ユウの働きにより、無事アウサーチルオンの集いのアジトに戻ることができたテオ、ウィルアム、ネルソンの三人は。
クディンとレミに手厚くもてなされ、今は王のために用意された立派な客間で身体を休めようとしていた。
客間に入ったところで、テオが凛とした声でウィリアムとネルソンに告げた。
「ぼくのことはもう大丈夫だ。あの人を、ユウを助けに行ってやってくれ」
「しかし……」
浮かない表情で返答に困っている二人に、テオは心配ないという顔で続ける。
「これは予感に過ぎないが……。おそらく、これからの我々に最も必要なのは、中立的に真実を見抜く目なんだ」
「中立的な目、ですか」
関心を示したウィリアムに、テオは頷く。
「ぼくたちはどうしても、ヒュミテという種族のフィルターを通して物事を捉えてしまう。ユウは……不思議な人だ。それがまったく感じられない」
「確かに……。あの者は、変わっているな……」
ユウがこれまでしてきた、数々の純真とも言うべき立ち振る舞いを脳裏に浮かべて、ネルソンは苦笑した。
あの真っ直ぐな眼差しと生き方は、この世界で生きていくには辛いかもしれないが……決して嫌いではない。
「これだけは言える。ユウがいなければ、ぼくたちはとうに全員やられていた。そしてそれは、この先もきっと同じだ。彼の存在こそがカギなんだ。正直なところ、ぼくなんかよりもずっとね」
あまりに率直な王の告白に、二人は驚きを隠せないようだった。
「君たちは、歴史を知っているかい?」
テオは唐突に話題を変える。
二人ともかぶりを振った。
「我々は、戦いが本分なもので」
ウィリアムの予想通りの返答に頷いたテオは、彼らに理解させるようにじっくりと説明を始めた。
「約二千年前の世界崩壊後、我々の先祖は、復興のための道具としてナトゥラを創り上げた――」
はじめは、お粗末な知能しか持たなかったそうだ。
ゆえに扱いも、道具そのものとしてのものだった。
だが次第に世代交代による学習の蓄積を経て、ナトゥラは我々に劣らぬ高度な知能を持つに至る。
それからは、彼らにも一定の権利を与えるようになったという。
以来、ヒュミテが手綱を握りながらも、両者は比較的良好な関係を築いてきた。
ところが。
百数十年ほど前、突如ナトゥラは自らの優位性を唱え、ヒュミテへの反抗を始めた。
その端緒が、かのルオン大虐殺だ。
これに憤ったヒュミテは、武器を取り立ち上がった。
だが地力に勝る彼らには敵わず、やがてルオンを完全に掌握される。
「そうしてぼくらは、ティア大陸へと追いやられてしまった。百年ほど前のことだ。ヒュミテの歴史書には、そう記されている。ところが……」
彼は、苦々しい顔で目を伏せる。
再び顔を上げて、話を続けた。
「ナトゥラの側には、まったく違う歴史が綴られているようだ。我々の方が、長きに渡って筆舌に尽くし難い迫害を続けてきたのだとな」
「まさか……」
ネルソンが訝しむ顔をしたところで、テオは肩をすくめる。
「まあどちらが事実に近いかなんてことは、今を生きるぼくらには知りようがない。歴史というのは往々にして、自分側に都合が良いように歪められるものだからね」
それ自体は、一旦置いておくとしてだ。と、テオはあくまで客観的な視点で語る。
とにかく、ヒュミテとナトゥラの対立は、百年前に我々の敗北という形で大勢がついた。
これは、両者の歴史で共通するところだ。
だが、その後もヒュミテに対するナトゥラの迫害は留まることを知らなかった。
「彼らは年月を経るにつれ、ぼくらにより一層の憎しみを募らせている。そのことは、ここまでずっと戦ってきた君たちなら、肌で感じているはずだ」
ここまで、真剣に王の話に耳を傾けていた二人は、自らに幾度となく突きつけられた銃口と刃を思い返し、並々ならぬ実感をもって頷いた。
そこでテオは、一段と声の調子を強めた。己の疑念をぶちまけるように。
「おかしいと思わないか。先人はともかく、ぼくらが一体何をしたというんだ」
今を生きるナトゥラには、歴史的事実としての対立認識はあれど、自らの実体験として対立の事実を持つ者は少ないはず。
普通なら、時とともに憎しみというのは徐々に薄れていくものだろう。
「にもかかわらず、ほぼ例外なく、地上にいる誰もが現在に至るまで、ああまで徹底した憎悪を抱いているのはなぜか」
その奇妙な点については、ウィリアムとネルソンも、薄々とは感じていたことではあったが……。
改めてはっきりした形で言われてみると、はっとさせられるものがあった。
そんな彼らの顔色を窺いながら、テオはさらに続ける。
「もちろんチルオンの中には、我々に協力的な者もいる。ここの者たちのようにね」
ギースナトゥラの者たちは、ナトゥラに対する差別意識が比較的少ない。
「それだけじゃない。この地下に暮らす者の多くは、大なり小なり感情のわだかまりはあれど、我々ヒュミテの生存を『許している』。これが地上なら、そうはいかない。隠れ住んでいるヒュミテがいたとして、発見次第吊るし上げにされるだろう」
それは、自身もまた迫害されているため、シンパシーを感じているからではないかと。
二人は何となくそう考えていた。
しかしテオは、その可能性も考えたが、やはりそれだけでは納得がいかなかったのだ。
「チルオンやその他のいわゆる不適格者と、正常なナトゥラとの間では、明らかにこちらへ向ける憎悪の強さに明確な差がある。彼らに対してぼくらがしてきたことに、ほぼ一切の違いはないにも関わらずだ」
これまでの調査と、この一年の獄中生活の中で掴んだ、より進んだ見解を彼は示そうとしていた。
そしてこの自身の見解こそが、いかにひどい拷問を受けようとも、決して彼らを憎む気になれなかった一番の理由だった。
「この違いはなんだと思う? なぜ生じている。不思議に思ったことはないか?」
「確かに……我々は、どこか心にしこりを残しながら、これまで戦ってきましたが」
「生き残るのに必死で、考える余裕があまりなかったというのが、正直なところですね」
「そうか……。実はね。この二者の間には一体何の違いがあるのか。それをぼくは密かに調べていたんだよ」
少し間を置いてから、彼はいよいよ本題に入ろうとしていた。
「不覚にもぼくが捕まってしまった、アマレウムにおける実地調査で判明したことだ」
「何を掴んだというのです……?」
ネルソンの問いかけに、考えながら王の口が開く。
「……今から言うことに、確証はないよ。これはあくまで、ぼくの予想だ。ただ、ぼくだって何もせずに牢で一年を過ごしていたわけじゃないんだ」
自身が掴んだ決定的なキーワードを、彼は二人に告げた。
「CPD」
聞いたこともない言葉に、ウィリアムもネルソンも首を捻る。
「セストラル・パーチャー・デバイス。胸部動力炉のわずか上に位置する、ナトゥラのパーツだ。こいつに謎を解き明かすヒントがあるのではないかと、ぼくはそう当たりを付けている」
「それは一体、どういうものなのですか?」
食いついたウィリアムに視線を向けつつ、テオは答えた。
「機体更新の際、すべてのアドゥラとなる予定の機体に必ず埋め込まれるようになっている代物だ。このパーツには、ナトゥラの思考回路とは独立した思考演算回路が組み込まれている」
「何ですと……!?」
敏いウィリアムは、恐るべき可能性に気付いてしまった。
テオは、彼の懸念通りのことを述べる。
「元々は動力炉の働きを調節するためのものらしいけど、原理上はナトゥラの思考そのものにもそれなりの影響を及ぼすことができるはずだ」
そこで、ネルソンにも王の言いたいことがようやくわかった。
自身が考えてもいなかった衝撃の可能性に、愕然とする。
「もしそれが……彼らに宿る憎悪の感情を刺激して、増幅させているのだとすれば……」
「ああ。数十年前から、このパーツは実用化されている。奇しくもちょうどこの時期が、ヒュミテ隔離法の成立と、非正規格機体の処分と再利用に関するガイドライン成立の時期と重なる。偶然の一致にしては、出来過ぎではないだろうか」
テオの考察を共有した三人には、重苦しい沈黙が流れていた。
特にウィリアムとネルソンにとっては、自身の持つ価値観を180度引っくり返されたようなものだった。
両者の殺し合いが当たり前の世界という常識が――人為的に操作されたものであるという可能性が浮上してきたのだから。
「我々はもしかすると、とんでもない思い違いをしていたのかもしれんな」
やがて、ウィリアムがぽつりと漏らした。
テオは同意し、大きな溜め息を吐く。
「ユウもきっと、薄々このおかしさに気付いていたに違いない。だから、あんな試すようなことをぼくに言ってきたのだろう……」
「この場にいる誰よりも甘い奴だが……。一番現状が見えていたのも、あいつだったのか……」
「わかりました、王。しばらくお一人にしてしまうのは、心苦しいですが」
ウィリアムとネルソンは、今やかの人物の重要性を理解していた。
「我々も、ユウの救出に向かうことにいたします。彼はこの先、必要な人材だ」
「うん。頼んだよ。ウィリアム。ネルソン」
***
テオに見送られて部屋を出た二人は。
未だショックを隠し切れないが、やはり歴戦の戦士。既に気持ちを切り替えようとしていた。
「直接の救出は、ラスラたちに任せるとしよう……」
「考えがあるようだな。ネルソン」
彼は重々しく頷く。
「プラトーとザックレイの、スナイパーコンビ。救出と防衛においては……奴らの奇襲が最も脅威だ」
「確かに」
「特にザックレイ。此度判明した、奴の探知能力……この先逃亡を続けるならば……決して放っておくわけにはいくまい」
「奴らを牽制するわけか。そして、あわよくば……。なるほど。それでいこう」
ネルソンは、静かに、だが己が内側には燃え盛る怒りを滾らせて、固く拳を握り締めた。
「マイナは、可哀想だった。あんなところで、死ぬことはなかったのだ……。攻撃が来ることさえわかっていれば、彼女なら……」
彼の言わんとすることに強く同意して、ウィリアムはぽんと彼の肩を叩いた。
「王の言うことは、確かにもっともだ。あれがいくらかでも事実なら、いつかは両者が争わなくても済む時代が、来るのかもしれんな」
「だが……」
「今の時代は、血に塗れ過ぎている。汚れ仕事の方が、私たちの性には合っているさ」
「ああ……。私たちは、染まり過ぎたな――仇は討たせてもらうぞ」
ネルソンは、暗い決意を秘めて、口元を引き締めた。
ウィリアムは、そんな彼の本懐を沿い遂げられるよう、心固めをしつつ。
しみじみと語る。
「ラスラは、若干こっち寄りなところがあるが……まだナトゥラ憎さのみに染まり切ってはいない。ユウ、それにアスティやロレンツのような、価値観の凝り固まっていない力が、これからはきっと必要なんだろう。若い世代の力が」
最後に、一つ釘を刺しておく。
「それと、忘れるな。お前もだぞ。ネルソン」
この頑固者は言っても聞かないだろうなと、仕方なく思いながら。
「……肝に銘じておこう」
ウィリアムとネルソン。
二人の男は装備を整え、決意を胸にトライヴゲートをくぐる。
戦士たちは、再び戦場となる地上へと舞い戻った。