オルテッド・リアランス。
母さんの話で聞いたことがある。
かつてワルターというフェバルと組んで、悪逆非道の限りを尽くした男だったと。
でもレンクスの協力を受けて、母さん自身の手で確かに倒したって。そう聞いていた。
「母さんが話していたよ。どこまでも最低な奴だったってな」
「散々な言いようだな。何も間違ってはいないが」
「否定しないのか?」
すると何が可笑しいのか。彼は皮肉気に笑い始めた。
「くっくっく。否定だと。小僧。教えてやるよ」
大仰に両手を掲げ、彼は堂々と言ってのけた。
「この世には悪が必要なのだ。それで救われる者がいる。それで利益を得る者がいる」
「苦しむ者の方が遥かに多くてもか!」
「若いな。この星の人類全体のさらなる発展のために、私は正しい内乱を推し進めただけに過ぎない」
彼は手をわなわなと震わせて、愉悦に顔を歪める。
「ああ。楽しかったなあ。私の開発した兵器によって、人間どもがゴミのようにくたばっていく様を眺めるのは」
その顔を見るだけでも、下種な人間性が垣間見えて、無性に腹が立った。
あまりにも筆舌に耐えがたい虐殺を巻き起こしていたそうだな。
それを見ていられなかったから、母さんはお前を止めることに決めたんだ。
「だがそこに水を差してきた連中がいた。レンクス・スタンフィールドとかいうフェバル。科学者のライバルだったルイス・バジェット。そして貴様の母親、星海 ユナだ」
胸の中央をトンと指し示すように叩いて、彼は肩を竦めた。
「あのとき、確かに心臓を撃ち抜かれたはずだった。見事な腕だったぞ。惚れ惚れするほどにな」
「そこで死んでおけば良かったものを……!」
片腕を失った痛々しい姿のプラトーが吼える。
オルテッドは、ただの鉄屑でも見るような冷めた目で無視して続けた。
「だが、奇跡的に私は生き長らえた。その身を半分以上機械に変えてでもな」
「その後も、お前は死んだことになっていたはずだ」
「そうだな。あえて目立つような馬鹿はもうしなかったよ。また倒しに来られては敵わないからな」
「じゃあ……どうして。どうしてエストティアは滅びた?」
「資源の枯渇。進む少子化。時代の閉塞感というやつだ。こればかりは、世界を救った英雄様でもどうしようもなかったようだな」
そうか……。
母さんも、時折どこか悲しそうに漏らしていた。
人の心を変えるのは、何よりも難しいって。
「あとはあの女が去るのを待って、ほんの少しだけ影から助長してやればそれで事足りた。数十年も経てば、この世界の連中は面白いように侵略戦争に息巻いていたよ」
プラトーの方を見た。彼も否定はしなかった。
「理解したか? 私だけの責任ではないのだよ。時代が戦争を求めていたのだ」
「だから、滅びたんだろ……」
悲しいけれど、認めるしかなかった。
この星の人間たちは、取り返しの付かない間違いを犯してしまったのだと。
そしてそう思っているのは、この男も同じようだった。
「そうだな。認めよう。失敗だったと……。やり過ぎたのだ」
オルテッドは語る。
加速した宇宙戦争の熱気は、どこまでも止まらなかった。
いかに効率的に奪うか。いかに自分たちだけが都合よく勝ち得て、他者に不幸や不利益を押し付けるか。
そんなことばかりが持て囃されるようになった頃。
「ついに馬鹿な連中が先走って、ダイラー星系列を刺激してしまった」
「ダイラー星系列?」
「おいおい。異世界の渡り人が、あまり無知を晒すなよ。宇宙に覇を唱える最強の星系統合体だ」
「そんな連中が……」
「そうだとも。そして、すべては終わった。襲来した無数のバラギオンによって、この星は焼き尽くされた。一瞬のことだったよ。栄華盛衰など、所詮そんなものだ」
まるで今見てきたようにそう語るオルテッドは、憎々しげに顔をしかめた。
その所作の裏に、どこかやり切れない気分が隠れているように思われた。
「生き残ったわずかな人類は、零以下からの再出発を余儀なくされた」
そこで、吹っ切れたように突然笑い出す。
「あっけなかったぞ! この星に残った人間どもは怯えて勝手に潰し合い、くたばってくれたよ! 最後の最後まで、本当に馬鹿な連中だったなあ!」
「そして、何の意味もないシステムだけが残った」
プラトーが、苦々しげに指摘する。
オルテッドがぴたりと笑いを止める。
「違うな。完成したんだよ。私のためだけに存在する、エルンティアという名の巨大な実験場がな」
「何が実験場だ。ただの管理者が、思い上がるなよ」
「ふん。どうあれ、今は私がシステムの実質的な支配者であることに変わりはない」
「管理者だと?」
「そうさ。私こそがシステムの現管理者であり、このくずロボットは監視者だ。なあ、共犯」
馬鹿にするように言われたプラトーが、辛そうに顔を背ける。
俺は、思わず庇い出ていた。
「プラトーを責めるなよ。バラギオンなんかを突きつけられて、誰だってそうするしかなかったはずだ」
「……ほう。よかったじゃないか。同情してもらえて」
オルテッドが、侮蔑するような目をプラトーに向ける。
「そのバラギオンはもう倒した。オルテッド。こんなことはもうやめろ」
「クク。やめろだと。説教でもしているつもりか?」
「悪いか! エストティアはとっくの昔に滅びた。もういいだろう!」
「はっはっは! 馬鹿か! コンピュータの分析通りのめでたい奴だ! 貴様の母親の方が、まだずっとシビアに物事を見ていたぞ」
「……くっ」
「そもそも何をやめろと? こいつらは所詮モノに過ぎん。人間が道具をどう扱おうが、人間の勝手だろうが」
「違う……」
「なに?」
俺は、心からの想いを込めてぶつける。
この星の人間に言ってやりたかったことを。
「ヒュミテもナトゥラも、人だ。モノなんかじゃない」
「操り人形に過ぎん」
「違う……! 楽しいことや嬉しいことがあれば喜んで。辛いときや苦しいときは悲しんで。誰かが傷付けば怒り、死には涙した」
バラギオンとの戦いのときに伝わってきた感情は、決して偽りのものなんかじゃなかった。
いや、こんな能力がなくたって。
俺がこれまでの日々を通して見てきたものは。感じてきたものは――!
「みんな、心を持っているんだ。大切なものを持っているんだ」
「下らん」
「始めに造られたかどうかなんて、関係ない。みんなもう立派な人間なんだ! それを踏みにじるようなことは、許すわけにはいかない!」
「……価値観の相違だな。所詮わかり合えんということだ。私と貴様では」
互いに睨み合う。やはり言葉ではどうしようもないようだ。
「確かに、あのバラギオンを倒した。そんな奇跡を起こせてしまう貴様は、やはり腐ってもあの女の子供というわけだ。だが――」
彼はにやりとほくそ笑んだ。
「この二千年。私が何もしなかったと思うのか?」
「なに?」
「やはりか……」
プラトーが、暗い調子で呟く。対照的に、オルテッドは好調だった。
「何のためにわざわざ面倒な殺し合いをさせてきたと思っている。膨大な戦争シミュレーションによるデータ分析は、実に大きな実りをもたらしてくれた」
「お前……!」
「二千年もあればな。研究はいくらでも進められたぞ」
「まさか……!」
俺がはっとすると同時、彼は絶望的な言葉を告げた。
「再現型バラギオンは、もうほぼ完成している。手始めにほんの数百体ほどだ」
そんな――!
たった一体だけでも、全員が死力を尽くしてやっとだったんだぞ。
それが、数百体もなんて……!
「理解したか。ほんの少しだけ寿命が延びたに過ぎないということが」
「あんな物騒なものを大量に造って、どうする気だ!?」
「簡単なことだ。もう一度始めるのさ。戦争を。人類の――私の時代をな」
「たった一人だけでか?」
「……ああ。そうだとも。私だけが、唯一無二の支配者だ」
それが、そんなことが。お前の望みだって言うのか……!?
だが語気には、わずかだが陰りが見える。
お前、なんでそんなに……。
怒りと、ただそれでは表し切れない気持ちが湧き起こる中、彼はあくまで野望を語り続ける。
「新生エルンティアの始まりさ。無論、貴様らは私に従ってもらうぞ。永遠にな」
「そんなことさせるかよ!」
「よそ者が。出しゃばるなよ。元々人類こそが、正当なるこの星の支配者なのだ」
その言葉が、彼自身の望みとは裏腹に、嫌に虚しく響いた。
この男も、たぶんわかっている。
わかっていて、あえてそう振る舞っている。そんな風に見えた。
「……もう、旧人間の時代は終わったんだよ。お前だって、本当はとっくにわかっているだろう! 二千年の冬を超えて。新しい時代の夜明けを迎えなくてはならないんだ」
「……まだだ。まだ終わってなどいない。この私がいる限りはな。この星はいつまでも私のものだ。そうであり続けなくてはならない」
奴の気配が変わったのを見て、俺も気剣を抜いて構える。
――厳しい。あまりにも。
内心舌打ちする。
バラギオンと戦ったときの消耗がひどいせいで、気剣の輝きは既に弱々しかった。
「あの女には、数え切れないほどの恨みがある。貴様には、凄惨な死を与えてやろう」
そこに、プラトーが真剣な顔で忠告をかけてきた。
「気を付けろ……奴は物質消滅能力を使うぞ……!」
「物質消滅だと!?」
「《ニルテンサー》。攻守において完全無欠の兵器だ」
オルテッドが得意満面に答える。
なるほど。プラトーの左腕が丸ごと消えているのは、そういうことだったのか。
聞くからに厄介極まりない能力だ。どう攻略すればいい。
くそ。気剣なんか出したら、立っているだけでふらついてくる。
とても長くは戦えない。
一回だ。一回で決めないと。
彼が手を突き出した。一見何もない、それだけの動きだ。
俺は戦慄した。
なんて攻撃だ。軌道がほとんど見えない。
余波で地面がほんのわずか削れる様から、辛うじてそこが「消えている」ということだけはわかる。
しかもかなり速い。
消滅の波動が俺の目と鼻の先まで迫ってくるのは、一瞬のことだった。
そのタイミングで、攻防一体の技を仕掛ける。
《パストライヴ》
何度もお世話になった技で、一気に敵のすぐ背後に回り込んだ。
やはり身体の負担は一切感じられない。理由はわからないが、完全にこの技はものにできたらしい。
気剣に最大限の気力を込める。しかし、もはや青白く変色してくれるだけの余力もなかった。
仕方ない。このまま斬りかかれ!
《センクレイズ》
しかし。そこでとんでもないことが起こった。
奴の体表に剣先が付こうとしたところで、手前の何もない宙で、先から剣が消し飛び始めたのだ。
慌てて剣を止め、《パストライヴ》を再度使って間合いから脱出する。
激しい動揺を抑えられなかった。
なんだ、あれは……!
もう少し深く斬り込んでいたら、腕ごと吹っ飛んでいるところだ。
くそったれ……! こいつも常時展開型か!
そのとき、突然オルテッドが狙いを変えた。
プラトーがいる方向に。
プラトーは、オルテッドに構わず全力で攻撃に集中しようとしていた。
向こうには、アンテナのついた白い大きな塔が見える。
ダメだ! もう助けが間に合わない!
プラトーのビームライフルが、白い塔を貫き、爆発音が響く。
同時に、無防備だった彼のほぼ半身は――オルテッドによって消し飛ばされてしまった。
「目障りなことを。貴様から死ね」
「させてたまるか!」
今度は先回りでワープし、見るも痛々しい姿のプラトーを抱え上げる。
よかった。辛うじて頭部だけは無事だ。
「何を、している……お前まで……死ぬぞ。こんなオレのことなど……放っておけ……」
「放っておけるわけないだろう! リルナとも約束したんだ!」
「……ばか、やろう」
「足手まといを庇って、仲良く死のうというのか。それも結構」
オルテッドが、再び消滅波を構える。
このままでは……!
とそのとき、「私」が呼びかけてきた。
『悔しいけど、ここは一旦逃げよう』
『だけど、どうやって?』
『実はね。許容性が下がる直前に気付いて、一回分だけ転移魔法を待機させてあるの』
『本当か! 助かった』
『うん。でもその前に、私にも少しだけ挨拶させて』
『ああ』
「私」に交代する。
「な……貴様……!」
オルテッドが、その場に凍り付いたように固まっていた。
同時に、まさに仇を見る目でこちらを睨んでいる。
それはそうでしょうね。
だって私は、若いときの母さんに瓜二つだもの。
母さんから知らずのうち、ずっと続いてきた因縁。
こいつだけは。私たちが後始末を付けなくちゃならない相手。
私は宣戦布告のつもりで、サムズダウンをした。
「あんたは、絶対に私たちが止める」
それで、私たちがこの場は逃げることを察したのだろう。
彼もまた何を思ったのか、宣戦布告らしい言葉を返してきたのだった。
「エストケージで待つ。来るがいい。二千年の因縁に決着をつけよう」
《転移魔法》
満身創痍のプラトーを連れて、ディースナトゥラに転移した。
***
「……逃げたか」
オルテッドは、ほとんど何の感慨もなくそう呟いた。
「ちっ。久しぶりのことに、少々無駄話が過ぎてしまったな……。まあいい。そろそろ時間切れだ」
そして彼は、そのまま動かなくなった。