--兄さん!
来るであろう衝撃に固く目を瞑ってしまった瑠璃だったが、いつまでも何も起きなかった。代わりに起きたのは体を強かに打ち付ける痛みではなく、悲鳴のような咆哮だった。それは自分でもなく、ましてや新人のアークスでもなかった。悲鳴をあげたのは、トレインギドランだ。瑠璃は目を開ける。そこには空からの数多の矢を浴びて後退する幻創の龍の姿があった。それを成したのは自分でも新人のアークスでもない。誰が--と思った瞬間に答えは後ろから現れた。
「うちの妹になにをしてくれてるのかなこいつは」
そして、聞きなれた--安心する声が背後から聞こえる。その声の主は瑠璃の前に立つ。片手にバレットボウ--強弓を持ち、黒いコートのような戦闘服を身にまとっている彼。その姿はもう何度も見てきた--いつも守ってくれて自分が一番信頼している背中だ。しかし、まさかこの場に来るとは思わなかったその姿に彼女にしては珍しい呆けた声を上げる。
「兄、さん……?」
「危なかったな」
警戒しているのか振り返らずに言葉を返す彼。その声音は確かに兄のもので--瑠璃は自分がほっとするの感じた。彼は背中越しに妹に声をかける。
「俺も東京に来ててさ、ラプラスの悪魔を狩ってたら偶々研修してた候補生たちに出会ってな」
いつもの調子でしゃべりながら彼はフォトンで形成した矢を強弓につがえる。
「はぐれた仲間がいて探してほしいって頼まれてさ」
そこでちらりと座り込んでいる彼女を確認するように見る。次から次へと変化する展開に彼女は処理が追いつかず、茫然となっているようだった。
「その娘のことだから安全なところまで連れて行ってあげてくれ」
こいつは俺が倒しておくからと何でもないように言って引き絞った弓矢から矢を放つ。矢はフォトンの残光を描きながら態勢を立て直しつつあった機械仕掛けの龍へと直撃し、また態勢を崩させる。
頼もしい兄の言葉にわかりましたと素直に頷こうと--
--それでいいの?
「……」
心の声が聞こえた気がした。思わず体の動きを止めてしまう。
瑠璃は考える。このまま彼女を安全なところに連れていくのが正しいのか。連れていくこと自体は正しい。それが自分がすることが正しいのか。このまま兄に任せてしまえばつつがなく終わるだろう。
「瑠璃?」
いつまでも動かない妹に不審に思ったのか兄から声がかかる。妹はもう一度兄の背中を見た。大きくて広い--いつも守ってくれた背中だ。私はどうしたかったのか。この背中を後ろから見るだけでよかったのか。自問する。
--違う。
答えは自分の中から端的にはっきりと返ってくる。
--私はあの背中を見るためにアークスになったわけじゃない。
自分にとっての原点を思い出した。ならどうするかなんてことはもう決まっていた。
妹はさらに兄より前に立った。そして振り向かずに口を開く。
「兄さんがその娘を連れて行ってあげてください」
ここで自分が連れていけば何のためにアークスになったのか。その意味を失ってしまう。
「大丈夫か?」
確認するような--少し心配そうな声音が混じった声が後ろから聞こえる。瑠璃は自分の体を確認する。彼が敵の動きを止めてくれていたおかげで、平衡感覚は元に戻っていた。体に力も入る。確認し終えて瑠璃ははっきりと答える。
「いけます。任せてください」
--女の意地の張りどころ、です。
一瞬の沈黙のあと。答えはたった一言だけ返ってきた。
「任せたぞ」
「はいっ!」
たった一言、それだけでも瑠璃は心が沸き立つのをはっきりと感じた。その感情のままに地面を強く蹴って飛び出す。
トレインギドランは今度こそ完全に態勢を立て直していた。ダメージはあるはずだが、この機械龍の体は硬い。的確に弱点を攻撃しなければまともにダメージを与えられないのだ。先ほどの彼の攻撃は牽制で弱点を射抜いたものではなかった。ならまだかなりの余力を残しているはずと瑠璃は推測する。それを証明するかのように距離を詰めてくる彼女に雄叫びを浴びせる。その雄叫びは怒りが籠っているように猛々しくも荒々しい。だが瑠璃は止まらない。そんな彼女を迎え撃つかのように鎌首のようにもたげていた首を勢いよく突き刺すように振り下ろした。標的は無論彼女だ。
振り下ろされた首は最初に瑠璃を捉えた突撃と遜色ない速度で迫る。
だがしかし、すんでのところで躱された一撃は地面に突き刺さる。
轟音。地面が揺れる。躱した瑠璃は地面に突き刺さるように叩きつけられた首の側面に回り込んだ。そして足を肩幅くらいに広げて体を捻じる。彼女の手には両剣は握られていなかった。代わりにあるのは黒く重厚でありながらも金の精緻な装飾を施された手甲だ。先端には刃が取り付けられている。彼女のクラスファイターが扱える両剣以外のもう一つの武器--ナックル--剛拳だ。
「はぁ!」
体を捻じり、身体ごとたたきつけるような右のフックを繰り出す。狙うのは首の側面にある光点だ。その光点こそが弱点であり、そこを狙わなければ効果的にダメージを与えることができない。彼女の拳は正確に光点を撃ち抜いた。首が叩き付けられた時の轟音に負けないくらいの轟音が響く。拳にも確かな手ごたえが伝わってくる。苦悶に満ちた鳴き声が機械龍から聞こえる。だが瑠璃が追撃を仕掛ける前に首を持ち上げられてしまう。剛拳では届かない。
だが追撃を防ぐことはできなかった。首を持ち上げた刹那--瑠璃は武装を切り替えていた。彼女の両手にあるのは二振りの剣だ。ファイターの三つ目の武装--ツインダガー--双小剣は空中戦を得意とする武装だ。
瑠璃は跳躍する。だがその跳躍力は通常の彼女のそれではない。フォトンを推進力としてより高く跳んだのだ。高められた跳躍力は持ち上げられた首に容易に届いた。光点とすれ違いざまに双小剣を掬いあげるように--レイジングワルツというPAだ--振るって切り裂き、追撃を掛けた。思わぬ追撃にトレインギドランは態勢を崩す。弱点への連続攻撃で死に体となる機械龍
。
--私は!
瑠璃はダメ押しの一撃を加えるべく、中空で身体に巡らしているフォトンを脚部に集中させる。そして心の中で強く思う。自分がアークスになった理由を。
--兄さんに守られるだけじゃなく、いつか--!
「並んで戦えるように--!」
誰も聞く人もいない内心を静かに吠える。守られるだけじゃなく、守りたいその背中を見るだけなのは嫌だと--だから守護騎士の妹はアークスとなった。いつか並んで戦えるようにその背中を守ることを目標にして--
そしてその信念と共に、最後の一撃を放つ。
脚部に集中したフォトンを蹴りと共に叩けつける双小剣のPA--シンフォニックドライブ。集められたフォトンにより、淡い青の光を放ちながら急速に落下していく。その姿は流星のようでいて--機械龍は青の流星に貫かれて機能を停止した。
†
「おかえり」
見事トレインギドランの討伐を果たした瑠璃は、アークスシップに帰還した。もちろんフランカの依頼の品を--実は倒したことで満足してそのまま帰還しそうになったのは余談だ--回収するのを忘れずに。ヒツギ達に会いに行くこともできたが、思ったよりも疲れてしまったので合わずに帰還していたのだった。
そんな任務帰りのアークスを入り口で出迎えたのが彼女の兄だった。
彼はあの新人アークスがどうなったかとどうしてあの場にいたかを説明するために待っていたらしかった。
彼によると、瑠璃の想像通り東京で候補生の実践研修があったのだ。担当官がエネミーの対処の仕方を実際に戦いながら教えているところに、エーテル体の暴走車両が出現したとのこと。それ自体はイレギュラーではあるが、珍しいことでもないので担当官と候補生はことに当たっていたのだが--その時のどさくさで一人はぐれてしまい、そのはぐれた候補生が運悪くあの場面に遭遇した--というのが経緯らしかった。
「その担当官はこってり絞られるそうだ」
研修の担当官は監督不行き届きとして教導部でかなり叱責されるという。瑠璃は苦笑する。故意ではないとはいえもう少しで大事故につながるところだったのだ。仕方のないことなのかもしれない。
「あとあの候補生の女の子、謝ってたぞ」
件の候補生はというと彼が無事安全なところまで送り届けていた。送り届ける間、自分のせいでと悔やんでいたそうだ。瑠璃は彼女のことを恨んでいなかった。自分の油断が招いた危機だった。彼女を恨む理由は一つもなかった。むしろ申し訳ない気持ちが芽生えていたりしている。
「今度改めて謝りに行くってさ」
--気にしないでくださいと伝えないといけないですね。
瑠璃は会ったときの言葉を考える。彼女には未来の同僚として頑張ってほしいと思っていた。
ここまで話して彼は言葉を切った。少しの間沈黙が続く。瑠璃は経緯と顛末の話だけなら今の内容で終わりのはずだ。まだなにかあるのかと内心で首を傾げる。やがて神妙な顔をして彼が口を開いた。
「どうしてあの時自分が倒すって言ったんだ?」
あの時とは候補生を連れて逃げるようにと言われた時のことだろう。
--何か駄目だったんでしょうか……?
あの時は自分の意地と呼べる感情で倒すと言ったが、他に何か優先すべきことがあったのだろうか--と質問の意図を図りかねて思考を展開していく。自然と表情も暗くなっていき--それを見た兄は慌てて両手を振って口を開く。
「あぁいや違う違う。怒っているとか間違っているとかじゃなくて--油断したのはダメだけどあの時瑠璃が自分が倒すって言ったのが意外だったんでな」
だから訊いてみたくなったと言って苦笑して頬を掻く守護騎士。
--そんなに意外だったでしょうか?
どうやら悪いことではないとわかったので顔色は悪くならなくなったが、守護騎士の兄の言葉に瑠璃はもう一度内心で首を傾げる。もう一度振り返ってみれば、確かに素直に従いそうになっていた。ということはいつもは素直に言うことを聞いているんですねと自分で結論が出た。確かにそうなればああ返したのは意外だったのかもしれないと思う。ではなぜあのようにしたのか。答えることは出来るのだが--
--そのまま伝えるのは恥ずかしいですね。
並びたてるようになりたいと目標にしている本人に伝えるのは憚られた。あなたのために頑張っていますと本人に言うなんて恥ずかしいではないか。ではどう答えるか--うーんと頭を悩まして考える。その間、兄は何も言わずに答えを待った。
「そうですね」
そう前置きして瑠璃が口を開いた。微笑を浮かべて彼に伝える。
「意地、ですね」
あの時あったのは、また守られたくないという意地だ。嘘は言ってなかった。
「意地……?」
「はい」
きょとんとした顔で兄はオウム返しで言葉を繰り返し、瑠璃は微笑して頷く。その様子に彼はやがてそうかと呟いて微笑を浮かべた。
「強くなったな」
そう言って兄は妹の頭を撫でた。小さいころはよくやってくれた--今では久しくされることのなかった仕草。瑠璃はそれだけで心が暖かくなるのを感じる。そして思う。
--待っていてください兄さん。いつかきっともう一度言わせて見せます。
その時はきっとまた別の意味になっているだろうから--と守護騎士の妹は決意を新たにする。
--けどその前にやることがあります。
そのやることのために瑠璃は口を開く。さりげなく兄の手を掴むのも忘れない。
「兄さん」
「なに?」
瑠璃はにっこりと笑みを浮かべる。ただしその笑みは先ほどとは違い、妙な圧力を感じる笑みだが。色で表すと黒の笑みだ。兄は妹の笑みを見て反射的に逃げようとするが、掴まれた手によって逃亡を阻止される。やばいと顔が引きつる兄に向って変わらず笑みを浮かべたまま口を開く。
「今朝パティさんから聞いたんですが、兄さんの実践研修大変だったんですか?」
あ、終わったとこういうことに勘が鋭い兄は観念する。逃がさないためか万力の如き力で手を掴まれている。笑顔の裏に渦巻く感情など火を見るより明らかだった。
「おかしいですね?私は何事もなく終わったと聞いていたのですが……詳しく聞いてもいいですか」
観念した守護騎士は返事をする代わりにがっくりと首を落とした。この出来事のすこしあと、またいつかの時のようにフランカ´Sカフェの一角が人が近寄れなくなったという。