「散々手こずらせてくれた。だが、お前の悪運もここで終わり――やっと殺せる」
リルナはくすりと妖しげな笑みを浮かべた。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに顔を引き締めると、冷淡な口調で告げる。
「背負っているチルオンを置け」
「…………」
俺はあえて無視した。
今ここで動けないリュートを置いてしまうこと、それは彼を見捨てることと同じ。それだけはできない。
そんな俺の気持ちを見透かすように、リルナは再度強い口調で催促する。
「今すぐ置け。そいつを始末するのはお前の後だ」
「それは、本当か?」
「子供を背負ったまま、無抵抗で斬られたいのか?」
「……わかった」
リルナの言葉を信じることにした。
ここまで彼女と向き合ってきた限り、彼女は下らない嘘を吐くタイプではない。
ならば、少なくとも俺が戦っている間は、リュートの身は安全のはず。
後ろのプラトーは油断ならないが――どの道、心苦しいが今の俺に選択肢はない。
連絡橋の端まで歩き、そこにリュートを横たえた。
その間、リルナはこちらを鋭い目で観察していたが、特に何もしては来なかった。
プラトーは俺のやや後方、中央政府本部側に位置取って、逃げ道を防ぎながら控えている。
再び橋の中央に戻り、左手から気剣を出して彼女と対峙する。
その場に立っているだけで、身が凍えそうなほどの殺気と、逆に焦げ付くほどの激しい憎悪が突き刺さってくる。
逃げ場がない。万事休すか――!
「これでもう邪魔はない。死んでもらう」
リルナが消える。《パストライヴ》だ。
速い動きに惑わされるな。無駄な動きをするな。
防ぐべき攻撃は、俺を仕留めようとする一瞬。そこだけに集中しろ!
来る! 右から!
バチィィッ!
捉えた方向へ剣を振り下ろすと、彼女の光刃と俺の気剣がぶつかり合って、激しい火花を散らす。
息吐く間もなく、リルナは再び消えた。
次の瞬間、既に真後ろから、食らえば即致命の横斬りが迫っていた。
咄嗟に伏せることによって、辛うじてかわす。
またリルナが消える。
今度は体勢が崩れたところを、真上から一突きにしようとしていた。
身を転がして、不格好ながらも回避――
できない! 当た――
『交代!』
私は自分の身体を表に出して、身体の位置を微妙に変更した。
それにより、首を落とそうとしていた一撃を強引に避ける。
私のままでいてはやられる。前回の反省から、すぐにユウを表に戻した。
「私」と交代で再び表に出た俺は、刃を振り切ったままの体勢で沈黙する彼女を警戒しながら、すぐさま距離を取った。
《パストライヴ》の前では、多少の間合いなど気休めにもならないことはわかっている。
わかっているが、彼女から少しでも逃れようとせずにはいられなかったのだ。
「はあっ……! はあっ……!」
死と隣り合わせの攻防で、息は激しく切れていた。
片肺しか機能していないせいで、溺れているみたいに呼吸が苦しい。
ここまで、ほんの少しの間だった。
たったそれだけの間に、俺は何度死にかけた?
改めてリルナの実力に戦慄していると。
彼女は戦いで乱れた髪をかき上げつつ、ゆっくりとこちらへ振り返った。
「本当にしぶとい奴だ。まったく腹立たしいほどに」
「諦めだけは悪いんでね」
「そんな強がりも、二度と言えなくしてやろう」
リルナが再び動き出す。
そこからも、やはり防戦一方だった。
こっちは一瞬一瞬、ただやられないようにするだけで精一杯だ。
攻撃する隙などどこにも無いし、したところで何一つ効きやしない。
ましてや、逃げる隙なんて一切なかった。
当然だ。刑務所での戦いから、何一つ状況は変わっていないのだから。
いや、むしろ連戦でこちらにダメージが溜まり、片肺までやられている分、余計に身体が追いつかなくなっている。
この勝ち目のない戦いに巻き込まれた時点で、俺は詰んでいるのか。
いや、まだ諦めるな。諦めたらおしまいなんだ! 考えろ!
しかし、そう都合の良い手など簡単に浮かぶはずもなく。
やがてリルナは、新しい攻撃に移った。
《パストライヴ》を使って至近距離まで迫ったところで、彼女の身体中あらゆる箇所から、銃口が飛び出したのだ。
これは――リュートがやられた技だ!
直後。全身の銃口から、雨あられと青い光弾が発射される。
くそっ! 多過ぎてとても避け切れない! 気剣を盾にして防ぐしかない!
剣を盾状に引き伸ばし、前に突き出して全力で防御に回る。
どうにか攻撃を防ぐことはできているものの、あまりの弾の多さに、俺は防御に全意識を傾けざるを得なかった。
それゆえ、ほんの一瞬だけ気付くのが遅れてしまったのだ。
彼女がいつの間にか、また消えていたことに。
はっ! いない!?
どこに――
「その妙な武器――断たせてもらう」
背後から、ぞくりと恐ろしい殺気を感じたとき。
俺に残された選択肢は。
ただ無我夢中で振り返り、剣を振るうことしかなかった。
「うおおおおおおおおおーーーー!」
《センクレイ――》!
スパン――――
永遠とも思える一瞬。
何が起こったのか、始めはわからなかった――。
――ズシャッ!
やや遅れて、初めて認識できたもの。
それは――
俺の左腕が――
彼女の光刃によって、根元から綺麗に斬り落とされ。
地面に転がり落ちる音だった。
「うあああああああああああああああああーーーーーーーっ!」
左腕の。付け根から、どんどん血が出て――!
くそ! 止まらない!
「これでもう満足に戦えない」
リルナ――!
ちくしょう! 利き腕を持っていかれた!
『ユウ! 落ち着いて! パニックになっちゃダメ!』
『はっ!?』
『気をコントロールして、血を止めて! 早く! ほんとに死んじゃうよ!』
そうだ。そうだよ。落ち着け!
「私」の一声で何とか持ち直した俺は、失った腕の付け根に意識を集中させて、懸命に止血を図った。
だが既に失った血の量が多い。
生命力の強さに依存する気力強化は、この生命の危機にあって、次第に効果が薄れてきていた。
全身から戦う力が失われ始めている。
「勝負あったな」
もはや《パストライヴ》を使う必要もないと判断したのか。
リルナは堂々と歩いてこちらに向かってきた。
俺の顔を見つめ、少しだけ思案する素振りを見せた後、刃を突き立てる。
心臓を正確に狙っている。
死んでたまるか!
俺は諦めが悪かった。
懸命に身体を動かし、横に飛んで攻撃を避ける。
だがもはや気力強化を制御できなくなっていた俺は、転倒してごろごろと転がってしまう。
無様な格好で倒れた俺は、地を這いつくばって、それでもリルナをしっかりと目で捉えていた。
あまりに情けない姿に、さしもの彼女も困惑したように顔をしかめる。
「無駄なあがきを。お前はそのうち失血死する。その前に、一思いに止めを刺してやろうと言うのだ。諦めて受け入れろ」
「まだだ……。まだ、死ねない……!」
こんなところで終わってたまるか!
せめて、リュートだけでも。
彼を横たえた場所に目を向けて――。
はっ!? いない!? どこに!?
「ククク……。そこまでして生にしがみつくとは。滑稽だな」
嘲笑するプラトーの方を見たとき、俺は愕然とした。
こいつは、意識を失ったリュートをいつの間にか脇に抱えていたのだ!
「リュート! プラトーッ! お前! 何やってるんだよ!」
「……プラトー。さすがに趣味が悪いぞ。子供は後にしておけ」
諌めるリルナの言葉にも、プラトーは従わなかった。
「いや、リルナ。こいつは我々の仲間を何人も痛めつけた重罪人。殺す前に、悪い夢の一つも見せてやるべきだ。そう思うが」
「だがな……」
「それに、そもそもこのチルオンは違反機体――処分対象だ」
「それは……そうだが……」
卑怯が嫌いな性分なのだろう。
渋る彼女を一瞥して、プラトーは端へ目を向けた。
「処分は当然……下の中央処理場がお似合いだな」
彼は、抱えていたリュートの身体を片腕で摘まみ上げた。
意識のないリュートの身体は、力なく項垂れている。
「お前、何を――」
まさか。まさか――!
「やめろ……やめろよ……!」
もうまともに動けない俺は、残る右手で必死にウェストポーチを探ろうとした。
何か武器になるものを探そうと必死だった。
しかしながら当然、プラトーはそれを黙って見ていてくれるほどお人好しではなかった。
「無駄な抵抗は止めろ」
彼の右手に備わるビーム銃が、火を噴いた。
「あっ!」
先生からもらった大事なウェストポーチは――今のビームによって、完全に止めを刺されてしまった。
紐は完全に千切れ、遥か向こうへと弾かれていく。
「くっ……!」
一目見ただけでわかるような、大きな穴が空いてしまっている。もう使い物にならない。
プラトーは、往生際の悪い俺に明確な侮蔑の表情を向けた。
そして、リュートを――。
躊躇いもなく。連絡橋の外、何もない宙へ放り投げた。
「リュートッ!」
《パストライヴ》!
幾度目の能力使用だろうか。
使った瞬間、身体の中で何かが切れる音がした。
だが、なりふり構ってなんかいられなかった。
「リュート!」
両足だけで器用に彼を挟み込み、右手で橋の縁を掴む。
君を守るって言ったんだ! 死なせてたまるか!
でも、ちくしょう! 腕に、力が入らない――!
気が付けば、必死に縁にしがみつく俺を見下ろす形で、リルナが立っていた。
彼女は俺が上がってくるのを、何も言わずにじっと待っている。
上がってきたところを、今度こそその手で仕留めようってつもりなんだ。
ダメだ。上がれば確実にリルナに殺される。
この高さで落ちても間違いなく死ぬ。
くそっ! こんなことになるなんて……!
完全に詰みだ。
この世界の旅は、どうやらここまでらしい。
……どうせ終わりなら、【反逆】でも何でも使おう。
だから、リュート。
この命に代えても、せめて君だけは――。
…………!
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
俺は、手を離した。
落ちる。落ちていく。
最後に見上げたとき、目に映ったのは。
氷のように冷たい目で俺たちのことを見下ろし、こちらの死亡確認をする――リルナとプラトーの姿だった。