なんか机にパンツ降ってきたけどどうすればいい?   作:リンゴ餅

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第十二話

 

 コポコポ、と耳障りの良い音と同時に、鼻を優しくくすぐる独特の香り。

 初めてそれを口に入れたときは慣れない苦さに顔をしかめたものだが、今ではやすらぎの風味の大事な要素となっている。

 

 癒し、と表現するには流石におおげさではあるが、それに近い安心を得られるもの。

 

 つまるところ、ドリップコーヒーに俺はお湯を注いでいた。

 場所は自宅のアパートのキッチンで。

 時刻は夜の七時ごろ。

 名目は夕食後の締めとして。

 

 カップからあふれそうになるくらいまでお湯を注いだ後、コーヒーバッグを取り出して三角コーナーにポイッ。

 それから置いてある砂糖袋から小さじ二杯ほどをカップの中に溶かして混ぜる。

 

 準備完了。

 こぼれないように静かに足を動かして自室に戻り、机の前の椅子に座った。

 

「…………ふぅ」

 

 とりあえず一口すすり、一息つく。

 

 口にやや酸味のある苦みがじんわりと沁みとおり、それが鼻の奥まで広がる。

 喉を通っていく熱と、手にもつカップから伝わってくる熱。

 月並みな表現でしか語れないが、シンプルな美味しさというのはこういうのを言うのだろう。

 

「……さて」

 

 ある程度コーヒーを味わってから、俺はポケットの中からあるものを取り出した。

 

 それは一つの小さな巾着袋だった。

 

 学校で白羽さんに話を聞き終わった後に渡されたもので、中に何が入っているのかは不明。

 感触からして固い金属上の物質、他にも何か紙らしきものが入っているように思われる。

 

 開けて中身を確かめようと思ったが、それは白羽さんからNGがでてしまった。

 

 そして厄介なのは人間の性。

 ダメと言われたらやってしまいたくなるのは仕方ないだろう。

 渡されてすぐはそう思っていた。

 だが、白羽さんの話をよく聞いて、その考えは吹き飛んだ。

 

 ……そう、一番問題なのは白羽さんからのお話である。

 

 結局、白羽さんが俺に惚れたとかいう話ではなかった。

 それが判明した時点で自分のチェリーさ加減に羞恥を覚えたが、それはどうでもいい。

 

 問題は別の意味での彼女の告白の内容。

 彼女からはまさに想像の斜め上の告白をされたのだ。

 

 

『――あなたは悪霊に憑りつかれています』

 

 

 彼女は、曇りのない瞳で確かにそう言った。

 念のために「パードゥン?」と聞き返したが見事にスルーされ、そのまま会話は続行した。

 

 そして、話を聞くにつれて強まる疑いの念。

 

 何をばかな。

 そんなことあるわけない。

 やっぱり電波だったのか。

 早く帰りてぇ。

 パイ乙ペロペロしたい。

 

 ところどころで雑念が混じりつつも、一応は彼女の話を聞いていた。

 要約するとこんな感じだろうか。

 

 ・俺には質の悪い悪霊が憑いている。

 ・早く何とかしないと大変なことになってしまう。

 ・何とかするための手段はあるがもう少し時間がかかる。

 ・とりあえずお守りとして例の巾着袋を持っていてほしい。

 ・じゃあ、お大事に。

 

 ツッコミどころは満載ではあるが、ひとまずは彼女の話がすべて真実だと仮定しよう。

 ホラー映画とかだと、助言を無碍にしてばかばかしいと一笑に付すのは代表的な死亡フラグだからな。

 

 冗談を言っているような雰囲気でもなかったし、何かのモニタリングかドッキリかとも思ったがカメラのようなものもなかった。

 それは白羽さんが教室を去った後に教室をくまなく調べたから間違いない。

 その上、大して親しいとも言えない異性に「悪霊がついてます」と告げるような笑えないドッキリを仕掛けるというのも考えにくい。

 

 何より、今になって落ち着いてよーく考えると一応の心当たりはあるのだ。

 

 まず、この部屋に引っ越してきてから変な夢を見るようになった。

 自分が別の誰かになって助けを呼んでいて、早く気付いてほしいと強く叫んでいる。

 そんな感じの夢を。

 

 単純に環境の変化故の悪夢っぽいものだと思っていたが、まあ何かに憑りつかれた兆候としてはありえなくはないだろう。

 

 そして彼女の話の信憑性を裏付けるような、幽霊のような超常的な存在、あるいは現象を認めざるを得ない出来事がついこないだあった。

 

 ……言わずもがな、天真さんオカルトパンツ事件である。

 

 結局経緯はうやむやとなってしまい、思考することを放棄してしまったが、今の状況においてこの事件は一つの判断材料として非常に重要だ。

 

 すなわち、「空から突然パンツが現れるという出来事はあり得る」という事実。

 これを少し寛容に一般化すれば、「超常的な現象が俺の周りで起こりうる」という事実が得られる。

 

 加えて、もう一つの事実。

「超常的な現象が起きたことを納得する人物が複数人いる」という事実だ。

 こっちのほうが重要かもしれない。

 というのも、この事実のために「白羽さんだけが電波少女である」という可能性が薄まるからだ。

 

 白羽さんに加えて、天真さんとヴィーネさん。

 彼女らは「パンツが突然空中に現れた」という説明を聞いてほとんど疑うようなことをしなかった。

 

 ヴィーネさんは白羽さんから「天真さんのパンツが佐倉君の机に降ってきた」という説明を受けて「災難」の一言でパンツ事件の感想を終わらせた。

 天真さんは自分のパンツが急になくなったというのに、激しい羞恥心を覚えただけ。

 

 明らかに普通過ぎる(・・・・・)反応だ。

 

 白羽さんに至っては俺の「空から降ってきた」という発言に対してはっきりと肯定するような言動をした。

 

 細かいことを挙げようとすればもっと思い当たることはある。

 個人的に一番気になってるのは彼女たちの名前のキラキラ加減だろうか。

 まあ、名前に関して文句をつけるのはナンセンスだからあまり突っ込まないようにしよう。

 

 とにかく、以上のことから「白羽さんの言っていることは真実」であるという可能性、「俺に悪霊が憑いている」という可能性もまた現実味を帯びてくるのである。

 

 考えすぎと言うには、今挙げたようないくつもの事実を否定するような根拠は持ち合わせていない。

 とはいえ、余りに心配しすぎても事態が良くなるわけでもない。

 そもそも全部可能性の話だ。

 それっぽい根拠を挙げて論理的になったつもりで推理してみたが、何かの間違い、という可能性ももちろんある。

 

 ちなみに、流石に俺も話を聞いている間中黙っていたわけではなく、色々質問をしようとした。

 だが、極めて乙女チックなことに「秘密です♡」の一言で全て一蹴。

 したがって今の俺はただ悪霊が憑いていることを知らされてそのままほったらかしの何とも心もとない状態なのだ。

 白羽さんにはマジでいつかセクハラしてやろうと思う。

 

 一応その際無視された疑問点をまとめておくとすれば、

 

①なぜわざわざあの教室に連れてきたのか。

②なぜ白羽さんは俺に悪霊が憑いていると思ったのか。

③悪霊を放っておいたらどうなるのか。

④渡されたお守りは本当に効果があるのか。

⑤俺は一体どうすればいいのか。

 

 この五つが一番気になるところだろうか。

 

 考察しようと思えばいくつかそれらしい推論を立てることもできるが、答え合わせをすることはできない。

 白羽さんのことを信じるのであれば彼女が勝手に解決してくれることに期待するのが一番だろうか。

 そうなると俺にできることは何もないから、⑤の答えは余計なことをしなければいい、ということになる。

 

 ④の巾着袋も万が一のことを考えて開けないでおこう。

 小さいお札とかが入ってたらマジで怖いし。

 

 ……今日の白羽さんの話に関してはこのぐらいでいいだろう。

 

 これ以上はただ不安をかきたてるだけだ。

 

「……と、もうないか」

 

 考え事に没頭していつのまにかカップの中が空だったことに気付いた。

 カップを洗って片づけてからこの後はどうするか考える。

 

「あ、そうだ」

 

 ふと、思い出した。

 確か、妹に電話しようと思ってたんだっけ。

 白羽さんに変なことを言われて人恋しくなってたところだからちょうどいい。

 

 思いついてすぐに、充電ケーブルにぶっ刺しておいたケータイを手に取って、操作する。

 今年になってからガラケーではなくスマホを使うことにしたからまだ操作に慣れていない。

 

 今どきは小学生のころからスマホを持たせる家庭もあるらしい。

 俺の家ではそんなことなかったが、天真さんからも時代遅れと言われるし、やはり色々遅れているんだろうか。

 

「ええと……さ、さ…‥これか」

 

 妹の名前を見つけたのでタップし、発信ボタンを押す。

 しばらく待つと、呼び出ししているときの音が止んだ。

 携帯を耳に当て、さっそく声をかける。

 

「もしもし、沙那(さな)か? 俺だけど聞こえる?」

 

『……い………え……………る』

 

「あれ? おーい。沙那?」

 

 一瞬電話をかける相手を間違えたのかと思って画面の表示を確認するが、確かに妹の名前だった。

 

『……ま…あ…まえ……いる』

 

「…………」

 

 別に雑音等が入っていて聞こえづらいわけではない。

 電波が悪いから断続的に声が聞こえるわけでもない。

 

 単純に相手の声が小さいから、聞こえないのだ。

 

「……沙那?」

 

『……いま……いえ……な……る』

 

 ……やはりうまく聞こえない。

 音量を最大にして耳を澄まして聞いてみる。

 

「…………やっぱり聞こえないな」

 

 今度はかすかに聞こえていた声も聞こえない。

 早速壊れたのだろうか。

 別に落としたりはしてないのだが……。

 

 仕方ないので一度電話を切ってもう一度かけ直す。

 

 先ほどと同じように、呼び出し音が止まってから声をかけた。

 

「もしもし、沙那?」

 

『…………はい』

 

 少し間があって返事が聞こえた。

 幼いころから余り変わらない聞きなれた声。

 

 間違いなく妹の声だった。

 

 どうやら今度はちゃんと繋がったらしい。

 

『兄さん?』

 

「ああ、オレオレ」

 

『……そう』

 

 相変わらずの抑揚のない無愛想な声だ。

 とはいえ機嫌が悪いとかではなく、俺の妹はクーデレ属性なのでこんな調子なだけである。

 

「久しぶりだな」

 

『……でもまだ一か月も経ってない』

 

「それでも久しぶりな感じがするだろ」

 

『…………そうだね。久しぶり』

 

 俺がこっちに引っ越してくる前まではほとんど毎日同じ屋根の下で暮らしていたのだ。

 数週間離れただけでもそれなりに思うところはある。

 それは妹も同じだと思いたい。

 

「なあ、この電話の前に一回そっちにかけたんだけど……」

 

『兄さんからかかってきたのはこの電話が初めて……だよ?』

 

「……そうか」

 

 気になっていたことを聞いたが、謎が深まっただけだった。

 確かにさっきは一度どこかと電話がつながったはずなのだが……。

 

 少しばかり背筋に冷たいものを感じたが、今は置いておこう。

 

「家の方は何か変わったこととかあったか?」

 

 いざ話そうとするとこのぐらいの話題しか見つからないのは初めての電話だからだろうか。

 何故だか少し緊張している気がする。

 

 けど、妹からの話でその緊張もいつの間にかなくなっていた。

 

『……おっきいムカデが出た』

 

「ムカデ? 珍しいな」

 

『うん……大変だったよ。母さんが着火ライター持ち出して危うく火事になるとこ……だった』

 

 なにやってんだ母上。

 ムカデ相手にチャッ〇マ〇はオーバーキルだろ。

 

 そういえば、虫とか嫌いだったな母さんは。

 

 もちろんああいう節足動物が好きな人は少なくとも多数派ではないとは思うが、俺の母親は今妹から聞いた話からも察せる通り大の虫嫌いだ。

 テントウムシやカメムシ程度でも視界に入った瞬間にパニックになり、包丁やバーナーを持ち出してくる。

 

 気持ちは分かるんだが、いくら何でもそれはないだろと言いたくなる程の虫に対する憎悪をうちの母親は持ち合わせていた。

 

「へえ……それで誰が対処したんだ?」

 

『……父さんが洗剤を使って何とかした』

 

「ムカデにも洗剤効くんだな……」

 

 ゴキブリが出たときには洗剤をかけるといい、というのはよくテレビでやっている話だ。

 

 ああいった虫は口からではなく体中にある気門という空気の出入り口から呼吸を行っている。

 水だけだと体表をコーティングしている油にはじかれるが、洗剤をかけると油を取り除きそのまま気門をふさいでしまうので虫を窒息死させることができるらしい。

 

 しかしよくよく考えたらムカデは昆虫ではない。

 ムカデの生態とかに詳しいわけではないが、見た目は似たようなものだし洗剤も効果があるのだろう。

 

 意外なタイミングでちょっとした豆知識みたいなものが増えたな。

 

『兄さんは……どうしたの』

 

「いや、ちょっとお前の声が聞きたくなってさ」

 

『………………ふぅん』

 

 少しばかり長い間があって気の抜けた返事が返ってくる。

 

 俺の経験から言わせてもらえばこれは多分照れてるな。

 この程度の台詞で照れるとか俺の妹マジでチョロイ。

 

『私は別に……聞きたくなかったけど』

 

 そしてマジでツンデレで困る。

 

 ツンデレって一般的には『いつもはツンで時々デレる』ことを指すらしいけど、厳密には『最初はツンで後はデレだけ』っていうのが正しい定義らしいよね。

 俺の妹はどちらかといえば多分前者のツンデレだと思う。

 

 ……自分の妹がクーデレだとかツンデレだとか言ってる兄ってどうなんだろう。

 

『兄さんのシスコンぶりは今さらだからいいとして……兄さんの方はどう?』

 

 当の本人からシスコン認定されてる時点でもうアウトだな。

 でも俺の妹マジで可愛いんだもの。

 だから仕方ないよね。

 

「そうだな……この前の日曜が入学式で今日は最初の週の水曜日だけど、色々あったよ」

 

 パンツが空から降ってきたり、隣人がゴミ部屋の住人だと判明したり、危うくネトゲ廃人になるところだったり、悪霊が憑いてると友達から告げられたり。

 

 ホント毎日退屈しなさそうで喜ばしい限りだぜ。

 

『ん……そうなんだ』

 

「ああ、そうだよ」

 

『……』

 

「……」

 

 互いに黙るが、気まずい感じはしない。

 家族だから、という理由だけではないだろう。

 

 沙那だから、安心して沈黙を過ごすことができるのだ。

 

 とはいってもこのままずっと黙っているわけにはいかないので俺の方から口火を切る。

 

「今年は沙那も受験生だな」

 

『……そうだね』

 

「志望校はどうするんだ?」

 

 少し図々しい質問のような気もするが、別にいいだろう。

 そもそも俺の妹は勉強の話で機嫌を悪くするほど成績が悪いわけでもない。

 というか、自慢できるくらいには良かったはずだ。

 

『……兄さんと同じところ、かな』

 

「そうか……俺にできることあったら協力するから何でも言えよ」

 

 使い古された提案だが、心からの本心だ。

 去年俺が受験生だった時も妹には世話になった。

 だから今度は俺が沙那の力になってやりたかった。

 

『……じゃあ、一つお願いがある』

 

「ん? 何だ。遠慮しなくていいから言い給え」

 

 どこかの銀髪お嬢様風美少女にはもっと遠慮を覚えてもらいたいけれど。

 ふと思い出すがぶんぶんと頭を振って白羽さんのことは頭から追い出した。

 

 そして、妹から出たのは意外なお願いだった。

 

『今週の日曜日、お花見に行こ?』

 

「……はい?」

 

『兄さんのところの町から…‥電車で何駅か離れた町で…出店とか出てるところがあるから』

 

「……はあ」

 

『私は一人でそっちに行くけど……兄さんは友達を連れてきていいよ。でも、男の人はダメ……だからね』

 

 ……なるほどね。 

 俺にはきっと女友達なんてできないだろうから二人で出店を楽しもうってことか。

 

 でも、残念だったな妹よ。

 今の俺には三人もの女子との交友関係があるのだよ。

 しかも、全員お前並みの美少女だ。

 

 突然の妹からの提案には驚いたが、丁度いい。

 いつまでも俺が妹以外の女子とは縁のない可哀そうな男子だと思うなよ。

 

 ほくそ笑みながら妹と相談して待ち合わせの場所と時間を具体的に決め、それからしばらく雑談をした後、電話を切った。

 

 

 

 

 


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