「なんだよ…これ……」
目の前に広がる惨状に、平塚は息を呑む。
同族の血に濡れた指を払いながら、少年は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
傍に降り立ったツクヨミが指し示した方向に歩こうとする月嶋を止めようと咄嗟に手を伸ばすが、その手は何も掴むことなく月嶋の身体をすり抜けてしまう。
血溜まりに映し出された月が風に吹かれて揺らぐ。
「救ってあげてくれ……か」
ツクヨミの言葉を思い出し、口に出す平塚。
「……無茶言ってくれるよな、倒すために造られた奴に救ってくれ、だなんて」
そう言って平塚は自分の頬をピシャリと叩き、大きな声で叫ぶ。
「わかったよ、やってやるよ!!只し、俺なりの方法で、だ!必ず救ってみせるさ!」
確固たる決意の灯った瞳でそう叫んだ平塚に呼応するかのように景色が光の粒になって消えていく。
次に平塚が目を開けると、柔らかな布団の中で陽射しが目に入る。
「お、やっと起きた」
隣から眠そうな声が聞こえる。顔をそちらに向けると、椅子の上に胡座をかいて座る佳那の姿があった。
「ここは……」
「うちの寝床。アンタ風呂でぶっ倒れてたらしいぞ?逆上せたのか?」
呆れたような佳那の声。どうやら風呂に入りに来た鰻に運ばれてきたらしい。
「そう、みたい」
平塚は身体を起こそうとしたが、右腕に違和感を感じ、目を向ける。
「……スー……スー……」
シャルが平塚の右腕を抱き枕にして静かに寝息をたてていた。
そこに雪山で感じた不安そうな影は見当たらず、平塚はそっとシャルの頭を撫でる。
「ずっとアンタを看病してたんだ。もう少し寝かせてやりなよ」
「うん。わかってる」
平塚はシャルの布団をなおしてから台所へと向かう。長い廊下を抜けた先にある戸を開ける。
古めかしい竈に羽釜を載せ、火を焚く。
鍋に煮干と水を入れて、竈に載せる。
時刻は6時前。台所には平塚の野菜を切る小気味良い音が響く。
下処理が済んだところで、冷蔵庫から取り出した鱒の切り身の表面を流水でさっと洗い流し、よく水気を切る。
粗塩を掌を使って身の全体に擦り付け馴染ませる。少し置き、指先に軽く塩をつけて弾くように切り身に振りつける。
油を引いたフライパンで皮目を軽く焼き、裏返して七割火を通す。再びひっくり返して皮目がパリッとなるまで焼いたら火を止め、盛りつける。
水に醤油、砂糖、酒、味醂などを入れ、軽く煮た立せた鍋の中に大きめに切ったカボチャを入れてホイルで落し蓋をする。
出汁に味噌を溶かす頃には、米が炊ける時特有のふわっとした甘い香りが台所いっぱいに充ちる。
「お、今日は遥斗くんの朝飯かい?こりゃ期待できるなぁ」
魚屋の仕込みを終えた鰻が台所に入ってくる。
「おはようございます。あの、俺風呂で倒れてたって聞いたんですが」
「あぁ。驚いたよ。汗を流しに風呂に浸かろうとしたら遥斗くんが浮かんでるんだもの」
「ご迷惑をおかけしました……」
「いやいや、良いんだよ。疲れてたんだろうし」
少し笑いながら鰻は新聞を開く。
「そういえば……ここのところの怪事件、まだ犯人捕まってないんだって?」
聞いたことがない話に、平塚は耳を疑う。
「怪事件?」
「あ、まだ聞いてない?事件さ。裏道で顔の皮を引き剥がされた人が連日発見されてるんだ」
「顔の皮を……?」
「幸い全員命に別状はないんだけど、精神的ショックでまともに話を聞ける状態じゃないらしい……」
「うへぇ……」
心底不愉快そうな顔をする平塚に、新聞から目線をあげた鰻がばつが悪そうな顔をする。
「ごめんごめん、飯前にする話じゃなかったね……。あ、ご飯もうすぐ出来るんだろ?佳那達にも声かけてくるよ」
そう言って廊下の方に歩いていく鰻が、ふと足を止める。
「そうだ、遥斗くん。君、風呂でこれ落とさなかったかい?」
「え……?」
広げたハンカチの上に置かれた小さな玉。見覚えのある形だった。
昨晩、ツクヨミが落としていった不思議な光景を映し出す玉。途端、平塚の脳裏に月嶋の記憶がフラッシュバックする。
「………ッ」
「お、おい、大丈夫かい?」
「……いえ、ありがとうございます。助かりました」
「そうかい……?それじゃあ、私は呼びに行ってくるよ」
そう言って、鰻は踵を返す。
「………夢じゃなかったんだな」
少し哀しげにそう呟いた平塚の手の中で、翡翠色の玉がちらりと光る。
「………とりあえずまぁ、やれることをやるだけだ」
一息ついてからそう言って、平塚は味噌汁の味をみる。