「君たちは、ワールド・エンドという言葉を聞いたことがあるかい?」
剣麗レオンは、喜々として語る。
一つテーブルを挟んだ向かいでは、俺とユイが揃ってまさに彼の話を聞いているのであった。
「少し話がしたい」と、彼が『アセッド』にやって来たのは、つい先ほどのことである。
さて。その言葉を聞いたことがあるかと問われれば、もちろんある。
ランドとシルが目指しているという、世界の果てのことだ。
首肯すると、彼もまたオウム返しのように頷いた。何気ない所作一つも流麗で、ややもすると魅入られそうになる。
そこにいるだけで華があった。何もないのにオーラが見えそうである。
彼こそは人に好かれる魅了の素質を備えているに違いなかった。
「世間ではどんなに大袈裟な扱いをされようと、僕も一介の冒険者に過ぎない。夢やおとぎ話のように語られる世界の端。かつてはそんなものに憧れたこともあったんだ」
言外には、今はもう憧れていないというニュアンスが多分に込められていたが。
彼は一拍間をおいて、続ける。
「本当にそんなものがあるのか。あるとしたら、さらにその先に見えるものがあるのか。見えるとしたら、何が見えるのか。知りたくてね」
「わくわくするじゃないか」と語るその顔は、無邪気な少年のような、いやむしろ白馬の王子か何かにでも恋い焦がれる少女のように恍惚としていた。
視線が彼の顔に吸い込まれた。息をするのを忘れてしまうくらいには。
「それで。挑んだわけだよね?」
ようやく呼吸を思い出して、尋ねる。
それほどの熱と憧れを持って語るなら、冒険者ならば挑んだのだろうという確信を持って。
しかし返ってきたのは曖昧な肯定であり、否定だった。
「挑もうとした。挑んでみた、というにはあまりに小さな試みかもしれない。そうだな。僕は……まだ行けていないんだ」
「まだ、行けてない? あなたが?」
ユイが疑問を差し挟む。
行く先々で伝説に上るレオンの神話が真実なら。仮にいくらかの誇張があったとしても、チート仕様の俺たちに決して引けを取るものではない。
むしろ当人を目の当たりにして、一層漂う強者の風格から、格上なのではないかとすら思える。
そんな彼をして辿り着けないとは、到底信じがたかった。世界一周でも軽々とやってのけそうな説得力があるのに。
レオンは、今度はほんのわずかの間、叶わぬ恋に胸を締め付けられるような表情になって。
しかし儚い表情はすぐに解けて、諦めたように微笑した。
「そこに行くべきなのは、僕ではないのかもしれないね」
と、どこか含みのある言葉を残して、納得してみせた。
後ろで珍しく起きてマジ顔で話を聞いているレンクスにちらと目線を向けてから、レオンは話題を変える。
「ランド・サンダインとシルヴィア・クラウディ。最近Sランクになったというあの二人は、随分調子が良いそうじゃないか。君たちともとても仲が良いと聞いたよ」
期待の若手冒険者ランドシルは、つい先日付けでSランクへと昇格を果たした。
元々実力こそAランクでも頭一つ抜けて上であったようだし、未知なる土地の旅の記録を詳細に残し、有望な開拓地候補を発見した功績が評価されたのだ。
「まあね。仲良くさせてもらってるよ。時々冒険の依頼が来るんだ」
「ちょっといたずらが過ぎる方もいるけどね」
その噂のことは知っているのか、レオンは裏もなく笑った。笑い声すらも美しい。
「あの二人からも。もっとたくさんの人からも、喜びの声を感じる。君たちが来てからだよ。すべては」
彼は無意識か、目の前のテーブルを優しい手つきで一撫でした。
「あまり親しくもない身で、こんなことを言うとあれなのかもしれないけどね。僕は君たちという人間が興味深い」
じっと瞳を覗き込んで。
本当に興味ありげな顔で、そんなことを言われた。
「君たちからは――おっと。後ろのあなたもそうか」
「レンクス・スタンフィールドだ」
レンクスは、なぜかむっとした口ぶりで答えた。
どうしたのだろう。さっきから神妙な顔してるし。起きてるし。
何が不機嫌なのかさっぱりわからないが。
「レンクスさんだね。僕はレオンハルト。みんな剣麗だとか剣麗レオンと呼んでいるけれど、ただのレオンで構わないよ」
「へっ。お高くすましやがって」
まるで子供のように毒吐くレンクスを、大人の対応で華麗にスルーして。
レオンは続けた。
「君たちからは何か、違うものを感じるんだ。僕たちと性質を異にする者。とても奇妙な、変なことを言うようだけど。違うかい?」
彼自身ももしかすると何が違うのか、まったくわかっていないのかもしれないが。
しかしその言葉には、すべての秘密を見通したかのような強い確信が伴っていた。
この人もミティとは性質が違うけれど、直感を大切にする人なのだろうなと思った。
ちなみにさっきからその元気娘ミティがいないが、彼女は接客中に突如飛び込んできた圧倒的イケメンオーラに、鼻血をぶー垂れて死亡していた。
「おめめが幸せ、ですぅ」が遺言だった。
それはさておき、相手はさすがである。
この人ならば、ある程度素直に話してしまっても良いのではないだろうか。
下手な誤魔化しよりも喜ばれるだろうし、俺たちに都合の悪い形で言いふらすようなこともしないだろう。
「違う、とは言えないかな。確かに俺たちは、この世界の普通の人たちとは異なる存在だよ」
「ずっと遠くのところから、旅をしてきているの」
ユイが補足する。
まだ不機嫌そうにしているレンクスも、黙って頷いていた。
「旅か。よほど遠いところなんだろうね」
「まあ、ちょっとやそっとじゃ行けないところではあるな。お前には」
レンクスが、今度は明らかに勝ち誇ったようにそう言った。
だから何なんだ。
ユイを見ると、君は原因がわかっているのか、あまり気にしていないようだった。
ということは、もしかして。ああなるほど。
「ふっ。やっぱりか。そうだと思ったんだ」
俺の台詞ではない。
レオンの方は予想が当たり、明らかに嬉しそうだった。
それから、「また変なことを聞くようで悪いけれど」と前置きして、彼は引き締まった真剣な顔で尋ねてきた。
「君たちがワールド・エンドに挑んでみないか。僕なら、最果ての荒野までは一息で飛べる。この手を取れば、それだけで」
そう言って、左手が差し出される。
この人も左利きなのかな。ひょんなことで共通点が。
話を聞いた感じ、このレオンがただ素直に諦めたとは考えにくかったので、結構なところまでは行っているのだろうと思っていたけど。
最果ての荒野なんて確信的なネーミングを付けるところまで行ったということは、本当にあと一歩のところだったのだろうか。
そこまでやっておいて、なぜ諦めるしかなかったのかははなはだ疑問だけど。
それも含め、非常に興味をそそられる誘いではあるものの、俺の返答は決まっていた。
「ありがたい申し出だけど。お断りします」
「なぜかな。僕はそれなりに人を見る目があると思っていたのだけど。こういうの、とても興味あるだろう?」
「それはもちろん。でも、ランドとシルにこそ初めて辿り着いて欲しいんだ。誰よりもずっと真剣に追ってきた夢だって知ってるから。それを、よそ者の俺たちが横からかっさらって良いことじゃないと思うから」
レオンはなるほど、と得心したように頷いた。
そして、笑って言った。
「そうか。君は、優しいんだね」
「そうかな」
「うん。優しいよ。嬉しいな。僕の見立て通りの人だった」
彼が俺を見つめる目に、熱っぽいものがこもっているような気がした。
気のせいではないだろう。かなり気に入られたみたいだ。
「君たちなら。君たちとあの二人なら、あるいは……。辿り着けるのかもしれないね」
うん、ともう一度大きく頷いて。
彼は期待を込めた眼差しで頼んできた。
「いつか僕にも聞かせておくれよ。素敵な旅の話を。誰もが見果てぬ夢の向こう側を」
そうして、やけに熱の入った目で。
今度ははっきり俺だけを見ていた。
妙に含みのある笑みで。
「待ってるからね」
これもきっと気のせいではないだろう。
その言葉は、俺だけに言われているような気がした。
***
しばらく冒険話が盛り上がった。
レオンの口から語られる数々の伝説は、本当にそれを体験しないと語り得ないものばかりであり。
誇張なしに語られる生ける物語が、強く心を打った。
俺とユイの方からも、異世界であることとかは微妙にぼかして、これまで体験したことの話を少しばかりしてみた。
彼もよほど面白そうに聞いてくれた。
「結構話したね。今日はお話だけに来たという感じなの?」
ユイはさすがに時計を気にしていた。そろそろ正式に開店する時間だったからだ。
レオンは客の迷惑にならないように、開店前の準備時間を見計らって来てくれたのだ。
「ああそうだった。本当はね。そっちが用件だった。つい話し込んでしまって、申し訳ない」
「別に構わないよ。面白い話が聞けたので」
実はレオンにも依頼があったらしい。話に来たのはついでとのことだ。
彼の依頼とは、フロンタイム随一の魔法都市フェルノートの警護依頼だった。
何でも「特別区」浮遊城ラヴァークが、年に一日だけ地上のフェルノートまで降りて来る。
100ジット札の顔にもなっている「永遠の姫」ラナが、その日だけは民衆に姿を見せるということらしい。
ラナはこの世界の象徴たる存在であり、ラナソールという世界の名前も彼女にちなんで付けられたものである。
政治的な権限は一切ないのだが、重要な人物である。まあ日本で言う天皇みたいなものなのかな。
一冒険者であるにも関わらず、そんな重要人物の護衛を任されるなんて。レオンはよほど人柄も信頼されているみたいだ。
いくら冒険者として強くても、普通彼らが持ち合わせるような大雑把な気性の者ならこうはいかなかっただろう。
今回じっくり話したのは、俺たちが信用に値する人物かを改めて見極めるという意味もあったと告げられた。
お眼鏡には叶ったようだ。もっとも、そんなことは一目見たときから何となくわかっていたと言われたが。
なぜかは深いところまではわからないけど、よほど信頼されているらしい。
こうして俺たちは、レオンと協力してラナの身辺警護に当たることになったのである。
数日後にレオンが迎えに来て、フェルノートに向かう。
そこで数日かけてフェルノートの地理をよく知ってから、当日の警護に臨むという流れになった。
話を済ませたレオンは、妙に楽しそうな顔で帰っていった。
後ろ姿も、足取りが軽いのが見て取れるくらいに。
伝説という名の仮面が外れた素の彼は、非常に親しみやすい人だった。
「で、レンクス。あなたねえ」
ユイはいつもの呆れたような顔で、つかつかとレンクスに近づいていった。
「いくらレオンがカッコいいからって、やきもち妬かなくてもいいでしょ」
「うっ。うう……」
レンクスはよろめいた。まるっきり図星だったようだ。
彼はユイに縋り付こうとして、押し戻された。
それでもじりじりと迫りつつ、
「なあ!? 俺の方がイケメンだよな!? イケメンだよなっ!? あいつなんかより、俺の方がずっと……!」
「はあ……」
「くっそ、ちょっとばかしカッコいいからって俺のユイを色目でたらし込みやがって!」
ああ。やっぱりそんなことだろうと思ったよ。
まあレオンがいる前で言い出さなかっただけ、よく我慢したというべきか。
というか、別にたらし込んではいないと思うよ。
あれは無意識に好意を振りまいちゃうタイプだよね。たぶん。
「いつからあんたのものになった。あなたも黙ってればカッコいいんだから、しっかりしてよ」
「カッコいい!? カッコいい!? 俺、負けてないかな……?」
小さな子供が母親に恐る恐るものを尋ねるような不安顔で、レンクスはじっと返事を待っていた。
「うん。カッコいいよ。たまにはね」
ユイはどうでも良さそうに答えた。
拗ねると面倒臭いので、とりあえず答えた感ありありである。
もっとも、たまにカッコいいのは事実である。シリアスなときだけな。
単純なレンクスは、たちまち元気になった。
「いやっはーーーー! ありがとう! ありがとう! 嬉しいぜ! 俺は君のためなら死ねる!」
「死んでも生き返るくせに」
「お前もな!」
「はっはっは」とフェバルにしか伝わらないジョークで、レンクスは機嫌良く馬鹿笑いした。