ラスラが俺に向かって、申し訳なさそうに言った。
「すまん。不覚を取った」
「いいさ。それより――」
目の前のジードは、リルナにここを「任された」と言っていた。
とすれば、少なくとも彼女が最初からここにいるわけではないはず。急げばまだ間に合うかもしれない。
一刻も早くテオの元に辿り着くには、確実に誰かがこいつを足止めすることが必要条件だ。さらに言えば、倒せるならすぐに倒してしまうことが望ましい。
その役に適任なのは誰か。
「ジードの機能について、何か知っているか?」
二人は険しい顔のまま、首を横に振った。
情報なしか。誰がやっても一緒。
なら、ジードと戦う危険な役は俺が買おう。
「ここは俺が食い止める。二人は一刻も早くテオのところへ」
「わかった」
「悪いな。ユウ」
ラスラとデビッドは、特別収容区画へ向けてわき目もふらず駆け出した。
「のこのこ行かせると思うか。皆殺しだ」
ジードがパカリと口を開ける。その奥が赤く光り始めた。
俺はすぐに察した。
またあの熱線を放つ気だな。させるか。
こいつ相手に手を抜いている余裕はない。
気力強化をかけた最速の動きで、斬りかかりにいった。
彼の胴目掛けて、剣を振り払う。
するとジードは、機械の身体とは到底思えない、いや人間でも絶対に不可能な柔軟なスウェーで剣をかわした。まるで蛇のようにうねうねと上体を伸ばし、右斜め後ろへくねらせたのだ。
なおもその奇妙な体勢で口から熱線を撃とうとするので、俺も咄嗟に腕の動きを変えた。
振り払う剣の軌道を途中で変化させ、下半身を狙う。
彼もさすがに下半身まで同時に操ることはできないのか、跳び退くことで俺の剣を回避した。
彼は忌々しげな顔で俺を睨むと、うねらせた上体をシュルンと縮めて元に戻した。
もう口の奥は光ってはいない。
ラスラとデビットの気が、おそらく通路を曲がってどんどん遠ざかっていくのがわかる。
上手く射程を外れてくれたみたいだ。
「ちいっ。逃がしたか」
俺は油断なく剣を構えたまま言った。
「食い止めるって言っただろ。好きにはさせないよ」
「ぬしは……手配書の男だな。名は?」
「ユウ」
「ユウか。まずはぬしから血祭りに上げてやろう」
「そうはいかないな」
空気が張り詰める。互いに動くタイミングを探っていた。
リルナ以外のディーレバッツと戦うのは初めてだけど、果たしてどれほどの実力なのか。
先に動いたのは、ジードだった。
彼の両手が、手首から指先までにかけて赤く光り輝く。
直後、突然彼の左腕がぐんと伸びて、こちらを突き刺すように迫ってきた。
なっ!? 今度は腕が伸びた!?
虚を突かれるも、咄嗟に横へ動いてかわす。
壁に突き刺さった手は、いとも容易く壁をドロドロに溶かしてしまった。
ぞっとした。こんなもの、一発でももらったらアウトだぞ。
だが――伸び切った腕が隙だらけだ。
この隙を逃す手はない。
右腕を刈り取るつもりで、思い切り気剣を振り下ろす。
そのとき、今度は腕全体が真っ黒に変色し出した。
なんだ!?
刃はそのまま、黒化した彼の腕にぶつかる。
俺は驚きで目を見開いた。
気剣が、通らないだと!?
確かに命中した剣は、しかし彼の体表で弾かれて、ぴたりと止まってしまっていた。
驚いている間に、伸びた腕がするすると戻っていく。
ジードは自信に満ち溢れた顔で言った。
「よくわかっただろう? このジード、全身の強度と柔軟性を自在に操る。ぬしのなまくらなど、決して通用せんぞ!」
「……ご丁寧に解説どうも」
くそ。ということは、厄介だな。
世界が違えばと、そう思わずにはいられなかった。
気剣がフルに強度を発揮できるエラネルのような世界なら。いくら硬化しようが、今の一撃でもって確実に彼の腕を斬り落とせていただろう。
しかし、ここはエルンティア。
気力許容性が低いこの世界では、気剣は彼の言う通り、所詮なまくらに過ぎないようだ。
再び両腕が伸びる。
だが次は、俺を狙うのではないようだ。それぞれ俺の左右、見当違いのところへ伸びていった。
今度は一体、なにをする気だ……?
狙いがわからず、一瞬困惑したそのとき。
彼がにやりと笑った。
彼が両腕をクロスさせると、伸び切ったそれらは、急激に幅を狭めて――。
間にいた俺を、強く締め付けてきたのだ!
しまっ――!
「死ね!」
両腕にしっかりと身体を挟まれた状態で、彼の口が開く。
熱線が来る! やばい!
「てやっ!」
咄嗟に気力を込めた両腕をぐっと広げて、力技で強引に彼の両腕を弾き飛ばす。
急いで跳び上がりかわそうとしたが、さすがに避け切れなかった。
熱線は、右足のふくらはぎの辺りをわずかに掠めていった。そこに強烈な痛みが走る。
叫び声を上げそうになるが、どうにか堪えた。
ちらりと命中した部分を見やると、肉の一部がごっそりと削れていた。表面は炭化までしてしまっている。何とか動けないほどじゃないけど、泣きたくなるほど痛々しい見た目だった。
「よく今のを捌いたな。タフな奴だ」
「簡単にやられるわけには、いかないんでねっ!」
気合い負けしてはいなかったが、その後も苦戦を強いられ続けた。
闇雲に剣で追えば、まるで流れる水のように身体をくねらせて逃げられてしまう。どうにか剣を当てようとも、すべて硬化した身体に弾かれてしまう。
果たして硬化していない部分を突けるだろうか。
難しいだろう。奴はこの戦い方に相当慣れている。
ならば。
ここは潔く戦法を変えるべきだと判断した。それも、奴の虚を突けそうな戦い方を。
方針を固めると、俺は静かに気剣をしまった。
「どうした? 諦めたのか」
「さあ。どうかな」
俺は左手に全力で気を集中した。そこがぼんやりと白い輝きに包まれる。
いつでもあの技を放てるように、あらかじめ準備をしておく。
そして、彼に向かって真っすぐ駆け出した。
「武器もなしに正面から突っ込むか。馬鹿め。熱線の餌食にしてくれる!」
再び、彼の口から強力な熱線が撃ち出される。
瞬間、俺は『心の世界』にいる「私」に呼びかけた。
『あれをやるぞ』
『了解』
熱線は明らかに直撃コースだった。
さすがに至近距離では、あれをかわすのは至難の業だ。
このままでは確実に命中する。このままでは。
だが――。
直立の姿勢で走っていた俺は、ほんの少しの間だけ「私」に選手交代する。
***
ノータイムで、私は上体を綺麗に反らした状態で表に現れた。
瞬間的に体勢が変わったことで、熱線は当たることなく、私の顔の真上を通過していく。
ジード。あなたほどじゃないけどね。
身体が柔らかいのは、私もなの。
以前、ユウがサークリスであのクラム・セレンバーグと戦ったとき。
まあ私は、そのときは眠ってたんだけど……。
ユウは、強引に一人で二つの身体を別々に動かしたことがあった。
あのときはユウが全部一人でやったから、相当な無理があった。
でも、私たち二人で協力すれば――。
そう。ほんの少しの間だけだけど。
ユウが『心の世界』で控えて、元々の持ち主である私自身が、女の身体を動かせることがわかったの。
これは厳密に言えば、変身じゃない。
ユウは男の身体だけじゃなく、精神もひっくるめて存在すべてが引っ込んで、代わりに私自身が直接表の世界に現れる。
だから、ちょっと間抜けだけど。『心の世界』で予め上体を反らした状態でいれば、そのままの姿で現れることができるってわけ。
これを利用すれば、瞬時に体勢を入れ替えたり、技や魔法をスイッチしたりと言ったことができる。
例えば、予め私が『心の世界』の中で魔法を構えておいて、表に出てきた瞬間に魔法を放つなんてこともね。ちょうどクラム戦でやったように。
まあ細かいことはともかく。
大事なのは、私とユウ、二人の力を合わせたコンビプレイだってこと。
私だって、たまには役に立つんだから!
「女!?」
突然相手の姿が変われば、大抵は驚くよね。
そのほんの少しの隙を逃さない。
崩れた体勢のまま、即座に左腰のホルスターから銃を抜くと、躊躇いなくトリガーを四回引いた。
これはあくまで牽制のつもり。
案の定、銃弾は硬化によって防がれてしまう。けれどその間、彼は動くことができなかった。
一気に彼の元まで辿り着くと、跳び上がって足を折り曲げ、太ももで彼の首根っこをがっちりと挟み込む。
「やああっ!」
彼の両腕を掴み、そのまま体重を乗せて、後ろに回転をかける。
彼の足が浮き上がった。くるりと一回転させて、彼をうつ伏せの状態で地面に叩き付けた。
しっかりマウントポジションを取ったところで、私はユウに交代する。
『バトンタッチ!』
『サンキュー!』
***
彼は慌てて全身を硬化し、首だけ振り向いてこちらに熱線を向けてきた。
だが、無駄だ。
技の準備を完全にした状態で『心の世界』に入っていたから、こっちの方が早い。
左手を彼の体幹にぴたりと添える。
いくら身体を伸ばそうとも、硬くしようとも。
体幹の内部に直接衝撃を与えてしまえば、そんなものは関係ない。
くらえ!
《気断掌》
「ガハッ!」
彼の機械の身体を通して、床にまで衝撃が突き抜けた。
同時に、彼の機体の内部が粉々に砕ける音がした。手応えありだ。
彼がぐったりしたのを確認したところで、上から身をどける。
ぱっぱと服を叩いて、身体に付いた汚れを取り払った。
「ぐ……動けぬ……!」
全身を大の字に投げ出し、無様な姿で倒れるジード。
身体はぐちゃぐちゃだけど、頭の人工知能は無傷だから、まあ死ぬことはないだろう。
どうにか勝利を収めたことにほっとした俺は、黙って彼に背を向けた。
先を急ごうとする俺に、背後から彼の声がかかる。
その声からは、大いに戸惑いが感じられた。
「なぜだ……? なぜ、止めを刺さない!?」
振り返った俺は、こちらを力強く睨む彼に対して、なるべく穏便に言った。
「逆に聞きたいね。もう決着はついた。どうして助かったのをわざわざ殺す必要があるんだ?」
彼の顔に、驚愕の色が浮かぶ。
「馬鹿な……。この機体が直れば、わしはまたぬしらを襲うのかもしれんのだぞ。ぬしではない他の者を殺すかもしれん。それでもか?」
言われて考える。
その場で放置すれば後々確実に災厄を振りまくような、そんなあまりに危険な奴なら、確かにこの場で殺してしまった方がいいのかもしれない。
だが今の問いでわかった。
ジードもまったく話が通じない相手ではない。なら、無条件で殺すべき相手じゃないと思う。
だからこう返した。
「まだ決まってない未来のことを言っても仕方ないだろう。そのときはそのときだ。お前が俺の前で誰かを殺そうとするならもちろん止めるし、敵対するというならまた戦うさ」
「…………変な、奴だ……」
呆れたように一言だけぽつりとそう言うと、ジードは気を失ってしまった。
心なしか、安らかな顔をしているように見える。
そんな彼を、ほんの少しの間だけ見つめてから、再び前を向いた。
ラスラとデビッドは、かなりテオに近づいているみたいだ。俺も急いで合流しよう。
***
一方、ラスラとデビッドは。
どの檻にいるとも知れぬ王を懸命に呼びかけつつ、特別収容区画をひた走っていた。
「王! お助けに上がりました! 返事をして下さい!」
「テオ! 私だ! ラスラだ! 助けにきたぞ!」
二人は激しく焦っていた。
二人もまたユウと同じように考えていたのだ。
思ったよりも、ずっと時間はないのだと。
二人が、三つめの通路を左へ曲がったときだった。
男の掠れた声が聞こえた。
「誰か……そこにいるのか?」
懐かしい声に、二人の足が止まる。
彼の姿が目に映ったとき、二人の顔は悲痛に歪んだ。
「くそったれ。なんという、おいたわしい姿に……」
「だが生きていてよかった。テオ! 今すぐそこから出してやるからな!」
「はは。誰かと思ったら……。デビッドに、ラスラじゃないか……。こんなところまで、ぼくを助けに来てくれるなんて」
牢の中に、一人の若い男が鎖で繋がれていた。
骨と皮ばかりになるほど痩せ衰え。美しかった金髪がすっかり白髪になってしまうほどの壮絶な拷問を受け。
しかしその眼からは、一切の光を失うことなく。
紛れもない――王がそこにいた。