無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
--- ひたすらにがむしゃらに努力することは本人の自己満足に過ぎない ---
馬車の荷台に娘と嫁を押し込んで、残りの4人は焚火を囲んでの野宿をする生活が始まって30日が過ぎた。
今は魔法三大国から西に広がる森の中。
そろそろ剣の聖地との分岐路の手前にある拠点の廃墟へとつくはずだ。
廃墟。
通過した2つの拠点跡を見て来た。
森の浸食と根による隆起のおかげで酷い惨状になり果てていた拠点たち。
無人の拠点というには憚れる有り様は、まるで森が1つの生物として異物を食い荒らしたかのようだった。その原因は何か判らないがアスラ王国より魔力濃度の高い地域であるというのが専らの噂だ。おそらく次の拠点も同じような状況だろう。
そんな道の脇で俺達は野営をする。北方砦で1日足止めを食らった他、旅は順調だ。
息子達が作った馬車はやはり特別製らしく、車輪が1度グラグラしたきりで頑丈に出来ていたし、一頭曳きのカラヴァッジョが人間8人と荷物を積んで余裕の表情だ。
この馬車の技術だけで仕事ができるだろう。
だが、息子が馬車屋というのも何かマヌケな話ではある。別に馬車屋がマヌケと思っているわけではない。立派な仕事だと思うが、水帝で水王級魔術師、いずれは七大列強に名を連ねるのではないかと目される息子がそうなるのはちょっと想像できないというだけだ。
街でひっそりと普通の生活を楽しむなら息子が言うように道場を開くのがしっくりくる。もしくは剣の聖地を剣神から奪うというのも視野にいれてるのだろうか。
剣神に勝って七大列強入りを果たした上で剣の聖地で道場を開く、俺の想像している息子の将来にしっくりき過ぎている。
話を戻そう。
足止めを食らった北方砦では王子様に出会った。
継承権も第2位と高くグラーヴェル殿下がもしもの時は王になる人物、ハルファウス王子。
王子は王都を遠く離れて、自然環境の厳しく殺風景な関所兼要塞に左遷されている。
俺なら左遷先で腐って自堕落に生きただろうが、彼は地道に修行して闘気を扱えるまでになったという。俺は王子の話を北方砦から抜けた後に息子から耳にした。
腐らずに生きた王子は素晴らしいが、話の中で興味を持ったのは別のことだ。
王子が闘気を使える。俺やエリスだって元貴族なのだから、貴族や王族が闘気を使えるのが凄いなどというつもりはない。だが王子はただ使えるだけではなく、闘気を使って他人の闘気を揺らめく炎のようなものとして見ることができるらしい。
指導したのは師匠兼元参事官のアンであり、彼女が考案した水神流によく似た鍛錬法だという。その方法に従って闘気を鍛錬することで、素質があれば同じことができるようになるらしい。
『あれは闘気を使った視覚の強化ですね』
と息子は言った。
闘気を使えるようになると、自然に肉体と感覚が強化されるのだという。
確かに超高速に動くことに身体が耐えられねばその速度で走り続けることはできない。どの流派にも通ずる話だ。
身体が耐えられたとしても自分の認識が追いつかなければまともな戦闘機動はできない。
これまで気にしたことはなかったが感覚も強化されているのも頷ける。
そんな話を馬車の中で、御者台で、夜の焚火の前で、夜番で俺が眠そうにしているときに、息子は何度も嬉々として語った。
そう俺が興味を引いたのは息子が楽しそうにロキシーやエリスだけでなく俺しか聞いていないときにも王子の話を語ったということだ。
俺は気合いを入れると闘気がにじみ出る程度だが、息子は闘気を自在に操れる。
はっきりと言い切ることはできないが、アイツにとっては当たり前の事だろうにと最初は思った。だから何がそんなに楽しいことなのかと不思議だった。
俺も俺で旅をしながらの鍛錬で忙しかったから、そんな息子の姿に疑問を持つことがなかなかできなかった。その謎が解けたのは、それから数日の間に立て続けに起こった2つの出来事のおかげだったが、3番目の拠点に着く前の俺はまだそれを知らなかった。
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3番目の拠点に今日中には到着できるという日。
御者台に居た息子が突然に馬車を停め、
「少し早いですが、ここで一泊しましょう」
と告げた。
「まだ陽は高いのにどうした。何かあるのか?」
言葉通り、まだ太陽は中天にさしかかる頃だ。
「少し危険になるかもしれないので」
息子の硬い表情。
「そうか」
と、俺はそれ以上の問答をせずに従った。
御者台から降りると、荷車に乗っていた家族も出てくる。
嫁と娘に今日はここで停泊することを説明すると、嫁2人が汚れた服を洗濯するといってロキシーに水を創らせた。娘達も手伝いを始める。
そんな光景から隠れるように俺達は馬車の反対側に集まって事情説明を受けることになった。ロキシーが合流して一度、「遅れました」とペコリと頭を下げて話は始まった。
「この先の、夕刻くらいまで走ったところに3番目の拠点があるようですね」
「そうだな。
地図の大まかな位置でしかわからんが、そろそろ剣の聖地との分かれ道だろうからな。
もうすぐ拠点もあるだろう」
「父さま、残念ながらその拠点は野盗の根城になっているようですから、僕の方で危険を排除してきますよ」
「1人で行くのか?」
「私が付いて行くわ」
「では私も」
「らしいので、3人で行ってきます」
「なら、俺は馬車の警護をする。
心配はいらんと思うが油断はするなよ」
「そうですね。気を付けます」
「他の2人もな」
「はい」
「わかってるわ」
根城へと出向く前にロキシーとエリスは嫁達と何事かを話していた。
聞こえてくる声音から察するに、洗濯を手伝えないということを謝っているらしい。
だが嫁達はむしろ「身体に気を付けるように」、「息子のフォローを頼みます」と俺のと同じ内容が聞こえて来た。
この旅が皆の距離を近づけた気がする。
それも出立前に溝の埋め方を聞いておいたおかげだろうか。
謝り終えた2人が息子と連れ立って道の先に消えた。
エリスは年相応の少女的な感情の良く映える表情をしていた。案外こういうことは好きらしい。以前に大人びていると感じたのが嘘のようだが、剣を握れば人が変るのかもしれない。冒険者の素質があると俺は思った。
そうして息子夫婦が盗賊団に乗り込んでいく背中だけが小さくなっていった。
周囲の見張りには気を抜かないでおく。
近くに根城があるのなら、それよりも手前に盗賊団側の見張りがいる。
まだ若い頃に道場を抜けだして王竜王国へ1人で旅した時に知ったことだが、見張りは旅行者が来ると襲撃役に変わる。
おそらく息子が気付いたのはその見張りであり、決して半日先にある拠点が根城になっているのに直接、気付いたという訳ではない。息子が見張りに気付いたなら、息子は見張りを逃がさず倒すだろう。なら前方は安全だ。
そして森を徘徊する盗賊団が街道を行儀よく歩いているとは思えない。多少危険でも森の中に潜み、周り込んで襲い掛かるのが常套手段だろう。
ということは後方からの遭遇戦を警戒すべきだ。
そんな思考から俺は荷車の出入り口に座って来た道の方、アスラ王国へと続く道を見ていた。
後方を見ている間に、山になった洗濯物がどんどんと洗われていった。
長旅で荷物が
それでも今着ていないもの全てを洗っているらしく8人分ともなればそれなりの量があった。
それら全部が洗い終わり、木と木の間に渡した枝に通して干されていく。木陰のせいで日差しは不十分だが風通しは良いだろう。
洗濯を終えた嫁達は休憩もそこそこに馬車とは反対側で焚火と夕食の準備を始めた。
そちらで作業をし始めたのは、恐らく焚火の煙で洗濯物へ臭いがつくのを避ける工夫だろう。
だが俺からは死角になる場所もある。そう判断して馬車を少し前へと動かした。そうしてまた家族を眺めつつ、警戒を再開する。
娘達も石や枝を拾う。「奥には行かないで」と言うゼニスの言葉に「判ってる」と言う返事も聞こえてくる。この声はノルンだろう。
暫くすると大きすぎた枝を半分にしてくれと、ノルンとアイシャが枝をもって来た。俺は差し出された枝を気安く受け取り、空中に放り投げて剣で斬ってやる。旅で森に入った頃からこういうやり取りが増えた。森に入ったばかりの時、娘達は無邪気に枝を渡し、俺も気安く受け取った。そのとき片手がない事に気付いて咄嗟にとった行動を今も続けている。やり始めた当初、娘達は凄い凄いと喜んでいた。そして今でも頼まれて同じようにしてやると「おぉ」と歓声をあげ、俺がやった動きを真似したりする。可愛いモノだ。頼まれれば何度だってやりたくなるのも仕方がない話なのだ。
そんな風に時間を潰してかれこれ何時が経っただろうか。森の日暮れは早く、乾いた洗濯物も取り入れられた。
出ていく前のロキシーの分析が思い出される。
「盗賊団でもある程度は生活品というのは必要です。
だから魔法三大国から遠すぎず近すぎずという3番目の拠点を
なるほどなぁと思いつつ、俺は今までの2つの拠点の惨状にも思いを馳せた。いくら魔力濃度が濃いからといってあのように森が大規模に浸食してくるだろうか。例えば魔大陸はここよりずっと魔力の濃い地域らしいが、中央大陸よりも多くのトゥレントが居てそいつらが動くらしいと聞いても、森が町へと浸食するほど動いているとは聞いたこともない。
魔力が濃くて周囲の地形を変える。
心当りは1つある。迷宮の存在だ。もしこの近くに大規模な迷宮があれば周囲の地形に影響を及ぼしている可能性がある。そんな大規模な迷宮ならきっととんでもないお宝があるかもしれない。
まぁ正直、金の心配はしなくて良いから迷宮を探索することはないだろう。
息子は災害に対応するための資金を用意するために商店を経営していて、今でもそれは閉店せずに動いているはずだ。
夕餉の匂いが鼻をくすぐる頃、息子達が戻ってきた。
その表情を見て俺はおやっと思った。
ロキシーや息子は普段通りだが、エリスはかなり機嫌を損ねている。その表情は出かける前とは対照的だ。
「どうだった?」
俺は先んじてそう訊いた。
「根城に生存者はいませんでした」
答えたのはロキシーだ。
「そうか」
やはり何かがあったらしい。
「全員死んでたのよ。捕虜だったと思う冒険者もね」
そう付け加えたのはエリスだ。
「なら盗賊団に襲われる危険は無いってことか。
見張り役はどうした?」
「森の中で見張りも死んでいたわ」
「冒険者が居たということは討伐隊が来て殲滅させたということかもしれんな」
「それはありません。
死体になってから既に1週間以上経っていました。
もし討伐隊が来たのであれば、死体をゾンビ化する状態のままにはしないでしょう」
「一理あるな。
では魔物に襲われたか」
「父さま、そうであったとしてもいささか解せないのですよ」
それまで黙っていた。いや、上の空だった息子がそれを否定する。
「気になることがあるなら教えてくれ」
「ええ。
根城のはずの拠点は無傷でした。
戦闘の跡が無かったのです。
ですから小型の魔物に為す術なく殺されたということになりますが、この辺りで状況に当てはまる魔物はいません」
「危険度Dのスノウホーネット、危険度Bのホワイトクーガー、マスタードトゥレントだったかしら?」
エリスが魔物の情報をスラスラと答えた。大方、ロキシーに教わったのだろう。
「でも拠点の損壊状況を見る限り、ホワイトクーガーやマスタードトゥレントがやったとは考えられません」
「危険度Dのスノウホーネットにやられたってことだろう。
巣を
「スノウホーネットの死骸が全くなかったのは説明がつきません。それに刺し傷が大半になるはずです。
でも遺体の傷は力強い4本爪によって抉り取られたものや壁に投げつけられたものもあります。
やはり別の魔物だと思います」
息子の言う通り、盗賊団がいくら弱くても危険度Dのスノウホーネットを一匹も倒せずに全滅するとは思えない。
その程度は撃退できる戦力を用意しておかなければこの森を拠点にすること自体が無謀だと言える。
「とすると、ヤったのはここら辺では本来棲息してないような魔物。もしかすると変異体の魔獣かもしれないな」
それも相当に強いヤツ。
「そうなりますね。
今後は魔獣の襲撃にも配慮が必要でしょう」
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旅の直前、俺は1つの焦りがあった。
家族を守るために強くならなければいけないのに。
少なくとも息子夫婦が安心してシルフィを探しに行けるようでなければならないのに。
ここ最近の俺は実に不甲斐なく、頼りない。これでは息子の輝かしいはずの人生がまた家族を守るためだけに使われる。
もしかしたら俺に見切りをつけて強い護衛を雇うかもしれないが、その方針は示されていない。
希望的観測かもしれないが、息子がまだ俺に可能性を感じてくれているなら期待に応えたい。
でもどうしたら良いのかが分らなかった。
そんなモヤモヤの中にあって俺はこの旅の中で1つの発見をした。
息子と対戦して負けたことをきっかけに日々鍛錬し、聖級クラスの闘気を扱えるようになったことで、俺は俺なりの努力を全てやれたと思っていた。なのにブエナ村の襲撃者に負けたのは鍛錬や努力が足りなかったのだ。
この旅が始まる前はそんな風に考えていた。
でも旅の中で俺はがむしゃらに頑張ることが本当に正しいのかと疑問を持つようになった。
息子の鍛錬時間は俺程に多くない。
鍛錬といっても体力作りのような物ばかりで、剣術の鍛錬のようなものはほんの僅かだ。
それ以外のとき、アイツは何事かを考えている。何か遠くにある問題を見据えている。
それを見て、俺に足りないのはもしかすると努力ではなく問題に対して思考することなのではないかと考えるようになった。
その発見に辿り着いたとき、俺は鍛錬の仕方を変えることにした。
息子のようにより短い時間で、限られた時間の中でより効率よく鍛錬する。
そんな方法を模索しはじめた。
確信を得たのは最近のことだ。
アンという北方砦の貴族出身の参事官は王子に合った修行法を構築し、一から剣術を教えて僅か数年で闘気を身に付けさせた。
その話を息子が褒めちぎったのだ。
身体づくりから始めて上級もしくは中級程度の剣術ができるまで余程才能があったとしても4年。
そこから闘気の鍛錬をしたとすれば僅か2、3年。
驚異的な速さと言えるだろう。
そして一般的に闘気を自在に扱えるようになるかはその者の素質に左右され、身に付かない者には一生身に付かないと言われている。
俺は闘気を扱う素質は辛うじてあったようだが、素質ある者の数倍の時間を要した。
だからこそ若かりし頃は、途中で諦めて三流派上級剣士止まりなどという不名誉を授かったわけだ。
恐らく、がむしゃらに身体を鍛えるという鍛錬法が俺に合っていなかったのだろう。
闘気をかなり扱えるようになってきた今なら、各流派の聖級の剣技と身体の捌き方を覚えれば、三流派聖級に届くかもしれない。
それであのレイブンに勝てるだろうか。
また奴が来て、負けて、今度はビヘイリル王国に行けと言われるかもしれない。
今度は俺以外の誰か。家族の誰かが傷つくかもしれない。
なら考えよう。効率の良い鍛錬方法とは何だ。
参考になるのはアンと息子。あとは俺の知らない内に息子に剣の教え方を伝えた人物。
息子はシルフィに好きに打ち込ませ、それに対処してみせた。
何度も何度も打ち込ませた。
「もう一度」息子の声が聞こえた気がする。
そして聞くのだ。「わかる?」と。もし俺に言うのなら「わかりますか?」となるだろう。
答えを自分で言わないスタイルを貫いている。
目の前で実演しながら、それを言葉にせずに相手に気付かせる。
自分で気付いたことだから効率良く身に付く。
しかし、その鍛錬法を俺が俺自身に対しては適応できない。
良い鍛錬法だと思ったから、シルフィには授けてやることができたとしても、それは人に授けてやるものだ。
どうして息子やアンは誰もが気付かない剣術の本質に辿りつけるんだ?
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発見が悩みに変わる。
見透かしたように次のヒントが現れる。
それは盗賊団不審死騒ぎの次の日の事だった。
息子に御者台で馬車術を教えていると、息子が腕を下げて持っていた手綱をだらんと下ろした。
どうしたのかと覗き込むと安らかな寝顔を見せていた。体力オバケのような息子が居眠りとは珍しい。
手綱が馬車に巻き込まれないように補助しつつ、どうしようかと思案した。
襲撃に備えた体制を整える作業を昨日の内にしたせいで居眠りするほどに疲れたのかもしれない。
カラヴァッジョは常歩で歩いてくれているし、賢い馬だから真っ直ぐ進んでくれている。
できれば寝かせておいてやりたい。
だが残念ながら、もう剣の聖地との分かれ道は目前だ。
しっかりと御してやらないと馬はどちらに進むかで迷ってしまう。
「ルディ起きろ」
小声で囁いた一声では目を覚まさない。
意外と深く眠っている。
「おい。聞こえてんのか? ルディ」
「えぇ……あぁ。はい」
耳の傍で大声を出すことで漸く息子は目を覚ました。
「すみません。一度、馬車を停めます」
「なんだ? まさか追手なのか?」
「違います」
息子は短く応え、馬車を停める。問答無用で手渡された手綱。
説明不足のまま息子は分岐路へと走って行った。余程の緊急事態なのだろう。
馬車が停まったことで顔を出したロキシーとエリスも息子を追いかけていく。
仕方なくそれを見送ると、いつでも出発できるようにして待機した。
「おい。本当に何でもないのか?」
周囲を警戒する息子達に声を投げ掛けるが返事はない。
仕方なく待っていること暫く。
「すみません。
僕の勘違いだったようです」
「……そうか」
結局、息子の勘違いということでこの騒ぎは終わった。
息子自身も何を勘違いしたのかよく判らないらしい。
だが思う。
盗賊団の根城を察知し、魔獣の捜索をしてその対処をした。
気付くのは常に息子だ。
息子の居眠り、疲れからくる勘違い。それらはやはり俺に力があれば防げた可能性がある。
実は勘違いではなく、息子がやはり未知の攻撃を探知したということかもしれない。
その技が家族を守るもっとも強力な力になるように思える。
俺は襲撃者が村に来たことに気付けなかった。呼び出されて赴いた先には村人と話す男たちが居た。
常に後手になる俺。
常に相手の先手を取る息子。
…………この騒ぎが演技だとしたら?
盗賊団の出来事と襲撃未遂が立て続けに起こったことで息子が俺には判らない何かを察知したということを示した。
いくら鈍い男でもこんな事が起これば気が付く。
俺はまんまとそれが家族を守るのに有効な技だと思ったわけだ。
そしてそれは割と有名な技だ。
水神流で水聖以上になると魔力を感じ取って魔術を弾き返す技がある。
さらに達人クラスにまで技を磨くことで人や魔物の気配を読み取ることもできるようになるという。
それは三大流派のいずれかの剣術を齧っていれば多くの者が知っている常識。幼い息子が
息子は水帝。達人のレベルにあり、盗賊のときも今回も気配を読み取って敵を察知した。
俺じゃなくてもこれくらいの認識は誰でもできる。ようは水神流を極めることでこの技術を体得できる道がある。
息子は水王級魔術師かつ無詠唱魔術の使い手だから、この技術が水神流に似た魔術という可能性もありはするが、俺はそうは考えなかった。
なにせ偶然にしては出来過ぎている。
第二王子の闘気で闘気を察知する話。息子は過剰な程に喜び、何度も何度も俺にそれを話した。
その後の2つの出来事に通じる共通点。
闘気で周囲の状況を捉えること。
本当に偶然だったとしても息子の演技だったとしてもそこから見いだせるものがあるのではないか。
俺は何かを見落としているのではないか。
そもそもなぜ俺に気付かせたい?
息子の意図の本当のところはわからない。
俺の考え方が下手なだけで実は何も意図していないのかもしれない。
息子だからと考えなくても良い。
俺より強い男。強者の思考をトレースすることで家族を守るための力を得られるかもしれない。
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そんな風に考え始めると、息子と膝を並べて御者をしている場合ではなくなった。
俺は息子の御者術が一人前になったということにして荷馬車に引っ込み、ひたすらに今後の鍛錬の方針について考えた。
ふと昔、シルフィとした訓練の一幕を思い出した。
目線による誘導を使って相手にフェイントをかける訓練だ。
シルフィに打ち込ませると、あの娘は素直に目線を使ってフェイントをかけようとしてきた。
教えたからといって、すぐにそれを使ってみせようとする所が微笑ましかった。
素直で器用な弟子だったが、相手が自分程には器用じゃないこともあると知るにはまだまだ経験不足だった。
努力家で、器用で、それなりに何でもできた。
俺も似ている。何でも器用にできたから若くして水神流と北神流の上級剣士になって冒険者仲間の内じゃそれなりに腕の立つ剣士って呼ばれていた。
良い気になっていたら、剣王で行き詰っている獣族の女とやたら性欲の強い戦士が俺の前に立ちはだかった。
下心もあって剣王に近づくと、色々話が膨らんでパーティーを組むことになった。戦士も一緒だ。
それから剣王から剣神流の修行法を学び、手合せをして剣神流の上級と認められるようになった。
戦士の技術は北神流に似ているというだけで覚えなかったし、下心が不要だったから剣の手解きを受けなかった。
そこまで考えて、考えに考えて、ちょっと余計なことも考えたが、俺の中で今までにない程に考え抜いて、ようやく1つに繋がった。それが判った瞬間、俺は震えた。震えが止まらなかった。
危うく荷車の中で立ち上がるところだった。そんなことをすれば他の家族にさぞ心配されただろう。
なぜ俺は震えたのだろうか。繋がった事がとても嬉しかったとか、何日も抱えていた悩みが解決したとか思ったからでは断じてない。
息子が旅に出てから俺は家族のことを良く考えるようになった。
それからフィリップの所に行って自分の考えの足りなさに少し悲しい気持ちになり、どうしようもないと思い知った。
あれは逃げだった。自分より上手く考える奴らが多く、自分は苦手だからと考えるのを止め、逃げたのだ。
でも災害が起こると村の復興を指揮することになり、主体的に考えねばならなくなって、逃げられなくて不安でどうしようもないながらも下手なりにやり遂げた。
何の運命か俺は最初の一歩をハードな状況下でこなした。
そして最初に逃げ出したツケが回って息子が死ぬ寸前まで壊れてしまった時、全てが自分の至らなさだと理解できた。
思慮深き男に変わらなければ、最初に思ったのはあの時だ。
さらには息子が昔の仲間を集めて反省会の場を用意してくれた。
考え方が悪いと間違いを正してくれた。まだ気づけていないことに気付かせてくれた。
考えるのが下手。言い換えれば1つの事を多面的に見ることができない。正しいと思った1つのことに固執する。
息子は昔から言っていた。
人はそれぞれに感じた正しさ、正義を持っていると。
結果が1つでも真実というのはそれぞれの人の中にあると。
そして至らなさのツケをまた払うことになった。
聖級クラスに闘気を操れたとしても敵わない相手が現れて、俺が今まで取り組んできた修行方法では足りなかったと示したのだ。
そして俺は家族を連れてラノアへと旅をするようになった。
旅の途中ではそんな俺を見透かすように象徴的なイベントがいくつも起こった。
俺が思慮深き男になり、自分の考えを疑い、多面的に検討できれば答えに辿り着けるように配置されたイベントだ。
だからこそ気付けたのだ。
1つでも手順が間違っていれば気付けなかっただろう。
俺は気付いた。
第二王子が実践している修行法を編み出したアン。
ギレーヌから学んだ合理の確認はガル・ファリオンのものだったか。
俺が苦手としている物。理論の構築。
天才肌といえば聞こえはいいが、器用であるが故に感覚で捉え、かなりの精度で卒なくこなす。
それはなぜ自分ができないのかと悩む機会を逸することになった。
気付かない内に考えない癖がつく。シルフィも器用なら同じかもしれない。そしてどこかで躓き、それ以上は前に進めなくなる。
俺が躓いたこと。闘気の鍛錬。
失敗は己の糧になる。これも息子の言葉だったか。
掴んだことを整理し、鍛錬法を理論に分解し、本質を見出し、効率が高くなるように再構築する。
それさえ出来ていれば弟子のための理論に変換することもできる。
毎日の鍛錬は身体が所作を覚える慣熟訓練ではなく、理論を実証するためのもの。あくまで研究のための礎として使う。
息子の作為的な行動であれ、これが超自然的な何かであれ、俺はこれこそが神の御業なのではと思った。
だからこそ震えが止まらなかった。
でもそうだな。息子を神格化してはいけない。
アイツは俺の息子だ。それ以上でもそれ以下でもない。
これは超自然的な物、ただの偶然だ。
それで良い。
そう思い至った時、震えは自然と収まった。