力尽きたレンクスの身体が、徐々に薄れて消えていく。
私たちを守ろうとした一瞬の隙を突かれて、ウィルにやられてしまった。
「これで邪魔者はいなくなった」
涙を拭き。
不敵な笑みを浮かべて空の上から私を見下ろすあいつを、強く睨み上げた。
ウィルはまったく意に介さず、機嫌が良さそうな顔でゆっくりと地上へ下降してくる。
再び目を下ろすと、もうこの世界から完全にレンクスはいなくなってしまった。
ちゃんと消えたということは、別の世界に行ってしまったということ。
他の人と違って、本当に死んだわけじゃない。
それだけはまだ救いだけど。でも……!
あまりの情けなさにやり切れなくて、太ももを強く殴り付ける。
ちょっと覚悟を決めてみたところで、結局蓋を開ければ守ってもらってばかり。
全然ダメじゃないか。私は……!
焦土級戦略破壊兵器。ここまで桁違いの強さだったなんて。
何が力を合わせればだ。見通しが甘過ぎる。
何もする前に、一瞬で殺されるところだった。
プラトーの言う通り。
あんな化け物、普通にやっていれば絶対に勝てるわけがなかった!
だけど、それでも。
前を向く。
遥か先では、それまで悠々と大空を駆けていたバラギオンが、今や見るも痛々しい姿で地にうずくまっていた。
レンクスが決死の覚悟で跳ね返してくれた砲撃によって、逆に凄まじいダメージを受けていたのはあちらだった。
片翼をもがれて。黒い球状物質があった胸部には、向こうの空が覗けるほどに巨大な風穴が空いている。あれでは、主砲はもう二度と使えないだろう。
まだ力尽きたわけではないみたいだ。再び動き出そうとしている。
外から見る限り、主砲と飛行機能以外のほとんどの兵装は未だに無事のようだ。
けどあの状態なら、何とかなるかもしれない。
完全ではないけれど、レンクスにかけてもらった《許容性限界突破》。
それと私自身の力、そしてこの世界でともに戦ってくれるみんなの力を合わせれば。今度こそ。
……情けない。本当に情けない。
ここまでお膳立てをしてもらわなければ、まともに戦うことすらできないなんて。
認めよう。
今の私では、万全な状態のあの敵には絶対に勝てなかった。
だけど、それでも。
何度だって自分に言い聞かせる。
どうしても負けられない戦いなの。これは。
なりふり構ってなんかいられない。
――まずは、あいつの気まぐれだけはどうにかしないと。
ウィルはもう、地面に降り立っていた。
膝を起こしかけているバラギオンの方を眺めやっている。
「レンクスの手によって主砲が破損したか。だがさすがのあいつでも、僕の邪魔が入れば一瞬では倒し切れなかったようだな」
独り言を呟き、悦に浸っている。
それから、大気に手をかざして。
「なるほど。許容性が数倍程度に引き上がっているのか。効果を打ち消してやっても良いが――まあこのくらいのハンデはあった方が面白いかもしれないな」
「ウィル!」
大声で呼びかけると、彼は一切の光なき冷徹な瞳をやっとこちらに向けた。
嘲笑うように口元を歪める。
「さて、ユウ。もうわかっていると思うが、今回のゲームを始めるとしようか」
「……一応内容を聞こうか」
「簡単さ。あのデカブツをお前が倒せるかどうか。受けないのなら、僕が世界を消す」
「言われなくても戦うつもりだった」
「だろうな。ゲームは成立だ」
ウィルはこれ見よがしに両手を広げた。まるでエンターテイナー気取りだ。
「あの爆発はお前の仕業だよね」
「少しは盛り上がるかと思ってな」
「……どこまでがお前の計画なの?」
「言っただろう。
「なら、お前の目的は何?」
「今の情けないお前に教えてやる義理はないな。メス臭い恰好しやがって。いい加減少しは思い出したらどうなんだ」
忘れている? 何を。
この『心の世界』に記憶されていないことなんて、あり得ないはずなのに。
「何を忘れているって?」
言った瞬間、腹に彼の拳が沈み込んでいた。
「げほっ……ごほっ!」
息が止まるほどの衝撃も落ち着かないうちに、強引に胸倉を掴み上げられる。
ウィルの氷のような目には、明らかに憎悪と、そしてこの上ない侮蔑が含まれていた。
「うっ……!」
「つくづくお前という奴は。また千回でも一万回でも殺してやろうか」
「本当に、なんの……こと……なの……?」
「…………いずれ」
呆れ返ったか、ウィルの目はすっかり冷めていた。
あっさりと手を離して、もう興味を失ったかのように乾いた声色で告げる。
「嫌でも思い知るときが来るだろう」
その頃には、度重なるイレギュラーに騒然としていた周りの動きが、ますます狂乱染みたものになっていた。
見れば、既に立ち上がったバラギオンが、攻撃を仕掛けようとしている。
特大の副砲に一斉に光を込めて、こちらを狙っている。
間違いない。ターゲットの中心は、私とウィルにあった。
というより、ウィルかもしれない。
おそらくだけど。
今いる中で圧倒的に強い力を持つ彼に反応して、まず排除すべき最悪の敵とみなしたに違いない。
当たれば死は確実。私は激しい焦りを感じていた。
そんな私とは対照的に、ウィルは涼しい顔で、だが機嫌だけはすこぶる悪そうだった。
「やれやれ。人が話しているときに――行儀の悪い奴だ」
彼が、死神のような鋭い睨みで一瞥すると。
瞬間、バラギオンの山のような巨体は――。
風に吹かれた紙切れ同然だった。いとも簡単に吹っ飛ばされてしまった。
轟音を立てながら、何度も激しく地面をバウンドして、のたうち回る。
改めてフェバルの実力にぞっとした。まるで赤子扱いだ。
とてつもない攻撃をしたかと思えば、次の瞬間には突然メタボロにやられていく。
そんな超ド級の怪物に、周囲は何が起こっているのか、さっぱりわけがわからないようだった。
通信機による音声が、忙しなく錯綜している。
リルナが必死になってみんなを抑えようとしているのが、時折聞こえてくる。
ただ一人、私だけがこの事態のあり得ない真相を知っていた。
「ちっ。勢い余って余計な塩を送ってしまったかな。よかったじゃないか。少しは心の準備時間ができて」
「ウィル。お前は……」
何者なの。
その疑問が、喉から引っかかったように出て来なかった。
この男が一体何を知っていて、何を考えているのか。
私に何を求めているのか。
ただの敵だと思えていたときは、怯えていればよかった。あんなにもわかりやすかったのに。
今はそんな単純には思えない。
絶対に許せない奴だし、恐ろしい奴には間違いないのだけど。
だからどんな顔を向けたら良いのかわからなくて、ただ茫然としてしまう。
「どの道焦土級程度に苦戦しているようでは、話にならない。僕らに迫りたいのなら、まずお前もフェバルになることだ」
「……約束して。あいつに勝ったら、余計な手出しはしないと」
「いいだろう。では僕は、のんびり観戦でもさせてもらうか」
呑気な調子であくびを噛み殺して、ウィルは浮かび上がった。
世界の破壊者に、始めに取り付けたかったそれだけを約束させて。
今はただやるべきことを。目の前の大敵と向かい合う。
ここまでは、フェバル級の力が飛び交う蹂躙そのものだった。
ここから先は、私たちの戦い。
深く傷付いたとは言え、焦土級に対抗できるのか。限界を超えた力が試されている。
三度。バラギオンが立ち上がろうとしていた。
どこかに飛び上がってしまったウィルの方はもう見ようともせずに、今度は真っ直ぐ私に心のない視線を向けている。
わかっているのかもしれない。誰が脅威となり得るのかを。
すぐにリルナたちと合流して、戦う態勢に入ろう。
でも、その前に――。
「まずは挨拶代わりの一発」
牽制する。
私はさっと弓引くように指をなぞった。
改良を重ねたこの魔法。弓を作り出して溜め撃ちすることもできるけど。
ただ撃つだけならば、もう大仰な動作は要らない。
光の矢。貫け。
《アールリバイン》