焼け石に水であるのはわかっているが、戦闘力に優れる男に変身して身構えた。
彼の凍てつく眼から視線を反らさずに、問いかける。
「自由期間は終わったのか」
「もう少し様子を見ていてやるつもりだったんだがな」
彼は見るからに面白くなさそうにしている。
その全身から放たれる禍々しいほどの威圧感を抜きにすれば、お気に入りの遊びを邪魔されて機嫌を損ねている少年のようだ。実際、そんなところなのかもしれないが。
あのときと同じ眼と威圧感を前にしても、身体は情けなく震え出すことはなかった。恐れていたばかりの当時とは違い、俺は彼の前でもどうにか平静を保つことができていた。
そんな俺の様子を目敏く捉えて、ウィルはやや不満の色を和らげた。
「なるほど。多少はマシな面になったようだな」
「四年も経てば、少しは成長もするさ」
こいつ自身との戦いも含めて、これまで何度も死闘を経験してきた。
お前との圧倒的な実力差は毛ほども埋まっていないだろうけど、気持ちの方ではもう引けを取るつもりはない。
「今度は一体何をしたんだ」
責める口調で尋ねると、ウィルは冷笑を漏らした。
「くっくっく。心外だな」
「なに?」
「こんな許容性も低いつまらない世界などに用はないさ」
あっさりとした意外な返答に、とても信じられない思いだった。
つい声が強くなる。
「じゃあお前は、何もしていないって言うのか!?」
「そうだな。
彼の言葉から、何か含みのようなものを覚えはしたが、しかしそれ自体が嘘のようには感じられなかった。
世界全体を巻き込むレベルの大事件。まさかまたこいつが犯人なのかと、その可能性も薄々考えてはいたのだが。
「本当、なのか?」
「なんだ。そんなに何かして欲しいなら、今からそうしてやってもいいんだぞ」
その言葉で、よくわかった。
こいつは、おそらく本当にこの星には何も手を付けてはいない。少なくともこいつ自身は。
もし何かを仕掛けているのなら、まだ真相も明らかになっていないこんなタイミングで堂々と現れるはずがない。「ゲーム」の仕掛け人が早々に現れてかき回しては、興醒めも良いところだろう。
こいつはそういう「つまらないこと」はしない奴だ。それだけは何となく信用できる。
……何もしていないとわかった以上は、これ以上下手に刺激しない方が良さそうだな。
気まぐれで世界が滅ぶような目に遭ってはたまらない。
もう口を噤むことにすると、ウィルは今度はレンクスの方に鋭い視線を向けた。
「今回用があるのは、お前の方だ。レンクス」
すると、そこまで黙って俺たちのやり取りを見つめていたレンクスが、不敵に口の端を吊り上げた。
目は笑っていない。いつになく真剣だった。
「ほう。悪ガキが。俺に何の用があるって?」
しばし言葉を発することなく、二人は睨み合った。
たったそれだけで、二人を中心として、緊張で大気が震えるようだった。
その場にいるだけで全存在を吹き飛ばされてしまいそうな、恐ろしい錯覚を覚える。
少しは強くなったと思ったけど、この二人の前では何の足しにもならない。嫌でも思い知らされる。
やがて、ウィルが沈黙を打ち切った。
「こんな錆び臭い場所にずっといるのもなんだ。場所を変えよう」
次の瞬間。
視界が、突如として暗転した。
う――息が――! 息が、できない!
『息を止めて!』
一瞬で気を失いそうになったが、「私」の呼びかけで息を止めて、辛うじて持ちこたえた。
くる、しい!
思わず喉に手が行く。
その動きが、妙にふわふわしていた。
なんだ!? 全身が、浮いて――!
そのとき。
目の前に映った「星」があった。
あれは――来たときに、見た――エルンティア――!
じゃあ、ここは――宇宙空間――!?
***
気が付いたときには、俺たちはいきなり真っ暗闇に放り出されていた。
あっぶねえ!
咄嗟のことで保護をかけたからいいものの。
なんて野郎だ! いきなりぶっ飛んだ真似しやがって!
って、言ってる場合じゃねえな。早くユウを助けてやらねえと。
《不適者生存》
【反逆】の応用の一つ。
生存不可能な環境でも、問題なく生存できるようになる効果をかけてやる。
もがき苦しんでいたユウの状態が、やっと落ち着いた。
ふう。ひやっとさせられたぜ。
念話を使って、ユウに語りかける。
『ユウ。聞こえてるか。ちゃんと聞こえてたら、俺に念じかけてくれ』
『うん。聞こえてる。危ないところだったよ。助かった』
奥で静かに控えているウィルに油断なく目を向けながら、俺は念じた。
『どうやら俺は、こいつを抑えておかなくちゃならなくなったらしい。今からできる限りの補助をかけてやる。それで何とか上手くやってくれ』
『……わかった。ウィルのことは頼んだよ』
『おう』
そこへすかさず、ウィルが念話で割り込んできやがった。
『お前の好きにさせると思うのか』
『へっ。こっちのが早いぜ』
瞬時に許容性限界の引き上げと、それに生身の身体が耐えられるように補助をかけてやる。
だが奴が妨害するので、ほとんどちゃんとかけてやる時間はなかった。ほんの気休め程度だ。
ウィルの奴の魔の手が伸びる前に、昨日の別荘に飛ばしてやることにした。
ユウの姿が、ふっと消える。
残念だが、このくらいしかしてやれなかった。あとは頑張れよ。
『……ふん。まあいいだろう』
くい、と奴が指で向こうを指し示す。その方角には、赤い月面が見えた。
ウィルが転移で月面まで飛んだ。俺もすぐ後に続く。
月面に着地すると、柔らかい砂が足に絡み付いた。
向こうに立ったウィルが、すっと手をかざす。
次第に、その場にあるはずのない空気が満ちていくのを感じた。
試しに息を吸い込んでみると、確かに酸素があるようだ。
あいつの【干渉】、やはり相当なもんだな。
俺の【反逆】よりか、ずっと応用範囲が広いようだ。
これほど強力な能力もそうそうないだろうぜ。
「ここなら誰の邪魔も入ることはない」
「星の眺めを肴に一戦交えようってか」
奴の背後には、すっかり濁り切ってしまった思い出の星が浮かんでいた。
昔は本当に綺麗だったもんだが。何がどうしてああなっちまったのか。
全力を出すことも覚悟していたが、ウィルからの返答はやや意外なものだった。
「いや。僕とお前が戦っても、ただ退屈になるだけだ。わかっているだろう」
「そうだな。お互い能力を打ち消し合って、さぞかしつまらない戦いになるだろうよ」
俺の【反逆】と奴の【干渉】は、互いに目の上のたんこぶのようなものだ。先に全力の攻撃をクリーンヒットさせることのできた方が勝つのは間違いない。
だから戦いになれば、互いにそうはさせじと力を尽くすだろう。
いたずらに戦いが長引いて、消耗するだけだ。
強過ぎる能力を持ったフェバル同士の戦いは、往々にしてそういうこともある。
ともあれ、どうやらこの場で戦うことにならないようだと、俺は内心ほっと胸を撫で下ろした。
安心したところで、前から気になっていた疑問が浮かび上がってきた。
「ずっと聞きたかったんだよな。お前、エデルではかなり手を抜いていただろう?」
「そう言うお前も、随分と手を抜いていたじゃないか」
「あそこで全力なんて出したら、星が壊れちまうだろ。それに俺は、ユウの仲間を守るのに相当気を使ってたからな」
そういう前提はあるとしてもだ。
やはりフェバルと一般人では、あまりにレベルが違う。
「それでも本気でやろうと思えば、俺とジルフを除いた全員くらいは一瞬で消せたはずだ。違うか?」
「否定はしないさ」
ウィルは、やや大仰に肩を竦めてみせた。
なるほど。クレイジーな破壊者という噂ばかりだったが、単にそうでもないらしい。
ユウに散々突っかかるのにも、何か理由があるのは間違いないだろうな。
「他に誰もいない。少しは腹割って話そうぜ。都合の悪いことは、ユウには黙っておいてやるからよ」
「……いいだろう。僕もちょうどお前に釘を刺しておきたかったところだ」
ウィルの眼光が、鋭くこちらを刺した。
「ユウを甘やかすなと、そう言ったはずだぞ。レンクス」