翌朝。目が覚めると、ユイが腕に纏わり付いてすやすやと眠っていた。
やれやれ。君も甘えん坊だよな。俺と一緒だからな。
すぐに起こすのも悪いかと思って、じっと動かず天井を見つめていると、間もなくユイも目を覚ました。
「うーん……」
ユイは目をこすって、俺の顔をぼんやりとした眼で見つめた。
「おはよう」
と声をかけると、少し間があって返事がきた。
「……おはよう。よく眠れた?」
「ぐっすり眠れたよ」
おかげ様でね。
服を着替えて(ユイが堂々と目の前で着替え始めたので辟易した)、寝癖を直して(ユイが後ろに張り付いて俺の髪を梳かしてくれた。柔らかい)から、下の酒場へ向かう。
酒場は、朝は食堂として営業していた。
「あっ、ユウさん! おはようございます」
「おはよう。ミーシャ」
階段を下りると明るく出迎えてくれたのは、ウェイトレスのミーシャだ。昨日の一件でいたく恩を感じたのか、彼女はさん付けで俺のことを呼ぶようになった。さん付けで呼ばれるのはどうもくすぐったいけど。
「朝から張り切ってるね」
「はい。住み込みで働いているんです。マスターが良くしてくれて」
二人でちらりと目を向けると、気付いたマスターがぐっと親指を立てた。顎髭の似合うナイスミドルガイ。
案内されて席に着く。ユイがメニューを手に取ろうとして、やめた。
「ミーシャ。朝は何がおすすめなの?」
「それでしたら、冒険出発! 朝の大満足ボリュームセットがよろしいかと」
「だってさ。ユウ」
「朝からがっつりいくのか」
「はい。冒険者様には朝からしっかり食べてもらわないと! 私も好きなんですよ」
言いながら、ミーシャは口の端から涎を垂らしそうになっている。
結構食いしん坊な子なのかな。その割にはスリムだけど。
「じゃあそれにしよう」
15分ほど待っていると、パスタと肉とスープの大きな器がドンドンドンとやってきて、俺たちは目を丸くした。ごゆっくりどうぞと、ミーシャは面白そうな笑顔を浮かべて厨房に消えた。
「うわあ。思っていた以上の量だな。食べられそう?」
「たぶん。いけなかったら分けていい?」
「いいよ」
「「いただきます」」
ユイはフォークをくるくるとパスタに絡めて、しっかりと手を添えて頂いていた。よく咀嚼して、おいしいねと微笑む。スプーンでスープを掬い、音も立てずに飲んだ。
こうして見てみると、綺麗な食べ方するよな。
俺もか。自然に目の前の彼女と同じ動きをしていた。
食事のマナーとかその辺りは、昔、忘れもしない最初の異世界エラネルで、アリスとミリアにみっちり仕込まれた。「女の子なんだから女の子らしくしなきゃね」と、あのときの二人の教育熱心ぶりは怖いものすらあったよ。
その洗脳のせいなのかおかげなのか、俺のときまでそこそこ上品になってしまったらしい。前に向かいの人から綺麗に食べるんですねって言われて初めて気付いた。
あの二人、元気にしてるんだろうか。みんなも。
「ユウ。どうしたの?」
手が止まっていたので、ユイに指摘された。
「いや。思い出が増えると、ふと感傷的になっていけないなと」
「そうね。でも、私たちの旅は前にしか向けないから」
「わかってるさ」
だからどこへ行っても楽しむんだ。悔いのないように精一杯。
「「ごちそうさま」」
おいしかった。朝からお腹がぱんぱんになってしまった。少し休まないと動けないよ。
「さて、今日から本格的にここでの生活が始まるわけだ」
「楽しみだね。まず何しようか?」
「町を見ようかと思ったけど。一通り見て回るにはちょっと広過ぎるよな」
狭い町なら色々見て回って覚えてしまうのも良いが、レジンバークはかなりの広さがあるようだった。
「そうだよねえ。まあ観光はそのうちゆっくりするとして。まずは日銭を稼がないとね」
「だな。それに、ずっと宿に泊まっているのもあれだし。なるべく早く住む家も欲しい」
魔法が使える世界では、定住するのにデメリットが少ない。ユイの転移魔法を使えば、よほど遠くにいない限りは一発で帰ることができる。
ちなみにランドたちのいたキャンプ地はこっそりマーキングしてあるので、もう彼らのクリスタルに頼らずともいつでも行くことが可能だ。
「相当お金がかかりそう」
「よし。一発でかい依頼を狙ってみるか」
昨日動いてみた感触だと、この世界は許容性も高いようだ。つまり常人離れした動きがしやすい。俺たちの実力なら大抵の依頼は大丈夫だろう。
「いいね。でも難しい依頼は契約金も高いから」
依頼はこちらが契約金を支払うことで担保とする。契約金は依頼が成功すれば全額返ってくるが、失敗すればその理由と度合いに応じて、ギルドと依頼主の手に渡る。冷やかしで依頼を受ける者を減らすためのルールだ。
難易度の高いものはランク指定されていたり、されていなくてもランクの低い冒険者には手を出しにくい契約金だったりする。俺たちが狙うのは、ランク指定されていないが難しい依頼だ。
「まずは依頼を見てみよう」
「うん」
ひとまずやることが決まったところで、お腹にも少し余裕ができた。立ち上がる。
酒場横の出口からギルドカウンターに向かおうとしたとき、ミーシャがやって来た。手には大きな包みを二つ抱えている。
「あ、あの。お二人にお弁当をと思いまして」
「「いいの(か)?」」
「はい。ユウさんには助けられましたから」
「「ありがとう。おいしくいただくよ(ね)」」
すると、ミーシャは軽く吹き出した。
「ふふっ。お二人はとても息がぴったりなんですね」
あ。ハモり防止の確認忘れてた。
ユイと目が合った。
「今後とも当酒場をご贔屓下さいませ」
ぺこりと頭を下げて、丁重に見送られた。
あそこまでされると気分が良い。また使いたくなってしまうな。商売上手だよほんと。
***
ギルドカウンターには、同じ建物の中で酒場から通路を歩いていける。
昨日は登録だけだったのであまりよくは見ていなかったが、いかにも冒険者っぽいゴテゴテした装備に身を包んだ人が多かった。比較すると、ランドとシルは比較的軽装な方に思える。
俺たちは『心の世界』に何でもしまえるので、さらに軽装だ。さっき頂いた弁当もこっそりしまっておいた。
受付カウンターが見えた。お姉さんが三人、整然と座って並んでいる。その奥は報酬カウンターとなっており、別の二人がやはり整然と座っていた。
下にキャスターの付いた掲示板が、何列も立っていた。至るところに張り紙がされており、概ねランクが低い順に手前から奥まで並んでいる。
一応Eランクの依頼を見てみるが、やはりどれもしょっぱい。
薬草の採取50ジット。子モコ(モコってなんだろう)の捜索80ジット。ゴミ掃除20ジット。いずれも契約金なし。どれも採取と捜索系ばかりで、討伐系の依頼はDランクからのようだった。
そこで俺たちが探すのは、フリーランクの依頼だ。
二人で手分けしてこれはと思うものを見繕っていく。
オークの討伐6000ジット。契約金は200ジット。翡翠魔石の採取8000ジット。契約金は500ジット。ロウ炭鉱のお手伝い『オラたちといっしょに働こう。明るく楽しい職場です』120ジット。契約金なし。
どれも微妙だな。
「これなんかどう?」
ユイに袖を引っ張られて、一枚の張り紙を見た。
えーと。いちじゅうひゃく……。
300000ジット。
「おお」
思わず声が漏れる。Sランクにも匹敵する、破格のクエストだった。
しかも契約金は1000ジットときた。他のSランク帯の依頼と比べても、格段に安い。
内容はクリスタルドラゴンの討伐。討伐証明部位は、ドラゴンの逆鱗。
喉がごくりと鳴った。
と、後ろから声がかかる。若い冒険者の男だった。
「おいあんた。昨日ギンドの野郎をぶっ飛ばした坊やだろ」
「ええ。まあ」
本当は坊やって年齢でもないのだが、ここで言うことでもないので止めた。
「名前は……確か」
「ユウです」
「ユウだったな。すまん。オレはマイツ・ゲイ。Cランクでのんびりやってる男さ」
「よろしく」
彼と握手を交わす。彼はユイとも握手を交わした。
「あいつも気の毒に。全治三週間だってな」
上機嫌で笑うこの男も、スカッとした人間の一人らしい。ギンドはよほど嫌われていたのだろうか。
「おっとそうだった。そいつはやめときな。地雷クエってやつだ。もうずっと無視されてる」
確かに言われてみると、張り紙からやや古さを感じる。少なくとも数か月単位で放置されているようだ。
「本来ならAランクが数人がかりか、Sランクが受けるような大型依頼さ。同じ内容で五十万は取れる。割りに合わないよ」
「なるほど」
「昨日のあれはよく見てたがよ。Bランクを倒せるくらいじゃどうにもならないぜ」
「でもAランクだといけるんですよね。そんなにすごいの?」
ユイが尋ねた。マイツは大きく頷いて答える。
「そりゃあな。Aランク以上は、はっきり言って化け物揃いだ。半分人間やめてるような連中さ」
「へえ」
まあこっちは完全に人間やめてるような連中をたくさん見て来たから、ちょっとやそっとのことじゃ驚かないと思うけど。
「ユイ。これをやろう」
様々な巨大生物と戦ってきたが、ドラゴンと戦うのは久しぶりだ。
昔は歯が立たなかったが、今はどれほどになっているか。
「もちろん。言うと思った」
「おいおい。マジかよ……。忠告はしたぜ」
「肝には銘じておきます」
そう言って去る俺たちを、マイツはよくわからないものを見るような目で見つめていた。
と意気込んではみたものの、実は手持ちのお金は契約金の1000ジットすらもないのだった。宿代と二人分の食事で70ジット使ったから、今は430ジットである。どうやら使ってみた感じだと、1ジット100円くらいの感覚だ。
まずは契約金を稼ぎたいが、Eランクの依頼をちまちまやっていては時間がかかり過ぎてしまう。
そこで、いつもの手の登場だった。
「あれをやるか」
「あれね。オーケー」
以心伝心で通じた。さすがパートナー。
とりあえずギルドを出ると、さんさんと照り付ける朝の日差しが気持ち良かった。
ちらほらと出発する冒険者たちの姿が見える。ソロだったりパーティーを組んでいたり、色々だ。
ダンジョンに行くのだと張り切っている少年少女たちの声も聞こえた。この世界にはそういうのもあるのか。
二人で伸びをして、朝の空気を吸い込んだ。空気がおいしい。
魔法文明は機械文明と違って大気汚染が進んでいないことが多いな。やっぱり。
「そう言えば、昨日のシルは何の用事だったんだろうね」
「さあ。というか思い出したらまた死にたくなってきた……」
考えないようにしよう。ギルドに通っていればそのうちコンタクトがあるだろう。きっと。
適当なお店でトイレを見つけて、男女に分かれて入る。
個室で『心の世界』から着替えを探して、取り出した。燕尾服とシルクハットだ。シャツを脱いで着替える。
洗面台に鏡があったので自分の姿を見つめてみたが、あまり似合わない。俺が紳士というよりは子供に近いせいで、どうも服に着られている感じがする。
まあ大事なのは気分だ。この格好であるということが重要なのだ。
トイレから出る。ユイが着替えに入ったきり中々出て来ないので、俺はしばらく能力のトレーニングをしながら待っていた。
やがて、ユイがやっと出て来た。
美麗な黒のレオタードに身を包んでいる。背中と胸元が開き、太ももまで大胆に足を曝け出していた。やたらとセクシーで挑発的な格好だ。
「そんな服あったっけ?」
「アスティが持ってけって押し込んだやつ」
「ああ。そうだったな」
記憶を辿ってみたら、はっきりと残っていた。「ユウちゃんはもっと大胆な格好しなきゃ。女の子は度胸ですよ?」ってくすくす笑いながら。
エルンティアのみんなも元気かなあ。リルナはどうしてるかな。って、また感傷に浸るところだった。
「というか、化粧してたの?」
それで妙に時間かかっていたのか。
驚いて指摘すると、ユイはにこっとした。
「ユウと一緒だったときはほとんどできなかったからね」
そうそう。そうなんだ。
女のときに化粧したまま落とさないと、男に変身したときに化粧が残っちゃうからな。いつ咄嗟に変身するかわからないし、仕方なかったんだよ。
でもそうか。分離したってことは、そういうことも自由にできるようになったんだよな。
いつもは男女兼用の無難なものばっかり着てたからなあ。ユイには結構我慢させてしまっていたのかも。
「どうかな?」
ちょこんと首を傾げて尋ねるユイ。
いつかアリスとミリアに教えてもらったナチュラルメイクが、ばっちりと決まっている。
ナチュラルメイクというと簡素で手間要らずなものに聞こえるかもしれないが、実際やってみるとそんなことはまったくない。それは何も知らぬ男の大きな誤解なのだ。ちゃんとやろうと思えば、むしろ普通のメイクより時間も手間もかかる。
持ち前の可愛さに、さりげない美しさが添加されていた。俺が言うと自画自賛のようにも聞こえるけど。
「とっても綺麗だよ」
「ありがと。たまには化粧してみるのも楽しいね」
ユイは心から嬉しそうに笑った。
「はいみんな注目! 楽しいショーの始まりだよ!」
適当な広場で、大声を張り上げて人の注目を集める。
奇抜な格好をしていたおかげで、徐々に人が集まり始めた。
「ユウです。これからマジックショーを始めたいと思います!」
「アシスタントのユイです。よろしくお願いします!」
ユイがウェイトレス時代に鍛えた満面の作り笑顔で手を振ると、主に男から黄色い歓声が上がった。さすがに女の武器を心得ている。
俺はまず、トランプを一枚取り出した。ハートの柄をみんなに見せてから、パチンと一回指を鳴らす。
引っくり返すとスペードになっている。もう一度鳴らすとハートに戻った。
観客からはざわめきに似た歓声が上がる。
仮にマジックというものをよく知らないとしても、何かすごいことをやっているとは感じているはずだ。
次に俺は、トランプを一枚から二枚、二枚から四枚に増やしていく。四枚から八枚、八枚から十六枚としたところで、一気に両手から溢れるくらいのトランプを出現させ、バラバラに落としていった。
「おおー!」
観客から驚きを伴った歓声が湧く。派手なので、これを見せると大抵嬉しい反応が見られる。
終わったものは、ユイが風魔法で巻き上げて綺麗に回収していく。
お次は、パチンと指を鳴らして手を揺らすと、何もないところからワイングラスが出現した。
素早くグラスを振ると、俺の手元からはそれが消えて、一瞬でユイの右手に乗っていた。
ユイが大きな紫色の布を一枚、胸元から左手で取り出す。そして布をグラスの目の前で素早くはためかせると、空っぽだったはずのグラスには赤黒い液体が入っていた。
ワインに見えるが、ぶどうジュースだ。アルコールダメ絶対。
それを掲げておいしそうに飲むユイだが、流し込むように飲んでも飲んでも一向に量が減らない。
困った顔で俺を見つめるユイ。そこで俺がもう一度パチンと指を鳴らしてやると、彼女のグラスからぱっと液体だけが消えてしまった。
代わりにこちらの手に再び現れたグラスにはなみなみとぶどうジュースが入っており、俺はそれを優雅に飲み干した。
こんな調子で、次々とマジックを繰り出していく。
ハンカチを使ったマジック、ボールを使ったマジック、ステッキを使ったマジックと、一通りのことを魅せていった。
すべてが終わった後、割れんばかりの大きな拍手に包まれていた。
シルクハットを逆さにして、二人で頼む。
「どうかお恵みをお願いします」
「お願いします」
観客のいくらかは、初めて見るマジックにいたく感動し、気前良くチップを弾んでくれたのだった。
「いやあ。儲けた儲けた」
「面白かったね。みんな喜んでた」
「うん」
これを人が集まる場所を探して三回も繰り返せば、シルクハットには数百ジットは下らないお金が貯まっていた。
数え上げてみると、882ジットもあった。これで手持ちと合わせてドラゴン討伐の依頼に向かうことができる。
みんなにそこそこ楽しんでもらえて、こちらはお金を恵んでもらえる。中々素敵なやり方だった。
いつの間にマジックを覚えたのかと思われるかもしれない。もちろん多少練習はしたけれど、そんなものの訓練はプロほどにはしていない。
種も仕掛けもない、ただの能力の応用である。
【神の器】を使って、『心の世界』を経由して物を瞬間的に移動しただけだ。リアルマジックである。
フェバルの能力をお金稼ぎに使うなって?
前はそう思ってたけど、ばれなきゃいいんだよばれなきゃ。
どっかの
あいつ、能力の見せ方が下手くそなんだよね。おかげでひどい騒ぎになった。
本当はギャンブルとかに使うともっと荒稼ぎができるんだけど、賭けで誰かを貶めて稼ぐのはあまりしたくないからな。このくらいでいい。
時刻は昼過ぎを回っていた。ミーシャからもらった弁当(中身はバケットだった)をおいしく食べて、俺たちは再び冒険者ギルドへと向かった。