明日は1話だけ。
あれから部屋に帰るとこれまで見たことがないほど、怒るドゥルヨーダナがいた。怒髪天を衝く。まさにこの言葉の通りだった。いつもは優しく、侍女たちにも綺麗と評されるその顔は、目で人を殺せそうなほどすごい形相になってしまっていた。
そのドゥルヨーダナに対して、ムキになった私が逆ギレしてそこから殴り合いになった所に弟達がまたか、と駆けつけてきた。1人につき10人がかりで止められるまで場の混乱は収まらず、いつも通り、弟の中でも一番上のアショーカが話を聞き総合的に悪かった方に仕置をした。
もちろん私が仕置をされ部屋から一歩も出れず、部屋には暫く誰も寄り付くことが出来なくなり、今晩の夕食は抜きとなった。姉サマー姉サマーと懐く小さい弟達に会えなくなったのが精神的にきつい。
だがこれしきの事で諦める私ではない。
確かに、腹と背中が潰れるのでは、と思うほど空腹に苛まれるが次の計画は既にたっている。決行はもちろん今夜だ。誰も部屋の中にしばらく来ない?上等じゃないか。護衛も人だ。隙が必ず存在する。
話は変わるが実は、
ドゥルヨーダナを含め兄弟達から聞く話によく出てくる名前の中に、ドローナという人物がいる。どうやら王族付きの武芸の師匠らしくそれぞれにあった武具の扱いを教え、鍛えているようなのだが…。
ドゥルヨーダナも師匠には頭が簡単に上がらなかろう。
私は棚をどけ、棚の後ろに現れたあらかじめ用意していた抜け穴から部屋を脱出した。
「これはこれは、ドゥルヨーダナ王子ではないですか。夜遅くにどのような用件でこのような所へ?」
今の自分の格好は、普段着のためドゥルヨーダナとほぼ変わらない衣服になっていて、見分けはつかなくなっているはずだ。何故そんなことになっているかと言うと、ドゥルヨーダナのもし他人に見られた時の保険として俺の振りをして誤魔化せ、という意図があるのだが、今回は別件で利用させてもらっている。
穴を抜けて庭に出てからは、普通に歩いてきたのに誰にも訝しげな目は向けられなかったのがその証拠だ。
ドローナが一人、練習用の武具を手入れする練習所に私はやってきた。
「今から話す事を内密にすると、約束してくれないか。」
唐突にそう、切り出すとこの姿で初めて、訝しげな目を向けられた。
「……ええ。何を話すかは分かりませんが、こういう場には口にしてはならない事など星の数程ございます。今更一つ増えようと問題ありません。」
「心配は無用だったか。」
ドローナは作業をする手を休め、改めてこちらに向き直った。実は元王族である(と、アショーカが何処から知ったのか漏らしていた)この老師も秘密の大切さはよく分かっているらしい。
「私に、戦い方を教えて欲しい。」
一歩下がって腰を直角になるまで折る。
人にモノを頼む基本中の基本は、例えこんな身分でも大切なことなのだ。
「ですが、もう既にドゥルヨーダナ様には……」
「聞こえなかっただろうか。
「百一人目の、カウラヴァの兄弟…。」
「厳密に言うと始まりの方だがな。兄とは双子なんだ。」
老師は少し目を見開いたが直ぐに理解してくれたようで直ぐに考える素振りを見せた。私はむ、と声を上げてドローナの思考を遮る。
「詮索は無しで頼む。色々事情があるんだ。」
「いえ、」
老師は初めてその皺の入った顔に微笑を含ませた。
「貴方様のお名前が、気になったもので。」
それからは毎晩抜け出しては、特訓。抜け出しては基礎の特訓の日々だった。元々、我流で鍛えたり、
修行が始まって少しして、やっと武具に触ることが出来た。
「では、ドゥフシャーサナ様。一番の得意な武具は何ですか?」
「蹴りだろうか。拳は手の甲が荒れてしまうから、周りに咎められるのが億劫で。そうだな、ドゥルヨーダナとはよく素手で、
「……武具の経験は無いのですね。では、まずは色々試してみましょうか。」
まずは剣。
持つところまではよかったのだが、振り下ろし方があまりにも脈が無さすぎたらしい。師匠に即却下を喰らった。
次は弓。
てんで当たらないので矢を直接持って投げたら上手く的に当てることが出来たので、結構行けるかと思ったがダメだったようだ。師匠から残りの矢も取り上げられてしまった。
そして槍。
槍は弓の時に上手く矢を投げれた様に、投擲する分には才能があるようだ。しかし、突くという動作だと努力すれば上手くなるが平凡止まりで終わるらしい。保留ということになった。
そして棍棒。
ドゥルヨーダナの得意とする武器のようだが、だからこそ最初から期待はしていなかった。実際この十数年生きていて分かったのだが、片割れの得意とすることはあまり得意になれない傾向がある。ちなみに予想は合っていて持った瞬間に棍棒は師匠に取り上げられた。
「槍しかないか……だが頭打ちが見えているというのは悔しいな。」
ドゥルヨーダナとは素手だから張り合えているものの、武器を持ったら負けてしまう、というのが現状で、だからこそいい巡り合わせを期待していたのだが……。
「いえ……なんと言いますか、あまりお勧めしたくは無かったのですが、もう一つあります。」
差し出されたのは斧だった。
無骨な斧を片手で握って、特にこれもサッパリ分からないので適当に振る。振る。振る。何度も振って、今度はいろんな方向に振ってみた。
意外としっくりくる感触に顔の笑みを隠せないまま師匠の方に顔だけ向けると、何故か嘆息しながら頭に手を当てた。
「斧の練習を主軸に、始めましょうか。」
何故そんなに渋々なのか、流石に気になった私が問い詰めると師匠曰く、斧には自信がない、との事だった。とある高名な聖仙からあらゆる武器の知識とその秘技を受け取っていると本人からも聞いていた私は驚いた。
「受け取ってはいるんですが、その聖仙の方が斧の使い手でして…」
どうやら知識と秘技は受け取ったものの、その聖仙が斧の極致に達しており、その様をみた自分は、自分程度のモノを他人に教えることは指導者として出来ないと思うようになったのだそうだ。
故に、基礎の基礎のみしか教えられない、と。その代わり槍の投擲はしっかり教えるから勘弁してくれと簡単に言うとそういうことだった。
こちらも少しでも教えてくれるなら有難いが、ゆくゆくはその聖仙とやらに会いに行かなければならないな、と人生計画が増えた。
その夜、練習所にはいつもはない来客が現れた。
「おい」
「ひぇ」
全力で逃げようとしたら逃げる前に捕まった。師匠、今かわいい弟子が窮地なので助けてください。師匠、何故練習所を出ていく。
「逃げるな。」
「逃げるに決まっているだろう!」
この時間はいつもドゥルヨーダナは起きない筈だし、この話を私は誰にもしていないのにどうしてバレたのか。師匠告げ口したな。内密というのは内に秘密と書いてそう読むように、ドゥルヨーダナは
掴まれた肩からギリギリと走る痛みを堪えつつそっと顔を上げると、思っていたより柔らかな表情の……いや、もはや無表情の兄がいた。
「これはもう、決めたのだが。お前を隠すことはやめにした。」
本当なら歓喜して踊り出したいが、見たことのない程表情の抜けたドゥルヨーダナに対して私はこくこくと従順に頷くほかなかった。
「お前はほかの弟達と同じように普通に暮らすといい。お前がこうも本気で活発に動かれてはいつか取り返しのつかない時に事実が露見するだろう。その前に、仕方なく、の措置だ。」
「だがな、お前は俺の弟として生きろ。」
ん?と訳が分からず固まった。勉強は出来るほうだが、所謂策略、策謀、といったものはとんと分からない私にはそうする意味も分からなかった。
「俺は、長男としてカウラヴァの兄弟皆の弱点を作ることを認めない。そして、お前に2番目の兄の責務として皆を堂々と表立って守る盾になってもらう。あらゆる外敵から家族を守るための手段の一つになってもらう。」
その言葉と共に私の背中になにか重いものが乗った。自由と引換に責任が伸し掛る。でも、少し嬉しかった。ドゥルヨーダナの背負う重みをやっと分けてくれた、その実感に思えて。
ドゥルヨーダナが無表情なのは、泣きそうになるのを堪えているのだろう。妹を女としての幸せな生を歩ませてやれず申し訳ない、とか考えているのだろうが、
「元よりこの身は王族の身と承知している。だから、そんな風に思い詰めなくても良いんだ。」
肩に乗った手に手を重ねると手がするりと外れ、代わりに肩にドゥルヨーダナの頭が乗った。すまない、とくぐもった声が聞こえて暫くの間、無言でそのまま2人とも動くことは無かった。
下の弟達の姉様呼びが、やっと兄様呼びに変わった頃、やっと外出の許可出た。正式なお披露目は明日の競技会の時だそうだが、前みたい女として顔を隠して街に出る分には構わないそうだ。
「いいか、男について行ったら駄目だぞ。男は皆、獣だ。」
「大丈夫。前回蹴り飛ばしてきたから。」
「おい待て。お前、男と会ったのか!」
なにか騒ぐドゥルヨーダナを無視して王宮の裏口から街に繰り出した。久しぶりの喧騒は心地よくまた、私を迎えてくれた。
今日は時間もあるし、街ではなく少し郊外に足を伸ばそうか。前回は人探しで嫌というほどこの辺りは探索したし、それが良さそうだ。
人の間をすり抜け暫く歩くと、段々建物はまばらになり、いつの間にか風の気持ちよく吹く丘の上に出ていた。これが丘、というのも本でしか読んだことがないが、ここの事で間違いないのだろう。
試しに寝込んでみると王宮の絨毯ほどではないが、心地よい感触に包まれ、土の匂いに包まれた。顔を横に向けると、小さな青い花が咲いた。数回つついて、特に何を考えるというわけでもないが、楽しく眺めていた。これはなんの花だろうか。
「それはケシの花よ。」
心を読んだかのように、傍らに腰を下ろした女性は言った。誰が見ても可憐で愛らしいといった雰囲気の髪の長い女性は細い指先で何かを編み上げていく。
「青いケシの花はね、ここら辺ではあまり珍しくないのだけど…一つ一つの花の慎ましさと色合いが私は小さい頃から好きで、よく今の貴方と同じように眺めていたのよ。…うん、はい、出来た。」
頭の上に乗せられた何かを目線をあげて確認すると、花冠が乗せられていた。
「……返す。これは貴方が付けるべきだ。私には似合わない。」
「ダメよ。せっかくあげたのだから、受け取って。似合っているわ凄く。」
起き上がって、乗せられたものを取り外そうとすると手を抑えられてしまった。全力でどかそうと思えばどかせないこともないが、流石に女性に対しては抵抗できない。
「それに、顔を隠しているのも勿体ないわね……取っちゃっていい?私の勘が絶対にそっちの方が可愛い!って言っているのだけど。」
「駄目だ!駄目だって!」
傍から見ると女子同士の戯れにしか見えないだろうが、これは狩りだ。今、私達は一匹の獲物と一人の狩人だ。もちろん獲物は私だが。
「ラーダー。いい加減相手も困っているよ。そろそろ離してあげなさい。」
暗い青色の髪の青年がそっと間に入って止めてくれた。ラーダーは一目その青年を目にすると、驚きそしてすぐに抱き着いた。ラーダーの顔が幸福感でいっぱいになるのを見ながら、ああこれが恋をした人間の顔か、と納得した。
ラーダーの頭を撫でる青年と撫でられさらに嬉しそうにする彼女に、場違いな自分を感じいたたまれなくなっていると、青年の肩の向こうに見知った赤髪を見つけた。
同時にお互いを視認してとりあえずしたことは、挨拶だった。
「ちょっとその脚どかしてくんねえかな?拳が当たらねぇ。」
「先にそちらの腕を下げるといい。蹴りが決まらないじゃないか。」
数秒間、睨み合うが、どちらともなく鉾を収めた。前回は相手を振り回した分と、相手を蹴った分で貸し借りは終わっているのだから
挨拶以上の事はしない。
「ほう。この方が兄さんの話していた方でしたか。」
声のした方を見ると、もう一人、青年がいた。身体からにじみ出る雰囲気は透き通っているのに目だけ真っ暗だなと印象を受けた。
「似てないね。兄の方と違って賢そうだ。」
「おい、それはどういう意味なんだ」
怖い怖い、か弱い娘になんてことを、と言いながら弟の後ろに隠れると赤髪の男は半眼になった。何か文句でもあるのか。何度目かわからない睨みを効かせると、男はぽんと手を叩いた。
「あ、そうだ。前聞こうと思ってたんだが、名前を聞いていなかったな。」
「…
「……明らかな偽名ですね。」
「明らかに、お忍びの方に、簡単に名前を言ったら、ここまで無礼を働いたことを咎められるかもしれないだろ?」
すぐに言い当てた弟君に意趣返しとして、来ている服の端をつまんで、上質で手触りも最高だね、この服というと苦虫を噛み潰した顔になった。
「お互い名前は聞かない。それでいいだろ。知らない方が幸せなこともあるんだ。」
花飾りを赤髪の方の頭に乗せた。
驚くほど似合っていなかった。
青いケシの花の花言葉は「神秘的」とか、「深い魅力」。
ラーダーちゃんがこの花を好きなのは、恋人さんが、アレだから…。