プロローグ集 続きなし   作:死にぞこない

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志島誠司の帰郷

 世界は雑多で魅力にあふれている。見聞を広めることが俺にとっては何よりも幸せだ。

 今は日本各地を回っているところだった。森の中に足を踏み入れたり、誰も近寄らないだろう廃墟に潜入してみたり、はたまた人気スポットだって行って満喫する。そしてご当地グルメを口にしたり、ゆるキャラと記念撮影したり、つまり手当たり次第に楽しんでいるんだ。

 そして俺は緑が世界を覆う森の奥地で、一人紫煙を燻らせ手帳に今日の出来事を書き記している。

 

 ○

 四日二日 晴れ

 朝から照り付けるような日差しがすさまじい。木陰を求め森の中に入ることに決めた。

 森は酷く静かで、木々が高々と伸び、日差しは全く入らないために湿った空気に満ちている。

 ○

 

 そこまで書いてぴたりと筆を止めた。何か違和感を覚えた。周囲の木々がざわめき不安を掻き立てる。しかし、俺はすぐにバックパックからカメラを取り出した。こういう時にこそ貴重なものが撮れたりする。シャッターチャンスを逃すわけにはいかないんだ。

 

 近くの草むらが揺れる。何かが出てこようとしていた。すかさず俺はそこをファインダーでとらえた。

 緊張感を保ち待ち構えていると、現れたのは童話に出て来るような小人だった。

 小さい瞳で、俺を見つめる。思わず呆然としていると、その後ろから続々と仲間とみられる小人たちが現れた。彼らは逃げる素振りも見せない。何倍もの生き物と出会って、怖くはないのだろうか。

 俺は好奇心を抑えきれずにシャッターを切った。

 まばゆい光が辺りを包む。

 

 ――しまった。

 

 俺は失敗を悟った。フラッシュの設定をONにしたままだった。

 それはやはり彼らを驚かせてしまったらしく、散り散りに逃げていく後ろ姿だけが見えた。

 追おうにもこの暗さでは難しい。自分が迷ってしまう。少し経つと辺りはまた元の静寂に包まれた。

 彼らは本当にそこにいたのか。化かされたのではないか。時間が経つにつれ信じられなくなってくる。半信半疑で今撮った写真を確認した。

 

 そこに映っていたのは体長二十センチほど、容姿は人間に似た生き物だった。彼らを小人と言わず何と言おう。俺は感動を覚えていた。これはれっきとした未知との遭遇だ。好奇心の塊と揶揄されることもある俺は、もうそのままにはしておけなかった。

 こんな時は信頼できる後輩を頼るのが一番なのを、俺はこれまでの経験から学んでいた。

 

 

 

 それから三日後、後輩の通う大学近くの喫茶店で、俺は顔を歪めてコーヒーを啜っていた。

 店内は常連客と見られる人たちで埋まっており、各々リラックスして休日の午後を楽しんでいる。

 俺は大人ぶってブラックを頼んだら、予想以上に苦くて困り果てていた。今度からはミルクと砂糖を貰うことを固く決めた。飲めなければ勿体ない。

 

 ギブアップしてブラックコーヒーとにらめっこすること数分、ラフな格好の女性が窓の外に見えた。

 からんころから、と音を鳴らして店に入って来たのは俺の高校時代の後輩、睦月遥ちゃんだ。彼女は俺の誘いに喜んで応じてくれる心の広い女の子であり、俺と双璧を成す好奇心の申し子。

 

 今日もポニーテールが楽しげに揺れている。

 

「おーい、ここここ」

 

 俺を探している彼女に軽く手を振る。気付いた彼女が歩み寄って来た。

 

「どうもどうも」

 

 ぺこりと頭を下げた彼女は、俺の向かいの席に腰を下ろした。

 

「何か頼む?」

「じゃあ、ブラックで」

「お、大人だなあ」

「えへへ、でしょでしょ」

 

 自慢げに胸を反らす彼女についつい笑みをこぼしながら店員さんにコーヒーを頼んだ。

 

「いやー、ごめんね。急に呼び出したりしちゃってさ」

「いえいえ、暇だったんで全く問題なしっす。大学もまだギリギリ始まってないですから」

「ありがと。ここの勘定はもちろん俺が持つから、じゃんじゃん頼んじゃってくださいな」

「よ、太っ腹!」

 

 口に手を添えて遥ちゃんはノリノリで返してくれた。

 店内のお客さん並びに店員さんには白い目で見られたけれども。

 慌てて苦笑いを見せながら頭を下げる俺を、彼女は不思議そうに見ている。良い根性だ。肝っ玉が据わっているとでも言うべきか。

 

 コーヒーを持ってきてくれた店員さんに頭を下げて、やっと話の本題に入る。

 

「今日呼んだのはね、見てもらいたいものがあるからなんだ」

「何でふ?」

 

 彼女は行儀悪くコーヒーを啜りながら返事をする。そう言うところが遥ちゃんらしい。

 俺はこぼれないように気を付けてねと言って、持ってきて足元に置いておいたバックパックから、一枚の写真を取り出した。もちろん例の小人の写真だ。あれから時間が経ったものの、消えてしまったとか、実は幽霊だったとかそう言った残念な進展を見せることもなく、それはそれのまま写真に残っていた。

 

「ほら、これなんだけど」

 

 彼女がそれを手に取り眺めると、すぐに身を乗り出してきた。テーブルが揺れ、コーヒーが波打つ。

 

「な、何ですこれ!? 新種の生物っすか! 嘘の写真じゃないんですよね!」

「は、遥ちゃーん、ちょっと声が大きいかな、って」

 

 遥ちゃんの後ろのテーブル席に座っている気難しそうなおじ様が、俺の方を憤怒の表情で睨んできていた。物凄く怖い。でもきらきらと瞳を輝かす遥ちゃんを見ると、強く止めることもできなかった。板挟みの様相を呈している。

 

「遥ちゃん、遥ちゃーん?」

「あ、はい、何でしょう!」

 

 興奮冷めやらぬようで、射抜くくらいの目力で遥ちゃんは写真を見ていた。俺の声が耳に入らないほどなんだから相当だ。

 

「持ってきた自分としては嬉しい限りなんだけど、他の人の迷惑になるから声はもう少し小さくね、ね?」

「あ、これは、失礼を」

 

 しゅんと赤くなって静かになる姿もまた可愛らしく、新聞部で活動していたころを思い出す。目先の楽しみを見つけると周りが見えなくなるところも、高校時代と同じだ。大学生になっても相変わらずのやり取りができるこの関係性が俺は好きだった。

 

「で、もちろん本物なんだけど……どうかな、何か気づいたことある?」

 

 遥ちゃんは難しい顔をしてうーん、と唸ってから口を開いた。

 

「不思議なものに目がない私ですけど、こんな小人ってのは初めてっすねえ。それに一枚だけだとなんとも」

「ああ、まあそうだよねー……本当はもっと撮れればよかったんだけど、間違ってフラッシュたいちゃってさ。驚かせちゃってみたいでね、悪いことしたよ」

 

 そうした会話の間でも、彼女は食い入るように写真を見つめ、唸ったり首を捻ったりしている。上にしてみたりテーブルに置いてみたりして、そして何かピンときたのか、急に顔を上げた。視線がぶつかる。

 

「そうだ! 先輩、教授って知ってますか? 鵜飼教授! あの人なら何か知ってるかもしれないっす!」

「いやー、知らないなあ。有名な方なの?」

「私の大学ではそうっすね。主に変人として名を馳せています。妖しいものが好きらしくて、研究室にはたくさんの骨董品やら出所不明の薬草やら、素人が手を出したら痛い目を見るものばっからしいっすよ。私も入ってみたいんですけど、なかなか機会がなくって」

「おお、何か面白そう!」

 

 この写真とか関係なく、一度お会いしてみたいと思わせる話だった。意気投合できるに違いない。

 すると彼女はにやりと笑った。これは何か良からぬことを企んだ時の彼女の癖なんだ。

 この表情を俺に見せるのは、校長のかつら疑惑事件、VS委員長、消えた体操服などなど、大小様々な問題を相手取り、時に騒動を巻き起こし、時に事が大きくなりすぎて何が何だかわからなくなり、果てには問題自体なかったと言う、台風の目と称された彼女の面目躍如たる有様をまざまざと見せつけられる時だ。そう、この顔は〇から一を生み出し、さらには一から十へと変貌させる。

 

 でもそれがちょっと楽しいと思ってしまうのも、俺が好奇心の塊と言われる由縁だろう。

 

「ですよね、ですよね! だったら行きませんか?」

「ん?」

「教授の研究室へレッツゴー!」

 

 その行動たるや迅速だった。俺の腕を引っ張り席を立たせたかと思うと、一切の迷いなく尻ポケットに入っていた財布を華麗に奪い取り紙幣をレジへ。そして釣りはいらないぜ、とダンディに決めたかと思うと既に店を出ていた。よりにもよって万札を使うその剛毅さに敬意を表すとともに、戻ってこない諭吉を想って俺は隠れてしくしく泣いた。奢るとは確かに言ったけれども。

 

 嗚呼、諭吉。我が愛しの諭吉。カムバック諭吉。我が残金千八百円也。

 

 

 

 未だ春期休暇中ではあるものの、大学構内は生徒たちでごった返していた。勧誘期間中らしく新入生をサークルに勧誘する者、スーツ姿でせわしなく行き来している者、我関せずと喧騒をものともしないで本を読んでいる者。

 

 こんな状況では、俺のような無関係の人間が一人紛れたところで分からないだろう。隣にいる遥ちゃんがここの生徒なのだからなおさらだ。途中途中に出会う遥ちゃんのお友達と挨拶をかわしながら、俺たちは教授の研究室を目指して歩いていた。

 

「教授はどこにいるの?」

「五階の教授の研究室にいるんじゃないかなっと」

「おっけ、おっけ。それにしても友達多いね」

「それほどでもー……あります!」

 

 ふんすふんすと鼻を高くし上機嫌の遥ちゃんを伴って五階に続く階段を上っていると、上から誰かが下りてくるようだった。俺たちは隅に身を寄せて道を開ける。

 

「あっ!」

 

 その時遥ちゃんがそのスーツを着た人を見て声を上げた。通りがかった初老の男性は、頭皮を輝かせることに余念がないと初対面の俺に思わせるくらいに、髪の毛一本ないぴかぴかの頭を綺麗に磨き上げている。暗がりでこの威力だ。外に出ればさぞや太陽光を反射することだろう。

 しかし当たり前だけれど、遥ちゃんが声を上げたのはそんな失礼な理由ではないらしい。

 

 彼女が俺の服の袖を引っ張り小声で言う。

 

「先輩、先輩、この人が鵜飼教授ですよ!」

 

 思わず目を見張った。確かにその頭は妖しいほどに光り輝いているけれど、変人とまでは思えなかった。

 視線に気づいたらしく、教授が足を止めた。

 

「ん? 私に何か用かね? ふむ、今すぐは難しいが、時間があるようなら私の研究室で待っていたまえ。帰ってきてから話を聞こう」

 

 俺たちを一瞥すると、教授は階段を下りて行った。その後ろ姿を見送って、俺はぽつりと呟いた。

 

「何と言うか……イメージと違ったなあ」

「先輩の中だとどんな感じだったんすか?」

「こう、見るからに怪しくってさ、髪はぼさぼさ、服はよれよれ、纏ったオーラは人を寄せ付けない、みたいな。部屋の中は違うのかな」

「じゃあじゃあ、研究室を見ちゃいましょうよ!」

 

 そう言うや否や、遥ちゃんは階段を駆け上がった。俺もその後を急いで追った。どこに何があるかよく分かっていないのに置いてかれたら大変だ。

 

 五階になると、生徒はほとんどいなかった。

 

「こっちっす!」

 

 遥ちゃんの声が耳に入る。声のした方を向くと、通路の一番奥にある部屋の前で大きく手を振っていた。小走りでそこまで行く。

 

「ここですね」

「パッと見は普通だね」

 

 遥ちゃんから聞いた評判とは違い、他の部屋と同じで代わり映えしない。

 

「よし、お邪魔させてもらおうか」

「ゴー!」

 

 遥ちゃんの号令で、俺はドアノブに手をかけ、捻った。

 濃密な何かかが抜ける感じを全身で受け、俺はぶるりと身を震わせた。そのまま開ききると、室内の全貌が見えた。

 

「うわ、これは、凄いっすね……」

 

 遥ちゃんがぽつりと呟く。

 そこに広がるのはまるで異世界のようだ。足の踏み場もないほどに様々なものが置かれている。

 髪の長いいわくありげな日本人形が壁際の質素な棚に置かれ、その隣には神秘的な雰囲気を醸し出す日本刀が立て掛けられていた。部屋の中央に向かい合わせで置かれているソファとテーブルには、ごみと形容しても問題ないだろうガラクタばかりが積み重なり、その姿を隠している。またその奥にはアンティーク調の椅子と机が置かれていて、机の上には妖しげな光を発する植物が鉢に植えられていた。

 

 どれもこれもこの世に存在しているのかと疑問を抱きたくなるものばかりだった。床に転がっている光を湛えた不思議物体を踏まないように慎重に歩を進める。流石の遥ちゃんもこの異様な世界にのまれているようで、口を開かず呆然とした表情で一つ一つに視線を配っていた。途中からはけもの道の様に歩ける場所が出来ており、無事机までは移動することが出来た。それにこの周りだけは綺麗に片づけてあり、教授の主な生活圏であろうことが伺い知れた。

 

「あれ?」

 

 入って来た時には植木鉢の陰になっていて見えなかったが、机の上には銀色の小さい金属製の箱が置かれていた。この部屋に似合わぬ俗世間的なそれは、一層不気味な空気を出している。開けたいけれども教授のものだし、でも開けたいなあと一人まごまごしていると、遥ちゃんも無事ここまで来られたようで、机を挟んだ向こう側に立っていた。表情は一転、ほくほく顔だ。

 

「もう、この部屋素敵すぎますよ! 変なものばっかで最高!」

 

 ここの雰囲気とは合わないその声に、俺は笑みを浮かべる。

 

「ははは、ま、遥ちゃんならそう言うよね」

「当たり前ですよ! 見てくださいよこの足元に置いてある瓶! 中に銀色のぶよぶよしたもの入ってますよ! 何が何だかわからないのが楽しいっす!」

 

 これ以上ないくらいに笑顔を振りまく遥ちゃんは、ぱ、ぱ、ぱ、といろんなところに目を向けたあと、俺と同じように机の上の箱に目をやってぴたりと動きを止めた。

 

「何ですその箱? この部屋っぽくなくて怪しいっすねー」

「だよねえ、怪しいよねえ。でも開けたらいけないよ?」

 

 一瞬の静寂の後、俺と遥ちゃんは黙って見つめ合い、一つ頷いた。

 

「同じこと考えてますね」

「やっぱり、止められないよね」

 

 俺は箱に手を伸ばした。そして恐る恐る蓋を持ち上げる。思っていたよりも重いそれは、ゆっくりと口を開けた。そして姿を現したのはバングルだった。小さい液晶画面が付いていて、その近くにスイッチが付いている。奇妙ではあるけれど、この部屋にある他のものに比べれば大したことはないように思われた。

 

「あんまし……」

「うん……」

 

 期待が大きすぎたのである。俺はそっと元に戻した。

 それと同時にポケットが震えた。

 

「おっと、ごめん、電話だ」

「あ、どうぞどうぞ」

 

 取り出してスマートフォンのディスプレイを確認すると、そこには『野倉さん』と表示されていた。俺は少なからず驚いた。半年以上前に偶然出会うことになった人で、それからは一度も連絡を取っていなかった人だ。一応連絡先は交換していたけれど、こうして電話をくれるとは思っていなかった。

 

 驚きながらも通話ボタンへ指をスライドする。

 

「はい、もしもし」

「お、志島だよな、久しぶり。突然ですまんね」

 

 

 

 今から一年近く前、巷を俄かに騒がせる事件が発生していた。

 半径五キロほどの場所でスリや強盗、空き巣、万引きが多発していたのだ。全国紙に載り事件を知った俺は、その場所と言うのが父の経営する『しじま診療所』に近いと言うこともあり、その時期だけは実家に帰って手伝いをしていた。父は相変わらずの柔和な笑みで俺を迎えてくれたのだった。

 その後も犯行は終わらず、最初の事件が発生してから二カ月たったころ、実家が空き巣に入られた。元々家に置いてあるものは殆どなく、特に取られたものもなかったのだが、そのままにしておけばさらに被害が拡大してしまうと思った俺は、自分でも事件を追い始めたのだ。

 

 その中で知り合ったのが野倉さんで、私立探偵とのことだった。探偵なんて初めて見たものだから、その時ははしゃいでしまったのをよく覚えている。その後も地道に調査はしていたものの結局犯人は見つからず、とある用が入ってしまったために俺はそこを離れることになったのだった。また出かけることになった俺を、同じ笑みで旅立たせてくれる父がありがたかった。

 

 そんな経緯であるものだから、何となく話の内容は見当がついていた。

 

「もしかして犯人捕まったんですか?」

「まあ分かるわな。そうだ。近所に住む女の犯行だったみたいでよ。ただ様子が変なんだ」

「変?」

「どうも精神的に不安定でな、捕まった時にゃあ泣きわめくし殺される、助けてくれっつって暴れるしで、連行しに来た警官を困らせて大変だったらしい。そんなんでこんな長く尻尾を出さずにいられると思うか?」

「なるほど……」

 

 確かに不自然だ。正常な判断が出来なければ、犯行を繰り返すことなど出来ないだろう。俺の知っている限りでも百件近い被害が出ているのだ。軽率な行動はすぐ逮捕につながるはずだ。

「どうにもきな臭い。事件が終わった気がしねえんだ。もしかしたらまた色々とやってもらうかもしれねえからよ、こうして電話させてもらった。また何か分かったら連絡するわ。着信拒否にはしないでくれよ?」

 

 含み笑いを残して電話は切れた。

 

「うーん……」

 

 次の事件が発生する危険がなくなったのは喜ばしいことだ。けれど野倉さんの言うように、不安の種が完全には消え去っていないのが気がかりでもある。何か手がかりでもあれば調査のしようもあるけれど、現状で俺にできることはないだろう。警察に頑張ってもらうしかない。

 

「何だったんですか?」

 

 遥ちゃんがきょとんとした顔で聞いてきた。俺は今の話を頭の片隅に追いやって曖昧に微笑んだ。

 

「昔知り合った人で、まあちょっと」

「へえ、先輩知り合い多いですもんねえ」

「それが俺の取り柄みたいなとこあるからね」

 

 俺は高校を卒業したと同時に、アルバイトで稼いだ金を使って旅に出かけた。もうかれこれ三年だ。各地を回っているから、自ずと知り合いやらなんやらでよく分からないつながりが増えたのだ。携帯の電話帳は百件を優に超えている。密かな自慢だった。

 

「で、えーと、何しようとしてたんだっけ」

「期待外れの箱を開けてちょっとテンション下がったとこっす」

「あ、そうだった」

 

 散々な言われようで申し訳ないけれど、これはちょっとこの部屋が悪い。適当に視線を泳がせるだけで面白そうなものが目につくのだ。装丁が豪華などこの言語か定かでない本とか、黄金色に光る壺に、わらわらと機械が動く時計。不思議なものが至る所に散りばめられたワンダーランドだ。退屈のしようがない。

 

「それにしても凄いなあ。いくらくらいかかってるんだろ」

「相当なものですよこれは。だって全部高そうですもん」

「だよね、壊さないように気を付けないと。高そうなものって脆い気がするし」

「ですねー」

 

 そうやって適当な会話をしていると、扉がノックされる音がした。

 教授が帰って来るには早いし、学生さんだろうか。

 

「失礼します……え?」

 

 そう言って入って来たのは制服に身を包んだ女の子だった。背中まである長い黒髪が印象的だ。さらに制服から覗く肌は雪のように白かった。手慣れた様子で入ってきた彼女は、部屋の惨状に反応するでもなく、俺たちがいたことに驚いている様子だった。

 

「……誰ですか?」

 

 困惑の表情が強くなっていく。明らかに不審者を見る瞳だ。

 

「ど、どうも、文学部の睦月遥って言います! 教授にちょっと話があって!」

 

 遥ちゃんが先陣を切ってくれたので、俺も流れに乗ることにした。

 

「遥ちゃんの友達の志島誠司です、よろしく」

 

 笑いかけて警戒を解こうとしたのだけども、あまり効果はないらしく、微妙な顔をされてしまった。それは言うなれば、一人でお楽しみ中だったのにいきなり仲が良くもない知り合いに会ってしまい、なし崩し的に行動を共にすることを余儀なくされた、と言った感じ。

 

「はあ、そうですか」

 

 まったく興味がなさそうだった。

 

「君は……えっと、高校生かな」

「はい、今年から一年生になります」

「何で研究室へ?」

「私の父なので、教授は」

「あ、娘さんだったんだ」

 

 教授は見た目的には五十から六十と言ったところだ。こんなに若いお子さんがいるとは驚きだった。

 

「わあ、教授結婚してたんすねえ」

 

 それにはまったくもって同意だけれど、娘さんを前にして言うのはどうだろう。

 ちらっと顔を見たけど、気にしていないようだから杞憂だった。

 

「度々掃除に来るんです、綺麗になったことはないですけど」

 

 この有様では想像に難くない。少し整理したらその奥からまた物が出てきて、それも整理したら物が出てきて、と無限に繰り返される気さえする。それに普通の掃除のようにさっさと片付けるわけにもいかないのだろう。何しろこれだけのコレクションだ。ぞんざいに扱っていい代物ではない。

 

「今から掃除するんです?」

「その予定でしたけど、お客さんがいるのでやめておきます」

 

 そう言って出て行きそうになった彼女を、遥ちゃんが呼び止めた。

 

「それじゃ、一緒にやりません? 掃除でもなんでも一緒にやった方が楽しいっすよ」

「あ、いいね。そのほうが早く終わるし、良かったらどうだろう」

 

 彼女は迷うそぶりを見せたものの、最終的に了承してくれた。

 

「鵜飼鳴海です、その、よろしくお願いします。あと、ありがとうございます」

 

 彼女の白い頬が、僅かに赤みを帯びた。

 

 

 

 安請け合いした掃除は混迷を極めた。整理すると言うのがここまで難しかったのかと、知らず知らずのうちに舐めていたことを痛感する。ただでさえ無秩序な室内は最早無法地帯と化し、何をどこに置けばそれが整理されたと言えるのか分からず、物を置いては元に戻し、他の物を置いても元に戻す。足元に転がっているガラクタ同然と言えるものでさえ、いざ手元に持ってくるとこれは落ちている状態こそ至高なのではないだろうか、と阿呆な考えが頭を過り絶えず邪魔をした。棚や本棚に収まっている物は、つい手を伸ばすと眺めたり読んだりしてしまう。

 

 俺たち二人がそんな状態であるから、ちゃんとやっているのは鳴海さんだけだった。たまにじーっと胡乱気な瞳を向けて来るので、俺は顔を赤くする他なかった。遥ちゃんも同様であった。

 そんなサボり組とは正反対にてきぱきと働く鳴海さんは素晴らしいもので、度々やって来ては掃除をしていると言っていた通り、慣れた手つきでコレクションの数々を的確に棚や本棚に並べていて、着実に部屋はその本来の姿を取り戻しつつあった。そんな様子を見て俺も頑張らねばと気合を入れて袖をまくるも、しかし不思議物体の魅了に抗うこと敵わず、無念にもコレクションの一つを手に取ってはにまにましていた。

 

「ちょっと先輩、何やってんすかー。ちゃんとやってくださいよー」

 

 そんな声が横から飛んでくる。はっとして「ごめんごめん」と言って作業を再開しようと遥ちゃんの方を見ると、彼女も魅了されてしまっているらしかった。年代を感じさせながらも汚れのない、綺麗な白磁の壺を撫でて恍惚の表情をしている。さっきの自分はこんな感じだったんだろうなあと思うと笑ってしまった。

 

「遥ちゃーん、手が止まってるよー」

 

 すると彼女ははっとして撫でる手を止めて俺を見た。

 

「あ、危なかったっす、引きずり込まれるとこでしたよ……」

「十分引きずり込まれてたと思う」

 

 お互いにちゃんとやろうと声をかけ、そしてやっと俺たちの掃除が始まった。その時には既に六割がたが終わっており、鳴海さんの額には汗が浮かんでいた。申し訳ないです、そう心で謝ってその後も掃除を続け、見違える室内となったときには背中を一筋の汗が伝っていた。

 

「ありがとうございました、手伝っていただいて」

 

 鳴海さんが頭を下げてきた。

 それを見て俺と遥ちゃんは慌てて下げ返した。

 

「いやいやそんな! 私達全然力になれなくってごめんなさいって感じで!」

「もう本当に、言い訳のしようがないくらいに夢中になっちゃって、その、ごめんなさい……」

 

 明らかに一番頑張ったのは鳴海さんだ。俺たちから手伝うと言っておきながら足手まといになってしまって情けない限りだった。

 

「そんなことないです。私一人だと大抵二時間近くかかりますから」

 

 高校一年生と若いながら気を遣える良い子だ。自分が高一だったころはどうだったろう。クソガキだった記憶しかない。俺は何だか嬉しくなった。

 

「優しい子だなあ。見習わなくちゃいけないんじゃない?」

 

 横目で遥ちゃんを見ると、彼女は自信満々に鼻を鳴らした。

 

「ふっ、私十分優しいっすよ。何てったって先輩を手伝うくらいですからね」

「うっ。ただの趣味に付き合ってもらってる身としては、それを言われるとぐうの音も出ない……」

「ふふ」

 

 鈴を転がすような笑い声が聞こえた。

 やっと緊張がほぐれてきたのか、鳴海さんが笑顔を見せてくれたのだ。

 俺は遥ちゃんと顔を見合わせて微笑んだ。

 

「可愛いなあ、もう」

「え、そ、そんなこと……」

 

 照れる鳴海さんはすぐにリンゴのように真っ赤になり、目を泳がせていた。

 

「そんなとこもまた可愛いっすねー、自信持ってください。いやあ、若いって素晴らしい。大学生になるともう年取った気がします」

「そんなこと言ったら俺なんてどうなるの」

「おっさんて奴っすかね」

「あー嫌だ嫌だ。せめてお兄さんがいい」

「先輩がお兄さんは、ちょっと……」

「あれ、本気で引かれてる?」

 

 そうやってふざけあっていると鳴海さんがくすくす笑ってくれるものだから、ついつい長く続けてしまった。何時の間にやら予想以上に経っていたらしく、チャイムが室内に響いた。携帯を開くともう五時を過ぎていた。

 

「教授いつくらいに帰って来るだろう」

「どこ行ったのか分からないっすから、どうでしょう」

「あ、すみません……」

 

 鳴海さんは真面目が過ぎるようで、すぐに謝るのでこちらが申し訳ないくらいだ。

 

「気にしないで。こっちが勝手に気に来ちゃったんだから。ほんと、遥ちゃんには驚かされるよ」

「誰かさんの影響ですんで。ヒントは新聞部の先輩です。そしてこの場にいます」

 

 どうやら俺のせいらしい。元々こんな感じだった気がするけれど、イメージが上塗りされているからいまいち昔の姿が思い出せない。良い変化だったと思っておこう。

 

「あの、私探してきます」

「え、いやそこまでしてもらったら悪いよ」

「そうっすよ、それなら私が探してきます。先輩はここのことよく分からないでしょうし」

「で、でも……」

「なーに、大丈夫大丈夫。すぐ戻ってきますから」

 

 そう言って遥ちゃんは、さっぱりした室内のソファとテーブルの間を抜け、真っ直ぐ扉まで歩いて行った。それだけで達成感を覚えるのはどうしてだろう。凄い偉業を成し遂げたかのようだった。

 そして遥ちゃんがドアノブに手をかけようとしたとき、自動で扉が開いた。

 

「あれ」

 

 入って来たのは教授である。遥ちゃんに目を止めた後、室内を見まわし頷いた。

 

「また片付けてくれたのかね」

「うん、今日は手伝ってくれる人がいたから早く終わったの」

「そうか、ありがとう」

 

 そうして教授は俺と遥ちゃんに頭を下げた。磨き上げられた頭皮が輝きを見せていた。

 そして顔を上げるとこう言った。

 

「さて、話を聞こう」

 

 

 

 俺たちが名乗った後、教授は遥ちゃんから写真を受け取り、アンティーク調の椅子に深く腰掛けてそれをまじまじと見ている。俺たちは応接用のソファに座らせてもらい、教授の言葉を待った。遥ちゃんはわくわくした表情で今か今かと待っていて、鳴海さんはどこか心配そうに教授を見ていた。

 

 時計の音だけが小さく耳に届く中、教授が徐に口を開いた。

 

「これを撮ったのは誰かね」

「俺です。偶然なんですけど」

「何処で撮ったかは覚えているかな?」

「ここから電車で二時間とちょっとくらいで着く森の中です」

「これを撮ったとき、何か気になる点は?」

「気になる点、ですか」

 

 記憶を掘り起こす。

 あの日は春とは思えないくらいに暑くて、涼むために森に入った。そしていい場所を見つけたから、習慣になった日記を書いていて、手を止めた。

 

「……自分でもよく分からないんですけど、違和感は覚えました」

「ふむ。なるほど」

 

 抽象的にしか答えられなかったけれど、教授は何か手ごたえを得たらしく、机の中から一冊のノートを出した。B5サイズのそれは経年劣化からか黄ばんでいた。

 

「これを見たまえ」

 

 そう言って教授はページを開き、机の上に広げた。遥ちゃんが真っ先に勢いよく立ち上がり、ぐわっ、と机に張り付くようにして覗き見た。途端声を上げる。鳴海さんがびくっ、と肩を震わせた。

 

「こ、これって同じじゃないですか!?」

 

 気になった俺も遥ちゃんの上からそっと見てみる。そこには小人のスケッチがあった。鉛筆の繊細なタッチで書かれたそれは、俺が撮った彼らと寸分たがわない姿をしている。

 

「これは一体……」

「私の友人が残していったノートだよ。彼の名は来宮晴臣と言ってね、その人生のすべてを異世界の探求に費やした、大層な変人だ。それがなぜなのかは分からないが、彼には彼なりの目的があったようだった」

 

 教授は信じ難い話を滔々と語る。そんな馬鹿な、と思うけれど、俺の心は次第に躍動していく。

 

「そして見つけることが出来たらしい。この世界と異世界とを繋ぐ扉を。彼はそれをポータルと呼んだ」

「ポータル……」

「そしてその先で見つけた生物を、このノートにスケッチしていたようだ。今の今まで、私の中では信じ切れていなかったが……まったく、彼は驚くべき阿呆だが、尊敬すべき阿呆でもあった」

 

 そう言う教授の顔には僅かな笑みが浮かんでおり、その友人さんとは親密な間柄だったのだろうと思われた。

 

「これって凄いことだと思うんですけど、発表したりしないんですか?」

 

 パラパラとノートをめくっていた遥ちゃんが言うと、教授は静かに首を振った。

 

「しないと言うより出来ない、と言ったほうがいいだろう。第一に簡単に信じられるものではない。私も当初はそうだったからね。第二に、仮に証明しようとしても、このポータルと言うのが厄介なのだよ。周期、場所、条件、その他諸々全てが分からない。第三に、彼も二度しか出会ったことはないようでね。何より来宮自身がその存在に疑問を抱いていた。ただ、その少ない経験から、発生する前には言葉にできない何かを感じるとは言っていた。それが志島君の言っている違和感だろう」

 

 と言うことは、俺はそんな人生で一度あれば幸運である場面に立ち会うことが出来たと言うことだ。それなのに、どうして好奇心を抑えることが出来よう。

 俺は上気してきた頬を自覚しながら、教授の言葉を聞いていた。

 

「つまり、可能性としての話だが、君が遭遇した小人は異世界のものだと言うわけだよ。興味本位で聞くのだが、この写真の後はどうなったのかね」

「それが、驚かせてしまって……」

「逃げてしまった、か」

 

 俺が頷くと、教授は顎に手をやり考え込んだ。かと思うとすぐに口を開いた。

 

「もしかしたら、まだその小人はその森の中にいるかもしれない」

「え?」

「そ、そんなことあるんすか!?」

「ポータルは一定時間で消え、そしてランダムで別の場所に姿を現す。来宮はそう言うものだと考えていた。それが正しければ……ポータルの向こう側から来ていた小人たちが、こちらの世界に取り残された可能性もある」

 

 そう言う教授は未だに読み続けていた遥ちゃんからノートを取り上げ、一気にページをめくった。

 

「ここだ」

 

 開かれた場所にはびっしりと汚い文字で様々な考察が書かれていた。その中でも目を引いたのは、ポータルの行き来についてだ。

 

「こちらの世界から向こう側に行くことが可能なように、向こうの世界からこちら側に来ることが可能である。そしてまた同じように、ポータルがなくなる前に元の世界に戻らなければ、もう元の思い出の土を踏むことは出来ないだろう……そう書かかれてある通り、来宮はこちらに来た生物を見たと言っていた。しかし捕まえようとしたら逃げられ、あちらの世界に帰って行ったらしいがね」

 

 行けるのだから来られる。当たり前のことだけれど、実際にこの世界に異世界の生物がいる可能性がある、と今になって実感が湧いてきた。徐々に徐々に、俺は止め処のない歓喜に身を包まれていた。

 不思議を求めて幾星霜、親不孝者となっても止められないこの衝動が、とうとう実を結んだとも言えるのだ。これからの冒険を胸に描き、俺は一人鼓動を早くしていた。

 

「志島君の言う通りならば、小人たちがどうなったのかは確認していないのだろう? ならば――」

「じゃ、じゃあ今すぐ行きませんか!」

 

 興奮のあまり、そんな言葉が思わずぽろっとこぼれた。俺の悪い癖だった。

 遥ちゃんはぶんぶん首を縦に振って賛同してくれた。そんな俺たちを、教授は優しい瞳で見る。

 

「流石にもう遅い。それに、鳴海も退屈しているようだからね」

 

 そこでやっと、鳴海さんがまったく会話に入ってきていなかったことに気が付いた。ばっと振り向くと、つまらなそうにソファに座ってぼーっとしている鳴海さんが目に入る。

 

「あ……」

 

 俺の視線に気が付いたのか、彼女は頬を赤らめて下を向いた。

 俺のすぐ近くでは、遥ちゃんが俺と同じように肩を落としている。

 

「やっちゃったっすねえ……」

「直したいのに直せないんだよなあ……」

「そう気を落とさなくともいいのではないかな? それは長所とも言える」

「はは……ありがとうございます」

 

 慰めは嬉しいけれど、何度もこんなことを繰り返しているのだから直さなければならない、といつも思っている。思っているだけなのだ。結果はついてきていなかった。

 

「今日のところは解散としよう。私もこれからやることがある。明日の、そうだね、八時頃、大学の正門で集まろうか」

「分かりました。お騒がせして申し訳ありませんでした」

「ありがとうございました!」

 

 俺たちが頭を下げると、教授は笑った。

 

「気にしないでくれたまえ。私も久しぶりに楽しめたよ。明日を楽しみしておこう」

 

 そして教授はそのまま鳴海さんを見ると、思いついたように言う。

 

「そうだ、娘を送ってあげてはくれんかね。もう外は暗かろう。高校生になる娘一人では、少々心配だ」

「だ、大丈夫だよ、一人で帰れるよ」

「親は心配なものなのだよ。送ってもらいなさい」

「で、でも迷惑に……」

 

 鳴海さんは遠慮がちにこちらに視線を送って来る。俺は安心してもらおうと、笑みを形作って言った。

 

「大丈夫だよ、俺は親切お兄さんを自認しているからね。それくらい、迷惑何てそんなわけないよ」

「そうっす、そうっす。先輩はお人よしに片足ツッコんでる人ですからね」

「片足なんだ」

「両足ツッコむほどじゃないなあって」

 

 そんなことを言ってると、鳴海さんも安心したらしく、柔和な笑みを浮かべてくれた。

 

「うむ、よろしい。ではお願いするよ」

 

 そうして、俺たちは教授の不思議な部屋を出た。

 構内を歩いていると、どれだけあそこがおかしい場所だったのかが分かって来る。

 充実した一日を過ごしたと言う確信のもと、俺は大きな欠伸をして、二人に笑われたのだった。

 

 

 

 大学を出たころには、太陽は地平線の彼方に消えゆこうとしており、僅かな赤みを残すのみだった。

 俺たちは鳴海さんの案内に従って歩いている。

 大学を出て右に折れ、そのまままっすぐ進むと、天高く伸びるビルが少しずつ減っていき、数十分ほど歩いた後にはなくなっていた。そして広がるのはニュースでよく映される閑静な住宅街で、一戸建ての住宅が軒を連ねていた。辺りは暗くなってきたものの、多くの家では明かりが点き、通りの光源としては十分だ。

 

 そんな中を進んで行くと、子供の楽しそうな声にのせて、夕飯の良い香りが鼻孔をくすぐる。隣を歩く遥ちゃんを見れば、お腹が減ったらしく手で押さえていた。

 

「後で何か奢るよ。こんな時間まで付き合ってもらっちゃったし」

「ほんとっすか!? いやー、持つべきものは先輩ですね!」

 

 その声に反応して、少し先を歩いていた鳴海さんが驚いた様子で振り向いた。

 

「ど、どうかしましたか?」

「あ、ごめんなさい、騒がしかったすか……」

「あ、あはは……そうだ、鳴海さん、並んで歩かない? その方が楽しいよ」

「いえ、でも、案内しないといけないですし……」

「ここまでくれば大丈夫じゃないかな」

「そうっすね、後は真っ直ぐ空いてれば着くんじゃないっすか?」

 

 明かりはこの通りをずっと先まで照らしているから、まだまだ家があるのは確かだ。

 

「あ、はい、そうですね。あと少しで着くと思います」

「よし、じゃあ並んで歩こう。何か話でもしながらさ」

「お願いします! 何か話しましょうよー」

「わ、分かりました」

 

 ちょっと強引過ぎた気もするけれど、折角の出会いなのだから、出来る限り仲良くなりたい。それは今までのたくさんの出会いから学んだことでもある。根負けしてくれた彼女は、おずおずと遥ちゃんの隣に並んだ。

 

 でも鳴海さんは恥ずかしそうに下を向いていて、目を合わせてくれない。ここは共通の話題を使おう。

 

「鳴海さんはさ、不思議なものとかは好きじゃないのかな?」

 

 俺たちだけで盛り上がってしまった反省も込みで、そんなことを聞いてみる。

 鳴海さんは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。

 

「嫌い、というわけではないんですけど、何て言えばいいんですかね……その、お父さんがいつもそっちを気に掛けるから……寂しい、のかも、しれません」

 

 歯切れの悪い答えだったけれど、その分、心からの言葉なのだろうと思わせる。軽いジャブ程度の気持ちでした質問だったのに、思いの外重い展開になってしまってちょっと焦った。どう返したものか、遥ちゃんに視線を向けて援護を要請すると、任せなさいとでも言いたげな自信に満ちた表情をしていた。

 

「それなら好きになっちゃえばいいんです」

「好きに?」

「そうです。不思議を好きになれば、教授とたくさん話せるし、なにより楽しいことが増える……正に一石二鳥!」

 

 遥ちゃんのそのポジティブシンキングには度々驚かされたものだった。何をやってもいい方に捉える彼女のこの性質は、鋼の精神をすくすくと育てている。立派な大人になるころには、それはそれは素敵な女性になることだろう。誰にでも分け隔てなく接して、周囲に元気を振りまく姿が容易に想像できた。

 

「まずその第一歩として、明日一緒に行きませんか?」

「え?」

 

 鳴海さんは驚いた顔をして遥ちゃんを見た。俺も見た。

 その通りだった。

 

「教授もきっと喜ぶと思いますよ」

「そ、そうかな……」

 

 口調はまだ揺れているが、今までとは全く違った。教授のことが大好きなのだろう。

 

「そうだね、どうかな。こういうのは人数が多いほど楽しいよ」

 

 しかし揺れはするものの決定打に欠け、了承の言葉を引き出すまでには至らなかった。

 そしてそのまま鵜飼、と表札のつけられた住宅の前に着いたのだった。鳴海さんが小さな声で、ここです、と言った。

 

「あの、ありがとうございました、わざわざ。明日は、まだ、分からないですけど、お父さんと話してみます。それじゃあ、さようなら」

「うん、さようなら」

「ばいばーいっす」

 

 彼女は一度頭を下げてから家に入って言った。

 それを見送った俺たちは、どちらともなく来た道を戻り歩き始めた。

 

「来てくれるといいっすねー」

「だねえ」

 

 そうして歩いていると、闇がどんどん深くなっていく。遥ちゃんはお化け屋敷とかそう言うホラー系に滅法強いから、怖がる様子は微塵もない。俺も怖がりと言うわけではないけれども、誰も歩いていないものだからちょっと怖かった。たまに葉っぱが風に流され道路を擦って、カサカサと鳴るのがまた恐怖を煽る。俺は内心びくびくしながら歩いていた。遥ちゃんにばれなかったのが幸いだ。こんなことを知られたら、絶対長くいじられるに決まっている。

 

 大学に着くころにはすっかり辺りは真っ暗だった。

 そこで別れようとしたら、遥ちゃんは逃がしませんよ、と腕を掴んできた。

 

「忘れたとは言わせませんよー。ご飯、奢ってもらいます!」

「くっ、覚えてたか……」

 

 俺は観念して手を上げた。そしてそこで思い出した。喫茶店で万札を使い、今の財布は風前の灯火同然であることを。今月始まってまだ一週間だと言うのにこの惨状だ。遥ちゃんを頼るのはメリットとデメリットがはっきりしすぎていて怖い。まるで面白不思議話を金で買っているようだ。悪魔との取引とも言える。

 ここでお金がありませんでした、ではあまりにも先輩として格好がつかない。

 

 なので秘密兵器を使おう。

 

「ちょっとコンビニ寄らせてください!」

 

 ATMと言う文明の利器を頼るのだ。

 そこで遥ちゃんは俺が今金を持ってないと言うことに気づいたらしく、露骨にやってしまったと言う顔つきになり慌て始めたが、先輩の顔を立てることを選んでくれたようで、何も言わずにコンビニまで付いてきてくれた。良い後輩だ。頭が上がらない。しかしそれでも貧乏であることには変わりないので、夕飯は結局ファミレスだった。遥ちゃんは楽しそうに飲み放題で飲みまくっていた。安上がりな後輩だった。

 

 そして俺たちは満足するまで居座り、店員の目が痛くなったころに店を出た。

 すっかり夜も更けてきた。一応は女の子の遥ちゃんを駅に送ってくことにした。

 

「いやー、食べましたねえ」

「だなー、満足満足」

 

 道すがら、腹をなでながら話す。ここらは街灯が多く安心できた。

 

「先輩ってどこかに泊まってるんですか?」

「カプセルホテルにね」

「私の家に泊まってってもいいんですよー」

「女の子がそう言うことを言うもんじゃありませんよ」

「はーい!」

 

 元気に返事をして、遥ちゃんは俺の隣に来たり、前に行ったり、とことこと忙しい。

 

「どうしたの、そんなにはしゃいで」

「うーん、楽しいなあって思って」

「なんだそりゃ。いつも楽しいんじゃない?」

「今日は特別っす!」

 

 そう断言する彼女の笑顔は、夜の街の明かりも相まって綺麗に見えて、一層楽しそうだった。俺は自然と笑みを浮かべていた。

 

「先輩の面目躍如って感じかな?」

「ですね! っと」

 

 そこで遥ちゃんは足を止めた。もう駅についてしまったらしい。帰宅途中のサラリーマンやOLが、飲み込まれるように駅の中に入っていく。もし駅が化け物だったら、今頃満腹過ぎて吐きたくなっているころだろう。

 

「はあ、寂しいですけどお別れっすね……」

「まあ、また明日合うわけだし。またね」

「はい、明日もよろしくお願いします! また!」

 

 遥ちゃんに手を振り返して、飲み込まれていく様を見ていたけれど、いつしか見えなくなった。

 

「ふわあ」

 

 また大きな欠伸が出た。久しぶりに遊び通しで疲れたようだ。

 俺は踵を返して、予約しているカプセルホテルへ向かう。一人歩く道は何処か暗かった。

 

 

 

 ○

 四月六日 曇り

 我々調査隊は、嬉しいことにメンバーに鳴海さんを加え、件の森へ出かけた。

 今俺は電車に揺られながらこれを書いている。教授以外は眠ってしまった。

 鳴海さんは遥ちゃんにもたれて寝ていて、その遥ちゃんは俺にもたれて眠っている。

 こうしてみると、二人は仲の良い姉妹とも思えなくない。会って一日で凄く仲良くなったみたいだ。

 そんなわけだから動こうにも動けない俺は、日記を書くくらいしかできないのである。

 後一時間ほど、我々は電車に揺られることになる。

 静かな時間が過ぎていくから、こっちまで眠くなってきた。

 筆が進まなくなってきたので、今日のところはここまで。

 ○

 

 到着した駅を降り、少し歩くと森が見える。入り口で立ち止まり見上げた。鬱蒼と生い茂る木々が闇を形作るそこは、果たしてこの世か、あの世であろうか。まだ眠気の抜けていない様子の二人を窺いながら、そんなことを思った。

 

「ここかね」

 

 教授が隣に並んで呟いた。

 

「はい、そうです。ここから奥に入って行ったところです」

「では行こうか。暗くなってからでは危険そうだ」

 

 躊躇なく踏み込む教授の後を追う。その後ろからはやっと起きた二人が、慌てて付いてきた。

 二人ともジャージ姿だ。中学の頃のものだろうそれは、やや褪せた青色をしていた。

 俺は汚れてもいいように古着で来ている。バックパックは邪魔になるだろうから置いてきた。代わりにカメラを首に下げることにした。シャッターチャンスは逃さない。これは思い出でもあるから。

 教授は変わらずのスーツだった。ある意味凄い。

 

 森の中はしんと静まり返っている。頬を撫でつけた風が枝をしならせ、ざわざわと音を響かせた。

 ここ最近雨が降っていないのに、土は湿っていて泥がくっつく。それは奥に進むにつれ酷くなっていき、十分くらい歩いて俺が小人を目撃した場所に着けば、洗ったばかりだった靴は、あわれ泥だらけになっていた。以前はここまでではなかったはずだ。あちら側から何かが来たのだろうか。

 

「ここら辺ですね」

 

 俺は周囲を確認し、教授に言った。

 

「……なるほど」

 

 すると教授は濡れることもいとわず片膝を突いて、地面に落ちている枝や葉っぱをつまんでどかした。何だろうかと見ていると、何かを指さし俺を見上げた。

 

「見たまえ」

 

 促されるまましゃがんで見てみると、そこには小さな足跡のようなものがある。

 

「これは……」

「十中八九、小人のものだ。彼らはここにいたのだろう」

 

 よくよく目を凝らして見ると、その小さい跡はいくつもあり、奥に続いていくようだった。

 

「速いっすよー、二人とも」

「も、森の中って、怖いですね」

「……何やってんすか?」

 

 後ろからついてきていた二人は、俺と教授を不思議そうに見ていた。

 

「重大な痕跡を見つけたんだよ」

 

 俺が立ち上がると、遥ちゃんは悔しそうに言った。

 

「な、早すぎじゃないですか、私まだ何もしてないんですけど!」

「見つけたの教授だからね。文句は教授へ」

「くっ、そう言われたら何も言えない……!」

 

 頭を抱えて木々のドームを仰ぎ見る彼女は、無駄にパワフルだ。笑いをこらえきれず、ぷ、と口の端から漏れた。

 

「な、何て酷い先輩なんすか!?」

「落ち着きたまえ、遥君」

 

 教授も俺と同じように立ち上がり、膝の汚れを払っていた。

 

「他に何かありましたか?」

「いや、足跡以外にはないようだね」

 

 と言うことで、俺たちはそれを追って更に奥に進むことにした。遥ちゃんは今度こそ一番乗りだ、と張り切って先に行ってしまった。俺と教授はその後を小走りで着いていくことにしたのだが、鳴海さんは乗り気じゃないらしく、不安げな顔だ。心配になったので、俺は教授の隣を離れて鳴海さんに話しかけた。

 

「大丈夫?」

「は、はい、問題ないです」

「つまらなかったかな?」

「そ、そんなことは……。慣れない場所なので、ちょっと」

「あ、そっか、気が利かなくてごめんね、教授に――」

 

 視界の端で、何かが光った。こんな薄暗い場所ではおかしいくらいに、明るいものだった。

「ど、どうしたんですか? いきなり止まって……」

 

 困惑した声が耳に届く。しかし俺はその何かから目を離せなかった。

 もしかしたら、ポータル、と言うやつかもしれない。

 

「鳴海さん、教授と遥ちゃんに待っていてくださいって伝えておいて!」

「え、どうし――」

 

 鳴海さんの返事を聞く前に、俺は走り出していた。

 光はまだそこにある。儚くちらちらと揺れながら、今にも消えてしまいそうだ。

 枝をかき分けて、泥が跳ねるのを無視して、擦り傷も我慢して、俺は走った。近づいたと思ったらまた遠くに行って、遠くにあると思ったら近くにあった。

 

 やっとの思いで不思議な光までたどり着いた。だがそれはただの光ではなかった。どこかの景色を映しているのだ。石畳の通りに軒を連ねる種々様々な店。露店で果物を売っていたり、刃物を売っているところもある。こちらの世界と何ら変わりないと思わせるものだったが、そこに生きているのはただの人間ではなかった。獣のような毛並みをしていながら二足歩行をしている者、一見して人間のようだけれど耳が尖っている者、爬虫類のような鱗を持った者。

 

 夢物語で語られる人々がそこにいる。

 

「す、すごい……!」

 

 興奮のあまり声が漏れた。

 そしてそこでやっと我に返った。早く教授たちに知らせなければ――。

 来た道を帰ろうと振り返る。

 

 ――しかし、そこはもう森ではなかった。

 

「う……」

 

 燦々と照り付ける日差しが視界に広がり、あまりの違いに目がくらむ。

 

「え、え、な」

 

 一瞬の出来事で、上手く処理できない。言葉にならない声が出た。

 視界が戻るとそこには、光の中に広がっていた景色があった。

 

 

 

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