Duhsasana Gita   作:ひとつ

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お久しぶりです。ゆっくりですが御付き合い下さい。
今回はキリの影響で短め。


6 終わりの唄

 「御者の息子を夫になぞ…嫌でございます。穢らわしい。」

 

 競技場に響き渡った声は、さほど大きくなかったものの、一部の人間の心を大きく揺さぶるには充分すぎるものだった。

 

 そこまで拮抗した試合を見せていたアルジュナ王子は、いつものような涼し気な顔をしているが、僅かに感情にさざ波が立っているのだろう。眉がピクリと動いた。

 

 ドゥルヨーダナは己の部下であり尚且つ友であるカルナを侮辱されて青筋を立て明らかに激昂しているものの、カウラヴァの代表としての誇りからか何とか武器を取ろうとする手を抑えていた。

 

 弟達はカルナに救われた者も多いのか何人かは怒っている様子だった。

 

 反対にパーンダヴァの方は嘲りの笑いすら漏らす者もいた。特に王子達付きの護衛の兵士や侍女達がクスクスと笑うのが目に付いた。

 

 ユディシュティラ王子は相変わらずの無表情で席から会場を眺めていた。その無表情ぶりは実は侍女達に『あの視線で睨まれてみたい』だの『あのお顔はきっと今後の国の行く末を憂いていらっしゃるのだわ』だの騒がれるほどの人気だが、ここ最近の生活で、あれは本当に何も考えていないのだということを私は知っている。何か考えてたとしたら、それは賭け事だろう。ここまでの旅路に路銀が足りなくなりかけたのは全部この王子の賭け事のせいである。

 

 ビーマは少し気分を害したようだ。根っからの武人気質なあいつらしくもある。サハディーヴァとナクラはいつもの通り本を読んでいる。患者以外には本当に興味のない2人である。

 

 

 さて、

 

 「覚悟はいいか?

 「……っな、何ですか無礼者!」

 

 どうやら一番冷静でないのは私らしい。どこか客観的に状況を見る冷静な私が、ドラウパディーの首を二本の斧で挟み込む私にそう伝えた。

 

 「何者か?そうだな…カルナの只の友だ。ああ、只の友だとも。私の友を、侮辱した罪、その首で贖ってもらおうか?」

 「わ、私は!この国の王女ですよ?!手を出してタダで済むとお思いですか!」

 「先に此方に喧嘩を売ってきたのは貴様だ。」

 

 まあ、クシャトリヤとしての矜恃故か、普通の女性のように泣き叫ぶことは無いのは評価するが、だがそれだけだ。私の家族も同然の友を侮辱したこいつは許せはしない。

 

 「やめろ、ドゥフシャーサナ。」

 「邪魔をしてくれるな、カルナ!止めるのならば貴方とて容赦しない。」

 

 斧を握りしめる私の腕を抑えようとするカルナを睨みつける。真っ直ぐ見返すその瞳は、揺らがない。

 

 「…やめろ。元より、オレにこの女性は一生つり合う事は無い。無理矢理、婿になれば恥をかいてしまう。」

 

 

 ……。

 

 

 瞬間、轟と先程よりあからさまな侮蔑の言葉が会場を満たした。

 

 分かった。私は分かった。本人がそういうのなら、と少しだけさっきより冷静になった頭で斧も下ろした。

 だが、流石に、その言い方は、無いだろうに。一言足りない。

 

 腐っても他国の王族に喧嘩を売るようなことをして、ただで済むわけがない。

 

 こうなるともう収集をつけることは難しい。あんな奴の婿になんてカルナを出すつもりは無いが、前言撤回だけでもさせなければいけない…と思っていたが。

 

 

 ーそれでいいの?

 いい。これで、カルナの失敗は私の罪で覆い消える。

 

 

 もう1回ドラウパディーに向かって斧を構える。

 投擲の姿勢を取り、本気の殺気を振りまく。

 

 さあ、止めて見せろ。

 

 誰が私を止める?

 このままではドラウパディーが死んでしまうぞ。大事な同盟国の王女を、手にかけてしまうぞ?

 

 矢をつがえたアルジュナか。

 我に返ったユディシュティラか。

 誰よりも手の早いビーマか。

 やっと驚きを滲ませた双子か。

 優秀な観察眼を持つアショーカか。

 

 

 「カルナ、ドゥフシャーサナを捕らえろ。」

 

 ああ、君達が止めてくれるか。

 

 ドゥルヨーダナ。カルナ。

 

 視界の外から迫り来るカルナの気配を、あの忌々しい直感で感じ取った。

 

 腹に鈍い衝撃が来るとともに、瞼と意識が急速に落ちる。確かな安心感の中で私は抵抗せずに沈む事を選んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピトン、と頭のてっぺんに水滴の落ちる感覚で目が覚める。殴られた腹が痛いが、特に内蔵が傷付いてはいないようだ。まだ霞む視界をはっきりさせようと目を擦ろうと手を上げる。

 

 じゃらりと重い音が鎖を感じさせた。足首にも同様の鎖が付けてある。

 

 岩剥き出しの壁にもたれ掛かって水の垂れてきた上を見上げる。

 この牢の唯一の出口である窓は格子で遮られ、そこから月の光が漏れていた。

 

 

 ああ、カルナは大丈夫だろうか。凶族となった私を捕まえたのはカルナの功績になっただろうし、これで私に全て皺寄せが来れば、理想的なのだが。

 

 私は盾だ。一つの家を守る盾で、侮辱という穢れも弾き、失言という失態も覆い、まとめて守る盾だ。

 ガタが来れば取り替える。武器とはそういうもので、古く壊れたモノは捨てるしかない。

 

 あれだけの事をしたのだ。きっと相手方は私の死をご所望だろう。

 

 ドゥルヨーダナは私の死を有効活用してくれるだろうか。きちんと使ってくれると思い残すこともない。

 

 「…ーーーーー…」

 

 あとどれ位でこの命は終わるのだろう。

 あと何曲口ずさめるだろうか。

 あと幾つ呼吸できるだろうか。

 

 その時、光をサッと塞ぐ影がかかる。

 

 「あら、おはよう。起きたのね。」

 「貴方は…」

 

 柵ごしに月の光を背負うようにして現れたのは、いつか宮殿の外で出会った美女、ラーダーだった。

 

 途端、強烈な情報の奔流が頭に流れ込み、頭痛が襲う。

 

 ー■■むよ■ラー■ー。いつ■■■な■ね。

 ーまあ、困らせられるのはいつもの事ですもの。

 

 「…??!」

 「どうしたの?私の顔に何か付いてるかしら。」

 

 キョトンと首を傾げるラーダーとは数える程しか会っていない…会っていないはずなのだ。しかし、何だ。この強烈な既視感と頭に過ぎる記憶に無いはずの記憶が、繋がらない記憶が頭を強烈に揺らす。

 

 吐き気を抑えて呼吸を必死に落ち着けるのに精一杯になり蹲った。

 

 「…可哀想に。」

 

 ラーダーの口から漏れた言葉は本来到底許すことの出来ない憐れみの一言であったが、不思議とそんな気分にはならなかった。むしろ、心に染みる声で落ち着きが増す。

 

 

 「ラーダー…何をしに来たか、聞かせて欲しい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「兄上!遂に血迷いましたか!」

 

 扉が叩き壊れるかと思われるほど勢い良く開け放って、ずかずかと部屋に入ってきたアショーカは己が長兄に向かって叫ぶ。

 

 「何だ。騒がしいぞ。」

 

 然も、興味無さげに、手に持った書簡から顔を一瞬だけ上げ、ドゥルヨーダナは言った。

 

 「ドゥフシャーサナ兄上の幽閉を、ドゥルヨーダナ兄上がお命じになったとは確かなのですか!また!あの兄上は自由を失われるということを、分かっておられるのですか!他でも無い、ドゥルヨーダナ兄上は!」

 「ああ、その事か。」

 

 確かに、俺が命じた。

 

 アショーカにはドゥルヨーダナの口がやけにゆっくり動くように感じた。寄りによって1番、聞きたくない相手から聞きたくない言葉を、聞いてしまった。大きな後悔が一気に押し寄せる。

 

 「あちらの国長は大切な娘が命を脅かされた事に大層ご立腹でな。もう何時でも戦争になりかねない状況だ。相手方の手を引く条件は一つ……こういう事だ。」

 

 石を置くかのような重い音と共に机に載せられたのは、見慣れた文字で書かれた、

 

 「…処刑命令書?」

 

 震える声に思考が遅れて追いついてくる。

 

 「一つの命と数多の命。どちらを取るかは明白だろう?」

 

 冷たく響くその声に背筋が凍った。そんな、馬鹿な。ありえない。そんな、…処刑なんて、

 

 思わずくらりとふらつく足をアショーカは必死にこらえて、言葉を紡ぐ。

 

 「兄上…正気ですか…姉様を…本当に?冗談にしてはタチが悪すぎますよ…」

 「もういいか。分かったら下がれ。」

 

 何故、その一つの命と言えど、己が片割れの命を天秤にかけてそう易易と処刑場へと送れるのか。何故、それほどまでに淡白なのか。何故、何故、何故!

 

 背中を向けて別の資料を手に取ったドゥルヨーダナに殴りかかりたい衝動を必死にアショーカは抑え、考える。

 

 どうしたら、姉様を救えるか。

 いつから、こうなってしまったのか。

 

 いくら考えても出てこないと分かりながら、アショーカはその日、一晩中考え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 「ああ、カルナ。来てくれたのか。」

 

 「あまり長い付き合いではなかったけれど、それでも貴方は私達家族の良き友であり、一員だった。」

 「そんな顔をするな。私は私のやりたいようにやっただけだ。私は家族を守る盾なのだからな。」

 「最期に忠告するとしたら…そうさな。貴方ももう少し自分のやりたいようにやった方がいい。言いたいことはしっかり丁寧に言った方がいい。」

 「後、直ぐにアルジュナ王子と勝負するのも完全に悪いとは言わないから、たまにはきちんと対話するべきだ。少し期待の重みに潰されかけているところがあるからか、妙に擦れた子だが…いい子なんだ。」

 「それは、もう、年下の従兄弟なんて、弟も同然じゃないか。気にするに決まっている。」

 「もし怪我したらナクラとサハディーヴァを頼るといい。あの二人は腕の立つ信用における医者だ。…ああそうだ、ユディシュティラ王子には賭け事はもうやめろと伝えてくれないだろうか。無理か?無理そうだったらいい。」

 「ビーマには息子と奥さんを大切に、と伝えてくれ。後、弟達を虐めたら地獄の底から斧を投げつけに行くから覚悟しとけよ、とも。」

 「弟達には体を大切に、とだけ。本当は沢山あるけれど…あまり長くても彼奴らを泣かしてしまうしな。」

 「ドゥルヨーダナ…には…そうだな。」

 

 

 「私は貴方には笑顔でいて欲しい、と。」

 

 

 「私は皆の盾であれただろうか。」

 「ああ、もう満足だ。」

 「この首、綺麗に斬り落としてくれよ。カルナ。」

 

 

 

 

 「ありがとう。」




兄としてある前に国を背負う立場を優先した王子と、全て分かった上でズレた結論を出した王子。

家族すら優先順位を付けられる自分を嫌いながらも冷酷に仕分けられる兄と、優先順位なんて付けられないと自分を切り捨て他の全てを取ろうとする()



続きます

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