やがて母さんは、少し言いにくそうに切り出した。
『実はね。今日はお別れを言いに来たのよ』
そして、名残惜しそうな顔で続ける。
『悪いけど、しばらく異世界からは引退だ――この子がいるからな』
優しげに目を細めて、母さんはお腹をさすった。
そうだったんだ。
母さんが異世界に行くのを止めたのって、俺のためだったのか……。
『そうか……。寂しくなるね』
『そうね』
しんみりとした空気が漂う。
静寂を破って、母さんが口を開いた。
『もう色々と挨拶回りは済ませてきた。ここが最後だ。一番気がかりなのは、やっぱりこの世界だった』
『すまないね。心配をかけて』
『本当は、もう少しくらい面倒見てやりたかったんだけどね。地球でも色々あってさ。子育てしながらじゃ、さすがに手が回りそうもない』
母さんは、腰に取り付けたホルスターに手をかけた。
『だから、私の代わりってわけじゃないけど』
そこから、無骨でシンプルな造りのハンドガンを取り出す。
一見何の変哲もないそれが、ただの銃でないことは。
ルイスのぎょっと驚いた反応から、すぐに読み取れた。
『それは……! 君の大切なものじゃないか!?』
『いいのよ。私の暮らす世界じゃ、こんなものは役に立たないからな』
私自身の腕さえあればそれで十分、と母さんは胸を張った。
『こいつをあんたに託しておく。もし必要になったとき、然るべき相手に渡してやってくれ』
母さんが本当に物を頼むときの真剣な目で、ルイスに告げた。
ルイスも意を汲んだのだろう。余計なことは言わず、丁重にそれを受け取った。
『ああ。わかった。目の届くところに、大切に保管しておくよ』
彼はすぐに研究室の壁際へと向かった。
そこには大きめの棚があって、彼は棚から何やら黒い蓋つきの箱を取り出した。
箱の蓋を開けて、母さんから託された銃を丁寧にしまい込む。
しっかりと収めると、蓋を締めて箱は元の場所に戻した。
よく見てみれば――今も、その黒い箱はそこにしっかりとあった。
『これで用も済んだな。じゃあ、名残惜しいけど。そろそろ行くことにするわ』
『向こうでもちゃんと幸せにやれよ』
『もちろん。なに、この子が少し大きくなったら、今度は一緒に連れて来てやるさ』
――それは、結局叶わなかった。
先を知っている俺からすれば、この別れがどうしようもなく寂しいことのように思えた。
『そう言えば。性別はどっちなんだい?』
『あえて聞いてない』
『それはまたどうして?』
母さんは、にっと笑った。楽しみで仕方がないというように。
『産まれたときに初めて会いたいからな』
母さん……。
胸が熱くなる。
『でも、名前とか色々困らないか? 僕ならすぐに調べちゃうけどな』
『名前なら、もう決めてる』
お腹にそっと手を当てて。
中にいる俺に言って聞かせるように、母さんは穏やかな口調で言った。
『男の子でも女の子でも、ユウだ。優しい子に育つようにってね』
不意に、目に熱いものが込み上げてきた。
『ユウか……いいじゃないか。とても素敵な名前だと思うよ』
『だろ? 旦那と話し合って決めたんだ』
明るく笑った母さんは、お腹の中の俺に、優しい声で語りかける。
『ユウ。私もシュウも、お前に会える日を楽しみに待ってるからな。ちゃんと元気で出て来るんだよ』
ぽろぽろと、次から次へと涙がこぼれ出てきて。
止めることができなかった。
俺……。
母さんと父さんの子供でよかった。本当によかった。
――今まで、色んなことがあってさ。
話したいことが、たくさんあるんだ。
泣き虫は、少しは直したつもりだったけど……ちっとも直ってなかったよ。
母さんも父さんもいない一人きりの夜は、とても寂しかったけど。もう平気だよ。
あれから、たくさんの人と出会って。友達も、いっぱいできたんだ。
だから。もう大丈夫。
俺、母さんと父さんの望んだ通りになれてるか、わからないけど。
何とかやってるよ。ちゃんと元気にやってるよ。
静かに涙を流す俺の頭に、温かい手が触れた。
そのまま、手は優しく頭を撫でてくれる。
振り向くと、リルナは何も言わずにただ微笑んで、いいんだと首を横に振った。
母さんの幻が、ルイスの研究室を去っていく。消えていく。
袖で涙を拭って。
俺はその後ろ姿を、最後まで目に焼き付けた。
ねえ。母さん。
今から、また戦いがあるんだ。
母さんがやり残した仕事が。
きっとこれからも心配させるようなこと、たくさんするだろうけど。
俺、頑張るから。しっかりやっていくから。
どうか、見守っていて下さい。