「ランド……」
ぽつりと口を衝いて出てしまっていたらしい。
キャスター付きの椅子を回転させて振り返ったリクが、俺をまじまじと眺めて不思議そうに首を傾げた。
「僕のキャラクターがどうかしたんですか」
「あ、いや。ランドって言うんだなって思って」
「そんなに驚くようなことでもないでしょう。単純に僕がリクだからランドって付けただけですよ」
リクだからランドか。
やはり俺の耳でちょうど日本語と英語の関係に聞こえるという事実は偶然ではなく、実際に関連のある名前だったようだ。
「驚いたのはゲーム画面の方さ。恐ろしいほどにリアルだね」
適当なことを言って誤魔化す。
確かに画面自体も目を見張るものではあった。地球ではまずこれほどまでにリアルな映像のゲームはお目にかかったことがない。
ある程度以上の解像度になると、人間の目は現実と映像を区別できなくなると言われるが、目の前に映し出されているものはそのレベルに十分達しているように思えた。
リクは、まるで自分が褒められたかのように得意気に答えた。
「もう一つの現実を体験できるっていうのがこのゲームの売りだからね。没入感がすごいんだ」
俺は彼の隣まで歩いていって、PCの画面がもっとよく見えるように屈んだ。
「ちょっと君のプレイを見せてもらってもいいかな」
「おっ。ユウさんもラナクリムに興味を持っちゃいました?」
そう言えば、いつの間にかユウさん呼びされているなと気付いた。こんななりが相手でも、年上には敬意を払うタイプなんだろうか。
逆に俺は打ち解けた相手にはどんどんくだけた言葉遣いで話していくから、いつの間にか最初と逆みたいになってしまったな。まあいいか。
「それはもう興味津々だよ」
主にランドとラナソール的な意味で。このゲームに絶対ヒントがあると思う。
ランドは言葉通りにゲームに興味を持ったと受け取ってくれたのだろう。
良い笑顔でPCの正面から席を引いて、ベッドから見やすい位置を勧めてくれた。
「どうぞ。あまり良い所は見せられないかもですけど。でも画面酔いとかでまた具合悪くしないで下さいよ」
「少し寝たからもう大丈夫」
とりあえずいったんは俺と真面目な話の続きをするのを忘れてくれたらしい。ラナクリムで遊んでいるところを見せてもらうことになった。
でもちょくちょく俺のことを注視してくるので、話を忘れたわけではなくて、ゲームで興味を惹いておけば俺が勝手にどこかへ行ったりしないと踏んだのかもしれない。
ラナクリムはオンラインゲームのようだ。同一の世界に多人数が同時接続して遊んでいる様子が窺えた。
MMORPGって言うんだったかな。確かケン兄が好き好んでやってたっけ。
画面の中のランドは、こちらに背中を向けて街の中を歩いている。
「今は何をやろうとしているの?」
「冒険者ギルドに向かっているところです」
と言いながら、リクは迷路のように入り組んでごちゃごちゃした通り道を、勝手知ったる調子ですいすい歩き進めていく。
活気に満ちた雑多な街並みは、まるでレジンバークを思わせるものだった。
自分の完全記憶と照合してみる。驚くべきことに、いくつかの通りは完全に外見が一致していた。
一方で、微妙に違う箇所も散見される。
だが全体としては実に恐るべき精度で、ゲームの中の街並みと馴染みの街は酷似していた。
俺はさりげなくリクに尋ねてみた。
「ところで、この町の名前は?」
「冒険者の町『レジンステップ』。冒険者ならまずここをスタート地点にしますね」
レジンステップ。レジンバークとは似ているが、やはりそのものではない。
なんだろう。この喉に魚の小骨が引っかかるような感じは。
しばらく町の様子に気を配りながら「ランド」の動きを眺めているうちに、「彼」は冒険者ギルドに着いた。
冒険者ギルドの様子も、奇妙に見慣れたものだった。初めて見るはずのものなのに、まったくそんな気がしない。
いくつかの内装の違いを除けば、一切がレジンバークのそれと合致してしまう。
もはや偶然というレベルで片付けられるものではない。
ラナソールが先にあって、それを元にラナクリムが作られたのか。それともラナクリムに似たラナソールという世界があるのか。
いずれにせよ、極めて密接な関係があることは間違いないように感じられた。
「これからクエストを受注しに行きます」
リクが「ランド」を歩かせていく。
受付のお姉さんは、落ち着いた感じの紫色の髪の女性だった。
あの元気なマイクパフォーマンスがうるさい赤い髪のお方ではない。
またもニアミス。これが完全に一致しているならむしろ話は単純そうなのに。わけがわからないな。
するとリクは画面を開き、フレンド募集をかけ始めた。
しばらく待っていると、「彼」の前に銀髪の女性が現れる。
その姿を見て、あっと口を開けてしまった。
シルヴィア! 今度は彼女がいる!
さすがに驚きで声を出してしまうというへまはもうやらかさなかったが。
画面の中の「彼女」が、まるでゲームを感じさせない滑らかな動きで手を振る。
『ランド君。さっきは急に回線が切れちゃって。ごめんなさいね』
リクは、中々素晴らしい速度でキーボードを叩いた。
『いえ、こちらこそ。僕も突然接続がダメになってしまって』
『珍しいこともあるものね』
『そうですね。まあ気を取り直して、例のクエスト再開と行きませんか?』
『そうしましょ』
「彼女は?」
「シルヴィアさん。僕よりちょっとだけ先輩のプレイヤーなんです。よく一緒につるんでクエストをこなしてて」
「へえ。で、例のクエストというのは?」
「ああ、それは……。ワールド・エンドっていう、つまり世界の果てですね。そこを目指すグランドクエストがあるんです。僕たち二人はそのクエストをずっと続けていて」
同じだ。この「ランドシル」の目的と、俺のよく知るランドシルの夢は。同じじゃないか。
しかしながら、まったく同じかと言えば、そうでもないのだった。
仲良くチャットを続ける二人からは、あの二人とは異質なものを感じる。
まず、リクがやたら礼儀正しい。あの馬鹿一筋でいい加減なランドとは、どこか似ているようでやはり違う。
「シルヴィア」も妙に常識人っぽいし。少なくとも画面に映るこの人から、あんな風にはっちゃけたセンスは感じなかった。
第一、シルヴィアはランドのことは君付けで呼んだりはしない。もっと腐れ縁のような、フランクな仲だろう。
『では、またワープクリスタルを使いまして』
『ランド君。またキャラがなってないよ^^』
『悪い悪い。そうでした。冒険再開と行こうぜ!』
『おー!』
「キャラ?」
「一応冒険中は。ランドは冒険バカっていうロールなんです」
「ふうん」
ロールね。そっちの方が俺のよく知るランドっぽいじゃないか。
「どうしてわざわざそんな真似を?」
「えーと。そんなに強い理由があるわけじゃないんですけど。ゲームでくらいリアルを忘れて馬鹿やれないかなって」
「何かリアルで嫌なことでも?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
リクはキーボードを叩く手を止めて、視線を落とした。
「ユウさんは……いや、何でもないです」
「どうした。言いたいことがあるなら言ってくれていいんだよ」
やんわりと促すと、リクは逡巡するようにつま先をとんとんしてから、言った。
「その……。ユウさんは、楽しそうだなって」
「うん。毎日が楽しいよ」
色々なことが起きてね。今だってそうだ。
何もないなら、それもまた素晴らしいことだと思うし。
「君は違うのかい」
「うーん。それが……」
ピコッ。チャット音が鳴った。
『ランドくーん。どうしたのかな? 行こうよ』
『あああ、すいませんんんん』
ひどく慌てて打ったからか、んが連続して並んでいた。
「ランド」に、ワープクリスタルを使わせる。彼は生きた人間ではなく、リクの手の下に忠実に動く人型に過ぎない。
ワープイベント中に、彼はこちらへ振り返って、困ったように曖昧に笑った。
「よく、わからないんです」