入学式も終わり、授業が始まった。
アリスと同じクラスになれたのは嬉しかった。ちなみにあれから仲良くなったミリアとも同じクラスだ。
担任は若い男性の人で、名前はエリック・バルトンといった。
サークリスでは魔法隊と剣士隊、二つの自衛軍が防衛・治安の維持を担っているのだけど、彼はその片翼である魔法隊にも籍を置く特任教師だと言う。しかも、若手のホープと言われているエリートらしい。
授業は、魔法学、魔法史、魔法薬学など、様々な科目がある。それぞれの科目ごとに専門の教員が講義をしてくれる。出席するかどうかは生徒の自由だけど、期末には試験があるから、みんな真面目に受けて出席率は高いと聞いた。もちろん私も受けられる限りはちゃんと受けるつもりだ。
魔法学の最初の授業では、魔法の分類について習った。
まあ分類とは言っても、魔法を使えば実に様々なことができてしまうため、属性の境界が曖昧で厳密に分けるのは難しいみたいだ。火を起こせば火魔法、水を操れば水魔法といった具合に、結構適当に名前を付けられている印象だった。
授業の最後には、ロスト・マジックについても軽く触れられた。
何でも昔には、時空魔法や光魔法といった、現在はほぼ失われてしまった魔法の系統があったらしい。この二種類の魔法を、ロスト・マジックの二大系統と言うのだそうだ。実際に研究によって復元された魔法のうち、二つが紹介された。
一つは、最近ギエフ研が発表したという収納魔法《サック》。異空間に収納スペースを作り出すことができる便利な魔法だ。まだ安定性や大きさに問題があるらしく、実用化に向けての研究が進められているということだった。
もう一つは、オグマ研による光源魔法《ミルアール》。光源魔法の名の通り、ライトの代わりになる魔法だ。こちらの方は既に実用化されて久しい。というのも、この町の夜を明るく照らしている魔法灯は、この魔法を応用して作られているのだとか。
どんなものでも、実用化された当初は価格が高い。だから最初は貴族街だけに設置されていたのだけど、次第に製造価格が下がっていって、今から二十年ほど前に爆発的に普及したという話だった。
話を聞いていて、ちょっと不思議だなと思った。
イメージ的に難しそうな時空魔法はともかく、火や水と比較して特別難しそうには思えない光魔法がロスト・マジックの一種だというのが、意外だったんだ。
気になって授業が終わった後に尋ねてみたけれど、なぜ光魔法がそこまで難しいのかは先生も知らないみたいだった。時空魔法と同じか、ものによってはそれ以上に複雑で復元するのが困難であるという事実をさらに教えてもらった。
うーん。とにかく難しいらしいってことだけはよくわかったけど、どうしてなんだろうね。そのうち触れてみる機会があったら、調べてみたいかも。
***
初日の最後は、魔法演習の時間だった。
担当の先生はベラ・モール。良い相手が見つからなくて結婚できないのが悩みだと自己紹介のときにのたまった、三十路のお茶目な女性教師だ。
初回は、手始めに外にある演習場で簡単な魔法の実技を行ってみるという内容だった。
「まずは基本のおさらいからしましょうか。初級の火魔法ボルクをやってもらいます。皆さんもう既にできるとは思いますが、一応お手本を見せますね」
モール先生は、右手を広げて突き出した。
「火よ。《ボルク》」
すると、彼女の一メートルほど先、何もなかったところに、小さな炎がぱっと現れた。
拳大の赤い炎は、消えることなくその場でゆらゆらと揺らめいている。何とも現実離れした光景だった。
モール先生が右手を閉じると、火はしゅんと消えてしまった。
みんなこの程度は見慣れているのか、一連の流れに対して特別驚きの声などは上がらなかった。でも私は、まさしく魔法という名にぴったりな光景にすっかり見とれていた。
へえ。これが魔法か!
こっちの世界の人にしたら当たり前なんだろうけど、何もないところから火が出るなんて本当に不思議だなあ。感動しちゃったよ。
私の感動なんていざ知らず、モール先生はさも平然とこちらを向いて、きびきびと説明を始めた。
「今はお手本なので、皆さんにわかりやすいように詠唱しました」
詠唱、してたね。火よ、ボルクって。いいな。わくわくするね。
ですが、とモール先生は続ける。
「もしも将来魔法隊に入って戦うだとか、学生同士で演習試合をする場合など、実際の戦闘で魔法を使うこともあるでしょう。そのときは、こんな風に堂々と詠唱はしないのが普通です」
そうなのか。普通は詠唱しないんだ。ふむふむ。
「魔法のイメージはすべて頭の中で形作り、心の内だけで発声、つまり無詠唱で行います。使用する魔法がどんなものなのかを、発動前に相手に悟らせないための当然の処置ですね」
なるほどね。無詠唱が基本というのはとても納得だ。よく漫画やアニメとかではやたら必殺技の名前を叫ぶけど、あれはあくまで演出向けであって、現実にはちっとも合理的じゃないもんな。
「もちろん日常の作業等で使う際は、周りに知らせるために詠唱すべき場面も多いと思います。そこは時と場に応じて使い分けて下さい」
なるほどなるほど。また一つためになったな。ちゃんと忘れないうちにメモっておこう。
熱心にメモしていると、隣のアリスから小声でつつかれた。
「あなた、真面目ねえ」
「そうかな」
「こんな初日のお話なんて、あなた以外誰もメモしてないわよ」
言われてみると、周りでメモしているのは確かに私だけだった。近くのミリアも、ただ黙って頷いているだけだ。
「でも私、なんにも知らないからね」
笑って返すと、「ほんと。楽しそうでいいわねえ」とアリスもどこか微笑ましいものを見るような目で笑顔をくれた。
「さあ。早速皆さんもやってみましょう。演習書の基本課題『火魔法の第一歩 ボルク』から順番に始めて下さい。すべての基本課題が終わった方は、応用課題『ボルクの出力制御』、発展課題『ボルク五連射』にも取り組んでみましょう」
それぞれが実践に入る。
さすが魔法学校の生徒というだけあって、大抵の人は苦も無く一発で成功させていた。早い人は基本課題をすぐに終え、既に応用編に移っている。
私はというと、魔法にまったく馴染みがないから、演習書をいくら読み込んでもやり方がさっぱりだった。火魔法どころか、一般に魔法そのものがどういう原理で使えるのかもよくわからない。「魔法を使う感覚」というのは、この世界の人にとってはあまりに当たり前のことなのか、教科書以前の部分として一切書かれていないみたいだ。
仕方がないので、周りがやっているのをよく見て形だけ真似してみる。
ボルク、ボルク……。やっぱりダメだ。ちっとも上手くいかないよ。
ここは素直に観念して、隣でもう発展課題をやってる友に頼ろう。
「アリス。やり方教えてくれないかな。どうしたらいいかわからなくて」
アリスは面倒がったりはしないで、優しくニコニコ笑って教えてくれた。
「そっか。ユウは魔法使ったことないものね。魔素を身体に取り込んでから明確なイメージを練らないと、魔法は使えないのよ。ゆっくりやってあげるから、よく見ててね」
アリスは大きく息を吸い込んだ。
よく目を凝らすと、不思議なことに、彼女の全身にうっすらと何かが取り込まれていくのを「感じ取る」ことができた。
あれが魔素を取り込むというやつなんだろうか。
それから彼女はすっと右手を伸ばし、毅然とした声で魔法を唱えた。
「小さき火よ。《ボルク》」
次の瞬間、彼女の前に綺麗な紅炎が生まれた。モール先生がお手本で見せたのとまったく遜色がない。他のクラスメイトがやっていたのも色々見てたけど、それと比べても明らかにワンランク上のでき映えだ。
「すごい……」
つい感心の溜め息が漏れた私を見て、アリスはちょっぴり得意気に頭の後ろを搔いた。
「えへへ。あたし、昔から火魔法は得意だからね」
それから彼女にいくつか追加でアドバイスというか、コツを教えてもらった。
「じゃああたしは自分の課題に戻るけど、またわからないことがあったら何でも気軽に聞いてね」
「うん。ありがとう」
アリスが何度か丁寧に見せてくれた魔法の放ち方。よく頭で反芻して、イメージする。
よし。もう一度トライしてみよう。
魔素を取り込むためには、意識を外に向けて開かないといけないらしい。
そのことを念頭に置いて集中すると、確かに身体に何かが入りこんで来るような独特な感覚があった。地球ではまったく感じたことがない、全身に温かいエネルギーが満ちていくような、そんな不思議な感覚だ。
魔素が内側をふわりと満たしていく。
……こんなものかな。だんだん溜まってきた気がする。そろそろ撃つ方に移ってみようか。
体内に満ちた魔素を練り上げて、しっかりと発動の形をイメージする。イメージが少しでもぶれると、正しい魔法を撃つことはできない。ここが肝心だ。
なるべく強い炎を打ち出すようなイメージをしてみた。
うん。何だか今度はいけそうな気がする。
左手を突き出して、はっきりとした声で宣言する。
《ボルク》
すると、今度こそ目の前にはちゃんと炎が現れてくれた。
やった! 出た!
意外とすんなりできた! やればできるじゃないか!
まさか自分が本当に魔法を使える日が来るなんて思わなかったから、感動しちゃうな。
ん? でも――あれ?
どうも様子がおかしいことに気付く。
なんか、さっきからどんどん火が大きくなってないか? それに、形が――。
他のみんなは、普通に物を燃やした時に出るような炎を出していた。それに対して、私が出した炎は次第に大きな火の玉を成していく。しかもみんなの炎は彼らの意志のままにすぐ消えるのに、私のやつはいくら念じても一向に消える気配がない。
やばい。どうしよう。
「なあ。これ、どうやって消したらいいと思う?」
こっちを振り向いたアリスが、目を丸くしてぎょっとした。
「えー、なによそれ!? どうしたらそうなるのよ!?」
「まるで別の魔法、ですね」
この事態に気付いたミリアも、横で大いに呆れながら突っ込んできた。
「いや。えーと……。それが、どうしてこうなったのかさっぱりで」
炎を打ち出すようなイメージの仕方が良くなかったのかな。ファイアボールみたいなのを無意識に想像してしまったのかもしれない。もっとこう、噴出するような感じにしたら良かったのかも。
「ってユウ、よそ見しちゃダメ! コントロール!」
「あ!」
アリスに言われて気付いたときには、もう遅かった。
完全に制御を失った火の玉は、演習場の端まですごい勢いでぐんぐん飛んでいき、そして――。
安全用の魔法障壁――並の魔法ならびくともしないはずの強力なガードを、見事にぶち抜いて――学校中に聞こえるほどの爆音を轟かせた。
うわあ。うわあ……。
それしか出てこない。
周囲は騒然とし、場の空気は一瞬で凍りついてしまった。
やらかしてしまった当の私は、魔法というもののあまりの威力に、ぽかんと口を開けたまま突っ立っているばかりだった。
あれ、ほんとに私がやったのか……。
あまりのことに、どこか他人事のようにさえ思えてきて。
もうやだ。地球帰りたい。
「あーあ。やっちゃったね」
アリスがしーらない、って顔して呆れている。ミリアは楽しいもの見ましたとばかり、目を細めてクスクスと笑っている。
ああ……。私なんだよな。あれやったの。
「ホシミさん! あなた何やってるんですか!」
モール先生の怒声が、演習場に響いた。
はっと我に返った。慌てて全力で頭を下げる。
「す、すみません!」
その後、みっちりと反省文を書かされてしまった。
ダメだ。このままじゃまずい。
激しい焦りを感じた私は、アリスとミリアに付き添ってもらって、放課後に散々居残り練習をした。あんな危険な威力がある魔法、一刻も早く使いこなせるようにならないと。
そうしてようやく通常のボルクを習得できた頃には、もうすっかり日が暮れていた。何度も失敗して大変だったけど、おかげでだいぶ魔力の扱いのコツは掴むことができた。
これでも私は、昔から一度コツを掴むと、もう忘れない体質だ。おかげで翌日からは、そこまで変なヘマはしなくなった。
***
私はひたすら強くなるために、時間の許す限り懸命に学んだ。
どの講義も最前列で一生懸命ノートを取る。演習では進んで発展課題に挑んだ。
放課後には、図書館で魔法書を紐解いたり、この世界にはない地球の漫画やアニメで培った豊富なイメージを生かして、既存の魔法をアレンジしてみたり。
早く力をつけようと、かなり無理もしたかもしれない。
時には疲労で倒れてしまうくらい魔法に打ち込むこともあった。アリスとミリアに心配されることもしょっちゅうだった。
だけどそれでも、ペースを緩めてやろうとは思えなかった。いつも心のどこかで、焦りのようなものを感じていたんだ。
弱いままでは。このままじゃ、またいつか……。
強迫観念に駆られるまま、とにかく貪欲に魔法を学んでいった。おそらく、恐怖こそが原動力だった。
最初こそ苦労したものの、そのうち成績も魔力値に恥じない優秀なものとなっていく。
そうしていつしか、開校以来の天才アーガス・オズバインに次ぐ天才少女と言われるようにまでなった。自分でも驚きだったけど、それだけ必死だったのだろうと思う。
でも、初日の事件のせいで『ボルクで障壁を破壊した爆炎女』としても有名になってしまったのは、かなり笑えないけれど。
うう。今思い出しても恥ずかしいよ……。
最初は先輩面をしていたアリスも、次第に頭角を現してきた私に対抗心を燃やし始めた。私に負けまいと魔法の訓練で張り合うようになって、元々高い方だった実力をさらにめきめきと伸ばしていった。
いつも私たちの横で一緒に付き合っていたミリアも感化されて、大きく成績を上げたのだった。
***
そして気付けば、もう半年が経っていた。
サークリスは、毎年恒例のとある一大イベントに向けて着々と動き出し始めている。そのイベントに向けて、学校のみんなも準備を開始する。そんな時期だ。
まあここに至るまでの経緯は、もう少し後で話すことにしよう。
この半年間、女として学園生活を送る傍ら、私は男としてイネア先生との気剣術修行にも明け暮れていた。
こっちは本当に大変で、何度も死ぬような思いをする羽目になった。というか、実際何度も危うく死にかけた。まずはその話をしようと思う。