雪を踏みつけながら、シャルは走る。
寒空の月に照らされる木々の間を抜け、崖を飛び越え、川を渡る。
およそ人間が出来ない動きで夢中で走り続ける。
合宿5日目の真夜中。
朝に平塚に言われた言葉を思い出しながら、シャルは必死で逃げ続けていた。
『明日の夜明けまで俺から逃げ切って見せてよ。明日は体術を教えてあげる。今のシャルには多分、一番必要なもんだから。……あぁ、それと、明日の朝まで飯抜きね。昨日三回捕まってるから』
最後の言葉で心を砕かれたシャルは必死で逃げた。
雪のなかを走るということは決して楽なことではない。
踏み込んだ足に雪がまとわりつき、シャルの体力を容赦なく奪う。
しかし、それだけではない。
突如背後から雪球が飛来し、それをギリギリのところで横に転んで躱す。
「くっ!」
切れた息を整える間もなく、ボロボロの身体に鞭を打って立ち上がる。
見ると、300メートル程後方から追い掛けてくる影がある。
平塚だ。
すると、平塚が放ったらしい雪球が顔の横を通過し、後ろの大木を大きく揺らす。
シャルの頬が僅かに切れる。
「ほらほら!捕まっちまうよー!」
全く疲れた様子のない平塚を尻目に、シャルは一目散に逃げ出した。
数時間後。
白んできた東の空を見つめながら、シャルは雪の上で大の字に転がっていた。
肺が空気を求めて忙しなく収縮と膨張を繰り返す。
陽の光に照らされて息が白く輝いて見える。
雪を踏み固める足音が近付いてきて、シャルは顔を上に向ける。
「お疲れさま、シャル。よく逃げきったもんだ」
肩で息をするシャルの隣に座って、平塚はシャルを労う。
「必死、でした、から」
「ゆっくり休め。今日は午後からにするから」
シャルの頭をぽんぽんと叩き、平塚は仰向けに寝転ぶ。
高く、澄んだ空を雲が流れていく。
「……なぁ」
しばらくして、平塚が口を開く。
「なんでしょう?」
「……本当に、後悔はしてないのか?俺と……その、契約して」
自虐気味に聞いてくる平塚に、シャルは少し間をとってから答える。
「…………後悔はしていません。……でも」
「でも?」
「……不安なんです。私だけが生き残って……いま、こうして平塚さんに教えて貰っているこの状況が、本当に正しいことなのか」
そう言ったシャルは、上半身を起こして膝を抱える。
「多分、というか俺個人の見解はね」
数秒とって平塚が口を開く。
「この世界に、本当に正しいことなんて1つもないんだと思う。すべてが正しくて、すべてが間違ってる。何が正解か、なんて誰にもわからない」
「…………」
「……けれど」
そう言って、平塚はゆっくりと立ち上がる。
「いま、この状況で、自分が本当にやるべきことはなんなのか。それを、じっくり見定めることは誰にだって出来る。それを実行するか、しないかは当人次第だけどね」
シャルに手をさしのべながら、平塚はそう言う。
平塚の手をとって、シャルは立ち上がろうとする。
が、どうにも足に力が入らない。
「……すみません、立てません」
「うーん、仕方ないな……」
恥ずかしそうに言うシャルを、平塚は困り顔で抱える。
シャルの背中に右腕を回し、左腕を両膝の下に差し入れ、持ち上げる。
「わ、わ!!」
突然襲った浮遊感にシャルは慌てる。
「危ないから、俺の首に手を回してもらえるかい?」
「……」
平塚に言われる通りに首に手を回す。世に言うお姫様抱っこ、である。
「(顔、近い)」
「し、シャル?そんなに見つめれると、さすがに照れるというか、その、恥ずかしいんだけど……」
平塚が赤面しながら訴える。
「疲れただろ?寝てて良いから!というか寝てくれ俺が困る」
「…それじゃあ、お言葉に甘えて」
そう言ってシャルは目を閉じて寝息をたてる。
塒にしている洞窟についた頃。
平塚はシャルを下ろそうとする。
が、首に回したシャルの腕がどうにも外れない。
「弱ったな……」
仕方なく、シャルを抱いたまま火を焚く。
煌々とした炎が暗い洞窟のなかを照らす。
「……ま」
シャルの寝言だろうか。
「?」
「お父様……お母様……ごめん………ごめんなさい」
シャルは魘されていた。
平塚はシャルを強く抱き寄せ、優しい声で呟く。
「俺が、守るから。君のことを全力で。今度こそ」
パチパチと火の粉が舞う。
平塚はシャルを抱いたまま、眠りに落ちる。