無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第088話_アイシャの冬

--- 三人行えば必ず我が師有り ---

 

ギゾルフィの論文を総論とし、実証するまでの各論がまとまったことでようやく実証実験に着手した。

ロキシーとエリスの2人を巻き込んでリビングに新たに用意した作業台。今までなかった壁一杯の棚。そこに置いた大量の白紙のスクロール。

何事が始まるのかと説明を受けていない他の家族は目を丸くしている。

 

「ねぇ、お兄ちゃん何か始まるの?」

 

「ちょっとした実験をするだけさ」

 

一早く金縛り状態から脱したアイシャにそう応えると、

 

「魔術の実験らしいわよ」

 

エリスも話に加わった。

次の質問はアイシャより遅れて素に戻ったノルンだった。

 

「お義姉ちゃんたちも?」

 

「私は魔術が使えないから、見ているわ」

 

エリスとノルンのやりとり。ノルンはまだ何か訊きたそうにしている。

アイシャだけなら興味本位と言えるが、ノルンもこれだけ積極的に質問するのは想定外で、だからこそ様子がおかしく見えた。

そしてふと、何も言わずに不安気な顔を並べる親達が視界に入った。

その様子もおかしくはあるのだろう。

 

そこでピンと来た。

今、この場で大人達は何をしているのか訊きたいのに足踏みをしてしまったのだ。

それを感じ取ったアイシャとノルンが代わりに質問をしている。

それは子供なりの気配りだ。

ならば親父達に説明するように正確に答えることにしよう。

 

「魔法大学で知り合いから頼まれて魔術の研究を引き継いだんだよ。

 それを研究して応用すれば思ってたより早くシルフィを探しにいけるかもしれないからね」

 

「ほんと!?

 どんな研究? 私も手伝いたい!」

 

「今までになかった未知の魔法陣を作るのさ」

 

「判っているとは思うけど、安全第一でお願いよ」

 

「ええ。大丈夫です」

 

本題を言い終えることでようやくゼニスから言葉が引き出せた。

内心でほっとする。

 

「ねぇねぇお兄ちゃん。

 私も手伝いたいぃ!」

 

「アイシャ。ルディを困らせないのよ。

 遊びじゃないんだから」

 

まとわりついてきたアイシャを声で窘める声はリーリャだ。

 

「お母さん、良いんですよ」

 

その言葉を口にしてから屈み込み、アイシャに目線を合わせてから頭の上に手を乗せる。

 

「アイシャ、ちょっと難しいけど基本はパズルみたいなものだからお前もやるか?

 みんなでやった方が早く終わるからさ。

 お兄ちゃんも助かるよ」

 

「ほんと?」

 

彼女の相槌に笑顔で頷いて、それから少し怖い目で彼女の目を見通す。

それから固い声音で言葉を紡いだ。

 

「本当さ。でも条件を付けよう。

 今回の事は純粋にアイシャが自分で言いだしたことなんだから、途中で諦めたり、弱音を吐いたりしないこと。

 それでもやるか?」

 

「やる!」

 

元気な返事にもう一度頷いて表情を笑顔に戻した。

 

「ノルンは?」

 

それから質問をしたきり、パウロの傍らに立っていたノルンにも声を掛けてやる。

 

「あたしは……しない」

 

そう口にしたノルンがパウロの腕を強く握ったようにみえる。

 

「そうか。それも良いと思う」

 

俺はあまり怖がらせないように優しく返した。

残念だが、あまり功を奏したようには見えない。

 

「ならノルンは私に付き合いなさいよ」

 

「父さんも付き合うぞ」

 

「うん」

 

エリスとパウロの声は殊更に明るい。

彼女達がどういう気持ちでそう言ったかはすぐに判った。

そして、作りかけの防刃服を置いてエリスとノルンとパウロが3人で連れ立って部屋を出ていく。

といっても外は雪のちらつく世界だ。家の中にいるなら冒険話で盛り上がるのだろうし、外に行くならまずは雪掻きをするところからだろう。

まぁ2人が居れば安心だ。

 

--

 

ソファに置きざりになった防刃服は製作のための裁縫道具と魔物の素材と一緒くたにされて、ゼニスとリーリャによって新しく出来た棚の空きスペースに片付けられた。2人はそのまま離れて行かずに、棚の前で縫いかけの素材の途中経過を確認している。思ったより悪くないらしいというような声を耳にした。

 

その様子を視界の隅に捉えながら俺は今、アイシャに魔法陣の講義をし始めた。

甲龍王の知識を基にして、ナナホシが築き上げた魔法陣の理論。

過去に俺はそれを学び、さらに応用して召喚用の魔法陣を開発した。

 

ほろ苦い思い出が蘇る。

俺はナナホシが研究していた異世界転移魔法陣のテスト要員、もっと身も蓋もない言い方をすれば魔力タンク役として手伝いながら、魔法陣の内容には無頓着だった。

それより前に、魔法陣に対してクリフのように時間を惜しんで勉強するチャンスはあった。

ザノバと同じく人形に繋がる魔法陣を研究しようと思えばできたはずだった。

なのに俺は傍観者のままでいた。だから研究が行き詰まったナナホシが半狂乱になったときも俺は傍観者にならざるを得なかった。何か悪い事が起きてから、何もして来なかった俺がやれることと言ったらクリフやザノバに相談することだった。

俺も家に泊らせたり、飯を食べさせたり、風呂を貸したりしたわけで、役に立ったと思っていた。

その後、クリフやザノバのおかげでナナホシは立ち直った。

 

俺にももっとやれることはあったと言ったのは未来の俺だ。

他人に甘えるな、とも。

確かに駄目になる前に誰かが助けてくれる。

周囲の人々は皆、心根の優しい人達ばかりだ。

俺はそういう意味ではどこにいたって人には恵まれている。

前前世だって僅かなボタンの掛け違いがあったに過ぎない。

 

だから社長に暇をだされたとき俺は目標を立て、それに邁進した。目標を立てるために未来を見据えた。

俺が死んだ後にも続く社長と子供たちとヒトガミの争い。ナナホシが元の世界に戻る未来。

異世界転移魔法陣を起動する場面に俺は居ないと気付いた。

俺なしで誰が魔法陣を起動する?

それは実現可能なのか?

魔力総量の限界値を押し上げるブレイクスルーはあるが、ラプラス因子がなければ俺程の魔力総量に肉体が耐えられない。

 

そこから俺は動き出した。

ペルギウスに打診して、シルヴァリルから魔法陣の基礎を学び、ナナホシと魔法陣の談義をし、ペルギウスの講義を受けた。

それから俺は異世界転移魔法装置の魔力量削減と制御者の削減を目指してナナホシの研究を引き継いだ。

 

手始めにナナホシの研究資料を読み、カオスが残した魔法陣からも知識を流用し、ペルギウスのレポート制作に取り組んだ。

レポートを提出した後も研究は続いた。

『アン』の製作にも知識は流用され、人工知能用のコアに刻んだ召喚魔法陣のためにさらにペルギウスからアドバイスを受けた。

俺はいつの間にか前世で魔法陣理論の第一人者になっていた。

 

――魔法陣

 現代において、魔法陣の『形』の大半はすでに失われている。

 『形』が失われているせいで、その理論も失われた。

 かろうじて残っているのは口伝されたものだけ。

 未知の魔法陣が世に出るのは、冒険者によって遺跡の壁画や宝物庫に忘れ去られた物が現代に出土した場合に限られる。

 もしかすると各国は独自に魔法陣を隠匿しているかもしれないが、真実は知りようもなく、あるとしてもそれほど大量には持っていないだろうと思われる。

 

 なぜそう言えるのか。

 なぜなら、この世界の人間の平均魔力量は中級魔法陣を1枚起動する量で手一杯だからだ。

 多い者でも聖級スクロール1枚分で底を付く。 

 代替となる魔力結晶もあるが、値段が高すぎて実用品にはならない。

 おそらくだが、大半の魔法陣が失われたのも使用できないからだろう。

 そういった事情もあって魔法大学の魔法陣に関する授業は大したことがないものだ。

 

 そんな状況を覆すことになるのは、今から数年後に大学に来たナナホシが行う研究だ。

 彼女の研究の端緒となるのは俺と同じくペルギウスに習った魔法陣の基礎学だろう。

 それにオルステッドやペルギウスから一般では失われたとされる魔法陣をいくつも見せてもらったのかもしれない。

 そうして彼女は元の世界に戻ろうとする。

 魔法陣の法則性について調べ、法則性を予想し、大量の魔法陣を描き、魔法陣を起動する。

 打ち立てた理論を実証するための膨大な作業に足踏みせずに1つ1つこなす。

 結果から推測を理論に昇華させていく。

 

――魔法陣の法則性から機能部品へ

 彼女は実証実験から魔法陣に描かれる紋様の法則性を見出した。

 ある種の紋様がある種の効果を発揮させるというのだ。

 だが、この世界の人々には到底理解しえない理論だ。

 

 魔法陣には口伝された『形』が存在する。

 そして口伝された物こそ最適解だとされている。

 この世界の魔術師はそのように理解している。

 魔道具研究のために魔法陣について授業を取る者たちですら、無駄な部分を描くと無駄にスペースが増え、もしくは魔力消費量が増えるといったデメリットしかないと考えている。

 要するに、基本の『形』からの知識しか持ちえない。

 それも魔力量問題と魔法陣の希少性が原因と言える。

 だがナナホシは、異なる魔法陣の部分的な類似性について研究し、紋様による法則性を見出した。

 誰も成し得ないことを彼女は成した。天才だ。

 

 同じく天才のクリフはそんなナナホシの召喚魔法陣を一目見て、汚い魔法陣だと言った事がある。

 先にも語ったように、この世界の魔法陣の『形』は口伝されたものだけだ。

 新種の魔法陣や専門外の系統の魔法陣をみた場合、それが口伝されたものであるなら汚いも綺麗もないのである。

 しかし、クリフは召喚魔術に詳しいわけでもないのに、魔法陣を一瞥しただけで綺麗に描くためのアイディアを閃いた。

 それは他の魔法陣で描かれているアイディアに沿うモノだったに違いないが、彼が日々勉強し、苦労し、不明確な理論を何とか体系化しようとしていたからに他ならない。それは明確にテーマを決めて行った研究ではないのだろうが、脳内で魔法陣の記述内容について部分的な類型化をしていたのだ。そうでなければ他の紋様への応用を考えることもなかっただろう。

 

 さて、そんな魔法陣の法則性とは一体何なのか。

 ナナホシは転移者で魔力を持たないため魔術を使うことができない。

 魔力を使って事象を改変している状況を感知することもできない。

 だから彼女が見出した法則性とは、『ある部分的な紋様が特定の魔術の結果を導く』ということだ。

 例えば、

  紋様Aが掛かれた別々の魔術α1とα2には共通して発動した魔術の結果αが起こる。

  紋様Bが掛かれた別々の魔術β1、β2、β3には共通して発動した魔術の結果βが起こる。

  ……

 という見当をつけて、

  ある紋様X1が『指定した大きさ』を表す

  ある紋様X2が『無機物』を表す

  ある紋様X3が『別世界から召喚する』を表す

 という予測をした。

 

 これは後に魔法陣の『機能部品』と呼ばれるモノのことを指す。

 機能部品とは特定の機能を表現する部分的な紋様だ。

 ナナホシが語っていたように、魔法陣は一種の回路のようなものだが、その回路の紋様全体で魔術を表すわけではないのだ。

 もし紋様全体で1つの魔術を表すなら、三次元魔法陣のように『ある点とある点をつなげようとする』方法が複数ある場合、起動した結果の魔術は別々にならなければならない。つまり、魔法陣の回路の中には書き方を変えると結果が変ってしまう部分がある一方で、真っ直ぐに描いても遠回りして描いても結果が変らない部分がある。

 結果が変ってしまう部分を『機能部品』、結果が変らない部分を『経路』と呼ぶ。

 

 ナナホシの回路という表現を引き継ぐなら魔法陣とは即ち魔力回路だ。

 電子回路にコンデンサやダイオードといった電子部品を並べるように、魔法陣(魔力回路)には『機能部品』を並べる。

 機能部品にはそれぞれに役割があり、機能部品を繋ぐように経路を描く。

 俺は前世でナナホシの研究を引き継ぎ、そういった研究をした。

 

――魔法陣の入り口と出口、経路

 魔法陣には入り口と出口がある。

 入り口から魔力を流し込み、出口にて形作られた魔力が太古の盟約へと渡る。

 単独で起動するための魔法陣において出口は基本的に1つだが、入り口は複数個である場合がある。

 なぜなら複数人の魔力で起動する魔法陣もあるからだ。

 少なくともロキシーがカロン砦で描いていたフラッシュオーバーにはそのような機能が具備されていた。

 また出口が複数になる物は非常に複雑な魔術だ。

 既存の神級魔術を俺は見た事はないが、異世界転移魔法陣は神級魔術で使われるような制御用の魔法陣を別途組み込んでおり、出口が複数になっている。

 そして魔法陣と同様に機能部品にも入り口と出口がある。機能部品間は『経路』で繋ぐ。

 経路を通過させる魔力量を制御するために経路を太く描いたり、細く描くことができる。

 また経路を交差させてしまうことはできず、もし交差が必要な場合は三次元/積層魔法陣を使うことになる。

--

 

数日をかけたアイシャへの講義が一段落すると、次に3つの記述方式―ヴィンド方式、アレスタル方式、フラック方式―についてレクチャーした。

ロキシーは「ここまで高度な理論を教える意味があるのですか?」と懐疑的だ。

これでは『少し難しいパズルだ』という言葉が嘘になるのではと考えたのだろう。

俺も本来は魔術の初心者に説明する内容ではない、と承知している。

だがアイシャはまだそれが高度かどうかという物差しとなる物を持たないので、単に歯応えのある授業だと思ったことだろう。

一般的に、もしくは俺やロキシーにとって高度なことがアイシャの中で高度であるとは限らないし、少しくらい歯応えのある授業の方が、変な考えをしないで済むはずだ。

この授業が今までのようにいかない事に戸惑ったって良い。

 

研究とは何千何万回の失敗のように見える1つ1つの実験をすべて「違うということが判った」というポジティブな思考で捉え続ける作業だ。

後に来るたった一つの成功を掴み取るために。

そう思ったときに一瞬偏屈な城主の顔が浮かび、それに伴って何か似たようなことがあったような気がした。

 

--

 

全ての講義が終わる。

作業に取り掛かるために研究対象の魔術と役割分担を決める段になって待ったをかけたのはアイシャだった。

 

「お兄ちゃん。

 講義の内容が作業に必要なら、もう少し待ってね。

 ちょっと復習しないとダメな気がするから」

 

そう言うと、妹はこちらの意見を聞かずに俺が渡したレジュメと彼女自身がメモしたノートから何やら作業を始めた。

魔法陣の知識について整理し、復習を始めたようだった。

流石に難しかったのだろうか。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

暫くしてアイシャが少しボンヤリとした声で話しかけて来る。

 

「何だ? アイシャ。

 判らない所でも?」

 

「ううん。

 教えてもらったところまではだいたい理解できたと思う」

 

「そ、そうか」

 

平然と言ってのける妹の姿が大人になった後の姿と重なる。

そう言えば、前世で魔術を教えた時も彼女の理解力は優れていた。

にも拘わらず、今回のような高度な内容を教えることはなかった。

彼女が魔法大学に行きたくないと言ったからだろうか、それともただのメイドでいたいと願ったからだろうか。

 

彼女が学校に行きたくないと言ったことは、高等教育を受けたくないということではない気もするが、当時はなぜかそれをイコールのものとして扱った。タイミングや周りの状況もあるだろう。

そうしている内に、俺が導くようなことをせずともアイシャは頭角を現した。彼女の才能は組織運営に大いに役立った。

 

物覚えも良く、機転も利き、飲み込みも早かった。

今回、彼女がどんな道に進むのかは分からない。

今、魔術関連の高度な知識を与えて魔法大学に通わせるとしても、アイシャにはアイシャの人生の選択があるべきだし、俺は彼女が魔術師になるように仕向けるつもりもない。

そんな俺の心裡を他所に彼女の質問が投げかけられる。

 

「魔法陣って魔術で出来ることは何でもできるのかな?」

 

「そうだなぁ。

 魔術で出来ることっていうのも人によって大きく変わるんだ。

 お兄ちゃんはほぼ全ての詠唱魔術が魔法陣から起動できると思っているけど何でもっていうと無理な気がするよ」

 

そこで俺は何か良い説明はないだろうかと少し黙った。

ロキシーも興味深げに俺の方を見ている。

 

「例えば獣族が使う吠魔術を魔法陣に出来るかと言えば無理そうな気がするし、少なくともお兄ちゃんは出来ないよ」

 

「んーでも、王竜は重力魔術を使うんだよね?

 それを魔法陣に出来る?」

 

「それは出来るんじゃないかなぁ」

 

俺はとっさに答えを曖昧にした。

実際は重力魔術の魔法陣を見た事がある。重力を操作するための記号も知っているし、魔力の形を定義できる。

ただあの魔術は無詠唱でないと単体を指定できない。

また、レアな魔術はそれ相応の技術を持たざる者に教えてはいけない。その者の身を危険に晒すことになる。

 

「なら王竜は人の言葉をしゃべるの?」

 

アイシャの質問に俺は一瞬、考えこんだ。

……確かに。

王竜が魔神語や闘神語、人間語を解し、それらの言語をつかって詠唱魔術をしているか、もしくは無詠唱で発動しているかは不明だ。少なくとも俺が闘ったことのあるはぐれ赤竜は人の言葉を解さない。

 

俺に重力魔術を教えてくれたのはアルビレオの弟弟子のサラディン。

ワイバーンの中央広場で石像となっていた男だ。

オルステッドの導きで石化していた白髭の男に俺は出会った。

俺の目の前で石化が解けた男を偶然を装って助け、お礼として彼の持つ重力魔術を学んだ。

しかしながら、サラディンがどのような方法で重力魔術とその無詠唱技術、魔法陣に記載するための紋様を手に入れたのかというのは聞きそびれている。

俺は現在に残っているものは有効に使いつつ、失われたモノに関してはナナホシのように新しく作っていく手法が良いと思っている。それとは違い、客観的な歴史の重要性。どの魔術がどのように作られたのか。そう力説したのはギゾルフィだ。

目前で、アイシャが持っている疑問もその類いだと言える。

 

「そうだなぁ。

 いやぁ王竜が人の言葉を話すとは聞いたことがないな」

 

「ふーん。そうなんだ。

 判らないことが一杯あるね」

 

そう口にするアイシャの顔は笑顔だった。

判らないことばかりで幻滅するのではなく、楽しそうにするのは研究者向きかもしれない。

そんな風に思うとこのちっちゃな妹が心強い気がした。

 

--

 

アイシャが復習をしている内に、どの魔術を研究するかについて考えることにした。

1人で考えることはせずにロキシーに相談すると、答えではなく条件を付けられた。

 

彼女が出した条件は『対応する詠唱文にそれなりの長さがあり、魔法陣が現存していて、可能なら室内で研究が出来る安全な魔術』だ。

となると、火魔術なんて危険だから絶対に駄目だし、風魔術は変化を観察し難いのでこれも駄目だろう。残ったのは水、土、治癒あたりになる。

 

そう話してみると、ロキシーから「その新しい治癒魔術の実験台を誰がするのですか?」と聞かれてしまった。

確かに人体実験なんて御免被る。腕が生えて6本になったり、皮膚が黒くなったらパウロもゼニスもリーリャも泣いてしまう。

ということで水と土、それぞれの初級魔術、『水弾』、『土枷』のどちらかにまで絞ることができた。

 

『水弾』だってちょっとの手違いで壁をぶっ壊してしまう結果になるのは追憶の彼方に残っている。

あの時は『水砲』だったか。

そんな思考に脳内ロキシーがバツ印を作った。

どうやら考え方を間違えているらしい。

さらにうんうんと考え込む。

 

目の前のロキシーが何事か事務作業をしているのを横目で見つつ、俺は脳内ロキシーとの会話を楽しむ……じゃなくて相談する。

脳内ロキシーのOKが出る案を考えよう。

水、水、水、水弾、水の弾、水の玉、水玉、水玉パンツを安全に使うには……

邪念が顔を覗かせる。

ロキシーの水玉パンツを安全に手に入れるベストなオペレーションは何だろうか。

 

お風呂場でそっとくすねるのはどうだろうか。

きっと簡単に盗めるだろう。

しかし、盗むのは誰か。この屋敷ではパウロか俺しかいない。

犯人捜しが始まれば、家族問題は必至だ。

母達から蔑んだ目でみられ、妹達は怯え、ロキシーとエリスに愛想を尽かされる。

……泥棒は良くないな。うん。

 

犯罪にしないためにはどうするか。

簡単だ。素直にお願いして頂戴すれば良いということになる。

相手も同意の上なら問題はない。

しかし、普通にお願いしても貰えはしないだろう。

何か相手が納得できる理由が必要になる。

その理由とは?

 

『その子がどうしても研究に必要なんです!』

 

『何の研究ですか?

 女性の下着を使って一体何をしようというんです?

 どうせ碌でもない事なのでしょう?』

 

『そんなことはありません』

 

『無駄に自信があるようですが、具体的な使い道を言ってみてください』

 

『言ったらくれますか?』

 

『妥当な理由であれば検討しても良いでしょう』

 

普通はくれはしない。

こういうところが優しいのがロキシーだ。

 

『ふむ、そうですね。

 ほら。実験と言えばマスクでしょう?

 あれは自分の呼気が邪魔になったり薬品を直接吸い込まないようにするのに役立ちます。

 ですからマスクとして使います』

 

『使用済みのパンツをですか?』

 

『ええ。その方が効率が良いでしょう』

 

『何の効率ですか』

 

『マスクとしての効用を得つつ、ロキシーの匂いで一杯になれます。

 後は、この時期は風邪にも気を付けるべきです。

 健康第一。研究外でも無駄にはなりません』

 

『もういいです。他の使い道は無いんですか?』

 

『そうですね。

 枕の下に置いておくと良い夢が見れるとか、それからそれから』

 

『もういいです』

 

『判ってくれましたか!』

 

『呆れてるんです』

 

脳内のロキシーが溜息をついた気がした。

ここで呆れられたままではいけないのだ。

そう新たな一手こそが重要だ。逆転劇を見せるのだ。

さらにイメージトレーニングが加速する。

弁解という名の後退か、それとも強硬に進むか。

 

今回は後者を選択。

脳内ロキシーに脳内で飛び掛かる。

パンツは脱ぎたてに限るのさ!

 

んが! 強かに顔面を打ち、目がチカチカする。

飛び付こうとした身体が不可視の壁に押しとどめられたようだった。

脳内ロキシーの結界魔術。

なんということだ。いつの間にか脳内ロキシーは結界魔術(A.Tフィールド)を発動していた。

くそぅ。どの結界魔術を使ったんだ?

結界で安全を確保されては……

 

「何をニヤニヤしているんですか?」

 

今したロキシーの声は現実かそれとも脳内か。

判らなくなってあたふたする。

――あ、現実の方だ。

 

「え、いや結界で安全を確保されて」

 

「誰に?」

 

「先生に」

 

「わたしですか?」

 

「はい」

 

「ルディ、もしかして他事を考えていたのではないですか?」

 

「そ、そ、そんなことはないですよ。

 そうだ。結界魔術で安全を確保すれば良いと思ったんです。

 ほら魔法大学にもあるじゃないですか」

 

俺は咄嗟にそんなことを口走った。

 

「っ……」

 

口を開きかけたロキシーは黙り、そのまま数秒硬直した。

しまった。また誤魔化そうとした。この態度が良くないと何度も学んだはずだ。

でもちょっとくらいの茶目っ気と紙一重のところありません?

 

「ルディ、少しお話があります」

 

そう言って席を立ったロキシーの顔はとても真剣だった。

 

「判りました」

 

俺も襟を正し、追随するべく立ち上がる。

 

「アイシャちゃん、少し席を外しますが魔術の起動は絶対にしないように」

 

「はーい。わかってまーす」

 

アイシャは一瞬こちらを見はしたが気もそぞろの様子で生返事をした。

何の作業をしているかは分からないが、一生懸命に俺が作った紙の綴りにメモしている。

何か少し心配だな。

 

「アイシャ、魔術だけでなく魔法陣に魔力を込めるのもダメだぞ。

 それと出掛ける時は誰かに行き先を言うように」

 

「ハイハイ。判ってるって」

 

アイシャはくどいと言いたげな表情で顔を上げて返事をした。

宜しい。

後顧の憂いを絶って前を見るとロキシーが部屋を出ていくところだった。

俺はそれを追いかけた。

 

--

 

ロキシーと2人で自室に戻ると、ロキシーが俺のベッドに座る。

それを見て俺は1脚だけある木の椅子に座ることを選んだ。

 

「魔法大学に結界魔法陣があるんですか?」

 

声を出したロキシーの表情は訝し気だ。

どの魔術を研究するか考えずに他所事を考えていたことを咎められるわけではなかったようだ。

となると、黙り込んだ理由はこんな質問をしたかったから?

だがしっくりこない。

 

「あるじゃないですか。

 修練棟の訓練室ですよ。

 その外縁部に上級結界魔術『反魔装甲(アクティブバインダー)』が設置してあるはずです」

 

「修練棟の訓練室?

 そこでは何をするのですか?」

 

「魔術実験や実技試験等に用いられる施設ですよ。

 ほら、聖級治癒魔術の魔法陣が4つある」

 

さらに表情を険しくするロキシーを見て、俺は言葉の続きを飲み込んだ。

卒業生のはずのロキシーが修練棟を知らない?

おかしい。

頭の中ではしっくりこない気持ちがさらに膨れ上がる。

 

「私が知っている大学にそのような施設はありません」

 

ロキシーのきっぱりと告げた言葉の羅列に今度は俺の表情が険しくなる。

ロキシーは続ける。

 

「魔術を訓練するのは専ら屋外ですし、一般公開されている治癒魔術は上級までのはずです。

 ルディ、結界魔術も治癒魔術も、その権利はミリス教にあることを忘れていませんか?」

 

ミリスの権利について忘れてはいない。

ロキシーの指摘は正しく、反して俺が理解していた事象には矛盾がある気がする。

何か大切なことを忘れているか、それとも俺が理解していないか。

疑問に思わなかったが間違って理解しているということもあるだろう。

無意識の内に右手をこめかみに当てている事に気付いてその手を下げる。

 

「……ロキシーの言う通りなのですが。

 うーん。何かがあった気がします。

 少し待ってください」

 

記憶の底にある情景を思い出すために目を瞑る。

誰が何を言ったのか。

ミリスの権利……。

ミリスが保有する魔術。

治癒魔術、神撃魔術、結界魔術。

何度も腕や足を失った経験からオルステッドに頼んで俺は王級治癒魔術を修得している。

神撃はどこか森の奥で聖級魔術を見たことがあるが……テンプルナイツが居る以上、必要性はないだろう。

結界魔術についても研究したことはある。その内容は以前にシルフィに渡した禁書の通りで、その中に『反魔装甲(アクティブバインダー)』を含めなかった。

かの魔術は仕組み的には聖級並みなのに魔力消費量が上級程度になっている不思議な魔術だからだ。

シーローンにある王級結界は内乱のごたごたで研究できなかったが今ならきっと手に入れることができるだろう。

関連しそうなことをつらつらと思い出していく。

そしてハッと気が付いた。

 

「そうだ。

 僕が通っていた当時の大学では何かの取引があって神撃と結界の初級を教えることが許されていました。

 聖級治癒魔術の魔法陣は偽装処理が施されたモノが設置されていましたし、治癒魔術の授業については相変わらず上級までしかありませんでしたが、もしかすると、施設の魔法陣についても同じ取引に含まれた何かによってそれが為された可能性はありますね」

 

「では、ミリスが魔法大学と何かの協定を結んだということですね。

 ちなみにその協定の締結がいつ頃あったのか覚えていますか?」

 

「入試の時だったか、それとも入学して間もなくだったかはあまり定かではありませんが、とにかく入学してあまり日が経ってない時にどなたか先生に説明して頂いた気がします」

 

たぶんジーナスだと思うが。

 

「前世でルディが大学に入ったのは甲龍歴422年でしたね」

 

「えぇっと……15の時ですからそうですね」

 

さらさらと俺の前世の年数まで覚えているとはロキシーの熱心さには恐れ入る。

 

「明確な時期が不明ですか。

 なら、既にその締結が成されているかどうかを確認した方が良いでしょう。

 ミリスからそれほどの情報の開示がされるとは一体なにがあったのか気になりますね」

 

ロキシーとの状況確認はその後も続き、忘れていること、曖昧なこと、勘違いしていることを今後、丹念に調査するという結論で落ち着いた。具体的には自分が書いた前世の記憶日記を読み直し、書き漏れを探したり、書いてあることに対して「それはなぜか?」と確認し、気付いていなかったことを発見する作業になるだろう。

 

ロキシーの疑問に一段落が付いたところで、話は本題に戻った。

水と土、どちらの魔術にするかで迷っていたわけだが、後の掃除の面倒さを比べて水魔術を選択し、水の初級魔術『水弾』を提案。

魔力によってバスケットボールサイズの水の弾を手の平に生成し、それを前方へと飛ばす魔術だ。

デフォルトの威力と速度で発動すれば、アラツの木がバキバキと音を立てて折れる代物なわけで、魔法陣から起動する場合は魔力の調整ができないし、それを室内で発動するのは危険だ。

そこで「床下と天井裏を使い『反魔装甲(アクティブバインダー)』を設置し、内装を耐魔レンガで補強する」案を示すと、ロキシーからも「それが良さそうですね」と賛同を得た。

 

--

 

話が終わって2階のリビングに2人で戻ってくる。

アイシャは大人しく机に向かっていた。ざっと見たところメモ書きが増えた以外に特段の変化らしいものは無い。

ロキシーとの相談はそれなりに長い時間が掛かっている。アイシャは1人で一体何の作業をしていたのか。

訊いても良いかと思ったところにアイシャが愛想良く声を掛けて来た。

 

「あ、お帰りお兄ちゃん、ロキシーさん」

 

「ただいま」

 

「話は終わった?」

 

「あぁ、だいたいな」

 

「ふぅん」

 

「ずっと1人で勉強してたのか?」

 

「勉強? 違うよ。研究だよ、研究」

 

「まだ魔術の選定も終わってないのに?」

 

「お兄ちゃんのマネだもん」

 

「ん? どういうこと?」

 

「なーいっしょ!」

 

満面の笑みでそう応えたアイシャが研究資料とやらを脇に抱えて、きゃぁきゃぁと笑いながら走っていった。

その姿を見送って、リビングに取り残された俺とロキシーは顔を見合わせる。

 

「なんだったんですかね?」

 

「さぁ?

 でも楽しそうで良いですね」

 

ロキシーも笑顔だった。

研究に向いている人間は研究をしながら笑顔になる人種といえる。

面倒な作業が山積みだというのにだ。

恐らく、いや間違いなく俺も笑顔だろう。

 

 

 




-10歳と11か月
 ムーンシャドーの活動を中断
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★副題は孔子の故事成語から。

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