真っ二つに割れた山の中から、クリスタルドラゴンの首を探し出す。
完全記憶能力で落ちた位置を大体把握していたから、見つけるのにさほど苦労はしなかった。
『心の世界』に丸ごとしまってから、俺たちはユイの転移魔法で逃げるようにレジンバークへ帰った。
……山のことは知らない。知らないからな。知らないぞ。
あんなの、どうしようもないし。
ともかくだ。こんなとんでもない力を持っているとわかったら、少し考えないといけないな。
「なあユイ。一つ、相談があるんだけど」
「どうしたの?」
俺たちはよく話し合って、そうすることを決めた。
***
うっ。この空気は。
やはりというか。帰ってきた町は妙に落ち着きがなかった。向こうの方でとんでもない光が見えたとか、山が割れたとか、既に大きな噂になっている。
ギルドの方は、さらに騒がしかった。
「おお。あんたか! あの山に行ったんだろ!? 心配してたんだぜ!」
と駆け寄ってきたマイツには、汚れ一つない。
まだ行ってなかったのか。これは、今日は最初から行く気がなかったんだろうな。
ユイはじと目になっている。だらしない男を見る目だ。
「いやあ。しっかしとんでもないことが起こったよなあ。おい」
「そうだね。大変なこともあるもんだね」
努めて冷静を装う。悟られないようにしなければ。
「だがよ。賢明な判断だったぜ。ちゃんと引き返してきたんだな。まあ、命あっての物種だしな」
「いや。倒してきたよ」
「……は?」
「倒してきたって」
「うん」
「……は、え?」
マイツの目が点になっていた。「そんな馬鹿な」と、顔にでっかく書いてある。
固まりついてしまった彼のことは放っておいて、なるべく素知らぬ顔で、ギルドの報酬カウンターへと足を運ぶ。討伐証明部位の逆鱗は、既に『中』で切り出してあった。
魔法で出したような振りをして『中』から取り出すと、ドン、とカウンターに重たい音が響いた。
うわ。思ったより音が大きい。
周囲の視線がこちらに集まってしまった。物音から不意に向いた衆目は、極上の白色に光り輝くそれを目にした途端、ぎょっとしたようなざわめきに変わる。
そこには紛れもなく、あのクリスタルドラゴンの逆鱗があるのだ。
認めるしかないだろう。大型依頼は達成された。よりにもよってこんな「子供」たちの手で。自分で言っといてあれだけど。
マイツが遠目で泡を吹いている。ひそひそと耳打ち声が漏れていた。
やれやれ。この注目は仕方ないか。
ただまあ、倒してきただけと言うなら、山のことは決定的な証拠にはならないだろう。こういうのは結局、いつ持ってきても騒ぎになるのだから。さりげなく済ませてしまった方がいい。
あとはしっかり報酬を頂いて、そして――
「あ、あのう」
頭の中で今後の皮算用をしていると、申し訳なさそうに、おずおずと受付のお姉さんが申し出た。
「私、見ちゃったんです……」
どこか確信犯めいた響きに、おっとがやがや声が止まる。
「いくらなんでも、まったくの新人にあの依頼は……ってことで」
全員の注目が受付のお姉さんに集まる。
何が始まるんだ。何があったんだと期待するかのように。
待て。嫌な予感が……。
「監視魔法で……見ちゃったんです」
……何だと。まさか。
ぱあっと目を輝かせて。お姉さんは、豹変した。
手に持った書類をくるくると丸め、マイク代わりにする。プロレスのパフォーマンスのように、ガッとカウンターに足を乗っけて、畳みかける勢いで再現中継を始めたのだった。
「屋根を颯爽と飛び移り、忍者のようにシュババッっと跳び移っていくお二人の姿を! あの外周壁を軽々と飛び越え、ああっと! 通行人も見ておりましたね! すると今度は疾風のように、地を走りましてですね! もう速いったらなんの! かっけえ! っぼ、ごほっ! ごほっ!」
あまりに勢い込んだので、激しくむせかえっている。髪も化粧も乱れて、せっかくの美人が台無しだ。
というか。この話の流れは。まずい。まずいぞ。
背中に冷や汗が浮かんだ。
大丈夫かお姉さん。大丈夫か俺たち。
「おーい。大丈夫か姉ちゃん」
「いいの。続けさせて」
おい。目がマジだ。使命感に燃えている。
「二人はあっという間に野を越え森を越え! そのとき、ふいに立ち止まったのです! さあ、何をするのでしょう!? おっとお! 何やら構えまして……ああ、なんと! なんと、なんと! びっくり! 山を割っちゃいましたああああああああああ! 一撃で! 剣の一振りでえええええーーー! やったのは! そこのユウくん! ユウくんでーす!」
どよっと、一気にギルドの雰囲気が気喚き立つ。
あああああ! 終わった。終わった流れだこれ。
なんてことだ。見られてたとは……。
でも気付きようがないじゃないか。魔法使ってるかどうかなんて全然わからないんだから!
お姉さんの絶叫は、まだ終わらない。
「そしてえええええ!? 今度は飛び上がったあのクリスタルドラゴンを、光線の魔法で、や、焼いたああああああああ!? ユイちゃん! あんた、死神ですねええええええ!」
書類マイクでビシッと指名されたユイは、目を覆って天井を仰いでいる。
「じゃあ、あれは……マジなのか」
「こいつらが、やったのか……?」
「こんな、可愛いガキたちが……」
「馬鹿な……」
ダメだ。空気が異様だ。ピリピリしている。
それはそうか。あんなことをしでかした化け物がここにいるんだ。フェバルみたいに恐れられるようになっても仕方がないというもの。
どんな拒否反応が来るのか。俺たちはもう普通には過ごせないかもしれない。
観念しかけた、そのとき。
「うおおおおおおおおおお!」
「やっべええええええええ!」
「レオンの再来だああああ!」
「新たなる伝説が、いまっ!」
……え。
予想していた反応はまったく来なかった。
信じられない。どういうことだ。みんな、怖くないのか?
疑問に思う余地などなかった。一切の恐れという感情が、そこにはない。
単純に、本当に単純に、この人たちは盛り上がっている。割れんばかりの歓声だ。
俺はユイと揃ってぽかんとしてしまった。
まさか。強者とか英雄が当たり前に好まれるとか、そういう系なのか……?
何が何やら戸惑っていると、奥からいかつい髭面の爺さんがやってきて、受付のお姉さんに耳打ちしていった。
はっと、お姉さんが目を見開く。
爺さんは「あとはお前が言うんだ」とばかりにぽんと肩に手を置き、にやりとこちらを一瞥して、奥へと引っ込んでいった。
「えー。こほん。ギルド長より、たった今正式な通達がございました」
先ほど最大のパフォーマンスを見せ付けたお姉さんは、まだ肩で息をしている。
しかしどこか誇らしげだ。凛々しい顔だ。仕事人の顔だ。
「ユウ様。ユイ様。お二人を本日付けで、Sランクの冒険者として認定いたします」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーっ!」」
そうそう滅多にないことなのだろう。ぴーぴーと指を吹く音まで聞こえてきた。もはやどんちゃん騒ぎかと見紛うほどの様相すら呈している。
「初依頼でSランクだと!?」
「やっべええええええええ!」
「レオンの再来だああああ!」
「新たなる伝説が、ここにっ!」
……やばい。
こんなに騒がれることなんて滅多にないから、恥ずかしくなってきたんだけど。明らかに胸の鼓動も早くなってるし。
で、横を見たら。
ユイもきゅっと服の端を掴んで、すごく恥ずかしそうにしている。やっぱり同じ気持ちなんだな。
マジか。どうしよう。ここに来るとき、最初から決めてあったのに。
これ、ものすごく言いにくい空気なんだけど。
だが言わなきゃいけないんだよな……。
ユイと目を見合わせる。恒例の作戦会議。彼女の目は「行くしかないよ」と告げていた。
確かにここで言わなければ、ずるずると話が進んでしまうだろう。どうも半端じゃなく期待されてしまっているようだし。というか、俺が逆の立場でも期待するよ。
はあ。仕方ない。ここではっきりと言おう。言うしかないな。
俺は大きく息を吸った。短い時間の中で、懸命に呼吸を整える。そして切り出した。
「あの。一つ、言いたいことがあるんですけど」
みんなの視線が、一斉に集まる。
この大型新人が。「新たなる伝説」が、何を言うつもりなのかと。羨望と期待を込めて。
そんなに見つめられると、ちょっと心が折れそうになるのだが。
ええい。ままだ。
よし。言う。言うぞ。せーの。
「俺たち、今日で冒険者ギルドをやめます」「やめます!」
俺の後に続いて、ユイが胸を張って宣言した。
「「……は?」」
意味がわからなかったのだろう。
シーンと、波打つように、虚を突かれたように、周りは静まり返った。
そして――。
「「えええええええええええええええええーーーーーーーーーーーっ!?」」
ギルド中が、驚きと絶叫の嵐に揺れたのだった。