寄り道して、近場でエネルギーの補給と服の買い物を済ませたリルナは、もう人前でもすっかり平気な格好になっていた。
「どうだ。ユウ」
クールな紺のジャケットに身を固めた彼女は、くるりと目の前で一回りして俺に感想を求めた。
普段着を着たリルナを見たのって、そういや初めてだな。いつも鎧姿だったから。
「うん。よく似合ってるよ」
「そ、そうか」
リルナは嬉しそうに頬を綻ばせる。乙女なところもあるんだなと思った。
ディースナトゥラ市立公園に着く頃には、俺もやっと少しは動けるようになってきた。リルナが買い物している間、一生懸命気を高めて回復に専念していたのが大きい。
結局、両腕に加えて左足の一部まで失われてしまった。気力による治療では失った部位の回復まではできないから、この世界にいる間はもうずっとこのままだ。
レンクスのことはもちろん信じているけど、次の世界で元に戻らなかったら本当に大変なことだなと、どこか他人事のように思う。
もし元に戻らないとしても、きっと同じようにしていただろう。
だから、この結果は些細なことなのだ。
この手で守れたものの大きさに比べれば。
リルナの笑顔を眺めて。この世界に生きる者たちのこれからを思い浮かべて、満足していた。
今回も守れなかったものはたくさんあるし、後悔もある。
すべてが完璧というわけにはいかなくて。
それでも届いた。やれることはやれた。そんな気がする。
そう言えば、この公園に来るのは、鳥に餌をやってたリルナとばったり出くわして以来だったな。あのときはまだ関係も険悪だったよね。
さほど日にちは経っていないはずなのに、どこか遠いことのように思えるのは、まあ良いことなのだろう。
駐車場に車を停めて、しばらく歩いた。
そして、貸切だという広場に着いたとき。
そこでは、戦いの功労者たちが全員揃って、パーティーの準備をしていた。
テオと彼が率いたヒュミテ軍。アウサーチルオンの集いをはじめとする地下勢力。そして、ロレンツとディーレバッツの四人が一堂に会している。
自由参加らしく、市民のナトゥラの姿もちらほら見られた。
この世界に来てから、ずっと望んでいた光景がそこにあった。
ラスラとアスティはテオの方へと向かい、リルナはディーレバッツの所へ向かった。
一人になった俺に、偶々一番近くにいたロレンツが真っ先に気付いて、嬉しそうな笑みを浮かべて近づいてきた。
「おう。やったじゃねえか!」
「まあ何とかね」
「しかしひっでえやられようだなあおい」
バシバシと肩を叩かれて、そのまま気さくに肩を組まれる。
アスティと並んで、この明るいノリにも随分助けられたものだった。
彼は、他の人には聞こえないように、小声でしみじみと呟いた。
「これでウィリアム隊長も、ネルソンも、マイナも……デビッドも、ちょっとは浮かばれたかなあ。四人ともこんなことになるなんて、まさか思っちゃいなかっただろうけどよ」
「亡くなった人の気持ちはわからないけどさ。きっとみんな望んでいたと思うよ」
「へっ」
彼は肩から離れて、照れ隠しをするように頬を掻いた。
「さあて。これだけ集まったんだし。良い女はいないかなと」
ロレンツは軽く後ろ手を振って、人混みの中に消えていった。
クディン、レミ、リュート。この世界に関わるきっかけを与えてくれた人たち。
小さな身体のせいで直接の戦闘はできなかったけれど、陰から本当に力になってくれた。
近寄っていくと、俺の姿を見つけたリュートが、ぱあっと顔を明るくして駆け寄ってくる。
「ユウ! なあなあ。あのゲートの文字、見てくれた?」
そうか。あれは君たちが用意してくれたのか。
「ああ。ちゃんと見たよ」
「うん、うん。オイラさ、嬉しくて。すっごい嬉しくて。本当にありがとな!」
「感謝を言うのはこっちの方だよ。一緒に戦ってくれてありがとう」
「えへへ」
リュート。
君の勇気があったからこそ、あの中央管理塔を攻略できた。
一緒に来てくれて、本当に心強かった。
遅れて、レミとクディンもやってきた。
二人は行儀良く深々と頭を下げる。
「まさかこんな素敵な日が本当に来るとは思いませんでした。私たち、何てお礼を申し上げたらいいのか」
「いいって。そんなに畏まらなくても」
「……ぶっちゃけ、最初はちょっと頼りなさそうって思ってたわ。やるときはやると思ったら、もうやり過ぎよ。この世界をがらっと変えちゃったんだもの。あなた、本当にすごいわ」
うん。やっぱりそっちの方が君らしいよ。
クディンが、揃って準備をするヒュミテとアウサーチルオンの面々を眺めて、感慨深そうに言った。
「これで我がアウサーチルオンの集いも、ひとまずの役目を終えたのかな」
「いいえ。まだまだ仕事はたくさんあるんですからね。復興作業やら権利保障やら、しばらく寝る暇もないわよ」
ふっと柔らかい笑みを浮かべて、レミがぽんとクディンの背中を叩いた。
クディンはやれやれと仕方なさそうに笑った。
「はは。そうだな。嬉しい悲鳴だ」
それから、リルナと一緒にいるディーレバッツの所へ向かった。
ステアゴル、ブリンダ、ジードの三人がまず温かく出迎えてくれた。
「がっはっは! ユウ! やったな!」
「わたくしたち、みんな隊長とあなたを信じておりましたのよ」
「さすが、わしらを片っ端から打ち倒した者よ」
口々に労いの言葉をかけてくれる。
リルナが俺をぐいと引き寄せて、誇らしげに言った。
「わたしとユウだからな。大抵のことは何とかなるさ」
「がはは! 違いねえ!」
「エルンティア最強コンビだものねえ。悔しいけど、認めるわ」
「ふむ……なるほどな」
ジードが何か感付いたようだったので、愛想笑いしておいた。
プラトーはというと、何も言わず少し離れたところで控えめにこちらの様子を見つめていた。
俺の方から近づいていくと、ようやく口を開いてくれた。
「やってくれたな」
彼は肩の荷が下りたように、安らかな顔をしていた。
「君こそ。お疲れ様」
俺も労わりの言葉をかける。
二千年間誰よりもずっと陰で頑張っていたのは、他ならぬ君なのだから。
彼は静かに頷く。それから、三人と楽しそうに話すリルナを温かい目で眺めて、嬉しそうに言った。
「リルナも、本当に幸せそうだ」
「うん」
「ただな……」
彼は、じっと俺に怪訝な視線を向けた。
「お前のことを話しているとき、妙に色気付いた顔をしているのだが。何かあったのか?」
「えーと。そのことなんだけど」
「うむ」
「リルナは俺がもらった」
「なに?」
ぴくりと眉が動いたと思ったときには、がっと肩を掴まれていた。
俺の顔を睨む目が、ガチで怖い。
まるで娘を持つ父親か何かのようだった。実際そんな心積もりなのかもしれない。
小声で、真剣な顔で警告してくる。
「オレの大事な家族だ。もしリルナを泣かせるようなことがあったら――わかっているだろうな」
「わかってるさ」
「……よし。あいつのことは、お前に任せる。時間も限られているんだろう。できるだけ幸せにしてやれ」
「ああ。もちろんだ」
言われなくても、そうするつもりだった。
やがて、パーティーの準備が一段落着いたようだった。
ラスラとアスティが、ふうと一息吐いているのが見えた。
あとは開催を宣言するだけという状態になったところで。
俺の前に、テオがやってきた。
この祝いの主催者として、ヒュミテの代表として。きっちりと正装に身を固めている。
彼の近くには、ラスラ、ロレンツ、アスティ。
それから、リルナ、プラトー、ステアゴル、ブリンダ、ジード。クディン、レミ、リュート。
この世界で真実を共有し、最後まで戦い抜いた、特に親しい仲間だけが全員揃っていた。
テオは、改まった調子で俺に告げた。
「これから、新しい時代が始まるだろう」
彼は、心苦しそうに続ける。
「君の活躍は、残念ながら歴史に残ることはないかもしれない」
誠実に言ってくれるのは、彼なりの申し訳なさだろう。
俺は気にせず、黙って頷いた。
残るとか残らないとか、そんなことはどうでもよかった。
それに、わかっている。
この世界の大半の者にとって「知らなくていい」ことが、あまりに多過ぎた。
ヒュミテとナトゥラが対立していたのは、ナトゥラにCPDが埋め込まれていたから。
悪意を仕込んだすべての黒幕は百機議会。
百機議会は、自分が支配する世界を目論んで暴走してしまった。
それを止めたのは、テオ率いるヒュミテ軍と、地下勢力を始めとしたリルナ率いるナトゥラ軍。
まあこの辺りが落としどころだろう。
旧人類の悪あがきで造られたシステムに支配され、何度も滅びを繰り返しながら、本当に何の意味もない殺し合いを続けていたなんて。
そんな救いのない真実は、ごく一部の者の胸にだけ留めておけば良いのだ。
俺が世界の真実を知りたかったのは、それを知ってできることがあるかもしれないと思ったからだ。
無遠慮に突きつけて、みんなを苦しめるためではないのだから。
「だがぼくたちは、決してこの恩を忘れはしない。時代の裏で、ひっそりと語り継がせてもらおう」
そして、真摯な眼差しでこちらを見つめて。
「旅の英雄、ユウよ。心から礼を言う」
恭しく頭を下げたのだった。
王に続いて、全員が一斉に最敬礼をとった。
俺は、とてもむず痒い気分になってしまった。
ここまで大々的に礼を言われることなんて、さすがに今までなかったから。
英雄か。どうも柄じゃないな。
俺がすっかり反応に困ってしまったのを見て、テオはくっくと笑った。
「とまあ、堅苦しいのはこのくらいにして。そろそろ宴と行こうか」
「よ! 待ってました!」
ロレンツが、合いの手を入れる。
あちこちから、笑い声が聞こえてきた。
テオによって、パーティーの開始が宣言され。
一日中夜通しで、宴は続いた。
誰もが笑い合い。暗い気分を吹き飛ばして。明るい未来を語り、思い描いた。
***
それからのことを、少しだけ話そう。
犠牲になった者たちの弔いが、粛々と行われた後。
俺は、エルンティアの復興作業に協力することにした。
多くの人にとって、忘れることのできない痛みを残した戦い。
その傷跡は、あちらこちらに残っていた。
これまで陰で利用され、意味もなく殺し合いを続けてきたヒュミテとナトゥラたち。
いきなり自由になったからと言って、何のわだかまりもなく、というわけにはさすがにいかなかった。
対立の時代が続いたことによる負の遺産。しこりというものは、どうしても残る。
けれど、両者を覆っていた悪意はもう存在しない。
今度こそ、きっとわかり合えるはずだ。
これから少しずつ、時間をかけて。両者の関係は良くなっていくだろう。
戦いのない平和な日々は、忙しくあっという間に過ぎていった。
リルナと、色んな場所へ行った。できる限りのことを一緒にして、楽しんだ。
彼女と過ごした日々は。彼女と付き合った時間は。
この世界で何よりも大切な思い出となった。
そして、数か月が経ち。
とうとう、この世界を去る日がやってきた。