フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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8「男女それぞれの半年 男編」

 苦労しながらも楽しかった昼の学校生活に比べて、夜の修行も楽しかったけれど、内容は中々に過酷だった。イネア先生は本当に容赦なかった。

 

 

 シーン0

 

「言っておくが、私はスパルタでやるぞ。せいぜい死なないようにな」

 

 修行を始めるにあたって、いきなりの台詞がこれだった。

 しかも、目が本気だ。

 

「はい」

 

 死ぬほどの修行とは、いったいどんなものなのだろうか。

 このときはまだわからなかったけど、すぐに思い知ることになった。

 

 平日は気剣術校舎(通称、道場)で修行し、休日は知らない山や川などへ連れて行かれた。そうした大自然の中で、泊りがけで修行することもあった。

 イネア先生は凄腕の気の使い手だ。だから相対的にあまり魔法は得意ではないが、ネスラという種族の特性で転移魔法というものを使えるらしい。予め魔力でマークを付けた場所に限るけど、俺を連れてほんの一瞬で飛んで行くことができる。

 おかげで移動そのものは楽だった。移動だけはね……。

 

 

 シーン1 道場にて

 

「まずは今見せた諸々の型を各千回ずつやれ。一回一回気を抜かずしっかりやれよ」

 

 初日からいきなり木剣を持たされて、様々な型通りに剣を振るう練習を命じられた。

 しかも千回ずつって。剣なんて、全然握ったことないのに。

 

「マジですか……」

「ほう。嫌ならやめてもいいのだぞ?」

「いえ、頑張ります」

 

 俺は、とんでもない人の弟子になったのかもしれない。

 

「一! 二! 三!」

 

 気合いを入れて、まずは剣を頭の上から縦に振り下ろす型を始める。剣道でいうと面みたいなものだ。

 身体の中心線から剣筋がぶれないように気を付けながら、一回一回声をきちんと出してやっていく。

 元気よく声を出して剣を振っていたけれど、それも最初のうちだけだった。

 

「ぜえ……ごひゃく、よんじゅうご……ぜえ…………ごひゃく……はあ……はあ……よんじゅうろく……」

 

 いよいよ息も絶え絶えで、声にも張りが出せなくなってきていた。

 ダメだ。腕がしびれて、もう剣をまともに振れないよ。高々五百回でこれなのに、まだあと何千回も残ってるなんて。

 全部やり切るなんて、とてもじゃないけど無理だって。絶対無理!

 早速心が折れそうになっていると、しっかり見抜かれていたのだろうか。厳しい顔のままつかつかと歩み寄ってきた先生に、ビシッとデコピンされてしまった。

 これがまた強烈に痛くて、木剣をその場に取り落とし、額を抑えてうずくまってしまうくらいだった。

 

「こら。気が抜けているぞ。この甘ったれめ」

「ひゃ、ひゃい! すみません! しっかりやります!」

 

 涙目になりながらそう答えて、どうにか立ち上がる。

 でも、気持ちに身体がついていかない。次の一振りも、疲労からどうしても剣に勢いがなくなってしまっていた。

 俺のへなちょこぶりを目の当たりにした先生は、頭が痛そうに額を抑えた。

 

「これくらいならさすがに普通にこなせるだろうと思っていたが……お前はいったいどんな呑気な世界で暮らしてきたのだ。身体が弛み過ぎだ!」

「うっ。ごめんなさい。こんなに身体動かしたことなんて全然なくって……」

「はあ……仕方ない。今日だけは、終えるまで私が横でずっと見ていてやる」

「え?」

 

 さっきまでは手前に任せるって感じで放置気味だったのに。

 先生って口も態度も厳しいけど、実はかなり親身な人なんだろうか。

 

「その代わり少しでも気を抜いたら、先ほどのようにお仕置きだからな。最後までしっかりやるんだぞ」

「はい!」

 

 先生が付いてくれるということで、元気が戻ってきた。

 重たい腕を持ち上げて、素振りを再開する。

 

「五百四十八! 五百四十九! ごひゃくご――」

「待て」

 

 が、すぐにぴたりと静止がかかる。俺はつい間抜けな声を上げてしまった。

 

「ほえ?」

 

 どうしたんだろう。

 先生は、呆れてものも言えないみたいだ。

 

「あのなお前。教えてやったことをちっともわかってないじゃないか。正しい振り方はこうだと言っただろう」

 

 そう言うと、後ろから抱き付くような格好で両腕を取ってきた。

 突然のことに、心臓が跳ね上がる。

 だ、だって。先生の豊満な胸が、むにゅっと、背中に当たって――!

 たまらず申し出た。

 

「あ、あのっ! 先生!」

「どうした?」

「いや、その……当たってるんですけど……」

「なんだそんなことか。後ろから密着して腕を持っているのだから、仕方ないだろう」

「で、でも」

 

 それが問題なんだって! やばいから。色々!

 

「指導の一環だと言うのに、なに顔を真っ赤にして恥ずかしがっているのだお前は。年頃なのはわかるが、意識のし過ぎだぞ」

「う。すみません」

 

 先生の言う通りだ。向こうは大真面目にやってるのに、こっちが気にするようじゃいけない。

 そうだ。今背中に当たっているのはスイカだ。ただのスイカだと思うことにしよう。うんそうしよう。

 大きくて柔らかい……スイカ。スイカ……ップ……。

 ……俺のばか。何考えてんだ。

 いやいやと首を振って、今度こそしっかり気持ちを切り替える。

 落ち着け。深呼吸だ。深呼吸。

 

「もういいか?」

「お願いします」

 

 先生に腕を一緒に持ってもらって、正しい木剣の振り方をじっくり教えてもらう。それから、また一人でやってみることになった。

 

「こ、こうですか?」

 

 形だけは忠実にやると、ぶん、と木剣は鈍く空気をかき乱すような音を立てて宙を切った。

 

「違う。もっと身体から無駄な力みを抜け」

「すみません。では――こうでしょうか?」

 

 なるべく力まないように自然体を心掛ける。剣を身体の一部であるようにイメージして。

 先生はどんな風にやっていた。思い出せ。

 ――よし。どうだ。

 一気に振り抜く。

 すると今度は、ヒュンッと軽い音がした。あまり空気の抵抗なく斬れたような感覚があった。

 先生は依然として厳しい顔のままではあったものの、ようやく首を縦に振ってくれた。

 

「そうだ。その持ち方と振り方だ。そいつをしっかり頭と身体に刻み付けろ」

 

 やった。これでいいんだ!

 言われた通り、もう二度と忘れまいと心に刻み付ける。

 すると次からはコツが掴めたのか、きちんと振ることができるようになった。

 正しい振り方は変なところに力を入れないので、疲労の蓄積も抑えてくれる。慣れてくると、この振り味がだんだん癖になってきた。

 

「おお。なんかちょっと振りやすいぞこれ!」

「ん? なんだその口の利き方は」

「あっ! 少し振りやすいですイネア先生!」

「ん。やれやれ。先が思いやられるな」

 

 この後、時々先生に痛いお仕置きをもらいつつ、死にそうになりながらも何とか数千回もの素振りを終えることができた。人間死ぬ気になれば、大抵のことはできるものなんだなと思った。

 ちなみに翌日からしばらくの間、壮絶を絶するほどの筋肉痛に悩まされることになったのは言うまでもない。

 

 

 シーン2 川原にて

 

「生命エネルギーのコントロールがすべての基本だ。まずはそれができるようになれ」

「どうすればいいんですか?」

「精神を集中して、感じろ」

 

 イネア先生は、所々感覚派だった。

 精神を集中して、感じろって言われても。

 さっぱりわからなかった。仙人じゃあるまいし。わかるわけないよ。

 結局どうにもならずに困っていると、またやれやれといった調子で声をかけてきた。

 

「仕方ない。少し手荒くなるが、一度気を叩きこんで身体に覚えさせてやるか」

 

 先生は固く拳を握った。

 何をするのだろう。そう思った直後――。

 

「うぼっ!」

 

 息も止まるくらい、強烈な腹パンがめり込んでいた!

 激しい痛みと、全身を痺れるようなショックが襲う。

 

「げほっ! ごほっ!」

「どうだ?」

 

 身体に覚えさせるって、む、無茶苦茶だ!

 

「なんか、熱いものが」

 

 ただ、確かに何かを掴めたような――熱い何かが流れ込んでくるような、そんな不思議な感覚があった。

 

「それだ。その流れの感覚をきっちり覚えて自分で操れるようにしろ」

「は、はい」

「もう一発いっておくか?」

「いえ……勘弁して、下さい…………」

 

 痛みで、そのまま気を失ってしまった。

 

 

 シーン3 道場にて

 

「できた……」

 

 俺の左手には、うっすらと白く色付いた短刃が握られていた。

 先生の作り出す鮮やかな白剣とは、比べるべくもない。まだ息を吹きかけるだけで消えてしまいそうな、そんな儚いものだけど。

 血の滲むような苦労の末に、初めて気剣を出すことができたのだった。

 これで男の俺も女と同様、とうとうファンタジー住人の仲間入りをしたことになる。

 やった。ついにできたんだ! 俺にも!

 嬉しくなって、奥で静かに素振りをしていた先生にわき目も振らず飛びついた。

 

「やった! やりました! 先生! 気剣が出せるようになりました!」

 

 大いにはしゃいでいた。死ぬほど嬉しかったんだから仕方ない。

 

「ほう。よくやったな。それで。どのくらい維持できる」

 

 だけど先生は、一言褒めてくれた(これでも珍しいから嬉しかったけど)だけで、実にそっけない反応だった。

 

「あ、いや。まだ十秒くらいですけど」

 

 正直に言うと、先生はまたいつものようにやれやれと肩を竦め、とんでもないことを言ってきたのだった。

 

「気剣を出せても、維持できなければ意味がない。最低五時間は出しっぱなしにできるまでやれ」

「五時間……だと……」

 

 俺は、絶望した。

 

 

 シーン4 山奥にて

 

 先生は、度々俺に無茶なことをやらせた。

 

「ここからでは見えないが、向こうに大型の肉食獣がいる。どうだ。ちゃんと気を感じられるか?」

「はい。わかります」

 

 先生の言う通り、鬱蒼と茂る木々の奥に、力強い生命反応が一つ確認できた。

 訓練のおかげで、俺は集中すれば周りの生物の気を感じ取ることができるようになっていた。

 今はまだぼんやりとしかわからないけど、修練を積めば、相手の位置や強さが正確にわかるようになるという。

 

「その肉食獣がどうしたんですか?」

 

 先生は楽しそうに、ふっと小さく微笑んだ。

 

「なに、簡単なことだ。あれをお前一人だけで仕留めて来い」

「ええっ!? そんな!」

 

 無理に決まってるじゃないか!

 ネズミに猫を倒せって言ってるようなものだぞ。まあ魔法が使えれば、少しは何とかなるかもしれないけど……。

 だがそんな一縷の望みも、ばっさりと断ち切られた。

 

「ああ。もちろん魔法は一切使うなよ。それでは修行にならん。もし使ったり逃げたりしたら、この山に置いて行くからな」

「ちょっと待って下さいよ! 俺、まだこの間気剣出せるようになったばかりですよ! どう考えたって相手の方が……!」

「気剣の威力を舐めるな。お前のようななまくらでも、当たればなんとかなる。それに、格上の相手との死闘はこの上ない経験になるぞ」

「やっぱり格上じゃないですか!」

 

 

 シーン5 ラシール大平原のど真ん中にて

 

 またあるときは、死の平原の真ん中に置き去りにされたこともあった。

 

「いいか。ここからサークリスまで、二日以内に自力で帰ってこい。私は一切手助けをしないからな」

「先生。俺、三か月ほど前にここで死にかけたんですけど」

「それはお前が弱かったからだ。気力による身体能力強化をこの前教えただろう。それを使え。足腰が飛躍的に強化されるはずだ」

「いや、それでもこの広さはさすがに……」

「安心しろ。私は絶対にやれないことはさせない主義だ。まあ一割くらいの見込みがあるならやらせるがな。では、また道場で会おう」

 

 それだけ言うと、先生は一人だけ転移魔法を使ってさっさと帰ってしまった。

 

「あっ! 行っちゃったよ……。帰ったら文句の一つでも言ってやろう」

 

 先生の無茶振りにも、慣れてくるものだと思った。

 

 

 シーン6 崖の上にて

 

「これは……」

 

 崖と崖の間に、靴幅よりも狭い綱が一本だけ張られていた。吹きつける強風で、綱は常にゆらゆらと揺れている。

 正直かなり怖い。落ちたら絶対死ぬよこれ。

 でも、こんなところまで連れて来られたということは……。

 

「集中力とバランス感覚の訓練だ」

「これを、渡るんですか?」

「そうだ」

 

 言うと思いましたよ。先生。

 

「また無茶を……」

「いいからさっさと行け」

「はい。わかりましたよ」

 

 

 シーン7 道場にて

 

 一対一で向き合って、打ち込んでいく形での稽古もよく行われた。

 

「どこからでも打ち込んで来い。お前が甘い動きをする度に、気絶しない範囲で最も強い痛みを何度でも与えてやる。痛みに耐える訓練にもなるな」

「前から思ってたんですけど、先生ってドSですよね」

「何か言ったか」

「いいえ」

 

 左手に気剣を出して構える。剣道のものに近い、先生に教えてもらった通りの基本の構えだ。

 そして、訓練用の木剣を構えた先生を正面に見据える。

 さて。どこから攻めたものか。

 さすが先生だ。全然隙が見えないんだよな。

 ぱっと見は俺と同じ構えをしているようにしか見えないのに、何もかもが違った。

 一糸乱れず纏う力強い気と、鷲が獲物を狙うときのような鋭い眼光。それらが相まって、肌を刺すような、痛みにも近い威圧感が襲ってくる。

 こうして対峙しているだけで、身が裂かれそうだ。先生が、実際よりもずっと大きく見える。

 

「どうした? 来ないならこちらからいくぞ」

「いえ。いきます」

 

 考えていたって仕方ない。実力の差なんてわかり切っている。

 余計な小細工は無用。全力でぶつかるだけだ。

 駆け出して、正面から渾身の一振りを放つ。

 だがそれは虚しく空を切った。

 瞬く間もなく、背後から衝撃を受けた。骨が軋む。

 蹴られた!?

 認識すらあまりに遅い。

 道場の中央辺りにいたはずなのに、気付けば壁がそこまで迫っていた。

 何とか受け身だけは取るよう努める。すぐにでも身を丸められる体勢で、畳に足から着けた。そのまま勢い良くごろごろと転がって、壁にぶつかったところでようやく止まってくれた。

 

「くっ!」

 

 よろよろと立ち上がる。生まれたてのひよこみたいで情けないけど、かっこつけている余裕もない。

 先生の言ってたことは、誇張でも何でもなかった。

 痛い。めっちゃ痛い。涙が出そうだ。

 でも、これぐらいで怯んでいるようじゃダメだ。逃げていては強くなれない。先生にもがっかりされる。

 再び剣を構え直す。先生をしっかり見る。

 向こうは、最初の向かい合った立ち位置から振り返ってこちらを静かに見ているだけで、まるで一歩さえも動いていないように見えた。あんな鋭い蹴りを繰り出してきたなんて嘘みたいだ。

 やっぱり先生は強い。殺すくらいのつもりで果敢に攻撃しなきゃ、絶対に当たらない。

 よし。もう一度だ。 

 剣を右腰の辺りに据えて、不動のまま構える先生に、真っ直ぐ突っ込んでいく。

 すぐに、互いに剣が届く間合いまで達した。今度は胴を狙って、剣を――。

 

「甘い」

 

 振り出そうとしたところで、手首を打ち据えられてしまった。また激痛が走る。

 

「っ……まだまだ!」

 

 痛みに耐えながら、次から次へと攻撃を仕掛けていく。

 でも所詮は素人の剣。先生は、その一つ一つを完全に見切っていた。

 何をどうやっても易々と避けられ、いなされてしまう。

 せめて防がせるくらいはしたいのに。俺の剣は、空気とダンスを踊っているみたいに空振る。

 こちらが攻撃するタイミングに合わせて、隙だらけの部分を打ち据えてくるのもしょっちゅうだった。甘い動きを窘められまくっている。

 痛い。きつい。ちっとも当たらない。でも諦めないぞ!

 意地になって必死にもがく俺を見て、先生は妙に嬉しそうだった。

 

「よし。その調子で来い」

 

 その後も、軽くボコボコにされ続ける。

 稽古の合間に、先生は次々と教えを飛ばしてきた。

 

「動きを目だけで追おうとするな。相手から発せられる気を読み取れ」

「弱い場所を狙え。意識の隙間を狙え」

「頭で考えながらも、直感で動かなければ間に合わない」

 

 それらのありがたい言葉を胸に刻みながら、くたくたになって動けなくなるまで、懸命に挑みかかっていった。

 結局この日は、一度も攻撃を当てられなかった。

 

 

 シーン8 山奥にて

 

 先生は、蘊蓄を語るのが好きだった。長生きだからか、本当に色々なことに詳しい。

 

「ところで、なぜ気『剣術』なのだと思う?」

「前から疑問には思っていました。なぜ魔法のようにもっと色んな形で気を使わないのかと」

「ああ。最初はそう思うよな」

「けど、今ならなんとなくわかります。気力は外界では散りやすいから、ですよね」

 

 一度気功波のようなものを撃ってみようとしたことがあったけど(憧れもあったし)、どうしても無理だった。

 手から離れた気力は、間もなく大気中に霧散してしまうのだ。

 

「そうだ。気力は発生源である使用者の肉体から離れるほど薄れ、加速度的に弱まってしまう。それゆえ、師は手から直接放出される気剣を編み出したのだ。気力を最も強力な形で運用するための、一つの答えというわけだな」

「へえ。そういう理由があったんですね」

 

 かっこいいだけじゃなくて、実用的な理由がちゃんとあったんだ。

 

「うむ。そしてこの気の性質上、対象に接近しなければまともな攻撃はできない。遠距離に対しての使用も問題ない魔法と違って、使い勝手の悪いところだな」

「なるほど。接近、と」

 

 先生のこういった蘊蓄話は、参考になることが多かった。

 俺が素直に頷くのに気をよくして、先生はほんのり得意顔で続ける。

 

「だが、気には魔法にはない利点もある。一つは、身体能力の強化ができること。そして、自身を含めた対象の治癒が可能なことだ」

「治癒だったら、毎日お世話になってますもんね」

 

 それもこれも、イネア大先生のありがたい修業のおかげですよ。

 

「ふふ、だな。これらのことは、魔法では容易ではない。工夫すればできないことはないはずだが、手軽さや効果の上では大きく劣るだろうな」

「そうですね」

 

 そうなんだよね。先生の言う通り。

 この世界で魔法を学んでいてわかったことなんだけど、身体能力を直接強化する魔法はないし、回復魔法というものも存在しない。特に後者の魔法がないことは、ゲームとかのイメージからすると意外だった。

 一応、魔法薬の中には回復効果を持つものもあるのだけど、だからといって瞬時に回復するわけではない。精々が自然治癒の補助くらいの、うっすらとした効果に留まる。

 またそうしたものは通常、治療院にしか置いていない。その治療院の利用料金は、平民が気軽に診てもらうというわけにはいかない程度には高い。

 その点、気力を使えば、瞬時とまではいかずとも相当な速さの回復効果が得られるし、身体能力だって直接大幅に強化できる。

 こういったことが、気力の魔力に対する主な優越性だった。

 

「それに、この世界には稀に、魔法に対して高い耐性を持つ厄介な抗魔法生物がいる。魔力を持つ人間にもいくらか魔法耐性はあるが、そんなものではない奴もいるのだ」

「そんな恐ろしいのがいるんですか」

「しかもだ。おそらくこの世界限定のことではないぞ。師も言っていたからな。だが、そうした相手にも気力による攻撃は有効だ。覚えておくといい」

「はい」

 

 抗魔法生物か。女の身体で相手をするのは大変そうだな。

 そんなことを考えていると、先生がぽつりと言った。

 

「ちなみにな。サークリス剣士隊は、元々は抗魔法生物のような、魔法では対処が困難なものを相手に戦うための隊だったのだ。だが……」

 

 先生は俺の顔を見つめて、何かに頷く。

 

「気剣術は、魔法に比べると修めるのが難しいからな。年々、習得志願者が減っていき――」

 

 自分と俺以外には誰もいないすっからかんの道場を見回して、先生は肩を落とした。

 

「今ではこの体たらくさ。気剣術の名を知る者すら少なくなり、辛うじて一部の実力者が初歩を扱える程度に過ぎない」

「先生……」

「私も月に一度は、剣士隊の一部にいる熱心な者に対して指導を行っているのだが……それが精一杯の抵抗だな。これも時代の流れか」

 

 先生は少し、寂しそうな顔を見せた。

 そんな様子が見るにいたたまれなくて。気休めに過ぎないかもしれないけど。

 俺だけはと、せめてもの想いで言った。

 

「先生。俺、途中で投げ出したりしませんよ。できは悪いかもしれませんけど、色々とがっかりさせるかもしれませんけど。でも、いつか絶対に気剣術、修めてみせますから」

 

 俺の決意に対して、先生は少し驚いたように目を見開いた。

 そして、あからさまではないけど――ちょっと嬉しそうに口元を緩めてくれたのだった。

 

「ふっ。ならば、もっともっとしごかなくてはな」

「それはほどほどでお願いします」

 

 

 シーン9 道場にて

 

「もうお前が来てから、半年になるのか」

「もうそんなになるんですね」

 

 先生と二人三脚での修行を始めてから、半年が経っていた。

 これまで色々と大変だったけど、過ぎてみれば厳しくも温かく、楽しい日々だったように思える。

 

「ユウ。今日はもう遅いし、家に泊っていかないか」

「どうしたんですか。急に」

 

 いつもなら必ず寮に返すのに、こんな提案をするなんて。少し先生らしくない気がする。

 

「なんとなくだ」

 

 前言撤回。やっぱり先生は先生だった。

 

「いいですよ。泊まっても」

「そうか」

 

 そのときの先生の顔は、やけに嬉しそうだった。

 だだっ広い道場に布団を二つだけ敷いて、一緒に横になった。

 いつも二人で動き回り、バタバタと騒がしい道場は、今はしんみりと静かだった。手を胸に当てなくても、自分の心音が聞こえそうなくらいに。

 

「こうして二人で寝るのは久しぶりだ。なんだか昔を思い出すな……」

 

 月明かりに照らされた先生の顔は、昔を懐かしんでいるようで、どこか憂いているようでもあった。「もっとも、今は立場が逆だがな」と先生が呟いたとき、もう表情は元に戻っていたけど。

 

「ユウ。やはり修行は厳しいか。嫌だと思ったことはないか」

「もちろんありますよ。いったい何度死を覚悟したことか」

「ほう。それは悪かったな」

 

 あんまり悪いとも思ってなさそうな楽しげな調子で、先生は言った。

 俺も、これまでのあれこれを思い返し、小さく笑いながら続ける。

 

「でもおかげで、精神的にも肉体的にも相当鍛えられた気がします。先生、なんだかんだ言って面倒見が良いし」

「ふふ。そうか。だが、まだあくまで基本を叩き込んだに過ぎない。今後はもっと厳しいメニューを用意している」

「望むところですよ」

 

 そこでいったん会話は途切れ、しばしの静寂が戻る。

 先生が、ぽつりと言った。

 

「お前も、いずれは師のようにどこかへ行ってしまうのだな」

「わかりません。けど、行きたくないな……」

 

 地球に帰れないのなら、せめてずっとここに居たい。

 俺はこの星で暮らしているうちに、そう考えるようになっていた。

 

「そう思うのか」

 

 先生は意外そうな顔をした。

 俺は何となく、自分の身の上を先生に話したい気分になっていた。

 夜の寂しい月明かりが、そうさせるのだろうか。

 

「俺の両親、俺が小さい時に死んじゃったんですよね。それから、俺には家族と呼べる人はいなかった。心を許せる友達も、気が付いたらみんないなくなってしまって。それから俺は、ずっと一人だったんです」

「一人、か」

 

 そう呟いた先生は、いつもの厳しい顔はすっかりなりを潜めていた。まるで自分のことのように悲しみ、憐れむような目で俺のことを一心に見つめている。

 

「それでも俺は、自分の生まれた星が大好きでした。なぜ大好きだったのかは、上手く説明できません。ただの愛郷心かもしれません。離れたくなかった。なのに、よくわからない理由でこの星に飛ばされて」

「そうか。家族も友もなく、故郷まで追われて。辛かったな」

 

 先生は、いつになく同情的だった。俺は素直に頷いた。

 

「正直、最初は悲しかったです。不安だったし、ここの暮らしにもそんなに期待していなかった」

 

 でも、今は。

 

「大切な友達ができたし、先生もできた。そしたら、やっぱりここも好きになってしまって。離れたくないなって、そう思ってしまうんです。虫の良い話ですかね」

「そんなことはない。人として普通の感情だと思うぞ」

「でも……フェバルの話が本当なら。いつかはここも旅立たなくちゃならない。もし行く先々でこんな思いをしなければならないのだとしたら、俺は……」

 

 耐え切れるだろうか。正直自信がない。

 そのとき、頭に先生の手が触れた。

 俺の頭を撫でながら、普段は見せないような、優しさと慈愛に溢れた瞳でこちらを見つめてくる。

 少し恥ずかしかったけれど、撫でられているうちに、不安に駆られる気分が軽くなっていくのを感じた。

 やがて先生は、一つ一つ言葉を選ぶように伝えてきた。

 

「私には、お前の境遇をどうにかしてやることはできない。ただ、これだけは言える」

 

 先生の真摯な心が伝わってくるような、そんな声で。

 

「いつか別れのときが来たとしても。ユウ。お前から私がいなくなるわけではない」

「先生……」

「お前が剣を振るとき。私が教えたこと、私がこれから教えること。その中に私はいる。他の人だってそうだ。場所は離れても、心は繋がっている」

 

 心は繋がっている、か。ありきたりの言葉だけど、そう思うのが正解なのかもしれない。

 でもそんな風に達観するには、俺はまだ若過ぎた。

 

「そんな風に思えればいいんですけどね。まだ俺には無理かな。割り切れないや」

「いずれそう思えるようになるさ。きっとな」


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