無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第080話_ヒゲ男が拾った猫

--- 力であれ、愛であれ、信頼を形作ることが師弟関係の基礎となる ---

 

椅子に座ったまま鞘から取り出した剣を砥石で磨き、それを羊毛で拭く。

剣をゆっくりと動かすと、刃が照り返す白い煌めきが同じように動いた。

 

作業が終わり、剣を鞘に戻す。

ふぅと一息。

今頃、お嬢様はパウロ一家(たち)と共に赤竜の上顎を抜けてラノア王国へ向けて馬車に揺られている頃だろうか。

剣を鞘に納めて、作業台の上に置く。

剣の整備で固まった身体を(ほぐ)し、目の疲れを取ろうと瞼を閉じれば、そこにお嬢様の隣に座るルディを幻視する。

私もかつてあの道を歩き、剣の聖地へと向かった。あの時の私も1人ではなかった。隣にもう一人、保護者の剣士が居た。

そうだ。この前の会合でもおじさんのことをゼニスに問われて、懐かしんだばかりだ。

 

 

何の因果かお嬢様に助けられた私は食客としてロアの領主の屋敷に住むことになった。

空いた時間に剣を教えてやって欲しいとサウロス様に頼まれ、お嬢様に剣を教えることになったのは良いものの、地味な鍛錬が気に入らなかったのか、打ち合いたいと言うから打ち合って叩きのめしたのが癪に障ったのか、お嬢様は私を夜討ちした。

それで私は彼女に教育的指導(スキンシップ)を行った。返り討ちにしたと言っても良い。

 

そうだ。教育的指導(スキンシップ)のやり方を教えてくれたのもおじさんだった。

バカな私にとって受け入れやすい物だったと思う。

おじさんはあまり他人に物を教えるのが上手くないと言っていたけれども、私はそうは思わない。

 

今度、お嬢様に会ったらその話をしよう。

きっと目を煌めかせて冒険譚を聞いてくれるに違いない。

 

--

 

旅。なぜ自分は村を出なければならないのか。

村人に嫌われて追い出された。実の親に見放された。そんな事だろうとは思う。私は嫌われ者だった。

厄介払い直前の私を、偶然村に立ち寄ったよそ者の男が引き取った。

人のクセに毛むくじゃらのこの大男に従ってどこへ行くというのだろうか。

この男について行った先に私の望みがあるとは限らない。

また捨てられるのかもしれない。

付いて行く義理がある訳でもない。

 

「どこへ……行く?」

 

「あん? 黙ってついて来い」

 

私のたどたどしい質問に男はぶっきらぼうな獣神語で応えた。

言葉を重ねても自分の想いは通じない気がする。

そう考えて、男が前に向き直り一歩を踏み出す瞬間を待った。

待ち望んだ刹那。

私はまっすぐな街道を逸れて森へと走り出す――

 

「チッ」

 

男が面倒臭そうに吐き捨てる声が遠くから聞こえる。気付くのが遅い。

私は心の中でほくそ笑んだ。

あとは好きに生きるのだ。まずは食糧を確保して……

 

頭の中がこれからの段取りに切り替わろうとした瞬間。

なぜか目の前に男が立っていた。

いつ? どうやって? 疑問が意識を埋める。

視界に入ってくる途中経過も判らなかった。男は唐突に私の進行方向の先に現れた。

進路を塞がれて一瞬迷う。でもぶつかったらそのまま捕まる。

咄嗟の判断で左脇をすり抜ける経路を選択し、それを試みる。

 

ガツッ。

 

いつの間にか男の右手にあった剣の鞘が腹に叩きつけられた。

今度は鞘を構えたことを認識できなかった。

速すぎる!

辛うじて目で捉えることができたのは自分の腹にめり込み振り切られた鞘だ。

そのスピードに身体が対応できずにまともに受けると、走った距離を吹き飛び、街道まで転がった。

転がってだらしなく仰向けに止まる。

腹から這い上がる痛みでゲホゲホとむせた。

戦士長として村をまとめていた父など全く及ばない強さをこのヒゲの男は持っている。

 

「おぅ。飛んだ飛んだ」

 

陽気な男の声。

吹き飛ばされたダメージが酷くて立ち上がれず、仰向けに倒れたままでいると視界に男が入る。

 

「俺が『黙ってついて来い』っていったらついてこいよ」

 

なんと暴力的な男だ。こんな男は見たことがなかった。

 

--

 

それからも気に喰わずに逆らえば殴られる。立ち向かわずに(わめ)いても首根っこを掴まれる。もしくは結局殴られる。

とにかく徹底的に力で捩じ伏せられた。

 

「やったらやり返される。いい加減覚えると良いぞ」

 

何度目かの教育的指導の後、男はそう言った。

 

「返されても、またやる」

 

私は上手く言葉を紡げなかったが、諦めるつもりはなかった。

 

「ふん。気に入らないか。

 そうだな。俺も力に訴えることはある。だからやるなと言ってるわけじゃない。

 やるなら徹底的にやれ。相手にやり返されない程、徹底的にな。

 やったらやり返されたと泣き言をのたまう馬鹿らしさはお前にも分るだろう?」

 

私は彼をしばらく凝視していた。

彼が言っていることの一つ一つは簡単なことだ。だがその先にあるものはとても難しいことを言っている気がする。

徹底的にやっても倒れているのは自分ではないか。目を逸らし、握っていた拳をゆっくりと解かざるを得なかった。

私は何も言うことはなかった。言葉で理解したというよりは本能が理解した。

 

「ふんっ」

 

私が拳を解いたので男は面白くもなさそうに鼻を鳴らした。それだけだった。

 

--

 

大森林を抜けて人族の住む領域が近づく前に、ヒゲ男から人間語を習い始めた。

そんなある日。

 

「おい。金目の物を置いていけ!」

 

「だとよ、ギレーヌ。

 今のヤツが何を言ったかわかるか?」

 

ヒゲ男はこれは良い機会だと言わんばかりに、話を振ってくる。

 

「はやくち。きけない」

 

「早口で聞き取れなかったらしいぞ」

 

「おめぇは判ってるんだからお前が……」

 

「うるせぇ。黙れ」

 

付き合いの悪い野盗さんの頭に容赦なく剣が叩きつけられる。

剣が離れると野盗さんは膝からがっくり折れて、上半身は後ろに倒れようとして絶妙な態勢で止まった。それを見た別の野盗その2さんが喚き始めた。

 

「この野郎!やりやがったな!」

 

仲間が酷い目に遭ったから、怒っている。

私はそう思った。

 

「今のは聞き取れたか?」

 

「たぶん。怒っている」

 

「まぁ、そうだな。

 じゃなくて何と言ったかを言え」

 

だいたい知らない単語の方が多いから初めて聞く単語を繰り返すのは難しい。

頑張って思い出してみるが駄目だった。

 

「……判らない」

 

「判らんか」

 

私はコクリと頷いた。仕方がないというように肩を竦めたヒゲ男は野盗その2さんを指差しながらゆっくりとかみ砕くように言葉を繰り返してくれた。

 

「あいつは、こう言ったんだよ。『この野郎、やりやがったな!』ってな」

 

ヒゲ男の言葉を聞いてから私は暫く黙っていた。

ヒゲ男も急かすようなことはせずにじっと待ってくれた。

野盗その2さんは事態を把握できずにヒゲ男を殺す隙を窺っているようだけど、隙を見いだせなかったのかな。

 

このやろう、やりやがったな!(わたし。やってない)

 

「そうだな。やったのは俺だ」

 

私は戸惑った。

ヒゲ男が言った言葉を繰り返せといったので頑張って繰り返してみたのに……なにが悪かったのだろうか。

多分だけど、繰り返したと思った言葉はまったく違う意味でヒゲ男に伝わったのかもしれない。

でも、それならもう諦めて意味について話した方が良いのかもしれない。

 

「あの盗賊さんも、やられてない」

 

「あぁ、やられたのはそこで死んでるヤツだからな」

 

「盗賊さん、あなたは、やられてないよ」

 

私はやけっぱちの気持ちで野盗その2さんに訴えた。真剣な顔で。

 

「ッチ。ふざけやがって。

 埒が明かねぇ!

 お前ら!」

 

野盗その2さんが手をあげると、「オゥ!」「やっちまえ!」「子供の方は殺すなよ」「そうだな後で楽しめる」とか―他にも口にしていたけれども聞いたことのない単語は聞き取れなかった―、そんな言葉を次々に挙げながら茂みの奥から顔を真っ黒にした汚らしい男たちが追加される。野盗さん達は目の前で仲間が殺されて頭に血が昇っているのかな。

冷静になる時間は十分にあったと思う。垣間見た実力差を正しく認識しようと努力した方が良い。

このヒゲ男は徹底的にやる男だ。

せめて人生最後の言葉になるかもしれないのならもっと大事なことを、意味があることを言った方が良いと思う。

 

「へっ、この人数だ。覚悟しやがれ」

 

それが野盗その2さんの遺言になった。

 

--

 

「こうなりたくなければ、盗みはやるなよ」

 

「うん」

 

野盗さん達が襲い掛かってきたとき、私は野盗さんを1人殴り殺した。

ほとんどの野盗さんはヒゲ男に殺到したけど、鼻息が荒くて目をギラつかせた野盗さんが1人、私に襲いかかって来たのだ。

私はその野盗さんを相手が動かなくなるまで殴った。

そこで武器を持っていなかったから手を痛めてしまった。

 

「痛むか?」

 

野盗さんが悉く地に伏した後、ヒゲ男が私に問うた。

 

「ううん」

 

なぜか私は否定してしまった。強がりではない。でもさすっている手の甲ではない気がした。

 

「そりゃ、大変だな。

 痛いのはここか」

 

そう言ってヒゲ男は私の胸の中心に彼の拳を突きつけた。

拳が当たった所に何があるのか……でも何となくその辺りが苦しい感じはした。

ヒゲ男がスッと腕を引っ込める。

その動作に合わせて、苦しくなった気がした胸の痛みが和らいだ。

何かの魔術だろうか。

 

「今日みたいにお前は自分が死ぬか、他人が死ぬか常に選択を迫られ続ける。

 もしお前が自ら死ぬことを選べばその先は真っ暗闇だ。

 後には何も残らない。さっきの野盗みたいにな。

 無意味な人生だ。

 嫌か?」

 

「うん」

 

「そうか。

 お前は今日、他人が死ぬことを選んだ。自分のための一歩を踏み出したのさ。

 でも忘れるなよ。

 お前が平穏を望み、死から遠ざかり、腑抜けになれば死の選択権を失うだろう。

 それでもお前は満足するかもしれん。

 俺はそんなもんクソ食らえって主義だがな」

 

今日のヒゲ男の話は難しい。本人の体験談? それとも何かの後悔? なにやら教訓めいているけれどその意図は判らなかった。

話が終わるとヒゲ男はもう何も話さずに、ただ黙々と私の傷だらけの拳に包帯を巻いた。

 

--

 

包帯を解いて傷口を川の水にさらす。

初めは痛いけど、綺麗にしておかないと膿んでしまって後で熱が出ると言われた。

だから我慢。

ついでと思ってそのまま水浴びをするために川に足を突っ込む。

川は細く浅い。

足首まで浸かると水を手で掬って汚れた部分を濡らし、それから擦って汚れが落ちるまで磨いた。

ひとしきり綺麗にして満足だ。

 

野営ポイントまで戻ると、焚火の前に座ったヒゲ男が棒きれを投げて来る。

私はそれを包帯を付けていない手でキャッチし、しげしげと見てみる。

ただの棒きれだ。

 

「剣だと思って、ちょっと振ってみろ」

 

言われるがままに棒きれを上から下へと振りぬいた。

ヒゲ男は安座のまま両手を後ろについた姿勢でそれを眺めていた。

 

「何度かやってみろ」

 

指示通り私は棒きれを振る。

ヒゲ男は私の振り抜きを見た後、立ち上がると傍まで来た。

 

「見ていろ」

 

次は見ろという。

ヒゲ男が別の棒きれを持ってそれを振ってみせる。私はそれを見た。

 

 

それから数日、休憩のたびに棒きれを振った。

何か特段の変化があったようには感じなかったが、その日に限っては鍛錬の後にヒゲ男から声がかかった。

ヒゲ男に近づくと彼の手には短剣があった。

そして短剣が私の眼前に差し出される。

私はそれを受け取った。

この短剣、私に襲い掛かって来た野盗さんの所持品だった物かも。

なんてどうでも良い考えが過った内にヒゲ男からアドバイスが1つ。

 

「いいか? その剣がお前の本当の武器じゃない」

 

私は剣とヒゲ男を交互に見つめながら話の続きを待った。

意味が解らないことがあっても焦らなくていい。最近それが判って来ている。

判らないことで癇癪を起し、暴力に出ても解決にならない。

だから待つ。もし待ってもわからなければ口で訊けば良い。

 

「お前の本当の武器は剣でも腕力でもない。そのスピードだ。

 だから剣を突き刺して足を止めるようなマネはするなよ。

 駆け抜けながら相手の首を掻き切るんだ。

 足を止めなければお前は負けない」

 

なるほど。剣を使って掻き切れば手は傷まない。効率を上げるために剣を用意してくれた。

ヒゲ男の言葉の意図を理解できた。

そして短剣を渡されたのは剣の筋が良くなかったのかもしれないとも思った。

でも一番気になったのは別のことだ。

 

「でも、あなたには、勝てない」

 

「なんだ? 俺をそこらのやつと一緒にするなよ」

 

「あなたに、勝つ、には?」

 

「俺に勝ちたいなら俺より早く動く必要はあるな」

 

「それで、勝てる?」

 

「少しくらい俺にスピードで優っても勝てねぇな」

 

「……どうしたら、いい?」

 

「そういうことは自分で考えろ。お前が本当に俺に勝ちたいのならな。

 俺は剣神に本気で勝つために旅に出て、もしかして勝てるかもしれない所まできた」

 

「剣神? 強いの?」

 

「あぁ。俺の剣が全く通じない男だった。

 あらゆる攻撃をはじき返す光の鎧。

 ヤツより速く動こうが、正確に急所を狙おうが、駆け引きに勝とうが、全く無駄だった。

 しかもヤツの剣は全てを両断する。防御不可能な一撃。真の光の太刀。

 一撃でも掠ればそれで終わりだ」

 

「勝てなさそう」

 

「お前もそう思うか」

 

「……うん」

 

「だがヤツが以前戦ったときと同じ力しか持っていなければ俺が勝つ」

 

ヒゲ男はぐっと拳を握り、嬉しそうに笑った。

 

「楽しそう、だね」

 

「楽しいに決まってる。

 お前も楽しめ。たった一度の人生だ」

 

「うん」

 

--

 

「腹が減ったな」

 

ヒゲ男が街道を歩きながら言った瞬間にぐぎゅぅっと腹を鳴らした。

私の耳はその音をしっかりと捉えたが何も言うことはなかった。

それもそのはずで自分の腹からも同じようにきゅるるっと腹の虫が鳴いたからだ。

 

「だが金がない」

 

ヒゲ男は財布の口を下に向けて中身が空であることを身振りでも示した。

 

「盗みはダメ」

 

私はヒゲ男が昔に教えたことをちゃんと覚えていると示した。

そう言うとヒゲ男の顔が少しニヤけたかもしれない。

でも急にヒゲ男が「仕方ねぇ」と呟いて歩き出したので私からは彼の表情は窺えなくなってしまった。

私は追いつこうと小走りに走りながら「なにする?」と尋ねた。

 

「まぁ、あんまりやりたくはないがな」

 

「悪いこともダメ」

 

ヒゲ男の口振りにまたしても嫌な気配を感じて、そう指摘する。

 

「少々荒っぽいが別に悪いことじゃねぇよ。後がちょっと面倒臭くなりそうなんでな」

 

「ふぅん?」

 

ヒゲ男はもう何も言わずに歩いて行ってしまった。

はぐらかされたのかもしれない。でも何となく私の言葉はヒゲ男の期待に沿ったものだった気がする。

それが嬉しかったのでついつい尻尾が左右に揺れてしまった。

そんな私達の行く手は巨大な街に飲み込まれていく。

 

 

ヒゲ男が向かったのは街の道具屋だ。それなりに大きな商館に登録した道具屋らしく、売りたい物は何でも買い取ってくれた。

ヒゲ男が言うには、何でも買い取ってはくれるが金額は『相場』によって上下するらしい。

とにかくスッカラカンの私達は売れる物は何でも売った。

盗賊から剥がした道具、大森林で採集しておいた香辛料や薬草などなど。

おかげでヒゲ男に持たされていた道具袋の中身は空になった。

そのお金を持って食事処に行き、遅い昼食もとい早めの夕食を摂る。

久しぶりに肉にありついた。

 

「直接、商人に売ってもやはり大した金にはならないな」

 

食事の合い間にヒゲ男がぼやく。それを聞いてここに来る前に道の端に敷物を敷いて商品を並べた、いわゆるフリーマーケット販売をしている冒険者たちを見たことを念頭に「でも自分達で売るのは無理だと思う」と言ってみる。

ヒゲ男の顔は怖いし、子供の私は騙されそうで商売には向いていると思えない。

 

「ギレーヌ。お前の言う通り自分で売るのは馬鹿げてる。

 あぁいうのは貴重な人生の浪費だな。

 だがな。フリーマーケットでも商人でもない第三の買い手がいるのさ」

 

「誰?」

 

「ギルドさ。余程の魔力付与品でなければ適正な価格で買い取ってくれるだろう」

 

「冒険者ギルド?」

 

「魔術ギルドもあるし、暗殺者ギルドや盗賊ギルドだってある。

 まぁでも俺達なら、お前の言う通り冒険者ギルドが良いだろう」

 

高値で買ってくれるところがあるのに、わざわざ安い値段で売った理由は何だろう……考えてもよくわからない。

 

「ふぅん……」

 

「あら。ヘイムダルじゃありませんの」

 

会話が迷走する前に、私の後ろから女の声があがった。

対面に座っていたヒゲ男が少し嫌な顔をしながら目線を持ち上げるのが判る。

 

「よぉ。エリナリーゼ」

 

私も視線を追いかけて振り向くとそこに、金髪の少し変わった顔立ちの女性が立っている。人族と同じ場所に耳があるが、獣族のように人より大きな、というより長い耳をしている。

人族ではない。

とにかく2人は知り合いのようだった。

 

「まぁ、こんな小さな子をどうしたのかしら?」

 

「世話になったヤツに託された。そんなとこだよ。別にやましい事はない」

 

「まさかエッダの……?」

 

「それ以上聞きたければ、質問1つにつきアスラ金貨1枚。もしくはベッドの上で1勝負だ」

 

「あら、魅力的ね」

 

「……ベッドでって話は忘れろ。知りたければ金貨1枚だ」

 

エリナリーゼと呼ばれた女性は金貨を渡す素振りを見せなかった。

 

「後、訳あって俺はその名を捨てた」

 

「訳?」

 

ヒゲ男は手を差し出すジェスチャーをする。

それに対して、エリナリーゼさんは首を振って応える。

 

「まぁ良いわ。なら今は何と呼べば良いのかしら。それくらいは教えてくれるんでしょう?」

 

「アレクサンドル・リュヴィール。それが俺の今の名前だ」

 

「アレクサンドル――変わった響きの名前ね。魔族の名前みたい」

 

「アレク……名前、長いね」

 

これまで黙っていた私はあまり空気を読まずに話に割って入った。

 

「お前はそうだな……『おじさん』と呼び給へ。

 もしくはその前に『ダンディな』と付けても良いぞ」

 

「うん。判った。おじさん」

 

私は『ダンディな』という言葉の意味が判らなかったので付けるのは止しておいた。

きっと碌でもない意味に違いないと思った。

 

「ふふふ、素直な良い子ですわね」

 

エリナリーゼさんの微笑みにヒゲ男、もといおじさんは何か言いたげだった。

でも結局そのまま何も言わなかった。

『何を言いたかったのかな?』頭に疑問符が浮かんだけれど、おじさんはそれ以上、話す気がないようだった。

もしかしたらアスラ金貨1枚が必要なのかも。

 

その後、エリナリーゼさんも一緒のテーブルに着いて3人で食事をした。

おじさんは食事をしながら、お金がないのでこれから迷宮に行くという予定について話した。

 

「小さな子をつれて迷宮に行くのは、あまりお勧めしませんわね。

 貴方自身は心配はいらないでしょうけど、その子には危ないんではなくて?

 良かったら私が子守りをしてさしあげますわよ?」

 

「お前には呪いの問題もある。

 ずっと頼むわけにはいかないし、ギレーヌに変なことを教えてもらっても困るからな。

 それに……」

 

「それに?」

 

「あぁ、いや……とにかく子守りは不要だ」

 

おじさんがエリナリーゼさんの申し出を断り、話は終わった。

食事が終わるとエリナリーゼさんに別れを告げて、宿で一泊。

ふかふかのベッドでの寝心地は良かったが、私は余りこの感触に慣れるつもりはない。

おじさんや私の人生が目指すものはここにはない気がする。

 

--

 

明くる日からダンジョン探索の装備を整えて、その日の内に宿を後にした。

街から1日程歩き、辿りついた迷宮。

いくつかの冒険者パーティーが探索を行ったこの迷宮では、マメなシーフによって罠は隅々まで解除されていると冒険者ギルドの受付の女性が口にしていたことを思い出す。だがそのあとここに至るまでの道中、おじさんは「罠は解除されているが何があるかわからない。注意しろ」と言った。

そんな迷宮になぜ私達は来たのかという理由は、ここが攻略の完了しないダンジョンのままという理由と結びついている。

なんでも迷宮の最奥に居る守護者が強くて倒せないからだそうだ。

その強い守護者は赤い皮膚に白緑の髪と体毛を持つオーガだという。

守護者が守るダンジョンの財宝。魔力付与品や魔力結晶。

まだまだこの迷宮にはお金になりそうな物が残っているとおじさんは言った。

オーガ。これまでの人生で一度もその種族に出会ったことはない。一体どんな生き物なのだろうか。

 

「おい。もっと神経を研ぎ澄ませて歩け」

 

他所事を考えていた私におじさんが注意した。

私は気を引き締めて、一歩一歩、神経を張り詰めて歩いた。

 

 

迷宮に入って2日目。

2層目に到達すると、おじさんが「警戒しろ」と言った。

これまでも神経を研ぎ澄まして進軍していたのにさらなる警戒を呼び掛けた。

おじさんの雰囲気から、私はおそらく迷宮の魔物がとても強くなったとその意図を汲んだ。

 

おじさんは背嚢から松明を一本とると、カンテラの火を燃え移らせて、その松明を魔物のいる方向へと投げ込む。

松明が通路の先に向って放物線を描き、床に到達すると勢いがなくなるまで転がった。

その拍子に光を嫌う魔物が数匹逃げていくのが見える。

通路に敵はいない。

 

それからおじさんは私に背嚢とカンテラを渡した。

私はそれだけで手いっぱいになって剣を構えるのが難しくなってしまう。

こんな状態でどうやって"警戒しろ"というのだろうか。

そのとき『お前の本当の武器はスピードだ』と言ってくれたおじさんの言葉が甦る。だから、おじさんの荷物と自分の荷物両方を壁際に置くと、壁を背にして剣を構えた。もし敵がこちらにやってきてもその時に足を停めないように。

 

おじさんの剣が投げ込んだ松明の光りとの間に割り込み、私の顔に影を落とした。

ほぼ同タイミングで重低音が近づいてくる。

そして足音が止むと青い皮膚に白緑の髪と体毛を持つ巨人が姿を見せた。これがオーガなのかもしれない。だとしても青い皮膚ならこれはまだボスではない。それが通路をこちらに曲がり、おじさんを目標に定めると丸太より太い腕を振り上げて走ってくる。

 

おじさんの剣が恐ろしい速さで動き、目で追いかけることが難しくなると、肘から先が蛇のように動いているように見えた。

木の棒を凄い速さで動かすと棒が曲がって見えるのと同じ現象なのかもしれない。

蛇のように動く剣が青オーガの太い腕に絡みつき、肘を容易く斬り落とす。

青オーガは痛みに唸り、残った腕を使っておじさんを握りつぶそうとする。

その腕も同じ要領で落ち、両腕を失った青オーガは体当たりを仕掛けようとして、首を刎ねられて絶命した。

 

後から後から青オーガがやってきては同様の手順で屠られる。

重低音が消え打ち止めになるまで、おじさんは現れる青いオーガを倒していった。

私の感想は一言で済む。野盗と同じでオーガも相当に頭が悪い。

 

静まるのを待って私はおじさんの近くに歩いて行った。

振り返ったおじさんに私は腕を伸ばし、手から背嚢とカンテラ分の重量が消える。

おじさんはまだ余裕がありそうで、青オーガの毒々しい体液の付いた剣を拭き取ると、ほとんど休まずに第3層に足を進めた。

巨人が出入りできるほどの巨大な螺旋階段を降り、開けた昇降口を抜ける。

そうして私達は迷宮の心臓となっている魔力結晶のある部屋に辿り着いた。

 

 




次回予告
ダンジョンの帰り道。
待ち伏せる6本腕の暗殺者。
おじさんとは旧知の仲で
彼はずっとずっとおじさんの帰還を
待っていた。
殺したいほどに、狂おしいほどに

次回『虐殺者(ジェノサイダー)
ギレーヌはオマケであるが故に凶刃に倒れる。
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