レジンバークの街並みは、まるで巨大な迷路のように複雑に入り組んでいた。
大通りと呼べるものがまずほとんど見当たらない。家や小路の並び方も構造もまちまちで、唯一綺麗に揃っているものは赤レンガの色並みだけである。町一つが大きなダンジョンのようだった。
歩きながら、ランドは懐かしいものでも見るかのように目を細める。
「最初のうちはみんな好き勝手家をおっ建てたもんだからさ」
「都市計画も何もあったもんじゃない」
「まるでごった煮だね」
ユイが面白そうにあちこちをきょろきょろしている。
「でも楽しい」
「だろ?」
「私も好きよ。この町」
二人が自慢げにウインクする。実際ユイの言う通り、ごちゃごちゃして楽しい街並みだった。
人々の顔は明るい。大声で売り込みをしている人。自転車で配達をしている人。剣を携えて意気揚々と歩く冒険者らしき人。鬼ごっこでもやっているのか、楽しそうに走り回る子供たち。あちこちから活気が漏れ聞こえてくる。
そして、炸裂する爆発音。燃え上がる家。屋根を飛び移る怪しい人影。黒こげで笑う女性。雄叫びを上げるおっさん。すぐ横を通過する雷撃魔法。突如飛来するコッペパン。バックステップで駆け抜ける全裸男。包丁を振り回し店に飛び込む主婦。壁を突き抜けて吹っ飛んでいく大男。
あれ? 何かおかしいぞ。
「いいのか」
「何が?」
「いや、あれとか。止めなくて」
目の前では、若い男女が取っ組み合いをしていた。
男の顔には引っ掻き傷ができており、女の顔は腫れ上がっている。
今は互いに頬をつねり合っている。周りの野次馬がはやし立てている。
横では目敏い商人がドリンクを売り始めた。
「私の方があなたを愛してるわ!」
「いいや。僕の方がずっと君を愛してるよ!」
じゃあなぜそんなボロボロになるまで喧嘩を。
思わず突っ込みたくなったが、そこで二人は飛び退いて構えた。
「火の精霊よ。この分からず屋に私の愛を刻み付けて! 《クレリファイ》!」
「火の精霊よ。この強情女に僕の愛を教えろ! 《クレリファイ》!」
両者の掌から同時に真っ赤な炎が飛び出した。それらは中央でぶつかり、激しく燃え上がって、美しいハートマークを作り上げる。
野次馬からヒューヒューと黄色い歓声が上がる。
「中々やるようね! さすが私の男!」
「君こそ! 僕の見初めた女だ!」
「「愛してる~~~~~!」」
二人は飛び込み、拳を合わせた。カッと閃光が生じて、二人を中心に愛の大爆発が巻き起こる。
野次馬はというと、防御魔法を張ってしっかり防いでいた。
ぽかんと眺める俺とユイに、
「こんなの日常茶飯事だから」
シルが事もなげに言った。
…………。
『ユイ。俺、早くもこの旅が心配になってきた』
『奇遇だね。私も同じこと思ってたところ』
***
やがて少し広い通りに出て、しばらく歩くと。
赤レンガの建物の中で一際目立つ、白塗りのバカでかい建物があった。
「着いたぞ。道案内は終わりだな」
どうやらあれが冒険者ギルドのようだ。
近寄ってみれば、確かに大きな木の看板にでかでかと名前が書いてあった。
「じゃあ私たちはここで。しっかりね」
「本当にありがとう」
「助かったわ」
そこでシルが、思い出したように言った。
「あ、そうだった。登録料として50ジット必要だけど、お金は――」
俺とユイは苦笑いして首を横に振る。
そうか。登録料が必要なのか。
「仕方ない。貸しといてやるよ」
ランドが腰のポケットに手を入れて、くたびれた皮の財布を取り出す。
俺は待ったをかけた。
「さすがにそれは悪いよ。物と交換でいこう」
「そうか?」
ポケットから取り出す振りをして、『心の世界』から金になりそうな物を探す。
あった。これでいいだろう。大きさも申し分ない。
「砂金の粒だ。いくらになる」
「へえ。良い物持ってるじゃないか。シル。見立ては得意だろ」
「はいはい」
シルはランドの手から砂金の粒をひょいと摘み上げて、つぶさに観察した。
「この純度と大きさだと……ま、500ジットってとこかな」
ランド財布からくしゃくしゃの札を五枚掴んで渡す。
「ほい」
「どうも」
券面に100ジットと書かれたお札には、ラナという名の綺麗な女性の肖像が描かれていた。偽造防止の透かしまできっちりと入っている。
「後でこいつを800ジットで売ってくる。利益は手間賃として頂くよ」
ランドは「はは」とやや呆れた微笑をもらした。
「結構ぼったくるなあ。あと100ジットくれてやってもいいんじゃないか」
「ランドは甘い。私たちは慈善事業でやってるんじゃないの。私の交渉術があっての売値なんだから。こんな甘ったるい顔したカモじゃ200とかで安く買い叩かれるのがオチよ」
甘ったるいって。
ユイと顔を見合わせる。
「それは……まあそうかもな」
ランドまで同意した。俺たちってやっぱりそんな風に見えるのか。
「いいよいいよ。当面生活できるお金があれば」
そこからは自分たちで何とかするさ。
「よしよし。わかってるじゃない。素直だと助かるね」
シルは満足顔で砂金を握った。
ユイがさりげなく尋ねる。
「この辺で安い宿だけど、知らない?」
「ならそこのギルドでいいぞ。宿や酒場も運営してて、確か30ジットくらいで泊まれたはずだ」
「わかった。ほんと何から何までありがとう」
「いいってことよ。じゃあ、俺たちは別の用事があるから。またそのうちな」
「うん。また」
二人で手を振って、一旦別れを告げた。
***
「「はぁぁーー」」
俺たちは酒場のテーブルに向かい合って座り、一緒に突っ伏したのだった。
「疲れたね」
「ほんと」
仲良く目と鼻の先に顔を突き合わせて、笑い合う。
旅の初日というのは慣れないことの連続だし、気も張り詰めるしで本当に疲れるものだ。その疲労感も、こうしてくたばってみると心地良い。
冒険者の登録はあっさりと済んだ。E~SSまでのランクがあって、ランクが一定以上ないと回って来ない依頼があるとか、素材の話とか報酬の話とか契約金の話とか、その辺りのことを長々と説明してもらった。
何というか、一言で言うとゲームみたいな話だった。俺たちはもちろんEランクからのスタートである。
ふとユイの胸に目が留まる。無造作にテーブルの上に放り出されて、むにゅんと潰れている。
改めて見る側に回ってみると、我ながら結構なボリュームだよな。
うわ。谷間までしっかり見えてる。
だがユイは、どうも俺には見せても気にしないようだった。無防備な姿勢のまま、こちらに「ん?」とにこやかな微笑みを向けている。
こいつ。『心の世界』だと平気なのにこっちだとつい反応してしまうからって、それが面白くてわざとやってるんじゃないだろうな。
俺は慌てて胸から目を逸らして、顔をしっかりと見て聞いた。
「これからどうする?」
「とりあえず夕飯にしない?」
「賛成」
ちょうど二人してタイミングよくお腹が鳴ったところだった。
メニューを開いて、あれこれ話し合いながら悩む。こういうのってどれも美味しそうに見えてきて、中々決まらないんだよね。
しばらくすると、エプロン服を着た可愛らしいウェイトレスがやってきた。茶色の髪を後ろで束ねている。
「ご注文は決まりましたか?」
「うーん。おすすめって何かあるかな」
「でしたら本日は、冒険お疲れがっつりセットなどいかがでしょうか?」
「じゃあそれで」
「私も同じので」
「はい。お二つ、と。お酒はどうされます?」
「「ミルクで」」
二人で即答した。お酒なんかもう二度と飲まない。飲むものか。
料理が届くまで待っている間、俺とユイはくつろいでいた。もうすっかり日も暮れて、酒場はわいわいがやがやと騒がしい熱に満ちている。
ユイが足をぷらぷらさせながら言った。
「なんかこういうの、新鮮だね」
「うん?」
「こうやって外の世界で、いつもはくっついてるユウと話をしてさ。他の人とも普通に話して」
ユイはどことなく微笑ましいものを見る目で回りを眺め渡して、また俺に視線を戻した。
「旅してるとこういう不思議なこともあるんだね。私、今とっても楽しいよ」
「俺もだ。君と横並びで旅ができることが、とても楽しい」
二人で頷き合う。何だか嬉しくなった。
「分かれてしまった原因は追々調べるとして。これからこの世界でたくさん思い出作っていこうな」
「おー」
ユイとタッチを交わした。
***
料理が来た。鉄板の上に野菜と肉が乗っかり、もうもうと湯気を上げている。
さすががっつりセットというだけあって、物凄い肉のボリュームだ。
「「いただきます」」
二人同時に一口。
肉は羊のような味がして、大雑把な味付けながらたれも効いている。とてもおいしい。
「おいしいね」
「うん」
今度レシピを調べて作ってみようかな。
と、しばらく舌鼓を打っていると。
突然向こうのテーブルから怒号が響き渡った。
「なんだあ! オレ様の言うことが聞けないってかあ!?」
「ひ、ひいぃ……」
赤髪の大男が、中肉中背の男性を掴み上げていた。掴み上げられた彼は、額からダラダラと血を流している。
「報酬は全部オレ様のものだ! 当然だろうが!」
「そ、そんなぁ……」
血を流している方は弱々しく抗議をするが、大男は聞く耳持たないようだった。
そのうち、大男が面前で彼をぼこぼこに殴り始めた。彼が痛々しいうめき声を上げる。
「あーあ。またギンドの奴か」
「最近Bランクに上がったんだってよ」
「なまじ実力があるだけになあ……」
「ちょっとやり過ぎじゃないか」
ひそひそと話し声が聞こえる。ギンドというらしい。
「ほっとくと飯がまずくなるな。止めさせよう」
「私が魔法でぱぱっとやっちゃおうか」
「いや。それには及ばないよ。俺が行ってくる」
すると、冒険者お疲れがっつりセットを持ってきてくれたウェイトレスが、ギンドのところに歩み出た。果敢にも止めに入ったのだ。
「お客様。他のお客様の迷惑になりますので……」
「うるせえ!」
乱暴に振り上げられた腕が彼女に襲い掛かる。
「ひっ!」
彼女を傷付けるはずの拳は、しかし当たらなかった。
咄嗟に割り込んだ俺は、ギンドの腕を片手で受け止めて、穏やかに声をかけた。
「まあまあ。ちょっと落ち着きなよ。ほら、みんな見てるよ」
「ああ!? 人様の事情に口出そうってのかあ!?」
激高するギンドに対し、宥めすかすように言う。
「そう言わずにさ。一杯奢るから」
「はん。ガキが。オレ様を誰だと思ってやがる! Bランクのギンド様だぞ!」
やれやれ。まいったな。完全に酔って頭に血が上ってるよ。
「てめえはどこのどいつだよ!」
「ユウ。ギルドには今日登録したばかりです。よろしく」
ギンドがにやりと人の悪い笑みを浮かべた。まさかやるつもりだろうか。
「ほう。新人のEランクが生意気だな。これはたっぷり挨拶してやらねえとな!」
あまりに安っぽい展開に、思わず苦笑いしそうになった。
振りかかってきた拳は、想像以上に遅かった。これなら目を瞑っていても避けられそうだ。
俺は必要最小限の動きで、彼の攻撃をかわし続ける。彼の拳は、すれすれのところを虚しく切っていった。
「いい加減落ち着けよ。何もするつもりはないから」
しかし、年端もいかない(と思っている)ガキにコケにされるのは、彼のプライドが許さなかったようだ。
今の動きで実力差に気付いてくれればよかったのだが。残念ながらそこまで利口ではなかった。
「く、く。このガキ! ちょこまかと舐めやがって! 本気で痛い目見ないとわからないようだな!」
ギンドは剣を抜いた。
まずいな。できるだけ穏便に済ませようと思ったが、さすがに許容できるレベルを超えている。
仕方ない。これ以上続けて誰かが巻き込まれても危ないし。少し寝てもらうか。
男が剣を振り下ろした瞬間、剣筋から一歩分だけ逸れて間合いを詰める。
まず手首を手刀で打ち据えて、剣を取り落とさせた。
早業に彼も何が起こっているのかわからないうちに、蹴りを繰り出す。
無力化するだけだ。軽くでいいだろう。
ちょっとだけ力を入れて。えい。
ドッガラガッシャアアアアアアアアアアアアン!
男は酒場入り口のドアを突き破って、勢い良くぶっ飛んでいった。
……あれ?
向こう側の家の壁に強く叩き付けられた男は、ひっくり返った情けない格好で気絶して、ピクピクと痙攣している。
……あれぇ?
「すげえ! やるじゃねえか小僧!」
「あのいけすかねえギンドをぶっ飛ばすなんてよ!」
「スカっとしたぜ!」
周りからやんややんやの大歓声が上がる。
それをやらかした他ならぬ俺は、困惑の最中だった。
軽く蹴っただけなのにどうして。吹っ飛び過ぎじゃないか?
とりあえずドアを派手に壊してしまったので、酒場のマスターに頭を下げる。
「すみません。そのうち弁償しますので」
「いいんだよ。こんなのしょっちゅうあることだからね。それより私もスカッとしたよ。ミーシャを助けてくれてありがとう」
「ユウさん。ありがとうございました」
「い、いやあ。私も助かったよ」
ウェイトレスのミーシャと、殴られていた男が頭を下げる。
未だ混乱の抜けない俺は、とりあえず張り付いた笑顔で応じておく。
「ユウ。やり過ぎ」
テーブルに戻ると、ユイにコツンと頭を叩かれてしまった。
「う、ごめん。あんなに派手に吹っ飛ばすつもりはなかったんだけど……」
「そうなの? 見てたけど、物凄い蹴りだったよ」
「そんなに?」
「そんなに」
おかしいなあ。加減を間違えたかな。
ともかく。少し冷めてしまったが、がっつりセットはボリューム抜群でおいしかった。
腹も膨れた俺たちは、ギルドの宿を取って、この世界の初夜を過ごすことにしたのだった。