「…はぁ………」
霧の湖のほとり。草の根妖怪ネットワークの集合場所の1つであるここでは、今日も今日とて妖怪たちが井戸端会議に花を咲かせていた。
「……溜め息、今日何回目? 気持ちは分かるけど」
「だぁってぇ……最近全っっっっ然霊夜に会えてないんだもん………」
三角座りの膝に顎を載せた影狼が、頬を膨らませながら不満を漏らす。この3ヶ月で耳にタコが出来るほど聞かされた蛮奇は、慣れた様子で受け流す。
しかし、普段人里の甘味処にて人間として過ごしている以上、《災禍の獣》については蛮奇も聞かされている。そして、それが討伐されたと同時期に、霊夜と会えなくなったこと。紅魔館の主曰く「今は会えない」とのことだが、影狼すら会わせてもらえないのは怪しい。
霊夜が本当に《災禍の獣》だとは思えないが、浅からぬ関係があるのでは…?
「──ちゃん? 蛮奇ちゃん?」
「はっ? ……あ、ごめん。ボーッとしてた」
「珍しいね…大丈夫? どこか具合悪い?」
「あーううん、気にしないで。…で、なんて?」
「あれ、なんだろうって話してたんだ。ほら、空に……」
「空?」
見れば、一筋の光が空を飛んでいる。流れ星にしては長く残っているが、そもそも今は昼間だ。
……いや、アレは人だ。誰かは分からないが、人型のシルエットが見えてきて……見えてきて?
「……アレ、向かってきてない?」
「に、逃げないとだよね!?」
「──あ」
「影狼! アンタも早……く……?」
「霊夜だ……霊夜だよアレ!」
あまりにも突飛な発言に、思わずわかさぎ姫と顔を見合わせ──
「はぁ!?」「えぇ!?」
2人同時に叫んだ。
***
一方、当の零──いや、霊夜はというと……
(え、えーとどうしよう……1回湖に落ちる? いやもう変に軌道修正出来ないし……えーとえーと……)
……慌てていた。
***
時は少し戻って、妖怪の山。
「へぇ〜それが馴れ初め? じゃあ次は…」
「だーーーーーーっ!!! もう良いだろ! じゃあな!!」
「きゃっ」
根掘り葉掘りどころか辺り一帯の土全部持ってく勢いで質問責めに逢い、その全てに答えさせられてかれこれ1時間。羞恥でどうにかなりそうな頭を必死に働かせてきたが、もう限界だ! 俺は行く!!!!!!
「あ゙〜顔あっちぃ……ふざけんなよあいつらマジで……もー!」
「うっ……く、速いな!」
顔に当たる風を魔法で防ぎ、空気抵抗も防ぐことで更に速く……あれ? 止まれなくない?
***
という訳で、今に至る。さて残り数秒で激突してしまう訳だが、必死に思考を巡らせた結果一つの事象を思い出した。
──逆噴射!
サッと手を前に出し、炎を吹き出して減速。これでいくらかはマシになる筈だ。
「ぐ、ぎ、ぎ……! ───っと。はー、良かった……死ぬかと思っ─」
「霊夜───!」
「影狼!」
ようやく──それこそ4ヶ月以上会えなかった恋人の温もりを全身で感、じ……?
瞬間、半ば無意識的に掌底を叩き込んでいた。
「ぅぐっ!? な、何を…」
幸い物理攻撃は有効らしいので、よたよたと後退したところに肘打ちをお見舞いする。更に膝蹴り、貫手と連続で打ち込み、ダブルスレッジハンマーを構えた所でようやく静止がかかった
「やめて! やめてよ、霊夜……どうしちゃったの?」
「俺は何も変わってないよ。それよりお前だよお前、誰だよ一体」
「なんで……? わたしだよ、貴方の恋人の……」
「ウソつけよ、違うだろ」
「ひどい…ひどいよ……」
「は、やっすい涙だな。……俺ぁ今イラついてんだ、他ならぬテメーのせいでなぁ!」
***
「……何話してるんだろう」
「知らない。どーせノロケてんじゃない?」
不機嫌そうにしているが、耳が赤くなっているのが隠せていない。蛮奇ちゃんも嬉しいんだ……と微笑んでいると、眉間に皺を寄せて睨まれた。
「なに」
「ナンデモナイヨ!」
(うぅ……2人とも早く…)
半分涙目になりながらも2人がいる方を見やると、唐突に炎が巻き起こった。
「えっ!? えっな……何!? 霊夜くん!?」
「─は? ちょっとアンタ、何して──」
「離れてろ。…偽者騒ぎにゃ辟易してんだ、いい加減焼き尽くさなきゃ気が済まねぇ」
……偽者? ニセモノ……えっ? にせ……もの……?
「「…………???」」
蛮奇と2人、顔を見合せて疑問符を浮かべていたが、霊夜の明らかに殺意の籠った視線を受けて思考を中断した。
「とりあえず紅魔館行け。説明は後でする」
「……っ、分かった! 代わりに全部言うんでしょうね!?」
「約束する。……早く行け!」
わかさぎ姫の手を取って飛び、紅魔館の扉を蹴破る勢いで転がり込む。妖精メイドが何事かとわらわら集まってきたが、何事かなんてこっちが聞きたい。今さっきまて仲良く話していた影狼が偽者? なんで? どうして?
「……普段なら、侵入者にはそれなりの対応をしているけれど。どうやら理由があるみたいね」
「アンタは…メイド長の……」
「十六夜咲夜よ。それで、アポも無しに息を切らして尋ねてきた理由は?」
「そっ、それが……ええと、あたしもよく…」
何度もつっかえ、パニックで涙を流しながらも全て伝えた2人は、どんどん訝しげな顔になるメイド長の顔を直視出来ずにいた。妖精メイドが差し出してくれたハンカチやちり紙で涙と鼻水を拭きながら、信じて貰えなかったらどうしようとも考えた。
だが、予想に反してメイド長からは「着いてきなさい」の言葉が出てきた。まずは安堵しつつわかさぎ姫を背負って着いていくと、大図書館の扉が見えた。
「小悪魔、貴女に客人よ」
「……わたしに?…ああ、そういうことでしたか。お入りください、まずはゆっくり落ち着きましょう」
図書館司書の格好をした女性──小悪魔に招かれ、図書館内部に足を踏み入れる。ずらっと並んだ本棚の向こう、読書スペースにはテーブルと椅子が置かれていた。いつの間に用意したのか、わかさぎ姫用に水を入れたタライまである。
「……知ってたの? あたしたちがここに来ること」
「いいえ、知りませんでした。ただ、なんとなく事情は察せられます……偽者が出たんですよね?」
「!」
「なんで、それを」
聞けば、紅魔館にも一度現れたらしい。それどころか、人里に出没していた《災禍の獣》もその偽者の仕業なんだとか。霊夜が本当に人殺しでなく、また死んでもいないことに改めて胸を撫で下ろしたが、また別の問題が出てきてしまった。
「じゃっ、じゃあ……その偽者は、何……?」
「…これは、わたし……いえ、わたしたちの考察でしかありませんが……妖怪の山の───」
と言いかけた所でバァン! と勢いよく開かれた扉から、肩で息をする霊夜が入ってきた。所々に出来た生傷と破れた服が、ただ弾幕勝負をしていただけではないことを物語っている。
「…霊夜、その傷……」
「あ? あぁ、まあこれくらいなら大丈夫……それより! また偽者が出「もうその話はした」あぁうん……ありがとう」
息を整えつつ席に座った霊夜は、まだ熱い紅茶を一息に飲み干した。熱そうに舌を出したものの、カップを置いて続ける。先程までの殺意はなりを潜め、やっと2人の知っている霊夜になった。
「……その、黙ってて悪かった。偽者についてもそうだけど…その、色々と」
「ホントだよ、こっちはもう何が何だか…」
怒涛の展開に頭を抱える蛮奇だったが、思ったより冷静さを失わなかったわかさぎ姫がおずおずと手を挙げた。
「……えっと、霊夜くんはその……どうして、会えなかったの?」
「うん、それは──………あー、言っていいんだっけ…?」
「…まあ、帰ってきたということは用事は終わったんですよね? ならもういいんじゃないでしょうか」
「それもそっか。じゃ端的に言うと、幻想郷の外にいたんだ」
「えっ? 外って……外?」
幻想郷の外。蛮奇には幻想が否定されているということくらいしか分からないが、少なくとも霊夜が行くような所ではないと思う。……それが、何故?
「えっと…よく人里にいる蛮奇は知ってると思うけど、《災禍の獣》って知ってる?」
「知ってる。ついでに、それがアンタだって言われてることもね」
「そうそれ。でもさ、人間が襲われたっていう日のその時間、俺は別の場所に居たんだ。それも一度ならず全部」
「全部ぅ? ──まさか、それが偽者?」
「だと思う。……つーか、そもそも俺が人里で人間を襲うメリットが無さ過ぎるんだよ。里の人間が死のうが別にどうでもいいけど、先生が悲しむようなことはしたくないし」
「そもそも禁止されてんでしょ? ……てことは、アンタに罪を被せたかった訳だ」
「俺たちはそう推測してる。一応、紫は俺がシロだって分かってるみたいだけど……逆に、なんで自分でシメないのかは分かってない」
そこまで話した霊夜はお茶請けとして出されていたクッキーをつまみ、溜め息をついた。
「なんて言うか……アンタ、そこまでいくと巻き込まれ体質なんてもんじゃなくない?」
「…………やめろよ、それに関しちゃ何も言い返せないんだから」
「でも……不安だよ、影狼ちゃんも今どうしてるかわかんないし…」
「それについては……すみません、調査中です。ですが、必ず助け出すとお約束します」
「あっ、ありがとうございます! 霊夜くんも、お願いね」
「おう。…散々迷惑かけられたんだ、犯人にはキッチリ落とし前付けさせるさ」
2人とも人間としての霊夜を知っているし、その頃から何も変わらず接しているからこそ、どこか妖怪として見られなかった。……だが、今の彼を見てようやく痛感した。彼はちゃんと、恐怖を与える側の存在であると。
その後の話題は霊夜が外で何をしていたかに移り、新たな友人や実の父親に出会えた話を嬉しそうに語ってくれた。
***
夕方頃になり、門前まで蛮奇とわかさぎ姫を見送った霊夜は、まだ少し話し足りない様子のまま踵を返す。扉の前で出迎えた小悪魔の手を引き、再度図書館へ足早に向かうのを何人かの妖精メイドが不思議そうに眺めていた。
小悪魔を先に入れた後、後ろ手に図書館の扉を閉める。そのまま扉に寄りかかって扉を塞ぎ、ポケットに手を突っ込んで語り始めた。
「俺さ、外で父さんに会ったって言ったじゃん」
「はい。とても楽しそうに話してくれましたね」
「それでさ、母さんについても聞いたんだ。どんな人で、どこにいるのか知らないか、ってさ」
「──。なんて、言われましたか?」
「…今はどこにいるか分からない、ってさ。だから情報はほぼゼロ」
それを聞いた小悪魔は少し悲しそうに目を伏せたが、すぐにいつもの顔に戻ると霊夜を抱き寄せた。確かな鼓動を感じながら、久々のハグだからと頬擦りまでしている。
「でも、少し進展ですね。それに……生きて帰ってきてくれて、本当に良かった」
「うん……ありがとう、
「!!!???」
昔呼ばせていた「お姉ちゃん」ではなく、突然の「母さん」呼びに驚き固まった小悪魔の背中に手を回し、逃げられないようがっちりと抱き締める。
そう呼ばれるとは思っていなかったのか、長い耳を真っ赤に染めてジタバタ抵抗していたものの、やがて諦めたように脱力した。
「…………も、も〜人が悪いですよ霊夜くん。お母さんに会いたい気持ちは分かりますが、わたしはキミの『お姉ちゃん』として──」
「…『風萩日向』と『零』って名前がパッと出てくる赤髪の女性ってだけで、ほとんどの候補が消えるんだけど?」
「うっ…むぐぐ……えーとえーと──」
「あら。騒がしいと思ったら……おかえり、霊夜」
「パチュリー! ただいま、こんなカッコでごめん」
「いいのよ。こあの顔を見るに、とうとうバレちゃったみたいだし」
「……知ってたんだ」
「ええ、最初からね」
それなら早く言ってくれれば良かったのに……ん、パチェが知ってるってことはレミィも知ってるのか? あれ? じゃあ知らなかったの俺だけ?
と頭の中でもにょもにょしていたが、小悪魔改めエルザが話してくれた。
転移魔法の事故でバラバラの場所に──というのは霊夜も父から聞いていた。身を潜める為にパチュリーと契約し、名前を奪われ───しかし取り戻せる状態にし、さぁ息子を探そうと思ったものの、その時には既に湖のどこを捜しても見つからなかったんだそう。
恐らくその時には《探し物を隠す》イタズラとして大妖精に拾われていたので、諦めた10年後に霊夜が現れた時の感情はそれはもう凄かったらしい。…それでも世間的にはエルザは行方不明なので、あくまで《お姉ちゃん》として接することにした……と。
うん、長い。とてもこの短時間で浴びせられる情報量ではない。それに『《お姉ちゃん》として接する』ってなんだ。親としての恥とか無いんか。…なりふり構っていられなかった、そう解釈することにしよう。
「とにかく、これでおしまい。そういう《契約》だったでしょ?」
「ええ。本当にありがとう、パチュリー・ノーレッジ」
途端、微かな可能性が過ぎった。脳にこびり付いて離れなくなってしまったそれは、最悪の未来を示していて──
「…ま、待ってくれよ。どうするつもりなんだ? まさか追い出すってんじゃ……あでっ」
「霊夜。あなた、わたしやレミィがそんな薄情者だと思っていたの?」
「や、そういう訳じゃないけど……不安になって…」
「ま、気持ちは分からなくもないわ。でも実際は、ただ小悪魔のポジションにエルザが収まるだけ。要するに何も変わらないから、安心なさいな」
「……うん。ありがとう、パチェ」
慣れないことをしたからなのか、大魔女様は返事の代わりに真っ赤な顔でフンッと踵を返して研究室に戻っていった。
「零」
「うん」
「──今まで、本当にごめんなさい」
ようやく抱き返してきたかと思えば、最初の言葉がこれである。……ああ、ズルいなあ。
「……いいよ、別に。怒ってないし」
出会う人皆から「嘘や隠し事が下手」と言われるのが不服だったが、流石に今回ばかりは分かりやすいと思う。
怒ってない? そんな訳が無い。事実、今日は夜通し
それでも不思議なもので、抱き締めただけで概ね満足してしまった。どうやら、自分で思っていた以上に『母』という存在を求めていたらしい。
だがそんな幸せに限って、長くは続かない。
きぃ…と扉の開く音がして視線をやると、本を盗みに来たであろう魔理沙が顔を覗かせていた。キョロキョロしている内に目が合ってしまい、暫し見つめあった後。
「あー…なんだ、その……程々にな。じゃ、わたしは失礼させてもらう」
「違っ…おい待てコラ、せめて説明の余地くらい残せ!おい!おい!?」