私は青春のかほりを自ら遠ざけてきた。
人間関係を著しくも無残な惨状に変えてまでそうしたのは何ゆえか。
人間的美徳を一切備えていない自分を少しでも高みに持っていくためでなかったか。
何が何でも他者に己を認めさせてやろうと言う、反骨精神の賜物ではなかったか。
だのにこの現状は何だ。くされ高校生になり果てているではないか。
おお神よ、私に試練を与えているのですか。そうとしか考えられない。
全知全能と宣う神ならば、乗り越えられる程度のちょうどいい試練を寄越してしかるべきだ。となれば私がこうなった責任は神にある。
やってくれたなこの野郎。
こと学生生活において輝かしい青春に身を焦がし、フレームの中の楽園を現実とするためにはどうするべきか。勉学に励むことは当然のことながら、部活動が重要なファクターたり得るであろう。
運動部であれば青春の結晶の如き汗を流し合いながらいつしか健全な男女交際に発展し、文化部であれば知的な恋文を交わしながら愛を育むのだ。鼻で笑ってしまうような桃色空間としか思えないが、私の稚拙な妄想力ではこの程度が関の山である。
ともあれ、実際にそんなものが存在しているかどうかは重要ではない。
肝要なのは確かに高校生活を青春に捧げる破廉恥野郎がいると言うことだ。
それも屈辱的なまでに身近に。
小学校からの友人の桐原だ。
憎き奴はこともあろうに、日陰でじめじめと他者をこき下ろすことに精を出していた私を尻目に、一人太陽の下誰憚ることない交際をスタートさせた。
何時の間にそれほどまで交友関係を広めていたのだ!
我々は同類であったはずである。日陰者として胸を張ってともに歩いていこうと誓ったではないか。手痛い裏切りだ。懺悔すべき悪行としか言いようがない。
勝ち誇った笑みを私に向ける奴を昨日のことのように鮮明に思い起こせる。PTSDもかくやと言わんばかりの心的外傷だ。損害を補填してもらわねばなるまい。
と言うことで私は奴に、ちょろい女性はいないか、と対価を要求した。並び立つ者のない桃色青春糞野郎である奴も、さすがにその時は狼狽えていた。その眼は口よりも雄弁に、目の前の私をクズ野郎と罵っているように思えた。だがそれでも一人の女性を紹介してくれたことには、業腹だが感謝せねばならないだろう。
女性の名は犬伏藍佳と言うらしい。字面からは微塵もちょろさが伝わってこないが、奴が言うには容姿は整っており性格も温和、赤面癖がありことあるごとに真っ赤になるそうだ。そこからちょろいと考えた奴の目は節穴と言う他ないが、渡された写メを見てみると、肩辺りで切りそろえられた黒髪のショートヘアで、やや丸顔に嫌みのない笑顔を浮かべ、頬を微かに赤く染めている。言葉にするとこの程度だが、なるほど、確かにちょろそうである。根拠はないが、そう思わせる雰囲気を纏っている不思議な女性であった。
では即告白ないしはお友達になろう。
しかし行動を開始する前に、冷静な私が自らの行いを振り返った。
何をやっているのか客観的に判断を下してしまったのだ。
するとどうであろう、最低最悪の外道の如き所業ではないか。
女性を自分勝手に評価するばかりか、言うに事欠いてちょろそうなどと。
未だ四半世紀以下しか生きておらぬ若輩者と言えど、自らを省み次に生かすことが出来るのが人間の強みと言えよう。私は桐原に口外するでないぞ、と緘口令を敷き今回のことはなかったことにした。
もし漏れ出してしまえば私の印象は最低のその先へ行き、どう足掻いても這い上がって来られぬ断崖絶壁を前に項垂れることしかできなくなる。それは断じて御免被りたい。日陰の人間でいるのはまだいいが、そこからすら追い出されてしまえば最早目も当てられなくなる。
――つまりは、現状維持の一言に尽きた。
五月の華々しくも倦怠感を植え付ける連休が過ぎ、クラス内ではうすら寒い団結が出来上がり始めていた。月末に行われる体育祭を見越してのことであろう。私のような目立たない人間にまで声をかけ始めることから鑑みて、それは明白である。
授業が終わり放課後を迎えると、部活動や帰宅する生徒が出る前に声を上げるものがいた。クラス委員の梶本である。
「あ、ちょい待った! 種目ごとに明日から練習だからな。詳しくは今日の夜までに連絡するわ」
その言葉に各々適当な返事をして、教室内の人影はまばらとなった。私もその流れに乗って目立たず帰りたかったのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。廊下へと続く扉を前にしてもう一人のクラス委員の宮代が、私をその鋭い視線で見据え鬼神もかくやの気迫を出し仁王立ちしていた。
私は考えた。
何がどうして彼女をあそこまで怒らせてしまったか。
我々は碌なコミュニケーションもこなしていないはずである。それなのに今にも胸倉を掴まれ三階のこの教室から放り出されてしまいそうだ。致命傷は免れまい。
私は僅か一秒にも満たない間に思考を飛躍させ、ひとまず堂々と近づきやましいことは何もないとアピールすることにした。普段は少なからず丸まっている背も伸ばし、如何にも好青年のそれで進むが、彼女の後ろから嫌なものが見えてしまった。
私は無意識に足を止めた。
宮代の睨みは更に厳しくなった。穴が開いてしまいそうだ。
僅か数メートルの距離から逃げおおせるには私の運動能力では心もとない。
様々な謝罪プランを頭の中でこねくり回し、とうとう奴のもとまでたどり着いてしまった。
「な、何かな、目つきが鋭いぞ」
どもりながらも言い切った私を手放しでほめたい心境だ。
「こいつの言ってること、ほんと?」
宮代の普段の口調は知らないが、簡潔にまとめられたその言葉にはある種の恐怖を覚える。怒りがこぼれ出てしまっているではないか。
「いや、えー、何のことでしょう?」
白を切ることに掛けて私の右に出るものはいない。のらりくらりと様々な責任から逃れ、地に足憑かぬ青春を過ごしているのだ。謝罪プランはこねくり回しているが使わないで済むならばそのほうが良い。
「桐原」
「はっ!」
我が友は既に奴の配下に成り下がってしまっていた。歯切れのよい服従の声に一瞬呆けてしまった私を誰が責められよう。
「こやつの性根は腐り果てております! 私を信じてくだされば必ずや地獄に突き落としてみせましょう!」
桐原、哀れである。私は最早言うことはない。踵を返して撤退を敢行しようとしたところ、宮代に肩を掴まれた。痛い、痛すぎる。こいつの握力どうなっているのだ。
「逃げるってことは、肯定ととらえていいのよね?」
「ほ、っほほ、いや、へへへ、そんなことはございやせんよ」
「こいつの言うことは全部嘘です!」
「桐原、貴様ぁ! 魂までも売り渡したか!」
「馬鹿を言うな! すでにすべて渡して身の安全を確保してもらった!」
「プライドがないのかお前! ……な、なあみゃしろさん?」
噛んだ。
「ごほん。宮代さん。何をそそのかされたか知りませんがね、私は何もやっていない。それでも信用ならんと言うのなら、身の潔白を証明するため、私の主張を聞いていたただきたい」
「あ、大丈夫」
何も大丈夫でなかった。彼女は既に私の言葉に耳を傾ける気が全くなかったのである。情状酌量の余地すら感じさせないとは鬼と言う他ない。肩を掴まれたまま廊下に連れ出された。ぎゃあぎゃあ喚いて逃げようと画策したけれど、女性離れしたその腕力の前には無力なり。私は意気消沈し桐原の顔面に裏拳を叩きこんで膝を屈した。
「ちょう痛いんだけどっ!」
「うるさいわ、当然の報いだこの馬鹿野郎!」
「馬鹿はお前じゃい! お前のせいで彼女と別れることになったんだぞ!」
「おお! 何と言う朗報か、神の祝福をくれてやる!」
私はもう一度裏拳を叩きこんでやった。ぐげ、と気色悪い呻き声を上げた後奴は正気を取り戻したらしく、宮代に掴みかかった。やってしまえ、私は胸の中でエールを送った。
「ねえ宮代さん!? 俺こんなに殴られてるわけだけどさ、何でそう言う時だけ力抜くの? わざと殴らせてるの? 人形遣いなの!?」
「うるさいわね、あんたも共犯なんだからいいでしょ」
ぐうの音も出ない正論である。私はやっと放された肩を一回回してから彼女の背中に回り、そうだそうだと野次を送った。今まさに形勢は逆転し、窮地に追い込まれたのは桐原となった。この隙に逃げるべし。私は脱兎のごとく逃げようと廊下を蹴った。
「させるかあ!」
「何ぃ!?」
桐原は負け犬の如く地を這いずり私の足を掴んだ。最早恥も外聞もない姿だった。私の友はかくも簡単に堕ちる奴だったのか。ある意味感嘆した。だがそんなことはどうでもいい。私は足を振り何とか逃げようともがく。けれど敵もさるもの、何が何でも逃がさんとまったくぶれない。
「お前も俺と同じとこまで落ちろお!」
「悪鬼かお前は! 友ならば助けろ!」
「そんなん知らんわい!」
ちくしょう、私はまた叫び膝を屈した。そうして呆れた様子で眺めていた宮代に肩を掴まれ連行された。
ああ、私は何処へ行くのか。