「う……う、ぐ……ち、くしょう……」
誰もいない荒野に、疲れ切った白髪の男の掠れた声が、薄く延びて消えていく。
彼は、力なく蹲っていた。
かつての自信に満ちた姿はどこにもなく。力にかまけてやりたい放題だった栄華は影も形もなく。
長きに渡って溜め込んだ恨みと屈辱に、心をすり減らして。限界を迎えようとしていた。
「無様なものだな。ワルター」
「きさ、ま……は……ウィル……!」
ウィルが、膝を付く彼を見下ろす形で背後に立っていた。
「仮にもフェバルが、ただ一人の女を根に持って子供に復讐とは。小さい」
「うる、せえ……! 貴様に……何が、わかる……!」
万物の事象を【逆転】させることのできる特殊能力を持つフェバルの男。ワルター。
彼はかつてエストティア内乱の最中、星海 ユナの手によって撃ち倒された。
当たればフェバルにも通用する希少な武器。魔力銃ハートレイルを手にした彼女に。
魔力銃ハートレイルは、同じくフェバルであるユナの旧友、【属性付与】のハーティナの手によって造られた。
『全貫通属性』を持つこの銃は、対象に当てることさえできれば、どんなものでも必ず撃ち抜くことができる。
銃に撃たれれば、普通の人ならばダメージを避けられない。
この自明な理を、フェバルにも適用させること。
反則級の能力によって実質無敵を誇るフェバルを、人間の理が通用する舞台に引きずり下ろしてやるための武器。
あくまで人間のまま化け物に勝つことにこだわったユナが、それ以上の性能をあえて求めなかった。
その心意気に打たれた、ハーティナは。
心が限界を迎えて『死にかけていた』ところ、最後の力を惜しみなくユナのために尽くした。
そうして出来上がった、彼女の事実上の遺作である。
ハートレイルという名は、彼女の名の頭文字と、旧文明の首都エストレイルの後ろからそれぞれ取って付けられた。
これをもって、ユナとワルターは死闘を繰り広げた。
とは言え、あくまでユナにとっての死闘であり。
ワルターにとっては、ただの遊びのはずであった。
ユナは、いかに人として類稀な天才と言えど、フェバルに比べれば乏しい実力であるところ。
口八丁とハッタリも駆使して、どうにか食らいつき。
じっと決定的な隙を狙っていた。
ついに、魔力を込めた決死の一弾を放ったとき。
皮肉にも、攻撃を反転させんと癖で【逆転】を使用してしまったことが、彼の致命的な隙となった。
能力にかまけて、油断し切っていたことによる敗北。
ただの人間を相手に。
彼が倒れる瞬間目の当たりにした、哀れなものを見下すようなユナの目が。
彼の心に焼き付いて、決して離れることがなかった。
以来、そのときの光景が彼を毎晩のように苛むことになり。プライドが余計に彼を苦しめた。
そうしていつしか、完全に復讐だけに憑りつかれて。
結局それも果たせることなく、二千年が虚しく過ぎ去った。
心がすり減ったフェバルは、本来の力を発揮することもできず、見る影もなく弱り果てていく。
そしてさらに気の遠くなるような時間をかけて、徐々に生きる屍と化してゆくのだ。
いつか完全に心が死に、星脈に存在そのものを飲み込まれてしまうその日まで。
「瀕死だった……オルテッドを……機械と化し、操り……バラギオンを……捕え、使役し……」
死後、【逆転】の力で、わずかの間だけエストティアへ舞い戻ることのできた彼は。
布石を打って、破滅を助長した。
いつかユナが戻ってきたその日に、徹底的な絶望を叩き付けてやるために。
そうしてエルンティアに復讐の根を張り、星を転々としながら、待ち続けて。
ついに先日、血縁者と思われる生体データの情報を得て。
彼は三度、執念でこの星へやってきた。
残念ながらユナはもう死んだらしいが、そいつは実の子供だった。
ならば。その子供をいいように踊らせることで、腹いせとするつもりだった。
万が一再びあの銃が子供の手に渡ることのないよう、徹底的にルイス研究所を破壊し。
ガキが惨めに力尽きていく様を眺めて。
今度こそ、腹の底から笑うつもりだった。
だがそのすべての企みは、またしても敗れ去った。
自分が関わっていたことすら知る由もない。
他ならぬユナの子、ユウの手によって!
「お、のれ……こうなれ、ば……やはり、この俺が……直々に……!」
「下らん。今さら『死にかけ』のお前が行っても、ただつまらないだけだ」
ウィルは無関心の表情のまま、明確に蔑む口調でそう言い切った。
「き……さ、ま……! この俺を、愚弄……するか……!」
冷静さを失ったワルターが、【逆転】を使い、ウィルに襲い掛からんとする。
昔の切れ者だった彼ならするはずのない、あまりに軽率な行動だった。
「雑魚が」
即座にウィルが発動させた【干渉】によって、ワルターの能力は彼自身に牙を向く。
存在を【逆転】された彼は、ちょうど物質消滅に呑み込まれるような形で、肉体を消失させていく。
「お前など、僕の足元にも及ばん」
「お……お、あ……!」
ワルターの消え入るような悲鳴に、それを聞くことすら不快だと顔をしかめつつ。
さらにウィルは、能力による追い打ちをかけた。
《
効果は能力封じ。
弱っているフェバルが相手ならば、容易にかけることができた。
そこまでやってから、彼は止めとばかりに侮蔑の言葉を浴びせかける。
「下らん能力は封じた。これでお前は、ただの塵だ」
「な……! お、ま……!」
「惨めな思いを抱えたまま、いつまでも生き続けるがいい。無力に怯えてな」
「あ……が……!」
「じゃあな。ゴミクズ」
***
そうして、決して誰も知ることのない後始末を付けて。
ウィルは、眠そうに欠伸をした。
それから、人の気配のする方向へゆっくりと振り返る。
「それで。こっそり浄化の種を撒きに来たのは、お前なりの罪滅ぼしか」
呼ばれた筋肉質の男は。
ユウとサークリスで会ったときの、ガチムチなふざけた格好ではなく。
きっちりと「仕事用の」黒スーツに身を固めていた。
「トーマス・グレイバー。いや――ダイラー星系列第3セクター執政官殿」
「元、だ。そういうのは疲れちまったって、言わなかったっけか。ただまあ――」
濁った空と荒れ果てた大地を見渡して、彼は神妙な面持ちで頷いた。
「一端の責任を感じない、とも言えないわな」
「今日はよくフェバルが集まる日だな」
「みんなユウが大好きなんだろうよ」
皮肉気にそう言ったトーマスに対し、ウィルは直球で返した。
「僕は大嫌いだがな」
さらにウィルは、怪訝な目をトーマスに向ける。
「何のつもりで、僕とユウを監視している。気付いていないとでも思ったか」
「んー、やっぱ。どうもこの辺りに、一つの大きな流れの焦点があるような気がしてな。周りの連中は、まだそうは思っちゃいないみたいだけどよ」
トーマスは、のんびりとした調子でそう答える。
ウィルは顔をしかめたが、否定はしなかった。
「ユウの坊やは、ちったあ成長したのか?」
「一つ大きな壁は乗り超えたと言えるだろう。能力込みで、種族限界のレベルを超えつつある」
「へえ。そうかい」
種族限界級。またの名を許容性限界級とも言う。
その世界に暮らす者が、その世界の中で鍛錬して自然に到達できる最高レベルの実力。
通常の範囲で、種族として到達可能な究極の強さと言い換えることもできる。
各世界の許容性に基準が依存するため、実際の実力のほどは、その者が今いる世界によって大きく変動する。
ただ共通して言えることは、それが各世界にとって、一つのメジャーな限界点を与えるということである。
地球の人間が、どう足掻いても音速では走れないように。素手で山を破壊することはできないように。
人には人の限界があり。獣には獣の限界があり。機械生命には機械生命の限界がある。
許容性限界とは、つまりはその世界に属する者にとっての天井であり。
決して超えられるはずのない、また通常は超える必要のない壁である。
この壁を超えてしまった、ほんのわずかな者だけが。
世界という枠組みをも超えて、無秩序に力を増してゆく可能性を秘めている。
一に、フェバル。
一に、星級生命体。
一に、異常生命体。
フェバルは、宇宙全域のシステムたる星脈に属する者であるゆえに。
星級生命体は、星そのものを支配する絶対強者であるゆえに。
異常生命体は、その存在自体が異常であるゆえに。
総して『三種の超越者』。
彼らだけが。この宇宙において、人を超えた存在なのだ。
「そうだった。一つ言っておく」
「なんだ」
「ユウに適当な嘘を混ぜ込むなよ。あの脳内ハッピー野郎は、あまり人を疑うことを知らない。おかげで計画が狂ってしまっただろう」
「だが、それで別の道が見えてきたんじゃねえのか?」
「結果論に過ぎない。根本の弱さと不安定さは、依然残ったままだ。能力を安定させるには、やはり心を闇に染めてしまうのが確実だった。そうすれば、神のごとき力を見せてくれたはずだ」
「でもよ、そりゃあちっと酷ってもんじゃねえか? そうなったユウが、余計厄介なことにならないとも限らねえしよ」
ウィルはその言葉を無視して、続けた。
「だが……ユウめ。本能が僕を絶対に恐怖するはずなのに、いつの間にか乗り越えようとしている。僕では、もはやあいつを恐怖と絶望で染め上げることはできないだろう」
「負けを認めるってか」
「仕方ないさ。こうも散々邪魔が入ってはな」
ウィルは、射抜くような目でトーマスを睨んだ。
が、栓のないこととわかっているのだろう。
わりあいすぐに睨むのを止め、代わりにやれやれと肩をすくめた。
「少々やり方を変えることにした。回りくどくはなったがな」
そしてウィルは、真剣な顔つきでトーマスに尋ねた。
「あとどのくらいで始まる」
「さあなあ。明日かもしれねえし、数年かもしれねえし、数十年かもしれねえ。あるいは、数百年か数千年か。いずれにしても、そう遠くはない気配だぜ」
「状況は芳しくないな。何かできるのか。こんな調子で」
「ま、俺たちで何とか少しでも可能性を探るしかないだろ? なあ、破壊者さんよ」
「一緒に括ってくれるな」
素気なく顔を背けたウィルは、これまでのことを何となく思い返した。
「僕がこの道を選ぶしかなかった。せっかくだから、暇潰しはさせてもらっているがな」
すこぶる凶悪な笑みを浮かべた彼に、トーマスは哀しげな顔で突っ込みを入れる。
「そうしてしまう心の持ち主なんだろ? 俺はよう。マジにお前の境遇には同情してんだぜ?」
「ふん。同情される謂れもなければ、邪魔をされる筋合いもないな」
ウィルは、かなり不愉快だった。
「お前たちには、確かに借りがある。だがもしこれ以上、僕のやり方に介入する気なら――次は消すぞ」
いつもの垂れ流しの殺気ではない。本気の殺意だった。
だがそれを向けられたトーマスは、事もなげに軽い調子でやり返す。
「おうおう。怖いねえ。最近のガキは」
「ちっ」
我ながら妙に気が立っていると、ウィルは感じていた。
それもこれも、あいつの存在があるからに違いなかった。
「ユウ。あいつがもっとしっかりしていれば、僕がこうしてここに存在していることもなかったわけだ」
「まあそう言うなよ。あのときのことは……あの坊やだけが悪いわけじゃねえ。仕方のねえことさ」
「いや、気に入らないな。自分の犯した弱さという罪から逃げて、綺麗さっぱり忘れた振りをしているのだから」
「それもまた弱さだろうよ。ああでもしないと、確実に壊れていたぜ。あの坊やはな」
「……知ってるさ。誰よりも、この僕自身がな」
吐き捨てるように言って、ウィルは不機嫌に踵を返した。
「もう行くのか?」
「ああ。用もないのに、これ以上あいつと同じ世界の空気を吸っていたら――今度は、意味もなく殺してしまいそうだ」
そう言い残して、ウィルはこの世界から姿を消した。
一人残されたトーマスは、鼠色の空をぼんやりと見上げて。
長い溜め息を吐く。
「まったく。業が深いもんだよな。何とかしてやりてえが……」
だがこればかりは。
当事者たちがいずれ、己自身で決着をつけねばならない問題に違いなかった。
そして、つけるべき問題であるとも。
「ま、俺は傍観者よ。行く末を見守るのが性に合ってるってな」
どこか楽観的に呟いて。
トーマス・グレイバーもまた、姿を消した。