私たちは、《けむりくん》を使うとすぐにリルナから背を向けて必死に走った。
でも逃げる途中、後ろからおびただしい数の光弾が飛んできて――。
私は何とか避け切ったけど、リュートが――。
よりによって、リュートの頭部に攻撃が当たってしまったの。
うめき声を上げて倒れるリュート。私は一気に血の気が引いた。
すぐに駆け寄って小さく声をかける。
当たり所が良かったのだろうか。幸いにも彼は即死だけは免れていた。辛うじて意識がある。
命があって本当によかった……!
ひとまず胸を撫で下ろすも、喜んでなんていられない。
頭部へのダメージは、一見して明らかに重大だった。
だってリュートの頭には、決して小さくはない穴が空いていたのだから!
彼の意識は朦朧としていた。一刻も早く連れ帰って修理しなければ、いつ本当に死んでしまってもおかしくない。
しかもそれどころじゃない。現在進行形で命の危機が迫っている!
私はリュートを背負い上げた。
さすがにもうこれ以上《パストライヴ》は使えない。使ったら最後、今度こそその場から動けなくなってしまうでしょう。
かと言って、このまま走って逃げたところで、絶対にリルナに追いつかれてしまう。
いったんどこかの部屋に身を隠してやり過ごすしか――。
焦る私の目に付いたのは、前方にあるロッカー室だった。
時間がない。とりあえずこの部屋に入ろう!
カードキーを取り出し、背負っているリュートの指をとって指認証の穴に差し込みつつ、スロットにカードを通す。
ドアが開くと、たくさんのロッカーが並んでいるのが目に入った。
一つ一つのロッカーはさほど大きくはないけれど、身を縮めれば何とか二人で隠れることができそう。
私は奥の方にあるロッカーを一つ選んだ。
リュートを後ろから抱きかかえる形で入り込み、ロッカーのドアを閉めて身を隠す。
リュートの小さな身体は、震えていた。
死の恐怖が迫っているのだから、無理もない。
少しでも恐怖を和らげてあげたくて。
私は彼をぴったり抱き寄せて、損傷のない頬をずっと撫でていた。
息を潜めていると、やがて彼は弱々しく口を開いた。
今にも遠くへ行ってしまいそうな、そんな儚い声で。
彼は詫びてきたの。
「ごめん。結局……足引っ張っちゃったよ。ごめんね……」
「謝ることなんてないよ。リュートはいっぱい役に立ってくれてるもの」
これは本心からの気持ち。ユウも同じことを感じていたよ。
リュートがいなかったら、ここまで上がってくることは絶対にできなかったと思う。
「だから、そんなことなんて言わなくたっていいの」
リュートはほんの少しだけ頬を緩めた。
でもそれも一瞬だけで、また不安と恐怖に包まれた顔に戻ってしまう。
「ねえ、ユウ……。オイラ、死ぬのかな……。こわいよ……」
「大丈夫。大丈夫だよ。私が絶対に助けるから……!」
彼の顔を胸に寄せ、ぎゅっと抱え込む。
恐怖に飲み込まれそうになっている彼の心が、身体の震えを通して伝わってくる。
それでもあやすように優しく包み込んでいると、やがて少しだけ落ち着いてくれた。
「ユウ……あったかい……」
このままやり過ごせればと期待しかけた、そのとき。
ドアの開く音がした。
「この部屋か」
鬼気迫るリルナの声が聞こえる。
緊張は一気に高まる。
じっと息を殺して、彼女が立ち去ってくれることを祈った。
だが、現実は非情だった。
カツ、カツ。
密閉された空間。
ほとんど何も見えない中、彼女がこちらへ歩いてくる足音だけがいやに聞こえてくる。
そして、間もなく――。
カチャン。
静かに、ロッカーの開く音がした。
――カチャン。
ロッカーの扉が閉まる。
カツ、カツ。
また、リルナの足が床を弾く音だけが伝わってくる。
カチャン。
再び、ロッカーの開く音がした。
私は戦慄した。
まずい。リルナは、この部屋を詳しく調べる気みたい。
カチャン。カチャン。
カツ、カツ。
カチャン。カチャン。
カツ、カツ。
リルナが一つ一つのロッカーを開け閉めしていく音と、彼女の無機質な足音だけが。
息苦しい沈黙に包まれた密閉空間、その扉の向こうから、淡々と響いてきた。
音は少しずつ、だが着実に大きくなってきている。
こちらに迫ってきている。
わかっていても、私にはどうすることもできなかった。
この場で飛び出せば、間違いなく死が待っている。
かと言って、このままここにいても――!
心臓は早鐘のように鳴り、全身からどっと嫌な汗が噴き出してきた。
リュートも、着実に迫りつつある死の恐怖に、声もなく身体を震わせている。
ユウはまだ眠ってる。戦う手段は皆無。
ダメ。このままじゃ見つかっちゃう!
見つかったら最後だよ。今度こそ絶対に殺される。
すると。
彼女の放つ殺意が、なお突き刺すように強まった気がした――。
次の瞬間――。
ザシュッ!
明らかに、ロッカーを開ける音ではなかった。
冷徹かつ残酷に、刃物が突き刺さる音。
リュートの震えが、ますます強くなる。
私まで、ぞっと恐怖が込み上げてきた。
二人でぎゅっと身を寄せ合って、ただじっと息を潜める。
カツカツ。ザシュッ!
カツカツ。ザシュッ!
息の詰まる静寂の中、足音が次第に早まっていく。
それに伴って、ロッカーを一つ一つ刃で刺し貫く音が、繰り返し聞こえてくる。
まるで、死へのカウントを刻んでいるように思われた。
一つ刃音が近づくたび、この身を刺されたように心臓が飛び上がる。
すぐ近くまで来てる。そろそろ私たちのいる場所よ。
もうダメ! 殺される!
私たちは、いよいよ死を覚悟した。
このまま黙って殺されるくらいなら。
リュートを連れて、外へ飛び出す決意を固める。
いざとなったら、私は死んだっていい。
無理矢理でも魔法を使って、せめてこの子だけは安全な場所へ――!
……この世界で使えば、間違いなく一瞬で身も心もいかれてしまう。
どんな世界でも魔法を使用可能にしてしまう。レンクスの壊れ能力を使っても!
【反逆】《魔力許容性限界と――
そのときだった。
遠くで、大きな爆発音が聞こえたの。
私たちの隠れているロッカーの正面から、リルナの怒声が聞こえた。
「今の音は――向こうか!」
彼女が、猛然と走り去っていく足音が聞こえた。
後には、緊張から解き放たれた静けさだけが残った。
目下の危機が去ったことを理解した私は、その場でぺたりと力が抜けてしまった。
ロッカーの壁に力なく背中を預けて、はあはあと切れた息を整える。
危なかった。
何があったのかは知らないけど、助かった……。
ほっとしたところでリュートを見ると、彼はもう意識がなくなっていた。
すぐに気が引き締まる。
早く連れ帰ってあげないと。いつ手遅れになるかわからない。
でも、しばらくここで待つしかない。心底歯痒かった。
気を使えるユウが起きてくれないと、出たところでどうしようもないもの。
ねえユウ。早く起きて――。
祈るような想いで胸に手を添えていると。
音量を下げていた無線から、ごく小さめの声が聞こえてきた。
アスティからだった。
『ユウちゃん。聞こえる?』
『アスティ。聞こえるよ』
『状況はどうなってるの?』
『セキュリティは解除したよ。今は逃げているところ』
『やっぱり! セキュリティ解除感謝します。おかげでテオは、無事地下に逃げられたよ』
『そう。それはよかった』
『あたしたちも一緒に逃げてもよかったけどね。あなたたちだけは絶対に助けるってことで、意見が一致したの』
『ほんと……?』
『もちろん。誰が見捨てるものですか』
不安ばかりの今、泣きそうなほど嬉しい言葉だった。
ほんとみんな、仲間想いなんだから。
『テオの護衛も要るから、全員じゃないけどね。でも、横にラスラねえとロレンツもいるよ!』
『ありがとう――あのね。リュートがかなりひどい故障を負っていて、危ないの』
『まあ、それは大変! 早く助けなくちゃ!』
そこでラスラが通信を代わった。
彼女は、らしい力強い口調で簡潔に言ってきた。
『ユウ! なんとかしてその建物から出ろ! いいな! そこからの逃走ルートは考えてある!』
ロレンツも少しだけ代わった。
彼もおふざけなしの真面目モードだった。
『ロレンツだ。借りを作りっぱなしってのは性に合わねえ。俺もささやかながら力になるぜ』
『うん。助かるよ』
『もしもーし。こちらアスティ。てことで、難しいと思うけど、とにかく管理塔から出てね。あたしたちもできることはするから』
『わかった。ところで、さっきの爆発はあなたたち?』
『そう。あたしがドカンと一発、陽動の援護射撃かましてあげた音よ。レミちゃんがあなたの位置を探ってくれたからね。効果はあったかしら?』
『てき面だよ。本当に助かった』
『よかった。あたしの腕もまだ捨てたものじゃないねー。じゃ、無事を祈ってるわ』
『ええ。そっちこそね』
通信を切った。みんなの声を聞いて、少しだけ心の余裕が戻っていた。
味方がいるというのは、本当に心強いなって改めて思う。
私一人だけだったら、きっとさっきの時点で終わっていた。
あとは、ユウが起きてくれれば――。
意識を集中して、『心の世界』で眠っているユウに『起きて』と必死に呼びかけ続ける。
やがて想いが通じたのだろうか。ユウはやっと目を覚ましてくれた。
『う――ここは――』
『ユウ! やっと気が付いたね』
『今の状況はどうなってる。情報を共有させてくれ』
『わかった』
私は心を開き、ユウが気を失ってからの情報を伝えた。
ユウはすぐに私の心を読み取り、予想通りの辛い顔をしてる。
『そうか……そんなことに。ごめん。俺が不甲斐ないせいで』
『あなただけが責任を感じる必要はないよ。不甲斐ないのは私も一緒。私たちは二人で一人。苦しさも責任も半分こだから』
『そうだね。でも、ありがとう。俺が眠っている間、代わりに色々と頑張ってくれて』
『いいの。当然よ。私はあなたを支えるのが仕事だもの』
『君にはいつも助けられてるよ。そうだな……。起きてしまったことをくよくよしても仕方ないよね』
ユウは後悔するよりも、決意を固めてくれたようだった。
『まだリュートは辛うじて生きている。急げばきっと間に合うはずだ』
『うん。絶対に間に合わせよう』
『よし。リルナが戻ってくる前に、ここから脱出しよう』
『そうだね。首尾はどうする?』
『変身した瞬間に位置を感知されるから、ぎりぎりまで女で行ってから、シャッターの前で変身。そこからはスピード勝負になる』
『急がないと、だね』
『時折女になって気配を消すことで、位置情報を誤魔化そう。力を貸してくれ』
『もちろん。私はいつでもあなたの力になるよ』
こんなときだからこそ、あえて暗い顔をしないで。
両腕を開き、ユウを招き寄せる。
『おいで。一つになろう』
『ああ』
私はいつものように、ユウを受け入れて――。
隣で支えていく。
***
「私」と一つになり、現実世界に戻った私は。
ロッカーから抜け出して、リュートをしっかりと背負った。
時折小さくうなされる彼に、そっと声をかける。
「リュート。もう少し頑張ってね」
部屋を出て、階段の前に下ろされたシャッターの前まで走って行く。
目の前まで来たところで、男に変身してすぐに技を使った。
《気断掌》
生命波動の衝撃により、シャッターはめくれるようにこじ開けられた。
休む間もなく穴をくぐって、全速力で階段を下りていく。
すぐに、リルナが遠くから恐ろしい速さで迫ってくるのがわかった。
なぜかと言えば、殺気がひしひしと伝わってくるからだ。
もはやここまで来ると、殺気というよりは、殺意を伴う強い感情の塊そのものだった。
それが俺の心へずっしりと、直に伝わってくる。
そのとき、俺はふと気付いた。
これまで何度も感じてきた殺気、殺意というものの正体がはっきりわかった気がした。
殺気とは言うけれど、漫画やアニメじゃないんだ。
ナトゥラが気を持っているわけではない以上、そんなものは普通、気を読む力などでは読めない。
それなのに気配を読めてしまっているのは、どういうわけなのか。
度重なる能力の使用によって『心の世界』が活性化しているせいで、その答えがようやく見えた。
これもそうだった。相手の心、感情そのものだったんだ。
『心の世界』を通して、すべてではないにしろ、その一部が本当に伝わってきているみたいだ。
これまで、何となく相手の心がわかることがあったけど。戦闘でも役に立つのか。
さて。そんなことをゆっくり考えている暇もない。
時々女に変身して、リルナにこちらの位置をわからないようにしつつ。
無事100Fまでは辿り着いた。
だがそこにはもう、大量の戦力が集められていた。
ポラミット製のシャッターだけではない。ディークランの連中が固まって、完全に行く手を塞いでいたのだ。
リルナはもうすぐそこまで迫ってきている。
時間さえかければ、こいつらは難なく倒せるだろう。
だがもたもたしている時間はない。まともに相手などしている場合ではない。
ちらりとフロア案内を見ると、100Fには中央政府との連絡橋があるようだ。
こうなったら一か八か、中央政府本部の方に突っ込んでみるか。
追手を振り切りつつ、連絡橋までひた走る。
出口から躍り出ると、靄のかかった空が広がり。
直線通路が、ずっと向こうまで伸びていた。
車が数台横並びで通れそうなほど幅は広く、まさに橋と呼ぶに相応しい立派なものだった。
淵は人の高さに迫るほどのガードで覆われていて、誤ってナトゥラが落っこちないようになっている。
先まで急ごう。
前に向かって走り出したとき――。
突然――。
ピュン、と一筋の青い光が奔るのが、一瞬だけ見えた。
やばい! 避け――
「うっ!」
何かが胸を貫通していった感覚が、遅れてやってきた。
激痛が走り、思わず胸を押さえてその場にうずくまってしまう。
押さえた箇所を見下ろすと、服には穴が空いており、そこからじわりと血が滲んでいた。
まずい! 撃たれた――!
息がひどく苦しい。
咄嗟の動きでどうにか心臓だけは避けたものの、片方の肺がやられてしまったようだ。
そのとき、向こう側――。
中央政府本部側の出口の奥から、何者かが現れた。
近づくにつれ、はっきりする。右腕に大きな銃を装備した銀髪の男。
彼はこちらへと歩み寄ると、辛うじて立ち上がった俺に冷たく声をかけてきた。
「ここで待っていれば、いずれやって来るだろうと踏んでいた。予想通りだったな」
「なに!? 誰だ、お前は?」
「これから死ぬお前に言っても、仕方ないとは思うが……。一応名乗っておくか」
銀髪の男は、キザったらしくふっと笑った。
「プラトー。ディーレバッツの副隊長だ」
副隊長だって!?
だったら、マイナを撃ち殺したのはこいつか――!
鋭く睨み付けたが、一切意に介していないようだった。
俺は目の前の彼に対して、リルナとはまったく異質の強さ、脅威を感じていた。
リルナが近接戦闘重視で堂々と殺しに来るタイプなら、こいつは不意を突いて敵を仕留める術に長けている。
認識外からの攻撃というのは、対処しにくい。本当にタチが悪いのだ。
「さて……本来なら、もう一発頭にも撃ち込んで終わりにしてやるところだが――」
プラトーは、含みのある笑みを放つ。
「今回は、華を持たせてやるとしよう」
彼が俺の向こうへ目を向ける。
その視線に、はっと振り返ると――。
「ようやく追い詰めたぞ。ユウ」
二刀を構え、激しい憎悪を漲らせた目でこちらを射抜く、リルナがそこにいた――。