伸ばした糸からの感覚が、奥まった部屋に居る何者かの存在を伝えてくる。
どうやら調理場から外へ一旦出ると、飛び石に方向づけられた先に離れがあるらしい。
離れには細い渡り廊下があり、書斎と住人や家政婦の居室らしき部屋がいくつか。
その中に3人が集まった部屋が1つだけ。
気配を消しているようには思えない。
糸から伝わってくる動きの感じからして、どうやらただの住人。
ならばと、部屋の扉をノック。
「はい、どなた……?」
そう言って出て来たのはその服装から家の家政婦だろう。
「道場に誰もいなくて」
「あぁ、外来の方。
今日は兵士の皆さんとの訓練会で。
手すきの道場生は皆さん出払っていますよ」
簡潔で間違えようのない事情説明。
外部生の上、毎日来る訳でもない自分には予定の展開がなされなかったらしい。
「それから、ここは道場生の立ち入りを禁じている場所ですので……」
と、扉の先にいるもう1人の家政婦が話す。
そこへ、「イゾルテさん?」という第3の声が部屋の奥で小さく鳴った。
「どうやら外来の方のようです」
と最初に応答した家政婦が扉の死角になっている場所にいるであろう者へと応える。
「あら、その方って最近来たとても強い女の子でしょう?
イゾルテさんがそうお話ししていたから、私もお会いしたいと思っていましたの」
その声に家政婦2人が顔を向け合って……。
「折角ですからどうぞ」と、なぜか部屋へと通された。
奥には私よりは幾分、年嵩の少女がベッドに腰かけている。
「さぁ、こちらに。
座って座って」
そして向けられた椅子に座ってしまう。
「まずは名乗らなきゃね。
私はトリス。
訳あってここに居候しているのだけれど、あまり詳しい事情が話せなくて」
「トリス様、駄目ですよ」と家政婦がやんわりとたしなめる。
様付けで呼ばれるということはどこかの貴族だろうか。
「あぁそうね。ごめんなさい。
内緒にしていただけると助かるわ」
「私はシルフィ。
内緒というなら、口外しませんのでご安心を」
「良かった!」
事情を少し想像しようとしていたけれど、こう言われたら止めるべきだろう。
それ以上の詮索への興味を頭から締め出し、私の心が平坦になるのに数秒。
それを見越したように、
「それでイゾルテさんと良い勝負をしたのよね!」
とトリスさんは笑顔を見せる。
「あれは……どうなんでしょう?」
挑んでくる水聖を1人ずつ倒していった私の前に最後に立ちはだかったのはイゾルテ・クルーエルと名乗る剣士だった。
彼女の技はそれまでの相手らと一味違って闘気は硬く圧縮されており、それでいて動きは小さく滑らかだった。
そのせいで『流』の予兆を捉え損ね、天井近くまで投げ出されてしまった私。
バランスを回復しようと姿勢制御をした結果、運よく足が天井板についた。
そこを蹴って反転し、着地しつつの苦し紛れな一撃を返せたに過ぎない。
その一撃もあえなく受け流されている。
水神流の手合いのルールにおいて、防御を崩せなければ攻め手の負けだ。
そして私が彼女のカウンターの予兆を捉えられるようになったとしても、今の返しの速度では遅すぎて防御されるのがオチ。
私の負けは覆らない。
勝つためにはより速い剣を放つことも求められる。
それは途方もないほどの鍛錬と研究を必要とするだろう。
などと応答なしに黙って考えていると、
「もぉじれったいわね。
とにかくイゾルテさんは強くて、その強い人があなたを認めてるの」
なんて言葉を投げられる。
腕っぷしが強いというのは人を痛めつけたり殺したりする才能に優れているというだけだ。
それを御し、正しい目的のために使う精神性こそが褒められるべき、と私は思って止まない。
だけれど、そんな思いを会ったばかりのトリスさんにぶつける気になれない。
「えっと、まぁその。
光栄、ですね」
なんとか返事を返し、笑顔を大盛で乗せてみるも。
トリスさんは厳しい目つきで黙ってしまった。
どうしようか、と固まっている私に、
「余りにも嘘が下手だわ」
と独り言ちたトリスさんは肩をすくめる。
「えへへ」と笑って誤魔化そうとするも、
「褒めてない」
ときつい指摘を受け、どうしようもない気持ちで「すみません」と謝る。
しかし許しの言葉は紡がれず、真剣な眼差しで見つめられて、
「人に認められる事が嬉しくないのね」
とトリスさんは判った風に告げてくる。
でも、少し違う。
「人に認められるために強くなりたい訳ではないですから」
「なら、あなたは何のために強くなるの?」
「何のためと言われたら、旅するためですかね」
「それじゃぁ王都のご出身ですのね」
「いえ、フィットア領ブエナ村です」
「では王都アルスまでもう旅に来てるでしょうに、なんて無粋ね。
国を出て、もっとずっと遠くに行く予定かしら」
「王都で見聞を広めて、それから決めようかと」
「そう……羨ましいな」
最後の独白の声には余りにも実感がこもっていた。
2人の家政婦もきまり悪そうな表情を浮かべる。
軽々なフォローができなさそうな雰囲気に、私も押し黙ると、
「そろそろお嬢様、休憩されたほうが」
と家政婦が促し、その日の出会いは幕を閉じた。
--
図書館での情報収集を挟んでまた私は道場に顔を出す。
イゾルテさんから手合いを申し込まれ、相手をするも、やはり一手届かない。
攻撃は凌がれ、息が続かなくなったところで負けを認める。
何と言うか、彼女の闘気には弾力がある、気がする。
汗を拭きに水場へ。
私だけでは男の道場生は少し空間をあけるだけだったものの、遅れてイゾルテさんがやってくると空気を読んで退散していく。
「離れに行ったのね」
濡らした手拭で自身の身体を拭きながら、そう言うのは当然イゾルテさん。
「誰もいないと思って帰ろうとしたら、お屋敷の方で声がしたものですから。
事情だけでも知りたくて。
でも何か気にする言葉を言ってしまったみたい」
「大丈夫。
本人が全く気にしてなかったわ」
「そうですか」
「良かったらトリスとまたお話ししてくれる?」
「王都に居るのは残り僅かだと思いますけど、それで良ければ」
「約束よ。
お願いね?」
道場に戻って数人と手合いをし、身だしなみを整えてから約束通り離れへと向かう。
ノックして部屋に入ると、トリスとイゾルテが待っていた。
「いらっしゃい。シルフィさん」
「こんにちは」
イゾルテとはもう顔を合わしているため、目で合図するだけ。
彼女はすかさず、私のための椅子を用意していた。
「さて、今日はこれの話をしたいと思うの。
読んだ事は……なさそうね」
そういってトリスさんが差し出したのは見覚えのない1冊の本。
「これは?」
「ここ数年、王都を賑わせている大ベストセラーよ。
ラノア魔法大学の初等科でも読み書き教育用として採用されてるとか」
表紙には『ルーディアン物語』とある。
ルーディアン……?
その文字列に強烈に嫌な予感を抱きつつ、最初の数ページをめくると憶えのある物語がちらほら。
妹ちゃん達に読んで聞かせたものと同一の内容。
パウロさんの家に元々あったものか。家庭教師に貰ったものか。
私は知らなかったけれど、世の中に広く知れ渡っている物語なのだろう。
大ベストセラーといっても全てが新作とは限らないのだから。
「本を読む機会すら無かった私にこの本は新鮮でした」
横ではトリスさんがイゾルテさんに話すという形で本の紹介を始める、らしい。
「あなたがあんまり興奮した様子だから読んでみたけれど。
最初の数話から受けた印象はどこにでもありそうなものに見えたわ」
「でも読み進めて行くうちに何か、不思議な意図があると思える箇所がある」
「あなたがいつも言っている『真証の声』でしょう?」
聞き飽きているのかイゾルテさんは言い当てる。
それに大きくトリスさんが頷き正解だと体現してから、口を開く。
「村で起きた殺人事件を捜査する騎士の活躍が描かれているこのお話。
嘘を吐く人の心理や意図が暴露されるだけなら、平凡な推理小説だったでしょう」
「でも、この物語は違うわね」
「ええ。
登場する容疑者・証言者は皆、自分こそが殺人犯だと嘘を吐くため話が矛盾します。
だから主人公はその嘘を暴こうとしますが、どうしても事件の真相は見えてこずに物語は終わってしまう」
「読者が主人公の目線を追体験しても、この物語が何なのかは見えてこない。
でもタイトルに着目すれば」
「はい。
『偽証』ではなく『真証』というところがポイントなのです。
つまり私達の感覚、特に相手を疑ってかかるときは嘘に注目しがちという事を物語形式で伝えているのだと思います。
でも実際は人が言葉を発するとき、それが真実であれ嘘であれどちらにせよ心理と意図の発露が表れている」
「それに気付いてからだわ。
これに書かれている他の物語にも新しい発見があったわ」
「ルーデウスさまが本当にそのように意図したかは正直わかりません。
でも私がそのように理解するのは、私の中の心がそうさせたというのは間違いないのです」
ほぼネタバレの会話から少し意識を逸らして文字を追っていた意識の中に、するりとあの単語が染みてくる。
思わず顔をあげた私に、トリスさんが「どうかされまして?」と一言。
――いまルーデウスって言いましたか?
そう訊いてしまいたかったが、以前にナンシーさんが彼の名を出したときの記憶がそれを思いとどまらせる。
「すみません。
ちょっと気分が」
席を立ち、足早に宿へと帰った。
それでもじっとしてられなくて背嚢を背負って、部屋を出る。
宿の外でナンシーさんと鉢合い、「あら、シルフィ?」と声を掛けられて、でも何も話したくなくて。
私は闘気を纏った全速力でそのまま逃げてしまった。
区画を分ける壁すら越えて、それでもやり場のない気持ちは収まらずにいた。
-- トリスティーナ視点 --
帰ってしまったシルフィさん。
彼女の座っていた椅子の上に置かれた本。
突然の事に驚くイゾルテさんが、本をサイドテーブルへと戻しながら、
「何か急用でもあったのかしら?」
と不思議そうにする。
「イゾルテ」
「ん?」
「この前あの子と話した時、彼女はフィットア領ブエナ村の出と言っていましたよ」
フィットア領と聞いて「なら被災者なのね」とイゾルテは理解を示す。
けれど、私の伝えたい部分は違う。
「ブエナ村の場所をご存知ですか?」
イゾルテは肩を軽くすくめ、「フィットア領は奥まったところにあるし、ロア以外はよく知らなくて」とはにかんだ。
「調べてもらったところ、ブエナ村はロア近郊にある小さな村。
そこの常駐騎士がパウロ・グレイラットという者だそうです」
「パウロ?
それはルーデウス君の御父上の名だったと記憶しているのだけど」
「やはり彼女はルーデウスさまのお知り合いなのでしょう」
「まさかそれを確かめるのに本を引き合いに」
とイゾルテは何かに気付いたように言葉を詰まらせて、
「でもそうすると知り合いの名前を出された程度で今の態度?」
と別の疑問を優先させた。
「さぁて、どんな関係か。
彼の本の存在を知らない程度の関係性なら、もしかしたら転移災害の真犯人だと本気で思っているかもしれませんよ」
「嫌疑は審理の場で晴れたでしょう」
「
ルーデウスさまが真実を隠して上手く切り抜けた。
そう考えているとしたら」
「あの態度も得心できる訳ね」
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話し終え、イゾルテと家政婦らが部屋を出て行った後。
1人床に膝を着き、窓の外の暗闇に祈りを捧げる。
水神レイダ・リィア様、クルーエル家の皆様、ルーデウス・グレイラット様。
皆様への感謝を一心に込めて。
『悪夢から目覚めさせてくださって、ありがとう』
『快く屋敷に置いてくださって、ありがとう』
『暗い人生の生きがいを与えくださり、さらには狒々爺を王都から追い払ってくれて、ありがとう』
『助けて下さってありがとう』
祈り終え、今日の出来事について日記を付ける。
軟禁状態の1日で書ける内容は少ない。
書く事に困ったら『ルーディアン物語』の挿絵を妄想するのが日課となっている代物。
あの日までのページをめくり、読む。
絶望から目覚めるも、元の生活に戻れない。
始まった希望なき潜伏生活。
お父様がここに来ることもなし。
支えは一冊の本と語り合える同好の士の存在。
それとお世話をしてくれる家政婦2人。
長く続く日々が私に問いかける。
過酷な生活を送らねばならない理由。
どうして私が?
どこかに落ち度があったか。
中級貴族の家に生まれ、貴族の役割だけを果たせばあとは何不自由ない暮らしが待っていたはずの私。
無難にやれていたはず。
それなのに。
どうしてこんな苦しみを?
悪くない。
私は悪くない。
私は悪くないはずだ。
日記にはそんな叫びが渦巻いていく。
歳月をもって、いよいよ巨大な渦に成長を遂げていた怨嗟の念。
けれど、最近起きた一連の事件が自らの不足を知るきっかけとなった。
始まりはルーデウス様、逮捕の報。
憎きダリウスの手によるとあれば、間違いなくあの男の
一月の拘留と尋問。
斬首は目前に迫っていた。
いよいよ公開審理が執り行われ、同日、部屋に息せき切って現れたイゾルテ。
彼女が発した言葉に唖然としたことを覚えている。
ダリウス大臣の罷免、ルーデウス様の逆転勝利。
背負った運命と見合った努力、準備、計画が世間の知る処になる。
回避不能な災害を予知し、自らの商才を信じて復興費を稼ぐ。
領主を説得して住民の避難をぎりぎりで間に合わせる。
伏魔殿に住む悪鬼羅刹に目を付けられるのを承知し、これに反撃し得る人間関係を構築する。
物語に出てくる主人公もかくあらんだ。
けれども、いまや彼の物語は捻りなき物に映る。
ダリウスに苦しめられたという同類項にして分岐点。
物語における対比を如実に表すのは自らの落ち度に気付かず努力を惜しみ、与えられた運命に翻弄された者の末路だ。
まるで物語で痛い目を見る役割。
全てをト書きにしたなら、きっと私の物語も捻りなき物に映るに違いない。
当然の帰結。
この物語の要所は……人並の努力などという考え方は無意味という事だろう。
もし己の運命が己の望む物ではなかったときに備え、望む運命を企図し、見合った努力に邁進する。
そこに他人の介在する余地などないのだ。
つまり。
安らかな運命の元に生まれた者らが特段の努力もせず楽しく生きる。
それをいくら羨んでも私の人生は好転しない。
人にはそれぞれ異なる運命があり、見合った努力が求められるのだ。
お父様が、実の娘を売り渡さなければならなかったという道義的責任に今尚、苛まれているのも。
助けだされた娘を迎えに来れないのも。
運命であり、運命を覆せなかった本人の努力不足としか言いようがない。
かといって私の運命までもお父様が肩代わりする必要を私は感じない。
自分の運命が過酷なのは私の責任であるとともに、これからどう計画し努力するかは私の責任範囲なのだ。
人間関係こそが重要な社交界で、貴族の学校に通えなかった私にはもはや貴族としての役目は果たせそうにないけれども、貴族でない生き方ならば。
私はルーデウス様を見倣って、自らの才を開き、自分の人生を計画しよう。
その先で、私はお父様を赦す。
私の、私だけの計画だ。
決意を読み終え、新たな文言を追加する。
ごく最近。
新たな、私とは異なる物語に出会う機会を得た。
いつか生まれた村を離れ、広い世界を冒険し、自分の居場所を探す物語。
私には手にできない、自由で開かれた選択肢を羨ましく思ったのも束の間。
ルーデウス様の計画と努力によりそれが成立しているという事実を、彼女は理解していない。
可能であれば彼女とも思いを共有したくはあった。
本を読んでくれたなら、その願いは成就したかもしれない。
しかし、あの様子ではもう暫くは難しいだろう。
次回予告
街道を進む旅路。
その歩みは小さな掛け違いだったものを押し出し、
未来の扉を雪崩のように次々と開く。
まさに運命のドミノ倒しだ。
しかし制御不能の力は何も前だけに向かうものではない。
次回『逸話』
雪の下で埋もれていたはずの過去が顔を見せたのだ。