深夜遅くまでバイクを走らせた俺たちは、『心の世界』からテントと寝袋を取り出して、ぐっすり眠った。
翌朝日の出とともに起き、残りの道程を快適に飛ばしていった。
ディース=クライツの速度のおかげで、昼食の時間になるまでにはエディン大橋を渡り切ることができた。
ユイに雷魔法で一気に充電してもらってから、バイクを『心の世界』にしまう。
ユイには転移魔法のマーキングもしてもらう。これで次からは来たいときにいつでもここへ一瞬で来ることができる。
眼前には、レジンバークとはまったく異なる町の様子が広がっていた。
まず、門などはどこにも付いていない。向こうと違って魔獣が襲ってくることがないからかもしれない。
町の内と外を明確に分ける門がないので、橋の両脇まで町がせり出している。
港町の名の通り大きな港があって、小型の船から大きな漁船まで、たくさんの船がずらりと並んで停泊していた。
「とりあえず入ってみようか」
「うん」
特に身分確認を求められることなく、町には自由に入ることができた。
大通りを歩く。まずぱっと見てすぐ違いがわかったのは、道路に歩道と車道の概念があることだ。
車道にはしっかりと白い車線が引かれていて、メセクター粒子を動力源として動く車やバイクがまばらに走っている。
乗り物が走る必然の帰結として、ダンジョンのように入り組んだレジンバークよりは平均して道が広くなり、区画もよく整理されていた。
レジンバークの赤レンガばかりの町並みと異なり、こちらは地味な色の木製家屋が多いようである。
ここに『アセッド』を持ってきたとしても、さして目立たないだろう。
あまり背の高い建物は多くなさそうだが、向こうには観覧車とか電波塔のようなものが目立って見える。
実際話に聞いていた通りなのだが、あまりに違うので驚いてしまった。
「一気に現代化したって感じだね」
「そうだね」
まさにそんな言葉が似合う街並みである。
橋を一つ渡るとこうも違うものなのか。メセクター粒子、やばいな。
偶然商店街を見つけたので、入ってみる。港町ナーベイはやはり漁業が盛んのようで、魚屋さんが多かった。
魚は美味しいけど、刺身でも置いてないと調理に一手間いるしな。
お、果物屋さん見つけた。行ってみよう。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは、気前の良さそうなおっちゃんだった。
早速品揃えを見ていく。
おお。本で調べたりとかはしたけど……実物を見ると心躍るものがあるね。
緑のバナナのようなやつに、あれは、トマトみたいなやつだな。白いのもあるぞ。なんだろう。
色とりどりの果物が所狭しと並ぶ様に、少しわくわくする気分を覚えていた。
レジンバークにはほとんど果物屋さんなかったからな。
周りに広がるのは未開の地だから、ナーベイからの輸入が頼りなんだけど。
結構な距離があるため、よほど日持ちする果物でないと商売にならないのだ。
「おすすめは?」
「今はこのアリムが旬だ。ちょっとばかりお高いけどね」
おっちゃんの指さしたところには、真っ赤なアリムの実が山積みにしてあった。
卵型の掌サイズの果物で、瑞々しい果肉と、濃厚な甘みが特徴と言われている。
別名森のクエル(赤い宝石のことらしい)。
『ユイ。目利き頼んだ』
『任せて』
ユイの成分解析魔法で、糖度をチェックしていく。
やがてにこっと笑顔になって、山から二つ掴み取った。
「これ下さい」
「あいよ。2個で35ジットだよ」
財布は俺が持っていた。
良い物ということで、チップとしてもう5ジット弾んでおく。
10ジット札を4枚渡して、
「釣りは要らないです」
「おっ、気前がいいねえ。兄ちゃん」
機嫌の良い笑顔になったところで、世間話を切り出した。
「ちょっと尋ねたいことが。パワーレスエリア、という言葉に聞き覚えはありませんか?」
「ああ……。噂には聞いたことがあるなあ。ミッドオールにあるとかいう変な場所だったかねえ?」
「フロンタイムではそういう場所の噂とか、聞いたことないでしょうか?」
「そうだなぁ。聞いたことない。第一そんな場所があるなら、すぐニュースになるだろうな」
「わかりました。ありがとうございます」
なるほどね。
「また来てくれよ!」
おっちゃんに見送られて果物屋を後にした俺たちは、少し離れたところまで歩いてから、アリムの実に齧り付いてみた。
「おいしい!」「おいしいね」
とろけるような食感。
完熟した桃のようにジューシーな甘みが、口の中にいっぱいに広がって……。
思わずにやけてしまいそうになるな。
「にやけてるよ」「君もじゃないか」
にやけてたか。
種をしゃぶり尽くすまで味わった。
ああ。おいしかった。
それから、何人か話しかけやすそうな人を選んでパワーレスエリアについて尋ねてみたが、目ぼしい成果は得られなかった。
そもそもこの言葉を知らない人も多かったし、知っていても与太話程度で、ミッドオールの人よりも詳しい者はいなかった。
結論としては、フロンタイムには確認されているパワーレスエリアは存在しない。ミッドオール特有の現象のようだ。
うーん。思うように世界の調査が進まないなあ。
レンクスもちゃんとやってるんだかやってないんだかよくわからないし。
ぽけっとしているようで、時々ふらっと出ていくんだよな。あいつ地味に結構秘密主義なとこあるからな。
ついでにミッドオールの話にも及ぶと、剣麗レオンの雄名はこちらでも健在ということがわかった。
女性を中心として結構ファンが多い。すごいんだなあの人。
「ですぅ」
ん? 今、ちらっと女の声が聞こえたような。
「――ですぅ」
気のせいじゃない。後ろから聞こえてくる。
振り返ると、
「ごめんなさい。ちょっとそこ通して下さいですぅ」
両手に物凄い量の食材を背丈も超えるほど山積みに抱えた――あまりに量が多いせいで隠れて、姿が見えない。
でも女の子の声だ。結構高めだ。
その子が、人混みに頼んでどいてもらいながら、ふらふら歩きでこちらへ向かってくる。
明らかに目の前が見えていない。抱えている物が多すぎて、バランスがまったく取れていない。立って歩いているのが奇跡のような状態だった。
あれは、危ないぞ。見るからに危ない。
「あっ。はわわ、ああーーっ!」
あ、こける。
『ユイ!』
『うん!』
以心伝心。
俺はさっと彼女の後ろに回り込み、倒れる彼女の肩を抱いて支えた。
初めてまともに姿が見えた。銀色の髪が綺麗な線の細い少女だ。
この髪色、どこかミリアを思い起させるな。
「大丈夫か」
「あ、ありが……!」
俺の顔を見つめた瞬間、彼女は沸騰したように顔を真っ赤にして、もじもじと顔を背けてしまった。
何だろう。俺、何かしただろうか。
と思っていると、彼女は急に何かを思い出したように慌てて、
「わああぁ! しまったですぅ! 大事な食材があぁ……!」
「そっちも大丈夫」
ユイが親指を立てる。
ばら撒かれそうになっていた食材は、風魔法で優しくふわふわと浮いていた。ナイス。
「た、助かりました」
明らかにほっとした表情で胸を撫で下ろす彼女。
また俺と目が合った。
すると彼女はびくっと身を震わせて、さっと俺から身を引くように立ち上がった。
両手で頬を抑えて、恥ずかしがっている。
あまりに大袈裟に逃げられてしまったので、もしかして嫌だったのかと思い、尋ねる。
「ごめん。触れられるの嫌だった?」
「いえそんなことないですないですないのですぅ!」
身振り手振りいっぱいで全力否定する彼女。まるで小動物のようだ。
じゃあ何なんだ。いったい。
『あーなるほど』
訳知り顔でうんうんと頷くユイ。
どこか生暖かい目をこちらに向けている。
『何がなるほどなんだ』
『かっこよかったんじゃないの? あれはときめいてるね』
『俺に? まさか』
そんなわけないだろう。
と思うと、ユイにふっと鼻で笑われた。
『あなたもあんまり自覚ないよね。昔ならともかく、最近はそっちの要素もなくはないよ』
『嘘だあ。ないない』
全宇宙弄られキャラ選手権があるなら、割と健闘しそうな勢いだぞ。
今まで散々弟キャラとか男の子、下手すると男の娘扱いまで受けてきたのに。君にすら。
俺を「男」だと思ってる人なんて、それこそリルナくらいしかいないだろ。悲しいけど。
『って思うじゃん。知ってる? アセッドのユウくんかっこいいねって、依頼やってるとたまに聞くんだよ。お姉さん紹介して下さいって話もあったりしてね。もちろん全部握り潰してるけど』
まさかの事態。そんなことになっていたとは。
というか、あの。握り潰してるって。ユイさん怖い。
『マジか。全然知らなかったよ』
これからは少し振る舞いに気を付けよう。リルナに失礼だもんな。
『うん。気を付けてね』
はい。
「よかったぁ。さすがに調子に乗って買い過ぎましたですね~」
女の子はユイにぺこりと頭を下げて礼を述べた。
それから伏し目がちに、俺にそろそろと近づいてきて。
見るからにすごいドキドキしている。さすがの俺でももうわかった。
どうやら一目惚れでもされてしまったらしい。厄介なことに。
彼女は健気に大きめの胸を張って、自己紹介してきた。
「はじめまして。ミティアナ・アメノリスですっ! ミティと呼んで下さい、ですぅ」
……ほう。中々あざとい喋り方をする子だな。ぶりっ子なのかな。
意識してやってるのか天然なのか知らないけど。
線の細く、モデルのように恵まれた容姿も相まってとても可愛い。
可愛いが、そんなもので俺の心は動かないのだ。本物の可愛さを知っている。リルナとユイがいるからね。
ユイの方をちらりと見たら、あんなのにころっと騙されちゃダメだよと頷いていた。
わかってるよ。相棒。
「俺はユウ。こっちは姉の」
「ユイです。よろしくね」
「ユウさんに、ユイさんですね! ありがとうございました。本当に、本当に助かりましたぁ!」
再度大仰にぺこぺこと頭を下げるミティ。そこまでしなくてもいいよ。
一々おどおどきょろきょろしていて、面白い子だな。
「いやぁ危なかったのですよ~。うちの一週間分の仕入れ食材が、危うくぱぁになるところでした」
「それは何よりだったね。今度は落とさないようにね」
「そうだ。家までどのくらい? それまで落ちないように風魔法かけてあげる」
ユイが提案した。それはいい考えだな。
するとミティは、ちょっと思い悩んだように考えて、
「あのあの。ミティ、宿屋さんやってるんですけど」
「へえ。そうなんだ」
「ランチやディナーもやってるんです。よかったら、うちへ食べに来て下さいませんか? お礼におもてなしをさせて下さいっ!」
まさかの提案だった。
つまり一緒に来てくれと。そういうことか。
『どうする?』
『どうするも何も。これは誘ってるね』
『誘ってるな。もうわかる』
小動物のような見かけによらず、中々積極的な子のようだ。
『あなたが決めていいよ』
ユイはこういうとき、かなりの確率で俺に判断を委ねる。あくまで彼女はサポートに徹するのだ。
もう少し自分の意見を言っても良いと思うのだけど。
『そうだな。じゃあ』
少し考えてから、俺は答えた。
「お礼なんかいいよ。それより、実は俺たち、一週間ほどこの町には滞在しようと思っていて。ちょうど宿を探していたところだったんだ。君のところ、いくらかな?」
「あ、はい。泊まるだけなら、一泊20ジットです! それから、豪華三食付きコースで50ジットなんです!」
「安いな」
「でもでも! 決してサービスの面では他の宿に引けを取りませんっ! ……たぶん」
最後ちょっと自信なさそうにぽつりと呟いたのが、琴線に触れた。
「わかった。じゃあしばらく君のところにお世話になってもいいかな」
「え、ほんとですか?」
「ああ。とびきりのもてなしを期待してるよ」
ミティは、信じられないと頬に手を当てて。泣きそうになっていた。
そこまでのことなんだろうか。
「やりました! お客様二名様、ゲットですぅ!」
グッと両手でこぶしを握るミティ。
どこかあざといような気もするが、見ていると微笑ましくもなる。
こうして俺たちは、コンテスト当日までミティの宿にお世話になることになった。
山ほどの荷物は三人で分担して持つことにした。また転ばれても困るしね。