無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。
第071話_間話_Recreation_前編
---休むことに恐怖を覚える者の心理---
家の大人達と襲撃の話をしてブエナ村を離れるという方針が決まった。
家族のやるべきことは第一に引っ越し作業だが、俺とロキシーは基本的に転移ネットワークのノードに荷物を置いていてその作業をする必要がない。
故に他の家族の準備ができるまでの時間を利用して今後の活動方針についてロキシーと話し合った。
ここを離れるのならロールズとパウロ、いや、エリナリーゼとパウロの心情的な問題を清算させておきたい。そのためにロールズ家を訪問する予定は大人達に伝えてあり、ゼニスからシルフィアーナへと連絡が通っている。この前の会合にエリナリーゼを召集できれば最善だったとも思うが、出会えなければどうしようもない話ではあった。
それと前世においてシルフィとの結婚式で見たエリナリーゼの涙。現世でどうなるかは判らないとしても行方不明のままにはしたくない。そもそも3人の嫁が頼りにしていたのがエリナリーゼだった。俺達夫婦の相談役としては年の功からしても彼女が最適だろうし、ゼニスと俺との距離感が今のままなら、ゼニスにとっても彼女は必要になるだろう。
そんな自分の思いをロキシーに話すと、ロキシーは俺の日記を確認しながら物事を整理して1つのストーリーを授けてくれた。俺はロキシーの創ったストーリーに感心し、頭に叩き込むように何度かメモを読み直していた。
「しかし、このエリナリーゼさんという方。厄介な呪いをお持ちですね」
「長い年月を生きる長耳族だからなのか判りませんけれども、呪いとは上手く折り合いをつけているようでしたよ」
そうロキシーも人族よりは長い年月を生きる種族だ。だからだろうか前世の2人は中々良い関係だったように思う。
「……もし私もその呪いを持っていたらルディはどうしますか?」
なんだ? ロキシーにそういう呪いはない……と思う。
もしかしたら念話が出来ないというのが呪いかもしれないと言いたいのだろうか?
「仮定にどのような意味があるのか判りませんが、もしそのような呪いを自分の妻が持つというなら一生をかけてその呪いを消す研究をします。でも研究が上手く行かずに寿命を迎えたなら、死んだ者のために生きるのではなく、ロキシーの想うままに生きて欲しいと思います」
死にかけた俺がロキシーを突き放そうとしても彼女は俺と一緒にいることを選んでくれた。あの時、ロキシーは俺との間に子供ができれば、俺の寿命が自分より早く尽きると知っていても辛くは無いと言ってくれた。
それが真実になるかどうかはその時を迎えるまで判らないだろう。でもその心意気は素直に嬉しいものだ。それだけ今、俺は彼女に愛されているということでもある。そんな彼女に死んだ後まで何か束縛をしようなんて思いはしない。
もっと正確に言えば、俺は自分が死ぬまでに彼女に心変りされないように彼女を愛していきたい。それだけの話だ。
そう思って発した言葉が
「!! ちっ違います!」
思っても見ない程に強く否定される。
「へ?」
訳が分からずに漏れたのは気の抜けた声だった。
そのままロキシーの顔を見つめていると、彼女は顔を伏せて
「……ルディのせいで私も……って……んです」
今度は一転、聞き取れないくらい小さな声でそう呟かれた。
「え、今なんと?」
聞き返してみたが一向に顔を上げる素振りがない。彼女の両手を取り、伏せた顔を覗き込み、お互いの瞳にお互いが映る。
「ルディのせいで私もその呪いにかかっているんです!!」
ロキシーが真っ赤な顔でそう訴えた。
エリナリーゼと同じ呪い。つまり『定期的に男と交わらないと死ぬ』呪いだ。
それにロキシーがかかっている。
ロキシーが?
そこまで考えて、彼女の表情を見て俺はようやく発言の意味するところを理解した。
我が神の求めたるところを求めん。
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次の日の翌朝の朝食が終わると、台所の横手にある勝手口に桶を置く。それから桶を混合魔術で作ったお湯で満たす。
準備を終えた俺は桶の前の椅子に座る。
ふぅと一息。大したことはまだしていない。今から家族の食器を洗うのだから。
子供らしい所作とはかけ離れているだろうが少し気合いが入った。
丁度そこへ朝食で使って汚れた木の皿を重ねて運ぶロキシーがやってくる。
彼女は無言で皿を桶の中の水に沈め、さらに近くの椅子を持って来て座った。俺の隣に。
これがいつもの段取りだ。俺達は世間話を交えつつ朝の皿洗いを始めた。
石鹸で食器を洗い、水魔法で濯ぎ、それから水切り籠にいれる。
ロキシーが持ってきた物に加えて、いつの間にか残りの汚れた皿が近くのテーブルに積まれているのは食事当番のリーリャがそっと置いて行ったからだろう。楽しく皿洗いをしていた俺達の邪魔をしないように、そうしたのだろう。
桶の中の分が終わり、後ろのテーブルにある分を面倒なので重力魔術で持ち上げて桶の中に静かに沈める。
沈め終わった頃、
「ルディ。後で少しやりたいことがあるので紙とペンを借りても良いでしょうか?」
ロキシーからさらりと許可を得るようにお願いが飛んで来る。
「ええ、魔術研究の道具は出かける直前まで部屋に置いておきますから自由に使ってください」
ロキシーは1人で何かをするらしい。このタイミングなら荷造りの一環だろうとは思う。
でも相談があった訳ではなく、彼女が自分で決めた事だ。過去の彼女の行動パターンを考慮に入れても正確なところは思いつくことがなかった。
雑談兼洗い物タイムを終え、ロキシーと別れて花壇を見に行く。
彼女は部屋へと駆けて行った。
転移事件後にゼニス、ノルン、アイシャが直した花壇には新婚旅行のお土産で買ってきたアラツの木やミストルテ、シルフィのための草花もある。
皆の庭には様々な思いが込められている。気のせいかもしれないが、そう感じることができた。
引っ越し先が決まったら、花壇はなんとか移転させよう。
ひとしきり花壇を眺めてから部屋に戻る。ほとんど荷物のない部屋から紙とペンが持ち出されているのが判る。
先程ロキシーが借りていくと言っていたことだ。何も不思議ではない。
ただ彼女は部屋を出てどこかに行ったようだった。
いつもの研究ではないだろう……彼女が何をするのか良く判らないが、机を見つめつつ俺はロキシーの考えが判らないことを良しとした。
ガランとした部屋のベッドに腰かけて思う。ロキシーの行動の全てが判るわけがないのだ。そしてそれで良いはずだ。
俺は多くの関係者の未来の断片を知り、それによって行動を予測し、過去の体験と照らし合わせようとする。
何かに困ったとき、これから起こるかもしれない困り事を予測したいとき、その行動が有益に働いてきたことが多い。
だが俺は過去に戻ったことで人生の焼き直しをしたくないと思った。そして現世の人は現世の人として生きている。未来を視て、人の思考を操作し、自分本位に動かす。そんなヒトガミじみた行動を止めようと思った。
それに人のことを知った気になるのはまた何か大きなミスをする原因になるだろう。
だから俺はこの悪癖を治したい。そしてまだ治せないでいる。
治らない理由について真剣に考えてみたい。
俺はヒトガミの真似なぞゴメンだ。でもオルステッドならどうだろうか。彼は百回以上のループを経て人がどう動くのかに確信を持っていたので俺は感化されているのかもしれない。まぁそれだけではなくて、確信に至らないまでも現世の経験があり、その考え方が概ね正しいと感じてしまっている。
つまりは龍神という先人の行動原理、信用、真似をして得た結果、他方で感じる不誠実さ。
なら龍神は不誠実か?
いや、龍神は不誠実ではない。
その理由は何だ。もっと深く見ていこう。自分とオルステッドの違い。
こういう時は自分とオルステッドを置き換えてみる。
オルステッドが2度目の人生を過ごした時、3度目の人生を過ごした時…‥俺のように苦しむ姿を想像してみよう。
例えば、オルステッドは人から嫌われる呪い持ちであるけれども、ループの中には呪いの効かないレア特性の人物や古代龍族の転生体の女性がいて、二人は心を寄せ合ったかもしれない。その時に彼はどのように思ったのだろうか。さらに次の周回でどう感じたのだろうか。
……俺は独り自室で笑んだ。自分の想定がまったく馬鹿馬鹿しく思えたのだ。
あのいつもムスっとした顔のオルステッドが女性と恋愛する。そんな光景を考えようとした自分に。
でもオルステッドは家族を守るために自分を殺そうとした俺を仲間に引き入れてくれたし、呪いが効かぬ
そこまで考えてなるほどと思えた。
オルステッドが寡黙なのは呪いで人付き合いがまともにはできないから。そう考えていた。でも別の理由を考えることもできる。
自分が他人を駒のように扱うために人付き合いを減らす。相手の内情に極力踏み込まなければ不誠実だと悔いたりせずに済む。それが彼の誠実さなのかもしれない。
寡黙に生きる。全てを抱え込む。転移事件で俺はそのことに限界を感じた。似たような経験を持つオルステッドに縋ろうとした。
「迷惑な話だったのかもしれない」
俺の覚悟や精神力は龍神に遠く及ばない。だからといって初対面で縋って良い対象でもなかったかもしれない。
だから彼は俺の前に現れないのかもしれない。
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さて家族の荷物も災害のせいでほとんどが失われ、村人達が生産活動を再開しても行商人はまだ来ていない。家族の持ち物は専ら配給物資であり、俺とロキシーの新婚旅行のお土産以外では買い物をするということもなかった。故に家族の荷造りも昨日俺が思っていたよりも早く終わりそうだ。むしろパウロの村人への挨拶回りが一番長引きそうな気配があった。
そんな中で俺は午前中に荷造りを終えると、そこから何をすべきかを考えていた。皆の荷造りが終わるのをぼんやりと座って待つ。状況に流されていくのは楽だし、妹達と同様に普通の子供のように振る舞えば自然……いや、今さら俺が普通の子供の振りをするのもそれはそれで奇妙に映るだろう。
では今から何をするか。その疑問に対する回答は『普通の人生に比べて有利な条件があるならどのように人生を送れば良いのか』という命題への回答に繋がる物だろう。過去に戻ってからの11年の中で成功したように見えることも失敗したように見えることもある。成功しているようで失敗していることも失敗しているようで成功していることもあるかもしれない。それらの体験を通してようやく形になった方針は『自分の力で運命を切り開く』というものだ。
では運命を切り開くことが可能か。俺はそれが可能だと思っている。
なぜなら強い運命に守られた歴史も強い運命力を持った者が介入することで変化することは前世の経験ではっきりしているからだ。その代表となるのがヒトガミが90年後に死なないという歴史だろう。そうなることをヤツが意図して選んでいると捉えることもできるのがややこしい話ではあるが、オルステッドが歴史に介入してもヤツは強い運命に守られた歴史によって死なない運命にあると定義できる。そして強い運命に守られた歴史であってもオルステッドのような運命力の強い者が100年先を見据えて歴史に介入し、小さなイベントの変化の積み重ねや必要な人材を用意すると、変化させることができるのだ。
俺も同じ体験をした。以前にも考えたように、ヒトガミが未だに夢に現れないことは今回の転移事件でヤツにとって俺よりも有益な使徒になりうる人物を守ることになったということだ。しかし前世で転移事件は起きた。ヒトガミが未来視をして、ヤツの命を守るのに有益で使徒となり得る人物と判断した者でさえ、今回の転移事件を起こらないようにするのに必要なコストと天秤にかけたときにそれが釣り合わない、もしくはここで力を使ってしまうと未来にオルステッドがしようとしている歴史改変に対応できないと判断したという事が予想できる。この時点でのヒトガミの余力がどの程度なのかは想像の域を出ないが、きっと転移事件で使徒候補が命を落とすというのは強い運命に守られた歴史だったのだと思う。
そんな強い運命に守られた歴史へ運命力の強い俺が3年先を見据えて介入した。オルステッド程にループをしているわけではないから、その歴史を守ろうとする運命の因果律と介入を成功させるために必要な駒が判らなかったが、目標やポイントを正しく設定することで俺の知っている悲しい未来を望む未来へと変化させることに成功した。
この事実によって運命を切り開くためには改変したい歴史を定め、目標やポイントを正しく設定することが必要だと学んだ。
転移事件の結末を変えてしまったことでこれから5年先にどんな歴史があるかは全くわからないし、その先も前世と似たような歴史に戻れるかは判らない。
なら無理か? いや、そうではない。
現に前世のオルステッドからすれば転移事件は初めて体験するイベントであり、俺という通常のループでは現れない運命力の強い人間のせいで周囲の関係者の歴史まで変わってしまったとしても、オルステッドはヒトガミを殺すという改変したい歴史を定め、運命を予測し、目標やポイントを設定して必要な因果を用意していた。
俺は転移事件から自分の家族と守りたいと思った人を守った。そして今後も家族の命を危険にする歴史があるのなら、歴史を改変して家族を危機から守る。そのための目標とポイントを設定する。
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今回、俺の家族はブエナ村を離れてラノアに行くので安全に行く方法について考えてみよう。
方法は2つに分類することができる。転移魔法陣を使って旅する方法と転移魔法陣を使わずに旅をする方法だ。新婚旅行の前に大人達にはペルギウス直伝の移動方法があることは伝わっているから、転移魔法陣を使うこと自体を家族に絶対に内緒にしようとは思っていないし、幼い妹達から転移魔術の使用がバレてしまうリスクは妹達が眠っている間に全てを終わらせてしまえば少なくともノルンは気付かないだろうし、アイシャは気付くかもしれないが言い含めれば家族が困るようなことを吹聴したりしないだろう。
そのような状況で転移魔法陣を使う事にメリットは何でデメリットは何があるだろうか。転移魔法陣を使えば移動時間を短縮出来て、旅の間の危険にもさらされなくて済むメリットがある。一方で家族にアスラ王国から離れるように脅しをかけた組織が何らかの方法でこちらを監視しているはずで、転移魔法陣を使えばその者達にアスラ王国を出国したことが伝わらない。出国に気付かれなかったことを良しとしても痺れを切らして再度襲撃しに来るとなれば村ではまた1つ騒動が起きることになる。下手をすれば被害がでるだろう。被害が出なかったとしても家がもぬけの殻と知ることで秘匿技術がバレてしまうリスクが増大するというデメリットがある。
さらに、あの組織は俺たち家族がアスラ王国で目立ち過ぎたことを問題視していた。それを考慮すると、国を出てラノアに行くにしても怪しい行動を控え、目立たないことが必要になる。脱出方法については指定は無いが気に入らなければラノアまで追いかけてくるかもしれない。
ならば怪しい行動を控えるために転移魔法陣を使わずに旅をする方針が良さそうではある。転移魔法陣を使わないならば長期旅行になり、その旅程はブエナ村からドナーティ領までとドナーティ領からラノア王国にさらに分けられる。分ける理由は抱えている課題が異なり、難易度が大きく変わるからだ。
まずは転移事件で状況に変化のない後半の旅程について考えよう。ドナーティ領から赤竜の上顎を通ってラノアの南西端の町まで行く旅についてだ。この区間はまともな経由地無しに山間部と鬱蒼とした森を抜けねばならないのでモンスターの遭遇率を考慮すると、難易度が冒険者を雇う程度には高い。ただパウロとゼニスと俺とロキシーが居ればそこは問題がない。それよりも物資の補給に支障が出てくる。
次にブエナ村からドナーティ領までの道のりとは、すなわちフィットア領内の旅を意味する。ブエナ村を出発して旅に出る場合、もし災害が起こっていなければ、ブエナ村にやってくる行商人から買い付けた物資で旅支度を整え、不足分をロアやアルカトルンで買い足していくことになっていたはずだ。またフィットア領内には乗り合い馬車があったのでそれを利用することもできたはずで元々の難易度は低かった。だが今のフィットア領内はどこも復興中であり、通常の通商路が回復しておらず行商人は来ない。故にしっかりした旅の支度なしにドナーティ領まで自力で行くことになり、こちらも難易度が跳ねあがる。
少し話が外れるが、通常の通商路が回復しない理由は2つある。1つは俺が出している復興支援物資があるためだ。支援物資は完全ではないが将来の不安から被災者の財布の紐は固く、行商人や商隊が持ってきた物も売れ行きが振るわないと予測できる。もう1つは復路で買い付ける商品がないのも問題だ。よってフィットア領内部で余剰生産が行われ、それに合わせてフィリップ主導で支援物資の量を減らしていく政策を取らねばならない。その見極めができて初めて商人たちはフィットア領が商売できる場所と再認識する。
ではそのような状況下で例えばドナーティ領まで徒歩で行くことを考える。カラヴァッジョには荷物を積み、全員で歩くパターンだ。ノルンやアイシャはまだ3歳。特別な訓練もしていない普通の子供だ。災害のときに体力が尽きた彼女たちを母親達が抱っこして運んだ経緯を考えれば、それより遠いドナーティ領に行くために同じことをするのは現実的な方法とは言えない。
次に考えられるのは子供2人を馬に乗せて引き綱で引くパターン。こちらは子供の体力については徒歩より気にせずに済むが、大人の支え無しで子供2人を乗せて落馬しないかは不安なところだ。それと荷物や食糧は徒歩組で運搬することになる。俺がそっと追加食糧を買い付けて来ることで問題は解決できるだろうが、他に案があれば避けたい方法となる。
この世界の一般的な方法で考えると、残る選択肢は馬車になる。
馬車については多少の修理経験を持っているが、製作のノウハウがないのでゼロから作るのは難しいだろう。となると、難しくても馬車を作るか子供2人が乗っても安全な
それらの内のどれかを短期間で研究したいが、忘れてはいけないのはグレイラット家の家長はパウロだということだ。
今回のことでもパウロに肉体的、精神的に負担を掛けていると感じる。パウロに主導権を持たせてやらないと彼は不甲斐無さに潰れてしまうかもしれない。100歳越えの息子に惑わされずに自信を持って娘達を育てて欲しい。それがパウロと妹達双方のためになると思う。であるなら、俺が変にアドバイスをしてパウロの考えているものを凌駕するのは良い結果にならない。もしパウロや他の家族がペルギウスの秘術で移動できないか?と尋ねてきたらそのときはデメリットとメリットを説明して、パウロにどうするかを判断してもらう。尋ねてこなければ両親達の常識の範囲内で行動することが得策だろう。
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気持ちを整理した俺は黙って家族が荷物をまとめるのを見ていた。黙っている間にパウロから移動手段の説明や相談を受けることはなく、ゼニスやリーリャからも同様に相談を受けなかった。彼らなりに転移魔法陣を使わずに家族でラノアまで行く方法の段取りがついているということかもしれない。もしそうだとしたら任せておけば良いのだが。
じれったい気持ちが沸き上がり、気分を換えようと自室から窓の外を見る。すると庭先でロキシーが何かの作業を始めていた。何をしているのかが気になった俺は、作業するロキシーの所まで出向いて話を聞くことにした。
「先生、何をしているのですか?」
「あぁルディ。もう支度は整いましたか?」
「ええ。元々荷物が少ないのですぐに終りました。もしかして今からされる作業はロキシーの身支度の一環ですか?」
「違いますよ。元々私も旅暮らしが長くて身軽ですし、ここに来てからの大事な物はルディと同じ保管庫に置いてあります。なのでもう支度は終わっています。それでやることもありませんから今から馬車を作ります」
「ほう……」
馬車を作る? 俺は相槌を打ちつつもロキシーの言葉を頭の中で疑問形にして反芻した。ロキシーの言った言葉は論理的に理解できる。先程、俺も考えていたように転移魔法陣を使うのはリスクが高くてお勧めできないし、今の所は家族からペルギウスの秘術を使わせてくれとは言われていない。つまり転移魔法陣を使わないでブエナ村からラノアへ旅をする場合、その移動手段は徒歩か乗り物を使うことになる。7人もの人数で長距離を移動するなら、一般的な乗り物は馬車だ。その結論に至ったことは別に不思議ではない。
自宅の馬小屋の隅に荷車と馬具があったことを考えると、確認は必要だがパウロは御者ができるだろう。ただし、災害時にパウロがカラヴァッジョに乗って村人を先導したのは記憶に新しい。その時に使っていたのは個人乗りのための馬具であり、荷車と馬を接続する馬具、それと荷車自体は馬小屋に置きざりになった。つまり、馬車の道具は災害の影響で消失した。だから馬車が必要なら荷車と馬具を作ることになる。俺はそれが技術的にこの復興中のブエナ村で作れるものとは思えないけれども、ロキシーには作れる目途があるのかもしれない。
ただ作れる目途があってもそれだけではまだ問題が残っている。それは馬車というのは消耗品だということだ。特に走行装置となる車輪と車軸は整備された街道と言えども消耗し、旅の中で1度や2度は破損すると考えた方が良い。ちゃんとした職人が作ってもそうなる。俺は多少の経験くらいしかない素人だ。そいつが作った物の耐久力は職人より下がるのが道理であり、その倍は破損すると考えて良いだろう。要は旅の途中で4回か5回は破損する。
ではロキシーは素人か? 彼女は魔大陸から中央大陸の端まで旅をした人物で、かつ馬術の心得があるが、馬車に関連したあれこれを話していた記憶はない。もしかすると俺が知らないだけで深い知識を持っているのかもしれない。
「もしやロキシーは馬車を作った経験があるのですか?」
「ありません。ですが見た事、乗った事はありますし、構造もなんとなく判ります」
返事は予想の範囲内だった。返って来た回答からするとロキシーと俺の条件はほぼ同じで修理経験がある分、俺のがしっかりしたものを製作できる可能性が高いかもしれない。
「作れる目途はあるのでしょうか」
「おそらく無理でしょう」
可能な限りの妥協点を見出そうとしたがロキシーの回答は悉く俺の望んだ物ではなかった。
ならば馬車を作るか作らないかでロキシーと俺の意見は対立しているのか?
彼女と俺が対等ならばそう考えることもできる。
だが俺自身の意見とロキシーの意見のどちらが信じるに値するだろうか? 矮小な自分か? それとも神か?
答えはもちろん『神』だね。
ならば対立ではなく啓示である。
俺が大事なことを忘れていて間違った結論を出そうとしていたことをロキシーが教えてくれているのではないか。
しかし神のすることにしては些かお粗末であるという考えが拭えない。
愚かな自分を戒めるために深淵なる意図を知るべきである。
「何か先生らしくないのですが」
「それは重畳」
らしくないと言われたロキシーが真剣な表情で答えた。彼女は続ける。
「ルディの日記を読み、また新魔術の研究における試行錯誤から私は感じたことがあります」
彼女は俺の手を取り、彼女自身の膝の上に載せた。
「昔、教えましたね。新しいモノを作るのはいつも人族だと」
「はい」
「でも少しだけ考えを改めようと思います」
「ははぁ。つまり先生も未知の何かを作ろうというのですね」
俺の言葉でロキシーの表情がぱっと晴れた。
「そうです。私が素人ながらに考えて作ってみることは無駄ではありません。
まずはやってみる。そういうことも大切だということです。
自分の中の固定化された概念を打ち砕くことができれば、新魔術の研究に応用できるでしょう」
そうか。神の意図は知れた。
「ならその後のために僕は僕なりに準備をしようと思います」
俺は安易に手伝うとは申し出なかった。
「もしやルディは馬車を作ったことがあるのですか?」
「全てを作ったことはありません。
「そうですか。なら手出しは無用です。手伝ってもらうと新概念を生み出せないかもしれません」
「御心のままに」
そう告げると話を切り上げて、俺は自分の部屋へと帰った。
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部屋へと戻るなり椅子に腰掛ける。
ロキシーの考えを聞いて自分の馬鹿な考えが笑ってしまうくらいつまらないものに感じられている。
先程来考えているように『運命を切り開く』ために目標とポイントを設定せねばならない。俺はその検討の結論として、馬車は作れないと考えていたが、ロキシーは『自分の中の固定化された概念を打ち砕き、研究に応用する』ために馬車を作ってみるという。
俺も似たことを考えて、それなのに実際の行動や心構えに出来ていなかった。そのせいで間違った判断をしようとしていた。
俺は『元異世界人としてのブレイクスルー』を考えたいと思っていた。何も言葉通りの意味での
そうするためには何が必要だろうか。前世の70年余りにも色々な研究はしていた。ヒトガミからの干渉が終わっても、手を緩めずに空いている時間を見つけては研究に勤しんでいた。
だから前世で思いつかなかったことをするには、現世で新たな挑戦が必要だ。しかし判っていても気付ける物は殆ど手を付けた気もする。そして未だ起こっていない未知のイベントを想定して『こんな事もあろうかと実は用意していたんだ』なんてのは現実的ではない。無理な目標を設定すれば今が駄目になる。
だが今のようにイベントが発生した後ならどうか。今回で言えばキーとなる要素は『馬車』となる。今、ロキシーと協力してあれこれ研究することは丁度良い機会だろう。
しかしながら表立って馬車製作をして良いのか。パウロに主導権を持たせながら自然な形でロキシーの馬車製作をサポートする方法を考える必要がある。
…………
……
肩の力を抜こう。パウロがロキシーの馬車製作に気付いたとしてもロキシーが自分の意志で動き始めたことならパウロも卑屈になったりしないのではないか? そして何事か質問したとしてロキシーが対応するだろう。それで全てが上手く行く気がする。
今日も小さなことから色々なことを考えた。
アスラ王国から出ていけという謎の組織の活動。俺の行動がそれを導いたとしても後悔はない。
自分の家族とボレアス家、それにロールズ家の3家を確実に生かすためにギリギリの選択をして目的を達成したのだ。引っ越し騒ぎも転移事件回避が上手くいったからこそ起きたイベントだ。
生き残った人達が喜び、悲しみ、嘆く。ラノアに引っ越せばボレアス家とロールズ家のことは直接関与し続けることは叶わなくなる。それでも一体どのような物になるのか楽しみにしている。できれば彼ら自身と前世で生存した者たちの間で仲の良い関係が続いて欲しい。
それこそが俺の3年をかけて救いたかった物のはずだから。
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俺は転移ネットワークへと移動して、日本語で書いた異世界の知識に関するメモ書きを読み直す。パラパラと項目を見て、馬車製作に関係しそうなものは、屋台、自動車、巨大ロボットだと当たりを付けた。
まず屋台について、屋台というより正確にはリヤカーなのだが、昔つくったプラモデルのためのジオラマに前時代的なパーツとして屋台の模型を置いたことがある。模型というのは見た目が同じだけで構造を再現したものではないし、俺がリヤカーのメリットを正確に知悉している訳ではないが、ただ現物を見たこともあるし、何となくは判る。俺が前世や現世で知ったこの世界の馬車の荷台部分とは構造に大きく違いがある。その違いが手掛かりになるような気がする。
次に自動車は完全に引きこもる前には家族の移動手段として活躍していた。まぁ前前世の一般常識として、中卒だった俺でも自動車が登場する前は馬車と自転車が使われており、産業革命でそれらのパーツを組み合わせて自動車に進化したことくらいは理解している。なら自動車の知識が馬車に応用できる部分があるかもしれない。これも1つの手掛かりになるだろう。
最後に巨大ロボットだ。巨大ロボットは俺の生きていた前前世では単なる架空のお話に出てくる物語のギミックなのだが、SFとしての設定の細かさからロボットの内部構造というのが考えられている。この内部構造をプラモデルで再現し、クリアパーツを使って見ることができる商品があった。で、その模型のパーツにあるのがネジ、バネ、内部フレームだ。よくよく考えたらリヤカーや自動車にも同じものがあるかもしれない。ただ、その辺りは俺の興味の範囲外だったからどの程度の差があるかは不明だ。
前世で馬車に乗った話も日記から追ってみよう。パウロに負けて簀巻きにされ、初めてギレーヌと会ったとき俺は馬車に乗ってロアに来た。転移事件の後にドルディア族からもらった馬車で聖剣街道を通ってミリシオンへ、さらにそこからウェストポートまで走った。一旦、馬車を売って船に乗り、中央大陸に到着すると、王竜王国の首都ワイバーンで新しい馬車を購入してロアまで行った。ワイバーンで買った中古の馬車は調子が悪くて1週間足止めを食らった。その時は修理工に頼んで直してもらった。
それから悲しいすれ違いのせいでエリスと別れ、傷心のまま商隊の護衛をしつつ、中央大陸の北部へと移動した。その時は護衛のために馬車には乗らずに徒歩で移動したが、積み荷を運ぶ馬車の修理を手伝ったりしている。他にはアリエル王女の王位継承のときに組み立て式の馬車をみた。ヒトガミとの戦いが終わった後も子供がまだ小さかったときは家族揃っての旅行をせずにいたから、馬車に乗ることもなかったが、少し大きくなった頃に家族でミリシオン近くの牧場に行ったり、青竜山脈を北上して温泉へ行くために馬車に乗った記憶がある。それから子供たちが大きくなり、自立すると俺は嫁3人とオルステッドの仕事をこなしつつ、いろんな所を旅した。ただそのときは転移魔法陣と神獣で移動したから馬車は使わなかった。
日記を閉じる。
昔のことはイベントとして思い出すに留めた方が良かった。特にまだ存在することになるかどうかも判らない者達についてはあまり期待してはいけない。息が吸いにくくなり、意識が薄れる。
転移事件の悲しい思い出を回避して家族はバラバラにならなかった一方で、前世で俺が築いた家庭は存在していない。また作れば良いのは判っているけれど、別の形になるのだろう。あの家庭のことも好きだったからこその寂しさはある。少し見上げた形で目を閉じると良い思い出の泡が手の届かないところで弾けて消えて行く。
弾けて消えた泡は胸に影を落とし、胸に大穴を開けた。でもそれは失った物の大きさであり、前世を俺なりに上手くやった証であり、誇れることだと感じるようになった。そのように感じられるようになったのは、きっとロキシーとエリスのおかげだろう。
では現世をどうやって生きるか。災害を切り抜けた俺は無理が祟って死にかけた。それよりも上手くやろうとする現世でのハードルは高く、さらなる創意を以って工夫せねばならない。俺と俺のこの新しい家族を守れるように。
ひとしきり感慨に浸って顔を袖で拭った。
気を取り直すと馬車の設計図となるスケッチを描き、それぞれの部品のサンプル作りに着手した。