ある朝、博麗神社で奇怪な事件が発生した。
なんと、あの博麗神社の賽銭箱が大量の金で溢れ返っていたのだ。
この異常事態を最初に目撃したのは、最早言わずもがなの人物である。
次にそれを目撃したのは、偶々神社へ遊びに来た、霧雨魔理沙であった。
魔理沙は金で溢れ返る賽銭箱を見て、次いで賽銭箱の側で泡を吹いて倒れている博麗霊夢を見た。慌てふためいた魔理沙が急ぎ霊夢の様子を窺うと、彼女は泡を吹いているだけでなく、完全に白目を剥いている状態であることが分かった。
――嗚呼、これまで山ほどの大金など一度も目にしたことがなかったから、霊夢の奴、賽銭箱の大金にショックを受けて、思わず卒倒してしまったのだな。
魔理沙は霊夢を横目にしながら、彼女が倒れている原因をそう解釈した。しかし、霊夢のことはそれで説明が付いたとしても、そもそも――博麗神社の賽銭箱があれほどの大金で溢れ返っている原因については謎のまま。どれだけ考えても皆目見当が付かなかった。
そうこうする内、今度は巫女の様子を窺いに来た、茨木華扇が神社に顔を出した。
華扇は金で溢れ返る賽銭箱を見て、次いで賽銭箱の側で訝しげな顔をする魔理沙を見て、最後に魔理沙の足元で泡を吹いて倒れている霊夢を見た。一見した印象としては実に不可解で奇妙な光景であるの一言。はて、何が起こったのだろうか?――と華扇が甚だ疑問に思うのも無理はなかった。
だが、暫くして、その疑問はとある疑惑へと変わり、最終的には確信へと結び付いた。
まるで噴火寸前の火山のように華扇の肩がプルプルと震え始めた。と、そう思ったのも束の間――華扇は意を決したように大きく息を吸い込むと、見開いた目に怒りの炎をたぎらせながら「ばかものーーーっ!」と幻想郷全土に響き渡るかのような怒声を張り上げた。そして、鬼のような形相で直ぐさま霊夢のもとへ詰め寄ると、驚きのあまりに目を丸くしている魔理沙を余所に、霊夢の両肩を掴んで激しく揺さぶりながら「今度は何をやらかした!? 今度は何をやらかした!?」と壊れたレコードのように同じフレーズを繰り返した。
一方、その有り様を驚愕の眼差しで眺めていた魔理沙であったが、そこでふと何かに思い至ったのか――おもむろな動作で腕を組むと、そっと目を瞑り、眉間に深い皺を寄せながら得心したようにうんうんと頷き出した。
――ははあ、なるほど、茨華仙の言うことは尤もだ。こいつは霊夢の奴がまた善からぬことをやらかしたに違いない。それならこの奇妙な事態もいくらか納得出来るぞ。
魔理沙は賽銭箱が大量の金で溢れ返っている原因を朧気ながらもそう解釈した。華扇も魔理沙も言いたい放題、思いたい放題である。正しく、霊夢にとっては死人に口なしといった状況。いや。泡を吹いて倒れているだけで死んではいないのだが。
すると、今度はそこに東風谷早苗が現れた。
早苗は金で溢れ返る賽銭箱を見て、次いで沈痛な面持ちで腕を組む魔理沙を見て、最後に泡を吹いて倒れている霊夢と、彼女の肩を掴んで激しく揺さぶっている、懸命な表情をした華扇の姿を見た。早苗の主観は神社の光景をそのように捉えた。そして、早苗は直感的にこう思った――これは何か事件の臭いがする――と。
早苗は俄かに目を爛々と輝かせ、鼻息を荒くして三人のもとへ駆け寄ると――豊かな胸を大仰なまでに張りながら、不敵な笑みを浮かべて「私は名探偵、コティヤーヌ・サナエ。此度の博麗の巫女殺人事件、この私が必ずや解決に導いてみせましょう――守矢の名にかけて!」と芝居がかった口調で訳の分からぬことを嘯き出した。
一方、魔理沙と華扇はこの突然の理解し難い言動を前にして大いに戸惑い、『ちょっと何言ってるか、よく分かんないです』とでも言いたげな面持ちで完全に呆気に取られ、次いで表情からはすっかりと色が抜け落ち、最終的には三百万匹の悪霊に取り憑かれたかのような重苦しい疲労感に襲われた。
流石、みずから常識に囚われないと謳い、地獄の女神にさえも平然と暴言を吐き捨てるだけはある。守矢神社の風祝の言動は常人の斜め上をいく常軌を逸したものであった。
早苗の不可解な言動により、状況は明後日の方向へと迷走を始めたが、そこへきて更に厄介な事態が舞い込んできた。伝統の幻想ブン屋こと射命丸文が現れたのだ。
文は「これは毒殺ですね! きっと青酸カリに違いありません! 真実はいつもひとつです!」と興奮気味に喚き立てる早苗を見て、次いで心ここに在らずといった様子で茫然自失となっている魔理沙と華扇を見て、最後に泡を吹いて死んでいる霊夢を見た。文の主観は神社の光景をそのように捉えた。最早、賽銭箱の金など蚊帳の外である。そして、文は単刀直入にこう思った――これは特大スクープじゃないか!――と。
文は一心不乱となってカメラのシャッターを何度も切った。それこそフィルムの限界までシャッターを切ると、今度は一目散に自宅までトンボ返りをし、一気呵成の勢いで記事を書き殴り始め、記事の作成を開始してから半刻が過ぎた頃には幻想郷中に号外をばら撒いていた。
因みに号外の見出しはこうである。
――博麗霊夢死亡! 死因は毒殺……か!?
この悲報は瞬く間に広まった。それこそ冥界や天界、果ては月の都や地底にまで。霊夢の突然の訃報を受けて、生前の彼女と親しかった人間や妖怪など、実に沢山の者達が急ぎ神社へと弔問に訪れた。無論、中には諸々の事情があって顔を出せない者も何名かいたが、それを差し引いても綺羅星の如く、錚々たる面子が集ったのには違いない。
驚くべきことには――あのレミリア・スカーレットが、あの伊吹萃香が、そして、あの八雲紫までもが人目も憚らずに大粒の涙を零して嗚咽を漏らしていた。
更には魔理沙と華扇を筆頭にして、当初こそ展開の流れに着いていけず、霊夢の死について懐疑的な立場を取っていた幾名かの人妖達も、次第にこの悲壮感で溢れた雰囲気に呑まれ始めたのか、あるいはこのどうにも逆らい難い空気に自棄を起こしたのか、最終的には他の皆と一緒になって「生前の故人は……」などとハンカチを片手にして語り出す始末に至った。
と、そんな折である。誰かがふと、声高にある提案を掲げた。
――宴会……そうだ、宴会をやらないか? こんな湿っぽい空気、私達には似合わないぜ。ましてや、こういうしみったれたのが誰よりも嫌いな霊夢のことだ、私達があんまりメソメソしてたら、それこそ怒り狂って、地獄の底から化けて出てくるに違いないぞ。だから、今夜はみんなで宴会を開いて楽しく盛り上がろうじゃないか! そして……最後はみんな笑顔で霊夢の旅立ちを見送ってやるんだ! 霊夢が安心して、笑顔であの世に旅立てるようにさ!
場は一瞬、凍ったように静まり返った。しかし、そこは元来がノリの良い連中ばかりである。故に直ぐさま、境内のあちらこちらから賛同の声が上がり、やがて、神社に集った人妖達の興奮のボルテージは最高潮に達した。勝鬨の声のような宴会コールが、湿った空気を天の彼方へと押しやるように轟く。
――よろしい、ならば宴会だ!
幻想郷には実に様々な人間と妖怪がいて、生まれや育ちや種族などが違えば、当然ながら考え方も十人十色となってくる。従って、神社に集った者達は基本、互いに相容れない存在、それぞれが独立独歩な烏合の衆と言っても差し支えなかった。
然るにそれらはいま――博麗霊夢の死という悲しみを共に背負い、宴会という目標に向かって、初めて心がひとつになろうとしていた。となれば、互いに考えることが似てくるのもまったくの自然な話である。
誰もが口には出さずとも胸の内にこう思っていた。
霊夢の旅立ちを笑顔で見送る為の宴会――それがただの宴会では最早足りない。
大宴会を。一心不乱の大宴会を開かなければなるまい、と。
すると、まるで示し合わせたかの如く、そこで皆の視線が一斉に金で溢れ返った賽銭箱へと注がれた。
大宴会ともなれば当然、大量の酒と料理が必要となる。ましてや、随分な大所帯の宴会となる予定だ。その量たるや呆れるほど膨大なものとなるに違いない。しかし、そこは世の常というもの。膨大な量の酒と料理を用意するとなれば、無論、それ相応の先立つものを工面する必要が出てくるだろう。
皆は賽銭箱の金をひとしきり凝視した後、暫くして、互いの気持ちを確認し合うようにアイコンタクトを取り、無言のままにゆっくりと一度だけ頷き合った。