なんか机にパンツ降ってきたけどどうすればいい? 作:リンゴ餅
五時限目である数学の授業が始まる前に天真さんの宿題は何とか終わった。
天真さんは元優等生だったというだけあって理解力は非常にあり、ほとんど自分の力で問題を解いていたので教えるのもそれほど大変ではなかった。
やればできる子、ということだろう。
問題は数学の授業中。
例の赤い髪の女の子が宿題のプリントを集める際に教師に喧嘩を売る真似をしたのだ。
教師の目の前で、宿題をやっていないことについて全力で開き直った挙句、それを誇っているような発言をし、教室にいる人全員の注目を浴びながら高笑い。
まさに狂人の所業である。
「一回病院に行かせた方がいいんじゃないのアイツ?」
「はあ……頭が痛くなるわよね。あの子を見てると」
天真さんとヴィーネさんもやれやれといった感じで授業終了後にため息をついていた。
ちなみに赤髪の娘……胡桃沢さんは数学の教師であるグラサンに教室の外に連れていかれそのまま授業終了のチャイムが鳴るまで帰ってこなかった。
罰として結果的に授業を受けさせないというのは法律的にちょっとまずいって聞いたことがあるけど、あれはいくら何でも仕方ないと思う。
そして胡桃沢さんは今は自分の席で大人しく座って……いや、えぐえぐと声を上げて泣いていた。
……可哀そうに。
「まあ……馬鹿な子ほど可愛いっていうし、きっと何とかなるよ」
「……だといいけどな」
大分投げやりなフォローになってしまったが、あれはもう矯正できまい。
俺たちは三人そろって同じような顔をしながら次の授業の準備をし始めた。
授業がすべて終わり、今日も天真さんと二人きりで帰ろうとカバンに荷物をまとめている時だった。
「佐倉君、ちょっとお時間良いですよね?」
「……え?」
「まあ! ありがとうございます。では私についてきてください。あまり人が多いと恥ずかしいので」
有無を言わさない勢いで白羽さんに声を掛けられ、そのまま最後まで言われる。
そして彼女は体をくるりと回転させ教室の出入り口へと向かい始めた。
……いくらなんでも頼みごとの仕方雑過ぎない?
余りに一方通行な会話だったよ今。
マイペースってレベルじゃねえ。
急な出来事過ぎて隣にいた天真さんとヴィーネさんもポカンとした様子だ。
「白羽さんっていつもあんな感じなの?」
「……いや。あそこまで人の都合を無視した誘い方をされたことはないな」
一応白羽さんの昔ながらの友達であった天真さんに聞いてみると、そんな返答が返ってきた。
つまり、俺だからあんな誘われ方をされたってことですか。
完全にあの人俺のこと舐めてますよね。
物理的に舐められるんだったらともかく、余りいいように使われるのも気分のいいものではないが……。
まあ、今のところは素直に聞いてあげるけどさ。
今後も同じような傾向が続くようならちょっと文句を言ってみよう。
「どうする? 私たちも話が終わるまで待ちましょうか?」
「いや、大丈夫。二人は先に帰ってて。長くなると申し訳ないし」
「そう……分かったわ」
「じゃあ行ってくる。また明日」
「ええ、また明日」
「またな」
そうして二人に見送られながら教室を出ると、ドアのすぐ近くで白羽さんが待っていた。
流石に置いていくようなことはしないらしい。
よかった。
彼女だったら自分だけ先に行ってわざわざメールかなんかでもう一度呼び出すとか考えられなくもない。
この娘、人を苦しませるためだったら手間を惜しまなさそうだし。
「では行きましょうか」
「どこにいくんだ?」
何の用かまだ聞いていないうえに、どこで話をするつもりなのかすら聞いてない。
人気の多い場所だと恥ずかしいと言っていたが、もしかして噂のアレだろうか。
学生限定で、かつリア充限定のイベントと言われるアレ。
アレって今の時代は大抵メールとか電話とかSNSの類で済ますらしいよね。
中学のころ同じクラスにいたカップルとかは大体そうだった。
伝聞形式でしか聞いたことがないからそんなの都市伝説じゃないのってちょっと疑ってたけど。
まさか本当に実在するんだろうか。
え、期待してるのかって?
いやいやまさか。
だってあの白羽さんですよ?
告白されるよりも脅迫される可能性の方が断然高い白羽さんですよ?
でも、今のところパンツ事件以外で弱みを晒した覚えはないし、そもそもやましいことなんて何もしてないのだから弱みが出てくるわけもない。
まあ変なデマを広められたりしたら困るっちゃ困るけど、それなら俺の知らないところでやるだろうし。
大体、そんなことをされるほど彼女に嫌われるようなことをした覚えもない。
だからこそ、本当に何の用なのか推測できないのだ。
入学してまだ数日しか経ってないというのもあるし、心当たりがほとんどない。
一応考えられる可能性としてはこんな感じだろうか。
愛の告白(笑)……5%
脅迫……10%
何らかの厄介ごと……84%
その他……1%
ごめん、やっぱ推測できてるわ。
適当に可能性を挙げてったけど多分これ正解だわ。
恐るべし、人間の直感。
俺が自分の動物としての生存本能の優秀さに慄いていると、俺が質問してから大分時差があって、ほんの少し前を歩いている白羽さんが返事をした。
「そうですね……心霊スポット、といったところでしょうか」
「は?」
心霊スポット?
心霊スポットって、リア充どもが吊り橋効果を期待して異性と二人っきりで行くあの心霊スポット?
ホラー映画とかだとリア充の墓場スポットとなり、リアルだと恋人たちのホットスポットとなるあの心霊スポットですか?
「…………」
意外過ぎる返答に言葉が詰まる。
この学校にもそんなところがあったのか。
いわゆる学校の七不思議、という奴だろうか。
俺が小学生の頃も随分と流行ったものだ。
ホラーというのは人によって結構好き嫌いが分かれるものだが、俺は嫌いではない。
というか、むしろ人に比べたら好きと言ってもいい。
それは小説のような文字媒体としてのものでも、テレビのような映像音声としてでも。
あるいは、目の前で人が肉声をもってして語るという形でも。
ホラーというのは色々な意味で心をくすぐる代物だ。
次に何が起こるか。
どうして事件が起こったのか。
どういう結末が待っているか。
テンプレとして使い古されているような設定でも、何故か飽きることもない。
昔から実家で妹と二人で一緒によく見ていた記憶がある。
昔というか、最近までしょっちゅう妹とホラー映画鑑賞をしていた。
妹もホラーが大好物で、いつの間にかホラー物のDVDをレンタルしてきては一緒に観ることをねだり、俺の隣でビクビクしながら楽しむ、というのが俺と妹の日常の一幕としてあった。
……そういえば、妹の声を聴くことがなくなって久しいな。
今日の夜辺りにでも電話してみようか。
きっとアイツも喜ぶはずだろうし。
とにもかくにも、ホラーには結構な思い入れがある俺だが、ここでその話が出てくるとは思わなかった。
白羽さんは俺と心霊スポットに行って一体何がしたいんだろうか。
吊り橋効果で俺を彼女に惚れさせたいんだろうか。
俺を惚れさせて、自分の言うことなら何でも聞く犬を開発したいのだろうか。
白羽さんの容姿と性格だと全然ありえない話でもないからな。
人によってはむしろ進んでなりたがる人もいそうだ。
ふと、俺がそうなったらどんな感じだろうと想像する。
『私の恋人になりたいのでしたら……跪いて私の靴を舐めなさい』
『ぶひぃ! 喜んで舐めさせていただきます!』
……ヤバい。
悪くないかもしれないと思ってしまった自分がいる。
薄笑いを浮かべながらフォカヌポウとか言ってる自分がいる。
これはダメだ。
これ以上考えない方がいい。
俺は白羽さんのただのお友達。
それ以上でも、それ以下でもない。
それでこの話はお終い。
というわけで意識を現実に向けよう。
白羽さんと斜めに並んでしばらく校内を歩き、やがて周りの環境の変化に気付かざるを得なくなるところまできた。
入学したばかりの一年生ではまだ知り得そうもない校舎の片隅。
化学や物理といった科目の実験室や講義室に、美術室やコンピュータ室など、特別授業でしか使われない教室が集中している棟に来たようだ。
彼女があらかじめ言った通り、人の気配はまるでしない場所。
窓の外から運動部などの掛け声などが一応聞こえてくるが、それも耳を澄ましてやっと聞こえるという程度。
通りすがりのような偶然でも人に邪魔をされたくないからここまで誰もいない場所を選び、わざわざ足を運んだのだろう。
どうやらそれなりに込み入った話になりそうだ。
そうでないなら適当に廊下の隅っことかで話せばいいことだし。
俺は少しだけ身構えてそのまま白羽さんのすぐ後ろをついていった。
そして白羽さんが足を止めたのは三階にある一つの空き教室の扉の前だった。
鍵がかかっているというわけでもなく、白羽さんが先に入り、俺も後に続いた。
中の様子を見渡す。
いかにも、という感じはしなくもない。
長らく掃除や整理が施されていないが故の埃っぽいにおい。
教室はほとんど使われなくなった学校の備品や何かの書類ファイルで埋まっており、その様は昨日一晩入り浸った天真さんの部屋を彷彿とさせた。
確かに何かしらの怪談噺の舞台としてはおあつらえ向きだ。
曰くつきの教室としてうわさが広まっていてもおかしくはないくらいには雰囲気もそれっぽい。
「ここに幽霊が出るのか?」
「はい、ちょっと待っててくださいね」
白羽さんは教室の奥まで足を運ぼうとしていた。
足場が余りよいとは言えないので転ばないか一瞬心配したが、彼女は身軽な足さばきで障害物を乗り越え、あるところでこちらに振り向いた。
二人して向かい合う。
シンとした空気は一層深まり、先ほどまではかろうじて聞こえていた外からの声はもはや微塵も聞こえない。
「……そろそろ、どうしてこんなところに連れ出したのか聞いてもいいか?」
沈黙を先に破ったのは俺の方。
期待とも不安ともつかぬ、ドキドキとしたものを胸に抱きながら声を出す。
白羽さんは、会って間もないながらも既に見慣れた微笑を浮かべ、そして口を開いた。
「佐倉君、私、あなたのことがずっと気になっていたんです」
「……ほう?」
「ガヴちゃんの下着の件で初めて面識をもったときから……そして、実際にあなたと言葉を交わしていく中でこの思いは確信に変わりました」
……ほほう?
これはもしかして。
もしかするともしかして。
まさかの5%を引いてしまった感じだろうか。
白羽さんは気のせいかいつもよりも落ち着きがなく、どこかソワソワとしている。
少なくともいつもとは違った様子であるのは確かだ。
そうなると俺も平常心を保つのが難しくなってくる。
いや、まさかとは思うんだよ。
まさか白羽さんが俺に気があるだなんてありえないとは思うよ?
けどさ、「ずっと気になっていたんです」だよ?
そんなこと言われちゃったらこっちだってその気になっちゃうじゃん。
その程度で動揺するなんて童貞臭いって?
実際童貞なんだから仕方ないだろ。
どうしよう。
もし本当に白羽さんに告白されたら。
まず大前提として。
俺は女子に告白されたことがない。
それ故にこういう時どうしたらいいのかもわからない。
その上、当然のことながら俺は白羽さんのことをまだよく知らない。
人を困らせるのが好き、という性格は自ずから知ることができるが、それ以外はいまいち把握できていない部分が多い。
だからこそ、正直言って白羽さんに対して恋愛感情の類を持ち合わせてはいない。
そう考えると、告白を断るのが妥当でかつ誠実な行動と言えるのだろうか。
……いや、まずは最後まで話を聞こう。
いくら何でも早とちりが過ぎる。
俺はバクバクと鳴っている心臓の鼓動を感じながら、その動揺を知られないように無意識に体に力を入れてしまっていた。
……そして。
彼女は俺の目をまっすぐに見て、ついに口を開いたのだった。