無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
---時は金なり、使い方に注意せよ---
俺とロキシーは両親達にロキシーの実家にも報告してくると告げた。だいたい1週間ほど新婚旅行も兼ねて留守にする予定だ。
そんな予定に対してパウロは忠告してくれた。
「言っておくが魔大陸までここから片道3年往復6年はかかるぞ。わかってるのか?」
「徒歩や馬車ならそうですね。でも僕にはペルギウス直伝の秘密の魔術があるので大丈夫ですよ。父さま」
「甲龍王の技が使えるのか、お前」
口には出さずともパウロの目は自分たちとは違う異形を見る目であった。
「そんな目で見るのは止してください。いつまでも僕は僕。父さまの息子ですよ」
6歳のときパウロにした言葉と同じニュアンス。転移事件があったせいで色々あって俺とパウロは少しずつ考えを改めつつあるはずだが、それでもすぐには変わらない部分もある。彼は気づくだろうか。
一方、ゼニスにはミリスに行った話をしたので移動手段があることを気付かせていた。だから驚かないのは想定済みだった。しかし、リーリャも驚かなかったことは何かを察してくれているのだと理解するしかなかった。それが何なのかはちょっと良くわからない。
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両親たちの説得が終わり、俺はロキシーを伴ってブエナ村地下室からアルス南支店に跳び、そこから結納品を買いに町の商店街を歩いている。王都の商店街はいつも賑やかで売っている商品も多種多様だ。アルスは転売でいろいろ歩いたし、買うべき物はなんとなく決まっている。それをどの店で買えば良いかも判る。ただし最短距離で向かうのは風情がないよな。ロキシーと歩く2人だけの時間を楽しみたい。彼女が欲しそうなものがあったら結婚祝いに買おう。そんな気持ちで歩いていた……
繋いでいた手を離すと、乱暴にならないようにロキシーの腕を引いて大通りから脇道に入る。
「どうしましたか?」
ロキシーは少し訝しげだ。
「誰かに追いかけられていますね」
「心当りは?」
「いろいろありすぎてわかりません」
「困りましたね」
俺はロキシーには世話になっている。命の恩人に何を隠すことがあろうか。
「ロキシー、少し目を瞑っているかこれからやることについて、しばらくは何も聞かないでいてくれますか?」
「判りました。何も聞きません」
彼女の同意を得て俺は背中の背嚢をずらすと、中から石板を取り出してバルバトス3体を召喚し、彼らには相克が起きないようにそれぞれ異なる命令をプログラムする。
「頼む」
俺が短く命じると、バルバトスA,B,Cがそれぞれ頷き、散って行った。それから路地裏の壁に2人でもたれて状況の変化を待つ。
「ロキシー、歩いていたとき追跡に気付かなかったようですが警戒はしていましたか?」
「普段通りにしていましたが、全く気付きませんでした」
「都会に来て浮かれていたという訳でも無さそうですね。なら彼らは北神流の追跡術を身に付けた者たちの可能性があります」
「ルディはどうして気付いたんですか?」
「空気が……変わりました」
「空気?」
「説明しにくいのですが剣士の間合いに入ったりこちらに意識が向けられると、それを空気が張り詰めたような雰囲気で嗅ぎ取れるようです。自分でも良く分かりません。最近訓練している水神流奥義と闘気の使い方が関係しているのではないかと思うのですが確信はありません」
「水神流奥義……剣術も相当に練習しているようですね」
「家族を守るためです」
「旦那さんは大変ですね」
「えぇ。最近、家族が増えましたからね」
良い雰囲気で見つめ合っていたが邪魔が入った。バルバトスAが路地の手前入り口から、バルバトスBが路地の奥から現れる。一瞬、気を緩めるロキシー。厳しい表情になる俺。そして空からバルバトスCが落ちてきて霧散すると共に、バルバトスAとBが膝から折れてその構造が分解する。バルバトスが分解すると路地の入口には剣士風の男が2人ずつ、こちらとの間合いを測っているのが見えた。が、一気には駆けてこない。
「上は何人ですか?」
俺の言葉に上を見上げるロキシー。まだ会話の余裕はある。
「少なくとも2人はいます」
「どうしましょうか。あまり王都で殺し合いをしたくはないのですが」
「捕まって新婚の妻が悪い男に
「判りました。では折衷案ということで、逃げましょう」
「それが良いとは思いますけど……でもどうやって?」
ロキシーに解決案は無さそうだった。
「ロキシーに名案がなければ僕の案で行きましょう」
おもむろにロキシーを重力操作によって素早くお姫様抱っこして腕の中に収める。以前、風呂場で同じことをしたからかロキシーから文句は出てこなかった。そしてそれを見た剣士たちは俺の両手が塞がり何かをすると感じたのか一気に間合いを詰めてきた。
「首に手を回してくれますか?」
お願いするとロキシーがちょっと恥ずかし気に手を回した。顔がキスできるほどに近づく。
「怖かったら目を瞑っていてくださ――――」
言い終わる前に土魔術をカタパルトにして斜め前方の空中へ砲弾のように飛んで行った。剣士達の包囲を抜けて、さらに通りの反対側の建物も通り越していく。もしかしたら北神流の剣を投げる攻撃があったかもしれないが一応物理障壁を展開していたし、それも追いつかない程に飛び出したので問題はなかっただろう。
アルスのどこまでも長く続く少し小さく見える街並みと人々。
その先にみえる水道橋と区画を分ける城壁。
青い空。
2人だけの世界。
風の暴れる音が耳の中で踊る。
自由落下が始まる。
『斥力』と『無重力』を使い『飛翔』に切り替えると、通りを2つ越えた先の建物の屋根に静かに降り立った。周囲に剣士の気配はない。胸元にあるロキシーの顔を覗き込むと、目を瞑ったままだ。
「ロキシー、もう大丈夫ですよ」
ロキシーにそう声をかけながら膝を折り、そっと彼女を地面に降ろす。降ろした後、立ち上がるとロキシーが口を開いた。
「今度、その魔術を教えてくれませんか?」
昔これを使ったときは乗せた相手から相当不満を言われた記憶がある。もしかしたらロキシーも怖がるかと心配したのだけど案外平気のようだ。良かった。
「教えるのは構いませんが、無詠唱が前提の部分はご自分でアレンジする必要があると思いますけどよろしいですか?」
「もちろん! 少し馬鹿にしてませんか?」
むしろ言い方が気に障ったらしい。
「いえいえ、そんなつもりは無かったのですが。すみません」
謝って、この件は終わりな雰囲気になった。それで手を繋いで歩き出そうとすると……ロキシーが歩き出さない。
「ロキシー?」
「少し待ってください」
そういうことか。意地っ張りな奥さんだこと。俺は結局ロキシーを無理やりおんぶしてその場を立ち去った。
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また何かに巻き込まれているようだが俺が知っている未来とは全く違う。転移事件の一報はそろそろアルスに伝わっている。ボレアス家が力を激減させたために上流貴族たちの権力争いが苛烈になり始める流れのはずだ。だが、その中でなぜ俺が狙われているかは思い当たる節がない。これまでは過去の記憶と照らし合わせて立ち回って来たが、今からは現状を分析していかなければならないということか。
とりあえずアルスは危険だ。そう判断した俺とロキシーは買い物を取り止め、用事だけさっさと済ませようと中級市民街の一端に用意された工房を訪れた。
そこで一人の人物が全体的に黒いが怪しい光を放つ剣を羊毛を使って拭いていた。それは砥石で磨いてから油を塗った後に行う剣のメンテナンス作業の工程だ。
「こんにちは、タルハンドさん」
「あぁ、ルーデウスか少し待っておれ」
彼は作業を止めず、しばらく剣を拭く作業を続けた。俺は勝手知ったる工房でロキシーに椅子を差し出し、タルハンドのために麦酒を用意する。背嚢から粉末の入った筒を取り出すと自分とロキシーの2人分のお茶を作り、彼女の前と自分の席の前に置く。
「ありがとうございます」
ロキシーが俺からお茶を受け取りながらそう答えると、タルハンドが彼女をじっと見ていた。ロキシーはお茶を受け取る前からタルハンドの作業の終りを見ていた。お茶を受け取るとき自然と視線は離れたが、受け取ってお茶を一口すすると当然視線は戻り、そしてガッチリ視線が合った。
「なにか?」
「いや、ルーデウスに同伴者がおることが初めてじゃったので少し驚いてしまっての。失礼なことをした。いや、そうじゃな……」
そこまで言うと、本格的に作業の手を休めて、ヨイッショと立ち上がったタルハンドが俺たちのいる作業台までやって来た。
「わしは厳しき大峰のタルハンド。よろしくな」
言葉を受けてロキシーも立ち上がった。
「昔、ルディの魔術の師匠をしていたロキシー・ミグルディアです。こちらこそよろしくお願いします」
タルハンドから差し出された手を握り、握手をするロキシー。挨拶が終わった2人はそのまま作業台の席に着いた。
「ミグルド族とはまた珍しい。会うのははじめてじゃわい」
「私は念話ができないので里を出ました。ただそれだけのことです」
「なるほどな」
タルハンドが1口麦酒に口を付けた後、今度は俺に向って話しかけた。
「ところで、フィットア領が大変なことになったと聞いておったが随分元気そうじゃの。儂は不景気な顔のお前さんしか知らんから少し奇妙に感じるがな」
「そうですね。しばらく前がピークでそれからは元気になりました」
「それは良かったのぅ。ならば、どちらかに決めたということか?」
そう言ってタルハンドはヒゲをしごきながらロキシーをちらっと見た。その視線を理解した俺は素直に話す。
「いえ、ご相談していた懸案事項は全く解決していないのですが、先生が来てくださって僕は安定しました」
「ふむ、エリナリーゼは何と言っておった?」
唐突に出てくる名前に驚いた。いや、前に酔っ払いながら恋愛相談をしたときにも名前は出て来ていたな。
「エリナリーゼさん? あぁ、たしかタルハンドさんや父たちと同じ黒狼の牙のメンバーですね。お会いしたことが無いのですが、その方が何か?」
「そうか。いや良いんじゃ。会っておらんのならそれまでの事じゃからの」
「タルハンドさんがよろしいのなら……。そろそろ剣の製作も大詰めだと思いまして今日お伺いしましたが、作業状況はどうですか?」
「それなら良いところに来たの。今終わるところじゃった」
「それはそれは。ならば、実家の方も落ち着きましたのでタルハンドさんの作業が終わり次第ここを引き払います。宜しければ父たちとギレーヌに会いにフィットア領に来てください」
「ええじゃろう。パウロには言いたいこともあるしな」
「それで出立の準備にどれくらい掛かりますか?」
「宿は引き払ってここに住んどったから数日で準備はできるが……なんじゃ?」
「実は先ほど北神流の剣士複数人に追いかけられました。ルード剣を造っていた我々は今の政情不安定なアルスでは危険な気がしています。可能であれば一緒にブエナ村に行きませんか?」
「こちらこそ頼むわい」
「では、6日後にお伺いしますので準備の方を頼みます」
そう言って俺とロキシーは工房を後にする。ルード商店アルス南支店に戻ると、少し早いが新婚旅行の1日目を終えた。今日はここで一晩過ごす。2人だけの時間は大事だ。
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少し予定が変わったが2日目はネットワーク経由でラノアに行き、結納品を買い求めた。ラノアの品揃えはアルスに劣るが物価が安いので量を買い込むことにしたのだ。
俺が持参した背嚢だけでは心許ないという言い訳から、最初に商業街の雑貨屋に立ち寄って荷物入れとなる手提げ鞄を買う。荷物入れごと実家に差し出すために実用品だ。
それをロキシーと俺2人分。空いた手同士を繋ぎながら歩いていく。
ある程度の買い物が済むとカフェに入り、休憩を取った。歩きながらもずっと世間話をしていたが、この休憩の際に何の気無しに口から出た疑問にロキシーが食いついた。
「そういえばロキシーは幾つの時から魔法大学に通っていたのですか?」
「ええと、28の時から7年間在籍していましたね」
「やはり、魔大陸から魔法大学までは遠いので随分と大人になってからの入学になるのですね」
別に変なことではない。魔法大学には年齢1桁の子供から百歳を超える者まで居るし、人種もさまざまだ。
「ルディはそんなことが気になるんですか?」
ロキシーも当然の疑問を口にする。
「いえ本当に聞きたかったことは、ロキシーの年齢です。そもそも聞いて良いことなのかわかりませんでしたので、少し遠回しな聞き方になってしまいすみません。言いたくなかったら秘密でも構いませんよ」
「あっ、そうですね。夫婦になったのに嫁の年齢を知らないというのもおかしな話だったかもしれません」
「ロキシーは見た目が若いのでそこまで気にしていません。ただ……前にも言った通り僕の寿命の方がずっと短いので、そこが心配です」
そこで納得してくれたロキシーは一度、頷くと、
「大学を卒業したのが10年前で、私は今年で44になります」
対面に座った俺にだけ聞こえるように小さな声で答えた。
「僕が生まれた年に卒業されたのですね。覚えやすいです。……ふと思ったのですけど、ロキシーの師匠で喧嘩別れしたというジーナス先生について話された時、『年齢が上なだけで威張ってはだめ』と言ってましたよね。でも、僕が感じたジーナス先生の印象を考えるにそこまで歳上に見えませんでした。人族で若作りにしても、まだ45歳くらいじゃないですか?」
「えっ!? つまり若作りではなく彼が年相応の見た目だったら幾つくらいだと思うんですか?」
「そうですね……30代後半か40代前半ではないかと」
「えーっ! ジーナスが同い年か年下、同い年か年下、同い年か年下……」
「まぁ可能性の話ですけどね」
前世で6年後に入学したときのジーナスは教頭で、見た目の印象は壮年といった感じだった。あのときが高く見積もって50くらいなら、今は44歳くらいとなる。50歳で教頭とは少し早い気もするが、そもそも天才を自負していたロキシーの師匠につくのだからジーナス自身も相当に優秀な魔術師と評価されていたのは想像に難くない。だからこそ、その若さで教頭に登り詰めるのだろう。やはり、ロキシーと同い年か年下ということが十分にあり得るのだ。年齢を聞いておかないとは本当にうっかり者の先生である。
そんなカフェの
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新婚旅行3日目、買い物は十分ということで俺とロキシーは沢山の結納品を持ってロキシーの実家へと赴く。それでラノア支店から転移ネットワークを使って魔大陸へと移動する。滞りなく魔大陸に到着すると、外の景色を見たロキシーがガタガタと突然怯えだした。
「ロキシー、どうしたんですか?」
「ルディ、ここはもしかして」
「リカリス南西にある山脈、その山の1つの中腹ですけど」
「な、なぜここに転移ネットワークを繋げたのですか?」
「なぜって……魔大陸でも魔力濃度が十分に濃くて、人が全く来ないし、それにここの魔物は良い素材を落とすので定期的に狩りをして資金稼ぎをしていました」
「ここは試練の山の1つのようです。魔王様たちのためにある神聖な場所なのですよ」
魔王のための神聖な場所……自己矛盾している気がする。それにロキシーは家庭教師時代にそのことについて教えてくれはしなかった。
「不味いのでしょうか」
「不味くはないでしょうが……危険な場所です。そもそも魔王様になるような強い魔族がこの山々に挑み、最も深い場所にあるダンジョンのさらに最深部に自生する苔を食すことでより強い力を得るというお話ですからね」
俺はそのダンジョンに心当たりがあったが、
「不味くないのでしたらよろしいでしょう。もう1年以上も運用していますけど問題はありません」
そんな会話をした後、俺とロキシーはスパルナに乗ってミグルド族の村から1時間という場所まで移動した。
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村の見張りはロキシーを見て驚いていた。久しぶりに帰って来た村民という立場に驚いたのか、はたまた念話が通じなかったからなのかは判らない。
「もしかしてあなたはロキシーさんですか?」
「あ、そうです」
ロキシーが肯定すると見張りはほんの少しの間、目を瞑ってからまた口を開いた。
「少しお待ちを」
結局ロカリーが来るまで待ち、ロカリーが念話で説明したのだろう、俺も含めて村に入ることを許されることになった。
「ごめんなさいね。ラックスはあなたが村を出てから生まれた子だから」
キューティクルがしっかりしそうな名前の見張りの男は、まだずっと若い者だったようだ。見た目で年齢が判らないってのはある意味で不便だな。ロキシーはなぜだか一言も発しなかった。ただいまとも言っていない。前世ではもっと感動的な対面だった気がするが、なんだろうか。
ロキシーの実家となる建物に3人で入るとそこにロインが立っていた。そこでようやくロキシーが口を開いた。
「ただいま、お父さん、お母さん」
「お帰り、ロキシー」
「お帰りなさい、ロキシー」
そういうと3人は抱き合って再会を喜び合った。しばらくぼんやり見ているとロインが俺に向く。
「君はロキシーの弟子の子だったね。約束通り娘を連れてきてくれてありがとう」
「いいえ、構いません。親子だけのお話もあるでしょうから僕は少し他の用事を済ませてきます。ロキシー、また後で」
俺は手荷物を部屋の壁際に置くと、村長の家を目指した。ロキシーは困惑した表情だった。それもそうだろう。結婚報告に来たはずだからな。俺もさっきまでそうだった。でも俺はロインとロカリーの態度を見て、その想いより先に為すべき事に気付いた。物事には順序がある。まずは再会を祝わなくては。そこに居合わせる部外者は無粋だ。
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時間を有効に使うべく俺は元々予定していた村長宅を訪れた。
「ルーデウスさん、だったかな? 久しぶりじゃな」
「はい、お久しぶりです。ロックス村長」
もう念話で話は通っているようだった。
「ロキシーを連れて来てくれるとは本当にありがとう」
「ロインさんともお約束したことですし、貴重な剣も頂いていますから当然のことです」
「しかし、以前ここに来たときとは随分と印象が違うのぅ。君のことを怪しいヤツだと思い込んでおったよ」
俺は1年前と口調を変えていない。なるべく紳士的に、同じような態度のはずだったが何かを見透かされていたようだ。
「お気になさらないでください。前回は少し気持ちの落ち込む事があって精神的に不安定でした。全ては私の不徳の致すところなのです」
「ふむ、まぁ詳しくは立ち入らないでおくのが良さそうじゃの。それで今回も香辛料の買い付けですかの」
そうロックスが促したので自然な形で取引を行った。ロックスは1袋につき緑鉱銭1枚で売りたいと言ってくれたが、この香辛料が家族に人気だったので以前と同様に緑鉱銭2枚で買い付けた。それを全部で3袋。良い土産になるだろう。
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村長宅を離れてロインの家の近くまで戻ってきたが、ロキシーの楽しそうに話す声が聞こえたので俺は中には入らずに壁にもたれて座り、村をボンヤリと眺めた。頭の後ろから聞こえてくる彼女の声を除けば、気持ち悪いくらいに静かな村だ。見た目も見すぼらしい者が多く、極貧の生活で寂れているように見える。でもよくよく見ると住人の顔は笑顔で溢れている。鍋を囲んでいる少女(女性?)達も仲良さそうにしている。俺が会話するミグルド族はだいたいロックスとロインとロカリーだが、彼らだってこの暮らしが辛いというような雰囲気ではない。
念話ができないロキシーにとっては居心地が悪かったとしても、念話ができればそれなりに居心地の良い村だというのが見て取れる。そのこと自体は前世でララを連れて結婚報告に来たときに考えたことだ。だが、現世で転移事件を避けられないかもしれないと思い、パウロやゼニスやリーリャのこれからを想像した頃、彼らの幸せについて考えた。もしかしてまたゼニスは不幸なことになるのではと想った。そして俺は、呪いで話せなくなり夢の中で一生を終える人生について想った。彼女がこの村で過ごしたらどうだったのだろうかという仮定に行きついた。
答えは出ない。ララと同じように嫌がっただろうと思うことはできる。俺にしたって家族と離れる選択肢を選ばなかっただろう。だが、ここで数日暮らしてみることで得るものが全く無かったとは言い切れない。ララ以外にも沢山の念話ができる人に囲まれることで、言葉を話したり、夢から覚めたりしたのではないか。そういう可能性だってあった。なぜ試さなかったのか。過ぎたことだし前世の俺では考えつかなかった。そして現世で転移事件の被害に家族は巻き込まれなかった。だが最近少し思うこともある。
昔、ロキシーが言っていた。『新しいものを生み出すのはいつも人族です』と。
昔、ナナホシが言っていた。『この世界の人間は考え方が凝り固まっている』と。
そう言った2人の置かれている状況は全く別のモノだったから、2人の言っていることが相反するモノだとは思わない。だがその特殊な状況に俺だけが当てはまる。俺は現世でも今のところ記憶力の良い方だと思っている。文字が書けるようになって直ぐに前前世と前世の記憶を書類にしたためてもある。それで油断している訳ではないが、最近の俺は前前世のことの記憶が曖昧だ。前世のことはそれよりは覚えている気がするが、すっぽり抜け落ちていることもあると思う。真面目に覚えようとしていなかったとはいえ、上級の解毒魔術の詠唱についてはかなり忘れていたこともその証左といえるだろう。
俺がこんなことを考えるのも1つの理由がある。その理由とは、考え方がこの世界に馴染んできていて、そのせいで俺の取る行動がヒトガミの思う壺に陥るかもしれないという懸念だ。色々と考えてはいる。闘気を得て出来た時間でさらなる高みを目指そうとしている。しかし元異世界人としてのブレイクスルーも必要だ。それが何なのかこれから見つけて実行していきたいと思う。
チャレンジの先の失敗はしても良い。エリスの事のように後悔するかもしれない。ロキシーに助けられなかったら死んでいた可能性だってあった。それでもまた後悔する人生になるからと新しいことを試さずに後で後悔したくはない。前世だって俺は俺の中で考えられる限りのことをして後悔なく死んだ。現世は前世を知って新しいことをするのだからこれはイージーモードではない。むしろハードモードの選択肢を俺自身で選んでいく。それが後悔しないってことなのだと思う。
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そんなことを考えていたらロキシーの声が聞こえなくなっていた。話が終わったのだろうか。そろそろ行くべきか。そう迷っていると、小さい鍋を手にしたロカリーが俺に気付かずに村の中央の大鍋を囲んでいる女性陣に混ざって行った。頃合いだと判断して立ち上がり、ロイン宅へと入って行く。
「ロキシー、ただいま戻りました。お話は済みましたか?」
「ルディ、おかえりなさい。もう十分に話ができましたから例の話をしたいと思っています」
「そうですか」
俺はそう言いながらロキシーの隣に座った。
「でも、せっかくですからロカリーさんが来るまで待ちましょう」
「呼んだ方が良いか?」
ロインが念話で呼び出すか訊いてくる。
「お構いなく。焦る必要はありませんから」
「そうか。ルーデウス君に気を遣わせてしまって失礼したね。約束を守ってくれて本当にありがとう」
「当たり前のことをしたまでです。それにロキシーにはこれまで大切なことを沢山教わりましたし、先日も命を救われました。皆さんがこんなに喜んでくださるならお連れした甲斐があったというものです」
「そういえば、ロキシーは弟子に自分の名前を呼び捨てにさせているんだな」
ロインがそう言ったのは悪意があってのことではなさそうだった。ただ、普通の疑問を持っただけのようだった。
「ルディとは師匠と弟子の関係を卒業して同志になったので名前で呼び合うのは普通です」
「同志……仲間みたいなものか」
「そんなようなものです」
ロキシーの説明にロインは納得したが、後で結婚報告したらどう思うのか少し心配だ。そうこうしている内にロカリーが鍋を持って帰ってきて、夕飯の支度を始めたのでそれをロキシーが手伝いに行った。俺はロインからロキシーの子供時代の話を聞いて間を持たせていた。
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夕飯はやっぱり
俺はロキシーに目で合図し、彼女から了解のサインを受ける。俺は囲んでいた囲炉裏を離れて床に正座すると居住まいを正した。遅れて、ロキシーも俺の横に座る。
「ロインさん、ロカリーさん、お話があります」
「何でしょうか?」
俺たちの神妙な面持ちを受けて答えを返したロインも丁寧な話し方になる。隣にいるロカリーも視線をこっちに向けた。
「娘さんと結婚したいと思っています。お許し頂けませんでしょうか」
そう言って床に手を置いて頭を下げた。DOGEZAスタイルだ。
「ルーデウス君は人族という話だが、本当にこの子でいいのかい?」
「もちろんです。ロキシー……娘さんと結婚したいのです」
俺は頭を戻して、ロインの瞳をしっかり見て言った。
「そうですか」
ロインは俺からロキシーに視線を動かす。
「ロキシー、お前はルーデウス君と連れ添って行けると判断したのだな」
「はい」
「お前も良い歳だ。お前がそう判断したのなら父さんはお前の判断を尊重する。母さんも良いね?」
「もちろんです。でも心配ですわ。この子に妻としての何たるかは何も教えていませんから……」
「もう、お母さん……」
「ロカリーさん、娘さんには助けられてばかりいます。しっかりしていて信頼できる人です。だから心配はご不要です。まぁ、たまにドジなところもありますが、そこがまた可愛らしいです」
最後の付け足しが余分だったのか、隣のロキシーから軽く肘打ちが入る。それからロキシーの手が俺の手を強く握った。俺も同じくらいの力で握り返す。
「まぁまぁ」
ロカリーが羨ましそうな声をあげて、ロインがコホンと咳払いしてから締めくくった。
「結婚おめでとう。お前が幸せなようで何よりだよ」
「ありがとうございます、お父さん」
それから、結納品を贈呈したり、にわか仕込みだったがロカリーがロキシーにミグルド族の妻の何たるかを伝授したりして夜が更ける頃に空き家を借りて2人で泊った。
空き家には2組の寝床が用意されていた。でも俺が悪夢を見ないようにとロキシーと1つの寝具で寝ることになった。ミグルド族用のサイズなので2人で入ると身体がはみ出してしまったが不満は無い。この日はそういう事をせずキスだけで終わった。2人だけの時間には我慢も必要なのである。
次回予告
何者かがまた動き始めた。
一度は撃退したものの、追撃がない。
それ故にきな臭い。
大がかりな陰謀が鼻の奥にこびりつく。
次回『新婚旅行2』
ルーデウスはもう気付いている。