無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
--- 眠りながら目覚め、目覚めながら眠る ---
「そうそう。馬の気持ちになってだな……」
昨日、近くにある拠点が盗賊団の住処になっていたせいで半日程の足止めを食らった。
こういうことは旅では付き物だ。あまり気にすることでもないだろう。
それで今はパウロと2人で御者台に座って並び、馬車を御す手解きを受けている。
一頭曳きの割りに荷車の幅が大きいおかげで御者台も窮屈ということはなく、カラヴァッジョの肩越しに見る景色がずっと先で分岐しているのが見えてくる。左に行けば剣の聖地、右に行けばラノア王国だ。
そして馬車の中からは時折、妹達の声や母達と嫁達の楽し気な声が聞こえてくる。
案外女性同士で仲良くやっているらしい。
もしギレーヌならその耳を使って会話を聞き取れたかもしれないが、俺では会話の内容を聞き取る程ではなかった。
たとえ聞き耳を立てたとしても無理だったろう。
そう。ギレーヌなら……なんて考えながら、分かれ道を右へと進んだ。
--
進路がラノア王国へ決まった時、急速に目の奥に痛みが走った。棘が刺さったようなその痛みに耐えきれず、目を閉じる。
それから御者のための手綱を握り直そうとした。
しかし手には手綱がなかった。
気付くのが遅れてしまったのは、自分の手の感覚がなくなっていたからだ。
いや、身体すらどこかへ消えたようだった。
唐突な現実感の喪失による心の動揺を理性で抑え込む。
動揺を抑え組んだ理性が理性的な疑問を生み出す。
どうしてこうなったのか、何が起こったのか。
隣にいたはずのパウロの気配は? 荷馬車に乗っているはずの母達、妹達、嫁達は?
駄目だ。何も感じられない。
この状況が自分だけなのか、それとも家族全員なのか。
もし俺だけがこの状態に陥ったなら馬車はパウロが操舵を引き継いでいるだろう。
もし家族全員だとしたら俺が何とかする必要があるだろう。
ただ馬車自体はきっと大丈夫だ。カラヴァッジョは賢い。
考えを自分の感覚に向ける。
目の奥に痛みが走り、馬車の音がしなくなり、手綱の感覚が無くなった。
それが変化だ。
そして痛みは瞼を閉じても続いている。
それから……森の匂いは消えずに続いている。
まずはこの痛みをどうにかしよう。
このズキズキする痛みに似た物は覚えている。
目の中に指を突っ込まれた時のヤツだ。
なら目の魔力、いや闘気を制御することで痛みを和らげることが可能かもしれない。
闘気のピントを合わせるように少しずつ段階的に眼の闘気を制御する。
ふいに目の奥の痛みがグンと引く瞬間があった。
ここか。それともここか。
痛みを手掛かりに闘気を繊細に制御する。
なるほど難しい。
ゆらゆらと変化する制御ポイントに合わせて闘気を変化させなければ、すぐにペナルティの痛みを受ける。
痛みを船頭として悪戦苦闘すること、長い時間がかかった気がする。
判ったことは波が上下するような感覚で制御ポイントを変化させれば制御ポイントに追従できるということだ。
もう痛みはない。目を開く。
先程と変わらぬ真っ直ぐな道の両脇に広がる森。
だが明らかな違いがある。
馬車に乗っていた時よりも視点が高い。
それだけではない。
目の前にいるはずのカラヴァッジョがおらず、それどころか馬車自体が無くなっている。
ロキシーやエリスは? 俺の家族は?
強烈な不安感から振り返ろうとして、振り返ることができないことに気付く。
自分の意思で動くことができないというのは不自由だ。
何処へ行くのか。この状態が敵の攻撃なのか。そんな不安との闘い。
人によっては耐えられないと思うのかもしれない。
眠ると少しずつ未来が失われていく夢を見て、死ぬ間際のことを思い出したときのようではない。
……そうだな。2回目の転生で胎児に戻ったときに似ているだろう。
大人の意識を持ったまま過ごしたあの頃。
最初はどうにも不安だが、どうせどう転んだってなるようにしかならないと開き直ったあの時の感覚。なら今回も同じようになるようにしかならないのだろう。
事態が呑み込めぬままそれでも気持ちが固まると、ふいに景色が動き出した。進む速度は馬車のそれだ。暫く進むと、先程に見たのとそっくりの分かれ道がなぜかまたある。
その分かれ道を今度は左へと進んでいく。
ここからの森の中の道中、ネリス公国の西端まで分かれ道がないはずだ。
だから確信する。痛みが来る直前の場所ではない。しかし、そこかしこに見たことのある景色の切れ端があり、道のうねり方も記憶の彼方とどこか一致している。俺はずっと昔、この道を歩いたことがある。
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暫くは何もない森の道を進む。
同じような景色が続き、たまに森が途切れるときに垣間見る情景はやはりどこかで見たことがある。
もしかすると、ここは剣の聖地に至る道かもしれない。
一体これから何が起こるのか。何を俺に見せたいのかそれに集中することにしよう。
遂には木々の植生が針葉帯へと変わり、雪がちらほら見え始める。
そして雪が木々の隙間を埋め尽くすようになる頃、街道が途切れた。
ここからは道なき道を行かねばならない。常に雪に覆われる大地の中で街道を作ることは容易くない。
でも大丈夫だ。ここまで来た道と同じ幅で人工的に森を切り開いた跡が残っているから森の中で迷うことはない。
そうでなくても今は問題にならなかっただろう。
この状態は、身体を失って波間に浮かぶクラゲか木の板と大差がないのだから。
道なき道を進んでいく。俺は為す術もなくその景色を眺め続けた。
雪の中に2人分の足跡が見えて、すぐに1人の男と1人の猫耳の少女が歩く後ろ姿を捉えた。
そして森を抜ける。
彼らが歩いていく先に、町が見える。
一年を通して雪に閉ざされた過酷な大地にひっそりと佇む町。
剣の聖地。
剣を極めるために他の一切を排除する。
そんな町に辿り着いた。
男と少女は剣の聖地に入り、そして町の中にある道場へと消えた。
どうやら道場主が男の知り合いで、少女を入門させたいようだ。
男に促されて少女が道場主に剣神流のお辞儀をしている。少しぎこちないが幼さを考えれば努力の跡が見られるので、男が少女に練習させたのではないだろうか。そんな光景が見える。
男が道場主と交わした言葉が聞こえてくる。
「レオン、この子を道場に入れると言ってもお前の教育方針を捻じ曲げるつもりは俺にはないぞ。
これからどうやって育てていくのか。その辺りのことを教えて欲しいのだがな」
道場主の言葉を受けて、男は道場主と少女の顔を見た。
「酒も用意してある。
泊っていくんだろう?」
男は重ねられた言葉に顎を掻き、乱れた髭を
「そうだな。
ザックに挑んで俺が無事である保障もないからな」
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レオンと呼ばれた男と道場主の宴が始まり、レオンは酒を飲みながらこれまでの旅と修行について話し始めた。
2人の会話を聞くにつれ、昔、レオンと道場主は同じ道場の門下生であったらしいことが判る。
お互いが闘気を自在に操れるようになるまでを過ごし、2人は剣聖になった。
だから昔に倣って剣の修行の話をするのは自然な流れのようだ。
剣聖になった後、レオンは特異な闘気を発現させたが、道場主はごくごく一般的な速さや重さをブーストする闘気の持ち主だった。
2人は同じように努力したが、闘気の違いからレオンは剣帝になり道場主は剣聖で留まった。そしてレオンは剣神を越えるための旅に出ることになる。一方の道場主は大道場を出て師範の道を選択した。
剣帝レオン。俺は記憶を巡らしてみたが初めて聞く名だ。
そもそもこれまで剣神流の歴史に興味も無かった。
いや……ずっと昔にルイジェルドに何かの前世ネタを言ったら、そのネタと同じ名前の剣神が居たとか呟いていたな。
これが確定した過去の事か、未だ確定していない未来の事か、もしくは起こらなかった別の世界線か、明確には断言できない。
だが先程の猫耳少女が俺の知る人物であるとするなら、これは過去の事象だと言える。
なぜこのような物を見せられるのか。
まだ判らない。
長い宴が終わり、2人共が深酒のせいで眠ってしまった。
この2人の男どもの寝姿を見て俺に何を想えというのか。
……やめよう。何かを伝えたいとしてもあまりにも要点が纏まっていない。
この状況自体に意味がないのなら、話の中身が重要かもしれない。
それなら得られた情報を整理してみよう。
まず、このヒゲの男は剣帝レオン・ファルファクス。一緒に来た猫耳の少女はギレーヌ・デドルディア。
どう計算したって俺が生まれる前の話だ。
ギレーヌの師匠といえばガル・ファリオンのはずだ。その違いは前世と現世に違いがあることを示しているのか、前世と同じことが起きているのに俺自身の知らない情報であるのかということに分けられるだろう。
俺の行動変化によって運命が変化するのは未来であり、生まれる前の過去の事象が変化するとは思えない。
つまり俺の勘違いを正すためにこの過去ビジョンがあるのだとすれば、ギレーヌを剣の聖地まで連れてきた人物と師匠は別だという可能性はある。確かにギレーヌからは冒険者時代の話や剣の修行時代の話は良く聞いていて、一方で幼い頃の話はギュエスから聞いた話だけで、大森林から剣の聖地までのことはごっそり抜け落ちてる。
暴れないようにと渡された指輪を悪い狼から守ってくれる魔除けの指輪と言っているくらいだ。幼い頃の記憶だから本人もよく覚えていないのかもしれないな。
このレオンという男が道場主に語る剣神流の話を俺は興味深く聞いていた。
俺がギレーヌに学んだ剣神流の理論とはかけ離れている。ジノ・ブリッツやその門弟の聖級剣士たちが見せた物とも違う。
そこには彼なりの剣神流に対する問題提起があったのかもしれない。
俺は彼の話からそんな意図を汲み取った。
初代の技を研究、分析した剣神流。
研究の結果、初代が得意とした超高速の斬撃を『光の太刀』として定型化し、定型的な鍛錬法とコツに昇華し、真似のできる技術にまで汎化させることに成功した。
ほぼ全ての剣聖が『光の太刀』を使うことができるというのが剣神流の大まかな認識だ。
そして俺の知っている剣神流は、剣速と踏み込みによって防御不可避の一撃を以って相手を打倒するシンプルな流派であり、闘気を自在に扱える剣聖ともなれば『光の太刀』による常人を凌駕する速さの剣撃を繰り出すことができる。
そして『光の太刀』の強さの違いによって剣帝、剣王、剣聖と称号を授けられる。
シンプルだから強い流派。
道場主もほぼ同様の認識であった。
レオンも剣帝になるまで他の者と同じように考えていたという。そして自分は剣神になれる力があると思い上がっていた。
先代の剣神よりも今の自分は強い。だから自分にも剣神になる資格があるだろうと考えて、現剣神ザック・ファフニールに闘いを挑み、敗北した。現剣神ザック・ファフニールの『光の太刀』はまるで別物だった。
レオンは語る。
剣神の比類無き強さを目の当たりにして、自分の考えを改めたと。
確かに『光の太刀』は強く、闘気を扱う才能さえあれば剣聖になれる。
鍛錬方法というよりは特殊な闘気の運用方法が剣神流に合致していた自分やザックは例外だが、そんな特殊な闘気を持っていなくても主流になっている鍛錬法がマッチすれば剣王以上の称号が待っている。
そして剣神流にもいくつか技はあるが、技巧的な物よりも『光の太刀』を使うことが圧倒的に多いし、それで十分な場合も多い。結果、剣神流が単純だからと余り考えない武芸者が増えすぎている。
初代剣神の剣技を分析するところから始まったから、というのもあるのだろう。剣神流の下位の者達は剣神、剣帝、剣王の技を学ぼうとする。自分より強い者に教えを乞うことに疑問を持たないと言っても良い。
疑問を持たないで済んだ者達が上位階級を独占し、下位階級に甘んじている者も上位階級から教えを乞うことに疑問を持たない。
それは悪循環だと、さらにレオンは主張する。
現剣神の強さは、現在主流の鍛錬方法では手に入らない。
なぜ自分と剣神の『光の太刀』はこんなにも違うのか。
そもそも大まかにいって剣聖2人の『光の太刀』を同時に捌ければ剣王であり、剣王2人の『光の太刀』を捌ければ剣帝である。同じ『光の太刀』でも使い手によって全く異なる強さを生み出すということは、何も剣神と剣帝の間でだけ起こることではない。
そう思い至った末にレオンが導き出したのは、使い手によって大きく左右される剣技を同じ『光の太刀』と呼び、思考停止していたことが間違いであるという仮説だ。
俺も『岩砲弾』だけで帝級の威力があると呼ばれた過去があるので、レオンの主張は良く理解できる。
要は『剣王・光の太刀』、『剣帝・光の太刀』のように分けて考え、その領域に達するにはどのような工夫や鍛錬が必要になるのか、分析、研究するべきだということなのだろう。
その結論からはさらに、『剣神・光の太刀』といっても各代によって強さには幅があるということが言える。
なぜなら、剣神とはこれくらいの強さがあったら剣神という決まりがあるわけではなく、剣神流を納める者達の中で当代随一の者を指す言葉であり、だから代によっては今のレオンより弱い者もいれば伝説と呼ばれる初代の強さに匹敵する者もいたかもしれない。
レオンは剣神流の売りである速度でなら自分の剣はザックに負けないと感じたらしい。
それでもザックの強さが自分よりずっと高みにあると認めざるを得なかった。
何に差があるのか。
筋力によって生み出す剣速。これが圧倒的で相手が動いてからでも相手より先に攻撃し、一撃で屠れるのが初代剣神の技らしい。あらゆる物を両断する超高速の刃、『初代剣神・光の太刀』。現代においてそれを間近で見た者はいないが、レオンが目指した光の太刀も『初代剣神・光の太刀』かそれに匹敵する強さという話だった。
『当代剣神・光の太刀』はどうか。現剣神ザック・ファフニールの『光の太刀』も初代と同じくあらゆる物を両断する。その剣はただの竹刀であっても闘気に包まれると白く発光し、まさに『光の太刀』と言うべきものらしい。
他の者が使う『光の太刀』に先手を打たれても打ち合えば必ず勝てる。水神と打ち合ってさえその奥義を突破するかもしれない。
そしてその発光現象は肉体全身を包むことができ、あらゆる攻撃を無効化するらしい。斬撃、刺突、殴打だけでなく、魔術すら無効化するといわれている。
剣神流が速さの流派とされているのに、その剣神が速さでない強さで頂点に立っている。
でも強い。
誰よりも強いやつが剣神を名乗る。それに異を唱えられる者はいない。
そして剣帝レオン・ファルファクス自身も特異な闘気を扱う。
彼の闘気について説明する前に、人体の安全装置と闘気の効果に関する彼の持論について知っておこう。
彼の話を聞くに、人間の能力というのは本来の潜在能力の半分以下しか発揮できないようにリミッターが働いているらしい。通常の肉体においてその機能は無駄な訳ではなく、安全装置となる。もしこの
そんな必要不可欠な安全装置だが、1つの疑問が残る。聖級以上の剣士になれば闘気で自己の身体能力を強化して通常以上の力を発揮し続けることができるのだ。つまり闘気を使って身体能力を強化している場合は、同時に闘気によって肉体が自壊しないように耐久力が上がるという論拠を得る。だとするとどうなるか。本来、耐久力が上がった分は安全装置が制限する安全マージンを小さくすればより高い運動性能を発揮することができる。
闘気を扱えて、同じ光の太刀を放つことができるのに剣聖、剣王、剣帝で強さに違いが出る理由の多くは、闘気の量や駆け引きではなく、鍛錬と才能によって自分の限界を制御し、安全マージンを如何に小さく設定できるかによると思われる。
レオンは安全装置を闘気によって意識的に解除することができる。この技術は『
しかも制限されている安全マージンを10%程解除し、普段の90%にするだけで圧倒的な強さを発揮できる。彼曰く、安全マージンギリギリまで解除すると、素手で光の太刀を放てるらしい。
だが、当時のレオンの能力では現剣神ザック・ファフニールには勝てなかった。どれだけ速い光の太刀を放とうとも白く発光する闘気鎧を貫くことができなかった。
そしてレオンはそこで諦めずにさらに強くなるために修行の旅に出て、基礎となる肉体を強化し、より強力な『光の太刀』を放つ方法について探していたという。
どうやら魔大陸の聖地でそれを得て、ついでに猫を一匹拾って来た。
彼が剣神になった暁には、その猫を育てようというつもりのようだった。
--
朝が来たようだった。
考えるのに時間がかかったのか、この状況は時間感覚が異なるのか。
良く判らなかったが、先に目覚め、上体を起こしたのはレオンの方だった。
「クソっ、嫌なモン見せやがる」
寝覚めが悪かったのか悪態が聴こえてくる。
そのまま道場主の方をみつめ、長い時間の末、彼は朝の身支度を始めた。
レオンは道場主を起こさぬように身支度を終えると、部屋を出て行こうと扉に手をかけたところで立ち止まった。
「カルテイル。悪いがギレーヌを暫く頼む」
レオンは眠っている道場主に告げるとそっと部屋を抜け、玄関を通って敷地の外へと歩いていった。
「おじさん。今日は稽古の約束のはず」
敷地を3歩出たところで背中越しに少女の声がして、レオンは庭へと繋がる玄関の右側へと頭を巡らした。
そこへ少女がタッタと近づいてくる。
「お前はしばらくここで修行をする。お前が諦めなければ、いずれは剣神に学ぶことができるだろう」
「どこ、行く?」
「少し夢を見てな」
「夢?」
「あぁ。
いやにハッキリとした夢だった。
こんなダンディなおじさまを捕まえて、予知夢なんぞ信じる乙女だと思われているとすりゃぁ心外だがな」
「信じてない?」
「旅で幾度となく見て来ただろう。
上手い話を持ってくる奴の中で本人のメリットを話したがらない奴はだいたい詐欺師だ。
でもお前が関わってくるとなれば少し気になる。
確かめる必要はあるだろう」
「すぐ帰って来れる?」
「少しかかるかもな」
「待つよ」
「そうか。もし帰ってこなかったならお前はお前のやるべきことをやれ」
「うん」
夢、詐欺師の夢を見たと言ったか。
剣神との再戦のために魔大陸まで行き、剣の聖地まで戻って来て、再戦した後はギレーヌを育てるつもりでいた男。
その男が全ての予定を投げ打って、旅立っていった。
その後ろ姿を見つめ続けた少女の顔は寂しげだった。
--
レオンが町に消え、耳を立てていたギレーヌの耳がしょんぼりと垂れた。
そこに起きてきたカルテイルが玄関口へと出てくる。
「お前のお師匠さまは、こんな早くに行ってしまったのか?」
カルテイルに尋ねられ、ギレーヌは今朝、剣の稽古をつけてくれる約束だったことを説明した。
だが彼は具合の悪そうな顔をして稽古をつけてはくれなかったこと。
そしてまた旅に出てしまったこと。
そういった出来事を少女はつたない人間語で伝えようとした。
「夢を見た。言われたことが気になる、言った」
少女の答えにカルテイルは少し困った顔をしたが、
「そうか。わかった」
一言告げると彼はギレーヌの頭を軽く撫でて屋敷を出て行った。
そしてまたもや立ち尽くした彼女は耳を立て直した。
でも、また耳をしょんぼりとさせると屋敷の方へと消えていった。
俺の視点からはカルテイルがレオンとは違う方へと歩いて行ったのが判った。
レオンは町を出る方へ。
カルテイルは大道場へ。
それをギレーヌは音で理解し、カルテイルがレオンを追いかけて留まるように説得してくれる訳ではないと考えたかもしれない。
だがカルテイルの立ち場で見れば、レオンの昨日の言葉から剣神と再戦しに行くと思ったからの行動であり、レオンを追いかけたつもりなのだ。そしてそれが空振りに終わればカルテイルはギレーヌの言葉をもっと吟味するに違いない。
--
また眼に強い痛みを感じて痛みがなくなる方へと眼の闘気を制御する。
すると景色がまた動き出し、丁度、カルテイルが町の最奥、大道場の入り口近くまで来ていたところに追いついた。
それと同時に感じた。
ミシミシという音が当座の間の方から聞こえてくることに。
信じ難い量の闘気がうねり、ぶつかり合うことで唸っているのだ。
俺にはそれが判った。
もしそれが奥に居るであろう人物の為していることであるなら、非常に興味深い。
闘気とは即ち魔力だ。それを呪文の詠唱によって強制的に、もしくは無詠唱で意識的に魔術として構成し、投射すれば魔術になる。
一方、闘気として魔力を使う場合、それは肉体の細胞に留めることが重要になる。詠唱は存在せず、体内を流れる魔力を一所に練り固め、肉体の能力を向上させる。
しかして、どちらもその力の源は魔力であり、闘気を編み上げて外界に投射することも可能だ。例えば水神流 第肆の奥義 剥奪剣が敵の予備動作に反応して打ち出す闘気弾は魔力の塊であって、肉体を強化する物でも通常の魔術のように物理現象化した物でもない。
それを理解できているからこそ目の前で起きている闘気の鳴動がどういう現象なのかわかる。
これは闘気を身体から投射し、それらを鞭や波のように操り、打ち鳴らしているのだ。
体外へ放出した闘気を維持するのは想像を超えた芸当だと思われる。
そして屋敷の中に居る者が門の外までそれを放出するのなら、とんでもない闘気量、即ち魔力量を持たねばならない。
大量の魔力量を持つに至る道筋は簡単に列挙できる。
先天的に魔力量が多い者。この世界では魔力総量は先天的に決まっていると教本にも書かれている。尚、魔力を大量に保有するためにはその魔力に耐えうる肉体・器が必要だ。
しかし、教本に書かれている内容は誤りであるから後天的に魔力を増やすこともできる。魔力総量を伸ばすためには魔力総量の成長期に魔術を使うことだ。2番目のファイナルなファンタジー世界では戦闘中に大量にMPを消費すると、最大MPを増やすことができるというシステムがあった。この世界でも仕組みは良く似ている。
さらに、ゲームの中ではお手軽に消費するためにチェ〇ジという魔法を利用し、相手とのMPを交換するテクニックがあった。するとあっと言う間に魔力は底をつき、最大MPを増やすことができた。一方、この世界で魔力量を増やすのに戦闘中という制限はない。だから単に暇な時間に消費魔力の高い魔術を空撃ちしておけば良い。
だとしてもこの世界では伸ばせる限界値は肉体の許容量によってそれぞれ異なる。
次に闘気を手に入れるには体内を僅かに流れる魔力を練り、押し固める感覚を覚えなければならない。
熟練の剣士のように身体の感覚を研ぎ澄まして漸くそれは体得できる。
魔術が呪文の詠唱によって体内から無理矢理魔力を供出するのに比べて極めて繊細な技術であると言える。
問題は魔力総量を上げると体内を流れる僅かな魔力を感知できなくなる点だ。
よって大量の闘気を手に入れる道筋は、先天的に大量の魔力を保有できる肉体であること、かつ魔力総量が初期段階で少ない状態であること。そして魔力の成長期が終わるまでに闘気を身に付け、さらに期間が終わるまでに体内の魔力を魔術もしくは闘気を使用して伸ばすということになる。
だが北神流に伝わる秘伝の方法もあるし、多くの人間に当てはまるだけで個別には違うかもしれない。
例えば、大量の魔力総量を得ても体内の僅かな魔力を感じ取れるなら問題は発生しないし、一般的な成長期間が10歳までだとしても特異な体質として長い期間を得られるなら、簡単に伸ばすことができる。
カルテイルも剣聖なればこの闘気の振動を感じることが出来たのだろう。
音のする範囲に入ると一歩後退り、ぶわっと噴き出た汗を手で拭ってから意を決して歩いて行くのが見える。
それを追うように、俺のままならない身体も道場へと誘われた。
--
道場には一人の男が座っていた。
入り口から見て男の左横、彼の右手の届く距離に竹刀が一本置かれている。
男の放つ闘気に弟子達は今日の修練を辞退したか、それともいつも彼はここに独りなのか。
俺には分かりようもない。
ただ荒れ狂う闘気を放ち続ける以外は微動だにしていない男を見て、この男が自分の記憶にはないことがはっきりする。
気配はバケモノ染みている。
いつか見た霊団を凝縮したら、こんな幽鬼になるのではなかろうか。
カルテイルが道場に上がるとその入り口で片膝をついた。
会話をする距離としてはやや遠い。彼の限界がそれなのかもしくは作法の範疇か両方か。
「剣神様、鍛錬中に失礼致します」
闘気の唸り声が止み静寂が訪れる。しかし殺気の無い闘気の塊が厳然として目の前に存在し、強い圧迫感は残ったままだ。
「我が友レオン・ファルファクスは来ておりませんか?」
カルテイルの言葉に剣神は何も答えない。だが闘気がみるみるうちに小さく収まっていく。
カルテイルの意図は判る。ここに来るまでは2人が戦っているかもしれないと考え、考えに反してレオンは居なかった。とすれば既に再戦が済んだか、もしくは挨拶だけして帰ったのかと問うたということだ。
闘気が完全に収まると、剣神が平坦な声音で言葉を発した。
「剣帝は、来ていない」
茫とした表情に目は虚ろ、焦点は彷徨い、圧迫感に反比例するように生気が感じられない。
微動だにしない様は水神流ならばさぞ強かろうと思わせるが、剣神流として強いというのがあまりにも意外な印象を感じる。
だが先程のとてつもない闘気が証明している。
この男は強い。
「そうですか。
レオンが剣神様と戦いたいと言っていたのですが」
カルテイルも少しだけ気が抜けたのだろう。
「どこに行ったんだ……」
と、後半は誰にともなく小さく呟いた。
それに応える者はいない。
一瞬の静寂の後、カルテイルは辞去の言葉を述べて道場を出て行った。
カルテイルが出て行くと、剣神ザックは竹刀を持って立ち上がった。
俺はまだこの場に居ることを許されている。
剣神が竹刀を両手で上段に構える。
無言でゆっくりと、亀が歩くよりも遅い速度で振り下ろすのを見る。
遅い。
その剣では何者も斬ることは出来ないだろう。
そして振り終わると足元付近で止まる。
気が付いたときにはまた上段の構えになっていた。
剣神が剣を構え直す動作は全く見えなかった。
俺は驚きはしなかった。なるほどなと思った程度だ。
また竹刀が振り下ろされる。
振り下ろし終わる。
コマ落ちしたように竹刀は上段の位置に戻る。
2度目でも振り上げる動きが認識できない。
こういう経験は何度もしたことがある。
前世のガル・ファリオン。同じく剣神ジノ・ブリッツ。龍神オルステッド。
剣術理論を実践し、闘気を得て相手の攻撃を見切る。
俺の技術では認識すら不可能な者が新たに1人追加された。
剣神ザック・ファフニール。
俺のような弱者からは比較できないが、もしかすると次の時代に現れる剣神よりも強いのかもしれない。
--
長い長い夢のような時間はまだ続く。
ギレーヌはその後、道場主カルテイルの元で毎日のように猛稽古を繰り返していた。
剣帝レオン・ファルファクスに見いだされた獣族の少女という前評判に応える実力を示している。
たどたどしいながらも人間語を使えるのでコミュニケーションも取れている。
強くなることだけが全てのこの場所で、彼女は除け者とされることも厄介者だと爪弾きにされることもなかった。
今も一人の上級剣士らしき男と対峙している。
上段に構えたギレーヌの剣先は厳しく、攻撃的で、速い。
迷いを知らぬ太刀は相手の腹部を横薙ぎにして、致命打をもたらす。
上級剣士の繰り出す闘気混じりの無音の太刀を躱し、目にも留まらぬ速さで追撃を加える。
逆に後の先を取ろうとする者は何もできずに容赦ない一撃を受けて床と盛大にキスをすることになる。
その姿をして周りの者はギレーヌを黒い
俺はその戦闘をみて驚いた。
前世で剣神流を俺に教えてくれたギレーヌが合理化されていない動きをする。
現世で彼女の弟子にはならなかったが、現世でも彼女の動きは合理に従っていたはずだ。
だがどうだ。この独特で獣然とした動きは俺が非合理を目指して鍛錬している獣拳の型の原形にも見える。
これまでの話を総合すれば剣帝と共に大森林から剣の聖地まで修行をしながら辿り着いたはずであり、短くても2年、長ければ3年は剣神流を習っているはずだ。
なぜ彼女は合理に基づいた動きを取らないのだろうか。
レオンの去った剣の聖地で俺の疑問に答えてくれる者は道場主のカルテイルだけだ。
その道場主は面白そうに見ているだけ、何が面白いのか微かにほくそ笑んだ。
と同時にまた別の上級剣士が地に伏す。
もう道場に五体満足な剣士はギレーヌとカルテイルだけだ。
「ギレーヌ。楽しいか?」
カルテイルはそう問いかけた。世間話であって指導のようなものではない。だが俺も弟子や父に剣を教えるときには言葉を用いずに、とにかく戦いの中で何かを気付かせようとした。もしそれがこちらの意図通りでなくても良いと考えていた。
「……はい」
ギレーヌは息を整えてから応える。
「戦う相手がいないのでは、私が相手をする他ないな」
言い終わるかどうかというタイミングでカルテイルは竹刀をやおら構えると一瞬でトップスピードに到達して駆け寄り、先制の上段振り下ろしを加える。彼は闘気を纏っていた。ギレーヌはそれを寸でに躱すもカウンターを放つことができず、結果、連続斬りの餌食となった。
倒れたギレーヌは何を思ったか。何に気付いたか。
合理を追及するならカルテイルを越えた動きをすれば良い。
カルテイルの表情、剣神ザックの素振り、レオンが語ったこと、俺ははっとした。
少女ギレーヌの強さは速さだ。それは合理を伴わない。その速さを極めた先にもまた別の剣神流の姿があるのではないか。
勝手に合理を追究したものが剣神流だと考えていないか。
剣神流の教えとは伝え聞く初代剣神の動きを手に入れるため、『光の太刀』を体得するためのものでしかない。
それはある意味で最短・最速になるためには正しい。
だがそれは初代剣神の全てではない。
光を纏った剣、それこそが『初代・光の太刀』。そしてそれを最短・最速で打ち出す。2つを合わせることが剣神流とするならまだこの流派は道半ばでしかないのではないか。
--
「おい。聞こえてんのか? ルディ」
パウロの声が耳に入る。随分と久しぶりに聞いた声だ。
そして鼻に森特有の湿気を含んだ草の匂いが入り込み、それが脳を活性化させる。ここは雪で閉ざされた大地ではない。
聴覚と嗅覚がはっきりした後、視覚もクリアになる。俺は慌てて空を見上げて太陽の位置は……昼食後くらいか。
「おい、手綱をちゃんと握るんだ」
手綱を握っていた手を開いたせいで注意されてしまった。その手を握り直す。肉体に異常はなさそうだ。
馬車の上、御者台で隻腕のパウロと2人。そうだ、馬車を御すためのテクニックを教わっていた気がする。
「えぇ……あぁ。はい」
俺は適当に返事をする。
夢から醒めてこれが現実かそれともまた違う夢か確信が持てない。
「すみません。一度、馬車を停めます」
「なんだ? まさか追手なのか?」
パウロの質問には「わかりません」と答えるに留め、俺は自分の
御者台を降り、闘気を眼に集中し、周囲を探っても敵らしきものはいない。
「どうしましたか?」
「敵の数は?」
追いかけて来た嫁2人に応えるよりも俺は周囲の安全確保を優先するが、残念ながら怪しい気配は存在しなかった。
「おい。本当に何でもないのか?」
馬車に戻ると、パウロは手綱を受け取ったまま心配気な顔を浮かべている。
結局、俺の勘違いということでその場は収まり、その後ラノア王国へ着くまでに似たような事が起こることは無かった。
あの現象は何だったのだろうか。
そして見せられているのが何者かの働きにせよ、自然の働きにせよ、どちらでも構うことはない。
結果は俺を慌てさせただけで表面的に見て何かになることはなかった。
であるならば、注視すべきなのはこのような回りくどいことをした、その働きに潜む意図だ。
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★副題はカウボーイビバップTV放送版のみのよせあつめブルースからの引用。