無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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第075話_間話_ReCreation-再創造_中編

-- 「一緒にゲームやる?」と聞かれて「ううん、見てる」と言った時の心理 --

 

さて。

俺は自分の研究スペースに戻ってきて一旦腰を落ち着けると、頭を整理するために水を含んだ。それを一息で嚥下すると一気に身体が冷えていった。その行為に呼応するかのように頭の中も次第に整理されていった。

 

ロキシーが教えてくれた2輪と3輪の馬車。

現世において馬車がどのように発展したのか俺は知らない。ロキシーもそれを知らないようだし、いかに魔法大学でも学べない分野のはずだ。いやもしかしたら軍事系の分野で運用やメンテナンス法を学ぶ可能性があるか。どちらにしろ大学図書館の蔵書数を考えれば何かしらの情報があるかもしれない。

 

そう、情報というのは大切だ。

俺が今やっている馬車の研究でもほとんどは情報収集であり、その情報を整理することが原因と結果の間に特定の関係性を見出す。つまり研究の大半は情報を整理すること。そして研究の意味とは事実から情報的価値を見出すことなのだと思う。

ならばロキシーの話についても情報を整理することから始めよう。

 

座ったまま腕組みをして空を見上げ、これまでに考えたことを思い出していく。

うーん。そうだな。

2輪、3輪の馬車。

俺はそういうのを見たことがない。

この世界にそういう物があるということすら言われるまで思いつきもしなかった。

それでも前前世に2輪の馬車はあったと思う。タロットカードのチャリオットは古代の兵士が乗り込み、鎧を着た軍馬に曳かせるものだったはずだ。あれらについてざっくりとは判るがどういう造りになっていたのだろうか。残念ながら興味がなかったせいでそれは分からない。

 

それは4輪の馬車でも同じだ。

俺が物心ついた世界では、自転車と自動車が主流で既に馬車は廃れていた。

趣味はパソコンやプラモデルやネトゲであって外に出ることすら忌避していたのだ。

馬車に興味があろうはずもなかった。

辛うじて理解しているのは、2輪の馬車は機動力がなかったせいで騎兵に駆逐されたということである。それでも荷物を輸送するための馬車は残り、そこから長い年月をかけて自転車や自動車へと変化したはずである。こういった知識は馬車というよりも乗り物の発展の系譜を知っているという話になるだろう。

 

乗り物の系譜。

確かにそれぞれの世界の馬車の共通点や相違点は判らない。

俺にはその知識がない。

だが元異世界人として俺は別の発展の系譜を知っているのだ。

この世界の馬車の発展に着目するのはありなのかもしれない。

例えば2輪から3輪、3輪から4輪の馬車へと発展していったと想像することは可能だ。

 

さて。この想像をさらに膨らませていくと「どちらの系譜であっても技術者や職人のいくつもの発明が込められている」と考えることができる。即ち自動車と同じく4輪馬車は発明の集合体であり、この世界に生きる全ての知的生命体の積み上げた努力の結晶という訳だ。ならば2輪車や3輪車はその前身であるのだから、そこに込められた技術や研究内容を知ることでまた新しい発想が生み出せるかもしれない。2輪馬車や3輪馬車に『異世界人としてのブレイクスルー』をしても良いだろう。それは両方の系譜を組み合わせた俺だけのオリジナル馬車になるはずだ。

 

方針がまとまって、それから俺は黙々と2輪馬車の設計図を引き、必要な材料を用意し、組み立てた。

やや造りが甘いがテストには十分な精度だろう。テストが無事できれば十分だ。

尤もこれがロキシーの言っていた2輪車なのかは判らないので、イメージしているのは前前世の2輪車だが。

 

自分で自分の意見に納得し、すぐに待機していたゴーレムに2輪車を曳かせる。

テスト内容は4輪馬車と同じだ。

今度はテストコースを無人の2輪馬車が走り、4輪の時と同じようにテスト結果を紙束にまとめた。

このテストには大きな成果があった。まとめていく必要もないくらい歴然とした結果だ。2輪馬車が作る(わだち)は4輪馬車が作る轍に比べてずっと綺麗な軌跡を描いている。その違いはなんだろうか。どういった理論、理屈でその結果を導くのだろうか。

 

それから時間をかけて試行錯誤することで轍の違いが横滑りの程度だということは判ってきた。でもそれがどうして起こるのか。2輪と違い4輪では何が起こっているのかに説明が付けることは難しい。

2輪の挙動にしてもロキシーの言っていたようにジグザグと走らせるとガリガリと横滑りしていた。

2輪の時点で既に俺の知らない技術があるのだろうか。

いやしかし単純な造りの車輪にそれほどの画期的な機構があるのだろうか。

少なくとも俺が元居た世界の自転車やリヤカーはもっと単純な造りだったはずだ。

だとすれば何か見落としが?

 

そう思った瞬間。記憶の声がリフレインされる。

 

『2輪の馬車があって、ジグザグに蛇のように御することができたと聞いたことがあります』

 

そうだ確かにそう言っていた。

彼女は『蛇のように御する』といったのだ。

ならば御者がそれを可能にするのではないか?

 

その考えに至るとすぐに2輪馬車の天板の上に飛び乗る。

無言でゴーレムが走り出した。

 

--

 

2輪馬車に乗って走らせてみると幾つかの事が明らかになった。

一つは横滑りをするとき、馬車は非常に不安定になるということ。御者の体重移動が適切でないと馬車から吹き飛ばされてしまう。

もう1つは一定の速度以上で旋回しようとすると遠心力の力で馬車は外側へと横回転しようとして、内輪が浮き上がるということ。

横回転を小さくするには御者自身が回転の中心、内輪側へと身を乗り出して重心バランスをとらねばならず、蛇行しようとすれば右へ左へと慌ただしく体を動かさねばならなかった。2輪馬車でそれをすることはかなりの恐ろしさを伴うものだったが、慣れてくると自転車の方向転換のときに身を乗り出して曲がる感覚に似ていると思えて来た。非常に懐かしい感覚だ。

しかし、そうだとすると車輪の傾きが逆なのではないか。内輪側に車輪が傾いていたはずだ。

 

一体何を間違えているのだろうか。

2輪の話、馬車の話、蛇の話。

俺が考えるべき『元異世界人としてのブレイクスルー』へと導く上手い考えはあるだろうか。

例えば『元異世界で何か蛇に関連した物』について考えることは上手い方法だと思う。

神話や逸話、はたまたゲームに出て来た話とか。

マナタイトヒュドラを倒したときに使った考え方に、それは近い。

だが思いつかない。何かが胸でつかえている気はするのだが。

 

再々度、ロキシーの言葉を思い出してみよう。

彼女は「ジグザグに蛇のように御することができた」と言っていた。

それで『蛇』という言葉が俺は気になって、でも妙案は出て来なかった。

俺はヒュドラの話以上の蛇に関する知識がない。

ならちょっと観点をずらしてみたいと思う。

ロキシーの表現では「ジグザグに」と言っていた訳で、それは鋸の刃のように右往左往しながら前進することを表している。同じく彼女の「蛇のように」と表される動きは、身をくねらせてうねうねと、もしくはにょろにょろと動くところにやや違いがある。

その話は何かどこかで……もうちょっとで思い出せそうなのだが。

 

うん?

 

今の考えに俺は自分で疑問が湧いた。

そしてそれを正そうとテスト結果を書きつけたメモを見直す。

紙束には2輪馬車が走った軌跡と4輪馬車が走った軌跡の重ね合わせがしてある。

俺はいつの間にか、2輪車と4輪車の前輪の軌跡を比較していた。

それは舵棒からの造りが似ているからで、また車輪の軌跡も多少の違いがあるにせよ、近いものだったからだ。

では舵棒を後輪の距離にまで長くしたら挙動は後輪と同じようになるのだろうか?

それとも距離が長くなるだけで4輪車の前輪と同じ挙動になるのだろうか?

 

疑問を確かめたい欲求が身体を動かす。

まずは舵棒を長くして同じテストをやってみるべきだろう。

テスト結果を書き連ね、情報を整理する。

そして考える。

なぜこうなるのか。

舵棒の長さ、というよりはゴーレムからの距離に比例して車輪軸を曲がらせるために必要な力が大きくなることは判ったが、それが4輪の後輪の軌跡の原因とはいえなかった。

 

 

ふと遠くの気配を感じて前を向く。

そこには家から出て来たパウロとノルンとアイシャがいた。

どうやらロキシーの作業場の方に向って歩いていくらしい。

何か用事があるのだろうか。

そんな中、殿(しんがり)を務めていたアイシャがノルンを追い越してパウロの前に出るのが見える。

それに応じてパウロが足を止め、ノルンもパウロに並ぶように足を止めた。

アイシャとパウロがやり取りをした後、アイシャを残して2人だけがロキシーの作業場の方へと歩くのを再開する。

そんな光景が見て取れた。

立ち止まっていたアイシャが忘れ物をしたとか、そういう状況ならば家に戻っていくのだろうとぼんやり見ていると、彼女はこちらへとやって来た。

途中で俺が見ているのに気付いてか彼女は小走りになり、そして割とテンション高めな雰囲気だった。

 

「ねぇねぇねぇ、おにぃちゃんおにぃちゃん。

 馬車作ってるんでしょ?」

 

アイシャは満面の笑顔と共に現れた。手に持っているのは母達が作ったアスラン麦のパン――のお菓子だろうか。

白い粉がまぶしてある。

 

「まあね」

 

俺はパンを一瞥してから返事をする。適当に頷くと、「あたしも手伝いたい!」とアイシャが申し出た。

 

「んーそうだな」

 

即答はせずに曖昧な返事をしながら、アイシャのお願いに少し考えを巡らせてみるか。

 

アイシャは無邪気だ。元気一杯でこれからどんな風に成長するのかさぞ両親は楽しみだろう。

なんて思うのは俺が父親代わりだった時期があるからだろうか。

いやいや俺は兄だ。両親は健在で変にでしゃばることはない。

だが俺が彼女達と関わることを全て避けようとするのも不自然だ。

不自然な態度が彼女達を歪ませることになるのではないか。

 

歪ませる……か。

歪んだ結果。歪んだとはどういう意味だろうか。

正道はどこにある? 何と比較している?

 

判っている。その比較とは俺が知り得る前世を見て言っているのだと。

そもそも俺は思っているのだ。

父親代わりになろうとした俺の立ち位置が不十分で、前世のアイシャの人生は捻じ曲がったと。

今回の人生を歩んでいくのは今ここにいる妹達自身であり、その責任を負うのは妹達自身でしかない。

こんな俺の考え方は傲慢で人の心を弄ぶ所業なのだろう。

幾度となく似たような思考に陥って、考えるのを止めたことがある。

だが、この1年間を妹達とゆっくりとブエナ村で過ごすことが、今日初めてその考えを続けさせた気がする。切っ掛けがあったようには思えないが。

 

俺が死産して転移事件が起きなかったルートの妹達の人生は家族5人で楽しくブエナ村で暮らし、成人するとそれぞれに順風満帆な人生が待っていたのだろうと判って来た。特にアイシャは妾の子だったとしても、俺の存在がなければメイドとして過ごすことはなかっただろう。俺が助け舟を出さなくてもリーリャとアイシャはこの家に留まることが出来たはずなのだ。

 

ゼニスが一人目の子供を死産した状況で中々子供が生まれず、そしてお手付きとなったメイドの娘。それでもようやく生まれた子供だ。メイドとして育てはしないだろう。

前世や現世のようにアイシャとノルンの年齢は同じではなく、離れていたかもしれない。年の離れた姉妹で仲良くやっていたかもしれない。

 

俺が生まれたとしても彼女にはまた別の人生もあった。

未来から来た俺の日記に書かれていた彼女の人生だ。

その結末は惨たらしい死であったとされている。

俺が影響した結果のアイシャの人生が死産して存在しなかった時の人生と比べて不幸せだったという証明でもある。

 

「おにぃちゃん?

 もしかして、あたし邪魔?」

 

俺が黙りこくってしまった姿が彼女にそう思わせた。

どうやって断ろうかと悩んでいるように見えたのかもしれない。

アイシャが少し悲しそうな顔でそう口にした。

 

「そんなことないよ」

 

俺は取り繕ったがアイシャの言葉は続く。

 

「お父さんがおにぃちゃんの邪魔はするなよって言ってたんだけど」

 

先程、パウロとノルンと二手に分かれていたときに言明されたのかもしれない。

 

「邪魔するつもりなのか?」

 

「ちゃんとお手伝いするつもり」

 

「なら父さまの言付は守れる。

 アイシャも一緒にやろう」

 

「ほんとに? やったー!」

 

頷き返したことでぱっとアイシャの顔が綻ぶ。

彼女の無邪気に喜ぶ様を見て、その笑顔が随分と意外に感じた。

それはこれまでの想いに繋がっている。俺の中の幼い頃の彼女のイメージ。妹メイドとの違い。

そしてそんな考えに至る自分の記憶。

転移災害を防ぐ旅の途中で戻って来た際、また同じことを繰り返すのかという感触が明確な兆候として表れていた。

家族になることを許されて、2年が経ってもメイドのまま変わらないリーリャの姿勢。

アイシャには責任のないことが『ケジメ』として突きつけられていた。

未来のメイド服のアイシャを幻視し、姉妹の軋轢の芽生えすら視えた。その予感。

血縁者同士でメイドだ、坊ちゃまだと区別するのは元々好きではない。

想いは行動となり、未来は変化した。

 

「じゃぁ、じゃぁ何すればいい?」

 

「それが難しい」

 

ひとしきり喜んだアイシャが待ちきれずに問うて、またしても俺は口では悩んでいるフリをする。

考えている事は目の前にいるアイシャの将来。

これから向かう魔法大学は魔族も受け入れる学校であり、目の敵が居る場所故にミリス信者が無理して入学することの稀な教育機関だが、アイシャが妾の子だという事実は変わらない。であればこそ、そのことを揶揄されたり、好奇の目に晒される機会は少ないはずだ。だが生徒の誰かと喧嘩をすれば悪口のついでにそう言った事を口走る可能性はゼロじゃない。そんなことの先で彼女が落ち込めば、俺はまたやきもきするのだろうか。

その考えが傲慢だと判っていても俺は後悔したくはない。しかも今度は父親代わりではなく兄として彼女と関わっていきたいのだ。第一歩はグレイラット家の当たり前の娘としてアイシャを育てて欲しいとリーリャに気持ちを伝えることだった。

そして第二歩はリーリャ自身も俺の本当の母親になって欲しいと頼んだことだった。

それは今のところ功を奏しているように見える。

 

「アイシャに手伝えることって何かあるかな」

 

もう待ちきれないという態度の彼女のために、俺は漸く4歳になるかならないかの子供の満足できる何かについて考え始めた。

 

「ええ? あたし割となんでもできるよ!」

 

いや功を奏しすぎて別の問題点が浮かんできている。

復興のときに体験させた共同生活でもそれはあった。優秀であることの弊害は未だに健在だということだ。

あのときに投げかけた課題をアイシャはどう思っているのか。

俺の意図をどうやって伝えるべきなのか。

 

「そうだなぁ」

 

「うんうん」

 

乗り物、子供、2輪車、3輪車。

頭の中の筋書きが1つになる。

 

「じゃー今から3輪車を作るからそれに乗ってもらおうかな」

 

「3輪車? 馬車の?」

 

「いやちょっとした遊び道具さ」

 

「あたし本当に邪魔になってない?

 馬車を造るのを手伝いたいのに」

 

「いいかアイシャ。

 馬車を良くするために馬車のことばかり考えるのは普通の人がいくらでもやってる。

 だから全く別のことを考えてみようとおにぃちゃんは思うんだ。

 それを手伝って欲しい」

 

「おぉ~。なるほど」

 

俺のそれらしい言い分に妙に納得しているが、やや演技臭い所作は彼女の愛嬌なのだろうか。

それは兎も角として俺は3輪車を作ることになった。

アイシャに言ったように何か他のアプローチをすることで行き詰った考えにヒントが出てくるかもしれない。

 

俺は作業台について3輪車のスケッチを始めた。

隣にアイシャが座り、それを覗き見る。

紙の上に鉛筆を走らせながらイメージを確かな物にしていこう。

 

今から作る、遊具としての3輪車。

全体のスケッチを見ながら考える。

馬車と大きく異なる部分は何だろうか。馬車に無い物は何だろうか。

初めに思いつくのは3輪車には駆動輪があることだ。それを足で漕ぐのためにペダルが必要になる。

成る程、馬車の出力は馬であり、3輪車の出力はペダルの回転、その先は人力だ。

だから馬車の車輪と3輪車の前輪は構造が異なる。

 

そう考えて前輪部分だけの絵を描くために別の紙に移る。

3輪車の後輪や馬車の車輪は軸の回転しない機構で車輪の中心部には軸受けを付ける。

一方で3輪車の前輪の中央の車軸は車輪と連動していて、車軸の両端から(クランク)を延ばし、その先にペダルを付ける。

こうすることでペダルを漕ぐ力が車輪を回し、3輪車が前進する。

そんな絵を描いた。

 

また別の紙に移り、ハンドルの辺りを図面にする。

ハンドルは棒ハンドルで良いだろう。

そこからT字にフレームを作り、ハンドルと反対の部分を二股のフォークのような形にする。

そしてフォークの先端2箇所に車軸が空転するための環状の部品を取り付ける。

こうすることで車軸と柄の間の部分で車軸はフレームに繋がりつつ、その回転は伝達しないようにできる。

 

そして最後の紙にバーベル状の後輪軸を描き、車軸の中心から前側のフォークへと橋渡しをするパーツが必要だと思い至る。

ついでにサドルも必要だ。

なら、フォークから地面と水平になるように真横にサドルを兼用する長方形の鉄板を伸ばし、座席位置の真下から斜めに鉄棒を2本踏ん張る形で後輪の車軸に接続すれば良いな。

 

「よし、こんなものかな」

 

「おー」

 

アイシャが拍手する。いいぞ。良い応援だ。

描いた絵を横に置いて部品の設計図へブレイクダウン作業を始める。

 

「見ても良い?」

 

「いいぞ、こっちとこれならな」

 

アイシャの言葉に応えて、作業で使っていないスケッチを選んで渡してやる。

すると興味深そうに彼女は絵を手元に引き寄せて眺めていた。

俺は余計な事を言わずに作業に戻る。

ペダル、(クランク)、柄にペダルを固定するための固定ナット、前輪車軸、フォークとハンドルが一体の物、サドル、後輪車輪軸、サドルと後輪軸の接続棒。

大まかな縮尺を書き込み、必要ならそれぞれ三面図にする。

また組付け方法をプラモデルの組立図面の要領に仕立てていく。

1つ1つの図面が出来上がるとまたアイシャに渡す。その間、俺達の間に会話は無かった。

遊具としての3輪車もそれぞれの部品の役割も三面図の意味も何一つ俺は説明しなかった。

だから彼女がどれだけ優秀な4歳児でも意味が分からない部分はあるだろう。

だが彼女は黙っていた。

これはどういう意味? どんな部品なの? そういう質問が作業の邪魔になることを判っているのだ、彼女は。

 

少し多めになるくらいの純鉄を魔術で創り、買い付けておいた鉄鉱石と共に炉にくべる。

ドロドロの鉄が出来上がるまでに鋳型の製作に着手する。

これが準備出来たら鋳型に入れて……

 

「あー、そっちも作らなければいけないのか」

 

頭をポリポリと書きながら作業台に戻り、スケッチの作業をやり直す。

今度は鋳型のスケッチだ。

えーっと。完成があれなら鋳型はそれよりも少し大きくして、さらに取り外すのだから……。

 

「これでよし、と」

 

妹の前で段取りを間違えたことが少し恥ずかしい。

恥ずかしさを紛らわせるための独り言。

それにアイシャはちらっと顔を上げるも、しかし口を開くことはなかった。

黙って俺のやることを見ているだけだ。

 

「……」

 

気を取り直して鋳型の製作を行うための石を魔術で生成し、闘気を使って加工する。

一心に作業をしていると、出来上がりまでには随分と時間が掛かってしまった。

いつの間にかスケッチを見るのを終えていたアイシャ。

それでも彼女は俺のやっていることを見ているだけだ。

アイシャに頼んだのは3輪車のテスト要員だから、彼女は俺のやることをただ黙々と見ていても間違いではない。

間違いではないが、最初の拍手以来全くの無反応というか黙りこくっているのはちょっと不気味になってきた。

 

その後はまた昼休みになり、ノルンとパウロとロキシーが何やら盛り上がっている傍でアイシャは黙々と食事をしていた。

アイシャも普段は彼らと一緒になって話すタイプだし、明るく愛嬌がある。

その理由があるとしたら確実に俺の作業を見ていたことであり、だとすると昼からはまた1人での作業に戻るかもしれない。

 

昼食後、鉄は未だ溶けきらないので後回しにして車輪作りのために作業場に戻ると俺より早くそこにアイシャが居た。

当たり前のようにそこに座っていた。

俺の不安を知ってか知らずかアイシャは作業台から俺を見ていた。

相変わらずの無言で。

なるべく気にしないようにして作業を続けていく。

子供用の3輪車のための車輪は馬車よりもずっと小さい径なので既存の馬車の車輪軸は流用できない。

だから俺は乾燥室から木材を運び、闘気を纏った大工道具で車輪を作り始めた。

車輪が出来上がる頃には陽が落ちる直前で、最後に熱した鉄を鋳型に入れて今日の作業はお終いとなった。

結局、アイシャは昼からは一言も口を開かなかった。

 

--

 

次の日に早速、鋳型のまま冷ました鋳物の状況を確認する。

鋳型に施した万力(超小型ゴーレム)を外してから鋳型を分割線に沿って楔で叩くと、鋳型が元の2つのパーツに別れる。そして鋳物中にあったのはフォーク型のハンドルの根本から車輪をまたいで車輪軸を通すものだ。また別の鋳物を開けると中からサドルを兼務する板状の部品が出来た。

それぞれ10個ずつ。いくつも作ったのはこれまでと同じく出来の良さそうなものを選ぶためだ。これまでの経験から鋳物が上手く行くか行かないかには使った材料の粘度や冷え方、湿気などが影響しているような気がする。それらを均一にする方法についてはまだ研究不足なので数を用意して偶然にも上手く行ったものを選ぶのが一番結果が良くなる。

そうして出来の良し悪しを見て半分は粗悪品とした。そしてその粗悪品を使って次の作業を試してみる。どうせ一回では上手く行かないことが経験的に判っているので段取りの確認や注意点を探ることが肝要だ。粗悪品からヒケやバリを探して削り、また設計図より大きめに作った部分を測りながら設計図通りになるように一回り小さく削りだす。どれだけ闘気を込めるかを確かめながらの作業で大まかな感覚を掴む。

特にサドルを兼務する水平の板はクリケットのバットのような、もしくは羽子板のような形に加工した上で、内太腿が擦れる辺りは角が当たって怪我をしないように面取りし、丸みを出すことにした。それらの内容を設計図にフィードバックし、本番で失敗しないようにポイントや留意点を書き込む。

それでも納得のいく物が出来たのは良品の中で3つ目にチャレンジした時だった。

だからと言って余らせはず、これらを組み立てるときにまた別の失敗をするとなれば予備は必要になるので加工前の予備としてそのままとっておくことにする。

 

「こんなものかな」

 

独り言ちて作業に区切りをつけると、作業台の上を片付けてから昼までを休憩にした。

と、一日近く黙っていたアイシャと目が合う。

 

「ねぇおにぃちゃん」

 

「なんだ? 3輪車が出来上がるまでもう少し時間が掛かるぞ」

 

「うん……」

 

「退屈だったら出来上がってから呼ぶよ。それまで遊んできたって良い」

 

「手伝いだもん。ダメだよ」

 

「そうか」

 

「お昼までは休憩にするの?」

 

「あぁ、一区切りついたからな」

 

「少しおはなししてもいい?」

 

「何だ。話掛けたら邪魔になると思ってたのか?」

 

「ううん。違うの。

 おにぃちゃんの作業を見るの楽しかった。

 だって物凄いんだもん」

 

「そうかな」

 

彼女の視点、経験、知識から見て何が凄いと思ったのだろうか、それは分からない。

だからはぐらかす受け答えをしておくに留める。

 

「シルフィ姉が言ってたこと信じられてなかった」

 

突然出て来たシルフィの名前にドキリとする。

よく考えるまでもなく、旅の間に妹達の面倒を見ていたのはあいつだった。

きっとシルフィは今のパウロが昔話を聞かせるように妹達へ俺のことを何か話したのだろう。

 

「あいつが大げさに言ったならしょうがない」

 

「違うの。

 シルフィ姉っておにぃちゃんのこと好き好きっーて感じだったもん。

 だから大げさに言ってるんだと思ってた。

 たけど全然大げさじゃなかったの」

 

「ふぅん」

 

「でね。私もおにぃちゃんみたいになりたい」

 

「俺みたいに?」

 

「そう! おにぃちゃんみたいに凄い人に私もなりたい」

 

アイシャから『凄い』という言葉を聞くのは2度目だ。

彼女は「復興中にも自分は間違わないから『凄い』でしょ?」と言っていた。

俺はあの時、『凄い』という言葉の意味するところがあまり良くない事のように思えた。

 

『間違わない』が正しいことではない。

たしかに百点を取る事は立派だ。そのために努力をすることも褒めるべきところだろう。

努力をしたということが本人の自信へと繋がる。

何も努力せずにテストで悪い点を取るよりも、努力して良い点を取ることは素晴らしい事だ。

しかし、しかしだ。

増長しすぎた自信は周囲との関係をギクシャクさせる。

揺るがない自信が崩れそうになったとき、自らの過ちを転嫁し、苦し紛れの逃避に走らせる。

それが増長した自信を持った者の末路でもある。

であるならば間違わないことは凄いことではない。

むしろ間違う事、間違った自分を認める事こそが大事なように思う。

 

しかし今回もまだ同じ事なのだろうか。

彼女の言葉は『間違わないから凄い』から『兄のように凄い』へと変化した。

ニュアンスが少し変化して、でも本質は余り変わっていないのか?

なら俺が訊くべきことは1つだ。

 

「俺を目指した先に何がある?」

 

「おにぃちゃんと同じ凄い人になって、私、おにぃちゃんにも凄いって思って欲しいの」

 

どうやらそれほど違いはないらしい。

 

「アイシャの言う『凄い』って自分より凄い人なんだろう?

 なら俺を越えないといけなくないか?」

 

「んむーそっかぁ。

 難しいなぁ」

 

やはり、あの時の発言に通ずる考え方を彼女はまだ捨てきれていないようだ。

俺は現世においてノルンやアイシャがどんな風に生活していたか、どんな風に人間関係を築いていたかほとんど知らない。

ただ復興中やアルスから戻ってきてからの生活の中でアイシャはノルンを馬鹿にしているようではなかったし、仲違いしていたような険悪さを見ることもなかった。母親は違うのに、母親が違うだけの何処にでもいる普通の姉妹だ。

俺が現世で変更した行動の結果なのか、転移事件で一家離散しなかったからなのか、別の理由によって変化した結果なのか、それは判らない。さらに言えば未だこの先に前世と全く変わらずにアイシャとノルンは仲違いを始める可能性は残っているし、さらに先には俺が危惧する後悔が待っているかもしれない。

そしてそうなった理由の芽は主にアイシャの考え方に沁み込んでいる。

 

「まぁ、とにかくアイシャは皆に認められる凄い人になりたいってことだな」

 

「そうなの!」

 

「じゃぁ前にしたのと同じ質問をしよう。

 おにぃちゃんはアイシャのことを凄いと思わないのはなぜかな」

 

「それはおにぃちゃんが私より凄いから!」

 

「外れ」

 

「むー……あーそっか。

 何と答えても『はずれ』って言うつもりだったんだでしょ? ね?

 間違わないって凄いでしょって私が言ったから」

 

「それも外れ。

 妹にそんな答えのない質問をしないぞ。

 今まで一度もアイシャにそんなズルしたことないだろう」

 

「うっ……でもでも、これが初めてのズルかもしれないもん。

 おにぃちゃんの答えが本当にあるなら言ってみせて。

 それで私の答えより説得力があるなら私が間違ったこと認めるよ」

 

こいつ本当に4歳児か……。

なんか俺がやってきたことの気味の悪さを見せつけられているような気になってくる。

そして俺がそう感じていることこそ、彼女が子供時代を切り抜けるために知っておくべきことでもある。

だから俺は――

 

「ふふふ。

 そんな風に誘導しようとしても駄目だぞ。

 答えを教えるわけにはいかないな」

 

「むー」

 

「納得いかないか」

 

「うん」

 

「何か上手いヒントがあればアイシャも納得するのかなぁ」

 

「ヒントをもらってもいいの?」

 

「ヒントらしいヒントじゃなぁ。

 まぁいくつか問答をしてみようか」

 

「問答?」

 

「そう2つの質問をするから、それぞれ考えて答えを言ってみて欲しい」

 

「どんな?」

 

「まぁちょっと聞いてくれ。

 もし俺がアイシャに嘘を吐くようなズルをするヤツの場合、アイシャはそういうズルをする人物を凄いと思う?」

 

「要領が良いってことならそれもありだよ」

 

内心で、嘘も方便みたいなことを言う妹に頭が痛くなってくる。

だがここで挫けてはいけない。

 

「なるほど。

 でもアイシャに嘘を吐いて見透かされてしまったのなら嘘は効果的ではなかった。

 アイシャ相手に嘘を吐いてはいけなかった。

 それって本当に要領が良いって言えるかな?」

 

「要領が良いとは言えないと思うけど……わざとそう思わせたいなら上手い方法なの、かな」

 

「つまり故意に嘘を吐き、それに気付かせることで要領が悪い人物だと思わせる作戦だってこと?」

 

「うん」

 

「そこまでするなら相当の理由がありそうなものだけど自分が納得できる理由はあるのかい?」

 

「そだね……理由、理由。私じゃわかんない。

 けどおにぃちゃんならどういう理由だと思う?」

 

「そこは自分で考えないといけない。

 アイシャ自身が納得しなきゃ意味がないからね」

 

「ぶー」

 

「結論としてはズルをするという想定はアイシャ自身が納得できる正当な理由がないってことだ」

 

「うん」

 

「もう1つの場合についても考えていこう。

 もし俺がアイシャに嘘を吐くようなズルをしないヤツの場合、アイシャを凄いとは思わない理由はなぜなのかってことさ」

 

「それ、おにぃちゃんがあたしにした質問じゃん」

 

「ふむ。

 なら少し質問を変えてみるか。

 誰か他人を凄いと思うってことは何なのかってことを考えてみようか」

 

「皆が間違うことをあたしは間違わないから皆が凄いって言ってくれるし、自分が出来ないことを他人が出来たら凄いって感じてくれる。

 あたしもおにぃちゃんが手品みたいに3輪車を作るのを見て、あたしには出来ない! 凄い!って思ったし」

 

「アイシャはきっと素直な気持ちで俺のことを凄いって思ってくれたのかな。

 相手のことをそうやって認めたり、尊敬することは悪いことじゃない。

 でも良い事ばかりでもないと俺は思ってる」

 

「悪い面があるってこと?」

 

「俺の体験した範囲ではね」

 

「でも他人(ひと)の悪いところばかりみたらダメってシルフィ姉は言ってたよ。

 だからあたし皆の良いところを探そうとしているし、あたしもそう思って貰えるようにしてるの」

 

「シルフィの話は別に間違っている訳ではないし、何となく意図も判る。

 大方、アイシャはノルンと喧嘩をしたか、それとも陰口でも言ったってところかな。

 それでシルフィに叱られて今の話をされたって所だろ?」

 

「凄い。その通り!

 シルフィ姉に聞いて知ってたの?」

 

「いや、ただの想像さ。

 ノルンがもう気にしてないならそれを俺がとやかく言うことじゃない。

 誰にだって失敗はある」

 

「そっかおにぃちゃん、私が間違ってたってこと知ってたんだね。

 だから凄いと思わなかったんだ……」

 

「違うよ。

 そういう考え方自体が間違ってると俺は考えているからさ」

 

「判らないよ。

 おにぃちゃんの言ってること難し過ぎる」

 

「まだおまえは小さいから判らないのかもしれないな。

 でもアイシャはそれに自分の力で気づくことができるはずさ。

 だから答えを俺から言うこともないよ」

 

「いじわる」

 

「そうだなぁ。

 じゃぁもう少しヒントを出そうかな」

 

「どんな!?」

 

「まぁまぁ。

 アイシャの中では今のところ、

 『他人は良く間違えるけどアイシャは間違わない。だからアイシャは凄い』、

 『自分に出来ないことを他人が出来るならその者は凄い』、

 『私に出来ないことをおにぃちゃんが出来るから、おにぃちゃんは凄い』。

 この3つの凄いがある訳だ」

 

「うん」

 

「『でもおにぃちゃんはアイシャを凄いとは思っていない』。

 ならそれを入れ替えてみたり、裏返してみたりできないか?」

 

「え?」

 

「ヒントだからな。

 これ以上は答えになってしまうよ」

 

 

 


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