無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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74-76話は読みやすい書き方になっておりません。
車や馬車の構造や物理・構造学に多少の知識が必要かと思われます。

本編に大きな影響はありませんので、読むのが難しいと感じられた方は読み飛ばして頂きたく存じます。

※本来、パスワードロックしてあった作品部分です。
 その点をご承知おきいただければ幸いです。


第074話_間話_ReCreation-再創造_前編

-- 転ぶことがあっても人は必ず立ち上がる --

 

俺はタルハンドによって示された魔術を利用した鉄材加工からネジ、ナット、鉄棒の製作を行って馬車における車輪とフレーム構造の開発を行った。組み上がった物は馬車の基本構造と言える。

それから改良を加えるフェーズに入り、衝撃吸収装置を作った。馬車の揺れは経験的に感じていた不満や課題であったので着手するのは自然の成り行きだった。

 

その開発が完了した今、これで馬車の研究を終了しても良い。もし終了するならばロキシーの作業に転用するだけだ。異世界の技術を使ったブレイクスルーは確かに研究結果として形になった。

当初の目的で言えばその筈が、どうにもしっくりこない。

 

目の前にある馬車もどきと実際に欲しかった馬車。

 

何か地に足の付かない感じがまだだと告げている。

この感覚は一体どういうことか。感覚を信じるとするなら馬車もどきと欲しかった馬車の間に何か齟齬があるということだろう。その齟齬はどうして生まれたのか。どこで間違ってしまったか。

 

違和感は存外に大きい。

 

こういうのは要件の定義が間違っているというのが俺の知る前前世の知識にはある。だとすればそれをやり直すべきだろう。

 

要件の定義。馬車の研究。

馬車はどんなものだったか。

人や荷物を運ぶための物。馬と荷車を繋げた乗り物。動く物体。

動く物体に備わる基本的な性質。

その本質は『走る』『止まる』『曲がる』だと考え得る。

一方のニーズは馬一頭が乗客8人を乗せて途中に補給の無い長距離輸送区間を踏破する旅という条件だ。

 

3つの基本性質に対して、最大の課題は『走る』ことであった。現世の馬車ではこの条件を達成し得ない。この世界の馬が転生前の世界の馬より遥かに疲れにくい生物だとしても輸送可能な荷重限界があり、その荷重限界は馬自身と車輪の性能によって決まる。故にこれまでの研究で『走る』ことを改善し、旅が現実に達成可能となったと言える。

 

では残った課題は『止まる』、『曲がる』だ。

運用次第で何とかなる話だが、多少は考慮が必要な話ということもできる。

だとして一つずつ考えていく。

 

まず『止まる』というのはどういうことか。

前前世の車や自転車にはブレーキがあった。タイヤにブレーキを作動させ、摩擦を使ってタイヤの回転力を減衰する仕組みだ。

では馬車にそれが必要だろうか?

前前世の馬車にそれがあったかは俺の知識には無く、この世界における馬車にはブレーキなどというものは車輪に具備されていない。しかるに動体の基本に立ち返り『止まる』方法は必要である。ならばこの世界ではどうしているのか。

答えは馬が速度の加減をする。その馬の制御をするのは御者だが何とも単純な仕組みだ。

それで不足な時は木の棒を使ってブレーキの代わりにする。

例えば急な上り坂で荷車が後ろに下がろうとするときには、木の棒を後輪と地面の間に差し込む。

同じく下り坂で馬よりも荷車が先行しようとしてしまうときには木の棒を前輪と地面の間に差し込む。

馬車というのは想像以上にゆっくりに走るものだ。

速度で言えば人が歩くのと同じかそれより遅く、のんびりとした乗り物。

当然に馬に襲歩(しゅうほ)をさせれば人が走るよりも早く移動することはできる。

できはするがそれに比例して停止するための長い制動距離を要する。

先の話のように、木の棒を差し込めば良いではないか?と思われるかもしれないが、やってみれば木の棒が折れる。折れたなら幸いで差し込んだ木の棒によって馬車は跳ね、横転する。そもそも襲歩で走行する馬車に対して先回りして車輪に木の棒を差し込みながら、並走するというのはほぼ不可能な仮定と言える。やはり木の棒は前前世のようなブレーキ足り得ない。

 

さてここまでの検討を踏まえて馬車をどのように運用するか。

通常の運用ならブレーキは必要なく、非常の運用ならブレーキは必要だ。

ではブレーキが必要な非常事態とはどんな状況か。

例えば敵から逃げるために馬を走らせ、その後に馬車を急停車させる必要に迫られる状況?

8人でカラヴァッジョの曳く馬車に乗って相手を振り切る?

そんなことは出来はしない。

故に敵を撃退するか、馬車を捨てて逃げるかの2択しかない。

つまり馬車で逃げようとするのは選択肢にすらならない間違いといえる。

第2想定。暴走した馬車が崖に墜ちるのを防ぐとかはどうだろうか。

もしそうなったら魔術の出し惜しみをせず、重力魔術で馬車を浮かせば良い。

なるほど非常事態には武力、乃至は魔術によって問題を解決すべきであって馬車の技術で解決するのは無用だ。

良し。今回は『止まる』研究はしなくて良いだろう。

 

では次に『曲がる』について考えてみる。

馬に御者が指示を出すと馬は指示に従って曲がる。

そして馬から伝わった運動ベクトルによって荷車が曲がる。

運動ベクトルを伝えるために馬の身体には革製の馬具を取り付け、馬の胴体、両側面に荷車から突き出した舵棒(ロッド)によって馬を挟み込んでおく。舵棒は想像がし難い代物だろう。馬車は4輪のリアカーのようなものだが、リアカーを押すときはコの字型の取っ手に潜り込んでそれを押す。馬に潜り込ませるのは面倒なので、リアカーというよりは大工が使う手押し車のように馬車側から2本の棒を突き出した物を用意する。そして舵棒と馬具を革紐で繋げておくのである。

 

このような状態の荷車の舵棒を真横に無理矢理に押し込んで直角に曲がろうとさせてみる。

押す方向側の前輪はその場で向きを変えようとし、反対側の前輪はやや前進する。そして後輪は大きく横滑りしながら内輪と外輪で前輪と似た動きをしようとする。

まぁ、馬自身も4足歩行する動物であり、直角に曲がることは苦手としている。

故に直角に挙動することはない訳だが、さりとて馬と荷車を比べれば荷車の方が旋回性能が低いため、馬が自身の限界範囲で曲がろうとすれば、似たような挙動をする。

無理矢理に車輪を横滑りさせると、車輪は直ぐに傷み、壊れてしまう。

故に車輪が酷く横滑りしないように、車輪の限界範囲内で曲がるよう、御者は馬を制御せねばならない。

そして街道にはそのような曲がり角は存在しない。そうならないように整備されている。

当然な話として馬車の往来を想定していない脇道に入ることはできないが、アスラからラノアに行く街道は一般的な馬車用の道幅が確保されている。それらの事実はパウロが言っていた事とも一致する。

もしどうしても鋭角に曲がらねばならない場合はブレーキのための木の棒を差し込み、片輪を無回転にすることで鋭角に旋回することができる。

 

さてさて、では『曲がる』についても研究しなくても良いか?と自らに問えば、いや研究しなくてはならないと答えることになる。なぜ違う結果になるか。『止まる』は運用で良いのに『曲がる』は運用では駄目というのは正しい判断なのか。

その理由。俺はどこに重きがあるかの違いがあると思う。

カラヴァッジョはこの世界の生き物であり、この世界の基準を必ず満たしている。その上で『止まる』のは馬の制御によって為すものだから、運用で逃げても良い。だが『曲がる』のは荷車によって為すものであり、かつ荷車は俺自身が作っていて、この世界の基準と同程度の旋回性能を満たしているのか明確ではない。故に運用で逃げずに課題を探して研究するべきだ。

 

では課題を探そう。

走る馬車を用意して曲がる際の荷車の挙動を検証する。

荷車の検証ならカラヴァッジョではなくゴーレムで十分、という考えからフレームと同じ部材を流用して荷車に舵棒を溶接。

次に土壁(アースウォール)で障害物を作ってテストコースとした。これは赤竜山脈を越すための山道を想定している。あの隘路を問題なく通過できれば課題は無いと判る。正直に言えば実際の街道沿いに壁はないのでやり過ぎかもしれないが、壁にぶつかれば音がするので、より多くの課題に気付く可能性は高まるだろう。

最後に馬と同サイズの人馬型のゴーレムを用意して準備が整えば、馬車を走らせてみたい欲求が湧き上がる。

直ぐにゴーレムに命令を与え、その後を追う荷車がギャリギャリと嫌な音を立てながら曲がって行くのは当然だった。舞い上がる砂ぼこりが止むのを待ってから轍を確認。合わせて車輪の損傷の程度も確認する。

 

今の曲がり方はゴーレムが力づくで曲がったように見えた。

車輪の損傷は一度では判らないので断定はできないが、このまま荷車のダメージが蓄積すると思ったよりも早く車輪の交換が必要になると思う。正直に言って旋回性能は無いに等しい。

この世界の馬車はもっと旋回性能がある。それは確実だ。昔、随行した商隊はもっと小回りの利く馬車を使っていたし、ミリスを旅したときの馬車は似たような大きさで、ラトレイア家の庭先で回頭が出来た。

どうやら既存の馬車には俺の気付いていない仕組みがあり、それによってこの馬車もどきよりもスムーズに曲がることができるようだ。

 

課題は見つかった。

だとしても未だ情報が足りない。

どんな条件の場合に馬車が普通に曲がるのか。

どんな条件の場合に横滑りが起こるのか。

どんな条件の場合に片輪走行するのか。

どんな条件の場合に横転するのか。

実機を使って観測、観察せねばならない。

 

観測方法、その設定を考えよう。

曳き手は先程と同じくゴーレムで良く、曲がる角度と速度の場合分けが欲しい。

曲がる角度は15度ずつの6種類としよう。

速度は、人の歩く速さ、馬の常足(なみあし)速歩(そくほ)駈歩(かけあし)の4種類。

用意した条件をゴーレムに設定し、それぞれ得られた結果を手元のメモ用紙にプロットする。

それから土魔術で石を生成し、荷物を載せた状態での結果も確認する。

大まかな条件の結果が得られたら、分岐点を探すためにさらに細かい粒度で調べていく。

 

ひとしきり実験を終えると、結果から実機の問題点が見えて来た。

路面状況や荷物の積載状況にもよるが、今の実機はほんの僅かでも曲がろうとすると横滑りを起こす。そして路面の凹凸でバランスを崩すと容易に横転する。その理由は曲がろうとする方向に車輪が向きを変えないためだ。

向きを変えないのはなぜか? 車輪を車軸に、車軸はフレームにしっかり固定しているからだ。

例えば左折しようとする場合、左折の角度に合わせて車輪は進行方向を向こうとする。

そして組付けた車軸は車輪に対して直角を保とうとする。

だから前左車輪から車軸に対して前方に、前右車輪から車軸に対して後方に力がかかる。

さらに後輪でも似たことが起こる。

車軸は一本の固定された剛体だから車輪同士の力が反発し合う。

これは大きな抵抗となり、結果、車輪は横向きの力に対して方向を変えようとしない。

 

そこで車輪の穴を微調整して車輪と車軸の間に隙間を作ってみた。

こうすると曲がる時に車輪が車軸上で斜めになり、その分だけ旋回することができるようになった。

ただ動かした感触は前前世のスーパーマーケットにあった買い物カートに近い。

おそらく真っ直ぐ走っているときでも路面の影響で車輪がふらふらと揺れるせいだろう。

この対処は違う気がした。さてどうするか。

 

--

 

陽が傾いてきたので実験を終わらせて家へと帰る。

夕食では家族との団欒があり、片付けをして風呂に入り、部屋へと戻る。

いつも通りだ。

 

だが今日は風呂に一人で入った。

ロキシーは「今日は遠慮します」と言って一人で部屋に残ったのだ。

その彼女は今、設計図をじっと見つめ、やや物憂げな表情で座っている。

いつもの眠たげな表情ではない、

 

きっとまた新たな悩みが出てきてしまったんだろう。

車輪が回転するための調整方法について説明したのはつい先日だ。

そしてそれが判っても、また新たな壁にぶつかったのだろう。

研究とはそういう物だし、ひとしきり悩んだら誰かに相談すれば良いとも既に告げている。だから俺は余計な口出しをせずにベッドに潜り、すぐには眠らずに旋回性能について考えた。

 

暫くするとロキシーもベッドへと潜ったので制御していた灯りの精霊を徐々に弱めていった。部屋が真っ暗になると深刻な溜息が1つ漏れる。

 

「はぁ」

 

その溜息は俺ではない。隣で寝ているロキシーからだ。寝言の一種ともとれる無意識の所作。

朝の皿洗いの雑談だったりでロキシーが森に行って木を伐り、製材したという話を聞いていた。

木を伐り倒して丸太にするところまでは風魔術を使って、それから製材作業をするのに資材倉庫にあった大工道具を駆使したという。ロキシーはこういう仕事が得意なのだろうかと考えながら、その時は黙して聞き続けた。

その限りでは道具に不慣れで苦労している様子が話から感じられた。不得意なら最後まで風魔術を使えば良いはずだが……

さらに言えば、ロキシーは作業にゴーレムを使っていないようだった。

人形精霊に人格付与する所謂、人形術はロキシーにも公開した資料の中にある。

人形を使役すれば大工道具を使った力仕事も少しは楽になるはずだ。

なぜ使わないのか。

何か理由があるのだろうか。

これも先日話したことだが、基礎的な研究をすることで応用的な研究が出来るのだと教えたからだろうか。

そう聞いた彼女が基礎的な研究、つまりは道具の研究に挑戦している、ということなのだろうか。

道具を整備し、手順を整理し、効率化や別のアイディアを考えるというのはとても理に適っている。

 

彼女は必要ならば適切な時期に俺にその意図を説明するだろう。

もしいつまでたっても説明がなければ、それがロキシーの意図になるはずだ。

そんな自分の想いを抱きながら目を瞑っていると、再び夜の静寂(しじま)に微かな乱れがあった。

 

「なぜ車輪は丸いのでしょうか」

 

随分と回答するのが難しい疑問。

基礎の研究とはそういう物だと言うこともできる。

誰かがそれを発明したからとか、それが他の形状に比べてより効率が良い物だからそうなったとか、俺は答えるだろう。

もっと正確に答えるなら車輪の発明について知る必要がある。

この世界における経緯は前前世の俺の知る世界の経緯とはきっと違う。

その経緯、歴史はどこかに文書として残っているのだろうか。

判らない。俺には答えられない。

 

「なぜこんなに苦しいのでしょうか」

 

やや間を開けて呟かれる問いかけ。

馬車が作れないから、車輪が作れないから、思ったように行かないから。

そんな表層的な原因ならロキシーにだってわかるはずだ。

問題はもっと本質的なもの。

でもその本質が何なのかは判らない。

考えよう。

苦しみが研究によるのものだとしたら、なぜだろうか。

俺も同じように研究しているのにそんな風に悩まないのは、なぜだろうか。

 

俺も旋回性能について悩んでいる。

でも悩んでいることが苦しいだろうか?

今の今迄、そのように思ったことはない。

発明の権利とか著作権という概念のないこの世界で、40年の長きに亘り魔術や闘気について研究してきた。

あれこれと考えてみて、駄目ならとりあえず今ある馬車の作り方を見れば良い。

 

過程よりも実利を重視した世界。

最後に何かを得れば良いという世界。

困ったら誰かに相談しても許される世界。

だから俺は相談しようと思った相手を決めて相談していた。

一番多かったのはロキシーだ。

ロキシーはどうだろうか。俺に相談を受けて欲しいのだろうか。

色々考えてみて良いアイディアが無ければ別に無理してやらなくたって良い。

ロキシーは俺が答えを示すことを望んでいないだろう。

そうであるとして俺はどのように考え、自分の研究をしていただろうか。

 

呟きはいつの間にか寝息に変わっていた。

俺も意識が薄れていった。

 

--

 

夜が明けて、俺は手のひらサイズの馬車のミニチュアを作った。

今日1日かけて作った代物だ。

どうせ俺も自分の研究が進んでいない状況で気分転換が必要だったし、ロキシーと話をするのに必要だと思ったのだ。

準備の整った俺はロキシーの作業場を訪ねた。

机に広げたメモ用紙には色んな車輪の絵が描かれている。それらはきっと昨日の寝言に繋がりがありそうな感じが見て取れた。

 

「ロキシー。少しよろしいですか?」

 

「はい」

 

「実は1つ相談があるのです」

 

「ルディのですか?」

 

「ええ、そうです。

 作業中にお邪魔してしまうのは恐縮ですけど、よろしいですか?」

 

「何でしょうか?」

 

「アイディアを探しています」

 

「アイディア?」

 

「そうです。

 既存の馬車も僕の考える馬車も理想とする旋回性能には遠く及びませんので、それを打開するためのアイディアを探しています」

 

そう言って4輪のついた箱の玩具を机の上に置く。

馬に曳かせる荷車を想定していたものだが、馬のミニチュアは付いていない。

ロキシーはその玩具を手に取り、指で車輪をスナップし、回転する様子を凝視していた。ひとしきり回し終えた彼女は机の上にミニチュアを置き、箱部分を小さな手で掴み前後させ、そしてまた車輪を見て再度テーブルに乗せて走らせた。

 

「確かに曲がりませんね」

 

傍から見て1回目と2回目に何か違う動きをさせた様子はなかったが、言葉からすると曲がらせようとしたのかもしれない。

 

「でも、この模型のどこに問題点があるのかと言われても思いつきませんけど」

 

「そうですか。

 なかなか難しいですね。

 昔といっても前世の記憶ですけど。

 旅の途中で馬車が壊れて足止めさせられたことがあるのです」

 

「ええ」

 

「あの時に馬車屋の修理をもうちょっと見ておくべきでした。

 いやそれだけではなくて、普段のメンテナンスも自分でしていれば、こういう時に悩まなくて済んだのかもしれません。

 判ってると思っていて仕組みを理解していないことって意外に多いみたいです」

 

あの時はルイジェルドが馬の世話も馬車のメンテナンスも、夜番もしてくれていた。

彼の手に負えない程の修理のときは、王竜王国の1度だけだったと記憶している。

 

「そういえば昔、車輪が1つ壊れた馬車に対して残った車輪を中心に持って来て3輪にしたところ曲がりやすくなったという話を聞いたことがあります」

 

「三輪車……」

 

ロキシーからさらりと出た情報に俺はキーワードになりそうな言葉を繰り返した。

左右に1輪ずつ付いているせいで馬車の幅と同じ分の回転半径の差が生まれる。

これをスムーズに旋回させるためには、例えば左へ旋回しようとした場合を考えると、左の車輪の切れ角は右の車輪の切れ角より大きくすれば良い。この例が示すのは、曲がるときに内側の方が短い距離で方向転換しなければならないので内側は外側より大きい切れ角を必要とするということだ。しかし、車軸に対して直角に固定して取り付けただけの車輪だと内側の切れ角と外側の切れ角は同じになろうとする。実際には車輪が軸受けを介して回転しているおかげで完全には固定されているわけではないこと、車輪自体が横滑りすることの両方によって切れ角の違いを吸収している。しかし前輪が1輪、後輪が2輪の3輪車なら前側の差はなくなってその分だけ旋回性能があがるのだろう。

 

「でも3輪の馬車は横倒しになりやすいみたいで問題があるようです」

 

「それは……そうでしょうね」

 

「後は最近は余り見かけませんが人が乗るだけの2輪の馬車があって、ジグザグに蛇のように御することができたと聞いたことがあります」

 

「ほぅ、なるほど。そのお話は初めて知りました」

 

「前世の私は知らなかったのでしょうか?」

 

「知っていたかもしれません。

 ですけど、馬車の話をしませんでした」

 

「そうですか……」

 

「何か思いついた、という訳ではなさそうですね」

 

「ええ、ちょっと不思議に思う事があるんです」

 

「お構いなく。

 何でも聞いてください」

 

「その、前世の私はルディと雷魔術以外の研究はしなかったのですか?」

 

俺は少し考えてから当然の如く、

 

「しませんでした」

 

と答えた。

 

「なぜですか?

 日記によればルディは召喚魔術、自動人形用の命令処理コア、魔力回復ポーションの研究をしているはずです。

 話を聞く限り、それらについて私はお手伝いできる余地があるのではないですか?

 なぜ私は協力しなかったのでしょう?」

 

「あー、えーっと。

 だってロキシーは忙しかったですから」

 

「何にですか?

 もしかして子育て――」

 

口にしてみて恥ずかしかったか、顔を真っ赤にして俯き黙るロキシーをひとしきり眺め終えて、

 

「ヒヨコの育成という意味では似たような所がありますが、違います。

 魔法大学の先生ですよ」

 

と何とか共通点を見出す。

他人の未来を言い当てるのは余りよろしくないだろうが、聞かれてはぐらかす必要もないだろう。

 

「この私が? 魔法大学の?」

 

「先生が先生をやっていてもおかしくはないですよ」

 

「でも私はルディに愛の無い授業をした悪い教師でした」

 

彼女が自嘲するのとは反対に、俺の記憶にあるのは皆に慕われる素晴らしい教師だった彼女だ。

そうでなければ誉れ高きラノア魔法大学校長にはなれない。

 

「確かにロキシーは僕の家庭教師という経験を経て、悪い教師になってしまった、と言えるでしょう。でもそれを経験と捉えることができなければ成長はありません。いつまでも気に病むのも、失敗してから次の一歩を踏み出していないからだと僕は思っています。それに」

 

「それに?」

 

「何でも最初から上手くやる人というのは結局のところ、失敗を知らない人だと僕は思います。でも生徒っていうのは千差万別でしょう? 同じ課題をさらっとこなす子もいれば、いつまでも失敗している子もいる。失敗している子の気持ちが判らない先生より、判ってあげられる先生の方がずっと良いと思いますし、失敗した部分だけを見ないというのはきっと大事だと思います。

 パックス王子の件はあまりにも重すぎるのであのような論法を使って引き留めましたが、ロキシーの指導の中には十分に成功していた部分もあるのですから、失敗だけを見るのは良くないように思います」

 

俺は、現世だけでもシルフィとエリスの家庭教師、避難キャンプで村の子供達の面倒を見る先生をした。その体験からきっと家庭教師と集団授業、つまり大学での教鞭というのはまた違ったものだと感じている。

 

「そうかもしれないですね」

 

「ラノアに行ったら教師をやってみますか?」

 

「考えておきます」

 

ロキシーは教師になることを否定しなかった。

俺は笑顔で頷いて話は終りとした。

 

長く冒険者をしていたロキシーの経験や知識に触れて、俺はいくつか検討したいことが見えて来た。

元居た異世界で普通に存在し、ここには存在しない物を今ある手持ちの技術、主に魔術によって再現する。

それは結論だけが見えていて途中経過がブラックボックスになっている物を自分の創意工夫によって実現する作業だ。

自分の中の知識、経験、さらには体験、時には他人のそれを紐解いて上手く結合し、魔術を持ってアプローチする。

 

この世界の住人であるロキシーには俺と同じ事をするのは難しい事かもしれないが、先程聞いた彼女の経験や体験を紐解いてそれを何故かと考えることはきっと不可能ではない。車輪の回転の調節方法にしたって勘に頼らない方法をいくつも試してみることはできる訳で、ロキシーがしたいという『新魔術への応用を考えるために固定化された概念を打ち砕く』作業をここまで思い悩んでいるのは、僅かばかりの考え違いによるモノなのだろうと思う。

 

具体的な結論が見えている俺と手探りのロキシー。

そうだったとして、話し合いの中で俺の作ったミニチュアは彼女の手に渡った。

結論が具体的でないにしても、ミニチュアという具体があればもしかして彼女は何かを手にすることができるかもしれない。

何が切っ掛けになって研究が進展するかは判らないが、ミニチュアがその種になるかもしれないと俺は思っている。

種が発芽するかしないかは彼女自身の乗り越える壁であるし、そも成功体験をするならば能動的であってこそだ。

もし進展がなく、彼女が望めば、最終手段としてアルスに行き本物の馬車を見るのもアリだが、できれば何か自分の納得いく解決案をブエナ村の限られた環境で見つけて欲しいと思う。

そうすることで創意工夫が出来て、より良い結果になると俺は信じている。

 

 


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