そういうのに嫌悪感、忌避感をお持ちの方は退避なさってください!
――ピンポーン。
季節も冬に差し掛かろうかとしている早朝に、結城家のインターホンが軽快な音を響かせた。
待ち人が出てくる間、暇つぶしに空を見上げる。
朝特有の気だるげな眠気が抜けるほど晴れやかな青空に浮かぶ、目も冴えるほどの白い雲が、若干冷やかな風によりゆっくりと形を変えながら流されている。
しかし、こうして穏やかな空気に身を任せていられるのも今この瞬間だけだ。
学校へ行けば、そこは私にとって死と隣り合わせの戦場と化す。
気を抜いた瞬間、暗闇には不似合いなほど絢爛と眼を輝かせている
少しでも油断した隙に私を終わりなき死の世界へ導かんと、眼には見えない
くっ、私は一体いつまで地獄を彷徨わなければならんのだ……。
「悪い! 待たせた!」
そんな事を考えていると、玄関から慌てた様子で
瞬間的に顔に手をあて、ポーズを決めながら言う。
「言うほど待ってないから気にするな。それにこの程度の時間など、幾度も同じ時空を彷徨い続けた私にとっては一秒にも満たない……」
「朝から厨二全開だなぁ」
「なっ! ばっ……! ちゅ、厨二などではない! 私が語っているのは全て事実だ! 嘘は言わん!」
容赦のない無慈悲なリトの突っ込みに思わずうろたえてしまい、地が出てしまった。
ふ、ふふ……。言いたければ勝手に言っていればいい。
俺、もとい私の気持ちなど、そもそも常人には理解されない。
永遠に時間の概念に囚われ続ける孤独な旅人。それが私、
「ふふ、おいリトよ―――」
より深く理解させようと言葉を連ねかけた時、リトの後ろに人影が現れた。
「おはよー! 今日もいい天気だね!」
声を張り上げ元気よく玄関から出てきたのは、この世の全てを魅了するかのような美しい容貌をしている女性だった。
彼女の名前はララ・サタリン・デビルーク。とある事件からリトの自宅に住み着いている宇宙人であり、リトの婚約者(自称)だ。
彼女は容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能の「ほぼ」完璧美少女なのだ。
ほぼ、というのは、その魅力的な美貌とは裏腹に性格は無邪気な子供そのものだということ。
かなりのアクティブさをお持ちで、実際何度か彼女(やその関係者)が起こす騒動に巻き込まれてなんどか死を体験している。
回数積めば回避できるだけまだましではあるが、出来れば死ぬ危険など無いようにしてもらいたいものだ。
おはよう、と返事をしちらりと腕時計を見ると、登校時刻がかなり迫っていた。
「もうこんな時間か。少し急ごうか、リト、ララ」
「あ、ホントだ。そういえば、昨日やっと私の研究室が完成したんだ。トキ、学校終わったら見に来ない? リトも、さっきは時間がなかったからしっかり見れてないでしょ?」
ほう、研究室か。彼女は持ち前の頭脳を駆使しメカを作成しているのだが、それがまたいろいろ問題起こしたりして……。
よし、迂闊にその研究室内にある物は触らないようにしよう。絶対ロクなことにならない。
ララの提案に私は乗ったのだが、リトはげんなりとした顔をしている。
「そうだなー、でも俺はもうこりごりなんだが」
「こりごり? なにかあったのか?」
どうやら、今朝その完成したという研究室内に入ると、ある箇所に大量のメカが置いてあり。
リトはそれらが作りかけであることを知らずに触ってしまい、結果誤作動が起きてそれらが発する電流を浴びてしまったらしい。
……なんというか、それでよく生存しているな、リトよ。
× × ×
「しまった、シャンプー切れてるんだった……」
それに気付いたのは放課後、ララと下校している時だった。
今日はリトが今朝浴びた電流のせいで小人のようになってしまい、学校中探す羽目になってしまったが、特に問題なく過ごせた一日だった。
……感覚が狂っているような気もするが、学校と言う監獄で一度も死なず、と言うのは精神的に楽なものなのだ。
ちなみにリトはというと、あの事件の後心ここにあらずといった様子で一人で帰ってしまっていた。
あいつがあんな状態になるのは、毎回の如く西連寺が関係している。
この西連寺……
顔も良く性格も優しく器量よく、学級委員長という役割もきちんとこなしている。
リトが好きになるのも当然と言えよう。
まあ、何があったのかは知らないがあいつは大丈夫だろう。あんな程度でへこたれるような男ではないし。
というか今はそんなことよりシャンプーだ。
切れているものは仕方ないし買いに行かない限りどうしようもない。
「悪いが、今日は研究室には行けないようだ。生活必需品を購入しに行かねばならんのでな。よくよく考えたら冷蔵庫の中身も少なくなっているし」
「えー! 来れないの!? ……うーん、でも仕方ないかぁ」
「ふっ、安心しろララよ。この選択が間違っていれば、即座に世界が私を修正しに掛かるだろうさ」
間違いなく
「ここでお別れだ。ではさらばだ、また明日」
「うん、また明日ねー! バイバーイ!」
満面の笑みで手を振って別れを告げるララに手を振り返し、その姿が見えなくなると背を向け歩き出し、角地を折れ曲がった。
―――瞬間、世界が私を書き記し、この身体をこの空間に縫いつけ縛るような、形容しがたい何かを振り払いきれないどことなく気色悪い感覚が襲った。
「…………セーブ」
このおぞましい感覚を、私はセーブと名付けている。
通常セーブは私の意識がない、睡眠時にされるものである。
こんな時間に普通されるものではない。
ところで、私が今まで体験した理不尽な死、以外は大抵午前中に起きるものだ。
ララの発明の誤作動であったり、他の宇宙人に殺されたり。
午後からはそんなことが起きかけても、死にはせずいつもギリギリのところで助かる。
それはおそらく私の精神が摩耗しないための措置だと思う。
午後からそう何度もループしていれば、また朝からやり直さねばならず、さらに死に近づく時間がじわじわと迫ってくるから、精神の消耗も激しいだろう。
その理論で行けば、今ここでセーブされたその理由がおのずと分かってくるはずだ。
……結論を言おう。
私はこれから行く商店街で、何度も理不尽ではない死に至る可能性がある。
さらにそれは発生を回避できないだろう。
無理に回避しようとすれば、次は理不尽でリセットされるはずだ。
くそぅ、何が起きるのかは知らないが、シャンプーくらい落ち着いて買いたいよ……。