蓬莱学園の夜桜!   作:ないしのかみ

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ラストスパートです。
本編はこれにて終了。最後はエピローグになります。


6、夜桜

〈6、夜桜〉

 

 その時、南 君子はゆらゆらと漂う浮遊感に目を覚ました。

 視界が赤く染まっている。

 

『?』

 

 奇妙な既視感を感じる。

 それが以前、実家で祖父に受けた鉄扇の一撃により、額を割られた事に思い当たるまで、数瞬の時を要した。

 

 南 君子は千葉に本拠を持つ、とある企業グループの次期総帥であった。

 日本の家庭なら何処にでもある発酵食品。醤油や味噌を扱う老舗であり、多角経営化により、世界的な大企業となったった会社、南発酵産…。いや、今は愛称のキッコーナン財閥の方が通りが良いだろう。

 その御曹司であった。

 

 現総帥の跡継ぎとして幼き頃から勉学と武道に励み、帝王への道を歩んで来た彼の悲劇は、十六歳の秋に起こった。

 体調を崩して精密検査の結果、彼は男性ではないと判明したからだ。

 

 仮性半陰陽。

 外見的には男性の様な生殖器を持って生まれ、ホルモンバランスが崩れた為、女性としての特徴が出ないまま育ってしまった人間である。

 性染色体的にはXX(ダブルエックス)。

 つまり女性であり、両性具有の真性半陰陽とは区別される。だが、祖父にとってそんな事はどうでも良かった。

 総帥は男子が継ぐ。これが財閥の掟であったからである。

 よって次期総帥候補は、君子にとって異母兄弟に当たる弟に優先権が移る事となったからだ。

 

 君子は直系。だが、弟は敵対するライバル社(キッコーナンが吸収合併してしまったので現存しない)の家系から受け入れた後妻の連れ子で、南家の血は一滴も引いていない。

 総帥である祖父から見れば、これは耐えがたい屈辱に違いなかった。

 

 君子が女性であったのは、祖父にとって裏切り行為以外の何者でもない。

 自室に君子を呼び付けた祖父は、彼を罵り、挙げ句の果てに鉄扇で叩いたのである。

 視界が真っ赤に染まり…そう、生暖かい鮮血が流れ落ち、目に流れ込んで視界を赤く染め上げているのだった。

 

 あの時と同じだ。

 

『ああ、山城が亡くなって…加賀先輩が現れて、俺が吹き飛ばされて』

 

 地面に打ち付けられた時、あの時の古傷と同じ様に額が割れたのである。

 

『ここは?』

 

 ようやく頭がはっきりし、漂っている現在位置が水中だと気が付いた時、君子はぎょっとして辺りを見回した。

 

『大丈夫。応石には使用者の身体を保護する機能があります。

 現在、水中での生存が可能な様に調整されています』

 

 頭に声が響く。

 マリーンが語りかけていた声と酷似してはいるが、それよりも無機質な女声である。

 

『〈為〉の応石か?』

『そうです。前所有者の最後の意志に従って、貴女の元へとやって参りました』

 

 〈為〉は答えた。

 

『教えてくれ、加賀先輩の応石を倒す方法を』

『…残念ながら、加賀大膳の所持する応石〈蛇牙〉には画数の差もあって、私単体では対抗は不可能です』

『駄目なのか?』

『はい。スペックを考えればその結論に至ってしまいます。ただ…』

 

 暫しの沈黙があった。

 

『ただ?』

『…前所有者が即席が編み出した対抗手段がありますが、リスクが高すぎます』

『山城が考えたのなら、かなり有効な方法だろう』

『しかし、危険です。我々自身も、いえ、かつて応石を産み出した崑崙人すら、未だそれを試みた者は皆無です。全く未知の方法なのですが…』

 

 その思考波には、明らかに不安と怯えが見えていた。

 

『やるしかあるまい。勝てる光明がそれしかないのならな』

 

 〈為〉と言うより、自分自身を納得させる為に君武はそう呟いた。

 

            ★        ★        ★

 

 さて、時は対決時まで進む。

 加賀は君武に語りかけていた。

 

「そうだろう。何故、自分がこんな島へ来なければならない。

 何故、自分がこんな苦労をしなければならない。

 あの時、選択を間違えていなければ、自分は違う人生を歩めた筈だとな!」

 

 加賀大膳は大きく口を開けて狂笑していた。

 

「そうとも、私もそうだ。

 加賀が後悔を重ねて行った抑圧の下で、私は生まれ、そして育って行ったのだよ。

 何故、いつまでも死んでしまったマリーンの為に苦しまねばならないのだ。とね」

「潜在下の人格か?」

 

 果林がぼそりと呟いた。

 

「応石がそんな私の心を解放してくれた。今では私が加賀だ。

 神に感謝して、やれなかった本来の人生を歩んでやる!」

「加賀先輩は、そんな人間じゃない」

 

 殴りかかる予算委員を、闘牛士の様に避けながら加賀は続ける。

 

「いや、これが本来の私だよ。マリーン・吉野に出会うまでの、錬金の研究一筋に生きていた本当の私の姿さ」

 

 空中で姿勢を立て直し、眼下の君武らを見下しながら笑う。

 

「お前が加賀だと思っていた男は、マリーンと付き合い出してからの後天的な性格に過ぎん」

 

 その手から電撃が飛ぶ。

 

「恋だの愛だのとか言う世俗的な感情に溺れ、錬金術師の誇りを忘れたな!」

 

 電撃が目標から逸れたのを確認して、次の呪文の準備へと入る。

 

「それの何処が悪い!」

 

 これは果林だ。だが、加賀は「ふん」と鼻を鳴らす。

 

「彼女に気に入られる様にと言う下衆な下心で、マリーンの所属していた占い研や、手話研にまで入部したのだぞ」

 

 侮蔑の色を浮かべて吐き捨てる。

 

「加賀はそうして、本来の性格である私を永遠に封じ込めたのだ。

 あまつさえ、マリーンが内戦で死んだ責任は自分にあると思い込み、それを償う為に無駄な努力を重ねて来たのだよ」

 

 ヒトラーの演説を思わせる大袈裟な身振りを交えながら、錬金術師は更に言葉を継ぐ。

 

「何と愚かな!

 逃避行の最中に戦闘機の墜落に遭い、その爆発から自分を庇い、犠牲になったのも自分のせいだと思い込むとは」

 

 錬金術師の頭上に、再び火球が形成される。

 しかも、さっきよりもサイズは明らかに大きい。

 

「ぬぉぉぉーっ!」

 

 その気合いと共に、ぶんと加賀の腕が振り下ろされる。

 頭上で膨らんだ火球はそれに呼応して、指し示す方向へ速度を上げて突き進んだ。

 無論、その先には君武が居る。

 先程とは比較にならぬ大爆発が起きた。建物自体が振動し、爆煙が立ち込める。

 

「愚か者の最後だ。全く、我に従えば…何っ?」

 

 冷笑する加賀の顔色が変わる。

 

『応石の反応が無い?』

 

 少なくとも、二つの反応が出る筈だった。

 この廃校舎全体が結界となっている為、宿主を失った応石も野良応石化して何処かへ飛び去る事は出来ない。

 必ず新たな宿主に、つまり、応石を使う前提条件となる石、行石を所持した者へ引き寄せられる筈なのだ。

 山城死亡の際に、君武にその石が渡った様に加賀へとだ。

 

「生きてるんだよ」

「!」

 

 煙の向こうから、南 君子の声がした。

 

「そうそう、死んでたまるか」

 

 煙が晴れて、ゆっくり視界が開けてくる。

 青白く光を発する桜の樹のお陰で、室内は明るさを増していた。

 爆発で隣との壁が全て崩れて、本来は隣室であったあの部屋とひと続きとなったである。

 

「下らんっ!」

 

 君武が一喝した。

 

「本来の性格だと?

 ごちゃごちゃとヌカしやがって、人ってのは成長するんだ。昔のままじゃあり得ないんだよ!」

 

 ボロボロになった上着の内ポケットから木製の写真立てを取り出して、加賀に突き付ける。

 

「昔に戻りたいとは思わんでも無いさ。

 だが、葬り去った亡霊みたいな俺が、今の俺を押しのけるなんざ御免だね。

 先輩だって同じだ。マリーンの為に変わって行った先輩こそが、今の本当の先輩なんだ。

 消えやがれ、この過去の亡霊め!」

 

 写真立ての中に映るのは、マリーンと加賀のスナップ写真だ。

 

「貴様は先輩の心を利用している応石だ。先輩の心をねじ曲げているだけのな。

 でなけりゃ、先輩が命を張って俺を助けてくれるもんか」

 

 写真と君武の声に刺激されて、加賀の心に動揺が走った。

 

「うぉぉぉぉぉー!」

 

 錬金術師が絶叫する。

 禍々しい赤い光が彼の後方に満ちたと思うと、地底に開いた穴からあの球体が浮かび上がった。

 

「〝邪石〟!」

「そうだ」

 

 果林の声に君武が頷く。

 

「こいつが…」

 

 果林とて上級公安委員の端くれである。

 今回の事件探索に当たっては、機密資料を始めとする報告書には目を通している。

 

「石自体は心を持たぬ為に善悪を判断する訳もない。

 それは単なるパワーソースに過ぎない。だから、あれは先輩の心を、本来は潜在下の暗黒面を助長したのだと思う」

 

 君武が指摘する。

 本来は山城が持っていた知識を、〈為〉の応石を通じて知った物である。

 

「だが、あれは厄介だぞ」

 

 出来損ないとは言え、応石値だけを見るなら古代応石にも匹敵する代物だ。

 古代応石が引き起こした、先の〝太守の帰還〟事件を思い起こせば、とてつなく厄介な相手だと言うのは判ろう。

 

「果林は下がっていろ」

 

 君武南豪は心を集中した。

 

「まだ、先輩は心を〝邪石〟に預けちゃいない」

 

            ★        ★        ★

 

『俺は…俺は誰だ?』

 

 錬金術師の頭の中は混乱していた。

 

『俺は加賀だ。加賀大膳だ』

 

 本当に?

 

『私は加賀大膳だ!』

 

 どっちの?

 

『マリーン・吉野を、俺は俺のマリーンを…』

『止せ、止めろ。私は偉大なる錬金術師だ』

 

 私が俺を制止しようとする。

 

『誰だ、お前は。…俺じゃ無い。俺はマリーンを忘れたりはしない』

『止めろ』

『マリーンを甦らせる為に、俺は…』

『止めろ!』

 

 加賀は頭を押さえてのたうち回った。

 

『加賀君』

 

 君武の背後に立つ桜の巨木に、手を組んでこちらを見詰めるマリーンの姿が重なる。

 その中心に〈休〉の応字。

 錬金術師は理解した。あれは応石で出来た物なのだ。

 そしてあの桜はマリーン・吉野の性格をコピーしている。

 

「うぉぉぉぉっ、〈蛇牙〉ーっ!」

 

 獣じみた声が応石獣を呼び出し、それは君武へと一直線に突き進む。

 

「応石!」

 

 白い牙状のそれが到達する寸前、君武の応石もまた、黒い木刀となって発動していた。

 

「ぐぅぅ!」

 

 木刀が牙の塊の様な応石獣を受け止める。

 勢いがある分、向こうの方が有利な筈だが、それでも君武の刀はその突進を防いでいる。

 

「馬鹿な!」

 

 驚愕の叫びが加賀から上がる。

 

「何故、応石値の低いあれで、受け止められる?!」

 

 シールドの様な力場で応石獣は押しやられた。

 象牙質の蛇体がずるずると滑って、数メートル後退する。

 

「それは〈偽〉なのか」

 

 桜色の髪を持つ娘が発した問いに、君武と対峙するそれは改めて予算委員の持つ〝夜叉女〟を凝視した。

 応石によって得られる感覚を変換する。

 赤外線や紫外線。更にオーラすら探知出来るモードから、応石を探知するそれを選択すると、君武の刀の中に応字が見えた。

 〈偽〉。

 〈人〉と〈為〉を融合させた複合応石である。

 

『〈偽〉だと、それは』

 

 その声は錬金術師その物ではあるが、肉声では無く思考波で、しかも声を発したのは錬金獣であった。

 

「貴様か!」

 

 予算委員は、加賀大膳を支配しようとする者の正体を見極めた。

 〈蛇牙〉が恐怖に震えたのが判った。

 慌てて後退しようとする牙の集合体に向かって、上段から斬り下ろした後に返す刀で下段から斬り上げると言う、南一刀流の必殺剣〝もろみ返し〟が炸裂する。

 

『がぁぁぁぁ!』

 

 応石獣が弾けた。

 同時に背後に浮かんでいたあの〝邪石〟も、大音響を伴って破裂したかに見えた。

 強烈な赤い光と、蛍火にも似た青い光が混ざり合い、光の洪水を撒き散らした。

 少なくとも君武南豪は、意識を失う前にそんな光景を目に収めた記憶がある。

 

            ★        ★        ★

 

 全ては加賀の元に現れた、応石〈蛇牙〉が起こした事であった。

 応石も単体で心を持つ独立した存在だ。

 人間が全て画一では無い様に、応石自体の持つ心も善悪様々である。

 応石の心。それはまだ幼く、経験不足の幼児に等しいレベルに過ぎない。

 そう、心を与えられたあの日から、最大でも僅か二年しか経過していないのだから。

 

 通常の応石はその性質上、自分を構成する応字の意味によって左右される。

 前序した通り、〈暴〉の応石がやたら乱暴なのも、〈走〉の応石が走りたがるのも、最初に刷り込まれた前提条件、アーキタイプとして自分の意味を忠実に再現しようと言う本能なのだ。

 心を与えられた応石であっても、これらの応字に左右され、意味に己が引きづられ性質はまだまだ治っていない。いわば、鋳型から出来上がったばかりの画一的な性格から、ようやく一歩を踏み出した段階なのだ。

 

 経験を積んで自我を成長させて行けば、本質には左右されるだろうが、それらの性質は薄くなるに違いない。

 例え、同一の応石であっても、双子が年月を重ねると全く別の人格に育つ様に。

 

『太守の持つ巨大応石から生まれたばかりの〈蛇〉は、まだ本質に囚われたままでした』

 

 マリーンがゆっくりと語り出す。

 

『彼が何処で〈牙〉を取り込んだのかは判りません。しかし、蛇の本質、人々が抱く蛇と言う意味を持って、加賀君の悪しき心を解放せんとした事は確かです』

 

 エデンの楽園。禁断とされる知恵の実を食べる様にそそのかす蛇。

 錬金術のシンボルの一つ。とぐろを巻いて自らの尻尾を咥えるウロボロス。

 破壊と再生。永遠の象徴。それが蛇。

 

『かの〝邪石〟が力を貸す者は人間とは限りません。

 心を持つ者であれば分け隔て無く、そのパワーを与えます』

「地縛霊に引き寄せられて、その力を行使した事もあると聞くがな」

 

 果林の言葉を聞き流しながら、マリーンは続ける。

 

『そう、最初に〝邪石〟と接触した〈蛇〉は、次に自分の力を発揮してくれるだろう禁断の知識を持つ宿主を探し出しました。

 それが、たまたま行石を持っていた加賀君だったのです』

「そうして加賀に取り憑いて、少しずつ精神を侵食して行ったのか」

 

 僅かに呻いて、君武が目を覚ました。

 

「桜…」

 

 発光している桜を見上げて呟く。すぐ側には横座りをしたジャネット・果林が彼を君武を見詰め、幽体のマリーンが浮かんでいた。

 

「無茶をする奴だな」

 

 果林かそっと頬を突く。

 

「〈偽〉と言えば、応石でも最凶と言われる〝傷石〟だぞ。そんな代物を使うとはな」

 

 傷石(しょうせき)とは〝応石を傷付け、使用不能にしてしまう〟と言われる特殊な応石であり、本物はかの第一生徒官、南豪君武が所有していたとされるが、応石封印以来行方不明だ。

 

「厳密に言えば、ありゃイミテーションに過ぎんよ。

 どうあがいても、短時間しか効力が保てん…な」

 

 上半身を起こす。応石を使用するには体力を消耗するのが普通だが、あのイミテーションを作用させるだけで、今まで以上に憔悴しているのが自分でも分かる。

 

『それでも危ない事に変わりはありませんよ』

 

 マリーンが警告した。

 応石は決して便利な魔法の道具では無い。応石とその所有者は一種の共生関係にあり、応石に強力な使用を強いれば強いる程、その代償として生命力を消耗する。

 最終的には所持者の死に至るまで、消耗を強制する場合すらあるのだ。

 

『あの〝邪石〟で身を滅ぼした者達の大半が、限度を超えた応石の使用による自滅だったのですから』

「承知の上だったよ」

「死ぬ寸前だったのに、強がりを言う奴だな」

 

 果林が会話に割って入る。

 こつん、と頭を小突くとマリーンの方を見て微笑む。

 

「お前、マリーンの存在が…?」

 

 君武が驚いて、マリーンと果林の両方を見比べた。

 

「ああ。これを山城から貰ったからな」

 

 平たい紅珊瑚状の円盤を取り出す。

 予算委員が最初に入手した琥珀の円盤とは種類が違うが、それは行石であった。

 応石値0の、単体では何の役にも立たない空っぽの石だが、応石を所持するに当たって必要とされる基本の石である。

 〈木〉〈火〉〈土〉〈金〉〈水〉(もく、か、ど、ごん、すい)の五行に対応した種類があり、君武の所有石には〈土〉。果林のそれには〈火〉の応字が浮かぶ。

 

『貴方の〈為〉と同じく、彼の遺志でした』

「山城は、やっぱり天才だったのかも知れないな」

 

 擬似傷石を作成するアイディアは、元はと言えば山城の発案だった。

 後の事を考えて、君武と果林それぞれに応石と行石を託したのだろうか。

 

「そうだ。先輩は?」

 

 君武の問いに女性二人は顔を見合わせた。

 

『生きてはいます』

「おいっ、それはどう言う意味だ?」

 

 君武は傍らの果林に血相を変えて問いかける。

 

「重傷だ。熱線を全身に浴びたのだ」

 

 彼女は視線でその位置を示した。

 桜の樹の根元辺り、加賀はそこに横たわる形で眠っていた。

 

「〝邪石〟の暴走に巻き込まれたのだ」

 

 破裂にも似たその力の解放。

 君武は応石の自己防衛本能が働き、果林もまた、マリーンの作った障壁によって護られた。

 だが、君武の攻撃で応石を強制分離された錬金術師は、至近距離からその力をまともに受けてしまったのである。

 

「それでも〝邪石〟や〈蛇牙〉は滅んだ訳じゃあるまい。新たな宿主を求めて。一時的に飛び去っただけだろう」

「そんな事はどうでもいい。助かるのか?」

 

 答えは沈黙であった。

 

『私にそれを言わせるのですか?』

 

 マリーンの幻影が、小さな肩を震わせながら呟いた。

 

「ああ、マリーン…」

 

 桜の根元から苦しそうな声が上がった。

 

『加賀君』

 

 ふわりと金髪の少女が彼に近付く。

 

「捜したよ…こんな所に居たんだね」

『墜落の爆発で、私の身体は四散しちゃったけど、私の心は〈休〉が復元してくれたの』

「そうか…」

 

 動乱当時、加賀とマリーンが共に所有していた応石は〈人〉。

 そして彼女は〈木〉行であった。

 加賀は青白く光る桜を見上げながら呟く。

 

「〈人〉と〈木〉か。マリーンは桜が好きだったからね」

 

 小さく首を縦に振りながら、幽体のマリーンが涙をこぼす。

 

「泣くなよ。君が俺を突き飛ばしてくれなければ、ここで君と再会する事も無かったんだからね」

 

 これでいいんだと加賀は思う。

 多分、自分はマリーンに謝罪する為に研究を続けていたのだ。応石の力を借り、反魂させた精神を応石人として甦らせるた為にだ。

 課程と結果は違えども、彼はマリーンと再会出来たのだから。

 

「君武、いや、南か?」

 

 次に加賀は予算委員の方を向いた。

 

「迷惑を掛けたな…すまん」

 

 その時だった。第三者のだみ声が響いたのは。

 

「ジャネット!」

 

 君武が振り返ると、そこには非常連絡局(GESTACO)の制服を着て拳銃を手にした神経質そうな男が立っていた。

 

「くっ!」

 

 反射的に白いレオタードが回避行動を取る。

 

「無駄です」

 

 引き金へ掛かる指に力が込められる。

 

『止めてぇぇ!』

 

 9ミリパラベラムの乾いた音が木霊した。

 

『嫌ぁぁぁぁ!』

 

 だが、スローモーションの様にゆっくりと倒れたのは果林ではなかった。

 不意に立ち上がって果林の壁となった加賀の長身である。

 

「ちっ、ま、まぁいい。

 どうせ応石使いも、この事件に関わった連中も全て抹殺せねばならないのですからな」

 

 半狂乱となって泣き叫ぶマリーンの横で、少佐が冷たく言い放つ。

 応石を持たぬ者は、石の表面に浮かび出る応字を始めとする、応石の発する各種の現象を知覚する事は殆ど無い。

 当然、少佐は応石の力を使って意志を伝えるマリーンを感じる事は無かったのだ。

 

「貴様…」

 

 睨み付ける女公安委員に対して、少佐は無慈悲に銃を向けた。

 

「応石使いは二人。一人は加賀大膳」

 

 倒れている錬金術師を一瞥する。

 

「もう一人は、どうやら貴方の様ですね。さぁ、〝邪石〟は何処ですか?

 答えなさい」

 

 銃口を果林に固定したまま、少佐は予算委員へ目を走らせた。

 

「このむかつく野郎は、誰だ?」

 

 汚物でも見る様な視線を少佐に送りながら、君武は果林に問うた。

 

「非常連絡局特殊治安部隊の少佐殿だ。

 名前は…口が汚れるから、言いたくも無い」

 

 心底嫌悪した口調で、ジャネット・果林大尉は答えた。

 

「ふん。君は山城の報告だと君武南豪とか言いましたね。

 ふざけた名前だ。私のセンスに合いませんな」

 

 二人は完全に少佐の言葉を無視した。

 

「成る程、こいつが山城の上に居た奴か」

「恐らく、間違いあるまい」

「御名答です。そう言えば、山城はどうしましたか?」

 

 少佐は山城が足りないのを認めると、その安否を同僚に問う。

 

「彼は亡くなったよ」

 

 君武のその返答に、少佐は笑みを浮かべる。

 

「それは結構。秘密を知る者が減りましたからね」

 

 その言葉にはまるで人間味が感じられなかった。

 

「私もその対象なのだろう?」

 

 果林の問いに、少佐が肩をすくめる。

 

「貴女が私の事を嗅ぎ回る様な真似をせねば、もう少し長生き出来たんですがね」

 

 少佐の手に収まったグロック17が火を噴いた。

 その銃弾は全弾、非常連絡局のライバルに命中した筈だった。

 通常ならばだ。

 

「効かないぞ」

 

 だが、予想に反して彼女は無事だった。

 

「馬鹿な」

 

 焦った少佐が再び乱射する。再度の銃撃が降り注ぐが…。

 

「それで?」

 

 果林がレオタードの腰に手を当てて、背筋も凍り付きそうな薄紫の瞳が少佐を睨む。

 

「本当に防弾だとでも言うのか?!」

 

 少佐はパニックに陥った。

 学園新体操部のレオタードは、銃弾をも弾き返す衝撃耐久性を有すると噂されているが、それは真実だったのか?

 

「お前には判るまい」

 

 と果林。

 彼女を護る様にしてマリーン、この場合は応石〈休〉であるが、それが衝壁を張ったのである。

 

『…許さない』

 

 マリーンが怨嗟に満ちた呟きを漏らした。

 怒りに身を震わせる様にざわっと、桜の枝葉が揺れて、花びらが乱舞する。

 

「な、何だ」

 

 マリーンの姿を感じられぬ少佐も、後ろの巨木の異常は察知出来る様だ。

 銃口を桜の樹に定めて発砲しようとするが、多量の裝弾数を誇る彼の拳銃も流石に弾切れだった。

 

 何本もの枝が凄まじい速度で伸びた。

 枝は少佐をすくい上げると、そのままスコップから土を放り投げる様に投げ捨てた。

 少佐の身体は、まず優雅に吊り下がったアールヌーヴォー調の照明器具にぶつかって硝子を砕いた後に、勢い良く天井に激突した。

 

 リバウンドしたその身体は、次に重力に引かれて大地を目指す。

 その落下する先には、奈落の底へ通じる例の大穴が口を開けている。

 キラキラした硝子の破片を纏って、少佐は悲鳴も上げずに暗黒へと引き込まれていった。

 

「先輩!」

 

 駆け寄る君武と果林。

 

「操られていたにせよ、多数の人間を殺めてしまったからには責任を取らねばならない。

 …違うか?」

 

 苦しい息の下、加賀が口を開く。

 

「終わりにしよう。マリーン」

 

 こくんと金髪の少女は小さく頷き、先刻同様、桜の枝が伸びて加賀の身体を包み込む。

 同時に桜の枝が、残りの両者の身体をも拘束した。

 

「何の真似だ」

 

 予算委員が抗議する。

 

『加賀君と私の望みです。

 此処は封印します。この校舎は永遠に…』

 

 厳かにマリーンが宣言すると君武と果林を掴んだ枝が伸び、強制的に彼らを廃校舎の外へと連れ出そうとする。

 

「おい」

 

 建物が揺れ始めた。

 視界の隅でマリーンと加賀が抱き合いながら、こちらへ手を振るのが見えたが、がらがらと落ちてくる瓦礫が邪魔で良く確認出来ない。

 

「くそっ、三流ファンタジー映画のラストじゃあるまいし」

「私は〝ジャックと豆の木〟を連想したぞ」

 

 罵る君武と、どことなく醒めた果林の言葉も空しく、果林の言葉通りジャックと豆の木の如く、桜の枝は凄まじい勢いで地上へ伸びて行き、地上に出た時点で二人は有無を言わさず外へと放り出された。

 

「先輩っ!」

 

 廃校舎が崩壊して行く。

 

『さようなら…。そして、ありがとう』

 

 微笑みを浮かべるマリーンの姿と思考波が微かに響き渡った。そして、それを最後に四号廃校舎は完全に地中へ姿を没していた。

 

 跡には、君武らを地上へと導いた一本の桜だけが残された。

 

〈続く〉




全く関係ない裏話。

君武南豪はTRPG『蓬莱学園』(旧版)でのNPCでした。
決め台詞は「ふん、下らん!」
実は君武。破勢天輝氏の直筆イラスト付きキャラシートなんて物も存在します。

ジャネット・果林も別のシナリオのNPC。
昔、彼らは『自由の旗』のPBMにも登場した事があります(笑)。

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