「おはよう、遥君♪」
「ん。おはよー……ん?」
目が覚めて一番初めに視界に映ったのは、見慣れたはずのリサ―――ではなく、昨日から泊まりに来ている千聖だった。
「なんだ、リサじゃないんだ」
ふと思ったことを口に出したらやや不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
「……遥君は私よりもリサちゃんに起こされたかったの? “恋人”である私よりも幼馴染がいいの?」
恋人の部分をやけに強調していたが、千聖と俺は本当の意味で恋人になったわけじゃない。あくまでストーカーを誘き出すための偽物の恋人。
だからわざわざ家の中でまで演じる必要はないはずだ。
そう言ったら千聖はやれやれと言わんばかりに溜息を吐いた。
「遥君はわかってないわ。私の職業を言ってみて?」
「アイド―――」
「女優よ。最近はアイドルの仕事が多いけれど、私は女優」
「は、はぁ……?」
何が言いたいのかチンプンカンプン。女優だからなんだというのだ。
「つまり与えられた役を演じるのが私の仕事なの。たとえ、それがストーカーを誘き出すための仮初の恋人だとしても私は完璧にこなしてみせる。でもね、その為には遥君、あなたの協力が必要不可欠。どうしてかわかる?」
「……恋人の関係、だから?」
「その通り。恋人は私一人が演じても意味がないの。あなたにも演じてもらわないと恋人には到底見えない」
「あー、なるほど。でも家の中でまでする必要は―――」
「大いにあるわ」
ない、と俺が続けるよりも先にピシャリと遮られた。
「私は人前で演じることに慣れているけれど、遥君はそうじゃないでしょ?」
確かに俺に演劇経験なんてものは皆無。小学校時代に学芸会なんてものをしたことはあるが、経験とはとても言い難い。
「人前で俺がボロを出さないようにするために家の中でも恋人を演じろってこと?」
「そうよ。遥君は誘い出すつもりでいるみたいだけど、本物の恋人のように見せることで相手が諦めてくれる可能性もあるわけだし、何よりも将来恋人ができた時の良い経験にもなるんじゃないかしら? ……まあ、サッカーバカのあなたに出来たらの話なのだけど」
一言多い気がするが概ね千聖の考えはわかった。
ストーカーが勝手に諦めてくれる分にはこっちとしても負担が減るのだから良いことのはずだ。
「……わかった。千聖の言う通り、家でも恋人のフリしてみる」
とは言ったものの、恋人ってどんなことするんだっけ?
真っ先に思い当たったのはデートだ。男女交際において一般的なはずだ。
今のところ他には思い当たりそうにもないが、参考にするとしたらドラマや映画だろうか。しかし、今までのサッカー中心の生活を振り返るとドラマや映画を見た記憶はそこまでない。しかも恋愛物となるとさらにその数は減る。
去年、リサと友希那に映画館に連れていかれて恋愛物の映画を見たが開始三分で寝たことだけは覚えてる。
カズにでも聞いてみようかな?
学校で親友に相談を持ち掛けることを考えながら、千聖と共にリビングに降りていった。
「恋人ってどんなことするのか? んなの、そりゃ…………」
「どうしたの、カズ」
千聖を花女に送り届けて、俺も自分の通う学校に登校。
昼休みに自分の所属するクラスで恋人がどんなことをするのかをカズに質問したら、動かしていた口が途中で止まってしまった。
「なあ、ハル。いきなりこんな質問するってことは、彼女が出来たのか?」
そんなカズの質問が聞こえたのか、談笑していたはずのクラスメイトたち全員が一斉に沈黙。まるで俺の次に発する言葉を待っているようだ。
これ、言っていいのか?
千聖は芸能人。しかもアイドルだ。
事務所の方針では恋愛は禁止されていないようだが、あまり大事にするのは千聖が困るだろうから隠すべきか。
「千聖に恋人役の練習相手になって欲しいって言われたんだ。で、引き受けたのは良いんだけど、恋人ってどんなことするのかわからないからカズに聞いたわけ」
今の説明なら恋人(仮)ってことで誤解は生まれないはずだ。
「なるほどなー」
黙っていたクラスメイトたちが何故か一気に安堵の息を吐いて再び談笑し始めた。
「つっても、俺だって彼女がいたことないからよくわかんないな。あんまり参考にはなんないと思うけどキスとかデートするのが恋人のやることじゃねえのか?」
他には手を繋ぐ、膝枕、食べさせ合う、不機嫌な時の対処などの意見をカズから貰った。
「あとは…………ホテルに行くとか?」
「ホテル? 行ってどうするのさ?」
「え゛っ!? いや、それは……!」
ホテルについて追及するとカズは忙しなく視線を彷徨わせた。何か言い辛い理由でもあるのだろうか。
「言いにくいならいいよ。やれそうなことは十分に教えてもらったから。ありがと」
お礼を言うとタイミングよく昼休み終了のチャイムが鳴った。
放課後になるとすぐに花女に向かった。
今日は部活があるので千聖には黒代高校で部活の見学をしてもらいながら時間を潰してもらうことになる。
待ち合わせの約束をした正門前にすでに千聖は立っていた。
「千聖ー!」
少し遠くから声をかけると俺に気が付いた。
こういうときは確か……。
歩く速度を速めて近くに寄った。
「待った?」
「ええ、すごく待ったわ。具体的に言うと台本一冊を暗記できるくらい待ちくたびれたわ」
……えっと、どう返せばいいんだ? ツッコミ待ちなのかな? 時間の“待ち”とツッコミの“待ち”を掛けてる?
「もうっ、真面目に考えすぎ。『どんだけ待ってんの?』とでも言えばいいのよ。……でも、本当に台本一冊を暗記出来そうなくらいあなたが来るのが待ち遠しかったわ」
ああ、結局さっきのは千聖なりのジョークというわけか。わかり辛い。
「そっか。俺も千聖に会いたかった!」
「え? そ、そう……? そんなにも私に会いたかったのね?」
「そりゃ、早くしないとサッカーする時間減るからね!」
そう言った瞬間、ピシッと何かにひびが入る音がした。
嫌な予感がして千聖の顔を見たらそれはそれはとても綺麗な笑顔だった。
無言で歩み寄ってくると細い両手を伸ばして俺の頬をかなり強く抓りだした。
下校する花女の生徒たちに変な目で見られるがそれどころじゃない。
「い、
「ホントあなたって人は……ッ! 私のときめき返しなさいよ! 少しでもあなたに
頬を抓る手にさらに力が加わり痛みが増して、おまけに抓ったままグワングワン首を揺するせいで視界が回る。
十秒程で放してくれたが抓られた両頬がヒリヒリ痛む。
「痛い……」
「当然の報いよ」
完全に千聖の機嫌を損ねてしまったようで目線を合わせずそっぽを向いている。
そんな時にこそカズが教えてくれたやつが役に立つことに思い至った。
「千聖」
「……なにか―――きゃっ!」
未だに目を合わせてくれない千聖を強引に壁に寄せ、逃がさないように顔のすぐ横に手を着いた。
所謂“壁ドン”というらしい。
いきなりのことで千聖の瞳が大きく揺らぐがまたすぐに目を逸らす。
「ごめん、千聖」
「……え?」
「正直に言うと千聖がどうして怒ってるのか全く分からない。でも、俺の所為で怒ってるならキチンと謝りたいんだ。……これでも君の恋人だから」
「…………別に、怒ってなんかないわ(こ、これって、壁ドンよね?)」
「ホントに?」
「ええ(だから今すぐ離れて!)」
「じゃあ、俺の目を見て言って」
怒ってないとは言うものの目線は未だに合わない。
「そ、そんなの無理よ!(今目線を合わせたら耐えられるわけないじゃない!)」
「どうしても?」
「どうしてもよ!(積極的な遥君も悪くないけど、こんな大勢の人がいる場所でなんて……!)」
ここまで拒否するのはやはり怒ってると見ていいだろう。
こうなったら―――
「遥先輩、何してんの?」
底冷えしそうな声が背後から聞こえた。
錆び付いた機械のように首を動かすとそこには花女の制服に身を包んだ山吹沙綾がいたのだった。
千聖が泊まりに来た夜のこと。
与えられた部屋で千聖、リサ、友希那の三人が敷かれた布団の上で仰向けの状態でいた。
『…………』
しかし、彼女達の間に会話はない。
ちょっとした揉め事があったせいか三人はギクシャクしてるのだ。
「……白鷺さんはさ、ハルのこと好きなの?」
その長い沈黙をリサが破った。
「好きよ。もちろん異性として恋してるわ。それはあなた達もでしょ? でなければあんなに突っかかってくるはずがないもの」
「……あなたの言う通りよ。私はハルを誰にも譲る気はない」
「アタシだって誰にも渡さないから!」
今にも一触即発。
『…………ふふっ』
と思いきや、三人が互いの想いを打ち明けると揃って笑った。
「私達いい友達になれそうね」
「ええ。私もそう思うわ」
「だねー。あ、この際だからアタシのことリサって呼んでよ」
「私のことも名前で構わない」
「なら私も千聖でいいわ」
険悪な雰囲気から一転。まさかの三人の仲が良好(?)になった。
それから彼女達は時間の許す限り恋バナに興じたのであった。