ここは『アセッド』。
レジンバークの中心部からやや外れたところ、そこそこ人通りの多い住宅街にでんと目立つ木製の一軒家。
俺とユイが共同で始めた「何でも屋」である。
あれから一夜明けて、開店初日を迎えた。
「伝説の」俺たちが新しい商売を始めたということは、早くも噂になっていた。
実際のところ、野次馬の目は大いに集まっていたし、冷やかしらしい人も見えた。
だがやはりというか、初日からすぐお客さんが現れるということにはならないようだった。
まあ「何でも屋」なんて今まで見たことも聞いたこともないだろうからな。この世界の人たちの信頼を得るまでには時間がかかるだろう。
じっくりとやっていけばいいさ。
閑散とした食堂兼オフィスで、俺とユイはくつろいで時間を過ごしていた。今後の計画を話し合いながら。
そう言えば。この世界に滞在可能な時間はどのくらいだろうか。
どたばたしてたせいで、まだ見てなかったな。
気になってしまったので、『心の世界』から世界計を取り出してみた。
昔サークリスでレンクスがくれたものだ。
どれどれ。……ん!?
なんだこれ。どうなってるんだ。
「ユイ。ちょっとこっち来て見てみて」
「なになに」
食堂のカウンターに待機していたユイが、ぴょんとキッチンを跳び越えてこちらに来た。
横から世界計を覗き込む。彼女も驚いて目を丸くした。
「針が滅茶苦茶」
世界計の針は、まるで生き物のように忙しなくくるくると回っていた。
これでは何年滞在できるかわかったものじゃない。
次の世界に行くのは明日かもしれないし、下手すると何十年も先ということもあり得る。
ユイと分かれている今、下手に死んだらどうなるかわからないしな。
「やっぱ変だよなあ。この世界」
「変な人たち、変な許容性、変な滞在時間……うん。変だね」
改めて合意を得て、役に立たない世界計を『心の世界』にしまう。
それからしばらくのんびりと話していたが、誰も来ない時間が続いた。
時刻は昼を回った頃。
いい加減話す計画もなくなり退屈になってきた俺は、立ち上がって着ている服を正した。
「このままじゃ埒が明かないな。営業に行ってくるか」
「どこに行くの?」
「冒険者ギルド。早速人の商売取るようで悪いけどさ。あまり迷惑にならない程度に売り込んで来る。ユイは留守番頼む」
「わかった。こっちにお客さん来るかもしれないもんね」
「そういうこと」
うんと背伸びしてから、屈伸をして身体をほぐした。
そして、入り口である両開きの大きなドア(酒場を意識した)から出たところで。
「うわっ」
少年が、びくっとした。
「えーと」
見た感じ十歳そこそこのあどけない少年は、びくっとした状態のまま、その場に固まりついている。
何かを言おうとして、喉のところで引っかかって言えない様子だった。
ごくりと唾を飲んでから、彼は何とか俺の目を見て声を絞り出した。
「こ、こんにち、は……」
後ろから歩いてきたユイが、彼を見て優しく目を細める。
「あら。可愛い子が来たね。こんにちは」
「こんにちは。ようこそ。何でも屋『アセッド』へ」
少年が俺たちを見上げる瞳は、どこか気が引けた様子でびくびくと揺らめいている。
子供が大人の仕事場に一人で来て、緊張しているのだろう。
俺はなるべく打ち解けられるようにと心掛けて笑顔を作った。
「遠慮しないで。お客さんだよね。話を聞くよ」
「あ。えっと」
「こちらのテーブルへどうぞ」
ユイが気を利かせて席を薦めてあげると、少年はこくんと頷いて、おずおずとこちらへ来た。
きょろきょろと落ち着きなく店の内装を見渡してから、やっと座ってくれた。
「お茶入れてくるね」
ユイがぽんと俺の肩を叩いて、「任せたよ」というノリでキッチンへ向かっていった。
この世界にもお茶は普通にあって、あそこにはお客さん用の美味しいやつを用意してある。ユイが魔法を使えばポット要らずだ。
少年は呑まれてしまっているのか、俯いてだんまりを決めたままだった。
まずは俺から話しかけてみるか。
「俺はユウ。あっちのお姉さんはユイっていうんだ。君の名前は?」
「あ……はい。ぼく、ワンディです」
「ワンディ。今日はどんな用件で来たのかな。ちょっとお兄ちゃんに話してみてくれないか」
穏やかに唆すと、ワンディはまだ少し躊躇っていたけれど。
首を振って、とうとう意を決したように切り出した。
「あのね。うちのモッピーを見つけて欲しいんだっ!」
俺を見つめる目は、本当に必死だった。
「モッピーって、モコのこと?」
「う、うん。まだ子供のね。モコなんだ。ぼくが、しっかりリードを握ってれば……」
ワンディは、泣きそうな声で肩を落とす。
モコというのは、この世界における愛玩動物の一種だ。
中型犬くらいの大きさで、羊のようにもこもことした毛が特徴の可愛らしい奴である。外で何度か見かけた。
彼から詳しく話を聞いたところ、子モコのモッピーは、とても好奇心が旺盛な子らしい。
散歩中にうっかり手を放してしまって、そのままどこかへ行ってしまったというのだ。
探しても探しても全然見つからず、家にも帰って来ないと。
「ねえ。見つけられる? もう三日も帰って来てなくて。きっととてもお腹空かせてるよ」
しょんぼりと肩を落として、今にも泣き出しそうになっているワンディ。
見ていられないよ。可哀想だ。
そこに、ユイがお茶を持ってきた。
「これ飲んで。落ち着いて。大丈夫だよ」と励ましながら、彼女はワンディの隣の席につく。
「お兄ちゃんたち、すごく強くて頼りになるんだよね。聞いたよ。ドラゴンやっつけたって」
「うん。俺とユイはね、すごく強いよ」
二人で頷き合う。
ここは少しでも頼れる相手にと縋って言っているのだから、謙遜する場面ではない。安心させるようにそう言った。
「じゃ、じゃあ。お願い。半年分のおこづかい、あるだけかき集めたの」
そう言って、少年がズボンのポケットに手を入れる。
一生懸命ごそごそと探っている。そして。
「これ、全部あげるよ。だから」
ジャラジャラとテーブル差し出されたのは、1ジットに満たないコール硬貨の山だった。
「足りる?」
不安気に、弱々しい声で尋ねるワンディ。
ざっと目算してみると――10ジットというところか。
相場ではないのは確かだ。冒険者ギルドでも最低七、八倍の値は要求するだろう。
だがしかし、そんなことは関係ない。
これは正当な対価だ。そうだろう。
有り金すべてを差し出すほど、この子は懸命な想いでモコを助けたいと願っているのだから。
それに。こんなよく知りもしない人の店を尋ねるのに、どれだけ勇気が要ったことだろうか。
「大丈夫。ちゃんと足りてるよ」
「ほんと?」
俺はしっかりと頷いて、丁重に依頼料を受け取った。
ワンディの想いを受け取った。
「君の依頼、確かに承った」
それを聞いて、ワンディの顔がぱっと明るくなる。
よかった。
「じゃあ早速だけど。モッピーの特徴とか、何か言えそうなことはない?」
「ちょっとでも手がかりがあった方が、ね」
「えーとね。そうだ! ぼく、絵を描いて持って来たんだった」
彼は服のポケットから、くしゃくしゃになった紙を取り出して開いた。
「へえ。上手いんだな」「ほんと」
俺たちは目を見張った。
そこには、ピンクのリボンを耳に付けたかわいらしい子羊のようなモコが、子供のお絵描きには似付かない見事な筆致で描かれていた。
「へへ。よく友達にも褒められるよ。お母さんにもお父さんにもね」
そう言うワンディは、ここに来て初めて子供らしい無邪気な笑顔を見せていた。
「これなら。きっと見つかるよ。ね、ユウ」
「そうだな。人に尋ねることもできる。お手柄だよ。ワンディ」
「じゃあ。じゃあ……!」
俺はワンディの頭を撫でた。
「心配するな。必ず見つけてあげるから。安心して待っててな」
「お姉ちゃんたちに任せて。見つかったらすぐ連絡するからね」
「うん……うん! よろしくお願いします!」
少しはほっとした顔でワンディが去っていくのを見届けて、俺たちはやおら肩を回した。気合は十分だ。
「さて。随分安請け合いしちゃったみたいだけど。これは結構骨が折れるかも」
「だろうね。気で探せればよかったんだけど。探し物というのは、どこの世界でも厄介なもんだ」
狭い家の中を探すというわけではない。この広い町の中でたった一つの探し物、しかも生きて動き回っているのを見つけようというのは、容易に想像が付くようにとても大変なことだ。
その割には、依頼者から提示される報酬は、討伐系や採取系に比べるとずっと少ないのが常である。
ギルドの貼り紙でも、確か探し物系はずっと貼られたままのものばかりだったと思う。
俺たちに依頼しなければ、誰かが見つけてくれる可能性はかなり低かっただろう。
あの子は俺たちを選んで、頼ってくれた。だからこそ。
「記念すべき最初の依頼だ。絶対成功させるぞ」
「やってやろうじゃん。急いで見つけてあげないとね」
俺は「営業中」の札を「外出中」に裏返す。
そして二手に分かれて、町へ飛び出した。