「うー寒……」
平塚が腰にタオルを巻いてがらりと戸を開けると、真夜中の外気と湯船の湯煙が身体を包む。
ぶるりと身震いした身体をピシャリと叩いてから洗い場に座ると、壁の向こう側からシャルと佳那の笑い声が聞こえてくる。
鰻家の風呂は男湯と女湯に別れており、一枚の高い壁で隔ててある。
つまり、壁の向こうは女湯であり、互いに音は筒抜け。なおかつ露天風呂であるため、四季の彩りに囲まれた風呂が年中楽しめるのである。
「そうか……もうすぐ祭なんだな」
十日夜の月が桶に張ったお湯に映り、滴る水滴が水面を揺らす。ゆらゆらと揺れる月を眺めながら、平塚は泡のついた身体をお湯で洗い流す。
「ふう……」
湯船いっぱいに張られたお湯が溢れだす。濡れた髪をかきあげつつ、平塚は冷えた身体を一気に肩までお湯に浸からせる。
月明かりに照らされた雲が流れていく。
「………」
月に手を伸ばし、その掌で月を隠す。
「もうすぐだ……もうすぐ……貴様を……」
その先を言うことはなく、平塚はその手をグッと握り締める。
「貴様って、誰のこと?」
突然、そんな涼やかな声が聞こえた。
そう言った声は誰の声だったのか。平塚は途端に立ち上がって身構える。だが、周囲に人影はない。気のせいかと腰のタオルを巻き直してから、正面に向き直った平塚の目に飛び込んできたのは。
紫の髪に紫の瞳。何処かあどけなさの残った顔立ちの少女が。
一糸纏わぬ状態で湯に浸かっているという光景だった。
「こーんばーんは♪」
「誰……!?」
いつの間にか居た少女に平塚は当然の疑問を投げ掛ける。だが。
「んー?ふふ、誰だと思う?」
少女そうはぐらかしながら、手に持った徳利を傾け、清酒を注いだ御猪口をすする。赤らんだ顔でちらりと平塚を見つめる。
「……っ!」
平塚は少女から目をそらし身体を逆に向ける。
「なぁーんだ、面白くないなぁ」
そう言いつつも、少女の声は何処か楽しげであるのだが。
「私はね……ツクヨミだよ、ツ・ク・ヨ・ミ。月と夜の女神」
ツクヨミと名乗った少女は、もう一杯と酒を煽る。
「__馬鹿馬鹿しい。誰がそんな事……っ!?」
平塚の大きな声が周囲に響き渡るが、その声はそれ以上は続かない。
ツクヨミの手にいつの間にか握られていた杖……否、杖の先端から伸びた光が平塚の首元に迫り、少しばかり皮膚を切り裂いたからだった。
傍目から見ればそれは所謂鎌の形をしている。
「これで……信じてくれた?」
白銀に変わった髪を纏めながら、ツクヨミは杖を仕舞う。
「……えぇ。貴女は本当にツクヨミ様なんですね」
「信じてくれたようで何よりだよ」
一瞬にせよ、平塚が感じた圧力はおおよそ人程度から感じられることのないものだった。
「それで、なんでツクヨミ様が俺に会いに来たんです?」
一瞬でかいた冷や汗を拭い、湯に浸かりながら平塚がそう言うと、ツクヨミは少し驚いた表情をする。
「……それは」
「それは?」
「私の話を聞いてほしくて……」
消え入りそうな声で、ツクヨミがそう言う。
「……話とは?」
「聞いてくれるの!?」
キラキラした目で見つめてくるツクヨミを、平塚は静止しようとする。
「え、えぇ。俺に出来ることがあれば」
「ありがとう!」
そう言ってツクヨミは平塚の胸に飛びつく。素肌が触れ合うが、ツクヨミは構うことなく首に腕を回そうとする。
ザパーンという音ともに、平塚は支えにしていた左腕が滑り、強かに後頭部を湯船の底に打ち付ける。
「~~~~~~っ!」
平塚が慌てて飛び起きるが、ツクヨミの額に盛大に頭突きしてしまう。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ」
両者頭をさすりながらしばらく黙る。
「それで、話って?」
平塚がそう聞くと、ツクヨミはまたしばらく黙り込み、ポツリとその名を口にする。
「……月嶋尋のことです」
「……っ!?」
平塚の全身の毛が総毛立つ。
「私は、月嶋尋の出生に深く関わっています」
「………教えて下さい。奴のことを」
そう言った平塚の声は酷く冷たく、ツクヨミはまた少し黙り込んでしまう。が、ツクヨミは空中に手を伸ばして小さな門を開く。そして取り出した杖についた小さな玉を手に取ると、こう言った。
「今からあなたにお見せするのはすべて真実です。あの子がどうしてそうなってしまったのか」
ツクヨミが玉をお湯のなかに落とすと、不思議な光が平塚の眼前に広がる。
「どうか、あの子を救ってあげてください」
どこからか、そんな声が聞こえた。